essay 0

始まりはいつも“0”から

数の構成の仕方を見ると、何もないところから何かを創ること、その方法のエッセンスを学ぶことができる。

最初の数を創ってみよう(公理的集合論では最初の数は創り出すものではなく、存在する、とあらかじめ取り決められている)。
その際の前提は一つだけ。「何もない」ということ。しかし本当に何もないなら、そこから何かを創りだすことはできない。いや、より正確には、「本当に何もないと考えるなら、何かを創ることはできない」と言った方がいいか。
そこで、考え方を少し変えてやる。「何もない」ということを、「“X”がある」と捉え直すのだ。
ここに出てきた“X”とは何なのか、こんな風に言い換えることが可能なのか、今はわからない。 しかし、こう表現し直してやろうというこのアイデアはとても重要だ。なにしろ何かがなければ何も生まれないのだから。

では“X”とは何か?こんな言い換えは果たして可能なのか?

ここで「数学」という地平を眺め渡してみれば、数を構成する以前、何もないはずのこの世界、 その地下には「論理」の鉱脈があることが見えてくる。 そしてその鉱脈の中一際深くに、固く輝く金剛石があるだろう。 地下深く、掘って掘って掘って、それを手にしてみれば、その表面にはこう刻まれているはずだ。 「矛盾はその存在を許されない」と。

つまりこうだ。
前提の「何もない」という表現が可能だということは、 この世界には、何かが存在するそれ以前に、実はある秩序が在ることを示している。 そしてその秩序の根元は「矛盾はその存在を許されない」という大原則だ。 本当に「何もない」以上、この暗黙的なルールを表面に引きずり出し、利用するしか手はない。

するとこうなる。
「何もない」=「“矛盾を引き起こすもの”がある」
“矛盾を引き起こすもの”はこの世界にはない。だからこの等号が実質として成り立つわけだ。

ついに存在することになった“矛盾を引き起こすもの”を“0”と名付ける。 こうして何もなかった世界に数“0”が誕生した(あってはならないものの存在をもって最初の数とする、アンチノミー的アクロバット!)。
0があるなら、“順序”という手法で0の次の数、さらにその次の数、 という具合にいくらでも数を構成していくことができる。

かくして数の世界は無限の数で満ちている。

どうでしょう?
何かの参考に・・・ならんか。

2003.6.2

back

Copyright (C) taka All Rights Reserved.