入川より十文字峠

1992年5月 股の沢林道−十文字峠−白泰山

 何年ぶりかの本格的なテント山行であった。5月連休の新緑を求めての山旅のであっ た。以前は5月の連休といえば必ず雪山に行ったものだが、この時はそういう無機的な 山ではなく、輝く青葉と小川のせせらぎ、または小鳥のさえずり、そういう生命感あふ れるものを求めての山旅であった。
 コースは川又から股の沢を通って十文字峠、そこから甲武信ヶ岳に行き、それから先 は行ってから考えるという予定であった。しかし結果としては、甲武信ヶ岳には行けずに 十文字峠まで行って、それから先は白泰山経由で栃本へ戻ることとなった。途中で道草 して十文字峠に着いたのが3日目の昼をだいぶ過ぎてからであったから。またその時期 の甲武信を登るにはアイゼンが必要なのにその準備をしていなかったから、あっさりと コースを変更してしまった。もともと甲武信だけが目的というわけではなかったし、そ れに周辺のコースもある程度は調べてあったから。
 その時はこの時期の甲武信ヶ岳に雪が残っているとは考えていなかったのだが、これ はたぶん前年5月の富士北麓ハイキングの記憶が頭にあったせいだと思うが、全く認識 不足であった。しかし標高1,500メートルより下は新緑まっさかりで、白泰尾根も一度は 行ってみたいコースだったので、十分に楽しめる山旅であった。

5月1日
 初日は山麓の川又キャンプ場までだから、朝はゆっくりと10時半に家を出た。昼頃の 池袋発電車だから接続がわるく、お花畑の駅で1時間ほど待たされて、午後4時半ごろ ようやく川又のバス停についた。朝早いのは大変だし、電車も混むだろうからと思って ゆっくり出てきたのだが、移動時間がかかりすぎたので、これはよい選択ではなかった。  ここは10何年か前にも計画したことのあるコースである。しかしその時は秩父湖から 川又までのバスがなくて、徒歩3時間を敬遠したせいか、何となく立ち消えになってし まっていた。いま再びこのコースを選んだのは、比較的近くの山で新緑があって山深い ところ、という最近の自分の好みに合った山だからである。
 山登りはずいぶん久しぶりの事である。これまでは海で魚釣りのほうに興味があった から、山登りから遠ざかっていたのだが、釣りにも飽きてきて、何となく山登りを再開 してしまったという感じである。しかし渓流釣りならばまだ山登りと同じくらいに興味 があったが、釣りが主ではないという意識はあった。一日の行程が終わって、時間があ れば釣りもしてみたいという程度であった。
 再開した今の山登りは、以前のように山の頂上が一番の目的ではないのは確かだ。 山麓も含めて山道を歩くこと、しかも樹林帯の中や渓谷にそった道を歩くこと、それ自 体が目的である。そして写真を撮ることも。また道を急ぐ必要もないし、山菜を採った りして、道の途中も楽しむという、つまりきままな山旅である。
 夕方5時少し前に入川キャンプ場についた。キャンプ場の手前の川のそばでテントを 張っている二人組がいたが、キャンプ場にはほかの客はいなくて、管理人だけだった。 連休だから誰か来ると思っていたのだが、予想がはずれて全く誰も来なかった。
 すぐそばには入川の本流があり、釣りには絶好の場所のように見えたが、釣りはがま んした。

5月2日
 夜はあまりよく眠れなくて、朝は少し寝坊した。起きたのは7時ごろだったか、出発 は9時になってしまった。やや重い荷物を背負って歩くのは久しぶりのことだから、ほ とんど水平に近いゆるやかな登りでも続けて30分歩くのがやっとという有り様だった。 しかし、これから再び山登りをするんだという意気込みで、トレーニングのつもりで頑 張って歩いた。歩くのはしんどかったが、すがすがしい朝の渓谷美であった。途中で写 真を少し撮った。
 写真を撮ると時間がかかるので、ペースがみだれる。しかし写真を撮ることも目的の うちであるから、これはしかたがない。といっても本格的に山岳写真を撮ろうというほ どのことでもなかった。山行記録の一部という程度である。本格的に撮影しようとすれ ばもっと時間をかけたほうがよいのだが、それほどのゆとりはない。そう何度も来れな い山なのだから、やはり予定のコースをまわりたいという気持ちの方が強かった。別の 機会にゆっくりと撮影のための山歩きもしてみたいとは思うが、まだ行ってみたいとこ ろが何箇所もあると思っていた。

 以前は山岳写真の撮影をめざしたこともあった。何年か前のことであるが、予定の山 行を終えた後で、予備日程全てを撮影に費やしたことがあった。前から狙っていた撮影 ポジションに移動して、そこで一日ねばって写真を撮ったものだ。午後まで待たないと 撮れない写真であったから。しかし、今回はまだそんなレベルにまで戻っていなくて、 山へ行くのが精神的にも精一杯の状況であった。山行回数も不十分であった。

 地図を見た感じでは谷川にそって山道が続いているはずで、柳小屋には3時間ぐらい で着くものと思っていたが、予想外に時間がかかって着いたのは2時頃であった。途中 で道草をしていたせいもあるが、はじめに予想していたようなゆるい登りではなく、か なりアップダウンの激しい道で、それに地図に書かれているような谷に沿った素直な道 ではなく、谷に近づいたり離れたりする道だったから。
 考えてみれば谷沿いの山道はだいたいこんなものである。地形図に書かれた登山道は 正確な場合もあるが、人があまり行かない古い山道に関してはかなりいいかげんな場合 が多いものだ、と思い出した。
 時刻は少し早かったが、その日は柳小屋までとした。柳小屋には岩魚釣りの人が数人 泊っていた。

5月3日
 朝起きて魚釣りをしてしまったため、柳小屋を出発するのはまた9時になってしまった。 山登りの朝としては問題外に遅い時刻である。それから十文字峠へ向かったが、4時間 のつもりが、6時間近くかかってしまった。このときにはじめて自分の体力は昔とは違 うということが分かった。おまけに雪が残っているのは予想外だったから、当初予定の 甲武信ヶ岳はあきらめ、白泰山経由で栃本へ戻ることとした。アイゼンも持ってきてい なかったから、コースを変えるのはしかたなかった。
 しかしここまでの自分の体力を考えると、白泰山まででも自信がなくなってきた。そ れで明日は早立ちをして、1時間で行ける所まで行き、それでたいして歩けないような らまた十文字峠へ戻ろうと、悲壮な決意をしたのであった。

5月4日
 山なれてきたせいか、いや登りがほとんど無かったから、最初の1時間でほぼ予定の 地点(林道合流点)まで行けた。これで何とか白泰山まで行けそうだと思った。白泰山 から先は下り道だけだし、その日は山歩きに専念したので、順調に栃本に帰り着いた。 途中ののぞき岩からの景色もちゃんと見てきた。
 一人で山道を急ぐ場合は道を間違えないように注意しなければならない。それで何度 も地図を見て、地形と登山道を頭に入れ、それを確かめながら歩いた。尾根道では、登 りはあまり間違えないが、下りは間違えやすいのだ。そういうことは何度も経験したから。 グループで登山する場合は、道を間違えてもたいしたこともないが、一人ではやはり心 細いだろう。だから急ぎながらも間違えないように注意して歩いた。
 また十文字峠から栃本までは一人の登山者にも出会わなかったが、しじゅう遠くから 人の話し声が聞こえて来るようであった(特に赤沢山−白泰山の間では)。しかし、これ は山の本にも書かれてあったと記憶しているが、風が木枝を通りすぎるときに出る音で あろう。

 若い頃の感覚では何とも締まらない山行となろうが、新緑を求めての山行であったの だから、まあこんなものでしょう。それにしても残雪を予想していなかったというのは お粗末であった。その後は、5月連休の奥秩父山行には必ずアイゼンを持って行くよう にしている。

(完) 


最初に戻る