やつあたり雑記帳…お出かけ記録

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Oct. '00

10/ 3 青山 オージャスラウンジ

10/ 7 日比谷公園 国際協力フェスティバル

10/ 8 2本立て、特別興行

10/14 渋谷7thフロア

10/15 高田馬場 ベンズカフェ

10/22 高田馬場 ベンズカフェ

10/25 新宿 Talking Monkeyz えみコバーン LIVE

10/28 ダンサー&振付師「香瑠鼓」のオリジナル・ダンス公演の通し稽古での音出し係



 10月28日

 赤坂1111(november 11th)で、RIKKI LIVE の予定だったが、昼間、突発的に入った用事の帰りに、風邪が治りそうもないので諦める。仕方がない、次は 11月25日 下北沢・La Cana だな。

 で、その突発的な用事だが、友人のMちゃんに頼まれた、ダンサー&振付師「香瑠鼓」のオリジナル・ダンス公演の通し稽古での音出し係。いつもの通り、深く考えずに引き受ける。だが、二週間物の風邪は、そうやすやすと治ってはくれない。
 「Oさんです」と、Mちゃんに紹介されて、「風邪気味なので半径3m以内に近づかないで下さい」と覇気無く挨拶。
 なにしろ香瑠鼓のワンマン(えー、ワン・ウーマンですね)公演なので、香瑠鼓さんは、構成・演出・出演のすべてをやります。抜き稽古(注5)だったら他の出演者を見てあげることもできるけど、通しではそうも行きません。そこで、演出助手が通し全体の判定者役になります。ところが、演出助手は普段の稽古では音出し係をやっているので、オレがピンチヒッターというか、雇われ外人として呼ばれたわけである。
 一回目の通しは、演出助手がやって、オレは見学。慣れてるだけあって、さすがに手際がいい。本職の音屋(注3)になれるぞ。なんでオレを呼んだんだろってくらい上手い。オレが錆びついたママチャリだとすれば、ヤマハDT50 くらい。べつにいいじゃん、オレなんかいらないじゃん、と思っていたが、通し稽古が終わってダメ出し(注6)がはじまったら、よーく判りました。
 優秀なんだ、この演出助手。細かいところをホントよく見ている。こんな優秀な奴に音出し係なんてやらせてはいけません。もう二度と無いと思うが、もしオレが演出をすることがあったら助手に来て欲しい。それくらい優秀。オレの場合、出演しないだろって? いや、大雑把だからさ、オレ。
 よろしい。そういういうことであれば、オレが音出し係というのは理解できる。ただし、芝居をやってきた人、それも1年間のブランクの主にはダンスの音出し係は難しいぞー。まず、台本て物がないんだから。

 一回目の通しの後、メモをとったり練習したり。ぜーんぜん、上手くイかねえんでやんの。いくらオレでも、これくらいは出来るだろうと思ったレベルの1/4にも達してない。マズいゼ、こいつは。風邪がさらに悪化する。

 自信も自負も、自嘲すら出来ないほどボロボロになったところで、二回目の通し稽古がはじまる。滑り出しは、まあまあ。最初のヤマ場は…。
 大まかに言って6回、操作をするところで明白なミスは1回。最後は目をつぶって「行けー!」だって。自己採点では、100点満点で35点。合格ラインは、30点。低いって? 通しを一回見ただけでいきなりやってんだぜ、柏木有一じゃねえんだ、オレは。

 低レベルとはいえ、合格ラインクリアで気が大きくなったオレだったのだが、そこから先は、ミス、ミス、ミス、ミス、間違い、間違い、間違い、間違い。完璧なタイミングで違う音を出した時には、そのまま帰ろうかと思ったね。

 実を言うと、たいへん幸せな気分なのだ。RIKKI LIVE を断念せざるを得ないほどボロボロになってしまったのだが、久し振りに、むかし好きでやってた遊びができて、とてもいい気分なのだ。これで風邪さえ治りゃあな。
 これじゃ、明日の横浜もダメかいな。


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 10月25日

 新宿 Talking Monkeyz、えみコバーン LIVE。
 髪の色を変えたえみコバーンは、脱水機から救出された直後のテディ・ベアであった。細長い店内の壁は、久住昌之氏の切り絵展である。ほー、上手いものだのお。G&G をロックで頼む。風邪が抜けないため。やはり、お湯割にすべきだったか。
 いったんステージに上がり、はじめそうになったえみコバーンがダッシュで戻ってくる。ハモニカとハモニカ・ホルダーが見つからない。店中大騒ぎ(とまでは言わんか)で捜した挙句、ステージ上のギターケースから出てくる。
 すっかりヘコんだえみコバーン、最初にやるつもりだったヨキョーをトバして LIVE 開始。

 簡単に総括すると、イージーリスニング・えみコバーンだった。
 店のメイン・スピーカーがオレの大嫌いな BOSE で、しかも天井からの吊り下げという悪夢のようなセッティング。普通なら、悪酔いするはずだ。ロック・グラスを齧りながら、オレはいつものようにボーズ博士を呪うはずだった。
 ところがぎっちょン(←死語)、怪我の功名とでもいうのか、これが良かったのだ。BOSE のレンジが狭くてトロ臭い音が、えみコバーンのヒリヒリ系のキャラクターを完全に中和して実に聞きやすい音にしてしまった。AMラジオで聴く ROCK。

 途中、新曲をふたつ続けて。ひとつめの方が良い感じだった。バックにヨタった音数の多いピアノがあれば、ハマるんではないかい。
 ブッシュミルズを飲んで、帰る。美味かった。翌朝は遅刻。明日も危ねえなあ。


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 10月22日

 高田馬場、ベンズカフェ。
 二週連続である。先週は、”Voice the Soul Sparkling”で、今週は、”Prize, Price the Words”。だからどうした、てなもんである。
 先週は、20分遅れたら「お外」になったので、今週は、すこし早めに塒を後にする。風邪気味なので、吹きさらしは辛いのだ。到着は、ぴたり18:30。時間厳守は君子の習い、って、誰が君子やねん、誰がカバやねん。
 が、しかし。やはりほとんど満員。カウンターの端に空隙をみつけてもらい、潜りこむ。

  PRIZE,PRICE THE WORDS
  BEN'S CAFE 4TH SUDAY POETRY READING
  17時30分受付開始 (メールによる事前受付可) 
  18時30分スラム開始
  パフォーマー定員15名 ひとり10分以内
  ゲスト 前回優勝者

  お客様に10円以上好きな金額(もちろん嫌なら払わなくても構いません。)で
  投票してもらい、上位5名を発表。
  投票された現金は各詩人に差し上げます。
  優勝者は次回ゲストです。

 ちうことである。以上、某BBSより勝手にコピー。
 高田馬場駅に着いた時点で、小銭入れの十円玉を総浚えして帰りの切符を買ってしまったため、最低投票金額が百円になってしまった。よっ、お大尽!と誰も言ってくれないので自分で声をかける。寂しい老後ではある。
 全体の四分の三くらいのところで体調が悪化して帰ってしまったので、結果は不明。10/23 にメールで問い合わせるものの、10/25 時点で未だ返答なし。
 金で順位をつけることにいちゃもんをつける人は大勢いるだろう。そういう人たちに負けずに続けてもらいたい。この国の、才能や文化に金を出さないという伝統をすこしづつでも変えていかなくちゃ。


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 10月15日

 高田馬場、ベンズカフェ。
 東京のオープン・マイク(注2)の老舗だそうで、ポエトリー・リーディング(注1)のイベントに行くようになってから名前だけは聞いていたが、今回が初見参。
 これまでに行ったポエトリー・リーディングのイベントは、すべて開演予定時刻を30分以上過ぎてからはじまっていたので、オレもそれに合わせることにして、予定時刻の20分過ぎに到着。郷に入れば、郷に従え。ローマに行ったら、ローマ人の如くせよ。右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しながら手近な鈍器を探せ。
 で、着いたら、もうはじまってやんの。首尾一貫しねえ奴らだ、と思ったらオレのすぐ前に着いていたのは、マサ・ホシノ・ハル氏。すこし経ってから来たのは、鎌田幸樹君。変わらぬ瓦、三州瓦(注4)
 店内は満員、テラスから覗き見る格好。弱い雨。前夜の渋谷には、GWのマルチウェザー・ジャケットとゴア・パンツという防水仕様で行ったくせに、この夜は、普通のライディング・ジャケットにGパンという服装。当然、舞い込む雨に濡れる。アホよのう。

 で、内容だが、寒かった。だって、ウィスキーを頼んだら、ないって言うんだもん。スコットランドが生んだ最大の詩人ロバート・バーンズが聞いたら泣くぞ。ハイランドの魂を返せ。

 印象に残ったのは、青木研治君。以前、彼を見た上野のイベントでは、「ラジオ体操」をバックに詩を読んで「やるなあ」と思っていたのだが、「あん時は、第二でやりましたが、こんどは第一で作ったので」だって。ああいうのって、一発勝負だろう。せめて「どんぐりころころ」にすべきではあるまいか。
 終了後、さいとういんこさんがオレの目の前で青木研治君にお説教。「旅をせよ」。「本を読め」。良い機会だったので、オレも拝聴する。みんな、同じことを言うけど、そいつは要するに、真理ってそんなにたくさんないって事なんだよな。


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 10月14日

 渋谷7thフロア。
 なにやら企画のイベントだそうで、三組が登場。「廣崎重雄」、「さいとういんこ」、「オグラ」。
 「廣崎重雄」は、はじめてお目にかかる。ミュージシャンらしい。バックのキー・ボードが心地よく、10分ほど眠る。おかげで、不調の予感が出はじめていた左耳が復活する。さんきゅー、キーボーディスト。
 「さいとういんこ」は、はじめて…なわけがない。30分くらい読む、ということだったので楽しみにしていた。
 ここで楽しみというのは、ミーハーと野次馬根性が半々。
 ポエトリー・リーディング(注1)で30分というのは、場の雰囲気やこちらのコンディションにも左右されるけど、パフォーマーの力量によっては拷問と同義語だ。ひとり芝居のようにストーリーという後ろ盾があるわけではない。舞台装置や照明、音響効果に手助けさせるつもりもなさそうだ。彼女のスタイルからいって、絶叫と囁きを交互に使うような、一見、過激なようでいて実は中身の乏しいやり方もしないだろう。それで30分やるというのだから、これは楽しみにしないわけにはいかない。どうするつもりなのか。30分。長いぞー、一時間の半分だ。

 小さなラジカセを、置き台替わりのギター・アンプの上に。二本用意したヴォーカルマイクの一本をラジカセのスピーカーに向ける。エリック・クラプトンが小さなミュージックマン・アンプを愛用している図を思い出す。あれそっくり。そのラジカセからバックトラックを流す。
 抑えたラッパがリズムトラックの上でうねる。オレにとっては、音楽よりも音自体がショックだ。

 むかしむかしの話だが、オレは、小劇場演劇で音響効果や演出をしたことがある。アマチュアのくせにイキがって、音のクォリティを上げるためならなんでもやったものだ。一度なんか、高円寺にある明石スタジオというぎちぎちに詰め込んでも120人が限界の劇場で、P.A.レンタル屋からYAMAHAの「アンプ内臓式38pウーファー+ホーン・トゥイーター」型スピーカー(小さなライヴ・ハウスなら、これ1セットだけでロック・バンドのライヴができる)を借りてきたことすらある。その後、常に最高レベルの音を、と考えて、自分でSONYのP.A.用スピーカーを買ってしまった。
 音源にもこだわりはあった。最後のほうでは、操作性と編集の容易さに負けてMDを使うようになったが、それまではオープンリール・デッキ一本だった。より広いダイナミックレンジを求めて、dbxというエクィップメントを使ったこともある。「嘘をつくんだから、より本当らしく」が当時のオレのモットーだった。他人の芝居を見に行って、BOSEのスピーカーなんぞを使っていようものなら、
「この音屋(注3)、カスだな」
と決めつけた。まあ、本当にダメなのばっかりだったけど。

 ところが、このラジカセのショボい音は、さいとういんこのリーディングと絡んで、うねっていくのだ。おまけにこのラジカセの操作が凄い。
 普通だったら、なにかで音が不要な時はフェード・アウトするとかPAUSEボタンで止めるとか、とにかく余分なノイズが出ないようにするのが当たり前だろう。なんだったら、おとなの常識といってもいいだろう。
 ところが、やってくれるのだ。問答無用と。ばっきんと。セコいラジカセのピアノキー・スイッチで止めてしまうのだ。で、また音が欲しくなったらフェード・インもクソもない。止めたところからビヨっと再始動する。オレは、普段よりももうすこし馬鹿みたいにぽかんとしているしかなかった。
 30分間は、うたかただった。
 まだ、考えなきゃな。

 オグラは、たいした奴だ。こういう奴が、へらへらと街をうろついている東京というところがたいしたところだと思えてくるくらいの奴だ。
 彼を見るのは、これが三度目。二度目のときは、場所に負けていると思ったが、それがどうした。これでいいじゃないか。たとえ奴だけでも、二千円、元をとったどころじゃない夜だった。
 それはそうと、こういうライヴ・ハウス系の店で出す酒は、どうしてああ甘ったるくてまずい酒ばっかりなんだろう。ウイスキーを頼むと、必ずバーボンを出そうとするし。おとななんだぞ、こっちは。


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 10月 8日

 2本立て、特別興行:Part 1
 再び、「国際協力フェスティバル」 at 日比谷公園。
 今日こそはシシカバブを GET! の筈だったが、うっかりして飯喰って出ちゃった。帰ってきて、今ごろ腹が減って来てンの。
 えっとねー、世界は広いんだよ。そんでねー、うまく行ってるところは少ないんだよ。だからねー、あっちを助けよう、こっちを支えようとごちゃごちゃになっちゃうんだよ。
 テント村を歩いていくと、あっちも大変、こっちも苦しい、で、オレの頭の中はぐちゃぐちゃになっちゃった。「北の繁栄は、南の貧困が支えている」、「不平等が世界を回す」…。で、仕方がないからなにも見ず、なにも聞かずににただ一周した。
 二周目になって、ああ、これは文化祭なんだ、できるだけ楽しく受け止めればいいんだ、と思えてきた。とはいえ、やっぱあるんだよなー、飢餓とか戦争とか疫病とか紛争とか…。避けちゃうもんな、やばそうな所は。東チモールとか、ソマリアとか…あれっ、なかったぞ、ソマリアとクルド。「国境なき医師団」のテントにはあったかもしんないけど、独立した支援団体のテントはなかったな。それだけたいへんなんだろうな…。
 ボランティアの「イケてないお姉ちゃんたち」は、みんなにこにこしている。そうだよな、深刻ぶって解決できるんだったら、とっくに片付いてる話だもんな。
 あっちこっちのテントに首を突っ込んで、いろいろやらせてもらったり、買ってみたり。
 きのう、6時半にテントが閉まっていたのは、当たり前の話でした。テントの中には照明がありません。暗くなったらお終い! 都会のペースで考えちゃいけませんね。この日本だって、古仁屋だったら7時には商業はお終いなんだよ。

 2本立て、特別興行:Part 2
本当は、明石隼太 LIVE in 吉祥寺東風を含めて豪華三本立てのつもりだったのだが、日比谷公園から帰って、うたた寝してたら、21:00。あわてて吉祥寺に向かうが、すでに後の祭り。再度帰宅して、仕切りなおし。
えみコバーン LIVE at 新宿LOFT!
 オールナイトライヴで AM 3:00 から出演とのことだったが、終電で新宿に向かっても AM1:00 に LOFT に着いてしまう。歌舞伎町でひとりで入って楽しいところはフーゾク以外にあるわけなくて、暇つぶし用の煙草とライターを買って LOFT に入る。えみコバーンの前の出演者が演奏してる間は、ジン・トニックを舐めながらひたすら待つ。ちょっと面白い演奏をするバンドもあったけど、すまんのう、オジさんはえみコバーンに集中したいんじゃ。
 日比谷公園で買ってきた「タイの赤カレーの素」をえみコバーンに、「ネパールのアロマキャンドル」をさいとういんこさんにあげる。ハギー・イルファーンさんがいれば、「インドの石を彫って作ったゾウ」を子供の誕生日プレゼントに渡すつもりだったが、本日は現われず。
 で、えみコバーン。
 いきなり改行してしまったが、オレは、えみコバーンはバンドのほうがいい。アコギのソロでは、ヒリヒリしたものがダイレクトにやってきて痛すぎる。眉間に縦皺ができちゃわないかと余計なお世話を焼きたくなる。
 年内いっぱいは忙しく活動してくれそうだから、また行こう。
 えみコバーン、スタンダードを歌わないかな。ちと聴いてみたい。


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 10月 7日

 日比谷公園で「国際協力フェスティバル」。
 「今日、なにかイベントあったよなー」と、メールマガジン(Afirica on line)をチェックすると、ありました、ありました。「国際協力フェスティバル」 at 日比谷公園。LIVEは17:00から。時計を見ると、17:45。別にいいんだ、LIVEなんて。アジア・アフリカ関係の雑貨屋をひやかして、シシカバブでも食べられりゃ、充分だもんね。いざ、チャリで駅へ。
 18:20頃、到着。ありゃりゃ、なんだかPTAの役員みたいなのが入り口のテントでふんぞり返ってるぞ。まさかこれって、「国際協力事業団」あたりが主催してるイベントかぁ? LIVEに出てる唯一の日本人は白井貴子だし(うたは好きです)。「良い子は6時には帰りましょう」とばかりにテントはすべて閉じてるし。そのテントに掲げられてる看板がまた自治体や役所関連の名前ばっかり。
 しまったなあ、帰ろうか、と思ってステージ(噴水池のほとりの小音楽堂)を見ると、どうやらセットチェンジ中。
 お役所イベント御用達風の司会者が現われて、「それでは、本日最後のライブです。ママ・ドゥさんです、どうぞ、盛大な拍手で…」。回れ右をしかけたオレに聴こえてきたのは、アフリカングルーヴ。3曲、約25分。アフリカンだねい。ヴォーカルのママ・ドゥさん、ジェンベのラティール(て聞こえたような)さん、ダンサーの二人以外は、日本人のバンドだったから、文句をつける半可通はきっといるだろうけど、オレにはとてもいいグルーヴだった。
 最後には、「前に来て、踊って」で、ボランティア命風のイケてないお姉ちゃんたちが中心のカルナバル。

 オリンピックを見てて思ったんだけど、高橋尚子も、水泳のメダリストたちも、柔道も、ソフトボールも、みんなイケてないお姉ちゃんたちだったんだよな。男は、イケてない自分を恥じるかのようにイケてる風を装うのに、彼女たちのイケてなさはむしろそれを誇りとしているかのようだ。
 最後に天下を取るのは、イケてないお姉ちゃんか。あれ? 椎名林檎って、そういうことか? CD買って、半年近くなるのに、まだ聴いてないんだよ、ハハハ。
 男にもいたよ、イケてないキング。相撲で言えば東の横綱。楢崎正剛(名古屋グランパス)。西は、服部年宏(ジュビロ磐田)。オリンピックは、肉離れで出れなかったし。髪を染めたら、かえってイケてないのが目立つようになっちゃった。オレ? オレは別格だよ。相撲で言えば、理事長だわな。


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 10月 3日

 青山オージャスラウンジにて、ポエトリー・リーディング(注1)のオープンマイク(注2)イベント。
 オージャスラウンジは、まあ、クラブ? そんなとこ。へー、このオレがクラブねぇ。
 8:30開始という触れ込みだったが、9:00を回っても始まる様子なし。ネクタイ姿はオレとあとひとりだけ。「ねぇねぇ、あん時のあのお友達ってカタギ? カタギじゃないよねー」。なんつー会話が渦巻いている。肩身が狭い? アホぬかせ。じじぃの強みはツラの皮の厚さじゃ。
 はじまると、さすがはオープンマイク。玉石混交。前半戦のハイライトはえみコバーン。声の何処かにマジックがある。当人、意識してるのか。意識してても操れないのか。意識して操りだしたら、ひょっとしたら人工衛星軌道に乗れるかもしれない。あとは制御装置の問題か。
 後半戦は、西川眞二&ハギー・イルファーン。ぶっつけ本番というが、すっげえ、って感じ。
 残念だったのは、ボスニアの思い出を読んだ女性。美術学校の先生が階段を上がっていったあたりで終わってりゃあ、最大公約数を取れてたろうにな。
 しかし、チビチビとポエトリーリーディングを見るようになってから半年ほど経つが、もちっと人数が増えないことには、地衣類というか蘚苔類というか、世間の片隅の地べたに近いところから抜けられねーど。現代詩とラブラブとパフォーマンスとやつあたりがマイク一本で同居しているのは牧歌的と言えるんだけど、あんまし幕の内弁当でもなー。興味ない奴が出てるときには、酒を飲みながらムダ話ってのが当然らしいが、ソッポ向かれる側もそれに慣れてンのかな。
 こっち向けこのヤロー、ちゃんと聴けぇっていうテンションがある奴って面白いし、そうじゃない奴は過激なことやっててもつまんないもんな。そーか、おれがなんきんのパフォーマンス好きなのはそれでか。


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(注1)直訳すれば、詩の朗読。しかし、かなり広範囲なパフォーマンスを含む意味で使われることが多い。オレは、この言葉には違和感を感じるんだけどな。和製英語でもいいから、なにか目新しいネーミングをできれば、世間への浸透度も上がるんじゃね−か。

(注2)誰でもパフォーマンスできますよという前提だっちゅうこと。

(注3)音響効果担当者のこと。ちなみに照明担当者は、「明かり屋」と呼ばれるが、大道具、小道具の担当者が「道具屋」と呼ばれているのは見たことがない。より近代的なものほど差別される世界なのだろうか。

(注4)愛知県を中心にして放送している且O州瓦のCM。たしか、植木等と谷啓とハナ肇が出ていた。もうやってないのかな。

(注5)適当な部分だけ抜き出して練習すること。風俗嬢の練習ではない。

(注6)注意点、修正点などを演出家が出演者に対して注文をつけること。いちゃもん出しと言う人もいる(←オレだけか)。


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