道内最古の炭鉱である幌内炭鉱です。
平成元年に閉山されましたが、沢山の遺産が点在しています。
(一部の写真以外は”幌内歩こう会”に参加した際に撮ったものです)



幌内線線路跡

 

5月撮影                               7月撮影

幌内鉄道の線路跡です。
この鉄橋は三笠鉄道村から続く線路上にあります。
右は7月に撮影したもので、一面草に覆われ綺麗でした。

    

 三笠方向                 幌内方向

鉄道村の手前にある踏み切りから撮影
今でも汽車を走らせそうな線路が続きます。



鉄道歴史村の構内を走る蒸気機関車
こんなの走らせたらいいのに・・・。



唐松駅



旧幌内線の駅舎跡
周りでは、ばあちゃんが野菜作っていたり、
おばちゃんが何かを摘んでいました。



シックナー

 

石炭を洗う巨大な施設で、2基ありました。
どの炭鉱もそうですが、あふれ出た水で付近の川が真っ黒になったそうです。



見張り跡



ここから先が鉱業所敷地となっています。
鉱業所敷地内へ出入りする人をチェックする見張り小屋がありました。
ほとんど、顔パスだったようですが、盗炭や会社側から見て危険人物(思想的に)
が入らないようにチェックしていました。



浴場ボイラー室跡と沈殿場跡

 浴場ボイラー室跡

 冷暖房は、坑内で発生するガスを動力源として
 使っていました。
 炭鉱事故の際はガスの突出をストップさせるため
 動力源が無くなり、冷暖房がストップしたそうです。
 ここはそのうちの浴場用のボイラー室跡です。


 沈殿場跡

 浴場ボイラー室跡の向かいにあります。
 選炭場から出る水を溜めておき、沈殿させて微粉炭を
 取り出すための池です。




選炭施設群



選炭工場やポケット、常盤坑口、シックナー、ズリ運搬用のベルトコンベアなどが残っています。
大部分は廃墟ですが、なにか古代遺跡を見ているようです。

 



ズリ運搬用ベルトコンベア



 ズリ山へズリを運搬するための屋根付きのベルトコンベアです。
 この下に選炭施設があります。



坑  口



名称は不明・・・ ペコリ m(_ _)m



幌内炭鉱変電所

 

清水沢火力発電所から電気を受け、ここで変電して
周辺の炭鉱施設に供給していました。
所々に送電用の鉄塔が赤くサビながら立っています。
また、内部の施設は比較的良好に保存されています。
(右の写真は幌内神社側から見た変電所・・・屋根が抜けています。)

 

 1階 制御盤(左)と変圧器・コンデンサー(右)



2階 配電盤/制御スイッチ
その他、通信用の電力線搬送端局装置が設置されています。



屋外の変電施設の鉄骨群です。
長年の風雪により、所々曲がっていますが
トランスが1基残されています。



幌内神社



音羽坑口が開坑された翌年の明治13年に立てられました。
今では訪れる人もなく、倒壊寸前です。
昔、この炭鉱で働いていた方が、「寂しいな・・・」とポツリ



幌内炭鉱音羽坑口と安全棟

 

幌内神社下にある、明治12年に開坑の道内最古の坑口です。
当時の鉱夫の8割は囚人であり、一般人は2割でした。
当然、処遇は大きく違い、過酷な労働を強いられ
命を落とした人は少なくありませんでした。



招魂碑

 

明治36年建立
幌内炭鉱の労働者有志が建立した殉職者のための慰霊碑です。
北炭が建立した碑はこの下にあります。
労働者側の立てた碑が、会社が立てた碑よりも高いところにある
というのは珍しいそうです。
また、この碑の方向は音羽坑口に向いていて、地図上で一直線で結ばれます。



北炭幌内炭鉱立坑



 

左は坑内の排気とガスを抜くための立坑で、
右は人員や資材の出入をするための立坑です。
現在は産廃施設となっています。
ガス突出事故の時、真っ黒い煙がここから上がっている写真を図書館で見ました。
上部には、「幌内」と「北炭」のマークの看板が掲げられています。



幌内市街地

 

木造の家屋が残り、炭鉱が華やかだったころの面影を残す市街地
右は石造りの倉庫で、札幌の石山から運んだ石で出来ています。


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