裁判へ
インタビュー場所の綱島温泉。
カラオケで民謡が流れ、舞台では素人衆の踊りが
昼間から続く。
インタビューはそんな不思議な喧騒の中で行われた。
患者会の結成と分散
高山 地域での差別や、さまざまな体験を経て、「患者会」っていうのが作られていくこと
になっていくと思うんですけども。
古賀 それで相良が「全国スモンの会」ってのを開いて、そのままうまく一緒になっ
てやったわけよ。
(注:1969年11月発足。原告団は結局4つの大きなグループに分裂するが、
相良氏は1Bグループを結成する。)
高山 相良さんが、そういう呼びかけをしたんだ。
古賀 そう。全国スモンの会には、全国のスモンの人が、会員に入ったんじゃなくて、ば
らばらに入ったわけヨ。それで全国スモンの会ってのが一番最初の大きいひとつのアレで、
できた。あたしも、相良っていう人間を、最初はネ、インテリでさ、うーんと思って、信
用しかけてはいた。それが…マ、金の問題だね。入会金とか、それも問題で、無理にも金
を取ろうとしてるから、「ナニに使うんだ」って。会議でそんなにお金かかるわけない、お
互いに立て替えればネ。だから、「何に使うの」「いや、裁判も」って始まったの。それで
あたしもさ、こりゃあね、被害者を利用する可能性が高いなと思って。
高山 「患者会」っていうのは、どういう目的で作られたんですか、その最初の話は。
古賀 最初の目的はね、単なる患者会。その中で、「会費を」というところが出てきて、そ
れゆえ発展して出てきたのが、裁判という問題。
高山 最初から裁判やりますっていうことではなかったんですね。
古賀 それはないですよ。だから、わたしは、あえて辞めるってしてしまったのは、会の
内容がだんだん変わってきて、しかも金をネ、取ろうとしてるしね。それでわたしはもう、
ま、ダメだ。直接言ってやった事あると思うよ。
高山 「全国スモンの会を正す会」という「会」を、古賀さんも中心になってお作りにな
ったと思うけども、これは今のお話のような、お金の使い道、あるいは裁判をやることに
対しての進め方の問題ということがあったんですか。私の伺ったとこによると、「全国スモ
ンの会」では、裁判をやるとなると、その証明が、はっきり取れる人だけを、一番バッタ
ーにやりたい。でも、なかなか証明が取れない人も居ましたよね?
古賀 うん。いたいた。
高山 たとえば、売薬でやってる人なんていうのは…
古賀 数は少なかったですね。
高山 年数が経っててもうカルテが無くなっちゃったとかっていう人も居るし、証明も、
ある人だけ取れる人だけ先にやりますよというようなことで、結局は、裁判のできないよ
うな人が、批判をするという方向になったんですかね。
古賀 それも含めてと、やっぱり、けっきょく金の問題ヨ。みんなアンタ、ふところ寒い
んだもの。スモンなってさあ、苦しんでね、家庭崩壊もしかけてるのにサ、そっから金を
取ろうというネ。法律扶助協会によってさ、一応裁判だけはできるんだけどサ、それがあ
りながらね、けっきょく金を出せっていうことが出てきちゃってるんだ。
高山 お金っていうのは、会費ではなくて、裁判のためにまた、さらに金を出してくれっ
ていうことなんですか?
古賀 そうそうそうそう。だんだんと大きく…。最初はまだ会費だったけど、それを今度
は、それに対する…
高山 一人あたりどれくらい出すようにという話だったの?
古賀 それゃ、わたし払ったことねェからわからねェし、憶えてねェよ(笑)
高山 でも、かなり大変だなっていう感じなの?
古賀 大変大変。私らアンタ、ひとつき、そうねェ、2万かそこら送ったんだよ。
高山 それは何年頃の話で?
古賀 んー70年か…
高山 2万円ぐらいじゃチョット大変だね。
古賀 大変だヨ、アンタ。うちのやつがそのぐらい稼いできたんだけど、あたしがたまた
ま障害年金が入るまで…不足だ。それが入って、どうにかね、やっと食ってけるって感じ。
だから、裁判費用なんてトンでもない話。全部が全部そうじゃないけれど、やっぱり、大
半がそうなんだよ。
高山 その頃になると、国もスモンの原因はキノホルムだと認めて、それで裁判という方
向になっていくことになっていくと思うんですけど、71年かそこらで、難病っていう医療
費の制度ができますよね。スモンが難病の一番バッターとして認めるということになるわ
けだけど、これは、患者会の中で議論を詰めたとか、そういう記憶はないですか。
古賀 それはない。相良の方はやったらしいわ。
高山 「正す会」のほうは、そこにはあまり関わらなかったということだね。
古賀 どうあっても、いただくものは拒否しませんよ(笑)
七日間の座り込み
高山 救済基金のことなんですが、田辺が救済基金に拠出するお金を十分に出せないで、
厚生省が出すとか、立て替えるとか、厚生省が何か考えたんじゃないかと思うんだけど、
そこらへんで聞いたことがあります?
古賀 田辺には、能力や資金も何にもなかった。だから、なぜ救済基金を国がこちらへ落
としたのか。ここんところの問題ね。救済基金によって被害者を救済するというのはね、
名前はそうだよ、だけど本質的には企業救済のための基金なんだよね。
高山 そうですね。
古賀 ンであたしは、薬害共闘も含めて、とにかく内容をきっちり検討化して、できるも
のだったらこちら側の方にしようと、という方向で、厚生省交渉の中に入れたわけですよ。
結果として、横井局長とわたしらと話し合いをすることになったんですよ。それがね、た
った30分で中座しちゃったの。それで、わたしらここに座り込んだの。
高山 それが7日間の座り込みってやつね
古賀 そうそうそうそう。もちろんこちら側の意志ということを基本にして、交渉をずっ
とやってきたわけよ。それで、座り込みの後さ、ドアをロックして入れないから、しょう
がねえで、高橋晄正さんが、裏口を回ってってさ、今回の状況を生んで、それに対する責
任をきちっと取らなきゃいけないって形で、松下廉蔵とだいぶんやったらしいんだよ。で、
最終的に1週間…六日目あたりに話が出て、とにかく、局長が何らかのかたちで、誠意を
示すからっていうこと。あたしに謝罪っていうわけじゃなく、スモンの会関東ブロックっ
てあったんですよ。その部門が、松下廉蔵と話し合いして、松下廉蔵はそこで謝罪したわ
け。あたしもけっこうキツイようだけど、そこまでやればサ…ということで、1週間で、
座り込みを解いたんです。
高山 それはその、謝罪をするっていうのは、30分で逃げちゃったっていうことに対する
謝罪なの?
古賀 んーそればかりじゃなくネ、こういう事態になったことに対する謝罪、そして今後
は、できるだけ話し合いをしてくるようにします、ということを言ったんですよ。
裁判へ
高山 古賀さんは、いろいろな運動の中で、「患者会」っていうのは、どういう役割を果た
すべきだというふうに考えていたんですか?
古賀 裁判というよりも、これだけの被害者がね、被害を受けてる。その被害の原因がも
うほとんど分かってるのに、国は何一つしない。ケア治療も何もしない。こんなバカな話
はない。わたしは全然社会主義でも何でもないけれどもね、やっぱり理屈として、「こんな
こと許せるか」っていうことになったもんね。それで、関東ブロックの中で議論した時に
サ、結果的には国と企業の責任の追及は裁判より無いだろうという話も出てきて、2グル
ープの原告団というのができたのが、話し合いの結果ね。
高山 第2グループも裁判という方法をとっていくということになりますよね。第1グル
ープでは、たとえば証明取れない人はとりあえず、今回は我慢してくれとかあったんだけ
ども、第2グループでそういうのはなく、やりたい人は全部やるんだという方針だったん
ですか。
古賀 基本的にはそうなんだけど、やはり最悪でも診断書は要るのよね。証明といやあ、
キノホルム飲んだって証明が一番いいんだよね。最悪の場合でも診断書は、裁判に入るた
めにはどうしても要るわけよ。だから、「それだけ取って、裁判に参加してくれ」と、そう
いうふうな形で2グループ原告団てのができたんだよね。
高山 東京地裁だけじゃなくて、いろんな地方で裁判も起こすことになるし、それぞれが、
判決が出るのもあれば、東京地裁みたいに、先に可部和解案が出てくるのもあれば、とい
うふうになりますね。可部和解案が出た東京地裁の場合、その案に対して、古賀さんが所
属していたグループとしては、どんなふうに考えたんですか。
古賀 わたしらとしてはね、責任をきちっと明らかにしたいっていうことが基本的な考え
方。和解でも、それはありうると思うわけ。けど、拘束力が弱まるでしょ。それに、スモ
ンという診断書だけでも、救済してくるんじゃないと、ただの和解案じゃダメ。そこんと
ころをね、あたしゃ充分考えたんですよ。2グループの場合はね、相良から分裂した部分
も抱えこんだんだよね。そういうことも含めて、全員をネ、できるだけ、診断書が無くて
もね、何らかのものさえあればいいって形で、救済をどうにかというのであれば、判決を
期すっていうのはなかったの。それは無理だって…ということが検討の中に出てきてネ。
だからそんなもんじゃ、和解案てのは採れない。で、あたし自身も、とにかくこれじゃど
うしようもねエからっていうんで、裁判所の前で座り込み(笑)。土曜日の5時ごろまで。
高山 一晩中?
古賀 あくる日のネ。ただ、夜になってから雨が降っちゃったんだよ、じゃーじゃーと。
それで、可部がネ、配慮して、強制退去になんなかったの。あくる日になって強制退去。
そのへんのところは、可部もなかなかやり手だナと思ったよ。
金沢地裁判決
古賀 金沢地裁で判決が出そうだっていう話になって…ということで、結審にあたしは行
ったんですよ。判決じゃなく結審ね。金沢っていうのはどういう運動やってるんだってい
うことで。ところが、まあ、もうまいったよ、新聞の中にチラシを入れるだけでね。何に
もやってないの。「こりゃあおかしいなあ」と思ったの。それで、「あの運動の内部で判決
出されたら、ロクなのがでないだろう」と。あんのじょっ、も、ひっどいよ。切捨てと、
それと、金額もガタ落ちね。結果的には、わたしらは取り戻したけどネ、イヤアモウもう
あのときだけは…。だから経験としてね、やっぱり、ちゃんとしたことはある程度やらな
きゃダメで、過激にやっちゃいけないけどネ。(笑)。
高山 (笑)なるほど。
古賀 それでわたしは、金沢の判決を見てサ、ヒッデエ判決だと思った。けれど、なぜネ、
金沢に判決出したかっていうと、考えてみた。たら、可部よ。可部の方の援護射撃なのよ。
高山 要するに、判決を求めるとこういう結果になるよ、という事例を先に出させた。
古賀 そうそうそう。
高山 だから、あんたがたもその和解案を受けるしかないよと、というふうに話を持って
いきたかったということね。
古賀 そうそう、ところが、あたしは、あっちこっちの地裁に顔を出してるんですヨ。そ
ういう情報がやっぱり入ってるらしいのよ。だから、可部は、「こりゃあ、下手な動きはで
きねエから、とにかく、あたしと話してみよう」ということで、東京地裁の四階で会った。
階段上がるのコワかったヨ。
高山 少なくとも古賀さんとしては、その和解案は呑めないと。
古賀 いや呑めないじゃなくて、和解案そのものは、内容的としてはネ、たしかに、マア
マアなんですよ。他から比べてもね、裁判から何から全部と比べてもね。ほんとにまあま
あですよ。だけど、和解ではネ、国にも、企業にも、拘束力が無いっていうこと。という
ことは、いろんなかたちで切り捨てられる可能性が有るっていうこと。
高山 うん。
古賀 それ、念頭にあったから、判決を敢えて、固持したわけですよ。正しい判断を最後
に出せばさ、国だってサ、そうそう悪い事はできない。企業だって、バッとは出来ない。
判決
高山 そうすると、あくまでも、裁判の判決を求めたいのだということですよね。そうい
う方向になると、判決を出さざるを得ないということになるね。それで、判決が出てきた。
その判決を受けて、2グループとしては、それをどう受けとめるかということになります
よね。
古賀 まあ、ほとんどの大半が「いいんじゃないか」っていうことなの。
高山 はあ。いいんじゃないかと。
古賀 だって証明の危ない人もさ、救済される。そういうアレはあるんだもの。そのへん
のところの問題が一番大きかったのよ。それで、判決が出たことによってね、医療機関も
変わってきたんだよ。はっきりいって。医療機関が責任を取らないでいいんだもの。
高山 そりゃそうだ。
古賀 それがアンタ、一番のネックだったんだよ。請求されるんじゃないかっていうのが
あったから、みんな知らん顔で出さなかったんだよ。それをアンタさあ、判決が出て、責
任が明らかになり、しかもそれぞれのエライさんに…ちゃんと、国も認めてね、その中で
一番問題になってた「診断書だけ」っていうのがね、診断書に類似したものをネ、それま
で含めてだヨ。だからね、四大薬害で一番すばらしいのはスモンだけよ。
高山 訴訟遂行費用っていうのでてきますね。つまり、いろんな運動をやってきた人たち
に対して、その上乗せをして、お金を出しましょうという内容ですよね。一人当たりいく
らってかたちになってるのに、それが、一人一人に対してお金が回っていかなかったです
よね。
古賀 そうそうそう。そうなんだよオ。一番頭にきてるとこなんだヨ。弁護士のねえ、バ
ツ。ほんとに、弁護士のワル。しかも、別途にねスモン弁護団そのものが、基金みたいな
かたちで、ピンはねしちゃったの。基金を拵えなくて。酷いもんですよ、弁護士っていう
のは。だからわたし弁護士は信用しない。
高山 実はわたしもある人から相談受けてね、その人も和解した人なんだけども、突然小
切手が送ってくるんですよ。しかも、その小切手に、あれは確か五万円の小切手で、受領
証だけ送り返せというふうなっているわけ。これ2グループの人だからね。遂行費用は確
か一人あたま30万だったか50万ぐらいだったかと思うんですよ、わたしの記憶では。そ
れを「あなたは割とよく参加したので五万円」と、こうなってるわけですよ。ここらへん
が、どういうことなのか。
古賀 ほんとに。
高山 弁護士は弁護士として一人頭いくらっていうの取ってるんだけど、患者に対しても
一人頭いくらってかたちで、その訴訟遂行費用というのが出てて、患者に対してってやつ
を上の方の幹部の人たちがピンはねしているっていう感じもあったんで、ちょっとこれは
マズいんじゃないかなって感じたんですけど。
古賀 わたしはね、「ヒデエな」とはいったけど、感知しなかったの。というのは、高裁に
行くということでわたしは独り残されたわけでしょ。それをアンタ「全部当たり前だから、
お前、高裁でやれ」って。それでわたしはそっちの方には入らなかったんだよ。