昭和6(1931)年、鈴木商店(神戸市)から太陽産業へ譲渡され開発計画及び調査に着手。
昭和14(1939)年、太陽産業が採炭を開始し、翌年には羽幌炭鉱鉄道が開通、
昭和16(1941)年、羽幌鉄道(羽幌炭鉱鉄道株式会社と改名)が太陽産業の石炭鉱業設備を譲り受け
30年に渡り栄えてきましたが、他の炭鉱と同様、石油へのエネルギー転換により
昭和45(1970)年に閉山となりました。




第一選炭場

 

道道747号線から「築別炭砿」の標識に従い、道道356号線を
築別川沿いに走ると、ど〜んと迫ってきます。
羽幌炭鉱本坑にあったものより大きな選炭場跡です。

第一選炭場横の施設





不 明



丘の斜面にあった施設です。なんでしょう・・・。



不明な施設と火力発電所の煙突

 

なんらかの施設の生き残りと思われる4本足の施設が、
雑木に守られるかのように立ち、旧火力発電所の高〜い煙突だけが
ポツンと立ち尽くしています。
煙突は、かなり先から見える高いものです。(周りに何も無いから・・・)



羽幌炭鉱鉄道病院(本院)と炭鉱アパート

 

半分、屋根が落ちた病院は、あと数年もすれば倒壊しそう・・・。
道路側に病棟が伸びていたようです。
また、炭鉱アパートは近寄りがたい雰囲気で近づくことが・・・。



太陽小学校

 

円形体育館が特徴の「太陽小学校」です。
昭和16(1941)年、太陽尋常高等小学校として開校、昭和46(1971)年閉校。
炭鉱の誕生から閉山まで、炭鉱と共に生きてきた小学校です。
この辺は人口が6000人(昭和40年)以上だったようで、
沢山の子供たちで賑やかだったんでしょうね。
今は・・・周辺には、これといった建物もなくシ〜んとしてます。



羽幌炭鉱鉄道

ところどころに羽幌炭鉱鉄道の遺構が点在しています。
(右下のような鉄橋関係は、この他3〜4箇所程度あったと思いますが・・・。)

 

 




今まで行った夕張とか三笠、幌内等の空知地方の炭鉱跡とは、何となく雰囲気が違います。
背筋がゾクッとするような、物悲しいような・・・そんな気がします。何故か・・・。



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