どんな意味 どんな人が 大正時代から 命名の背景
霧華という言葉 霧華を詠った作品 霧華と旭川文芸 霧華から「き花」へ


霧華という言葉
俳句歳時記(角川)
北海道東北ふるさと
大歳時記(角川)から
木花、木華、
霧の花、樹氷、

霧氷など

冬の季題の中に
作品がみられます


霧華の始まり
「霧華」と「き花」
 気温が0度以下の時、霧粒が風に吹かれて物体にぶつかり凍りついてできる霧氷の一種。樹木についた霧氷を樹氷と言われるが、木花と書き表し、北国の冬の現象を花に譬えた美称で俳句に用いられている。
 気温も零下15度以下になると、空中に舞い光が反射してきらめく、ダイヤモンドダスト現象<細氷現象>となって幻想的な情景となる。
 明治、大正期の俳人や歌人が、このような情景を詠うにも、現代のようにダイヤモンドダストという言葉がなかったので、どんな言葉を用いたのであろうか。
 武将歌人である齋藤瀏が、短歌に「霧華」(きばな)と言い表した作品が最初とされ、彼による造語だという説が定着している。
(松田一夫歌集『き花凍む街』あとがき参照)


霧華を詠った作品
北の歌人
1「齋藤瀏・史」
2「その2
3「若山 牧水」
4「酒井 広治」
5「小熊 秀雄」

6「松田 一夫」


<短歌>
霧華を詠った短歌

齋藤 瀏
小熊秀雄
松田一夫

上富良野 「郷土文芸」
門崎博夫


<俳句>
歳時記の季語から
樹氷、木花で
右の三句を紹介


<校歌>
校歌にあった霧華

 <短歌> 「霧華」「霜華」
 ◎東明のあかるむ霧にほのかなる光あつめてさく霧華かも
 ◎霧華さく 秀群はにほへ しののめのあかりいまだし  森に徹らず
 
                          (昭和4 齋藤 瀏)
 ◎歌によき霧華の街のうすぐもり春に先だちいゆく人かな
                          (昭和2 小熊 秀雄)
 ◎から松の霧華は銀の鍼に似て人の気配に枝より雰る
 ◎落葉松にむらがるばかり霧華咲きしばらく朝の光に匂う
                          (平成16 松田 一夫)
 ◎枝ながら凍つきて白き霜華に朝しづもれるひともとの柳
                          (大正10 酒井 広治)

 ◎山々の間近に見ゆる朝なれや霧華かがやく街路樹の梢
             上富良野 「郷土文芸」 噴火短歌会 平成6年 門崎 博夫)

 <俳句> 「樹氷」「霧の花」「樹氷林」
 ◎北辺の聖夜にあへる樹氷かな         (飯田 蛇笏)
 ◎美しき朝の始まる樹氷林          (北村 多打志)
 ◎夕詣り灯ともりそめし木花かな        (岡井 省二)

 昭和30年制定、倶知安町立西小学校◆樺山分校校歌◆ 
 歌詞の中に「霧華」、<松実 菱三 作詞>


霧華と旭川文芸


<短歌>
T15.旭川歌話会
S2.記念歌集「霧華」
と歌話会誌「霧華」


S4.齋藤 瀏
第二歌集「霧華」

S52.松田一夫歌集
「鮭のぼる街」
H11.「一撞の鐘」


<俳句>
きばな俳句会
S21.句誌「霧華」出版
改称し「きばな」
から再び
S31.6~「霧華」
に戻り、更に
S49.11~「樹氷」

H19.7現在549号
継続中
 武将歌人といわれた齋藤瀏は、日露戦争の頃から短歌にいそしみ、旭川第七師団へは二度にわたり来任し、地元の短歌会とも交流。
北満洲への戦役の折に、また、旭川の近文台演習林の情景を詠い「霧華」という言葉を遣っている。
 大正15年に来旭した若山牧水が齋藤家に滞在、歓迎歌会で短歌人と交流。これがひとつの機縁となって旭川歌話会の設立に発展。齋藤瀏、史もこれに参画した。
 昭和2年の転勤に際し、会の幹事役だった小熊秀雄も「霧華」を詠い込んだ短歌を贈った。旭川歌話会は瀏がよく歌にした「霧華」を標題とする送別記念歌集を贈る。以降、会の歌誌も「霧華」と名づけて発刊することになる。(五号で廃刊)
 齋藤瀏は熊本に行ってのち、昭和4年に歌集『霧華』を発刊、『曠野』につづく第二歌集である。

 コスモス短歌会旭川支部の松田一夫が、「霧華」を詠った歌集『鮭のぼる町』(昭和52)、と『一撞の鐘』(平成11年)がある。そして齋藤瀏の「霧華」と壺屋総本店の「き花」にふれた思いを『き花凍む街』(平成16.10)の後書きで述べている。
 昭和21.6を創刊とする俳句誌『霧華』(塩野谷秋風)は、一時期休刊し『きばな』として復刊、31.6から再び『霧華』に改題なるが、49.11から『樹氷』と改称されている。(きばな俳句会・北見弟花主宰)



霧華から「き花」へ

コスモス叢書767
松田一夫歌集
き花凍む街』
(平成16.10)

柊書房刊



歌集「き花凍む街」


「霧華」の話題
ここにもあった
「霧華」

 コスモス叢書第767篇・松田一夫歌集『き花凍む街』(平成16.10)のあとがきで、旭川歌話会の結成と、歌誌「霧華」の発刊と、霧華は齋藤瀏の造語であり地元で定着しているが辞書には載っていない。「霧華」は「きばな」と呼び、北国特有のダイヤモンドダスト現象である。と記し、壺屋総本店の銘菓に霧華と命名した縁で商標の文字「き花」を用いて歌集『き花凍む街』を出した経緯を述べている。
 

 昭和44年、松田一雄の経営するコマヤ薬局(旭川市旭町2-3)新築ビルに、壺屋が売店としてテナント第1号で出店した。(今はない)
これが縁の始まりであり、そのおつき合いは長い。
 短歌に造詣の深い松田氏から、齋藤瀏の歌集「霧華」にみる北国の厳しくも美しい情景を物語られた。その言葉の響きと背景の持つイメージに心うたれて、これを菓名にいただき製品の開発にとりかかった。
 昭和57年(1982)、北海道銘菓「き花」として発売開始。1987年に世界食品コンクールのモンドセレクションに初めて応募し銀賞を受けた。翌年には金賞を獲得、2010年現在23年にわたって連続ゴールドメダルに輝く栄を担っている。


壺屋のき花に戻る  霧華の始まり  1.齋藤瀏、史  2.齋藤瀏、史

3.若山 牧水   4.酒井 広治   5.小熊 秀雄   6.松田 一夫



本欄は、以下の団体からの資料提供並びに所蔵文献から参照引用


旭川文学資料友の会

【参考文献】・松田一夫歌集『き花凍む街』、・北海道新聞社『北海道文学大事典』昭和60、
・昭和28年7月『あさひね』、・示村貞夫著『旭川第七師団』昭和47、・齋藤瀏歌集『霧華』昭和4、
・小林孝虎著『歌人・酒井広治と飯田佳吉の世界』昭和50、・齋藤史著『遠景近景』昭和55

雨宮雅子著『齋藤史論』、・山名康郎著『不死鳥の歌人齋藤史』、・『旭川市民文芸』平成17.11


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