薬理学電子教科書作成について (医療とコンピュータ, 11(6), 10-13, 2000)

1、電子教科書を作るきっかけ
阪大医学部に赴任してちょうど10年になるので、薬理学電子教科書を作成しようと考えた。薬理学の教科書は、最近、多く出版されており、私も「医科薬理学」(栗山欣弥ら編、南山堂)の一部を担当している。いまさら、新しい教科書を作ってみても仕方がない。学問の進歩が速いので、教科書といえども、内容がすぐに古くなる。さらに、生理学、解剖学、遺伝学などでは、すでに電子教科書が作成され、Web上で公開されているが、薬理学の電子教科書が見あたらないことも作成意欲を駆り立てた。これまで私が、コンピュータを使用して得た知識を電子教科書作成のためにつぎ込んで見ようと考えた。これまでフリーソフトを作成して感じたことは、まずアイディアで、どんな操作をさせるか、どんなコンテンツにするかを明確にすると、プログラミングの方針が決まる。しかし、悲しいことに素人にはなかなか思い通りのプログラミングができず、妥協をさせられる。同じことが、薬理学電子教科書を作る際に起こっている。例えば、3Dの図を描いたときに、プロのようにはなかなかきれいな図が描けないなどがその例である。

2、コンテンツをどうするか
Web上で公開されている電子教科書をざっと眺めてみたが、先駆的な諏訪邦夫氏による麻酔学や、竹内昭博氏による生理学の教科書は、1996年ころのインターネットが開始されて間もない頃に作成されたもので、文字表示を主体にしたものである。これはインターネットのスピードが遅かったことや、コンピュータのメモリーが小さかったからであろう。解剖学、組織学や病理学などで、顕微鏡写真や、紙に描かれた図をスキャナーで取り込んだものは、画像の鮮明さに欠けるものが多い。薬理学電子教科書には、薬物の化学構造式を載せる必要があるが、平面的な構造式だけではつまらない。近年、多くの蛋白質や小分子の3次元構造の解析が進み、Web上でデータベースとして公開されている。また、これらを3Dで表示し、かつマウスで動かせるソフト(Ramónなど)やプラグイン(Chime)が作られている。幸い、東京薬科大学の土橋朗先生の作成された3D表示の医薬品の化学構造式が公開されており、しかも、これをマウスで動かすことができる(「3次元医薬品構造データベース」(3DPSD, http://www.ps.toyaku.ac.jp/dobashi/)。これこそ、電子教科書にふさわしいものであると考え、掲載許可をお願いした。土橋先生もご自身の作成された医薬品の化学構造式を薬理学の電子教科書に取り入れてくれる人はいないかと考えておられたようである。薬理学電子教科書では、3Dと2Dの化学構造を横に並べるやり方を採用した。マウスで動かすことで、2D構造式と比較することができる楽しみがある。カラープリンターは今後大きく普及することが考えられるので、白黒プリンターの利用は最初から考えなかった。もう一つ大切なことは、薬理学電子教科書が、いわゆる「薬の本」として一般の人が利用しないようにする必要があると考えた。この教科書は、薬の効能書きではないのである。
まず、私が医学部の学生に講義をしている範囲の項目から取りかかった。しかも、薬理学の試験が2000年2月に行われるので、これに間に合わせるために、1999年の秋から作成にかかり、2000年1月1日に上巻をWeb上で公開し、学生にも通知した。下巻は4月1日に公開した。最近の多くの学生は、自身のコンピュータを持っているし、大学にも情報端末とプリンターが入っているので、学生は薬理学電子教科書を利用したと考えられるが、試験成績は、例年と変わりなかった。試験勉強は、学生の側にあり、教師の努力とは無関係であると改めて認識した。

3、薬理学電子教科書作成の原則
教科書を作成する上で考えたことは、以下の5点である。
1)教科書を作る上で一番問題になるのは図や表の著作権問題であるので、できるだけ自分でオリジナルな図や表を作ることにした。各種の教科書や、原著論文や総説を参考にして、自分でまとめの図や解説を描き、それを、3Dソフトで描くことにした。教科書では、ほとんど3D画像は使用されていないので、3Dの図を自分で作れば、著作権問題はほとんど解決できるし、3D画像では細かい図を描くのが困難であるので、図が単純化され、理解しやすくなる利点がある。
2)薬理学の教科書を、一般の人を対象とした「薬の本」にしないために、商品名は使わず、しかも薬物名をすべて英語で記述する事にした。最近の学生は薬物の名前をカタカナで覚えるので、学生には不親切であるが仕方がないと考えている。薬理学では、薬物の作用、副作用や薬の特徴を、論理的に教えることを目指しているので、医薬品の添付書類のように、副作用をすべて網羅することはできない。
3)Webでの特徴を出すために、図をできるだけ3D表示にし、将来はアニメーションも載せる。3D画像作成ソフトとしてShade3Rを用いた。これは、最初は取っつきにくいが、慣れてくると3D画像の簡単なものは容易に作成できる。これをドロー系に移し、文字や矢印を記入し、最終画像として、GIF形式にした。スキャナーによる取り込みは、文字や線が鮮明に出ないこと、著作権の問題が生じる可能性があるので使用しないことにした。文字による記述は、できるだけ表として載せることにした。これは文章を配置するのが容易であるからである。Excelで原稿を作りこれを張り付けた。また、ブラウザ上では、リンクを張るのが容易であるので、薬物名や専門用語から、煩わしくない程度にリンクを張ることにした。
4)最新の知見や古典的な実験を必ず一つは入れる。教科書に普通記載されない、古典的な実験例や最新の論文からのデータを、一つの項目について1つは入れたいと考えた。最新の知見はすぐに更新できるので、これが電子教科書の最大の利点となり、努力次第でいつも新鮮さを保つことができる。
5)インターネットのスピードはだんだん速くなるので、画像のサイズは気にしないで載せる。また、コンテンツの表示法も次第に進歩していくので、これらを積極的に取り入れる。現在の電話線によるインターネット回線のスピードやコンピュータの速さにあわせて電子教科書を作成すると、かなりの制限を受けるので、画像の大きさは気にしないで載せることにした。今後、思いもよらない新しいコンテンツ表示法や操作法が出てくる可能性があり楽しみである。

4、実際の作成と工夫
使用するホームページの作成ソフトにより、電子教科書の見た目が大きく左右される。ホームページ作成には、MacとWindowsの共用ソフトを用いたので能率が上がった。また、教室にサーバーがあることも作成を容易にした。

1)ホームページ作成ソフト
クラリスホームページ(MacとWindows共用)を用いて作成したが、最近は、IBMホームページビルダーを用いて修正している。このソフトの方がいろいろと小細工ができる。Mac用のホームページビルダーの発売を望みたい。表の作成はExcel(MacとWindows共用)で行い、これをペーストする方式を用いた。
2)3D画像ソフト
ShadeR3(Mac用)とmyShade2(Windows用)を使用した。大部分はShadeR3で作成した。練習によりだんだん上手になるので、電子教科書の最初の頃の図と最近の図の出来上がりが違ってくる。これも素人の悲しさである。
3)画像処理ソフト
クラリスインパクト(MacとWindows共用)、Photoshop(Mac用)、GraphicConverter(Mac用)、PaintShopPro(Windows用)を用いた。ホームページの画像は、GIFかJPG形式に限られているので、画像変換のできるソフトは必須である。また、ドロー系ソフトは、画像に文字や矢印を入れるのに必要なものである。私は、大学ではMacを、自宅ではWindowsを使っているので、共用ソフトは大変ありがたいものである。また、保存用メディアとしてMacとWindowsの両方で読み込みのできるCD-Rを使用した。
4)化学構造描写ソフト
化学構造式をスキャナーで取り込むと、文字や線が不鮮明になるので、化学構造式はすべて自分で描くことにした。ソフトは、ChemWeb (MacとWindow共用)を用いた。使いやすいソフトであり、無料でWebから入手できる。すべてGIFに変換して掲載した。
5)ブラウザ
インターネットエクスプローラ(IE)を使用した。ネットスケープは、機能上の問題があるので、はじめから考慮に入れなかった。

5、将来の計画と改良
第一薬理のホームページには、Shade3で作成した捕虫するカエルのアニメーションや、JAVAを用いて文字を動かすなどを試みているが、薬理学電子教科書にどのようにアニメーションを取り入れるかについて私自身の考えがない。生理学の電子教科書には心電図アニメーションなどが見られる。将来、ある薬物を、ある量で生体に投与したときの薬理作用や副作用がアニメーションとして表示することができればすばらしいと思う。また、総索引をどのように作成すかも思案中である。最後に、電子教科書のメリットは、ITの進歩による最新の技術やソフトを利用できること、内容を常に更新することができることであると考えている。

(2000/4/3)