氏 名 | |
池永正明 (いけながまさあき) | |
生年月日 | |
1946年8月18日 | |
出身地 | |
山口県豊浦郡 | |
出身校 | |
下関商業高等学校 | |
ドラフト | |
1965年 制度なし (西鉄ライオンズ) | |
守備位置 (打撃/投球) | |
投手 (右/右) | |
タイトル・表彰 | |
最多勝1回 (1967) 新人王 (1965) | |
池永正明選手・・・ | |
『黒い霧事件』により永久追放処分を受けた悲運の名投手。 1965年に西鉄からデビューすると20勝を挙げ新人王を受賞。3年目の1967年には23勝を挙げ最多勝を獲得した。入団5年で99勝を挙げ、オールスターにも5年連続で選出されるなど、西鉄のエース稲尾和久の跡を継ぎとして順調に活躍していた。 しかし、1969年のシーズンオフに西鉄の選手による八百長行為(通称『黒い霧事件』)の疑いがあるとして、池永の名前をもあがった。刑事事件としては池永は不起訴処分にも拘らず、日本野球機構は1970年5月25日に池永に対して永久追放処分を下した。 2005年4月25日に日本野球機構は池永に対し永久追放処分を解除した。池永は実に35年ぶりに復権を果たしたのであった。 | |
投手成績 |
年度 | 球 団 | 試合 | 勝 | 敗 | セーブ | 奪三振 | 防御率 | ALL-Star |
1965 | 西鉄 ライオンズ | 47 | 20 | 10 | - | 156 | 2.27 | |
1966 | 西鉄 ライオンズ | 47 | 15 | 14 | - | 139 | 2.19 | |
1967 | 西鉄 ライオンズ | 54 | 23 | 14 | - | 203 | 2.31 | |
1968 | 西鉄 ライオンズ | 47 | 23 | 13 | - | 161 | 2.45 | |
1969 | 西鉄 ライオンズ | 34 | 18 | 11 | - | 105 | 2.56 | |
1970 | 西鉄 ライオンズ | 9 | 4 | 3 | - | 29 | 2.58 | |
実働6年 | 238 | 103 | 65 | - | 793 | 2.36 | 5回 |