北海道銘菓「き花」と短歌の世界 北国の歌人が詠った霧華という言葉の発祥を探る




齋藤瀏歌集「霧華」
序文 佐佐木信綱(原文)へ

齋藤瀏自署

巻末言 齋藤 瀏(原文)へ


齋藤瀏参謀長時代

 『き花』の原典となる言葉は「霧華」(きばな)にあります。
この「霧華」を歌に織り込んで詠ったのは、大正時代旭川第七師団の参謀長(大佐)であった齋藤瀏でした。そのひとり娘・史が短歌の世界を志す契機となったのは、齋藤瀏を訪ね来た若山牧水の旭川逗留中にはじまります。そして牧水を歓迎した旭川の歌人たちの一段と活発な折柄、気運も高まり、やがて旭川歌話会(世話役・酒井広治)の結成へとつながり、歌誌の発刊までに発展していきます。
 当時、旭川新聞社の記者であった小熊秀雄がこの会の幹事役を務め、昭和2年の齋藤瀏親子の送別歌会で「霧華」に因む歌を詠んでおります。(少将に栄進、熊本第11旅団長として転勤)
この時期、旭川歌話会の活動が短歌界発展に及ぼした影響はきわめて大きく、その辺を知るひとりとして、今もご健在なコスモス会旭川支部の代表者松田一夫氏であります。最近では平成16年に歌集『き花凍む街』を出版、以前から「霧華」を織り込んだ作品も発表している道内短歌界の長老であります。
 こうしてみると、この「霧華」を歌の題材にして大正から昭和、平成と詠い続けられてきたことになります。壺屋総本店の『き花』は、こうした背景のなか昭和57年(1982)に誕生しました。
 名付けの動機は松田一夫氏からもたらされたのであります。北国の冬の情景を表現した「霧華」という言葉の響きと、その背景にひそむイメージを醸してくれることからこのヒット商品命名の動機づけとなっています。
 「霧華」という語意を継ぎ、表音の字を変えて『き花』と書き表してネーミングされた。そのコンセプトの確立と、イメージにふさわしい書体(ロゴタイプ)の決定に到るまでの経緯を追いながら、片や一方商品づくりのために試行錯誤を繰り返し開発試作品に日月が費やされました。ヒット商品となる『き花』が生み出されるまでは険しい道のりでした。
 そして、発売して6年(1987)を経過、自信作として世界食品コンクール<モンドセレクション>に初めて出品します。初回にして銀賞を受賞し、翌1988からから2009年の現在に到るまで22年連続で金賞受賞という栄誉に輝いております。
 この『き花』にまつわる話題をシリーズ6話にまとめ、掲載してまいります。


 
旭川の短歌、俳句の世界にみる「霧華」「きばな」という名のつく、これまでの出版物
 旭川歌話会齋藤瀏送別記念歌誌「霧華」・昭和2年、旭川歌話会誌「霧華」、(のち、ふららこ半仙戯に改題)、齋藤瀏第二歌集「霧華」昭和4年、きばな俳句会誌「霧華」創刊・昭和21.6、(塩野谷秋風)途中で「きばな」に改称するも昭和31.6再び「霧華」に戻る。(昭和49.11から「樹氷」に改題)、平成19.7現在第549号で継続中(主宰・北見弟花)。松田一夫歌集「き花凍む街」平成16刊行。


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