憶えている人もいるかもしれない。
高校で習う大概の化学の教科書の見返しには元素の周期表が載っていて、そこには各元素の原子量が書いてあるものだ。
例えばこんな具合に。
水素 | H | 1.008 |
ヘリウム | He | 4.003 |
リチウム | Li | 6.941 |
・ | ||
・ |
そして表の下の方には核子の原子質量単位(amu(atomic mass unit),1962年から12Cの原子量を12で割った値を1amuとする)も載っている。
中性子 | 1.007276 |
陽子 | 1.008665 |
これを見て、あんまり暇だったのか、何の気なしに計算してみた。
ヘリウムは原子核に陽子と中性子をふたつずつ持つから、
ヘリウム=陽子×2+中性子×2=4.031882 +0.7%
あれ、結構違うなあ。この表、いい加減なのかなあ、と疑う。
次いでリチウムでも同じくやってみると、
リチウム=陽子×3+中性子×4=7.055099 +1.6%
これはだいぶ違う。いい加減すぎるぞ、と憤る。
そこで化学の授業の折り、先生に質問したことがある。これこれこうこうと違いがあるようですが、と。
すると先生は、魚のような目を大きく開きながら次のように教えてくれた。
それは質量欠損という現象です。その質量の減った分だけが原子核の結合エネルギーに変わっているのです。
その時そんなことは知らなかったが、何やら面白そうだと思った憶えがある。
アインシュタインは1905年に特殊相対性理論を発表し、その中で質量とエネルギーを結びつける、有名な公式、
を導き出している。
それ以来、質量とエネルギーは互いに移り変わりうる、同等のものだということになった。
質量欠損はこの式から説明できる。別に表が間違っていたわけではなかったのだ。
ところで、山口雅也の『生ける屍の死』の中に、死の探求者グリンの次のようなセリフがある。
人間は確かに不死とか永遠の命とかは失った。しかし、それと引き換えに手にしたのは個別性だった。細菌のようにどれもみんな同じというんじゃなく、雄と雌、男と女に分かれ、俺は俺、チェシャはチェシャというふうに、ぜんぜん別のものになった。ーーーだから、その別々の俺たちが、出逢って、お互いに愛し合い、結びつくってことは、その代償として支払った不死に匹敵するほど、永遠に等しいほど、意味のあることなんだ。わかるか?
そうなんだろうか。
そんなに僕とキミは異なっているのだろうか。ぜんぜん別のものなのだろうか。
僕とキミも、人間の実体という点では同じなのではないか。
アインシュタインによって、質量とエネルギーはその実体において違いはない、ということが発見された。為替屋に行けば円とドルが両替できるように、例の公式に基づいて質量とエネルギーは互いに変換されうるからだ。人間に対しても同じことがいつの日か誰かによって発見されないとは誰にも言い切れないだろう。
そしてそれはそんな遠い日のことではなく、実は今でも可能なのかもしれない。
僕とキミが出逢って、お互いに愛し合い、結びつく、その瞬間こそひょっとすると僕がキミになり、キミが僕になる、そんな変換が起きているのではないか。
わかるか・・・な?
2003.6.9