庚申信仰と干支

第1回ー庚申の藤

庚申の藤とお堂(宮前1−17)

お堂の中の庚申塔

「庚申の藤」(こうしんのふじ)という藤の古木が五日市街道の荻窪方向、春日神社の先の右手、庚申塔の脇にあります(宮前1−17)。かっては東京都の天然記念物に指定され樹齢300年を越す巨木だったそうですが、根本でたき火をしたりして樹勢が弱ってしまい、今では指定を解除されてしまったそうです。
ところでこの藤の木の脇にあるお堂の中に「庚申塔」が大小二基まつられています。
庚申塔とは何か?
室町時代後期より民間で、「庚申信仰」が広まり始め、近世になると庚申講(庚申信仰のための村落の全戸または有志による寄り合い組織)が結成され庚申塔を建てた。
庚申信仰とは何か?
中国から伝わった民間信仰。強いて言えば七五三や厄よけ、初詣、成人式・節分の豆まきなどに近い風習・習俗・しきたり。
庚申信仰とは何をするのか?
庚申の日に庚申講のメンバー(講中という)が村のおもだった家や集会場に集まり、お経を唱えた後、徹夜でおしゃべりをする。お茶とお菓子は良いが酒はほどほど。徹夜=寝ないと言うことがポイント。

第2回ー庚申の日と干支

庚申の日とは何か?
昔、中国や日本では日にちを呼ぶのに、数字のかわりに
十干(じゅっかん) =甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
十二支(じゅうにし)=子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を組み合わせて呼んだ。まともに組み合わせれば10×12=120通りとなるが、半分の60通りしか組み合わせなかった。
十干・十二支を組み合わせて以下のような60通りの組み合わせを作った。
最初の10日は甲子・乙丑・丙寅・丁卯・戊辰・己巳・庚午・辛未・壬申・癸酉・と組み合わせていき、次の
10日は・・・・・ 甲戌・乙亥・丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰・辛巳・壬午・癸未・となり、その次の
10日は・・・・・ 甲申・乙酉・丙戌・丁亥・戊子・己丑・庚寅・辛卯・壬辰・癸巳・となる。次の
10日は・・・・・ 甲午・乙未・丙申・丁酉・戊戌・己亥・庚子・辛丑・壬寅・癸卯・次の
10日は・・・・・ 甲辰・乙巳・丙午・丁未・戊申・己酉・庚戌・辛亥・壬子・癸丑
最後の10日は甲寅・乙卯・丙辰・丁巳・戊午・己未・庚申・辛酉・壬戌・癸亥・で60日分が完了
この組み合わせで60日を作り、それを無限に繰り返していく訳です。
すなわち甲子の日で始まり癸亥の日で終わるわけです。そしてまた甲子の日から始まるわけです。
庚申の日は甲子の日から数えて57日目です。
庚申の日は60日に一回来る?
すなわち60日で1サイクルであり、庚申の日は60日に1回来るという事になります。1年(365日)に6日は廻ってくると言う事になります。2ヶ月に1日は定期的に村人のほぼ全員(大人)が徹夜をしていたのです。庚申信仰は全国的な民間信仰でしたから日本人全体が2ヶ月に1回、同じ日に徹夜していたと言うことです。 こんな大変な事がつい50年位前までは日本全国(都市部以外では)で行なわれていたのです。
ところで十干十二支とは?
中国や日本などアジア漢字文化圏で、日・年・時刻・方位・順序などに用いられた表記法。日本では「干支」と書いてエトと読む

第3回ー干支の実例

日に使った実例
は記録にはほとんど残っていません。昔の日めくり暦(カレンダー)には六曜(大安、仏滅・・・)と一緒に記載されていて、実際は今日が何の干支かは知っていました。勿論、庚申の日や、土用の丑の日(暑さの厳しい土用の頃の丑の日にうなぎを食べる日)、初午(2月初めのお稲荷さんのお祭りの日)、酉の市(11月の大鳥神社の祭礼)の日などは皆が承知していました。上巳(桃の節句3月の始めの巳の日)。端午の節句(5月の始めの午の日)

年に使った実例
年に使うと60年で1クールということになります。庚申の藤の向かって右側の庚申塔は「元禄九 丙子 年十一月十九日 大宮前新田村」とあって元禄九年(1696年)は丙子(ひのえね)の年と言うわけです。年号の後に必ず干支を付けるのが明治以前の年の表記法です。
もう一つ、下の南荻窪1−29の庚申塔には「延宝四辰天 武州多摩郡 九月九日 下荻久保村」とあって延宝四年(1676年)は丙辰(ひのえたつ)の年ですが丙は省略しています。天は年の意です。

歴史上、年に使った例は?
壬申の乱(じんしんのらん)、庚午年籍(こうごねんじゃく)、戊戌変法(ぼじゅつのへんぽう)、戊辰戦争(ぼしんせんそう)、甲子園球場(甲子の年・大正十三年に完成)、丙午(ひのえうま)生まれの女子(八百屋お七)は生年をずらしたりした。現在でも年賀状に干支で年号を書いたり、自分の生年の十二支は誰でも知っている(申歳生まれとか)。
時刻を表した例は?
十二支のみを使い2時間ずつ当てはめた、十干は使わなかった。子の刻=0時、丑の刻=2時、寅の刻=4時・・・「草木も眠る丑三時」(午前2時半)「丑の時参り」(呪いの願掛け、京都貴船神社)「正午・午前・午後」(12時と前と後)「午睡」(ひるね)
方位を表した例は?
これも十二支のみを使った。子=北、丑寅=北東(鬼門)、卯=東、辰巳=東南(吉方)・・・、子午線(南北の線)辰巳芸者(深川の芸者、日本橋から見て東南)、

第4回ー干支の読み方

十干の読み方は?ーこの読み方は重要ですからマスターして下さい
甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)と読みますが、理由は
陰陽五行説(宇宙は木火土金水の五元素が基本をなしている)と結びついて、木=き(甲乙)、火=ひ(丙丁)、土=つち(戊己)、金=か(庚辛)、水=みず(壬癸)・・・と分類した。
そして奇数番を剛日=陽日=兄(え)とし偶数番を柔日=陰日=弟(と)した。
十干は音読みでもかまいません
甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)と読みます。
十二支の読み方は?
子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)と読む。
十二支も音読みでもかまいません
子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)
実際の干支(えと)の読み方は?
十干十二支を組み合わせた干支の読み方は和訓読みと音読みがある。
甲子(きのえね、かっし)・乙丑(きのとうし、おつちゅう)・丙寅(ひのえとら、へいいん)・丁卯(ひのとう、ていぼう)・戊辰(つちのえたつ、ぼしん)となります。
まとめ
庚申塔とは、60日毎の「庚申」の日に村人が徹夜して飲食する(守庚申と言う)ーそれを記念して建てられた石碑。西荻でも戦前まで農家で行われていた。

第5回ー庚申塔

右側の庚申塔
庚申様に唱える真言
庚申(南荻窪1−29)

庚申塔には何が描かれているか?
青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)という、魔力を持つ仏様が描かれている。腕が6本あって、目が3つある。何故庚申信仰の主尊になったかは不明。

青面金剛童子とは何か?
オリジナルは真言密教の曼陀羅上で多数の諸尊の末席に出てくる。顔の色が青くて(=青面)、病魔を退散させるスーパーパワーを持っていていつも、怒った顔をしている。弓と矢や刀以外に必ず金属の棒(=金剛杵)を持っている、童子型の修行者(=童子、菩薩)。

真言密教とは何か?
日本では空海が唐より持ち込んだ。歴史上実在した釈迦よりも、(教典上の)大日如来を永遠の宇宙仏と崇める。真言=マントラ=呪文を多用し、密教的教義と儀礼・修行(=真言呪法の加持力)により即身成仏すなわち現世利益を特徴とする。

真言とは何か?
真言とは真実の語すなわちサンスクリット語のマントラmantraの訳語。密教で真理を表す秘密の言葉でサンスクリットの字句をインドの発音のままとなえる。密教は基本的にインドの呪術宗教であるので、文字や音声に呪力をみとめて呪文とした。また意味不明であればあるほど、神秘的な呪力があると信じた。

密教とは何か?
仏教の流派の一つで、顕教、すなわち広く民衆に向かって開かれ、その世界観を明瞭な言葉で説く通常の仏教に対し、自己を非公開的な教団の内部に閉鎖し、秘密の教義と儀礼を師弟相伝によって伝授する秘密仏教を言う。

曼陀羅とは何か?
仏教の様々な経典に出てくる仏様を描いた「悟りの世界」を表象する図絵。もともと密教のモノであるが浄土宗や日蓮宗でも使われる。

なぜ猿が描かれているのか?
庚申塔には主尊青面金剛童子以外に、必ず3匹の猿(=三猿)が描かれている。これは「庚申」の申が猿を意味するという単純な理由から、猿を神使とする日吉山王権現信仰(=修験道、山岳信仰)と結びついた。また江戸時代に山崎闇斉(儒者、神道家)が神道の猿田彦大神と結びつけた。

庚申信仰の発生は何処にあるのか?
庚申信仰のオリジナルは中国の東晋時代の317年に著された道教の教科書「抱朴子」(ほうぼくし,平凡社の東洋文庫にあります)に出てくる。・・・人間の体内には三尸(サンシ=三匹の屍)と言う虫がいて庚申の日に天に昇って、天の神様に人間の過失を報告し早死にさせようとする・・・・と記されている。この記載が庚申信仰の始まりである。

庚申信仰の大本である道教とは何か?
中国の漢民族の伝統宗教。黄帝・老子を教祖と仰ぐ。古来の巫術や老荘道家の流れを汲み、これに陰陽五行説や神仙思想を加味した民間宗教。

なぜ三匹の猿は「言わざる・聞かざる・見ざる」(左端から)の格好をしているのか?
この庚申の日には徹夜をして、過失をしないように行いを慎む。すなわち夫婦の同衾、洗濯、裁縫、夜業、結髪、鉄漿付け(かねつけ=お歯黒を付けること)、狩猟、漁業も禁じられた。人間の過失を天に報告させないと言う事から、言わない、聞かない、見ない、言は猿(=言はざる=手で口を覆っている猿)、聞か猿(=聞かざる=耳を手で覆っている猿)、見猿(見ざる=手で目隠しをしている猿)に繋がっていくのである。また「三尸」は「三猿」につながるのです。
左の写真は南荻窪1−29の庚申塔で、彫りがはっきりしているので拡大してみました。
ラーメン屋さんの「まるや」にはタイからの、お客さんのおみやげで、みざる、いわざる、きかざるに、せざるを加えた4猿の木彫り像があります。


まとめ
庚申信仰は中国の道教(中国の伝統宗教)を源とし、日本に入って真言宗(インドの呪術宗教)と結びつき青面金剛童子を描いたり、「申」ということで山王権現(日本の自然信仰)や猿田彦(神道)と結びつき三猿が描かれるようになった。中国・インド・日本の要素が習合・融合した民間信仰の代表例でしょう。13.5.24

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