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023:2009/11/07(土) 22:27 (現代短歌) ニキ
 木下利玄、しばらく前に初めて知った名だが、明治生まれの歌人。活躍したのは大正期で、「心の花」と「白樺」によったらしい。「心の花」は一般には馴染み薄いと思うが短歌結社の一つだとか。
 どういうきっかけで知ったか覚えていないが、古い岩波文庫に「木下利玄全歌集」というものがあった。今日、神保町の古本屋でそれを買った。1977年第3刷とあったから、すごく古いのでもなかった。それでも旧字旧かな遣いだ。
 短歌自体もインターネットに少し出ていたから、おおよその傾向は分かっていた。作られたのは与謝野晶子や斉藤茂吉より少し後らしい。ただし左の二人は利玄より長生きしたからその後の作歌もある。
 斉藤茂吉から新しい短歌という事で賞賛されたらしい。その事はともかく自分としては、分かりやすい短歌と思って関心を持った。作られたのは大正期だが口語短歌だ。現代短歌の本も少し持っているが、今のところ木下利玄の短歌の方により多くの親しみを感じる。
 

022:2009/10/17(土) 12:34 (兼題「鹿」) ニキ
 俳句のテレビ番組で「鹿」を題にしてやっていたとき、司会者は身近な野生動物というような事を言っていた。それは奈良公園などの鹿を意識して言ったものと思うが、ボクの感覚はかなり違う。そもそも奈良公園の鹿は野生とは言えないと思うが、それはともかくボクの場合、鹿と言えば奥日光のシカを思い出してしまう。にっくきシカめ、という感覚だ。本来、シカに罪は無いはずだが。

 奥日光のシカは人に姿を見せる事は少ない。小田代付近で鳴き声はよく聞くが見た事はあまり無い。しかし、高原をめぐる循環バスの中からなら、ときどき見る。彼らは、バスから人が降りてくる事はほとんど無いことを知っているのだろう。こんな景色からシカを憎む理由は無いはずだが、山道を歩くと、とたんに草木の動物による食害が目に付く。木々の樹皮がかじられてていたり、ササの新芽がきれいに刈り揃えられていたり。草は根元から食べられるから、そこに在ったことも分からなくなっている。

 これはシカの食害だろう。現場を見たわけでないが、他にはちょっと考えられない。奥日光の野生動物としてサルも多いが、そうしたのはサルではないだろう。最近の、奥日光のサルは、いくらか距離があれば人の居る場所にもかなり現れる。あまり人を接近させる事はないが。シカは先に書いた通りだ。この違いは食べ物の違いからでなかろうか。つまりサルは人の食べ物も食べたがるが、シカは草や木の芽以外は食べないから。樹皮は、冬の食べ物の無い時期にだけ食べるものと思う。

 ともかく奥日光では、シカの食害によって野生植物が危機に瀕している。シラネアオイなどの草本は全滅に近い。さすがにトリカブトなどは影響少ないかもしれないが。大型草本は柵で仕切られた中でしか、生き延びられないように見える。森の樹木は、まわりを金網でおおって置かなきゃ、いつ枯らされるか分からない。樹は、根元のまわり全て樹皮がはがされると、枯れてしまう。シカを憎く思うのはこんな事からだ。結局、シカが増えすぎたからで、その原因は人が作ったものだろうけど。
 

021:2009/10/12(月) 11:42 (地図は) ニキ
 右から読んでも左から読んでも同じ地名として、都内に西葛西という所がある。千葉県には、市名にもそんなものがある。市川市と市原市だ。あまりたいした話題でなかったか。
 今日の午後、市川市へ行ってみようかと思った。真間の手児名伝説にちなんだ旧跡があるらしいので、目立たないものと思うが、それを見てみたい。
 真間という地名は古くからあるらしく、「更級日記」にも出ていたと思う。手児名伝説は上田秋成の「雨月物語」に少し記述があったし、また古今和歌集(あるいは万葉集だったか)に幾らか出ていたはずだ。手児奈あるいは手古奈とも書かれるらしい。

 市川市の真間や里見のあたりは何度か通った事はあるが、路地の込み入った所であまり何にも気付かなかった。里見には里見公園があり、花見でにぎわう。戦国時代の末期に、里見家の居城があった所として地元では有名だ。付近は主に市街化調整区域で、丘陵地でもあり、都心近くにしては森の深い所だ。
 里見家自体はその頃に途絶えたらしい。南総里見八犬伝は、里見家が再興したという虚構として書かれたらしい。場所も違う。
 しかし今日は、里見まで行かず真間付近にしよう。歴史ある地名と言っても、そこは単に住宅地だったと思う。神社仏閣は多かったかもしれないが。

 インターネット地図、どこのを見ても情報量が少ない。PCディスプレーにあまり細かい文字は出せないからやむを得ないだろうが、有名でない名所旧跡や神社仏閣を探そうとしても、ほとんど出ない。役に立たない地図だが、基本的に道路地図だから仕方ないか。そもそも無料の情報には限界がある。
 自分が主に見るのはGoogleか gooかの地図だが、どちらも地図提供はZenrinのようだ。見た感じはそれぞれ違うが、提供元は同じだった。大差無いわけだ。ときにアルプス社やマピオンなども見たが、URLを紛失してしまった。検索で探すのも鬱陶しい。が、どうもアルプス社はサイト自体が無くなって、Yahooに吸収されたようだ。それでも、ALPSLAB(http://www.alpslab.jp/)は残っていた。
 

020:2009/09/22(火) 00:25 (デジカメのメリット) ニキ
 アマチュアにとってデジカメのメリットは気軽に撮れる事、それに尽きるではないか。例えば、窓に虹が見えるとき、あるいは夕日がきれいなときなど、ちょっと気になった時にすぐに撮れる。
 もう一つは何度でも取り直しができる事。プロの場合は違うだろうけれど、自分の場合はフィルムで撮っていた頃、ある程度枚数を制限していた。つまり、一つのシーンを撮るとき、フィルムの場合は3カットぐらいで済ましていた。あくまでも目安としてだが。ところがデジカメで撮るようになって、似たケースで7カットぐらい撮る場合もある。フレーミングが拙かったか、不適切に傾けてしまったか、そんな不安から撮り直したり、一応露出も少し変えて撮っておこうかと考えたりして。対象が人の場合だったら、表情の変化など考えてもっと枚数多くなる。
 デジカメだと撮るショット数が多くなる事はほとんど気にならない。ただ、同一シーンを多く撮った場合は、後でのセレクション作業がちょっと大変になる。大変ではあるが、自分の場合、そういう撮り方をしたときは半分ぐらい捨てる。
 捨てないで保管して置くという考え方もあるだろうが、似たようなカットが沢山あればそれだけ埋没して、後日、見つけられなくなる可能性が発生するだろう。と言うよりほとんど同じ画像が多いと、再プリントなど何かするときその都度セレクションするのが鬱陶しい。だから必要な画像は1カットでいい。フレーミングを変えたものは基本的に残すけど。

 また、デジカメは進歩が激しく、新型が出れば旧型は陳腐化してもう使えなく、だから比較的短期に(具体的には二・三年ごとぐらいに)買い替えを余儀なくされる、とそんな風に考えている人も居るらしい。そう思うのはその人の勝手だけど、自分は全くそう思っていない。自分は、デジカメはコンデジなら2002年頃にもうほとんど完成したと思っている。一眼レフタイプでも、1,000万画素機が出た時点で完成してしまった。その後はもう経年劣化で使えなくなるまでは買い換える必要は無いだろう。マニアや業界に付き合うつもりは無い。
 

019:2009/08/30(日) 11:33 (夏行く) ニキ
 昨日から、急に涼しくなった、もう夏も終わりか
 去年も、九月になって急激に涼しくなった記憶だ
 以前は、九月二十日頃まで暑かったはずだが、最近は異常気象か
 温暖化とは、冬寒くならない事を言うのかもしれない

 本来は「夏逝く」と書くものかもしれない、と思って辞書を当たってみた。広辞苑(第二版)によれば、(行く・往く・逝く)みな同じ意味との事だった。発音は「ゆく」または「いく」との事だ。最近は、何となく「逝く」は「死ぬ」の丁寧語のような雰囲気だが、そうじゃなく、「行く」でも「死ぬ」意味はあるらしい。どうも「逝去」という言い方に惑わされ過ぎたようだ。
 ただ、三省堂の辞林によれば、「逝く」は「死ぬの丁寧語」と出ているが、それは新語や流行語も扱っているから、自分としては広辞苑の記述を採用しよう。それに「逝去」という言い方もバカ丁寧すぎると思う。他人(ひと)が死ぬときだけ、バカ丁寧な言い方をするのは、「偽善」のにおいが強く、そういう風に言う人など反って信用できない。

 川端康成の、ある小説のサブタイトルに「夏逝く」でなく、「夏逝き」とあった。それは「温泉宿」だったか、記憶は不確かだが。そしてそれは、夏が死んだという意味で無かったのだった。単に「夏は過ぎ去った」と、今さら言わなくてもいいだろうけど、それにしても随分、詩的な言い方と思う。
 

018:2009/07/28(火) 23:43 (二泊三日) ニキ
 26日から28日まで、久々に山歩きに行っていた。正確には25日夕に富山へ行き駅前ホテルに一泊して、翌日早朝のバスに乗った。行き先は、折立から太郎兵衛平へ、そこから南へ北ノ俣岳、北へ薬師岳、それぞれ往復して、再び折立へ下山というものだった。しかしあまりに天気が悪く、登山二日目に下山してしまった。二日とも五時間ほど風雨に打たれながら歩いた事になる。
 一時、太郎小屋に一日停滞(滞在)して三日目に期待する考えもあったが、太郎小屋があまり居心地良くなく、そこに二泊する気になれなかったから、さっさと下山してしまった。居心地の良し悪しは感覚の個人差だから、理由などについては言わない。ただそのまま帰る気は無く、千寿ヶ原(地鉄立山駅あたり)に一泊して芦峅寺集落でも訪ねようかと思ったが、思い直してホームグラウンドの立山室堂へ行く事にした。
 三日目の午前は割りと晴れて好天だった。それで浄土山を登り午前の立山の写真を撮った。しかしながら、時間が少し遅かったせいかもしれないが、前から期待していたほどの写りでなかった。写真撮影は中々思ったようには行かないから、いずれまた機会があればと考えたい。
 それから、浄土山の頂上で少し考えた。黒部ダムまで歩いて下りようか、あるいは室堂からバスで美女平へ戻り、滝見台から美女平まで歩き、アジサイや立山杉を見ようかと少し考えた。やや考えたが結局、後者を選んだ。以前から、美女平周辺にあると聞いていた遊歩道にも関心あったから。
 しかし結局、遊歩道は歩けなかった。木道が苔むしていて滑ってとても歩けるものでなかったから。それで遊歩道は避けて、車道(バス道)を歩いた。立山杉の写真は撮れたし、遊歩道の状況も分かったから、いくらかの収穫はあった。

 そこは最近ほとんど利用されていないものと思う。案内板など読んでみれば、設置したのは環境庁と富山県だが、観光業者がほとんど宣伝していないと思われ(少なくとも富山地鉄も立山貫光さらに美女平ホテルも全くそのコースを宣伝していない)、次第にすたれて行ったものと思う。昔からある東海自然歩道や関東自然歩道と似たようなものという気がする。それでもよく見れば、最近の足跡があるにはあったが。自分としては、疲れに行くようなものと思ったから避けた。滑り止めスパイクのような物の着いた靴なら良いかもしれないが。
 しかしその遊歩道は再整備する価値あると思うが、利用者が少なそうなのはどうしようも無いかもしれない。多分、地元富山県の人々は関心薄いだろう。つまり山国に住んでいる様な人たちだから、日常の延長の様に思えることだろう。それで、客を集めるにはやはり都市部からだろう。少し話題がずれた。

 写真はこちら
 

017:2009/07/10(金) 18:30 (日本の高山) ニキ
 しばらく前に、テレビのニュース番組などで富士山に関するものを、割とよくやっていた。真冬の富士山を取材した番組もあった。さすがに厳冬期の富士山は危険が多いようだ。
 しかしその映像を見て減滅に思ったものが幾らかあった。つまり人工物の多さだ。何と言っても登山道に手すりのような柵があるのはいただけない。一部の箇所だろうとは思うが、恒久的工作物のように見えた。
 北アルプスにはそんなものは無い。お花畑など立ち入りを制限する為まわりをロープで囲った所など、少しあるのは確かだが山小屋周辺だけで、小屋から離れた縦走路などにはあまり無い。もう一つの例外として険しい岩場の鎖もあるが、著しく景観を壊すようなものではない。
 また富士山の場合は、山小屋周辺が雑然としていて、あまり整理されていないように見えた。さらに大鳥居があったりして、限度を越えている。北アルプスの場合も山小屋周辺はいくら煩雑だが、それでも石垣で囲うなどして景観を大きく壊しているとまでは言えない。尾瀬などはもっと整理されている。しかし富士山はこの点全くだめだ。
 多分、夏シーズンの登山客が多過ぎるからだろう。夏シーズン以外、一般登山客は行けないから、短期間に集中する結果となるのだろう。いずれにしても、無用な人工物を撤去しなければ、自然遺産登録なんて全く無理だろう。最低限の(景観に配慮した、整理された)山小屋のみにとどめるべきだ。本当は、登山者の人数制限も必要なんだろうけど。
 ボクは富士山を登っていないが、もう登ろうとは全く思わなくなってしまった。やはり日本の高山(こうざん)は北アルプスに限る。
 

016:2009/06/24(水) 00:30 (日々非好日) ニキ
 日曜から俄かに腰痛がひどくなって、今週後半の遠出はボツになってしまった。残念だが仕方ない。正確には、金曜から兆候は出ていたのだが、二三日で治るのではないかと、たかをくくっていた。しかし徐々に悪化するだけだった。
 腰痛に筋肉痛が重なるようにまでなった。しかも急所をけられた後のような、そんな激痛ではないが、それに似た鈍痛が出るときもあって、一時はかなり心配になった。夜、普通に寝ているのもつらく、あまり眠れなかった。寝返りを打つのもつらかった。腰痛か筋肉痛か分からないようでもあった。月曜は何としても医者へ行かなきゃと思っていた。
 その朝起きたときも状態はあまり変らなかったが、さらに頭痛が感じられるようだった。前の晩は熱が少しでていて風邪のような感じもあったが、その延長だったか。医者へは、朝一番に行く事もないだろうと思い直して、朝食後に風邪薬を飲んでまた寝た。十時ごろ目覚ましで起きたら頭痛はとれていた。しかも不思議なぐらい腰痛もおさまっていた。完全に無くなったのでなく少し痛みはあるが、起き上がりなどは楽に出来るようになっていた。不思議だ。
 実は、どの科を受診するか少し迷っていたのだ。つまり前日、股に鈍痛が感じられる時もあったから、内臓疾患から来る腰痛というものもあるようだから。しかし月曜の朝、股の鈍痛は全く無くなっていた。内臓疾患のような雰囲気は全く感じられなかった。だから迷わず整形外科へ行った。それでも内科も併設している医院を選んだ。一時は、一日がかりとなる大きな病院へ行く事も考えたが、それほどの事は無いと思った。
 医者には頭痛と風邪薬の後でかなり軽くなった話もした。新型インフルエンザで発熱と筋肉痛というケースも考えられなくは無いだろうが、今の時点で熱が無ければそうとは言えないだろう、のように言っていた。

 一応、検査結果によれば、ヘルニアや結石という重大な疾患は無いとの事だった。骨にも大きな変形は無いが、わずかに骨盤がずれていると言えなくもないぐらいらしい。ともかく一週間ぐらい骨盤用のコルセットして様子を見て、来週ぐらいに痛みがおさまっていればそれでオーケーとの事だった。何となくあっけない気もするが、そんなものなのだろう。
 結局、運動不足が原因のようだ。仕事中はほとんど椅子に座ったままだから、そんなのも良くないのだろう。痛みがおさまれば、徐々に腹筋や背筋を鍛えるようにと言われた。確かに腹筋運動などしようとすると、腹筋力がほとんど無くなっている。何とかしよう。そして七月には、仕切りなおして山歩きを、休暇が取れれば、やってみたい。希望だけで実現性は不明だけど。今の状態、特に痛いということはないが、長く腰掛けていると少しつらくなる。
 

015:2009/06/20(土) 22:05 (来週後半) ニキ
 来週後半にまとまった休みが取れる。少し出かけようと思っている。どこにしようか、まず思ったのは尾瀬か日光だが、今一つ気がのらず、久々に谷川岳もいいかと考えてみた。谷川岳の土合あたりでは宿泊できる所が少なく二・三ヶ所しかない。登山指導所の休憩室で寝るという手もあるが、今はそんな気分でない。
 考えてみれば長めの休暇だから、白馬か栂池など北アルプスも良いかと考えてみた。栂池自然園には宿泊所もあるようだから。それでも山の様子など見てみれば、六月ではまだいくらか早いようだった。標高千九百メートルだから、雪解け直後でミズバショウが咲いているぐらいらしい。もっと上の方へ行って雪山を登っても良いのだが、体力的に白馬岳まで行けるのでないから、それもちょっと気が進まない。
 やはり北アルプスは魅力だが、冷静に考えると、また歳の事を考えても、六月ではまだ時期が早いと思い直した。また、標高の高い所はこの時期、濃霧の場合が多いだろうから。比べて尾瀬あたりなら、晴れなくても濃霧ということは少ないだろう。
 それで再び思い直して、奥日光か尾瀬を考えてみたが、奥日光は鹿の食害で野草はほとんど期待できない事を思い出した。小田代ヶ原なら全周が電気柵で囲まれているから、食害はほとんど無いが、野草の種類は限定される。エンレイソウのような森内の野草はあまり無いだろう。結局、どうも尾瀬という線に落ち着きそうだ。直前までもう少し考えてみるが。
 他の行き先、例えば越後三山や妙高戸隠など関心はあるが、単独だから未知の山へは行きにくい。山を外して、木曽路や軽井沢でも良いのだが、観光地は避けたいような気分もある。田舎の雰囲気や野草も含めた低山の景観に関心あるから、栂池・八方・白馬の山麓でも良い気がしてきた。若い頃や子連れの頃に、何度かその近辺へ行ったが、真夏は暑くて歩く気にならなかったから。
 我ながら優柔不断でなかなか決まらないが、だいたい何時もこんな風だ。それでも、だんだん、白馬山麓に傾きつつある。
 

014:2009/06/16(火) 22:19 (日々草々) ニキ
 今年は多分、東日本は冷夏だろう。六月で朝や夜がこんなに寒いぐらいでは、七月八月もそう暑くならないと予想できる。オシロイバナの生育も良くない。

 オシロイバナ、タチアオイ、シュウカイドウ、チョウセンアサガオ、他にもあると思うが、それらにはある共通性がある。それは、地下茎というか塊根というか、そういうものが地下で越冬して、春に芽を出してくるという事。晩秋から冬にかけて地上部は枯れるが、春にまた芽を出したあとは、生育が早く、初夏にかなり大きな株になって、多くの花をつける。
 種まきして、タネから育てる事もできるが、一年目は株が小さく、開花は遅れ夏過ぎの頃になる。しかし二年目はかなり期待できる。
 それらは元は全て園芸植物だが、空き地や緑道で野生化している場合も多い。冬に掘り返すと山芋のようなものが出てくるのがそれだ。いくらかグロテスクな形だが、普通はあまり見ることは無いと思う。

 野草にもそんなものがあり、例えばヒルガオもそうだ。ヒルガオの場合、そう大きな地下茎ではなく、おそらく茎の延長のような細長いものだろう。ヒルガオはあまり種をつけないと言われるが、秋にいくつか小さなタネをつける。数はごくわずかだが、春にそれをまけば発芽する。
 タネから育てた場合の欠点は、どういう花になるか予想がつかない事だ。しかし見方を変えればそれがメリットにもなり得る。つまり珍しい形の花が咲く可能性もあるという事で。

 最近、街路樹としての果樹をときどき見かける。と言ってもリンゴやみかんではない。実はずーっと小さいが、サクランボなどだ。市販のサクランボに比べればはるかに小さく甘みも足りないが風味は悪くない。しかしあまり味を期待されても困る。文字通り野趣を感じられればそれで良い。
 他には、キイチゴ、ヤマモモ、クワの実だ。自分としてはヤマモモが珍しいと思った。しかしちょっと手が届かない高い所にあるのが残念だ。じつはクワの実はちょっと自信が無い。それはコウゾの実かもしれないが、食べられるのは同じだ。グミの場合は、木だけ見かけるがまだ実を見たことない。
 どれも特に美味いという程でないが、酸味とほのかな甘みは悪くないと思う。気が向けばどうぞ。ああそう言えば、グミは渋味に特徴があるのだった。
 

013:2009/06/13(土) 21:25 (日々色々) ニキ
 最近、分からないものが色々出てくる。と言っても映像配信とか通信関連のものばかりだが。先日、セールスの電話があった。光ティービーだとか言っていた。テービーじゃなくティーブイでしょと聞いたら、いやティービーだとか。まあどうでもいいけど、ネットで探してみたらやっぱりTVだった。
 簡単に言ってしまえば一種のケーブルテレビのようだ。が、専用ケーブルを引くのでなく電話線(Bフレッツ)を利用するらしい。で、そんな契約先にだけTelしているのだとか。しかし、テレビは放送局がやっているものだけで十分だからと断った。NHK受信料はBS含めて払っているし、それ以上は要らないから。しかしながら、ウチで地上デジタルやBSデジタルが受信できるかどうか、まだ知らないでいる。そろそろ対応テレビを買おうと思っているが。

 Asahi.comニュースサイトによれば、携帯へのニュース配信の有料サイトも新規に作られたらしい。しかし自分には不要だ。一時、携帯での(ワンゼグ)テレビ受信や、インターネット閲覧に関心持ったときもあったが、結局どれも一時的な関心だけで終わってしまった。自分は昔からハイテク製品や新しいものに手を出さない主義だ。これからも多分変らない。
 見るのは普通の放送局のテレビだけ。インターネットはやってるが、最初は仕事で必要性が生じたから。その後かなり熱中するようになったけど、ユーチューブだのグーグル景観だの、ほとんど見ない。SNSも無関心だ。単に何ヶ所か見てまわり、ときに書き込みそれだけ。ユーチューブは、まれにあの音楽どういうものだったかな、と思ったときだけぐらい。平均すれば月に一度か。
 しかし、ask.jp検索サイトは閉鎖されるようだ。残念だが仕方ない。グーグルは嫌いだけど、何か探すとき使うのはやむを得ない。しかし、gooやaskなどにして、googleを避ける場合もあった。

 迷惑メールというものは明らかな犯罪だ。それのせいで社会インフラとしてのEメールという仕組みが一部マヒしている。ボクの場合はかなり対策して、と言ってもプロバイダの振り分け機能を利用するだけだが、それで最近はかなり来なくなった。しかし、それの設定は幾らか面倒、つまりどのアドレスを排除するかの判断が。
 多分、そういう事の面倒な人は放置しているだろう。が、放置すれば日に200通ぐらい来ても不思議でないこのご時勢。さらに多分、もうEメールという存在自体を無視しているだろう。だから、Eメールという社会的インフラは一部既にマヒしてしまっている。
 それでも携帯メールは活用しているかもしれない、せっせとアドレス変えながらかな?しかし、それらは性格が異なるだろうから、使い道も違うだろう。つまり、Eメールはバーチャル相手の場合が多いけど、携帯メールは実世界の知人が相手だろう。
 

012:2009/04/30(木) 00:17 (メッセージ) ニキ
 そろそろこのホームページを閉じようかと考えている。先の事ではっきりしないが、個人的にシェアウエアを始めるつもりがある。その準備にこのWEBスペースを使う予定だ。そうするとURL(ホームページAdress)を変えるから、必然的にこのホームページは無くなる。次のホームページは業務用の様にする。

 Blogの方はまだしばらく続ける。前にBlogを終わりにしようかと考えたのは、「ENTRY ARCHIVE」が長すぎると思ったから。が、やはりBlogの方がネット世間に知れわたる可能性が高いので続ける事にする。古い記事を削除すればBlogは見かけ上若返るから、そうするかもしれない。

 早くても秋以降の予定。

011:2009/04/18(土) 12:01 (仏像) ニキ
 阿修羅像、東京では今、人気あるのは分かっている、確かに悪くない。が、展示中の国立博物館はすごい人混みだろう。こういう企画展はいつもそうだ。自分は、三十年前に一度見ている、唐招提寺で。
 その時は、他に観覧者が居なかった記憶だ。その頃関心あったのは、広隆寺のあるいは中宮寺の半跏思惟像だったが、阿修羅像も良いと思った。

 今、関心あるのは浄瑠璃寺の吉祥天だ。昔は確かに「きっしょうてん」と習ったが、今は「きちじょうてん」と読むのが主流かもしれない。自分としては何とも言えない。これに関心持つようになったのは最近、土門拳の写真を見たから。
 仏像も、能面と同じように見る方向を変えると、表情も変わって見えるものかもしれない。すると二次表現に違いないが、仏像写真も悪くない。浄瑠璃寺の吉祥天を直に見た事は無いが、それは御開帳時期が限定されるようだから。
 聞くところによれば、鎌倉時代の作らしい。九百年も原色を保てるのが通常期非公開によるとすれば、それもやむを得ないか。

010:2009/04/14(火) 22:37 (清張の短編) ニキ
 松本清張の小説「駅路」、新潮文庫では同タイトルの短編集で、短編が八・九編はいっている。その中に「駅路」という短編もある。
 長い間、これを「えきじ」と読んでいた。旅路や家路からの類推だが、しかしこれは「えきろ」と呼ぶべきものかもしれない。初めて聞く発音だが、古語辞典には確かに駅路(えきろ)と出ている。意味は、宿駅設備のある道路とか。そう言われてもまだピンと来ないが。しかし別名は「うまやぢ」とも言ったらしい。であれば、「えきじ」でも悪くないと思うが。
 しかし、現代では使われない言葉であるのは確かだろう。国語辞典にも出ていない。清張はどういうつもりでそのタイトルを付けたか分からない。小説の内容と、古代あるいは中世にあった駅路とは、あまり合わないのではないか。その小説を読んでいないのだが。先日、少し見かけたテレビドラマ「駅路」は大した出来じゃなかったと思う。

 同じ清張もので比べれば、前に作られた映画「鬼畜」(緒方拳、小川真由美)の方が迫真的だった。「鬼畜」のストーリーは唾棄したくなるようなものだが、映画のリアリティという点ではすぐれていたのだろう。やはりテレビドラマより映画の方が数段上のものなのだろう。「鬼畜」は本で読んでいたし映画も見た。

 話はややずれるが、フィクションである「鬼畜」は確かにひどい話だが、考えようによっては、グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」も同じような話だ。こちらはおとぎ話っぽく、あっけらかんとしていて、結末もかなり違うが、まま母が子を捨てるという点では共通性がある。父親が弱気で、言いなりになる点も同じ。

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 古代や中世という言い方は、西洋史的な歴史観から言うものらしい。西洋史では、古代・中世・近世・近代・現代と分けるとの事だ。
 それを日本史に当てはめると、平氏の武家政権ができる前までを古代、それから戦国時代の終わり頃までを中世、織田信長の天下統一から幕末までを近世、その後の開国への方針転換からアジア太平洋戦争の終戦までを近代、それ以後を現代と分けるらしい。
 しかし完全に定着した説でなく、別の区分をする人たちも居るらしい。自分としてはその区分が適当と思う。古代が長すぎるから、これをさらに上古・中古と分ける考え方もある。その境界は、大化の改新ぐらいかまたは平安京への遷都ぐらいか、史家はどう考えているか知らない。

009:2009/04/08(水) 23:12 (ウォッチ) ニキ
 昨日の夕方、突然、腕時計が止まったので、故障と考え、新しいのを買った。ボクの場合、時計は安いものしか買わないから、多分、修理なんてできないと思う。つまり、修理費が買うぐらになると思うから。
 正確には、秒針がふるえているようだったから、電池切れの状態だが、記録を見れば電池交換は去年の八月だったから、もう寿命と考えた。元々、簡易防水型で水に弱そうだったから、そんな関係で故障したかと思う。記録はここのBBS。
 それで新しいのを買ったが、また安いものだ、つまり一万円台。時計って本来もっと長持ちするものかもしれないが、以前は紛失する事が多かったか、まあ必ずしもそうでなかったが。
 前の腕時計もその程度のものだったが、何時買ったか記憶も記録も無かったが、確か写真に撮って画像化していたはずと思って探してみたら、見つかった。その画像ファイルの日付は2002年03月だったから、その頃に買ったのだろう。つまり七年間もった事になるから、そんなものかなとも思う。もう少し長持ちしてよさそうな気もするけど。
 ヨドバシへ行けば数万円ぐらいのものが当然のような顔をして並んでいるが、その位のお金があれば、カメラ用レンズを買いたくなるところだから、数万円の腕時計なんて決して買う気にならない。高いウォッチを買う人は、お金に余裕のある人か、無趣味の人だろう、多分。

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 その後、駄目元と考え自分で裏蓋あけてみた。一応、蓋の開け方を解説したサイトを参考にして。簡易防水タイプだから、隙間に器具を差し込んでこじあけた。隙間の位置は分かり難いがルーペで見れば分かった。十分な器具を持っていないから精密ドライバーを使った。予想した通り少し疵がついたが、ルーペで見なきゃ見えない程度。やや苦心したが何とか開けられた。パッキン周りの汚れがひどく場所によってむらがあった。思っていた以上に防水性は落ちていたようだ。簡易型のせいだろうがリューズの部分は防水性あるように見えなかった。
 電池を外してテスターで電圧計ったらほとんど無いぐらいだった。電池はSR621SW、かなり小さなタイプだった。パッキンの部分の汚れを丁寧に落とし、ヨドバシで買った電池を取り付けた。一応は動き出したが、裏蓋を着けるのも一苦労だった。何とか着けられたが、正位置かどうか自信はない。裏の文字を見れば1度ぐらいずれたように見えるが問題ないだろう。問題なく動き続ければ予備的に使うかもしれないが、多分使わないだろう。やって見ただけの事だ。

 ネット上の時計修理サイトなど見れば、店が千円で電池交換を請け負う場合、汚れ落し不十分なのが普通らしい。千円ではそこまで出来ないとか。それで防水性なども、一度開けるとかなり落ちるようになるらしい。だから高級時計の場合は、もっとお金をかけてメーカー送りにする方が良いらしい。さらに二回に一回はオーバーホールとするべきだとか。
 本来、そんなものかもしれない。千円の電池交換に多くを期待するのが無理だ。その点では、ソーラータイプの電池交換不要のものにする方が良かったかもしれない。電波時計を選ぶ事もできたが、電波時計型の柱時計に良い印象を持っていないから電波時計は気が進まない。つまりビルの中などでは電波が受からないので手で時刻調整しようとすると普通以上に苦労するから。太陽電池型の腕時計は未経験だからちょっと分からない。

008:2009/04/04(土) 11:43 (信用通貨) ニキ
 以前、政府紙幣というものが話題になったが、多分それはとんでもない政策だろう。経済問題には全くうといのだが、歴史的にはそういうものは有った。つまり徳川時代に、各藩が独自に出した藩札というものがそれなのだろう。

 例えば、ある藩が藩内だけで通用する紙幣を発行したとする。その紙幣一枚が小判一枚と同じ価値と決め、藩内に触れを出し、藩士の俸給として支払ったとする。その後、藩士がその紙幣で買い物をする。当初、商店は小判一枚と同じ価値と認めて商品を売るかもしれない。しかし、しばらくして多くの藩士がどんどん藩札で買い物するようになると、商品も不足して物価が上がる、と言うより商店は売り惜しみするようになるかもしれない。だんだんに藩札の価値は下がる。商店が前に代金として受け取った藩札も同時に価値が下がる。こうなるともう藩札の価値が暴落してしまう。商店は大損する。藩士は一時的に商品を入手できても藩札自体無価値になるから、その後は無一文と同じになってしまう。
 実際は上に書いたように単純に商人が藩札に価値を認めた事は無いだろう。単純に、もしそうしたら多分こうなるだろうという仮定の話。

 つまり為政者といえども、経済原則を無視して紙幣を発行しても、その紙幣の価値を維持する事は出来ないわけだ。紙幣じゃなくても約束で価値を決めたものなら同じだろう。藩札じゃなく、本物の金貨なら国際的に価値有るからそうはならないだろうが、そもそも金を持っていなければ金貨を発行できない。

 それでも藩札というものはある程度あったようで、いくらか流通したらしい。しかし、商人はそういう仕組みを知っていたから、あまり藩札では商品を売らなかったとか。まったく無視すれば藩の役人からにらまれるから、いくらかは引き受けたものか。
 藩では、藩札の価値を維持するために、求められれば小判または米などと交換する必要があっただろう。つまり藩の財力を越えない程度の発行が限度だっただろう。想像で書いた部分もあるから、いくらか事実と違うかもしれない。が、藩札というものが存在したのは確かのようだ。西郷札というものもあったらしい。
 しかし考えようによっては、為政者が権力を背景に空手形を商人に押し付けたと言う見方もできる。軍需品調達のためだが、戦争中はそんな事も実際にあったらしい。

 政府紙幣って多分その藩札と同じようなものと思う。それじゃ、円の貨幣そのものを発行して、それを国民に配ったらどうか。多分そうすると、その円自体が暴落するのだろう。こういう話になると多分、経済学そのものになってしまう、にがてにがて。

007:2009/04/02(木) 08:13 (サクラ) ニキ
 東京でも、都心から少し離れれば、サクラはほとんど咲いていない。表現としてはちらほらぐらい。気象庁の予想は丸はずれ。都心ではもう少し咲いているようだけど、それでも満開とは言えない。いろいろな思惑がからんで、気象庁は予想が外れたことを認められないのだろう。
 自分としてはそんなものをあまり当てにしない。お天気にしても参考にするのは基礎情報だけ。皆は理由なく明日は晴れという予想を信用するのだろうか?

006:2009/03/29(日) 18:13 (池か沼か) ニキ
 池と沼の違い、何となく人が観賞用その他のために作ったのが池、広沢の池や猿沢池のように。あるいは養魚池と言うように。
 対して沼は自然に出来た水たまりで、規模が小さく、湖とは言えないものだろう。やや調べれば、沼と湖とを分ける基準は水深によるらしいが、大きさも関係するだろう。浅くても大きなものは沼とは言わないのではないか。

 平野部を流れる自然河川が洪水で流路を変えたとき、本流から取り残されてできた水溜りが沼かと、一時考えた。しかし高校地理では本流から取り残された水溜りは三日月湖と言っていたのを思い出した。
 それでも川が自然状態にあれば、その周囲に後背湿地ができる。それは多分、洪水に原因あるのだろうが、そんな場所に沼がある場合もあった。今の日本には、そんな河川由来の沼はほとんど残っていないが、かつて、昭和三十年代ぐらいには、水田地帯に名もない沼が所々残っていた。それを思うとやや感傷的になるが、沼はそんなものではないかと思う。

 つまり今は、小さな沼はほとんど残っていない。だから沼に対するイメージは抱きにくい。

 池か沼かのイメージは以上のようで、呼称もそんなイメージから発生したものだろう。が、例外もある。上高地の大正池は火山噴火による自然現象でできたものだ。だから本来、池ではない。また、尾瀬沼の水深は8から10メーターぐらいあるらしく、湖と呼んでもいいはず。
 しかしいずれも、近年になって、ある特定の人たちによって意図的に命名されたものである。つまり、名称の成立プロセスが他と異なり、さらに命名した人たちが、従来からの池や沼の概念を無視した。それでも、現在の名前が定着してしまったからには、例外と考えるしかない。

 ここまで考えていたら、関東には大きいが、沼と呼ばれるものがあるのを思い出した。手賀沼や牛久沼、涸沼などだが、地図を見ると、川の幅が広がったものに見える。つまり霞ヶ浦と同じで、それらは沼でなく川のふくらみだろう。

005:2009/03/26(木) 23:40 (言葉) ニキ
 「何々侍」という言い方は好きじゃない。と言うより、そういう言い方をする人は言葉の意味をよく理解していないのだろう。彼らにとって、侍というと「七人の侍」などの連想から、「個性的な仕事の出来る人」ぐらいの意味で使っているのではないか。しかし、違う。本来は、侍とは「さぶろうている人」つまり貴人の警護のためそこに「侍(はべ)って居る人」の事を言う。
 だからそう言いたがる人たちは、むしろ「もののふ」と言うべきなのだ。「もののふ」とは武士または武人の事だ。人並み優れた力を持つ人、あるいは優れた技量の武力を持つ人という意味だ。しかし、「もののふ」はあまりポピュラーな言い方でないから、また「武士」と言うわけにも行かないだろうから。それでも、「侍」ではやはりニュアンスが違うだろう。
 ひるがえって歴史的に見れば、「さぶろうている人」は武力にも優れていなければ警護の役には立たないから、結局、侍は武士である場合がほとんどだが。それでも本来的には言葉の役割は違うから、侍と武士とはイコールでないはず。
 いくらか理屈が過ぎるかなと思って古語辞典を見たら、鎌倉時代頃から、侍と武士は同じ意味で言われていたのかもしれない。が、何とも言えない。侍所という言い方もあるから役職や職務の意味もあるようにも思う。しかし、武士道と同じ意味で侍道とも言ったらしい。なお、古語では「さぶらひ」のようだ。

004:2009/03/22(日) 18:20 (麦焼酎) ニキ
 どうもブログへ書き込むと、こちらへなかなか書き込めない。ブログをどうするか考慮中だけど、ちょっと力を入れて文章を作った場合は、やはりあちらに書き込みたくなる。つまりブログの方が見る人が多いようだから。

 焼酎について最近知った事だが、麦焼酎というものはここ数年のうちに出回るようになったらしい。焼酎として作られ始めたのは1970年代のようだが、一般に出回るようになったのは2000年頃かららしい。つまり昔は焼酎と言えば米か芋かが原料だったわけで、麦焼酎が作られるようになって初めて麦焼酎の味が生まれたわけだ。
 だから多分、従来の焼酎とは別の新しいタイプの酒類と言って良いのでないか、むしろライトウィスキー。しかし少し前までの酒税法では、分類を焼酎としておく事によって低価格で売り出せたとの事だ。それに焼酎ブームというものもあった。今の酒税法は少し変わったらしいが。
 なかなか上手くやったと思う。比べれば清酒業界は旧態依然としているのでないか。美味い清酒もあるにはあるが、中には不味いものもあり、当たり外れが激しいから。

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