2001年2月10日〜12日 厳冬の東北地方
旅行第1日目 千葉→青森
生まれて初めて、泊りがけで出かけることになった。生まれも育ちも千葉県の私は、今までは日帰り旅行しか出来ず、関東地方にしか出かけられなかった。だが今回は、2泊3日で東北地方を周る。
旅行には「ゴーゴー3DAYSきっぷ」を使用する。中・高校生は12,000円だ。これはJR東日本全線の新幹線を含む特急列車の指定席特急券が利用し放題の企画乗車券である。
2月10日、早暁4時20分ごろ、私はJR千葉駅前を1人で歩いていた。さすがに風が冷たい。千葉発4時45分発の横須賀行き快速電車を利用しようと考えていたが、慮外に早く着いたので、4時30分発の黄色い電車の201系、緩行に乗る。さすがに乗客はまばらである。市川で快速に乗り換えたが、乗客で埋まっており、立って東京へ向かう。
東京5時23分着。東北・秋田新幹線に乗る予定だが、指定席券が取れなかったので、自由席に座るべく、小走りで東北・上越新幹線ホームの改札口へ。しかし改札口では大勢の人が列を作り、前が見られない。とりあえず並ぶ。
東京6時00分発、E3系の東北・秋田新幹線「こまち65号」秋田行きは定刻通り発車する。初めての東北新幹線である。途中停車駅は大宮、仙台、盛岡、田沢湖、角館、大曲である。大宮を出ると、立つ客も出始める。そして、郡山を通過すると、外は吹雪き始める。些か不安である。盛岡でやまびこ65号から切り離され、単独で田沢湖線に入る。外は一面銀世界である。千葉ではこんな光景はまず見られぬ。
田沢湖8時59分着。うっすらと雪の積もったホームに降り立つ。東北地方で初めて下車する駅、田沢湖。改札を通り、羽後交通バスに乗り換え、田沢湖を目指す。しかし雪国を知らない私にとって実に過酷であった。ここでとんでもないことになってしまうとは・・・。バスに乗車後、すぐに発車となる。このバスを田沢湖湖畔行きのバスと勘違いしていた私はとりあえず終点まで乗っていれば良いと思っていたが、運賃表を見て、田沢湖畔を通過してしまっていることが判明する。慌ててブザーを押し、降車しようとするが、ブザーを押してからしばらく走行した後に訳の分からない停留所に停車し、ようやく外に出られる。そこから田沢湖畔までは1.5kmほどあり、しかも止んでいた雪がちらちらと舞ってくる。雪の積もった道を走って田沢湖畔まで戻ろうとする。道の両端は積雪が80cmほどである。車も冷淡に過ぎていく。ようやく田沢湖畔に着く。これからたつこ像などを見ようとしていたが、行く気がうせ、田沢湖駅に戻ろうと決意する。田沢湖畔は閑散としていて、人の影は見当たらない。レストランと土産物店は営業している。田沢湖に近づこうと階段を下りるが滑り降りる。そして再び羽後交通バスで田沢湖駅に戻ってくる。
田沢湖11時31分発、秋田新幹線「こまち12号」東京行きに乗車する。こまち12号は3分の延着である。私の指定席は13号車5番B席だったのだが、すでにそこにはおばさんが座っている。こちらの指定席券を見せると慌てて去っていく。のうのうと座っていられる神経を疑わざるを得ない。
盛岡12時08分の到着が遅れの分だけずれ込む。盛岡駅で駅弁「三陸かしわ弁当」を購い、12時41分発、東北本線特急「はつかり9号」青森行きに乗車する。指定席を取ることが出来なかったので自由席に座る。各車両の乗車口には数十人の列がある。
定刻通り盛岡を後にする。途中停車駅は、一戸、二戸、三戸、八戸、三沢、野辺地、浅虫温泉である。朝早く起きた為、寝入ってしまう。八戸13時52分着。
跨線橋を渡り、八戸線に乗り換える。八戸14時07分着。
八戸14時07発、鮫行きのディーゼルカーに乗る。車内には地元の学生らが乗っていて東北訛りの会話が聞こえてくる。ディーゼルカーはディーゼルエンジンを唸らせながらゆっくり加速し、東北本線と分岐する。途中の本八戸は街の中心部らしく、比較的開けた街並みである。終点鮫14時33分着。
鮫には観光で来たわけではないので駅舎を撮影し、ストーブの前で温まりながら下り列車を待つ。
折り返し鮫14時51分発、八戸行きに乗車する。
八戸15時38分発、東北本線普通青森行きに乗車する。電車はロングシートの701系である。私はこの701系が好きではないので、些か憂うつである。外は吹雪いている。また寝入ってしまう。気がついたら野辺地の1駅手前の千曳である。
野辺地16時27分着。冷たい風が顔にあたる。跨線橋を渡り、駅舎に入る。狭い駅舎に人がたくさんいる。ここから大湊線に乗りたいのだが、駅員が、「大湊線16時50分発大湊行きは強風の為10分ほど遅れております」と言う看板を立てた。とうとう旅程が狂い始めてきた。実際に列車は17時を越えて入線し、列車に人が群がる。結局立たざるを得なくなる。ディーゼルカーはゆっくりと加速していく。大体の人は私と目的は同じであろう。車内で知り合った鉄道ファンの方は、神奈川県の人で、HOゲージャーだと言う。
下北17時47分の到着であるが、大幅に遅れて到着する。駅周辺には見たことのないくらい、雪が積もっている。隣には下北交通のディーゼルカーが停車している。キハ85系である。周りにはカメラを持った鉄道マニアがいる。大湊線内で知り合ったその鉄道ファンも、無論、下北交通のディーゼルカーに乗り込む。
本来、終点の大湊まで行こうと思っていたが、終点まで言っても仕方なさそうなので、田名部でその鉄道ファンと下車することにする。その鉄道ファンは、駅に張られた「下北交通未来ライン」と書かれた看板と共に撮られたディーゼルカーの写真を見て、「未来がないから廃止されるのではないか」と言う。まさに至言である。田名部駅舎を撮り、窓口で記念の乗車券類を買おうとした。その駅員が、いままでで一番対応の悪い駅員であった。私は記念は1,000円の記念乗車券を買おうとしたのだが、「もうしまっちまったよ!」とけんか腰で言われ、さらに、請求されたのは500円。不思議に思って「1,000円じゃないんですか?」と聞いてもだめなので、そのまま500円を出したら、違うものが出てきた。とんでもない駅員である。私は旅先でこのような思い出を作りたくはないのだ。なぜ、こういう駅員と遭遇してしまうのだろう。そもそも今日1日、あまりいい日ではない。折り返し下北行きのディーゼルカーに乗って、再び下北駅に戻って来た。下北駅舎でしばらく暖を取り、大湊線の野辺地行き最終列車に乗る。今度は座ることが出来る。運転手がアナウンスで、「特急『はつかり21号』に乗車されるお客様はお申し出下さい。」と言う。
終点野辺地着が大幅に遅れる。走って跨線橋を渡り、はつかり21号青森行きの指定席5号車に飛び乗る。車内でカロリーメイトを食べ、これを夕食とす。途中停車駅は小湊、浅虫温泉である。
終点青森21時15分着の予定が大幅にずれ込んでしまう。青森駅のホームは雪で覆われている。構内で撮影をして、駅舎を後にする。遠くから見ると、そんなに大きな駅舎ではないように思える。雪が積もっており、さらに降っているので、非常に歩きずらい。もう22時近い。今晩は、ビジネスホテル「ハイパーホテル青森」に宿する。歩いて15分以上かかってしまった。もっと駅から近いところにすればよかった。
室内にはシングルベッドと鏡台がある。
翌日も5時30分より前に起床しなくてはならない。早く寝なくては・・・。
旅行第2日目 青森→岩館
翌2月11日、朝5時50分に起床し、ビジネスホテル「ハイパーホテル青森」を後にする。雪は止んでいる。
青森6時04分発、津軽線普通蟹田行きに乗車する。車両は485系特急形電車である。私の乗車した1号車には数人しか乗車していない。油川、津軽宮田、奥内・・・と乗客のいないような駅に停車する。中川でしばらく停車すると、車掌がアナウンスで言うので、ちょっと下車してみる。再び出発した後、睡魔に襲われ寝入る。目が覚めたら青森湾が見えてくる。
終点蟹田6時59分着。ここから三厩まで列車を乗り継ぐのだが、遅れているとのアナウンスだ。7時17分発の三厩行きのディーゼルカーは結局発車したのが7時30分頃だ。ディーゼルエンジンを唸らせ雪の大地を走る。次の中小国はJR北海道との境界駅である。日本一侘しい境界駅として知られている。周辺には数件の民家しかない。新中小国信号場で津軽海峡線と分岐し、次の津軽二股の隣にJR北海道の津軽海峡線の津軽今別がある。駅名は異なるが全く同一の場所にある。この駅はJR化後にできて、お互いに会社が違うのでこうなったのだ。国鉄時代に出来ていれば、異なる駅名にはならなかったろう。雑木林を走り抜け、ディーゼルカーはどんどん進むが、また寝入る。気づくと終点三厩で、すぐ折り返してしまうそうだ。
折り返し蟹田行きとなったが、地元の小学生が乗っており、津軽弁で会話している。やはり鉄道旅行の醍醐味である。ディーゼルカーが津軽二股駅付近で停車したので、車掌を呼び止め、「蟹田で『はつかり10号』に接続しますか?」と聞くと、「蟹田駅はすべてのホームがふさがっており、貨物列車の通過後にこの列車が入ります。お客様は青森まで行かれるのですね。でしたら後続の普通列車をご利用ください。」と返ってくる。これでは青森で市内観光が出来なさそうだ。
蟹田9時27分発、津軽線普通青森行きに乗車する。701系ロングシート車で落胆する。さてこれから青森に戻るのだが、朝食がまだだと言うことに気づく。
終点青森10時10分着。予定より約30分の延着である。相変わらずホームは雪に覆われている。ホームの立ち食いそばでそばをすする。本当は青森市内の青函連絡船「八甲田丸」を見ようと思っていたのだが、無理そうである。
青森10時49分発、奥羽本線特急「いなほ12号」新潟行きに乗車する。指定席2号車は意外と空いている。発車すると、軽快に「鉄道唱歌」のメロディーが流れてくる。途中停車駅は、弘前、大鰐温泉、大館、鷹巣、二ツ井、東能代、森岳、八郎潟、秋田、羽後本荘、仁賀保、象潟、遊佐、酒田、余目、鶴岡、あつみ温泉、府屋、村上、坂町、中条、新発田、豊栄である。しかし私は、次の停車駅の弘前までしか乗車しない。
弘前11時19分着。なんとホームには大きなりんごの置物がある。さすがは「りんごの故郷」。弘前駅の改札を出る。雪が舞っている。これから市内を観光しようと思うのだが。ここで親戚と中台中学校のK先生へのお土産を購う。年期が入った弘南バスに乗車し、日本キリスト教団弘前教会に行く。建物に惹かれてやってきたのだ。許可を得て、礼拝堂の中に入り、写真を撮らせてもらう。弘前教会は1875(明治8)年10月の創立で、礼拝堂は1906(明治39)年12月に立てられた。2つの棟がある洋風ゴシック様式の木造建築である。青森県の重要文化財(県重宝)に指定されている。
再び弘南バスに乗り、JR弘前駅に戻って来る。コンビニでおにぎりを買う。
弘前13時23分発、五能線直通深浦行きのディーゼルカーに乗る。4両編成だ。ディーゼルエンジンを唸らせ、ゆっくり加速する。弘前から1駅行くと撫牛子と言う駅名である。さて突然だが、この駅名なんと読むのだろうか? (正解はここをクリック) 難読駅名の1つである。さらに次の川部で進行方向が反対になり、五能線に入る。五能線は川部〜五所川原〜鯵ヶ沢〜深浦〜東能代間147.2kmを結ぶ地方交通線である。私の目の前に小さい子どもとその親と思われる人が座ってくる。その子どもはディーゼルエンジンに負けないくらいの大声でわめき、車内を徘徊する。旅情が台無しになるので、些か迷惑である。
鯵ヶ沢14時58分着。ここで後ろより2両を切り離す。・・・いつのまにか駅をとばしていた。と言うか、私が寝入ってしまい、駅に止まったのに気づかなかっただけだ。気づいたら驫木に止まる。さてこの駅名、なんと読むだろうか? (正解はここをクリック) これも難読駅名の1つである。海に沿って走る。
終点深浦15時53分着。隣のホームのディーゼルカーに乗り継ぐ。深浦から2駅行くと艫作である。しつこいようだがこの駅名、なんと読むのだろうか? (正解はここをクリック) これも難読駅名の1つである。
岩館16時54分着。雪の降り積もったホームに降り立つ。ラッチを出るが何もない。本日は岩館にある民宿に宿する。と言っても場所がわからないので、民宿に電話しようと公衆電話に近づく。公衆電話の周りも雪が深く、歩きにくい。数十分して、民宿の方が迎えにきてくれた。車で5分ほどのところ、岩館海岸の前に、その民宿「いがわ」さんはある。
海岸の前なので波の音がすごい。6畳間が2つあり、奥にはすでに布団が敷かれている。あたりは静寂に包まれている。出してくれたお茶をすすりながらくつろぐ。
18時30分頃に晩御飯が運ばれてくる。私にとってはかなりの量で、残してしまう。初めて口にする食べ物もある。風呂に入り、歯磨きを済ませ、明日に備えて22時前に就寝する。明日も6時に起床せねばならぬ。
旅行第3日目 岩館→成田
午前6時前に起床し、朝食を食べる。朝もまた静かで結構である。宿代を支払い、また民宿で岩館駅まで送ってもらう。民宿の方は車中で、「五能線は海岸沿いを走るのでよく止まってしまうのですよ」と言う。
岩館6時46分発、五能線東能代行きのディーゼルカーに乗る。
終点東能代7時34分着。ここから「白鳥号」に乗車し直江津まで行く予定だ。発車まで時間があるので、ラッチを出る。積雪量はそうでもないが、雪が舞っている。これからの旅程では、もう東北地方での途中下車駅はない。東北に別れを告げなければならぬ。惜別の情がこみ上げる。
東能代7時52分発、特急「白鳥号」大阪行きに乗車する。この旅行の目的に、この「白鳥号」に乗車することもある。「白鳥号」は青森〜秋田〜新潟〜富山〜金沢〜福井〜京都〜大阪間2府7県を走破する特急である。2001年3月3日のダイヤ改正で廃止されてしまった。私は東能代〜直江津間しか乗車できないが、1度でいいから全区間に通して乗車してみたかった。指定席増号車4番B席に腰をおろす。生憎、通路側である。後ろ、隣はどうやら鉄道ファンであるようだ。車内は若干の余裕がある。「白鳥号」は数十分の延発である。
「白鳥号」は軽快に走る。右手にきらきら光るものが見えてくる。「八郎潟だろうか?」ふと思う。列車は減速し、駅に停車する。なぜか秋田の4駅手前の大久保である。車掌がアナウンスで「秋田駅構内の転轍機(ポイント)が故障したため、駅構内に侵入できません」と言う。再び秋田の1駅手前の土崎でも臨時停車し、秋田に約60分遅れて到着する。秋田ではたくさんの人が乗り込んでくる。秋田で暫し停車するが、発車間際に車掌がアナウンスで「寝台特急『日本海3号』の通過後に転轍機故障が発生しました」との言う。「今日は成田に帰る日だぞ!」少なくとも直江津まで行ったら予定通り帰れないだろう。旅程の変更を余儀なくされる。
私は東三条まで行くことに決めた。「白鳥号」は、70分ほど遅れて、秋田を出発する。その後はスムーズに走る。いや、雪景色がまた奇麗だ。窓にふと目をやると、この「白鳥号」を撮影している鉄道マニアが目に入る。外の寒さは大体うかがい知れる。すごい根性だと思う。村上の手前のデッドセクション区間で一瞬室内灯が消え、直流区間に入る。
新潟駅での停車時間を利用し、大急ぎで駅弁「鮭めし」(920円)を購う。駅弁を食べながら、車窓を見ているうちに東三条に到着する。ここから弥彦線にでも乗ろうと思うのだが、発車まで50分もある。仕方なく駅前の長崎屋へ行く。数十分で引き返して来る。
東三条15時10分発、弥彦線普通吉田行きのワンマン電車に乗る。弥彦線は東三条〜燕〜吉田〜弥彦間17.4kmを結ぶ地方交通線である。私は久しぶりに乗務員室の窓にへばりついてみる。東三条を発車するとしばらく単線の高架を走る。燕三条付近で上越新幹線の高架が近づいてくる。
終点吉田15時28分着。ここは越後線との接続駅なので、意外と複雑なようだ。
さらに吉田15時35分発、弥彦線普通弥彦行きのワンマン電車に乗る。次の矢作でかなり乗客が下車する。矢作を出ると終点の弥彦だ。
終点弥彦15時44分着。雪の舞うホームに降り立つ。弥彦駅舎を撮影し、再び駅舎に戻る。
弥彦16時16分発、弥彦線普通吉田行きのワンマン電車に乗り、吉田に戻って来る。
吉田16時24分着。ラッチを出る。この旅行での最後の途中下車駅が吉田となる。
吉田16時47分発、白新・羽越本線直通越後線普通村上行きに乗車する。越後線は新潟〜巻〜吉田〜寺泊〜柏崎間83.8kmを結ぶ地方交通線である。吉田を後にすると、北吉田、岩室・・・。岩室、そうだ、西村京太郎(SF小説家として名高い?)のミステリー小説の舞台になったあの岩室だ。進行方向左側、つまり西側には奇麗な夕日が見える。実は越後線の新潟〜関屋間には今は無き新潟交通に乗るために、1999年3月25日に1度乗っている。新潟17時38分着の予定が3分遅れる。上越新幹線ホームへと向かう。
新潟18時18分発、上越新幹線「あさひ328」号東京行きに乗車するのだが、指定席が取れなかったので自由席車両に乗り込む。途中停車駅は燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢、大宮である。突然だが、みなさんは旅の終わりを寂しくは感じないだろうか?
・・・気がつくと、立っている乗客がいる。越後湯沢を出たようだ。浦佐に停車したのは覚えている。大宮に到着する手前で車掌がアナウンスで「東北新幹線が遅れて運行しております。影響で大宮〜東京間が大変混雑しております」と言う。最後の最後まで旅程が狂う。東京には20時19分着の予定が、20分遅れる。特急「すいごう号」に乗車できなくなる。
とりあえず東京21時01分発、総武線快速佐倉行きに乗車する。せめて最後くらい、リクライニングシートに座って帰りたかった。窮屈なセミクロスシートはうんざりである。
千葉21時19分着。終点の佐倉まで行ってもいいのだが。さらに千葉21時57分発、成田線直通の成田行きに乗車する。113系に乗れてホッと安心するのは気のせいだろうか?
終点成田22時30分着。見慣れた町並みである。当然と言えば当然である。千葉交通バスも最終が出てしまったので歩いて帰る。
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