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-- 陳氏太極拳 --

 現在、中国では楊式、呉式、武式、孫式などの太極拳が広くおこなわれているが、それらはいずれもその源を陳式太極拳に発している。創始年代は明の末期、約300年前のことである。
 陳式の武技は、らせん状のひねり(纏絲勁)を加える動作を基本とし、腰を軸にして体全体を動かすから一ヵ所が動けば全身が動くという具合である。この法則に従えば、気は丹田に発して経路をめぐり、全身を貫くのであるから、体中のどの部位であろうが、変化が自由自在となり、反応が早く、攻防ともに巧みとなる。
 陳式太極拳は内気の運び方に重きをおいているため気の運び方をいったん身につけさえすれば、動作は水の流れのようによどむことなく、たとえ静止していても山のようにどっしりとした安定感を保つことができ、気が全身をめぐることによって健康を保ち、武術の力も発揮できるというわけである。

-- 初心者はゆっくりと --

 太極拳をやる際に、正しい姿勢が保ちうるかどうかにかかっています。正しい姿勢というのは、腹部の筋肉をゆるめ、膝をやや曲げ、「気の倉」である丹田に気を集め、内気がここに自由に出入りできるようにすることです。
 また、体全体のパワーは、腰(むろん、手、ひじ、肩などを含めて)より発せられるが、それは足を地面につけ、地面の反作用を利用して発せられるものである。したがって、足を地面につけるだけで動かさなければ、いかなるパワーも生み出しえない。


-- 太極拳練習上の注意 --

虚領頂勁
(きょれいちょうけい)
領(首すじ)の力を抜いて、頭頂部を押し上げるようにして、真直ぐにする。
尾閭中正
(びろちゅうせい)
尾底骨を前に出す。つまりヘッピリ腰の反対にする。
立身中正
(りっしんちゅうせい)
背すじをのばして真直ぐにする。
涵胸抜背
(がんきょうばっせい)
胸をはらずに自然にゆるめ、背中の方が張るようにする。
沈肩墜肘
(ちんけんついちゅう)
肩を落とし、手をのばす動作の時に肘があがらないようにする。
円襠
(えんとう)
股間が円型になるように意識する。
鬆腰
(しょうよう)
腰をかたくしないでゆるめる
全身鬆開
(ぜんしんしょうかい)
全身をリラックスさせ、身体のどこにも力みのないようにする。
二目平視
(にもくへいし)
顔が左右に傾かず、いつでも両眼が水平線になること。


-- 発勁について --

 陳氏太極拳の特徴の一つに発勁がある。発勁は敵を打つための大きな力を出す方法です。(全身の筋力が柔らかい状態で行う)
 たとえば、右拳で打つ場合、秘訣は、右足の地を蹴る力と左足の踏み込みにあり、重心の移動と、気のエネルギーの瞬発的な集中力と筋力を統一することである。

(しょう)
身をゆるやかにして力まぬこと

(かつ)
動作が途切れたり固定しないこと

(だん)
弾丸を発するように拳を打ち出すこと

(とう)
腰を主にして全身を打ち震わせるように発勁すること
「力は背より発し、勁は腿より発し、腰を主となす」
「腰を動じ(力点)跟より発し(支点)手指に形す(着点)」
「蓄勁は開弓の如し、発勁は矢を放つ如し」

 太極拳を学ぶには、しばしば数千言を費やしても、その妙を尽くすことはできない。しかし身をもって法を説けば非常に簡単に思われる。難しいのは修行であり、時に難しいのは、長く修行することである。


-- 化勁について --

 太極拳の実戦上の特徴は、敵の攻撃を受け流しながら敵の体勢をくずさせ、すかさず攻撃をして敵を倒すことです。
 この受け流す能力を化勁といいます。化勁には各種の円圏法がありますが、化法を練習する場合つぎの基礎技法を習得する必要があります。

(せん)
素早く敵の手に自分の手を触れてしまい、敵の動向をうかがう。敵の手に触れるのが沾です。

(れん)
敵の手に触れたら、そのまま離れずに連らなること。

(ねん)
敵の手に連なり、敵が手を離そうとしても粘りついて離さないこと。

(ずい)
自分の手を離そうとして、手を引っ込めたり、上下左右に移動させても、敵の動く方向に随いて行き、手を離さないこと。(これを走勁てという)


-- 太極拳の五層の功夫 --

<第一層>  陰と陽のバランスが一対九。単に外に表れた動きを真似しているにすぎない。いうならば「ただ動いているボール」のようなもの。いうまでもなく、このような動きでは、とうてい戦うことができない。最も基礎的な段階。

<第二層>  陰と陽のバランスが二対八。外に表れる動きは完璧に限りなく近づきつつあるが、発力においてはまだまだ、活力が足りない。本来、動くときは全般にわたって円の動きをしなければならないが、この段階では、ときどき円の動きでなくなる。また、外から見ていて力の強弱のメリハリがよくわからない。いわば、ときどき矛盾を生じる段階。

<第三層>  陰と陽のバランスが三対七。まだ硬さが残ってはいるものの、「内気」を十分に見てとれる段階。諸々の動作につれて、内気も同時に動く。つまり気と動作が一緒になった段階。ここまでくると、技撃も可能になり、己の功夫を技撃に生かして十分に効果がある。もはやコーチは必要なし。自分で練習して功夫を高められる。

<第四層>  陰と陽のバランスが四対六。全体が非常に素晴らしく、技撃に用いれば、相手はどのように負けたかわからない。また、それを見ていた周囲の人々もどのようにして勝負がついたかがわからない。また、それを見ていた周囲の人々もどのようにして勝負がついたかがわからない。わかるのは四層以上の功夫を有する人のみで、これらの人が見ると「気勢(念気)」で相手を打ち負かすのがわかる。いわば、高級段階に達したといえる。

<第五層>  陰と陽のバランスがとれている。意識的なものではなく、本能的に己の身を守りながら、相手を倒す。つまり自然に体が反応し、動き、自分の身を守ることができる。太極拳はここに、本能的技術となったといえる。


-- 武術の修行は心のゆとりをつくる --

 武術を修行することは、その苦行によって根性、忍耐力、積極性がかえられるし、注意力、集中力、反射神経などはすくなくとも修行する以前よりは開発される。それが日常の生活に役立つのは言うまでもない。
 なかでも太極拳は外柔内剛の拳法である。太極拳を長い年月にわたって練習すると真綿で鉄を包んだような柔軟かつ強固な心身を持つことができる。太極拳の技法そのものが大自然の動きをあらわしていて、太極拳の技法はそのまま社交や処世にも応用できるものである。
 つまり自己の堅固な信念や闘志は胸に秘め、すべての人に柔和をもって接し、自我を外に出さず万人となごやかに交際し、ときとして暴をもって侵入してくる物に遭遇しても、正面からぶつかることなく柔らかく受け流し、闘わざるをえないときは一気に敵を打ち倒すことができるようになる。
 中国の拳法家の間には、昔から「拳(法)は人生のごとし」という話がある。拳法はけっして人間とかけはなれたものではない。拳法の修行によって、苦行を耐え抜き、恐怖をのり越えていくことは、強固な精神力を養成し、消極的性格を積極的性格にかえることができるし、大きな自信を持つことにもなる。高慢や自惚れに注意さえすれば日常の生活に大きく役立つことになる。
 良師にめぐり会えた物は武術の技法の奥深さに驚嘆して、高慢や自惚れなどの心などとても起きるものではない。礼儀を欠いたところに真正な技術などない。人格の完成とともに高度な技術を学んで完成するのが「拳は人生のごとし」の意味である。
 また昔から「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」といわれ、仏教でも「霊肉一如」というが、武術の修行が健康に効果の大きいことは言うまでもない。武術を修行することは肉体的にも精神的にも成長していくということである。
 また、武術の出発が殺傷技術の研究にあるとはいえ、その究極で得る心境は生死を超越した禅における悟りの境地と同じものである。その完成された技法は高度の芸術性をもつ。


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