東京散歩
2007年10月25日(木)
十思公園(じっしこうえん)
 日本橋小伝馬町にある、普段はサラリーマンやOLがくつろぐ十思公園にはこの地の歴
史を伝える史跡があります。ひとつは、江戸城下に時刻を知らせていた本石町(現:日本
室橋町3丁目)から移転された『石町時の鐘』です。この鐘が江戸で最初に作られた時間
を知らせる鐘だそうです。今では到底考えられませんが、鐘の音が届く範囲は、江戸の中
心で一番の繁華街であった日本橋をはじめ、東は隅田川、西は麹町、南は浜松町、北は本
郷あたりまで聞こえたそうです。
 そして、もうひとつ...今でこそ非常にのどかな公園ですが、江戸時代慶長年中から
明治8年までの約270年間は『伝馬町牢屋敷』でした。よく時代劇で耳にする「江戸市
中引廻しのうえ討ち首」この台詞の意味は、この伝馬町牢屋敷を出て、江戸市中を見せし
めのためにぐるりと回り、伝馬町牢屋敷に戻り、死刑にすると言う意味なのです。
 安政の大獄では、吉田松陰がこの地で、安政6年
≪ 周辺地図 ≫
(1859)10月27日に死刑となっています。
つまり十思公園は『吉田松陰終焉の地』でもあり、
公園内には吉田松陰の石碑があります。
その石碑には吉田松陰の辞世の句が下記のように刻
まれています。
 
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂
 
 余談ですが、吉田松陰の遺骸は、門下生であった
桂小五郎や伊藤俊輔らに引き取られ、現在は小塚原
の回向院に葬られています。