松庵村・中高井戸村・宮前新田

松庵地図

(地図では松庵村、中高井戸村、大宮前新田の部分)
地名の由来−武蔵名勝図絵には小高い地に清泉があったからという。
歴史−中世は他の村同様豊島氏の所領。その後上杉−北条−徳川となってからは天領となり武州多摩郡野方領高井戸村と呼ばれた後に上下二ヶ村に分けられ1601年甲州街道の建設と共に上下高井戸宿に宿場が設けられ1604年頃甲州街道が整備されてからはそれぞれ上高井戸宿、下高井戸宿と呼ばれるようになりました。その後1652年にから玉川上水路が掘削されたとき、水路にあたった農家7軒が移住開拓した村が出来中高井戸村と称した。。松庵村は1658年頃、この地の開拓を指導した医師荻野松庵の名前を村名にした。1670年には井口八郎右衛門等によって大宮前新田が開発されました。久ヶ山村は「新編武蔵風土記稿」によれば「..古ヨリ領主をツタヘズ..」とあり、何時開村したかは不明ですが上下高井戸村と同じ時期に天領になっています。これらの6ヶ村は明治22年5月に統合合併し高井戸村になりました。
範囲松庵村の北は神明通り。南は立教女学院の裏通りで久我山4丁目との境(南街道)。西は武蔵野市。東は松庵稲荷、杉並松庵郵便局、玉成幼稚園を結んだ線の内側。
中高井戸村
の北は神明通り。南は久我山4丁目との境。西は松庵村との境。東は松庵3丁目と西荻南2丁目との境(北ごけみち)と松庵1−2丁目と宮前5丁目の境(南ごけみち)。
大宮前新田の北は神明通り。南は南街道。西は松庵1−3丁目との境。東は神明通りと南街道が交差する辺り。久我山、上下高井戸村は省略。

西荻の歴史