現在の芦別周辺には、三菱、三井といった財閥系の炭鉱のほか、
油谷鉱業(現在のカナディアンワールド方面)、高根炭鉱、明治鉱業上芦別がありました。
現在、ほとんどの遺構は自然に飲み込まれ、「それっぽい」ところがポツポツと散在しています。



芦別鉄道関係

 

炭山川の深い峡谷を渡る鉄橋上に保存展示されている
三井芦別鉄道のディーゼル機関車と石炭車

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



押切理容店



三井芦別鉱業所の福利厚生施設として作られた「床屋さん」
廃墟状態・・・。

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



三井芦別炭鉱原炭ポケット



R452から数百メートル離れたところにヒョイっと立っています。
その近くにも選炭施設の一部が目視できます。

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



油谷の鉄道跡



油谷鉱業の専用線が通っていたころの橋梁。この先にも同じ形状の橋があります。
場所は失念しましたが、赤くさび付いた鉄道関係の標識が草むらのなかに有りました。

2004年5月→ここ (注意:重たいです)



芦別については、炭鉱関連施設は撤去され、ほとんど残っていないようです。
それはある意味「法律的」に正しいことかもしれません。
「現状に復する」という「きまり」を守っているのですから。
形が有る無しに関わらず、街の歴史と共に過去の遺産を未来へ伝えるというのも
ひとつの形態だと思うのですが・・・。
この状況下では「不可能に近い」ことも理解できますが、リピーターの来ない観光施設だけが
未来へ残ってしまう・・・じゃ悲しすぎます。



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