明治18(1885)年に開鉱、昭和32(1957)年に閉山しました。
現三笠市立博物館裏手の遊歩道沿いに残っています。
この遊歩道は森林鉄道の線路跡を活用して作られたそうです。



資材庫

 

幾春別川に掛かる橋を渡る手前、右手に見えてきます。
赤レンガ造りの資材庫です。

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



森林鉄道跡



昭和10(1935)年に開通、昭和30(1955)年廃止
の幾春別森林鉄道跡です。
遊歩道横にあります。

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



北炭幾春別炭鉱錦立坑と捲場

 

 

逆行気味ですが・・・。
大正9(1920)年建設された道内で残る最古の立坑と立坑に隣接する捲場です。
立坑には北炭のマークが残っています。
人の背丈ほどある笹や雑草が生え放題・・・でしたが、「みかさ・炭鉱の記憶再生塾」の
方々が草刈を行い、綺麗になっています。感謝。

捲場内部


北炭幾春別炭鉱錦坑

 

大正9(1920)年開坑、昭和32(1957)年廃坑
坑口からは冷泉(硫黄泉)が湧き出て、遊歩道を歩いていると硫黄の匂いがします。
坑口までは、遊歩道から数メートルの崖を下らなければならず、足場も悪く危険です。

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



たぬき堀跡



明治時代に作られた「たぬき掘り」の跡です。
落盤の危険が大きい原始的な採炭方法です。



旧幾春別駅跨線橋

 



幾春別駅裏の炭住街と幾春別市街を結んだ跨線橋です。
誰通ることもなく、昔の繁栄を思い出しているか
 のように、ひっそりとたたずんでいます。

今年のGW(2004年5月)に行ったら消えていました。
道路工事に伴い撤去されたようです。残念・・・。




幾春別坑 人車トンネル



三笠博物館に隣接する森林博物館の近くに
ポッカリと開いた穴があります。
幾春別炭鉱へ向かう鉱員は、ここを通って
行ったそうです。(その隣に、もう1つ有ります)

森林博物館の裏側には朽ち果てたコンクリートの
残骸が多く見られます。

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



幾春別 北炭社員住宅



丙3種社員住宅

主に課長クラスが住んでいた社宅です。
現在は払い下げられ、個人が居住しています。



幾春別電話局跡

 

閉山により人が減るとともに通信量も激減・・・。局舎も取り壊され・・・。
やたらと広い敷地に、基礎土台と外壁らしき残骸のみが残されています。

拡大はここ (注意:重たいです)



おまけ



幾春別石炭層

草木がジャマをしていない唯一の石炭層でした。
秋になれば、その他の石炭層も見えやすくなると思います。
地層好きということで(一応)掲載します。
この先が「ひとまたぎ5000万年」・・・白亜紀になります。



「幌内歩こう会」で幾春別へ行き、その時の写真を載せました。
貴重なお話しを伺うことが出来ましたし、良い体験をさせていただきました。感謝・・・。


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