Mar. '03
3/15 ネリヤ★カナヤ with 伊是名の会 at 埼玉県入間郡三芳町藤久保公民館
3/16 RIKKI at 吉祥寺 Star Pine's Cafe
3月16日
今、オレの手許には、一冊の簡便なパンフレットがある。
淡い緑の用紙の両面に黒一色で印刷し、まん中で二つ折りにして見開きとした、シンプルというか簡素というかお手軽というか、来場者全員に無料で配布するんだからこんなもんですわ、あはは、と明るく笑って背中の一つも叩きたくなるようなパンフレットである。ところで、誰が誰の背中を叩くんだ?
さて、そのパンフレットであるが、表紙に当たる部分のいちばん上に「藤久保公民館ジョイフルコンサート」とある。
ま、これはいい。なんか堀江美都子でも出てきそうだが…。
しかし、なんでネリヤ★カナヤが埼玉県入間郡なのかは、さっぱり判らん。この人の推理では、「(この日、共演する)伊是名の会から流れてきたんじゃないかな?」とのことである。さもあろうか。
でもって次に出てくるのが、「奄美の島唄への誘い」である。…コレは一体…。
ご存知ない方(が、この駄文を読むとは思われんが念のため)にネリヤ★カナヤについてオレなりに説明すると、奄美大島出身で、ヤマハのポプコンで入賞(さあ誰でしょう、当ててごらん)し、'93には「今夜、ビートルズが街をうめつくして」でメジャーデビューするなど、華麗な経歴を持つ平田輝が、同じく奄美大島出身の武田まゆみと共に結成したポップ・ユニットである。
彼らのコンセプトには、「奄美の島唄を、現代的、ネリヤ★カナヤ的にアレンジする」という部分があり、また、島唄をモチーフにしていない楽曲にも「奄美的フレーバーを盛りこむ」という点を強く意識している。この点では、古典至上主義的立場を取る(要は、融通が利かない)人々(ここに名前を挙げる必要がないほど稀である)よりは、よっぽど自分たちのルーツである「奄美」「島唄」に忠実だといえる。
とはいえ、彼らの音楽を「島唄」として位置付けるのは、「マサチューセッツ州リトル・ロックにて、大滝詠一率いるナイアガラ・オール・スターズが”イエロー・サブマリン音頭”を、”日本の代表的フォークダンス・ミュージックONDO”として演奏する」っちゅうよーなモンであり(<理解できる人、いる?)、ついついオレはズッコケ(死語だ、あはは)そうになってしまったのだ。
そんな哲学的考察をしながら会場内に入ると、小学校の体育館ほどのスペースにはパイプ椅子がぎっしりと並び、300人前後と思われる客席は、すでに9割以上が埋まって、ほぼ満席である。
「…マジですか?」
思わず呟く。
まん中あたりの入り口から入って、空席を探して歩くと、入り口からいちばん遠いブロックの、うしろから二列目にようやく空席を発見する。歩きながら客席を見わたすと、いささか平均年齢は高めである。子供を一人(あるいは二人)で放ったらかしにして夕食後に外出できる年齢に達した夫婦、あるいは気が合う主婦のグループというのが主要な客層を占めている。オレなんか若造まではいかないが、「後輩」レベルである。
イスに座り、用意の缶ビールをあけ、「さて、ネリヤ★カナヤはこの客にどうアピールするのかな?」と、ひとりほくそ笑みながら受付でわたされたくだんのパンフレットを眺める。
ちなみにこのパンフレット、誰がつくったか知らんが、よく出来ている。地理・人文的に沖縄と奄美(伊是名の会は、沖縄ベースで奄美を含む、というスタンス)を紹介している部分が、奄美2割に沖縄8割という構成で、中孝介あたりに見せたら目を剥きそうだが、とりあえず基礎知識としてはいい作りだと思う。
おお急ぎで一缶あけたところで、ネリヤ★カナヤが登場。まずは”行きゅんにゃ加那”もちろん、ネリヤ★カナヤ・アレンジだ。
歌い終えたところで、「ぼくらのライブで盛り上がっていただくためにいただくために、これを」と言って、例の。
「ネリヤ!」YEAH!「カナヤ!」YEAH!をはじめる。
もちろん不慣れな観客は、
「ネリヤ!」いえー…「カナヤ!」いえー…と、さっぱり気勢が上がらない。だが、まったく気にせず(?)”たんぽぽ”、”月の時間”と続けて、”ほこらしゃ”で伊是名の会の踊りが入る。これが実に可愛らしい踊りで、客席もぐっとリラックス・ムードだ。
”悲しみの華を散らして”で。ムードを盛り上げたと思ったら、次の”奄美ちんだら節”でまたも伊是名の会が登場。これが、”ほこらしゃ”に輪をかけた可愛らしさで、うしろから見てると会場のいたるところで「かわいいねぇ」と言い合っている。
再度”千鳥浜”でムードを盛り上げて、”yu-la-oh”(ゆらおう、と読む)では、客席の手拍子も、心なしか力が入っているようだ。
そして第一部のラスト、”ネリヤ★カナヤ”では、「wow wow」、「ai ai」のコール&レスポンスも、オレの意地悪な予想をハジキ飛ばす勢いである。「休憩時間になったら、もっと前の席に移動できるだろう」というオレの目論見は、完全に外れてしまった。
休憩時間の後の第2部では、若干スベリがちのMC(埼玉の人に、「徳之島の平土野」っつったって判るワケねーだろ)も含めて好調で、”ぐーすか”でのボヤキ合戦も(会場自体の音の分離がイマイチで、オレの位置では半分も聞き取れなかったが)けっこうウケていた。
”島のブルース”では、またも伊是名の会の踊りが入って、”イトゥ”、”ワイド節”と盛りあがる客席は、「あんたら、ホントにはじめて聴いたんか?」と問い詰めたくなるオレではあった。
ラストは”YOISURA”(よいすら節のネリヤ★カナヤ・アレンジ)、アンコールの”ROCK調”では、さすがに踊る人が少なかったので、いちばん前まで出て行って(遠かった…)、伊是名の会のお嬢ちゃんと一緒に踊ってしまった。
終演後のサイン入りCD即売会もぼちぼちくらいは売れていたみたいで、埼玉県入間郡三芳町のちょっとだけ年齢層高めの観客にも、じゅうぶんアピールしていたネリヤ★カナヤであった。
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RIKKI at 吉祥寺スターパインズ・カフェ
どうも日本人は、稲作農業を二千年ほども続けてきたせいか、天候についてあれこれと気にし過ぎる部分があるのではないか。
梅雨時以外にちょっと雨が続くと異常気象と言い、冬の最中に暖かい日が続くと異常気象と言い、真夏に晴天高温が続くと異常気象と言い、台風がちょっと多めに来ると異常気象と言い、秋分の日が過ぎて暑い日があれば異常気象と言う。最近の流行は温暖化なのだが、四半世紀ほど前までは、「もうじき氷河期が来る」と騒いでいた人がたくさん居たのだ。忘れたとは言わせないぞ。
そうした見方考え方を市井の大衆レベルで表現するのが、「雨男」、「雨女」という呼び名である。
西洋でこうした呼び方があるかは知らんが、映画「レインマン」は、別に主人公が行くところすべて雨、という事もなく、単に主人公のアダ名がレインマンだったつー事だったので、たぶん言わないんだろう。
さて、この「雨男」「雨女」という呼び名だが、オレの知る限りでは、ネリヤ★カナヤのmayumiを別格(ナニしろ、”雨”ではなく”災害”と呼ばれているのだ)として、RIKKIは、大相撲で言えば三役か、悪くても前頭筆頭、ということになると思う。
そういうワケで、この日が雨だったのは、オレにとっては不思議でもナンでもなくて、前日までにちゃんと洗濯も済ませていたのだ。これぞ、経験の知恵、というものだろう。
そんなこんなで、♪ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん♪と開場十分前にスターパインズ・カフェに到着したオレは、早めに買ってあった前売り券のおかげで入場を待つ列の中でも前のほうに並んで、実質20人目くらいに中に入れた。
ところで、私事ではあるが、最近この駄文が、内容の薄っぺらなわりには長大になり、自分で自分の首を締めることになっている。だからして、前置きはここらで終わりにして、本題であるRIKKIのライブについて話を進めることにしよう。
客席の明かりが落ちて、ステージの照明が残されると、RIKKIとバックのメンバーがよっこらしょとばかりに位置に着く。SPCのステージは、このサイズのライブハウスの標準レベルのスペースで、それにグランド・ピアノを置き、ドラムを置き、ギタリストが椅子に座って、ヴォーカリストを含むそれぞれにモニタを設置すると、パフォーマーはそれこそ身をよじる様にして出入りしなくてはならないのだ。
それぞれが位置に着いてからも、わずかな間だが座り具合を直したり、動かしたマイクを元に戻したりしてからのはじまりだ。
昨年の代官山クラシックスでのマンスリー・ライブ(オレは行けなかったが)での様子から、”シマウタTRICKLES”のバンド・バージョンのお披露目になることは予想していたが、菅原弘明作の打ちこみバックトラックにギター、ピアノ、ドラムが乗ったサウンドはやはりブ厚い音で、いくつかの曲は「あれ、なんだっけ?」と悩むほどだ。
実際、RIKKIファンとしてはそれなりに場数を踏んだ「オッサンズ」の面々が、それこそ額を寄せ合って
「一曲目は、なんだっけ?」
「ヒロうじの声が入っていたから”海ぬささ草”だろう」
「じゃあ、第2部のオープニングは?」
「”くばぬ葉”っぽいけどなぁ」
と、お互いの顔を見詰め合うという、あまり美しくない光景が展開されてしまったりする。
「RIKKIのルーツである奄美の島唄を、大胆かつ斬新なアレンジで」というコンセプト自体に、オレは異論をさしはさむつもりはないが、ちょっとこの日のこの音作りはなぁ、と首をかしげざるを得ない。
はっきり言って、昨年(2002年)発表された「島唄アレンジ」のいくつかのアルバムの中には、「なんやねん、それ」とツッコみたくなる作品もいくつかあった。
そのなかにおいては、”シマウタTRICKLES”は、野心的前衛性ではAAAランク、完成度ではAマイナス、というのがオレの正直な評価である。こうしたライブによって、それぞれの曲が磨かれ、徐々に結実するのではないかと思っていたのだが、道程はそれほど単純ではないようだ。
高い頂きに達するためには、まだまだ曲がりくねった夜道を歩き続けねばならないということか。
ただ、オレとしては、どうしても気になるのが、この夜に演奏された祝詞(IWAIGUTU)だ。 '97に発表された”RIKKI”に収められたこの曲は、島唄の共通歌詞をインドネシアの曲に乗せて唄われる。
”シマウタTRICKLES”に用いられた Drumn'Bass アレンジと比べたら古臭く聴こえても不思議のないそれは、しかし Ever Green と呼べる新鮮な輝きを持っていた。
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