孤独と連帯
怒り
高山 古賀さんは、一審の判決では納得できないと、いうことになるわけですね。
古賀 そうじゃなくて、一審の判決に田辺が従ってないわけでしょ。スモンウイルス説の主張を取り下げてないワケよ。和解に入った文章は、それぞれが書いた文章の一番最後に田辺入ったの。そして、何一つ書いてないわけよ。和解しますというだけで。自分の責任に対しては、ぜんぜんオフリミット。しかもスモンウイルス説に対して何一つ、言い訳ひとつしてないわけよ。
高山 第2グループの中では、高裁までいくかどうかという議論があったときに、田辺の薬を飲んでた人たちは、あくまでも、田辺の主張してたウイルス説が撤回されない限りは、この判決をそのまま受けられないという気持ちが強かったわけですか。
古賀 そうそう、わたしの高裁の第1回の公判の時に、主に神奈川スモンの会の部分だけど、6・7人参加してたの。そこで田辺のほうが、ウイルス説主張してきたわけよ。これは、みんな怒ったわ。それで、「古賀さんが残るんだったらわたしも残ります」って言われたんですよ。
高山 でも、ウイルス説は地裁のときから言ってたんじゃないんですか。
古賀 地裁のときはできなかったの。
高山 できなかった?
古賀 これがアンタ、可部よ。可部は正しい判断持ってるから。そんないいかげんなことで許せるかって言ったの。それで東京地裁じゃ何にもない。
高山 ウイルス説が裁判でおおやけになって出てくるのは高裁段階なんですね。
古賀 だからわたしはそれは許さない。法廷でやったんだから、撤回できないわけじゃない?だからそういうことで、わたしは東京高裁に残る。「もうここまできたんだから、一緒に」っていう人たちはいたけど、「みんななだめてくれ」と言われた。わたしの方は腹の底ではサ、和解したかったんだよ。和解案も当然あるもんだと思ったの。だから、わたしは和解を否定はしてない。向こうの分ケジメがさ、あたしはある種効いたと思ったの。ところが、東京高裁の田辺の第1回の公判で、ネェ、ウイルス説を堂々と、1時間有余にわたって主張したんだよ。こォんなのアンタ許せますか。
高山 この時点では国との間で和解してたんですか。
古賀 いやあ、まだ和解してない。判決の前に、裁判長の奥村に呼ばれて行ったわけ。そして、和解しませんかっていう打診があったんですよ。だから和解の条件として、わたしはウイルス説の撤回と、スモン患者に謝罪しろっていう、その2点をネ主張したんですよ。
高山 高裁の段階になって、古賀さんひとりが争うという形になったけど、公判のたびに、裁判所の前でビラを撒いたり演説やったりやってたでしょ。で、地裁のときもああいう形でやってたんですか。
古賀 2グループを決定してからネ、ずうっと一貫して。
高山 公判の前に、必ずやると。
古賀 だって厚生省で座り込みやったりしたんだから、それはもう当然ですよ。あそこでもって、可部はわたしを知った。可部の方でね、帽子を脱いでサ、門を渡って行くわけでしょ。誰だと思ったよ。そして今度は法廷に出てって見たらね、なンだよ。可部じゃないのアレエと思って。ほおお、こういう裁判官もいるんだな、と思ってサ、こりゃもう、ホント感心しちゃったよ。可部との話し合いもやれたっていうのは、可部自身の常識判断ね。だから、うちの会報もね、退官まで送ってた。返ってこないだヨ(笑)普通だったら返すんだよ。
高山 読んでたんだ。
古賀 可部ってなかなかだナと思って。だから第三小法廷っていうのは割と可部がやめてすぐ、あまり悪い方向出さなかったネ。
高山 高裁で裁判やっている中で、一番、困ったな、大変だったな、っていうことっていうのは、どんなことありました?
古賀 困ったっていうのはチットも感じないなあ。ただね、一番ヤだったのは、弁護士。弁護士料を払わなければいけないでしょ。支える会の部分がいちおう出してくれたけどね。月ネ、二万かな、出したんだけどね。
高山 あの弁護士の人たちっていうのはどうやって探したんですか。
古賀 そりゃさ水俣のゴトベン(後藤孝典弁護士)の関係でさ。高裁なんかで弁護士が無きゃいけないから、で、ゴトベンさん指揮で…。だからさ、あたしが負けた後、ゴトベンとこ行った時、ゴトベンさんはビクビクしてたよ。殴り込みに来たかと思ったらしいよ。(笑)そんなことするわけないじゃない。ねえ。
高山 いやあそうかもしれないよ。
古賀 あんた、やなこというねえ
高山 あ、そう?
高山 支援の人たちっていうのは、前の2グループでいろいろ一緒にやっていた、たとえば薬害共闘の残りの人たちが入っているんですか。それとはまったく別に新たに作った支援グループなんですか。
古賀 薬害共闘から移行した人たち。だからたとえば、サリドマイドの支援やった部分も入っているんだよ。あたしの運動で一番評価できるのはさ、同じ薬害でも、違うグループの支援が参加してくれた。これはほんとにねえ評価していいわけ。前後見てもらってもこんなの無いもの。公害がらみを含めてね。あたしの場合はさ、みんなついてきてくれた一番の得点じゃないかと思ってるわね。そういう形で出来るっていうのはサ、支援としてはほんとにいいもんねえ。
高山 国との和解というのは高裁のどの段階でやったんですか。
古賀 もうとにかくどん詰まりになって、和解をしようって…
高山 和解を向こうが言ってきて?
古賀 その時に、こういう条件じゃなきゃダメだってね、言ったわけよ。そんときに国の問題はどうするかっていうことは検討されて、国とは和解したほうがいいんじゃないの、と。でね、裁判はホントはね、国と和解するべきじゃなかったの、裁判では国に負けてんだから。10月以降の罹患は国も責任があるっていうことになったんだよ。ところが、わたしは6月に罹患したわけよ。だから、国には責任が無いということになったわけよ。
高山 10月に罹患していればほんとは責任ありになったんだもんねえ。
古賀 だから、結果論として、本来は、高裁で国も含めてやるべきだったんだ。
高山 なるほど。
古賀 弁護士が、そういうことをちゃんと言ってくれればさあ。こういう和解じゃ一銭の得にもならんし、国も含めてやったほうがいいんじゃないかってね。で、国はねえモウ大喜びだよ。裁判は継続しない。国の責任はとやかくいわれないで済むわけだから。だからァ、奥村喜んだわけよ。で、田辺も喜んだわけよ。
高山 (ため息)
古賀 で、ああいう判決が出てきちゃったわけよ。
高山 僕が一番釈然としないのは、古賀さんが本当にスモンなのかどうかっていうことを、田辺が言ってくるのならば分かるんだよ。それを裁判官が、古賀さんがこういう検査をやったのかどうかとかね。
古賀 いや、そういう矛盾したのが裁判ですよ。弁護士と、裁判官と、被告とのね、この三者一体の中で、充分な形の話し合いはされてない。
勝利なき闘いへ
高山 そういう経過を経て、スモンであるかどうか疑わしいって判決になって、高裁は決着するよね。それで、今度は、最高裁まで行くかどうか、そして行った場合に弁護士としてはどういうふうに考えるのかってあたりは?
古賀 これからがおかしい訳ヨ。最高裁に対しての働きという点は、「できない」と。それはもう、最後の段で、これだけの事実関係がね最高裁で否定されるわけがないだろうという、そういう判断じゃなくて。
高山 弁護士の方が。
古賀 いろんな形で弁護士がやってくれるかと思ったの。「やりようがない」っていうんだよ。どうしようもねえよアンタ。とにかく、書類だけチャンと出しとけばね、これ以上ってのはないの。本来だったら東京高裁で敗れた時にね、スモンウイルス説を主張した田辺を訴えるのを、一審からやりなおすべきだった。そうすると、まだまだ続けられるし、東京高裁でも最高裁でも、そういうこと考えざるを得ないわけでしょ。ウイルス説に対しては、国も何も全部否定している中で田辺だけが言ったわけでしょ。東京高裁でアンタそれを一時間に渡って証言したんだから。で、文書も残ってるわけですよ。それをちゃんとアンタ一審に出せばいいんですよ。スモンはウイルスではありません、というかたちで。
高山 最高裁っていうのはあくまで現行判断のところだから、実質審理というのをやらないでしょ。実際に、古賀さんが判決を、テレビを通して聞いたという話があるんだけども。
古賀 大分にいた時に、テレビで。それで泡食って、今HIVなんかでやってる、徳田ね。あれのところに行って、とにかく電話借りると、したら土曜日か日曜日で、何時間かかったかな。電話あっちかけ、こっちかけして。大分迷惑かけたんだけれども、弁護士としては、まあまあじゃないかと。
高山 それで、急遽、東京に戻ってきたんですか。
古賀 ウン。最高裁の判断をおかしいってことはだいぶ言ったけど、結果論として、やりようがないわけよ。もう長谷川も大津も、お手上げなんだから。どうしようもない。本来は東京高裁の判決の時にやるべきことを、やんなかったんだから。でも実審はやらないって言う前提は、無い、と思った。間違いがあればさ、それはちゃんとやるべきであって、それが、裁判官の本分じゃないかと思ってるから。そんなにネ、大不信というほどじゃ無かったよ。ところが第一小法廷っていう形で。で、そのあと、可部がちゃんと実審はあったもん。だからね、矛盾してるよオ。裁判官によって違いがあるんだ。実審はやらないっていう前提だっていうけど、現実にやってるんだもの。
高山 そうね。
古賀 代表団の人が替わってから、「実審やってるよ」というふうに動きが変わっていった。だからそういう面では、あたしのやったことは、そう間違いはなかったし、以降、人によっては良かったという人もいるんじゃないかと、そういうふうに思います。あたし自身だけがハズレ籤を引いたんだ(笑)。おかげさまで、大阪にずっと行ってるけどね。
孤独と連帯
〜同じ被害者として〜
高山 その最高裁の判決以降は、田辺に定期的に行って、抗議行動を続けるというふうに決めたんですか。
古賀 そうそうそう。その時に水俣の会長の、池田さんていったかな、沖縄問題とかいろんな方面に首突っ込んでる人が、あたしはどういう形で参加できるかと。だから俺は、これは、直接ね、運動されている人と話し合った方がいいだろうと思って、その池田さんと、運動も含めていろいろ話しして、それで「こういう形でやりたいんだけど、一応そちらの考え方も教えて下さい」と。そして、話し合った結果、了解を得て「じゃあ、やってください」。ところがサ、ビラ撒きに誰も参加しないんだよ。まいったよあれ。
高山 今、抗議行動やってる時に、中心になって古賀さんを支えている人たちってどういう人たちなんですか。
古賀 小坂。
高山 小坂だけ。
古賀 うん。
高山 二人でやってんだ、いつも。
古賀 いや、そうじゃない。オレと…東と…土呂久の座り込みの時も参加したね、木村ってのと、中野。
高山 古賀さんは、ずっとお付き合いさせて頂いて、他の被害者の運動とか、さっき言われた、土呂久の人だとか水俣の人とか、障害児の運動の人たちとかっていう、随分積極的にそれを古賀さんの言い方からすると、「支援」…
古賀 支援ていうよりも、マ、連帯。
高山 うん、それが古賀さんを特徴付けてるなあって思うんですよ。自分の被害のことを、ぜひお願いしますとかっていうふうに、人に訴えることはやってもね、自分が、その人たちのところに行って、一緒にやるっていうことってなかなかやってらっしゃらないように、僕は思うんですよ。
古賀 マア、そういわれるとネ、わたしみたいな変わりもんは、ひとりもいない。それはね、一番よく学んだのはね、厚生省の座り込みの時、あの時にサリドマイドも含めてね、連帯したわけでしょ。とくにその中で、支援ですよ。支援との連帯っていうのはね。オレはね、ああいう若い世代の人、よくやるなと思ってね。これが本当の運動なんだって、気持ちしたもの。それで、いろいろなところあっちこっちに首を突っ込む様な形になってきたんだけど、その中で一番学んだのは、厚生省の座り込みです。
高山 そうすると、その七日間ですか。
古賀 そう。七日間のあいだに、支援が入れ替わり立ち替わりくるでしょ、年取った被害者もくるわけでしょ。大変な形でやってるんだって、自分なりに理解できたし。支援と連帯するし、被害者とも連帯が欠かせないからね。そういう面ではホント、厚生省の座り込みから東京地裁の座り込みなんかはいい勉強になった。金沢の判決に対する問題も理解できたし、厚生省の座り込み以降っていうのはずいぶん自分なりにいろんな形で理解できたんだなあ。そこが一つの運動の始まりだね。
高山 例えば薬害医療被害の厚生省交渉っていうのが、それまでは一つの被害者団体が厚生省と交渉するとかいう形はあったんでしょうけど、結局そういうことがだんだんね一つの団体ではできなくなる。そうすると、みんなで一緒になってやるというね。いまの古賀さんが仰ったようなことは、まさに連帯して、その人の問題を他の人も実は理解して、一緒に闘うんだということでつながっていってるという形ですね。
古賀 そう、そうなんですよ。あたしもネ、厚生省交渉なんてね、途中でもう投げ出したいっていう時期もあったよ。「どうにもしょうがないな」と思う時。でもやっぱし、何を厚生省から勝ち取るかっていうんじゃなくて、自分たちが何を勝ち取るか。そこが基本だと思う。
高山 その方が大事なんだよね。
古賀 うん、そう。あたしがそういうんで、ずっと厚生省を投げ出さないわけ。
高山 奥さんがなくなられた後に、非常に落ち込んでらしたけど。
古賀 もうガタガタよ。ニョウボのありがたみがホントに分かったよ。ははは。
高山 まあ、でも、まだ話がついてるというわけじゃないから。宿題は後の子どもたちのためにも解決しておかないといかんと。
古賀 いや解決までは行くか知らんけど…とにかく問題点を、次に引き継ぐっていう拠点をネ、キッチリ拵えておかなきゃならない。
高山 かつてあった患者会の人たちってどういうふうになったんですか?
古賀 横浜分会ていうのがね、カンパよこしてる。それぐらいの程度でね、最近は行政交渉にも来ないわ。だから、何を学んだのかってね、そこンところがね、があたしとしてはスッキリしないんだよ。同じ被害者として(笑)
高山 最近はどういうことに関心を持ってるんですか?
古賀 HIVの問題はさ、初めに行ってビックリしたんですよ、話を聞いて、すさまじい差別だもの。あれほどの差別はさ、いや障害者差別っていうのは基本よ、これはわたしは障害者と付き合って一番判るんだけどね。あの血友病の場合はサ、抹殺だもんね。だから、松下廉蔵いい気になってやったわけだから。どうせ、抹殺されるんだからいいんじゃないかって感覚でね。わたしはそう思うあれは。谷崎んところに行って、そこで話ししてサ、イヤア当事者の話しとかホントにすさまじい差別だと。ま、最終的に抹殺っていうネ。そこに到着するまで行政は関わるって形でしょ。わたしはモウ呆気に取られちゃったよ。いくら、スモンウイルスでもここまでされた覚えはないから。いや、陰でやられたかもしらんけどさ、そういう事実関係にぶつかったこと無いでショ。彼らはサ、帰る所がないんですよ。まずね、家庭まで消毒されるんだよ。家庭の周りまで。ホント差別的な形でね。だから、家族はそっからもう、ちりぢりにならざるを得ないわけ。本人は帰る所がないわけ。これは、ホントに凄まじいヨ。
高山 日本の中にもいろんな人がいるなと思ったのは、古賀さんが座って、最後までネ、納得いかないからって頑張れば、生活が大変だろうっていうことで、何らかの形で支援してくれる人も中にはいる。闘う認識、意志を持ってやっていれば、それを評価してくれる人も、少数でもちゃんと居るってこと。「ああ、そういうものなんだな」って。やっぱり頑張っている人がいる傍らには、やっぱりそれを評価してね、生活を含めて支援している人も居るんだなあっていうことを、何かすごくホッとするっていうかね…
古賀 ありがとう。
高山 というふうにあたしは思いますよ。
古賀 ホント。
高山 いや本日はどうもありがとうございました。
古賀 いや、もう久しぶりに話ができて…