Back to 亀甲音 Personal Page
Back to 生活報告帳 Index
えー、カネがない時ほどヒマというのはでき易いモノで、 細々と食いつなぐ為のバイトも2日に行ったと思ったら「次は9日に来て下さい」だって。 「チキショー、職安に行ってやるー!」とか思っても、当然ながら世間はゴールデンウィークです。 家でゴロゴロしてるのにも飽きたし、どこかいい所はないかいな…。 おぉ、そうだ、加計呂麻に行こう! てなワケで、ひさしぶりにテントを担いで、フェリーかけろまに乗ることにしました。 ホントは3日の昼頃に出るつもりだったのですが、久々のこととて準備が間に合いません。 時折り輝くように晴れ上がる戸外を横目で見ながら、ぐずぐずと準備を進めます。 それでもナントカ、5月4日10時20分古仁屋港発のフェリーに乗って、加計呂麻の地を踏むことが出来ました |
|||||||||||||||
いつもの通り、テントは実久に張ります。 今回、大雑把な予定は、午前中は魚釣り、午後はバイクで各地巡り、夕方から釣り、 日曜日までに戻ればいいから毎日その繰り返し、という前向きなものです。 実久に着いた時点でほぼ午前中は終わっていたので、テントを張り終えたらすぐに各地めぐりへ。 梅雨入り目前だというのに涼しい日が続いていた奄美地方も、 ようやく初夏らしい陽気になってきました |
|||||||||||||||
たぶん、モンシロチョウなんですけど、 私がこれまで奄美以外で見てきた モンシロチョウと較べて 全体的に白っぽいんですね。 だから、いろいろ調べたんですけど、 うーん、やっぱりモンシロチョウかなぁ…とことで。 実久(さねく)にて |
ハナムグリ(右)と正体不明の虫が花粉を食べています。 花はイジュだと思います(同じ花を他ではタブノキと呼んでたような気が…) 実久の林道にて |
||||||||||||||
カタツムリ、またの名をデンデンムシ。 うわー、いろいろいるんだなぁ…! うーん、次の課題はデンデンムシかぁ?! 安脚場にて |
オオマルハナバチが、ハマボッス(?)にとまってます。 安脚場にて |
||||||||||||||
コンロンカにとまるのは、クロアゲハ? オナガアゲハかと思いましたが、 オナガアゲハは奄美に生息していないそうなので。 勝能(かちゆき)にて |
コミスジ。 この時季は、バイクに乗る服装で歩き回ると大汗をかきます。 こいつにも苦労させられました。 スリ浜にて |
||||||||||||||
ツマグロヒョウモンのオス。 メスは何度も撮影してますが、 オスを撮影できたのははじめてです。 伊子茂(いこも)にて |
|||||||||||||||
テングチョウとハイビスカス。 ちょっとデキ過ぎ? とか思ったら、 ハイビスカスがファインダーからはみ出てました。 打倒、浜田太への道は遠い…。 実久にて |
|||||||||||||||
こちらもテングチョウ。 色が淡いのは、ご高齢の方なのでしょうか? 伊子茂(いこも)にて |
|||||||||||||||
これも判りません。 道路脇の斜面を紫色に染めて、 とても綺麗でした。 須子茂(すこも)にて |
|||||||||||||||
もともと歴史には興味があったのですが、 奄美地方の歴史を扱った本といえば、研究者レベルの内容のものが殆どで、 読み物として楽しめるものがヒジョーに少ない!(憤) 日本全国に歴史好き、歴史マニアと呼ばれる人はたくさんいますが、 そういう人たちが歴史に興味を持つきっかけは、 学会に発表された論文や図書館の書庫の奥深くに[禁帯出]と貼られている定価3万円の本じゃありません。 司馬遼太郎や吉川英治の小説(を原作にしたTVドラマ?)が入り口なんです。 そんなことをぽちぽちと考えていたので、 「現在(いま)、そこらにある歴史」から何かが掴めないか、いくつか回ってみました |
|||||||||||||||
バス停の表記は瀬武(せたけ)、 看板には実久郵便局、 後ろの板(?)には[旧実久村役場跡]。 昭和31年の《昭和の大合併》で 加計呂麻を南北二つに分けていた 実久村と鎮西(ちんぜい)村が 西方(にしかた)村といっしょに 瀬戸内町と合併したためです。 この合併を境に 加計呂麻の過疎化が進んだそうで、 将来かならず起こるであろう 《知事権限による強制合併》では、 どういう結果が待つのでしょうか? 瀬武(せたけ)にて |
《昭和の大合併》も《平成の大合併》も、 要は《行政コストの削減》を狙ったもので、 その事自体に意味はあるのですが、 いちばん大事にされているのは 《中央官庁の手間を省く》ことで、 《地域の生活》は無視されています。 行政事務を集約・共通化し、 オンライン端末を分散配置することで 同等以上の効果が 得られるはずなんですが…。 今にして思えば、 「個人情報保護法」も 《行政のブラックボックス化》 を狙ったものに見えてきます |
||||||||||||||
加計呂麻の北西海岸を歩いていたら、 島唄が聴こえてきました。 連休でやってきた娘夫婦や孫たちに、 ジィが聴かせています。 孫たちはすぐに浜に遊びに行っちゃったけど、 ジィはゆっくり唄いつづけます。 「朝花節」、「くるだんど」、「よいすら節」 立ち去り難い旅人は、 物置小屋の写真を撮る振りをしながら、 デイゴの木陰で耳を澄ませます。 阿多地(あだち)集落にて |
|||||||||||||||
「歴史が残っている」といえば、何より神社です (加計呂麻にお寺はない。つーか、奄美群島に寺院は10しかない)。 その神社の中でも、なんとなくモノ寂びたところを二つ、行ってきました |
|||||||||||||||
加計呂麻島の最南端、徳浜には「龍神宮」。 コンクリートの鳥居や、そこらの仏壇よりも簡素な祠を見て侮っちゃあイケマセン。 最北端の実久にある実久三次郎神社は 八百年の歴史を称していますが(実際は400年ほど?)、 こちらも負けず劣らず、てゆーか、ゼッタイに古い神社です。 堤防から100mほど内陸にあるんですが、こういう神社の建て方としては、 間違いなく海沿いに建てるハズなので、一度は移転(遷宮)していると私は見ています。 徳浜(とくはまorでぅくばま)にて |
|||||||||||||||
知之浦(ちのうら)に建つコンクリート製の鳥居の前に築かれた土俵。 簡素っちゃあ簡素なんですが、 土俵入りから取り組みの一番いちばん、すべて神様に《奉納》です。 で、鳥居の額束には、もっと簡素に《鎮守》の二文字。 オイオイ、手を抜くなよ…と参道を登ってみたら… |
参道の尽きた所には、 祠(ほこら)と呼ぶにはあまりに華奢な…。 いえいえ、《鎮守》のご神体とは、 知之浦の海(さざ波一つない静かな入り江)と それを囲む山なのでしょう |
||||||||||||||
「日曜日に帰ればいいやぁ♪」とのんびりしてたら、やっぱり奄美大島です。 きっちり三日間の晴天の後は、週間予報は雨、雨、雨。 半端な雨支度しかしてこなかった私としては、早めに帰らざるを得ません。 梅雨の晴れ間になんとか都合をつけて、 と後ろ髪引かれる思いで(前髪は引くなよ、残り少ないんだから)帰ります。 この続きは、またそのうちに… |