□2015年4月29日(水)

 私の成田市議会議員としての任期は今日まで。2002年に開設したホームページも本日限りとなる。「まちこ日記」は2006年から記録として残しておいてあるが、それ以前のものや、議会レポート「たいむ」も最終号(95号)までそのうち追加で掲載しようと思う。6期24年にわたる地方議員としての活動の一端をこういうかたちでネットに残す時代がくるとは思ってもみなかった。

そして今日は68回目の誕生日。偶然重なった。おめでとうからご苦労さま迄、なんとなく落ち着かない一日だった。市民の方から贈っていただいた胡蝶蘭の鉢をテーブルに飾り、シャンパンで乾杯。





□2015年4月27日(月)

 昨日の市議選で、これから4年間の成田市議会を構成する議員が決まった。今月1日から施行された議会基本条例を活用し、市民の代議機関としての機能を十分に発揮してほしいと思う。これについては条例の策定過程に関わった一人として、注視していきたい。 今回の選挙は定数30で立候補は33(うち女性2)。女性は2議席確保だが、他市と比べて成田市はまだまだ少ない。政治に関心のある女性や各分野で活躍している女性はいるはずだが、立候補につながらないのが現実だ。これを変えて行くには、誰よりも女性自身が「女性議員を増やそう!」と声を大きくしていく必要があるだろう。

 統一地方選の後半戦は平均投票率が市長選、市議選ともに各地で最低を更新したようだが、市と東京の特別区の議員選で候補者に占める女性の割合が過去最高の16.1%だったという。しかしこれは「それでも16.1%」と見た方がいい。
 人類の半分が女性であること、世界の男女平等の流れを前提に考えれば、自然増に喜んでいる時ではない。フランスでは「パリテ(男女同数)法」によって政党が出す公職の候補は男女同数にしなければならない。或いは北欧から始まって多くの国が採用するようになった議員の数を(女性に)割り当てるクオータ制など、日本も思いきった制度を導入すべきだ。

 25日に吉川さんの叔母さんからワラビをたくさんいただいて帰った。今日はその時ごちそうになった昼食のメニュの中から、ジャガイモとワラビの煮物を思いだして作った。






□2015年4月25日(土)

旧知の吉川洋さんが昨年移住した祖父母の生地東京都桧原村の村議選に立候補したというので、応援に行く。

吉川さんにはいつも驚かされる。学生時代の世界放浪の旅、リヤカーを引いての日本縦断というのは話に聞いたことだが、柏市議・千葉県議の頃は同じ議員として「開かれた議会をめざす会」やオンブズマン活動、韓国へのスタディ・ツァーなどを通して、いろいろ示唆をいただいた。私もこの年齢になるまで男性をみてきたが、パートナーの雪江さんが「見て見ぬふりをしないと一緒に暮らせない」とおっしゃるのがうなずけるような、枠にはまらない人だ。今度の村議選も、南米をあちこち回って帰国後に決断したようだ。旅の途中アマゾンの村が気に入って1ヵ月ステイしたことがきっかけとか。祖先の地で悠々自適とならないところが吉川さんらしい。

初めて訪れた桧原村は人口2,373人世帯数1,180世帯、高齢化率約50%で、平成の合併では村として存続することを選んだという、深い山に囲まれた過疎の村。その昔は平家の落人たちが流れてきたことでも知られている。祖先の地桧原村を永住の地に選んだ吉川さんの今後に期待したい。

    吉川さんのおばさんとツーショット
   吉川さんの叔母さんは村の選挙を知りつくした方。村には吉川家のおばあさん方、おじいさん方の血縁がたくさんいる。辿れば村長さんとも・・・。地縁血縁が交錯する村でおばさんは最強の選挙参謀。甥っこのために情勢分析から声かけまで全力投入しているようでした。今日のお昼は叔母さんの手料理で、お赤飯、ジャガイモとワラビの煮物、ノビルやウドの酢味噌和え、手作りこんにゃくと野菜の煮物、去年収穫した茹でトウモロコシなど、山の幸、地の恵みをつかった手料理!多古町の農家で育った私は久々に食のパワーをいただいきました。

 林道にて
  吉川さんは選挙カーを使わずタスキもかけず、選管から配られた小さな旗だけで集落を走り回り、人家のあるところでスポット演説。この林道は許可されてカギをもつ人以外通行禁止の林道。下は絶壁。恐怖!でした。林道沿いに山林を持つ吉川さんのおばさんがゲートのカギを開けてくれて走り抜けました。圧倒的な大自然に抱かれてこの地に棲みついた、桧原村のご先祖さまに思いをはせました。






□2015年4月22日(水)

 去る19日(日)は福岡市で開催された古代史シンポジウム「発見・検証 日本の古代」第1回「邪馬台国とヤマト王権をどう考えるか」に参加。前日、一人で出向いた糸島市立伊都国歴史博物館の見学とあわせて古代史の魅力を満喫した。
 文化人類学を学んでいた頃から、血縁で結ばれた氏族が大きくなって枝分かれして発展し、祖先を同じくする氏族間で部族が形成され、政治・経済的な事情で部族間の連合が生まれ、利害を共有する「国家」の誕生に至るプロセスに関心があった。議員の任期もわずかの時期だが企画を知ってからずっとこの日を楽しみにしていた。主催は角川文化振興財団で朝日新聞共催。
 近年何事にも集中力を欠く私にしては、朝10時から夕方5時までの長丁場が少しも苦にならなかったのが嬉しい。

 福岡から帰ると、「選挙カーがまだ回ってこないけどいつ来るのか」とか、掲示板にポスターが貼ってないので立候補しないことを知ったという市民の方からの留守電が入っていて、焦ってしまった。
 今日も選挙公報が新聞折り込みされたのでいろいろお問い合わせや慰労の言葉をいただいた。地盤も看板もカバンもない私が24年間議員を続けてこられたのも、こうした一人ひとりの市民の方々に支えられてのこと実感し、あらためて感謝。

長年議員を務めると「叙勲」の対象になるらしい。昨日、叙勲を受けるかどうかの打診が秘書課よりあった。辞退すると言うと、辞退するにも書類の提出が必要らしい。後日秘書課まで出向くことにした。叙勲より、市民の方から「筋を通して頑張ったね。御苦労さま」と言われるほうが嬉しい。

昨日・今日と議会レポート「たいむ」最終号の郵送とポスティング。ボランティアさんはすでにポスティングを終えているが、私はずいぶん遅れてしまった。最後の議員メッセージ、限られた期間ポスティングを頑張らなくては・・・。

   午前中、満開のカロライナジャスミンにたくさんのミツバチが蜜を集めに訪れていた。






□2015年4月14日(月)

 昨日議会レポート「たいむ」最終号(95号)を印刷していると5,000枚を30枚位残すところで、パタッと印刷機が止まってしまった。今日業者さんに点検してもらったら、部品交換になるらしい。これまで故障もなく順調に動いてくれていたのだが、6月で4年になる。
 とりあえず、約5,000枚刷り上がっていてホッとした。折り機で二つ折りしたあとポスティングを手伝ってくれているボランティアさんのところへ届ける。紙折り機を入れたのは12年前。それまでは後援会の人たちが手で折ってくれていた。「たいむ」がA3サイズだった頃はポストに入れるのに2度折りだった。今思うと頭がクラクラする。
 その前は郵送分の宛名書きも手書き。「たいむ」ひとつとってみても、多くの人たちに助けられての24年間だった。

 議員任期の29日までには市議選があるが、私は立候補しないので選挙の告示期間中もこれまでどおり議会報告をポスティングできる(県選管に確認済)。はじめは議会ごとのポスティングを「違反じゃないの?」なんていう市民もいた。まあ、議会報告を定期的に出している議員がめずらしかったからね。いまでは会派(議員3人以上で構成)で公明党以外は政務活動費を使って大々的に新聞折り込みをしているから隔世の感あり、だ。

 環境部長名で届いた議員あてメールによると、13日昼頃清掃工場の1号炉バグフィルター天板カバーに高温の箇所が発見されたので炉を緊急停止し、内部の温度が下がるのを待って調査に着手したとのこと。また1号炉が停止したので16日からナリコーの清掃工場に臨時焼却委託をするという。別に財政課長からは議会休会中なので焼却委託料は専決処分し6月議会に報告するという連絡が入った。
 3月には溶融炉内部で高温箇所が発見され、1、2号炉を停止・点検したばかり。その後再稼働していたが、同じ規格の耐火煉瓦を使いながらなぜ高温箇所が発生したかの理由はまだ報告されていない。
 炉のトラブルで緊急停止や原因究明はわかるが、いったん止めて冷やした炉を動かすには余分な燃料費がかかる。さらに調査中はごみを委託処理しなくてはならない。たびたび緊急停止するようでは予定外の支出も増えるだろう。
 いまさら言っても仕方ないが、ガス化溶融炉には新清掃工場の機種選定のずいぶん前から反対したんだけどね・・・。ごも溶融の技術そのものが未完成で、導入した他の清掃工場では故障続きだというし、事故も発生していた。いわば、自治体の清掃工場が実験台みたいなものだった。それに、調査といっても溶融炉は企業秘密らしいからどこまで情報が開示されるか。

  それに、ごみの焼却が自然界にはない猛毒ダイオキシンを生成したように、1800℃もの炉内ではどういう化学反応が起こっているかわからない「神の領域」だという。それよりは半世紀の実績がある炉でごみ減量化を進めると同時にプラスバグフィルターでダイオキシン規制をクリアできると思っていた。

天候不順で寒い日が続いたが、今年も2階のベランダまで伸びたカロライナジャスミンが花盛りとなった。ドングリから芽を吹いて5年目、コナラの若葉がふくらんでいまにもはじけそう。植物たちの元気が気持ちを浮き立たせてくれる。





□2015年4月8日(水)

 昨日は吾妻小学校、今日は吾妻中学校の入学式だった。どちらも門出の卒業式はうららかな春の陽射しが降り注いでいたが、新たなスタートとなる入学式は真冬なみの寒気にみまわれ、今朝は一時雨が雪にかわった。
 それでも、こどもたちの真剣なまなざしが荒天を忘れさせてくれた。今日嬉しかったのは新入生の「呼名」が混合名簿で呼ばれ、男子が先、女子が後ではなかったこと。生年月日で混合にしたようだ。ほかに五十音での混合もある。
 市内の小学校のほとんどが混合名簿だが、中学校では採用しているところは2校くらいと聞いたことがある。吾妻中では初めて。ただ、座る席は相変わらず男女別だったのは残念。
 ずいぶん前のことだが教育委員会に男女別名簿・別席にする理由を聞いたところ、合唱で席を変えなくていいからとか、体育とか、異性を意識する時期だからとか、些末なことを挙げていた。世界でも日本くらいだという男女別名簿。男女の席を分け、呼名では「男が先、女が後」をこどもの頃から刷り込んできた日本では、男女平等教育の根本的なところで足踏みしているのではないか。

 それでも、呼名を混合名簿にした学校の決断を歓迎したい。それと、胸に飾るブーケが男女同じ色に戻ったのも歓迎。別色よりは「配慮」を感じる。
 以前男子が青、女子がピンクで分けていたので、制服を義務づけるなら胸に飾る「ブーケくらい(2色しかないなら)好きな色を選ばせたらいいのに・・・」と日記に書いたことがあった。翌年は男女同色(記憶ではピンク系だったかしら?)に変わったが、しばらくしてまた男女別色に戻ってしまった。それが今年は黄色系で統一。そういえば、生まれてくる子の性別がわからなかった時代、ベビー用品で衣類をそろえたりプレゼントに選んだりするときは無難なところで黄色系が多かったのを思い出した。


 「たかが座席や名前の呼び順で」「たかが色で・・・」というなかれ。学校では性別にとらわれずこどもたちの個性を尊重し伸ばす教育を目指すという。とても大切なことだと思う。だからこそ、公教育の学校現場で「慣習」や「伝統」の名のもとに男女平等の理念を歪め、没個性を強いるようなことはないかを考えたい。

    昨日の吾妻小学校入学式
   吾妻小では2年生が新入生を囲んで歓迎の言葉と歌を披露。(PHOTO BY MACHIKO)






□2015年4月2日(木)

 春爛漫。今日はお花見したいような陽気だった。先日もニュースになったけれど、ソメイヨシノをDNA鑑定した結果、すべてのソメイヨシノは初めの1本から生まれたクローンであることが証明されたという。もともと江戸末期にエドヒガンザクラとオオシマザクラを交配した園芸種だというから、やっぱりね・・・。いまや日本の桜の8割を占めるらしい。
 31日の朝日夕刊に作家でエッセイストの宮田珠己さんが書いていた。「満開の桜が風で花びらをまき散らすとき、そこには情熱というより狂気のようなものを感じる。おほほほほ、と笑いながら錯乱しているみたいだ・・・」と。かつてある作家は群れて咲く桜を「淫らな美しさ」と表現した。錯乱だの淫らだのはたまた妖艶だのと、あれこれ理屈をこねたくなるほどに、人はその見事さに惹きつけられるようだ。

 ソメイヨシノに圧倒されながらも、私が「花見」に行くのはヤマザクラなどその他?の桜。ソメイヨシノがクローンとわかったから余計そう思うのかもしれないが、白からピンクまで、濃淡の彩りも豊か。種類が多くて咲く時期も少しずつずれていて楽しめる。それに、控えめだけれどうっとりするような香を漂わせる種類もある。
 運よく?満開の頃に強風が吹くと風土記の丘のお目当ての木の下に行くと、花柄ごと茎から吹き飛ばされて周囲の下草の上に点々と落ちている。それを拾い集め、ドライフラワーにするとしばし香りを楽しむことができる。今年はどうかしら?





□2015年4月1日(水)

 議会の仕事の最後、市議会だより編集委員会。15日新聞折り込みの「市議会だより」最後の打ち合わせで、市議会だより編集委員会としても最後となる。本日より施行された成田市議会基本条例では、「市議会だより」は市議選の後で新たに編成されることになる「広報広聴委員会」の所管となる。

 議会での仕事最後の日だからと、花束を持って来て下さった人たちと控室で思い出話やらこれからのことやら市政のことやら・・・。初めて選挙に立候補した時から選挙事務所の中心を担って下さったお母さんといつも一緒だったみゆうちゃん、障害があっても地域の学校でみんなと一緒に過ごしたいと頑張ったじゅんくんも来てくれた。

都合で来ることができなかった人からことづかったという花束も含めて、抱えきれない花束をありったけの花瓶に生けて、今夜は花の香に包まれて眠れそう・・・。





□2015年3月31日(火)

 平成26年度政務活動費の収支報告書を提出した。26年度から誰が見てもわかりやすいよう、書式が整理された。それにより、「政務活動費」とはなんぞやがあらためて問われるのではないかと、作成していて思うところが多かった。

 もともと、「政務調査費」の頃から全国各地のオンブズマンが違法支出と思われるものを提訴し、一時全国で200件以上が裁判で争われ、議員への返還請求も相次いだ時期があった。
 これに懲りた議会の要請を受け、自民党が中心になって自治法を「改正」。政務調査費を「政務活動費」にして使途を拡大したものの、兵庫県の号泣県議が世間を騒がせて以来あらためて「政務活動費」がマスコミに取り上げられている。マスコミの取材力を駆使して洗いだしてほしいと思う。

指摘されているのは社会常識や納税者意識のレベルで「それはないだろう」といった事例がほとんどだが、もし問題にしなかったらそれをよいことにどこの議会でも起こり得るようなことだ。こんなことを言わなければならないのは議会に24年間もいて残念なことではある。つまり、「議会」というのは常に住民の監視下におかなければいけないということだ。議会は住民の代議機関だから、「議員」という身分に既得権を与えるようなことを絶対にしてはいけない。1票を入れたからといって、あなたの選んだ議員におまかせであってはならない。





□2015年3月24日(火)

 JR成田駅東口再開発ビル(スカイタウン成田)の中に7月4日オープンする成田市文化芸術センターの下見(内覧)に参加した。

施設は再開発ビルA棟の3階~5階にあって、多目的ホール(スカイタウン ホール)は334平方メートル(平土間部分250平方メートル)で、電動式移動観覧席210席・固定席(4階)15席、置型イス76席の301席。着座使用も可。舞台は昇降式。シアター形式でコンサート可。シャワー付き楽屋が2部屋、音楽室兼リハーサル室など。6階以上がマンションなので、ホールは2重構造。太鼓などは演奏できないそうだ。
 ギャラリーは4階に1つ、5階に2つある。ギャラリー1・2は間仕切りで使えそう。 会議室(楽屋使用も可)や倉庫等も適所に配置されていて、市民の文化芸術活動にとっては使い勝手の良い構造と広さだと思う。

  スカイタウン・ホール&ギャラリー

           (左)ホール正面舞台 (中)ホール後方 (右)電動式移動観覧席

       
 (左)ガラス張りのギャラリー3 (右)新勝寺方面(中央ロータリー左がJR成田駅東口)

元市長が裁判までやって反対した再開発ビルだが、5階から4階に下りるエスカレーターから新勝寺方向をみると写真のような感じ。
元市長の頃の再開発ビル構想は5階建だったと記憶しているから、ここまでなら新勝寺への「尊崇」の念を傷つけるといったレベルの文句は出なかったことだろう。

 でも、思い返すと因果?なものだ。この再開発ビルをめぐって現市長を訴えた元市長はかつて保健福祉館2002年7月赤坂にオープン)の木造平屋にこだわった。当時市議で教育民生常任委員長だった小泉市長は、私の記憶ではスペースを確保できる効率的な建物にしたかったようだ。3階建てくらいだったかしら?しかし、元市長の木造平屋への思い入れは他の意見を寄せ付けなかった。議会の意見を入れて加えたのはキッズルームとシニアサロン。そして、市民の請願を受けて議会が提言した障害児の水中療育用温水プール。 ちなみに私は、木造は良いとして本館を2階建てにすれば、当面住民ニーズに応えられるスペースが確保できると思ったが完全無視された。なにしろ、はじめに「平屋ありき」だったからね。
 要するに、時の市長がこういう建物を建てたいと思ったら、市民や議会がなんと言おうと思いを遂げる、そういうことだよね、成田市では。現市長を訴えた元市長だって、わが身を振り返れば承知の上だったと思うけど・・・。

その保健福祉館。熱効率が悪いので光熱費がかかるが、ソーラーパネルを置くのに絶好のひろ~い屋根も、全面「瓦」葺きにこだわったため、市が言うには構造上パネルを加えた屋根の重さに耐えられないのだそうだ。これは私の一般質問に対する市の答弁。





□2015年3月21日(土)

 お彼岸なので実家の墓参り。椎の木の巨木十数本に囲まれた猪森台の祖先のお墓は春の陽射しを浴びてうらら~。近づくとお線香の香が漂ってくる。どのお墓も掃き清められ、花に彩られている。のどか~。

 すぐ近くにある我が家の畑に寄ると、2株のルバーブが元気に新芽を出していた。今年も、食べきれないほど育ってくれるだろう・・・私はイチゴジャムと同じようにルバーブジャムを食べるけど、今のところ私が自慢したくてプレゼントする人たちの口にはあまり合わないみたい。それはたぶん、日本人の口には馴染んでいないということだと思っている。たま~に、あとで「美味しかった」と言ってくれる人がいると、すっごく嬉しい。

 墓参りの後で妹と実家へ行くとラッキーが尻尾を振っている。え~っ!右頬の瘤が消えている!それに跳ねまわって元気そう。お正月に会った時は瘤が顔の半分を占め、動物病院でも見放されていた。弟の連れ合いの話では、その後ラッキーは食欲もなく、好きなチーズを少し食べるだけ。獣医さんから温かくするように言われ、衣類を着せ、毛布で温めて冬を過ごしていたらしい。そうこうしている時、ラッキーは瘤がうっとうしかったらしく前足でさわり続けているうちに瘤が破裂?してしまった。顔中血だらけで血便も出たそうだ。もう長くない・・・と覚悟しつつも、弟の連れ合いが手厚く看病するうちに、なんと瘤がとれた後の傷も回復。本当に、奇跡が起こったみたい。

 ラッキーは迷い犬で、ある時多古の実家にたどりつき、弟が飼い主を探したが見つからず、その後いろいろな名前を読んでみたら「ラッキー」で反応?したのでラッキーになったという。当時我が家には「シロ」がいたのだが、シロが亡くなってからも家族として暮らしてきた。信じられないくらい元気になったラッキーをみて、私もラッキーをもらった気分。今年はいいことがありそう!





□2015年3月18日(木)

 吾妻小学校の卒業式。暖かい陽射しが降り注いでいた。去る13日の吾妻中学校卒業式も穏やかに晴れた一日だった。卒業は門出の喜びとともに、別れのかなしみが混じり合う。特に中学生になると、高校進学でずいぶん離れ離れになる。感情も豊かになっているので切ない思いをする子も多いと思う。その気持ちを大切にしてほしい。

 彼らは21世紀に生まれ、21世紀を生きる。良くも悪くもグローバリズムが世界を覆い尽くしていく世紀となるだろう。しかし、グローバル化、単一化が進むほど、人類とその社会は脆弱化し、劣化し、徐々に衰退していくはず。これは、多様性を失った生物界の宿命だ。その先に何があるかは、想像の域をでない。
 私の悲観論はさておき、これからの世界と日本、私たちの暮らしをとりまくさまざまな環境を思い浮かべながら、すべてのこどもたちに幸からんことを祈る。






□2015年3月16日(月)

確定申告の最終日になってしまったが、必要な書類を持って市役所に出向く。担当課の職員がぜ~んぶ作成してくれるので、助かる。とはいえ、今年の納税額にはガックリ。今日が納税期限というので、その足でJR東口駅前のスカイタウンに移転した千葉銀行へ。ここは初めて。再開発事業も、最後に残った駅前ロータリーの整備が始まっていた。

「このまちは眠っとる!」ふた昔くらい前だったかしら?当時テレビや雑誌に露出度抜群だった評論家(このところトンと見かけない)が、講演のため成田駅に降り立って周囲を眺めまわし、最初に発した言葉と聞いている。
 JR東口駅前再開発は、成田市にとって長年の懸案だった。そして、私の知る限り3度目の正直、形はできた。でも、駅に降り立った人の第一印象は形だけでない。雰囲気やそれを包む匂いがある。それは、このまちに住む人々によって醸し出される。

 参院の予算委員会を聴いていたら、自民党の三原じゅん子さんがタックス・ヘイブンの問題を取り上げる中で突然、「我が国には神武建国以来の『八紘一宇』という素晴らしい価値観がある」というようなことを話し始め、その理念のもとに「世界が一つの家族のように助け合える経済や税の仕組みを提案すべきだ」と首相を煽っていた。あまりの唐突さに思わずのけぞった。
 そういえば、1月末に来日して旋風を巻き起こしたフランスの経済学者トマ・ピケティは「世界各国が協力して資産に課税しよう」と主張している。
 日本だけでなく世界の不平等をなくすために世界共通の税制を提案しようと、具体的な提案をするならわからないでもないが、「八紘一宇」のためにした付け焼刃。
「八紘一宇」はアジア侵略戦争をイデオロギー的に粉飾するのに使われた。無条件降伏によって一敗地に塗れたはずだが、またぞろ「実はこんな素晴らしい意味なんですよ」と、4文字賛美で国民の耳を慣らそうという下心か。実にイヤらしい。





□2015年3月14日(土)

 心待ちにしていた歴博講演会。「古墳の出土品と社会の変化」という題で、講師は歴博研究部考古研究系准教授の上野祥史さん。上野さんは東アジア、中国古代が専門の考古学者で、2010年の企画展「アジアの境界を越えて」(主催/国立歴史民俗博物館・国立民族学博物館)の歴博展示プロジェクトの代表だった。

「アジアの境界を越えて」企画展は考古資料と文字資料に基づいて古代では5世紀を対象に、中国とその周辺諸国で形成されはじめた王権が意識した「境界」、そこを越えて行き来した人・もの・技術・情報を通して「境界」のもつ意味を考えるという、意欲的でワクワクする企画だった。
 また、近現代では近代国家成立前後の18世紀から20世紀を対象に、中国世界とその南北地域の文化や境界の移動に注目。これは私が少しかじった文化人類学や民族学の視点で興味深かった。
 
 その時初めて上野さんの講演を聴いたのだが、会場にいた歴史修正主義者たちが質問をぶつけてきても、考古学の立場からクールに答える彼の姿勢に共感した。

 ・・・で、また話を聴きたいな~と思っていて、やっと実現した次第。今日の講演はAD3C~5Cの約300年間の古墳時代が対象で、まだ「日本」という国が誕生する以前の話。墳丘のかたちや大きさ、埴輪、埋葬施設や副葬品などを通して、列島の外と内的な流れと変化の中から、社会や社会関係の特質に迫るものだった。






□2015年3月12日(木)

 3月定例会最終日。24年間の議員生活最後の議会が終わって、議員団から黄色いバラの花束をいただいた。
 事前に厚かましくもバラの色と数を指定した。黄色いバラを67本。後で団長さんが言うには、卒業式や送別会シーズンは黄色いバラが売れ筋で値段も高いらしい。67本だと予算もオーバーなのでフラワーショップのおススメで1本の茎にたくさん花がついたのを選んだとのこと。確かに、私の好きな黄色いバラの花が67あった。本数にこだわる理由はなく、嬉しかった。
 
 
  向かって右に対で植えてあった白梅が昨年の雪で倒れて以来、残った紅梅が今年も満開。芳香に思わず歩みを止めて眺めるこの頃。 今年白梅を移植するときいていたが、すでに移植に適した時期は過ぎたように思う。紅梅1本でも見事だと思うけれど、「梅は紅白がいい」という人もいる。   


 日米欧の研究チームが、土星の衛星「エンケラドス」に生命が生息できる環境があることを発見した。NASAが1997年に打ち上げた探査機カッシーニのデータ分析の結果、塩、二酸化炭素、アンモニア、有機物が含まれていることがわかったという。
 エンケラドスは直径500キロで表面温度は平均マイナス200℃、地表を覆う厚い氷の一部から水蒸気が噴き出しているらしい。氷の下には中心の岩石と高温で接した液体の海が存在していて、多様な微生物が生息する地球の海底熱水噴出孔に似た環境にあるようだ。
 先日は、NASAが40億年前の火星が水の惑星だったと発表した。木星の衛星には氷の地表の下に海が広がっているエウロパやガニメデ、活火山があるイオなどもある。地球型生命が誕生する条件を持つ星がさらに土星の衛星にまで広がったことを想像するだけで胸が躍る。





□2015年3月11日(水)

 東日本大震災から4年が経った。23万人もの人がふるさとを追われて避難生活を強いられているという。原発事故は収束せず、私たちは事故で放出された放射能に囲まれて暮らしている。
 成田市では震度6弱を記録。市議選の説明会が行われていた市役所6階で体験した。2度目の大きな揺れの後、説明会は中止。
 大地震と大津波、そして東電福島第一原発事故と、3つの過酷な現実が重なったとき、天井が抜けたような不思議な感覚に襲われたのを憶えている。いまもまだ、その感覚をうまく説明できない。

 昨日の毎日新聞に「<地震>発生頻度、震災後100倍 東北・関東の一部」という記事。東北大の災害科学国際研究所の遠田晋次教授(地震地質学)の析でわかったという。
 それによると、余震が著しかった震災直後の2年間を除き、2013311日~今年218日までに東日本の地下20キロまでに起きたマグニチュード1以上の地震発生頻度を大震災前の10年間と比べた結果、発生頻度が約100倍となっているのは福島県・浜通り、千葉県・銚子、岩手県・久慈などの一帯だという。

 また、首都直下型地震対象エリアの地下100キロまでで起きた地震を分析したところ、最近2年間のマグニチュード3を超える発生頻度は大震災前の10年間と比べて約2倍になっているそうだ。いつか足元の大地が大きく口を開けるかもしれない。





□2015年3月10日(火)

 「足立さんはどうして議員を辞めるの?」という声を聞く。議員を辞める時は、「この人と交代します」といって辞める人が多いらしい。そういう組織をもたずに自己流の議員活動をしてきた私が議員を引退する理由は二つ。

一つは成田市議会で「女性」議員をゼロにしたくないという「意地」を張らなくてもよくなったからだ。

私が議員になった1991年の市議選では女性4人が立候補したが、当選したのは日暮澄子さんと私の2人。それ以前、昭和の合併で市政が施行された1954年以降37年間、女性は伊藤みよさんと小早川森子さん2人だけだった。
 私の2期目は日暮さんと中田栄美子さんと私で3人。議員30人中1割になった。少し変わったのかな?と思ったが、3期目で中田さんと私の2人になり、途中で中田さんが亡くなって私1人になった。以後10年間、2回の選挙を女性1人で戦った。長く議員を務めるつもりはなかったけれど、立候補しなければ女性はゼロ。「女性ゼロ議会」にしたくないという思いが先立った。
 6期目で、やっと旧知の會津素子さんが立候補し、女性2人となった。国際空港都市成田の市議会は、まだまだ男の本丸であることに変わりはない。でも、今年4月の選挙には共産党も33歳の荒川さくらさんが立候補する。幼いお子さんが2人いる、子育て中の聡明で活発な女性だ。そして、私にしてみれば2人ともこどもの世代。これからの成田市を担う世代。だから、勝手に世代交代と思い、大いに期待している。

もう一つは、私も今年は68歳。老境を迎えて思うことがある。健康年齢のうちにやり残したことに手をつけながら人生の終わりを静かに迎えたい。
 ・・・と格好をつけながらも、これからどんな世の中になるか不安もあるので、「たいむ」を刷り続けてくれた簡易印刷機と紙折り機は処分しないで残しておこうと思っている。このホームページは任期の4月29日(その日は私の68歳の誕生日でもある)で閉じ、ブログを新設するが、ネットだけに頼れない〝団塊〞アナログ世代の性なのかなあ・・・。





□2015年3月9日(月)

 議会改革特別委員会。成田市議会基本条例が4月1日から施行されるので、スムーズの運用されるように陳情・請願の意見陳述や反問権、自由討議、議会報告会、広報広聴委員会などの運用基準や、条例にはないが透明性を図るための正副議長選挙実施要綱や予算・決算の流れなどの運用規則をまとめて申し送る。あとは、4月26日の市議選で選出された議員で構成する議会が使い勝手良く手直しすればよい。

 2月13日から始まった3月定例会も、12日の最終日を残すのみとなった。去る2日~4日の予算特別委員会最終日に風邪をひき、翌日から寝込んでしまった。葛根湯では症状が改善しないのがわかったので古い友人に総合感冒薬××を買ってきてもらって2日ほど飲む。症状を説明したらお店の薬剤師さんが××を薦めてくれたようで、昨日はずいぶん楽になった。でも、リンパ腺の腫れが少し残っていて熱っぽい。

 近年、風邪で医院に出向くことはない。体調が悪いのに出かけて、待合室で待たされている間ゲホゲホせき込む人や熱に浮かされた人たちの中にいるのはしんどい。待っている間に更に症状が悪化するようなので遠慮している。まー、他人のことを言える立場ではないけどね。それでもドクターの診察を受けなければならないほどしんどい症状でもないということだけれど。

このところお天気が不安定でよく雨が降る。ニュータウンのケヤキやユリノキも薄紫色に煙って芽吹きが近い。胸が躍る。

立ち上げから会員となって応援している「エコネット美(チュラ)」の便りだと、沖縄では5月頃にヤンバルの森を白く彩るイジュ(ツバキ科の常緑高木)が昨年12月頃から咲き始め、1月には桜のピンクとイジュが同じ頃に咲くという「妙な光景」だったらしい。これも気候変動の影響かと、心配していた。
 イジュ、その花のように・・・」と、いにしえから沖縄の娘たちのあこがれでもあったという乳白色で香り高い花を思い浮かべながら、辺野古で基地移設と闘う人たちを思う。





□2015年2月14日(土)

 昨日から3月議会が始まった(会期は3月12日まで)。
 今朝習慣で寝起きにラジオをつけたら、「NHKは今後『イスラム国』の呼称ではなく『過激派組織IS=イスラミックステート』を使用する」と言っていた。

 1月20日に人質事件が発生して以降、何度「イスラム国」を耳にしたことか・・・。「イスラム教とムスリムに対して誤解や偏見、差別と排斥が広がる」ことを懸念する声がある中で、NHKの判断は遅きに失したとはいえ歓迎する。
 一昨日(12日)に「日本放送協会:『イスラム国』という呼称の使用を中止するよう求めます」というキャンペーンがネットのchange.orgで発信された。発信者は東京の中妻じょうたさん。NHKに限らず、マスコミ各社にも呼びかけている。
 よびかけでは、この「イスラム国」を名乗る過激派組織は、アラビア語で「ダウラ・アルイスラーミヤー・フィー・アルイラーク・ワッシャーム」、省略形が「ダーイシュ」。フランスは昨年9月にこの名称使用を決め、米国も昨年暮れに「ダーイシュ」と呼ぶよう公式発表しているという。日本でも自民党や外務省は「ISIL」に統一したらしい。こうした例をあげてじょうたさんは、日本の報道機関や国民も「イスラム国」という名称を使用しないキャンペーンを始めた。
 私も12日にネット署名したところ、翌13日(昨日)でなんと15,275人の著名が集まった。そして、いきさつはわからないが今朝のNHKニュース・・・。

なんだかなぁ~と思うFAX連絡が企画政策部より昨日の日付で送られてきた。それによると、国から「近未来技術実証特区におけるプロジェクト」の提案募集があったので、これまで先端実証産業集積の一環として国家戦略特区の規制緩和を検討してきたなかの「成田国際空港を活用したドローン(無人航空機)技術実証実験特区」の提案を行ったとのこと。
 私の知っている農薬散布のラジコンヘリなどは序の口。「ドローン(小型無人航空機)」といえば、戦争では米軍がイラクやアフガンで使用している対戦車ミサイルなどで武装した「キラードローン(殺人無人機)」や、マイクロ技術を使った鳥型・昆虫型ドローンが知られている。医療や農業、犯罪まで網羅する技術だ。
 それにしても、空港を「活用」してどんな技術実証実験をやろうというのか。
米国ではパイロットが飛行中、無人機と遭遇したという報告が急増。機体に衝突したりエンジンに吸い込まれたりすれば深刻な事故につながりかねないのでパイロットらは懸念を強めているという。ホワイトハウスの敷地内に墜落したりしている。
 成田市が国家戦略特区で何をどうするかはもっぱらコンサル頼み((27年度予算では委託料2,400万円)、これからいったい何が飛び出してくるというのか・・・。





□2015年2月11日(水)

 市民の方から9日開催された国家戦略特区の第2回成田市分科会に関する記事をメールで送っていただいた。国からは内閣府地方創成推進室長、成田市からは2人の副市長と企画政策部長、国際医療福祉大学関係者が出席し、4人の有識者からのヒアリングでは、医学部新設にあたって、地域医療への影響があるか、国際医療人材の育成の視点から有識者の意見を聞いたという。

内閣府によれば、国際的な人材を育成する医学部の必要性(渋谷健司氏・東大)、2023年以降は世界医学教育連名(WFME)で認定された医学教育を行うことが求められるが日本の臨床実習の少なさが問題(奈良信雄氏・東京医科歯科大)、医師の数と質から新たな医師養成機関の設立を提言(福井次矢氏・聖路加国際大学・病院)、2010年と2035年の推計をもとに千葉県の医師数が少ないので地域医療の担い手を養成する視点から医学部の新設が必要(湯地晃一郎・東大)という意見が出されたとのこと。

要するに、有識者は全員が新設に賛成のようだ。よくあることだが、賛成する有識者を中心に人選したということだろう。次回の開催日は未定ということらしいが、3月にもう1回分科会を開いて結論をだすのでは?という話もある。推測の域を出ないが。

「建国記念の日」安倍政権になってこの日を「建国記念日」に格上げしようとする動きがあるらしい。「架空の天皇が即位したという架空の日」が建国記念日になるなど、信じられない。岡本雅亨福岡県立大学准教授によれば、この架空の日とは、考古学的にいうと縄文時代晩期の紀元前660だそうだキャハッ!
 日本列島に辿りつき、棲みついた人々が、それぞれの地域で暮らすなかで紡いだ出雲神話、大和神話、アイヌ神話、琉球の島ごとの神話などなど、日本には多元的で豊かな創成神話が残されているにもかかわらず、だ。





□2015年2月10日(火)

 午前中は議員研修会。(財)地方自治総合研究所・所長の辻山幸宣(たかのぶ)さんの講演「市民協働と自治体の課題」。「議会の住民代表機能の不発」の要因にかつての革新自治体の行政手法を挙げていたのには賛成しかねるが、その他は納得して聴いた。今日は市長部局の参加がなかったのは残念。成田市の市民協働の姿勢は「行政主導」であることがネック。

 午後は議案説明会。27年度当初予算が示された。一般会計は611億円で、前年度(615億円)に比して0.7%(4億円)の減。
 マイナス原因は固定資産税が0.5%(約9,700万円)減、、市たばこ税が8.5%(約1億560万円)減と見込んだため。一方市民税(個人・法人)は0.3%(約2,776万円)の像となっている。
 固定資産税はマイナス予算ではあるものの、1877,004万3千円が計上されていて市民税(106億2,614万7千円)よりも多く、成田市にとって基幹的税の一つであることに変わりない。
 特別会計2866,485万5千円と合わせると、総額8976,485万5千円で3.2%増。

夕方、市東さんの農地取り上げに反対する会で市長宛てに公開質問状を提出。これは昨年1129日の松井利仁北大大学院教授を迎えてのシンポジウムで採択された集会宣言をふまえて提出した「申し入れ書」への市の回答に対する質問状で、空港部が対応。





□2015年2月8日(日)

 「民間税制調査会」の設立記念シンポジウムに参加した。日本でも格差が拡大してきており、富の分配・再分配の問題をしっかり考え、富裕層に富を集中させないような税や税制を考えていこう、政府税制調査会の税制大綱に対して民間からの「大綱」を公表しておおいに議論を巻き起こそう、という主旨に興味をもった。
 大学教授や弁護士といった発起人のみなさんは、有名な不等式rgなどで社会現象化しているトマ・ピケティにも触発されたようだ。

日本国民は70年前に主権者になったにもかかわらず、いまだに税は「とられる」という発想。自分たちが選んだ「政府」への信頼や「税」の使い道への納得にもかなりのギャップがある。なんでかな~、民主主義における主権者教育が立ち遅れたままだからかな~、などと思っていたが、給与所得者の源泉徴収などが税や税制について考えたり議論したりする土壌を奪ってきたという指摘にはなるほど、と納得。

政治は税金をどう使うかということでもある。以前も日記に書いたことがあるが、米国のある上院議員事務所で仕事をしたことのある人の話では、送られてくる手紙の冒頭には必ず「s a Taxpayer」と書かれてあったという。さすが、「代表なければ課税なし」で、勝手に法律を作って税金だけ絞り取ろうとする英本国に対し独立戦争を戦った国の国民だ。

 PHOTO BY MACHIKO
水野和夫さん(日大教授)が「資本主義の終焉と歴史の危機」、三木義一さん(青山学院大学教授)が「主権者として税制を決めよう」と題した基調講演を行った。







□2015年2月6日(金)

 13日から始まる3月議会の一般質問を「通告」。今期限りで議員をやめるので、私にとっては最後の一般質問となる。

9日(月)朝8時30分から国家戦略特区の成田市分科会が開かれるという担当部からのFAX通知。そんなこともあってか、夕刊の小さな記事が目に飛び込んできた。民主党政権で文部科学副大臣を2年務めた鈴木寛さんが、6日の閣議で文科大臣補佐官に任命されたという。党内の候補者選びのごたごたが影響して選挙で落選した後民主党を離党し、昨年から文科省の参与になっていたらしい。へ~え、と思った。
 私の記憶では、鈴木寛さんは自民党政権下で動きが止まっていた医学部の新設に熱心な人だった。当時それを見込んで民主党政権下で医学部新設を実現しようとした人たちの動きが活発化していた。

 鈴木さんが補佐官に登用されたのは、東北に医学部新設が決まったことと関係あるのかな・・・或いはもしかして成田市への特区医学部新設に向けてかな・・・などと勝手に想像してしまった。





□2015年1月21日(水)

 今朝の朝日県版を見て一瞬胸が躍った。一つは明治末まで房総半島南部の丘陵に広がっていた「嶺岡牧」の特別展が開かれるという。最近の発掘調査の成果を「県酪農のさと」(南房総市)で公開する。もう一つは鎌ヶ谷市にある国指定史跡中野牧「捕込(とっこめ)」(小金五牧の一つ)が初めて発掘調査され、24日に現地説明会が開かれるとのこと。

 報道によると、鎌ヶ谷市は捕込を街おこしに取り入れ、09年度から「春の牧ウマまつり」として落語会や「とっこめ桜まつり」をやっているそうだ。成田市の南三里塚五十石の山林にも、鎌ヶ谷の捕込に負けない、取香牧(佐倉七牧の一つ)の「捕込」が当時のままの姿をとどめているのにな~。
 取香牧には2つの捕込があり、先に造られた古込は空港で消滅、ここ新込が残った。1994年4月、当時の市長に要望書を出した。この五十石捕込を牧の歴史を今に残す史跡公園として整備し、富里市の藤崎牧士館、三里塚記念館を結んで歴史を学び、活かす場にしてほしいと。長谷川市長はゴム長靴をはいて現地を見て下さった。
 捕込のある山林は所有権が複雑とかで一歩を踏み出せないまま、2001年を中心に市教委が発掘調査(報告書は市教委)。樹木が切り払われた跡に見事な土塁が出現。中心部約3,000平方メートル、築かれた土手の高さは最高4メートル。「昔は松の木が数本あるほかは草で覆われ、こどもたちには絶好の遊び場だった」戦後ここで学校から帰ったあと日が暮れるまでチャンバラ遊びをして育ったという男性が、感慨深げに語っていたっけ。五十石についてはその後は動きなし。いまの成田市には郷土の歴史や文化は二の次ということなのだろう。





□2015年1月20日(火)

 八ツ場ダムのメーリングで、本体工事が21日から始まることを知る。ダム建設地には市の水道審議会視察のほか、ダム建設に反対する人たちとの現地調査などで計3度行ったことがある。
 そもそも、この地にダムを造ること自体がナンセンスだ。計画から60余年、治水・利水いずれをとってもいまダムを建設する必要性はない。これまでだって、無駄な公共事業の筆頭に挙げられていたダムで、民主党政権で中止になると願ったが腰砕け。ダムのゾンビを見る思いだ。
 一帯は浅間山の噴火で堆積した地層で地滑りが起きやすい。補強、補強の連続だ。小学校の移転工事先でも打ちつけたコンクリート横が崩れるのを見た。さらに、ダムに集める水は鉄やコンクリートをぼろぼろにするほどの強酸性。上流の工場で「石灰ミルク」による中和を行い、下流に造られた品木ダムにいったん貯留した後、八ツ場ダムがけんせつされればそこに流される予定。
 品木ダムには石灰ミルクの粉末が沈殿し続けるので、ダムある限り浚渫して処分場に運び込まなければならない。私が視察した時も浚渫船が底を浚っていた。

これだけでも何のためのダムかと思う。さらにダムは吾妻渓谷を破壊して建設される。関東耶馬渓と呼ばれる渓谷美は台無し。鎌倉時代からの川原湯温泉も閉鎖、周囲の生態系にも影響大。まったく無駄なダムなのに止まらないこの国の政治、理不尽だ!





□2015年1月16日(金)

 午前中は議会改革特別委員会の協議会。議会基本条例の運用(今日は正副議長選挙の立候補制、反問権の時間の取扱い、請願・陳情者の時間の取扱い)について話し合う。

 午後、有楽町朝日ホールで開かれた第6回地球研東京セミナーに参加(主催・総合地球環境学研究所)。「環境問題は昔からあった~過去から見える未来」というテーマで、人口変動と環境制約~江戸システムを事例として(鬼頭宏・上智大学教授)、気候変動によって人間社会に何が起こったか~弥生から近世まで(中塚武・地球研教授)、旧石器・縄文時代の環境変動と人々の生活の変化を考える(工藤雄一郎・歴博准教授)、縄文人に主食はあったか~食の多様性と環境問題(羽生淳子・地球研教授)という4つの講演は、それぞれ最新の研究成果に基づいて気候変動、環境破壊、人口増加、食料不足といった現代の(地球的)課題にも迫り、人類社会の未来を展望するというもの。
 気候変動という外的な要因に対し、滅びてしまった文明や社会もあるなかで先人たちがどう対応して今日に至ったか、内的な要因を様々なジャンルの研究者が学際的に論じ、研究成果や課題を共有していく、パネルディスカッションとあわせて刺激的で心地よいひとときだった。

今月29日には同じ朝日ホールでトマ・ピケティの「21世紀の資本 限界と未来」と題する講演とパネルディスカッション「日本社会は経済の不平等にどう取り組むか」といシンポジウムがあるのだけれど、参加申し込みは今日締切りで応募多数の場合は抽選となる。申し込んではあるけれど、どうなることやら・・・。





□2015年1月11日(日)

 成田市の成人式が空港第二ターミナルの中央広場で催された。今年の成人は女性657人、男性671人の計1,328人。ここで開催されるのは昨年に続いて2度目。私は昨年出席できなかったので、初めて。これからはここが会場になるのかしら?
 今日は穏やかな晴天に恵まれて、周囲のデッキには車で送迎の保護者も見守る中での成人式だった。災害・荒天時には変更したり、テントを張って行うとはいうものの、状況次第ではお祝い気分も半減しそう。
 
 成人式というのは、文化人類学的には「通過儀礼」。本来大人になる儀式には試練がつきものだった。時代によって変わっていくとはいうものの、いまどき成田市に限らず日本の多くの自治体が行っている成人式は骨抜きになってしまっている。こどもの貧困率が16.3%の国だ。晴れ着で着飾れる子はいい。でも、こうして定着してしまうと出席できない子もいるだろう。「みんな普段着でいらっしゃい」とはいかないものなのだろうか。複雑な気分だ。

       

連続テロで17人が犠牲になったフランスではパリで130万人規模の大規模なデモ行進があった(フランス全土で350万人)という。その中では盛んにフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が歌われたそうだ。人民が血を流してかちとった自由・平等・博愛だ。それを奪おうとする者への怒り。今も人々の心の中にその血が流れているのを感じた。
 「いざ進め 祖国の子らよ 栄光の日は やってきた 我らに対し 暴君の 血ぬられた軍旗は 掲げられた 聞こえるか 戦場で蠢いているのを 獰猛な兵士どもが 奴らはやってくる 汝らの元に 喉を掻き切るために 汝らのこどもの (コーラス) 武器をとれ 市民らよ 組織せよ 汝らの軍隊を いざ進もう!いざ進もう! 汚れた血が 我らの田畑を満たすまで」





□2015年1月8日(木)

 リサイクルプラザで6日、「処理困難物」(不発弾)が混入していたという。
 職員が「金物・陶磁器・ガラス類」の指定袋を処理しようとした際、袋の中に「砲弾状の金属塊」を2個発見し、成田警察署に通報。警察が施設を閉鎖して調査し、自衛隊と協議して「不発弾(火薬の有無は不明)であるが安全に移送できる」ということで成田署に運んだ。今日の段階では成田署に置いてあるようだが、自衛隊に運んで処理するという。 猟銃の弾かしら?くらいに思ったが、今日担当部に聞いたら大小の金属塊で、大きいほうは長さが30cmくらいあるらしい。用途は市も「今はわかりません」。よくわからない話だ。

 お笑いの「爆笑問題」がNHKで政治家ネタを使わせてもらえなかったという。担当プロデューサーが「斟酌」したようだ。かつて慰安婦問題の国際法廷をとりあげたドキュメンタリーに横やりを入れてきた安倍・(亡)中川極右コンビに斟酌して番組を改ざんしたNHKだが、ついにお笑い芸人のネタまで事前検閲する人間が出てきたようだ。さしあたり、爆笑問題がそれを他局でバラすことができる自由は、まだ日本にはある。

 7日、フランスで風刺画を売り物にする週刊新聞の事務所がテロリストたちによって襲撃され、12人が殺害された。この「表現の自由という普遍的な価値への挑戦」に対し、その夜パリはじめフランス各地で犠牲者を追悼する集会が開かれ、10万人が参加。ロンドンやベルリンでも追悼集会に数千人が参加したという。





□2015年1月7日(水)

 5日の仕事始めは昨年11月のシンポジウムでの自分の報告(約30分)をテープ起こし。議会の行政視察でも後でテープを聴いて自分の声に接することはあるのだが、30分も自分の声を聴き続けるうちに、あらためて「私ってこんな声してるんだ~・・・」

 昨日は桜島が膨張していて大噴火の可能性が高まっているというニュース。ほかに十勝岳と福島県吾妻山では噴火警戒レベルが2に引き上げられた。阿蘇山は断続的に噴火し、霧島連山の硫黄山は小規模噴火の恐れがあるという。4つのプレートがぶつかってできた日本列島。地震も火山も活動期に入ったようだ。地球は生きているんよ~。

 今日はスーパーでパック入り七草(大分県産)を買い、草粥を食べて健康に気をつけることを誓う。七草全部が入ったお粥を作るのは何十年ぶりかしら。
 昨年のお正月はその前々日の1230日から右の胸半分に帯状疱疹が出て、痒かったりピリピリしたりで目出たさも3分の1くらいだった。疱疹を数えたら28個。周囲に病気自慢をしたら「軽い方だといわれた」が、辛かった。「地獄を見た(!)」人もいるらしい。
 年齢とともに免疫力も落ちてくる。私の場合サプリメントの類はいっさい摂らないから、3度の食事と運動による健康管理。それで自然に枯れて行くことに抗わない。





□2015年1月2日(金)

 今朝7時頃、赤坂5号橋で街路樹や住居の間からはるか彼方、朝日に映える富士山が見えた。暮れに夕陽を背にした富士のシルエットを撮影した場所。写真を撮っていたらウオーキングおじさん(さしずめ私はカメラを持った徘徊おばあさんかしら?)が、「今日もきれいだけど昨日の方がもっときれいに見えたよ」と声をかけてきた。確かに、昨日は東の空に雲の筋がかかっていたが、西の空はくっきりと晴れていた。
 でも、やっぱり元日は初日の出でしょう。「え?昨日東は曇っていたのに日の出が見えた?」というから、デジカメを開けて「ほらー、ね!」と雲の間から顔を出した初日の写真を自慢。もちろん、雪化粧をした新春の富士は格別に清々しい。
 ついでに「この橋からスカイツリーも見えるというけど、見たことない」と言ったら、見える位置を教えてくれた。で、初めて見た!

      
  富士は印旛沼や郷部大橋からも見える。ボンベルタの立体駐車場から撮った写真を送ってくれた人がいて、それは赤坂5号橋に比べ遮るものがないのでもっとよく見える。また、酒々井の東京学館近くからはすそ野の広がりまで見えるらしい。何しろ日本一の山だから、私が騒ぎたてるまでもなく、いろんな場所から見えるだろう。
 

 今日2日は新春恒例の実家詣で。お正月を味わい楽しむ。

 世界で話題の「21世紀の資本」の著者トマ・ピケティ。パリ経済学校教授で、邦訳出版を記念して今月末に来日し、3ヵ所で講演が予定されている。朝日新聞とフランス大使館などが主催の講演会には年末にネットで申し込んだが、希望者が多ければ抽選になるという。クジ運はからきしダメなので心配になり、残る2ヵ所にも申し込んでおいた。うち一ヵ所も応募多数場合は抽選。なんだか心細い限りだ。
 1991年のソ連邦消滅以降、「資本主義の一人勝ち」といわれる21世紀。グローバル化(とりわけ経済)が世界を覆い尽くす中で、資本主義が本質的に内包する資本の自己増殖性は様々な顔をみせながら搾取、不平等が拡大しつつある。
 ピケティは資本主義の過去から現在に至る膨大なデータを分析する中で、資本主義の制御不能性を恐れつつ、資本主義を維持しつつ民主主義の危機を克服する道を説く。彼の税制や社会政策の実効性について、マルクス以降の人類史的なテーマに迫る話を聴いてみたい。
 彼の評価を高めたというデータを駆使した「大著」を読むには、私にはもう根気がない。






□2015年1月1日(木)


    A HAPPY NEW YEAR 2015!

    PHOTO BY MACHIKO
      中台運動公園 初日の出スポット?より