歌志内は、三井系の歌志内炭鉱、上歌志内炭鉱、北炭系の神威、空知、
及び小さな個人炭鉱が点在したそうです。
ピーク時の人口は約4万人・・・。現在は5700人程度という日本一人口の少ない市となっています。



上歌志内炭鉱(住友)



開鉱明治27(1894)年、閉山昭和63(1988)年
坂 市太郎の個人所有であった坂炭鉱から大正13(1924)年に住友と共同経営。
写真は住友赤平鉱と統合されたとき、赤平の排気用として
昭和28(1953)年に改造された立抗。



排気立抗の正面にある元集会所の住友上歌鉱会館



住友歌志内炭鉱坑口

 

開鉱明治38(1905)年、閉山昭和46(1971)年
中村弥六の個人炭鉱だった中村炭鉱が前身となり、住友と共同経営。
現在、この地はチロルの湯として有名です。
写真は、「音観霊山」(チロルの湯)横の坂にあった遺構です。

拡大−→ここ (注意:重たいです)





 「チロルの湯」隣、養護老人ホーム「楽生園」の駐車場にあった遺構です。
 坑口だと思うのですが・・・?

拡大−→ここ (注意:重たいです)



ゆめつむぎ(歌志内市郷土資料館)



小さな資料館ですが、展示は充実しています。
見る価値十分です。

 

 



「副読本 ゆめつむぎ(昔話聞取集)」・・・「ゆめつむぎ」で販売していた小冊子(注意:重たいです)



∧カ大正館(旧大島商店倉庫)



「ゆめつむぎ」の前にある旧酒店の倉庫
大正7年頃の建造物で、現在は個人のアンティークコレクションが置かれています。
GWに一般開放し、TVにも出ていました。

拡大−→ここ (注意:重たいです)



こもれびの杜記念館(旧空知炭鉱倶楽部)



夕張にある「北炭鹿の谷倶楽部(夕張鹿鳴館)」と同様に、幹部や来賓等の
特定の人達に対する接待、宿泊等に使用されました。


拡大−→ここ (注意:重たいです)


空知炭鉱



開鉱明治23(1890)年、閉山平成7(1995)年
東光にある歌志内最初の炭鉱で、立抗と事務所だけが残っています。
立抗の周囲は囲まれ「のっぺら」とした感じです。



なんこ

 

「道の駅 うたしない チロルの湯」で食べた「なんこ定食」(1000円也)
少々クセがありますが・・・。

炭鉱で大切な労働力として使用されていた馬が、
ケガなどで働けなくなった場合に食用とされていました。
その馬の腸をミソやネギ、ゴボウで煮込んだものが「なんこ」です。
わたしが食べたのは玉ねぎだけでしたが・・・。



謎のテーマパークを作り、その経営に四苦八苦していたり、せっかくの歴史的遺産と自然を破壊し、
お金をドブに捨てるようなハコモノ造ったりしている旧産炭地があるなかで、
歌志内に限っては、他とは何か違います。
チロルの湯にしても坑口から自然に湧き出る鉱泉を活用し、あれだけの集客力を誇っています。
人口や予算は少なくても、歴史を重んじ未来へつなげようと、知恵を出して頑張っているマチです。



←戻る