「三つ塚」は、現在、中央線荻窪よりの、生協や富士ガーデンのガードの南側(西荻南4−32)に、東西に三個の塚が並んでいたところからの呼称と言われています。このあたりは江戸時代から明治22年まで「上荻窪村小名三つ塚」と呼ばれていました。明治22年からは昭和7年までは「井荻村(町)小字三つ塚」は、現在のユトリアム辺りを中心とする地域の小字となりました。
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| 「三つ塚」発祥の地 | JRガードの「三つ塚」標識 |
| 「三つ塚」は中世の貴人の塚だと言われています。 1828年編纂の「新編武蔵風土記稿」には小字として「三つ塚」が記載されています。 荻窪図書館にある「上荻窪村の絵図」(1800年代初め?)にも「三つ塚」が記載されています。 「武州多摩郡上荻窪村風景変遷誌」(昭和15年)には小字「三つ塚」を次のように記述しています。「・・・明治9年僅か5戸であった当地も・・・現在は全く住宅地となり、往事の新田街道(神明通り)のクヌギ林もその面影なく、沿道には商店立ち並び・・・」とあります。 現在JRのガード下に「三つ塚ガード」という標識が有りますが、昭和初年の下の地図、すなはち井荻村の大区画整理以前の地図には標識の場所に踏切は有りません。この踏切(現在の三つ塚ガード)はおそらく、区画整理で踏切が新たに作られたのでしょう。 |

「東京府豊多摩郡井荻町全図」(作成年代は不明ですが青梅街道と五日市街道を結ぶ駅前の南北の大通りは西荻窪駅が新設されて3年位して出来ているので、大正15年以降、区画整理が始まった昭和4年迄の間?でしょう)
小字「三つ塚」の範囲は、南は神明通り、北はみずほ銀行から神明中学に向かう道、東は神明神社の手前、西は西荻窪駅です。三個の塚が有ったとされる、現在の「三つ塚ガード」の南側は、この地図では「二つ塚」の小字となっています。これは明治22年に行った小字の改訂で、それまで「三つ塚」とされていた範囲の北側を「二つ塚」として新たな小字として分割した事に依るようです。
区画整理以前の荻窪駅までの踏切はこの地図で見る限り@駅前A警察通り(二つ塚踏切)B一本松の踏切C善福寺川のガードD鎌倉街道の踏切(光明院の西荻より)の5カ所だったようです。 2004.3.24