西荻故事

城山と伊賀忍者村

城山跡(削り取られて面影全くなし)
忍川橋 鍛冶橋

西荻北2−34周辺、ちょうど西荻窪図書館と道路を挟んだ西側は小高い丘になっていて、子供の頃は「しろやま」と呼んでいた。夜は怖くてそばも通れないほどの鬱蒼とした森になっていて、夏休みはカブトムシやクワガタなどを採ったものである。
この城山は源頼義が奥羽下向の際荻窪八幡に戦勝祈願し部将に城郭を築かせたところとして有名である。
ところがその後、江戸時代の初期に鵜飼政長という伊賀忍者の屋敷があったことが推測されているのである。実は、江戸時代初期、荻窪から西荻窪の全域は伊賀忍者の知行地=忍者村だったのだ!!!(八人方古文書−井川俊之助氏所蔵)。すなわち上荻窪村(現在の西荻南・北、上荻、南荻窪2・3・4)は鵜飼政長以下伊賀同心8名、下荻窪村(現在の荻窪と南荻窪1・2・4)は伊賀忍者の隊長服部半蔵の知行地であったのだ。すなわち荻窪は隊長が独占し、西荻は手下8名で分けていたのだ。
荻窪4−8周辺は「忍ヶ谷戸」(しのびがやと(下左写真の左側一帯、下は善福寺川、手前は忍川橋)といわれ服部半蔵の屋敷であった。この地の「忍川橋」「忍川公園」を、現在オシカワと読んでいるがこれはシノビカワと読むのが転化したそうだ。同様に西荻北1丁目の「鍛冶橋」(下右写真)も、もとは「徒橋−カチハシ」と呼ばれた。伊賀忍者は徒歩で出陣したので「徒衆−カチシュウ」「徒侍−カチサムライ」と呼ばれた、この辺一帯に住んでいた証拠である。ちなみに「城山」の「山」とは杉並区内では、高さに関係なく平地でも樹木の生い茂っている森林、雑木林を云う。「忍ヶ谷戸」の「谷戸」とは谷あいの土地を指す。(杉並風土記上巻−森泰樹著)12.7.17





有馬邸(上荻4丁目)

有馬邸

大正元年に、旧久留米藩主有馬頼寧伯爵が、現在の上荻4丁目、八幡神社の西側、青梅街道から善福寺川までの土地1万5千坪を坪5円という当時の価格の約2倍で購入。杉並区内で1坪単位で売買された最初でもあった(当時は1反(300坪)で売買されるのがふつうであった)。伯爵の本邸が北千住に在って、隅田川の氾濫でたびたび浸水したため、移転地に買い求められたのですが、荒川放水路の築造で、水害が無くなったため、移転が中止されました。
当時荻窪駅は開設されていましたが、西荻窪駅の開業は大正十一年であり、別荘地を購入するような感覚だったでしょう。
その後家屋が建てられ、直木賞受賞の人気推理小説作家有馬頼義(よりちか)(1918-80)氏は伯爵の三男で西荻在住であった。12.7.17








与謝野鉄幹・晶子旧居跡

環8にほど近い南荻窪4−3−22。西荻窪駅南口富士銀行を入って荻窪方向に歩き神明中学を右に見て歩くこと約20分でたどり着きます。周囲は閑静な高級住宅街。旧居は現在南荻窪中央公園となっている。人っ子一人見かけないが何か抜けたような明るいたたずまい。
昭和2年当時井荻村字荻窪のこの地に家を新築。
「遙青書屋・采花荘」と称し晶子終焉の昭和17年5月迄この地に住んだ。
「改稿決定版・新訳源氏物語」など多くの作品をこの家で完成。
鉄幹も昭和10年3月この家で亡くなっている。
晶子は11人の母であり、前通産大臣与謝野馨氏は孫に当たる。12.7.17

神明中学と桜の馬場

「神明中学」(写真左)は、かって「桜の馬場」(写真右−昭和15年)と云われていた。ここは戦国時代の末、北条氏の家臣が広大な邸宅を構え、神明神社をまつり、四囲には桜の木を植え、桜の馬場と称した...という言い伝えがある。大正十二−三年頃までは、神明神社東端の南北の線より東西長さ130メートル、南北幅100メートルあまりの桜の木の土囲があり、その内側は昔から神社の所有地となっていた。(武州多摩郡上荻久保村風景変遷誌−梅田芳明著昭和15年9月)12.7.16

西荻窪駅南口の3本の道

@本町通り・ごけ道・旧府道
A銀座通り・小島新道
B本橋通り

西荻窪駅の南口は南北に平行に3本の道が走っている。いずれも「神明通り」(北街道、新田街道とも呼ばれた)から五日市街道と井の頭通りを越えて「南街道」(久我山の北を東西に走る道)まで続く道である。
@一番西側、神明通りを「松寿司」の角を入る道は現在「西荻駅南通り」と看板が出ていますが、「南本町会」という看板も出ています。現在商店街の人は「本町通り」と呼んでいるようです。ここは村境の道で明治22年まで西側が「中高井戸村」、東側が「大宮前新田」と云っていました。いずれの村も江戸時代の初めに開拓された村で「南街道」と神明通りに挟まれた短冊形をした細長い村でした。実はこの道は昭和初年まで「北ごけみち」あるいは「ごけみち」と呼ばれておりました。「ごけみち」の名称は杉並区内で方々で使われました。境界を接する村の一方の、主として家のない側の集落や村が土地を提供して開いた道路を呼んでいたようです。旧東京府の道であったので「旧府道」とも呼ばれていました。
A西から2本目も神明通りの新星堂と焼きとりやの間を入った道。現在「西荻南中央通り」「西荻南銀座会」の看板がかかっています。青梅街道から西荻窪駅を越えて神明通りまでの旧井荻村の3間幅の歩道付き大通り(大正11年頃開通)に接続しています。この道が出来る2年前の昭和3年に東側に「本橋通り」が出来て賑わうのに刺激され、昭和5年に数名の地主と小島氏とが自己所有地に道路を作ったのです。昭和10年位まで「小島新道」と呼ばれていましたが、まもなく「銀座通り」と改称、商店街として発展しましたが、銀座通りと呼ぶには細い道です。
B西から3本目は、神明通り沿いの華家というお好み焼きやからスタートする道です。この通りは昭和3年に土地の所有者本橋富太郎氏が野良道を拡張して造った道です。昭和20年頃まで「本橋通り」という呼び名が現在でも使われています。本橋家の稲荷社に稲荷社に「本橋通り道路開通記念碑」が立っています。現在途中のバス停名は「大和通り」となっていますがこの云われは不知です。最南端の「南街道」には、美味しい蕎麦屋の「松月」があります。
いずれの3本も駅前通りにしては細く貧弱で、北側の井荻村の歩道付き大通りに比べようもありません。西荻窪駅という新駅の誘致そのものが井荻村村長内田秀五郎氏の運動によるものであったことも大きく影響しているのでしょう。
西荻窪駅は大正11年に開設され、最初北口のみに改札口・駅前広場が出来ましたが南口は昭和4年の井荻町区画整理の後も取り残され、昭和13年に初めて南口改札口が出来たのです。大宮前新田や中高井戸村にとって西荻窪駅は村外でもあり開発整備の仕様がなかったのでしょう。というより元々両村とも村の南端を走る甲州街道の高井戸宿が村の中心であったようです。また、村の南端を西荻窪駅開設の9年も前の大正2年に京王線が新宿−八王子間を開通。昭和8年にも京王井の頭線が開通し、京王線沿線の町として発展していったのでしょう。12.8.15





西荻窪の「へそ」ー4ヶ村境風景(松庵村・中高井戸村・上井草村・上荻窪村)

またまた地味な話題で申し訳ないのですが・・・結構重要な話ですので写真の番号を追いながらご説明いたします。
@南口神明通りを善福寺方向に行き(レッドの道)
Aガードを潜らず線路の南側を線路沿いにゆくと(グレーの道)、すぐ左手は窪地(西荻の七不思議のひとつ「松庵窪」です)で駐車場になっています
B駐車場の角を左に曲がると、この南に向かう道(紫の道ー北ごけみち)は、左の駐車場側が「中高井戸村」左の吉祥寺側が「松庵村」という村境の道です。この先は松庵稲荷に続きます。
C先ほどのガードを潜ると
D神明通りは「キッチンキャロット」「ヴィア・ヌォーヴァ」に続きますが
Eガードを潜って間もなく左側に区役所の出張所があります
Fそのとなり、というか出張所の裏側に「あじあ雑貨屋」なるお店が出来ました10月中旬のオープンで「エスニック CAFE&雑貨」と言う看板もあります。バナナジュース300円は薄かった!!レッドカレー680円はレトルトパック風でがっかり。でも雑貨はバリのウブドの木工品を中心にかなり集め楽しいです。ここにあった「セレスの食卓」は、お店は閉じたけれど、ネットで通販をしているそうです
G出張所の少し手前右側にはのびのびと元気な「さわら」の生け垣で囲まれた、見事な芭蕉の生い茂る庭があります(冒頭の写真)。茅屋という訳ではないのですが、たまたま曇り空、何か「芭蕉野分けして盥に雨を聞く夜かな」・・・でしたっけ??の句が浮かんでくるほどです
Hここも実は村境の道で、芭蕉のある側が上井草村、道の反対側が上荻窪村でした。この道も善福寺川の井荻橋を通って荻窪八幡まで続きます。そうです・・・・中央線が高架になる前は、松庵稲荷と荻窪八幡は一本の道でつながっていたはずです(昭和五年の地図も「北ごけみち」の延長としてつながっています)。その道が神明通りと交差する「芭蕉のある角の家」は四か村の接点だったのですー図上☆印。ということは、なんと現在の西荻窪を形成する松庵・中高井戸・上井草・上荻窪の4か村の「へそ」は西荻窪駅のすぐ裏にあったのです
よく考えれば当たり前の話ですが・・・
I芭蕉のある家の裏が「荻山荘」(てきざんそう)という趣のあるアパート??
JKLMいずれも荻山荘です。荻窪にある近衛文麿の「荻外荘」(てきがいそう)とは大違いですが、何とも温もりを感じさせる共同住宅です。
「北ごけみち」や吉祥寺村との境の「ごけみち」は村境の寂しい道をいう杉並近辺特有の言葉。
「旧府道」とは旧東京府の道と言う意味ー中高井戸村と大宮前新田村の村境の道。南口駅前松寿司脇の道で、今でも一番賑やかな商店街。
「小島新道」は昭和になって出来た道で、現在の南銀座通り。
「本橋通り」も同様、昭和になって地主の本橋氏が作った道、現在バス通り。12.11.5




@神明通り吉祥寺方向 A線路沿い吉祥寺方向 B中高井戸、松庵村 C中央線ガード下 Dガードを出た神明通り
E左側は出張所 Fあじあ雑貨屋 G芭蕉のある角の家 H上石神井・上荻窪村 I荻山荘玄関
J荻山荘玄関 K天水桶 L荻山荘廊下 M荻山荘階段

六面塔

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