上荻窪村

上荻窪村

(村の地図は内田秀五郎村長の区画整理後ですが未だ造られていない道がたくさんあります)

荻窪という地名の由来は善福寺川沿いの窪地に、荻が群生していたのでその名が生まれたと言われています。古老は「おにくぼ」と呼びます。
歴史−中世(江戸時代以前)は豊島郡に属し、豊島氏の領地でした。荻窪の光明院には1300年代の観音様と一石五輪塔があり、荻窪八幡宮司小俣秀雄家墓地より1294年銘の板碑が出土していますから中世より開けていた村落であることが分かります。
1477年に江戸城の太田道灌に豊島氏が滅ぼされ道灌の主君の扇ヶ谷の上杉定正の領地になりました。1524年上杉は北条氏綱に破れ北条氏の家臣の領地となりました。1590年徳川家康が検地を行い荻窪は2つに分けられ京都に近い方を上荻窪村とし遠い方を下荻窪村としました。
範囲上荻窪村は
北は青梅街道(四谷道青梅往還と呼ばれていた)。
南は新田街道(新田道とも−今の神明通り)。
西は荻窪八幡から東京ガス営業所、神明通りのセレスの食卓を結んだ線で判りにくい。
東は青梅街道の四面道交差点から環8を南へ下ったすぐの右手の脇道を入る。2−3分先の左側のそば屋の先のT字路を左に曲がり右側に和菓子の名店「宝来家」を見て又環8に出る。環8を右に下り線路を越えて変電所の先を右に入る。道なりに荻窪出張所を左に見てそのまま行くと荻窪小学校の裏手を通って神明通りに出る。これは比較的わかりやすい。

善福寺川の北岸は川北と呼ばれ、その中に本村、中田、堂の前、関根の小名があり、南岸の川南には、柿ノ木、伊勢前(神明神社)、三ッ塚、出山、丸山、団子山の小名がありました。

地名の由来

本村−荻窪村で一番最初に開拓された地域。蕎麦や「本村庵」のある辺りで店名はこれによる。

堂の前−光明院前方をさす。本尊の観音堂の前(南方)という意。

中田−村の中央の水田。明治になっても村に水田はわずかで、善福寺川が湾曲しているこの辺りにしかなかった。

関根−善福寺川の堰で取水口があった。田の用水路に水を引くための小さなダムがあり「堰の付け根」の意。今は関根橋、関根文化公園などの名で残っている。

柿ノ木−柿の木が沢山生えていた。

伊勢前−お伊勢様すなわち神明神社がある。

三ッ塚−小張良美邸(西荻南4−32)より西へ三個の塚が並んでいた。貴人の陵墓という説あり。

出山−善福寺川に出張っていた台地の地形から。

丸山−この地域にある台地を城山と呼んでいるので、城の本丸から丸山と呼んだのでは。

団子山−不明

西荻の歴史