評 論



ビッグバン宇宙論は疑わしい?   2000.11.03

 私にはどうしてもビッグバン宇宙論というものが信じられません(見たわけでもないのに)。そもそも数10年分の星の観測で150億年前の推測をするのは無理があるのではないでしょうか?それに宇宙年齢 150億年という数字は、宇宙の大きさやそこにある陽子,中性子,電子の数に比べて(人生100年から見ても)非常に小さい数字に感じられます(人生の約1億倍)。
 また地球が生まれて数10億年とも言われています。とすると太陽の年齢もこれに近いか、またはせいぜい数倍と考えられます。これを信用するとすれば、太陽年齢は宇宙年齢に近いものとなります。また一方では、恒星は誕生しまた消滅し、これを繰り返すとも言われています。そうであれば150億年の間に、太陽のようなものが生まれまた消滅する、という事を繰り返すような暇がないのではないでしょうか?しかしあまりこの事を言っても始まりません。
 具体的に質問します。ビッグバン当時の光を観測しているとありますが、光は宇宙の彼方へ発散するわけですから、その光はどこか適当な距離の所で反射して戻って来たのですか?それとも、はるか彼方へ行ってゆるくカーブして戻ってきた光を捕らえたのですか?
 (後で考え直した。ビッグバン当時の天体が宇宙のはるか彼方から光を放出していて、それを捕らえたという意味か?)

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 これは、半年ほど前に高エネルギー宇宙研究所(確か科学技術庁だったと思う)に出した、質問状です。お宅の研究は予算の無駄使いだから止めた方が良いという気持ちをこめて、メールしました。一応、回答は来ました。

 少し補足しておきます。高エネルギー宇宙研究所では、巨大加速装置を必要としています。サイクロトロンだの、線形加速機などと呼ばれるものです。これには莫大な予算が必要なのです。国家予算つまり国民の税金です。筑波のこの装置でニュートリノという素粒子を発生させ、神岡のスーパーカミオカンデという別の装置で、そのニュートリノを受け取るわけです。その結果の一つとして、宇宙の起源が分かるという彼らの主張です。
 しかし、これには予算がかかり過ぎるのです。しかもこの種の宇宙論というのは、時と共に変わります。つまり、こういう理論になると何が真か分からなくなるのが常です。だから、その予算を他の研究(例えば環境問題に関する基礎的な研究など)にまわせば、もっと有効な、現実に役に立つ成果がえられるはずです。



車社会に疑問   2000.12.24

地球温暖化問題を考える場合、自動車のことを考えないわけにはゆきません。
炭酸ガス排出量のかなりの部分は車の排気ガスによるものです。
(車の排気ガスが1番ではないそうですが、2番目ぐらいでしょう。)
一人で車を利用すると、一人あたりのエネルギー消費量、炭酸ガス排出量、
石油資源消費量、これらが多過ぎます。また大気汚染の問題もあります。
車は便利ですから、使用しないわけには行きませんが、なるべく使用を
控えてもらいたいものです。
日常的に車に乗っている人に対して申し上げたい。
(タクシーや業務用車両は除きます。つまりマイカー利用者に対してです。)
1.用事もないのに趣味で車を乗りまわすのはやめて下さい。
2.用事があっても1名での車利用はやめて下さい。
車は人一人が移動する手段としては、エネルギー消費量から言って、
ぜいたく過ぎます。ガソリン代払っているからという問題ではありません。

どの程度なら許せるか?
旅行など遠出のときは必ず2名以上で乗るように、
近くに用事の場合は公共交通機関を利用して、というところでしょう。
地方で公共交通機関が極端に不便な場合はやむを得ないでしょうが、
過度な自家用車利用の結果として、地方の交通機関が不便になったことも
忘れないでほしいものです。
ともかく1名で車に乗ることはエネルギーの無駄です。少なくとも高級車は
やめ、例えば軽トラぐらいにすべきです。
(軽トラは小規模農業などでよく使われているものですが、これは冗談。)
それから、車を走らせること自体が趣味、こういう事はやめてもらいたい。

少し話がずれるかもしれませんが、子連れでの外出はほとんど車で、という
人がいるかもしれませんが、これは明らかに子供にとって有害です。
幼児期から15歳ぐらいまで、車に乗せられ、何の苦労もなく、便利に便利に
どこへでも行ける、これが当たり前という感覚で育ったら、少し恐いと思い
ませんか?
それから、ちょっとした所へでもすぐに車という、車依存型の人は、足越の
弱い人が多いようです。(大きなお世話ですか。)



インターネットの罠   2001.1.10

インターネットやっていて、陥りやすい間違いがあります。
それは、あるホームページを見て、それを政府研究機関などが
発信したような、大変権威ある情報と思い込んでしまう、
可能性があるということです。
しかし、実際はそんなホームページ(以下HPと略す)は少ない
ものです。

個人のHPの顔つきに2種類あります。
1つは見ただけで、すぐに個人のHPと分かり、内容も個人の責任で
出していると、分かるものです。
もう1つは、企業や団体のHPに似せたもので、さも権威ありそうな
顔つきをしている、というものです。
普通の人は後者のHPに弱いのです。Internet Home Pageの内容を、
テレビ番組の内容と勘違いしてしまうのです。

テレビの教養番組や特集番組は(民放であっても)それなりに、
信憑性は高く、信頼できると考えられるでしょう。
しかし、インターネットの情報には、そんな信頼性はありません。
情報の信憑性については、見る人がその内容から、自分で判断する
必要があるのです。

個人のHPのうち、先にあげた前者のHPには、おおむね作者の
プロフィルがあるでしょう。
しかし、後者のHPにはだいたいプロフィルがありません。
つまり、作者プロフィルを隠すことに、ある種の作為があるのです。

さて、そのHP「インターネット中毒...」はどうでしょうか?
それは、皆さんが判断してください。
Asahi に紹介されたからといって、信用できるとは限りません。

以下は私の見解です。
実際に文章読んでみれば、いくぶん信憑性もあるかもしれません。
しかし、診断については、完全に「お遊び」と思いますね。



テクノロジー依存型?   2001.1.23

 自分のよく知らないこと、はじめて聞いたことで、なかなか人に意味を尋ね(たずね)られないような場合は、インターネットは大変便利です。gooやyahooなどの検索用ホームページで、その知りたい言葉を記入して検索すれば、だいたいは関連のホームページが見つかります。そういう意味ではインターネットは大変便利な一面もあります。(ホームページに記述されている内容は必ずしも真実とは限りませんから、見る方では注意が必要です。)
 しかし、必ず関連のページが見つかるとは限りません。見つからない場合もあります。流行りの話題や、ポピュラーな趣味に関係することだと、よく見つかりますが、少し学術的な、または専門的な内容で、しかも話題性の薄い内容になると、とたんに関連ホームページは出て来なくなります。出て来ても自分の求める内容とは異なったりします。たぶん、インターネットホームページにはかなりの偏り(かたより)があるのでしょう。やはりインターネットは万能ではありません。(例えば酸化トリウム含有ガラスを調べようとしても、あまり出て来ませんでした。)

 インターネットは各種の情報をたいへん手軽に仕入れることができますが、それは当然ながら見たり読んだり(聞いたり)する内容に過ぎません。見るものは写真であって実物ではありません。
 株価や外為相場、競馬情報、不動産情報に就職情報と、各種のリアルタイムな情報が居ながらにして求めることができます。しかし、手軽に簡単に手に入る情報、これらは果たして私たちの欲求を満たしてくれるでしょうか?

 また、インターネットを通じた、お喋りや各種の意見交換などが一部にはさかんに行われています。それはそれで当事者にとっては楽しいことでしょう。しかし、インターネット依存?という新たな問題も発生しました。

 お話は少しずれますが、(テレビニュースによると)近未来には次世代ケータイ電話というものが出てきて、もっと便利になるそうです。インターネットにアクセスしてなおかつ、画像も動画も見られ、窓口予約やキャッシングもできるようになるそうです。(テクノロジー的にはこれらはパソコンインターネットでほとんど出来ますから、ただ携帯電話の通信速度が飛躍的に上がるだけで、そんなに画期的なことではありません。)
 今でもケータイ依存症?みたいな人をよく見かけます。歩きながらあるいは電車の中で、右手にケータイを持ちズーっと眺めている人です。メールを見ているのでしょうか?または株価情報などを見ているのでしょうか?将来はケータイがないと生活できないようになるのでしょうか?

 自分もパソコンインターネットをやっていて、自己矛盾かもしれませんが、実はテクノロジー依存社会は嫌いです。できれば、もっと原始的な生き方に戻りたいと思うようになりました。(支離滅裂か)



ドキュメンタリー番組を見る場合   2001.1.28

テレビのドキュメンタリー番組を見る場合、それを100%信用することは危険です。どんなに良心的なディレクターが作ったものであっても、不党不偏ということはあり得ません。それがNHKスペシャルなどであっても同じです。最近のテレビの場合はある党派に偏ると言うより、視聴率を気にするため、より一般受けするように、味付けしている場合もあるように思います。

取材した内容の全ては事実であっても、それの構成によって印象はかなり変わります。ナレーションがある場合は、特に問題です。一般受けするように味付けしたナレーションかもしれません。
取材した多数のビデオ画像を元にして、番組を構成するのでしょうが、その構成の仕方によって、番組全体から受ける印象はかなり変わります。解説はできるだけ中立の立場に立ったつもりでも、事実の部分の組み合わせと順序だてによっても、受け取る印象を変えさせることはできます。
(何と言っても、事実を取捨選択して、放送しているわけですから。)

社会に告発しているつもりのドキュメンタリーであっても、製作者や放送局が告発するわけがなく、単に放送しているだけです。例えばある事実があって、それを大変だ大変だと言っていても、本当に大変かどうかは分からないのです。本当に大変かどうかは、見る人の判断です。その問題が大変だと思えば、(新聞や出版物やインターネットなどで)もっといろいろ調べて、周辺の事実も確かめる必要があります。また反対意見も聞く必要があります。

ドキュメンタリーに感動して、感化されて(洗脳されて)、それが世の中の真実だ、真理だ、自然の摂理だ、と考えることは、ある意味では危険なのです。放送局が作った番組や、世評や、根拠ない評判で、政策が(政権が)コロコロ変わっても困るでしょ。



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