May. '05
5/26 朝崎郁恵「おぼくり2005〜嘉義丸のうた」 at 名瀬市文化センター
歴史は、常に勝者の側から語られる。
紙が発明される前の中国では、竹を細長く割り、内側を炙って墨の「乗り」を良くしたものが、公文書などで使用されていた。竹簡と呼ばれるものである。古代中国において公文書の最たるものが「現王朝の成立の過程を記した歴史書」であり、広く、永く、遠く知らしめるために紙の発明・普及後もしばらくは、竹製の記録媒体が使用されていた。このため、歴史という言葉を格調高く表現しようとすれば、竹の定冠詞である青から「青史」という言葉を用いるのだが、オレのパソコンのIME2000では「正史」と変換してしまうのだ。文学的素養がないパソコンには疲れさせられるぜ。とはいえ、この「正史」も正当な文語表現である。竹簡に記録され、後の世に残ることになった歴史は、現王朝にとっては「正しい歴史」であり、それ以外のものは記録媒体が何であれ、「外史」、「野史」と呼ばれるのである。
国立国会図書館が、インターネット上の情報資源の収集・保存を目的としてはじめたWARPでは、当然ながら国の機関や法人の作成する情報のみをその対象としている。今回のネタである、《朝崎郁恵「おぼくり2005〜嘉義丸のうた」 at 名瀬市文化センター》は、たぶんこのへんが遺されることになるのだろう。すなわちこちらは、「外史」、「野史」の類である。
どうせいつまでも残るモンじゃない(注1)のだから、言いたいだけ目いっぱいやつあたりしてやろう、と含み笑いをしながらこの稿を起こすこととする。
奄美の音楽と関わるようになって、そろそろ五年目になる。もちろんこちらは横入りの新参者だし、なんだかんだと口実を見つけてサボることにかけてはかなりの強者(つわもの)の部類に入るから、まだまだよく判っていないどころかぜんぜん知らないことの方がたくさんある。それなりに狭い世界でもあるため、ゴシップだったらじゃんじゃん入ってくるのに、本当に知りたい話はそれほど多くは聞けない。もちろん、この情報時代なのだから電話なりメールなりで問い合わせればいいのだろうが、筋金入りの怠け癖は、おいそれと治るものでもない。
四月いっぱいで勤めていた会社を辞め、「さて、次の就職までどれくらいの月日が掛かるだろうか」と悩むでもなく考えていたオレは、名瀬の街じゅうに貼られた《朝崎郁恵「おぼくり2005〜嘉義丸のうた」》のポスターを眺めて「UAか〜、大工さんか〜、どうせヒマだし、行ってみようか〜…」という積極性のカケラもない気分で、「奄美側制作スタッフ」の一員である知人に電話をかけた。
「一枚くれ」
「アリガトウゴザイマス、何枚ですか、5枚ですかそうですか、アリガトウゴザイマス!」
「うるさい、買わないぞ」
「誰か友だち誘ってよぉ」
「オレは性格が悪いから友達がいないんだよ。有名だぜ、これって」
「そんなこと言ってないで、誰か友だち誘ってよぉ」
「うるさい、買わないぞ」
そんな心暖まるやり取りの結果、二日前に前売り券をゲットしたオレである。
そしてまた考える。数日後にエピックからのデビューという情報が解禁になる中孝介がゲスト(とあるが、サポートもするんだろう)で出るのは判るが、ピアノが黒木千波留(なんて読むのか、すこし迷った)つーのは、なんでなのか? もちろん、朝崎郁恵の最新CD「おぼくり」にほぼ全面参加してるのは知ってる。んで、今回のコンサートがその「おぼくり」のプロモーションのためだということも判ってる。つーか、そもそも「なんであのCDは黒木千波留なのか」が判らないのだ。
それまでのCDを朝崎郁恵と「共作」していた人物は、喧嘩別れ説を躍起になって否定している。まぁ、個人で「海美」を製作した後、もう7年近くも引き摺って(もう少し穏当な表現を探したのだが、思いつかなかった)きたこの人物にとっては「新しいことをやるチャ〜ンス!」なのかもしれないし、所謂メジャーでの「売上枚数だけが正義」というノリに参画したくなかったのかもしれない。
いっぽう、朝崎郁恵の所属事務所のHPでは、なかばムキになったみたいにこの人物に関する言及を避けている。まるでこの人物の名前が商標登録され、「いちど使う毎にいくら」なんて決まりがあるみたいだ(注2)。共作のミニCD「海美」についても「(廃盤)」と付記され、「できればここだけ太字にしたいんじゃねーの?」とツッコミを入れてしまうオレもいる。また、所属事務所にとってはこの人物が絡むと「大ヒットが期待できる作品が作れそうにない」と考えるかもしれないし。この人物と離れたとたんに、沖縄系コンピアルバムに「十九の春」が収録されてるのを見て、「例の人物とやってる限り、十九の春はできないんだろうな」と考えるのもやはりオレである。
ついでに一部で根強い噂になっている、「朝崎さんは○○だからXXXの■■もあるんだろう」という説もあり、こうして考えているだけで楽しくなってきてはいけないんだろうけどな、ホントは。
前日、いつものとおりにかずみに行って飲んでいると、《朝崎郁恵「おぼくり2005〜嘉義丸のうた」》ツアーで来たという人々が宴会をしている。小澤征爾そっくりさん大会の優勝候補者みたいな人がいるのでMIZUMAに「そう思わない?」と言ったら、「奄美プロジェクトをやってる評論家の人だよ」と言う。
「あぁ、あの胡散臭いアレね」
「ひっでぇこと言うなぁ。よし、チクってやろう」
「愛・地球博っていったっけ? あれ自体が胡散臭いイベントなんだよ」
「TOYOTA博だから」
「ちゃうちゃう、そんな単純なものじゃない。長良川河口堰とセットになって反対運動されてた、自然破壊と土建会社への利益誘導のイベントだからよ」
もちろん、「奄美プロジェクト」が自然破壊を引き起こすものでもなければ、特定企業への利益誘導と役人の天下りのために行われるわけでもない。が、しかし、「うたあしぃび」の解説を読んで、「この人、島唄アレンジ物のCDを何枚聴いたことがあるんだろう?」という疑問が湧き、それがこうした偏見の原因となっているのだ。まったくややこしい話で、単に「因縁を付けてるだけ」と思われても仕方がないのだが、'90年代以降、こうした「政治的正当性」には、常に気を配らなくてはならないのが時代の要請というやつなのだよ藤井フミヤくん、には関係ないか、芸能人だし。なお、「愛・地球博」がどれだけ胡散臭いかは、こちらをご参照願います。
さて、日付が変わって当日です。
元ちとせファンサイトの掲示板の常連さんがご夫婦で加計呂麻にIターンしてきていると言うので、「とりあえずご挨拶がてら、花富(けどぅみ=朝崎郁恵の生誕地)でも見物してこようか」と思ったのだが、「朝崎郁恵を見に名瀬に向かう」というので、古仁屋にて待ち合わせる。
味園(あじぞの)で、Naoさんの島唄を聴きつつ、そしてNaoさんも交えてというかオレはもっぱら聞き役に廻って一時間半ほど話し込む。定年退職後に免許を取ってまだ半年というご夫婦を見送ってから、小さな用事を古仁屋で済ませて名瀬に戻る。
近所の自転車屋で修理を終えたチャリ(名古屋の皆様、けったのことです)を受け取り、さて、どうしよう?
前夜いっぱいまで不景気な情報しかなかったので、「開演ギリギリに行っても、前の方で余裕で見られるだろう」とは思ったが、家にいても退屈だし、と開場20分前に文化センターに到着すると…。
あれ? 意外とおおぜい並んでいるやんけ。知人からチケットを受け取りながら、「早い時間からおおぜい来てるじゃん」と言ったら、「おかげさまで、なんとか格好がつきそうです」。
列の最後尾で並んでると、どんどん人が増えてくる。ホール自体は1,000人以上入るんで、満員まではいかないだろうけど、そこそこ埋まる程度にはなるんだろう。
けどさぁ、なんで平日なの?
出演者とスタッフの航空運賃が平日の方が安いとか、そういう理由か? 朝崎郁恵って、地元の有名人だから平日だって客が呼べるだろうなんて考えてるんだったら、そりゃ大間違いだぜ。
2,500円というリーズナブルな料金に正直言ってありがたいと思いつつ、3,000円だったら見に行かないだろうなと思いつつ、コンサート単体での収支はドウナッテルンダロウカと思いつつ、オレの知人なんかは無償奉仕なのかなと思いつつ、せめて日当くらいは出してやれよと思いつつ、列に従って会場に入るオレであった。
前から十五番目くらいの、右側の壁からもやっぱり十五番目くらいの、東京で言えば目黒区上目黒3丁目あたり(タナカさんちの近所だ、あはは)に席を見つける。
いよいよ開演という5分くらい前に、車椅子の小柄なおばあさんがスタッフらしき男性数人に抱えられ、いちばん前の席に搬入されてくる(←失礼な表現)。
この名瀬市文化センターって、最近の施設なもんだからちゃんと車椅子用のスペースってあるんだよな、たしか(イマイチ覚えてない)。だから、「ここで見なさい」と決めつけられてることさえ我慢すれば、バリアフリーの造りになってるのだ。それがこうして運搬(←やめなさいって)されてしまうのは、よほどのVIPなのか? 朝崎郁恵の親戚かナニか?
んで、ようやっとコンサートが始まる。すんませんな、二年一ヶ月ぶりの雑記帳ながら、前フリが長いのはこれまでどおりで…。
舞台のセンターからかなり上手(かみて)寄りに中孝介が三味線を手に座り、下手(しもて)寄りの奥まった位置に新原恭子がマイクを前に立つ。ちょいと長めの前弾き(イントロ)から「朝花節」。
この前弾きが長くてさ、おまけにセンターに無人のままマイクが立ってるもんだから、孝介の前弾きを出囃子に朝崎郁恵の登場かと思ったのだが、そのまま孝介が唄いはじめたので、「おおっ、朝崎郁恵、ハードスケジュールのあまり楽屋にて倒れたか?」と思ったんだが、朝花節を唄い終えた孝介が、「前座です」と言ったのであった。
三曲唄って孝介の前座は終わったのだが、新原恭子についてヒトコト余分に。つーか、朝崎郁恵一門に共通して言えることなんだが、師匠のフルコピーなんかやってどうしようってーの? 現時点での朝崎郁恵は、たしかに「枯淡の境地」みたいな感じで独特の味を醸し出していることは確かだし、オレもそれが聴きたくて文化センターまで足を運んだのだが、それって朝崎郁恵にとっての「目標」ではなくて「結果」なんじゃないのかい? とある人物が、一時、ネット上に「十年以上前の朝崎郁恵の唄」を公開していたことがあって、運よくオレもそれを聴くことができたのだが、五十代半ばの朝崎郁恵の唄声は、やはり東唄の系譜である「魂と情熱」が迸っていた。判り易く言うと、中村瑞希に代表される「癒し系」よりも、元ちとせみたいな「情念系」の部類だったのだ。
今、いろいろ思いついたことがあったんだけど、ぜってぇ長くなるからここには書けないなぁ…。忘れないといいけどなぁ…。
たとえば、朝崎郁恵のイメージの中では、
「あらやぁしぃきぃくぅのぉぅぅでぃ」
であるのに、
「あらやぁしひぃきぃくふぅのぉほほでぃ」
となってるんではないのか。自らのイメージと異なる歌唱・発声に対して、朝崎郁恵は「懐かし味があるので、これでよし」と判定しているのではないか。つまり、
「あらやぁしぃきぃくぅのぉぅぅでぃ」
とイメージして唄えば、
「あらやぁしひぃきぃくふぅのぉほほでぃ」
という「結果」になることを選択しているのではないか。
それを朝崎門下は、最初から、
「あらやぁしひぃきぃくふぅのぉほほでぃ」
をイメージして唄ってるんではないのか。だとしたら、それはコピーではなくて勘違いなのではないのかと思うのだが、おおきなお世話かやっぱりそれは。
以前、おもろ掲示板に山崎孝さんが喜納昌吉の「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉を紹介していただいたことがある(おもろ掲示板No.1326〜No.1345を参照してください)。これは、Boomの「島唄」に対する沖縄音楽業界の一部から宮沢和史への批判に対して、喜納が言った言葉だという。オレは宮沢とは一方的交戦状態にあるので、間違っても宮沢にそんなことは言わないが、朝崎一門は、魂をコピーしようとして、それが成功してないんではないのか? 中国の古諺に手厳しいのがある。「虎を描いて似ず、却って狗に似る」(ちなみにこれは対句がある「鵠を刻んで成らざるも、尚お鶩に類す」超一流を真似すれば、二流くらいにはなれるの意)
ついに、朝崎郁恵の登場である。ここから先は短いからね。期待していいよ(笑)。
いつもの十二単(じゅうにひとえ)のクールビズ版みたいな衣装で、鼓を叩いて八月踊り唄を唄いながらの登場である。このリズムが乱れてるのが、やはり、らしいといえばらしいし…(大阪でも乱れていたようだ)。
いちいち曲目を憶えちゃいないのは例によってオレらしいと思わず微笑んでしまうのだが、前半は一曲毎にバックのメンバーが入れ替わり、それなりにヴァラエティ豊かな構成。なんだかよく判らなかったのは、ピアノと三味線が同じメロディラインを演奏しているところか。
通常、異なる楽器が同じメロディを奏でると、オレのようなシロートは音が厚くなると思ってしまうのだが、ナゼかここではピアノの音が三味線の音を塞いでいるように聴こえる。ハウリングマージンとか、そういう問題で音圧レベルを合わせられないのか。それとも、三味線なしの編曲で作ってから、あとで三味線を「おまけ」的に足したということなのか。どっちにしろオレの「レゲエよいすら節」の方がカッコいいじゃん、とか思いつつ聴いていると、なんか不思議な音が聴こえる。
打楽器の音なんだけど、妙に重層的な音だ。ステージの上手奥に薄っぺらい、その割には胴回りの大きな太鼓を叩いてる若者がひとり。手許のパンフレットや後日の調査によれば、土居秀行という名で、彼が手にしているのはオリジナルの電気ドラムTAIKOMANなのだそうだ。
いいじゃんこれ。
まず、全体の演奏に対するアクセントみたいなかたちで加わっているのがいい。もともと奄美の島唄は、リズムの解釈が個人にゆだねられているというか、タイム感覚がない(←言い切っていいのかよ)。唄い手の気分で伸ばそうが縮めようが勝手なので、所謂オモテとウラが平気で入れ替わる。若手の唄い手たちは、それでも「あんまり適当にやるのも…」と、相手によっては適当に辻褄を合わせるのだが、朝崎郁恵に関する限り、そんな斟酌とは無縁である。なにせ自分の打つ鼓にまでハズしまくるという高性能ぶりだ。それを相手にするには、いっそのことアクセントに徹してしまえということなのか。
ホールのプロセニアム・スピーカーをメインにするという「予算上のやむを得ぬ措置」みたいなオソルベキ技のおかげで、なんかすごく散漫な感じなんだけど、悪口いってる割には「金返せ」とかそういう気分でもない。いろいろ制約がある中、頑張りましたね、ご苦労様です、というのが前半を終えたオレの印象である。
つーか、名瀬市文化センターでコンサートをやろうっちゅうのがそもそもの間違いなんじゃないかと。それはつまり、この散漫な気分の原因は、ホールの内装にあるんじゃないかと。「それこそやつ当たりだろう」と言われたら黙って頷くしかないんだが。
まずい、長くなってきそうだ。
いちおうこれでもオレは、そこらのオジサンが「私、これでも昔はバンドをやってましてね」と言うのを鼻で笑える程度には演劇っつーもんをやってたことがある。ナニ? バンドのほうがカッコいいって? だからどーしたっつーんだよ。
で、そういうオレだから、ハコというか、イレモノというか、ホールに関してはオレなりの意見がある。
なにより、ホールとはガクブチである。絵や賞状を収めるあれね。ガクブチである以上、観客の意識をステージ上に集中させられるかどうかがその価値となって現れる。その点では、自治体のホールは、まず半分は不合格と言っていい。内装に凝り過ぎるのもダメだが、妙にスッキリと纏めたがるのも、この名瀬市文化センターみたいに落第点になる。明るいクリーム色のお上品な内装だって。講演会だのシンポジウムだのだったらこれでもいいんだろうけどさ。
こういうステージでは、観客の集中力をどれだけ維持できるか、はステージ上だけの問題ではない。いや、よほどのステージ巧者でもない限り、そんな責任まで演者に被せるのは非道ですらある。
開演前の客席で、ぼけぇっとパンフレットを見ていたら、「演出:○田XX郎」という名前があった。「ほー、演出まで付くんですか」ナニをするんでせうか、と期待しつつ見ていたが、前半はただ演奏して合間に朝崎郁恵が喋るだけ。他のメンバーは入れ替わったりチューニングしてたり水を飲んだりしている。ホリ幕(ステージ奥の白い一枚布のこと)明かりなんて、前半のうちにナニか一度でも変えたんですか?
シンプルな構成といえば言えるのだろう。手抜きとか無思慮とかいうオレみたいなのは、たぶん少数派に属するのだろう。ただ、この「朝崎さんとバンドにすべてお任せ」的な前半の構成は、「予算上のやむを得ぬ措置」とは言えないんじゃないか? 努力する余地はあったんじゃないか? と言わざるを得ない。
なんか、いつもより辛口っぽいな。
休憩中にDave&FatsのYANちゃんに遇ったので、「今日は、古仁屋の人口は半分になってるんじゃないの?」と言ったら、「知り合い、二人しか会ってないよ」。へぇぇ、じゃ、この800人近い人々はどこから来たんだろう?
その他、休憩時間中に見かけたり会ったりした人(順不同) 吉原まりか、阿世知幸雄、本田えーゆー、池田・瀬戸内町町議会議員(イマイチ自信なし)、ノゴロウジさん(あれ? 違うときだっけ?)、MIZUMA … なんだ、笠利の人ばっかりじゃないか。
再開すると、ステージ上が片付けられ、スペシャルゲストの花柳鶴寿賀が朝崎郁恵の「行きょうれ節」に乗せて奄美舞。オレ、日本舞踊って苦手なんだよなぁ。20秒くらい眺めて(これでもかなり頑張ってる)、あら、とっても優雅ですのねっつったらもうナニしたらいいのか判らなくなる。だから感想なし。どーせ無教養だよ、ふん。
ふたたびステージ上にマイクやら椅子やら置かれて、スペシャルゲストの二人目、大工哲弘。「十九の春 老人バージョン」で笑いを取り、行きゅんにゃ加那のメロディで「数え歌」、祖父がよく唄っていたという「奄美小唄」。こういう人をステージ巧者と呼ぶのだよ。持ち時間が短かったというアドバンテージを割り引いても、とぼけて笑わせ、唄ってなごませ、観客をステージに集中させていた。
大工哲弘が唄い終えたところに朝崎郁恵が登場。コンサートのタイトル「おぼくり2005〜嘉義丸のうた」について一くさり説明すると(嘉義丸について詳しく説明するとさらに長くなるので、こちらを参照のこと)、本日の演出家なる人物が出てきて、「嘉義丸の生存者のひとり」ということで、車椅子で運ばれてきて最前列に居たおばあさんを紹介する。
「演出」なる人物がどういう観点で今日の構成を考えていたのか判ったのが、この時点である。
開演前から妙にちょろちょろと一眼レフやビデオカメラを抱えて腕章をつけたのが多いと思ったら、こいつら全員いっせいに立ち上がって、おばあさん、朝崎郁恵、大工哲弘にばしゃばしゃとシャッターを切る。
おばあさんの涙ながらの挨拶は感動的であったし、嘉義丸の話自体も歴史に埋められた秘話として意義があるものであったが、要はこれ、プロモーションじゃねぇか!報道用プロモーションのためにこっちは金を払わされたんかよ!
と毒づきたくなるオレではあった。
いや、ここまでならまだいい。演奏自体は、好き嫌いはべつにして良心的なものであったし、真剣に取り組んでいるのは間違いない。入場料に見合う価値はあった。ただ、一気に嫌な気分にさせられたのは、おばあさんのお礼の言葉への答礼者として呼び出されたのがこともあろうに平田名瀬市長だったということだ。
「今日のコンサートには、洩れなく政治的プロパガンダまで付いてお買い得で〜す」ってのかよ。ふざけんな馬鹿野郎!
結局、このセレモニーに三十分近く費やして、ひととおり収まったところで、本日のメインディッシュ、朝崎郁恵は「嘉義丸のうた」を唄うことになった。
しかし、オレの気分はいっこうに晴れず、「演出ってなんだっけ」とばかり考えて、ほとんどろくに聴いちゃいなかったことは書き記しておく。あ、ちなみにホリ幕明かりがこの辺から使用されはじめたような気がする(いちおう、見るところは見てんだよ、オレだって)。
で、次はUAである。あれ? 朝崎郁恵は、もう一曲くらい唄ったのかな? まぁいいやそんなことどうだって。
オレの音楽遍歴を軽〜くヒトコトで表現してしまうと、「ジャメイカ発アフリカ経由奄美行き」ということになる。だからといってはなんだけど、このUAという人は避けつづけていたのだ。とことんどっぷりハマって追っかけやるか、もういいやオレには感性ってもんがないからサザンでも聴いてるわって投げやりになるかしかないじゃん、つー予感がしたのだ。
そーゆーワケで、オレはひとりで勝手にドキドキしながらUAの登場を眺めていたのだ。
のこのこって感じで出てきたUAは、舞台袖に引っ込む朝崎郁恵とマイク片手に言葉を交わし、いつの間にやらスタンバってるシタールをバックに唄いはじめた。
最初はね、「おやおや、朝崎完コピではないのね、自分の声で唄おうっちゅのね、あげ、か〜んしんじゃがねぇ」と、余裕を持って眺めていたオレだったのだが、ある一瞬、「うぁ、やられた…」と、前髪をかき毟ってしまった(残り少ないのに、ドウシテクレルンダ!)。倍音唱方っていうのか、それともまったく別のナニなのか、とにかくひとつの音から次の音へ行くときに、ふわぁ〜んという、ナンともキモチいい音を発するのだ。
これはヤバい。
これはヤラレた。
悪い予感が的中した。
幸い、今はビンボーだ。それに、アマミオオシマからではUAの追っかけなんかできるワケもない。やれやれ、助かった…。
最後に、ふたたび朝崎郁恵が登場してなん曲か唄う。アンコールでは大工哲弘が合流し、八重山カチャーシー〜奄美六調のメドレーであった。くだんのおばあさんも立ち上がって踊り出す。スゲェよなぁ、車椅子でいらっしゃったのは、やはり歩行に困難を伴うからなんだろうけど、それでもカチャーシーが鳴り出すと手足にエネルギーが充満するのだろう。オレみたいに、六調がはじまったとたんに「四十肩が…」とか言ってるのは、やっぱ論外だよな。
六調の、最後の鼓の一打ちが鳴った瞬間、オレは席を立った。心中、かなり複雑である。
ちょっと驚くほどたくさんのメディアが取材に来ていたので、このコンサートの演出家が、「メディアに露出させたい部分」は、いろんなかたちで報道されるのだろう。資本主義のこの世界で、営利を目的に音楽コンテンツを販売する限り、それはひとつの段階において成功したと言えるだろうし、そのこと自体は間違っているとは言いきれない。
また、来場した観客のうちのかなり、いやほとんどが感動を胸に家路を辿っただろう。全体のちょうど真ん中で、オレの目で見れば「流れをぶった斬った」あのセレモニーは、たぶん、一般的な視線では「真ん中のクライマックス」だったはずだ。
手の内をさらけ出すみたいで、躊躇いを感じるのだが、ざっと記しておこう。
2002年の9月、「森田照史芸能生活五十周年《美島(きゅらじま)の唄遊び》」というイベントをやった。オレはそこで現場監督みたいな役割で、音楽にダイレクトに関わらない部分の構成その他を担当した。その準備期間中に、森田照史への「《奄美大島親善大使》認定証授与」という話が飛び込んできた。《奄美大島親善大使》というのは、公的な資格も何もない、たんなる名誉職であるが、これまで奄美出身者はひとりも任命されたことがない。奄美出身者第一号&島唄関係者から第一号ということで、「何かセレモニーを行う」という提案もあったが、現場監督権限で「認定証授与のみ、あっさりと」とした。
予定された演目を順調に消化するだけで3時間近くが予想される状態で、このうえ説明だの挨拶だのお礼だのと付け加えることで、「音楽の流れ」を断ち切ってしまうことが、オレには我慢できなかったのだ。
さいわい、森田や他のスタッフもオレの結論を了承してくれ、三部構成の第二部の終わり、という全体の流れを阻害しない所で認定証授与は行われた。
せいぜい10分ほどの時間だからと、解説だの挨拶だの記念撮影だのとくっつければ、それなりに大仰な演出は可能である。こう言ってはナンだが、オレにだってそれくらいの芸当はできる。
もちろん、与えられた時間と場所をどう使うかは個人の考え方の問題である。しかしながら、それを体験する側の個人の捉え方は、それぞれである。
「コンサート」と銘打ったそれを、「報道用プロモーションとしても機能させることで、より多くのメディア展開を計る」だの、「自治体の首長を使って《重み》を付ける」だのは、残念ながらオレの感性の受け付けるところではない。
あんまり褒めてないので音楽にも不満があったかのように思われるかもしれないが、演奏の大部分は、「与えられた条件の中で」最善の結果を出していると感じられた。納得しかねる部分はあったが、不満はまったくない。だからこそ、思うのだ。「いろいろ考えたり段取りしたりするヒマとカネがあったんなら、もっといい条件を工夫できたんじゃないの?」と。
以下、本文中に書ききれなかったこと。
@「ナンで平日にしたか?」は、「この日がちょうど、嘉義丸が沈められたその日であるため、鎮魂の意を込めて」だとのこと。配布されたパンフレットに記してあるうえ、「嘉義丸のうた」演奏前にも詳細に説明された。
Aオレの隣の席のおじいちゃん(朝崎郁恵の同年輩)がホントによくって、もしこのコンサートがもっとつまらないものだったら、このおじいちゃんばっかり見てただろうな。オレがちらちら見てただけでも、朝崎郁恵のMCに力強く頷いたり、近くの客同士が「”おぼくり”ってなあに?」とか言い合ってると「八月踊り唄じゃ」と小声で呟いたり(近頃の若いモンは、そんなことも知らんのか!みたいな言い方!)、囃しの部分を小声で唄ったり、もぉサイコーでした。
…三日ほど経過…
悪い予感がするので、すぐにはアップロードせずに、時間を置いて読み返してみた…。
すんげー悪口ばっかし。
…。
まぁ、いいか。いち観客として見た、事実に反することはないし。
…。
このページの先頭へ
(注1)とはいえ、意外としつこく残してたりもする。イヤなヤツだねぇ。
(注2)これは、ロック界の噂話というか伝説というか、信憑性にははなはだ疑問がある話なのですが。
YES(イエス)という、プログレッシブ・ロック・バンドがありまして、音楽そのものも唯一無比といっていいくらいの独特なものがあるんですが、そのメンバーの入れ替わりの激しさと解散・再結成の歴史の賑やかさも、ちょっとした大河ドラマ並みで、オレのような人でもCDを2枚持っているくらい有名なバンドなのです。
で、その解散・再結成が、あんまり頻繁なものだからということで出て来た噂話。「ヴォーカリストのジョン・アンダーソンは、YESの名前で活動することに対して利益を得られる権利を持っている」簡単にいうと、ジョン・アンダーソンさんがイエスのメンバーとしてCDを売ったりコンサートを行ったりすると、当然得られる印税やギャラのほかに「商標使用権料」みたいなのが支払われるんだ、つー噂。ジョン・アンダーソンさんの「イエス」というバンド名に対するこだわりを知ってしまうと、頷けるものがあるんですな。んなもんだから、このページでは、ひとりの人物を指して、その人自身の名前をいっさい使わず、「その人物」とか「例の人物」と表記しています。