
かつて、三井と三菱の両財閥が炭鉱をめぐり、しのぎを削った土地です。
三井は美唄市内に隣接し、三菱は山間部に炭鉱を構えました。
東明駅と4110形機関車


美唄鉄道の駅舎で、4110形機関車が1両とプラットホームが残っています。
また、鉄道跡は我路方面までサイクリングロードになっています。
(レンタル自転車は無料)
三菱美唄記念館と弔魂碑

記念館は無人で自由に入館できます。
当時の貴重な資料(坑内作業の採炭道具、写真、文献等)が保存されています。
弔魂碑は我路ファミリー公園内に有り、炭鉱で殉職された方々の慰霊碑となっています。
沼東小学校

歴史は古く、明治39(1906)年、盤の沢に出来た簡易教育所が前身。
美唄奥地に炭鉱が開発されて移転しました。
大正7(1918)年、三菱の寄付により、この地に新校舎を新築し
昭和35(1960)年に鉄筋コンクリート3階建ての円形校舎に改築しましたが、
美唄全炭鉱閉山の翌年、昭和49(1974)年に廃校になりました。
沼東中学校

昭和48(1973)年、三菱美唄炭鉱の閉山の翌年に廃校した沼東中学校の碑です。
屋内体育館は国設スキー場のレストハウスになっています。
我路近くで見えた坑口

道道135号線、美唄ダム方向左側の山の斜面にあった坑口
道路から見ると妙に目立ちます。
美唄鉄道の橋脚

「炭鉱メモリアル森林公園」手前にあった橋脚
道道からこの橋まで続く道路がありますが、立ち入り禁止になっています。
位置関係から、下の三菱美唄炭鉱原炭ポケットまで続いていると思われます。
美唄鉄道の鉄橋と・・・

拡大−→ここ (注)重たいです。
<炭鉱メモリアル森林公園>
三菱美唄炭鉱竪坑と三菱美唄炭鉱原炭ポケット

竪抗は大正7年試錐調査に着手し、大正12年完成、
存在感のある建造物です。
拡大−→ここ (注)重たいです。

原炭ポケットは大正14年に完成しました。
格子状の柱が美しい建造物です。
拡大−→ここ (注)重たいです。
三菱美唄炭鉱開閉所と内部

炭鉱施設、機械類の電源をコントロールする施設
内部にはレールが残っています。
謎の遺構
炭鉱メモリアル森林公園外の道路脇にあった施設
近寄ると「ミニ原炭ポケット」みたいだったけど・・・謎
拡大−→ここ (注)重たいです。
坑 口


メモリアル公園の北側に坑口があります。
コンクリートで密閉されていますが、坑口から水が湧き出ているようです。
拡大−→ここ (注)重たいです。
誰も渡らない橋・・・

メモリアル公園への途中に何箇所か橋があります。
昔、人々が炭住から仕事場へ向かったであろう橋・・・。
今では、誰も渡ることもなく朽ち果てようとしています。
拡大−→ここ (注)重たいです。
ちらっと見えた遺構

川の向こうに見えた遺構。
もうすぐ緑に包まれ姿を隠すのか・・・。
拡大−→ここ (注)重たいです。
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