2011年1月1日~2011年6月30日
□■□2011年6月30日(木)
6月議会の最終日。請願第7号「原子力発電に頼るエネルギー政策の転換と福島第一原発事故による被害者等への対応について意見書提出を求める請願書」の紹介議員として、経済環境常任委員長報告の趣旨採択に反対し、原案に賛成の討論を行う(討論内容は議会レポート参照)。
〝趣旨採択〞というのは市民感覚からすると「採択はしてもらえなかったが理解してもらえて良かった・・・」と思うかもしれない。確かに不採択ではない。ところがどっこい、反対も賛成も出来ないという責任逃れの表決態度。
議会終了後、議場で〝ふれあいコンサート〞。王霄峰さんによる二胡(胡琴の一)の演奏を聴く。合間のお話も王さんの誠実なお人柄とユーモアのセンスが混じり合って気持良かった。二胡の音色にふと、「草原情歌」を思い出した。
□■□2011年6月28日(火)
この時期一斉に開かれる企業の株主総会。今日は東京電力株主総会が開かれた。去年よりも5000人以上多い8657人の株主が出席したそうだ。
ずいぶん前に脱原発で株主になった知人も毎年参加している。が、今年は注目度が違う。事故の責任や原発からの撤退を求める意見とともに、恒例の原発からの撤退を求める株主提案(議案)も提出された。
これまで賛成は5%くらいだったというが、今日は隠し映像をみるかぎり相当数の株主が手を挙げていた。でも〝反対多数〞で否決。賛否の数は数えないそうだ!同じく今日開かれている中部電力や九州電力の総会にも脱原発の株主提案が出されているが否決だろう。でも、この流れが変わることはないと思う。
土曜日(7月2日)から国立科学博物館で始まる〝恐竜博2011〞。朝日新聞(主催)で見開き2ページの宣伝。私はもう一ヵ月以上前から予定に入れているのでソワソワ。恐竜の最新情報を紹介するというので楽しみにしている。
「科学の学説は真実にどこまでも近づいていくが、決して真実そのものに到達することはない。データを正しく解釈し、正しい推論が行われても、やがてまたその考え方が通用しないような反証が現れてくる。そこでまた、その反証をも含めて、あらゆるデータを解釈し直し、推理しなおして新しい学説が組み立てられる」という。今から40年くらい前、アドリアン・J・デズモンドが「THE HOT-BLOODED DINOSAURS」(邦題「大恐竜時代」二見書房1976年刊)で書いている。
この本は、当時最新の研究成果をもとにして〝恐竜は温血だった、鳥類は空を飛ぶという一点だけを除けば、恐竜そのものだ。鳥類が温血なのはすでに温血だった恐竜から生まれてきたからだ〞として恐竜時代を見直し、脊椎動物の分類を合理的に組み替えるよう主張している。
その後古生物学の分野で恐竜研究はさらに充実してきた。最近は身体の色やフサフサした毛が生えていたとか、先日も恐竜の体温は人肌(36~38度)だったとか、恐竜ファンを興奮させる新説が相次いで発表されている。今度はどんな新発見があるかしら・・・。
□■□2011年6月27日(月)
保育課より6月21~22日に測定された市内保育園・幼稚園の放射線量測定結果がFAXで送られてきた。保育課によれば最も高い数値が出ている場所で年間約1.51ミリ㏜、極めて1ミリ㏜に近い値であり通常通り日常生活を送って心配ない数値といえるとのこと。しかし、事故の終息が不透明なので引き続き注意深く監視していくとのこと。
「1ミリ㏜を目指す」は世界の合意。そして、アメリカ科学アカデミーや国連科学委員会ECRR(放射線リスク欧州委員会)も放射線量についてはこれ以下なら安全という〝しきい値〞はないと言明している。
ロス市警殺人課のコロンボ警部役ピーター・フォークさんが23日夜亡くなったという。昨日の朝日「天声人語」は、柴又の寅さん渥美清さんと重ねあわせてその功績をたたえていた。
以前「理想の男性」として、恋愛するならレット・バトラーのような人。激しく愛されたい。結婚するなら「大草原の小さな家」のローラのパパのような人。妻ひと筋のところがいい。老後は刑事コロンボのカミさん・・・といったムシのいい、でも同性としては笑ってうなづける投書が新聞に載っていた。この日記にも書いたことがある。
私もNHKが1970年代に「刑事コロンボ」のパイロット版を放送した時以来シリーズのほとんどを観てきた。近年も番組表に載っているのをみつけると習慣のようにテレビをつけてしまう。もっとも、殺人のあとコロンボがふらふら登場してから先はたいてい眠ってしまうけれど。
私の記憶に残る好きな作品は、まだワインの味も分からなかった頃にみた「別れのワイン」。ワイン造りに生涯を捧げてきた男とコロンボが交わすワイン談義が興味深かった。
□■□2011年6月26日(日)
7月31日告示で8月7日投票の柏市議選に立候補する内田ひろきさんの事務所開きにかけつける。内田さんは娘より1歳年上の1971年生まれだから、私にとっては子どもの世代だ。全盲、だからこそ見えてくるものがたくさんあり、人権、福祉、平和、環境、さまざまな市民運動に関わっている〝闘う障害者〞だ。私もその中で出会う。
午後は幕張で「有害物質化学物質から子どもの健康を守る千葉県ネットワーク」(通称子ども健康ネット)の総会。長年活動してきた「農薬空中散布反対千葉県ネットワーク」も昨年から合流した。
総会終了後は福島原発事故による放射能問題もあり、「子どもたちの未来のためにできること」というタイトルで柏市在住の柳沢典子さんが講演。柳沢さんは子育て中に起こったチェルノブイリ原発事故以来、〝食の安全〞のための市民運動に関わってきた人。今回の福島原発事故でもいちはやく放射能汚染問題に取り組み、いま私たちにできることは何かを発信し続けている。その最後のしめくくりは〝知る。できることをする。あとは笑って過ごすこと〞。
以前「チェルノブイリは女たちを変えた」という本のことを日記に書いた。日本でも、新しい命を宿し育みこの世界に送り出す「女」たちが変わらないと・・・と思っていた。いま、福島原発事故をきっかけにして子どもの健康と未来を考えるお母さんたちの懸命の活動が始まっている。女が変われば男が変わる・・・ん?以前こんな選挙スローガンがあったね。
□■□2011年6月25日(土)
午後から湿った北東の風になった。古墳の周りに生えた木がザワザワと音をたてる。一週間分の家事や買い物などを済ませ、久しぶりにテレビの前に座った。「ベストテレビ2011―テレビ賞に輝く感動のドキュメンタリー作品民放番組含め一挙放送」(BSプレミアム)という番組が正午から始まっていた。ドキュメンタリーは好きなジャンル。
テレビをつけた時は4本放送されたうちの3本目で「二本の木」という番組が始まっていた。がんを宣告された妻と家族の日々を夫が映像で記録し、当時の夫婦の日記を竹下景子さんと片岡仁左衛門さんが朗読する。スタジオの別室から朗読する2人を見守るご夫婦の2人の息子さんたちの表情をカメラが追う、といった構成だった。妻が60台半ばで亡くなったあと半年後に夫も亡くなったとか。来世も強い絆で結ばれたご夫婦だったのだろう。
特にそれを感じたのは夫の日記から。がんの疼痛で昼夜苦しむ妻が24時間眠りたいと懇願し、医師が睡眠剤を投与した時。彼女の意識が薄れていく中、彼が「ルチア(妻の洗礼名で光という意味)、明るい光を目指していくんだよ、輝く光の方へ行くんだよ」と声をかけ続けたそうだ。きっと彼女は光に向かって歩きはじめたことだろう。
もう一つのドキュメンタリーは「密使・若泉敬」。沖縄返還交渉の過程で佐藤首相(当時)の密使となり、米国と交渉にあたった民間人。友をも欺く非情な国際政治に操られていたことへの自責の念と無念の自死に至る過程が、胸に迫る。
先日からミツバチが訪れるようになったが、今日もミニガーデンで嬉しい発見!ルーの黄色い花の下にアオスジアゲハ?の幼虫が!まさかルーに・・・。コロコロ太って元気に育っているみたい。どんな姿をみせてくれるかしら。
□■□2011年6月24日(金)
総務常任委員会。私の表決態度は総務に補正予算をふくむ5つの議案すべてに賛成。ただ、防災行政無線固定系更新工事の請負契約については、入札経緯について意見を述べておいた。
一昨年から3年計画での更新工事の最後の工事契約だが、電子入札制度による制限付一般競争入札で、一昨年は18社が応札しすべて同額を提示、審査の結果2社失格後16社で抽選、くじ引きで日立国際電気が落札。昨年は3社が応札し、やはり同額で抽選し、同じ日立国際電気が落札。この際3社のうちの1社(日立国際電気サービス)は日立国際電気が株主となっている会社。今年は日立国際電気のみが応札し落札。今回の議案はこの件で議会の議決を求めるものだった。
落札率は1回目が85%、2回目が89.88%、3回目の今回は99.84%。なんともはや、だ。これは「仮に適正に執行されていたとしても、市民がそう認識、評価できるか」という、随意契約に対する入札等監視委員会の委員長の言葉をそのまま使いたいような内容だと思う。
帰ると、産直野菜が届いていた。今日のケースには大根、ジャガイモ、タマネギ、人参、ニンニク、キュウリ、ズッキーニ。大根と人参は葉付き。元気な夏野菜が嬉しい。黄色と緑のズッキーニは、ラタトゥイユで決まり。
今年はジャガイモ、タマネギ、ニンニクが大豊作なんですって!手のひらズッシリの見事なニンニクでナットク。
農家の加代子さんによれば、去年の猛暑のせいか大量発生しているのが夜盗虫。草取りをしていても、収穫作業の中でも一番すごいみたい。農薬を使わないから虫は一匹一匹手でつまんでいくらしい。今年は虫とりのボランティアに行こうかしら。
□■□2011年6月22日(水)
猛暑の中で夏至を迎えた。5月末に例年より早く梅雨入りしたので明けるのも早いといいんだけど・・・。今日は強い陽射しの下をバスと歩きで市役所へ行く。
19日(日)、信号手前で横にならんだお兄さんが車から降りて窓からのぞきこんだ。ムムム何ごとや・・・と思ったら、無表情で「ストップライトがつかないよ。追突されないように気をつけたほうがいいよ!」と注意してくれはった。平成4年製造の車なので、そういうこともあるわね。月曜日は修理工場が休みだったので、昨日夕方預けて今日引き取る。
医療問題特別委員会。一昨年成田日赤が諸般の事情で一次救急を止めると言いだしたところから始まった成田市の医療問題だが、私はもともと市立病院のないところに「特別委員会」を設置するのは???だった。
それでも、一次救急を確保するのは市の責任ということで、議会でもH21年12月に特別委員会が設置され、22年3月に市・日赤・市医師団・印旛郡市医師会4者「覚書」を経て、市が負担金を支払って成田日赤に初期救急医療体制を整備・運営してもらうことでとりあえず一件落着。今年度予算でも1億4800万円が計上されている。
そもそも、日赤がかかえる問題はこの国の医療問題でもあるから、不安定要素もある。運営状況などを確認する協議機関も定期的に開かれているようだし、別途議会からも4名が加わる成田赤十字病院運営協議会(病院建設費35億円の補助金を支出したのをきっかけに設置)もある。スタートがスタートだっただけに、前期で解散かと思っていたが・・・。
委員会終了後に大栄診療所となのはなクリニック・病児保育室を視察。それぞれのドクターの熱意と使命感にふれて医療の原点を教えられた思い。
□■□2011年6月21日(火)
午後は教育民生常任委員会を控室でテレビ傍聴。ほかの作業をしながら聞けるし、委員会室では聞こえにくい声もきちんと拾ってくれる。
どんな意見が出るか関心があったのが「中学校の教科書採択に関する陳情書」。陳情者には、市議会から教育委員会に圧力をかけさせようと言う、政治的な思惑がある。
先日もこの「日記」に書いたが、今年は教科書採択年。3月議会では千葉県議会が自民党の数の力で同趣旨の決議をあげた。森田知事がつくる会系「歴史観」の持ち主で育鵬社版教科書に関係しているということもあり、成田市の自民党系議員がどのように反応するか、関心があった。
かつては、つくる会が扶桑社版教科書を採択させようと派手に動いた時草の根保守が多い成田市議会自民党系議員の多くは眉をひそめていた。文科省の検定を通って広く使用されている教科書を「自虐史観」と批判する思想右翼「つくる会」の考え方にはついていけなかったようだ。
当時の教育長も採択終了後、「足立議員、ああいう教科書を採択することはありませんから、心配しないで下さい」と語っていた。
しかし、今回はちょっと雰囲気が違った。当時市議としてつくる会教科書を熱烈に支持し採択を主張した小泉さんが市長2期目をスタートしたばかりだ。その思いやいかばかりであろう。自民系議員がどう動くか。趣旨採択にもっていこうという動きもあったようだ。そんな状況がちょっと気になっていた。
審議では自民系は若い議員も含め、なんだかつじつま合わせのような「反対」意見を述べていた。テレビ画面を通してだが、市長も机の下の足元がなんとなく落ち着かない様子だった。結果は全会一致で不採択。いったいどんな力が働いたのかしら?いずれにしても、良い結果だ。
去る6月8日、千葉県教育委員会会議は同趣旨の、しかも「(つくる会系2社の)教科書採択に心がけるよう指導助言する文書を発出されるよう」とまで要求する請願を不採択としている。その意図するところは推測の域を出ないが、森田知事が文科省から引き抜いた教育長はじめ採決に加わった委員全員が不採択とした意味は大きいと思う。まあ、鬼澤教育長は学識も気骨もある方だから雰囲気に流されることはないだろう。
□■□2011年6月20日(月)
午前中、建設水道常任委員会。午後、経済環境常任委員会。経済環境常任委員会では私が紹介議員になった請願「原子力発電に頼るエネルギー政策の転換と福島第一原発による被害者等への対応について意見書提出を求める請願書」(提案者・命を守ろう!地球市民の会)を審査。原案に賛成してくれた議員も2名いたが賛成多数で趣旨採択。
採択できない理由の一つは請願7項目の2番目にある「稼働中の原子炉をいったん停止し、総点検すること」という文言。全部止めたら電力が足りなくなるということらしい。東電はじめ原発利権、既得権益に固執する〝原子力ムラ〞のムラ人たちが意図的に流すデマを口実にした隣りムラの人たちの言い分に聞こえる。
「何もしなくても、電力は足りている。別にいますぐ太陽光や風力や原発を代替えする必要はない。特に今年夏に向けて急ピッチで建設されているガスタービン発電所は、あっという間に百万キロワット以上を確保できる見通し・・・
休止火力の立ち上げも見込めるし、何よりも昨年まで電力会社の設備が余剰だったためにコスト高になっていた自家発電全国6000万キロワットがフル稼働するだろう。・・・東電の利益が減るだけだ。・・・(火力の)燃料代で毎月1000円増は起こらない。ひっ迫したら需給調整で東電管内で少なくても100万キロワットピーク下げられるという。省エネがビジネスチャンス。騒いでいる経団連などは巨大資本の上にあぐらをかいて既得権の喪失を恐れているにすぎない」(山崎久隆さん)と、原発推進側のデータをもとにした〝電力不足〞キャンペーンのカラクリを暴く人もいる。
彼らがもう一つあげた理由が、4番目の請願項目「放射能汚染の高い地域と、妊婦・乳幼児・学童及び生徒の避難措置を早急に実現すること。内部被ばくを考慮し、全体で年間1ミリシーベルトの原稿基準を守ること」を「どうともとれる文章」という。請願者はまず福島県民への対応を念頭においたものだが、各地に点在する〝ホットスポット〞によっては福島に限らない。こどもを放射能から守る最良の手段だ。現状では成田市にはホットスポットはないけれど、この内容が成田市にも適用されると困るらしい。いったいどっちを向いているんだか・・・。
根がついた八重咲きドクダミをいただいた。去年八千代市に住む友人の庭に2輪咲いた八重咲きドクダミを写真付きで「日記」に載せたら、市民の方からご実家にあるというメール。今日電話をいただいたので夕方伺う。八千代の友人は「増えたらあげるわね」と言ってくれていたが、ひと足先にゲット。
□■□2011年6月18日(土)
今日は朝からなんとなくいい一日になりそうな予感。露に濡れたペパーミントを摘みにミニ菜園に行くと、まぎれもないミツバチが3匹飛びまわっていた。咲いている花はカモミール、ルー、ラベンダー、ローズゼラニウム、チェリーセージ。去年はこの季節ミツバチの姿をみかけなかった。かわってバラの花が咲いていた頃スズメバチの姿をみかけるようになり、その後軒下に大きな巣を作ったくらいだから、ミツバチも餌食になっていたのかもしれない。
午後、ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を観る。「ヒバクシャー世界の終わりに」「六ヶ所村ラプソディー」など核や原発をテーマに優れたドキュメンタリー映画を制作してきた鎌仲ひとみさんの最新作。
中国電力の上関原原発建設に反対する祝島の人たちの暮らしと闘いを追いながら、その先に、スウェーデンの小さなコミューンであるオーバートーネルのバイオマスによるエネルギー政策、それよりも大きなコミューンで、太陽熱や工場の排熱を利用してほぼ100%脱電気・脱石油を実現しているヨッテボリなど、地方自治体レベルでの再生可能なエネルギー政策(⇒国全体の政策目標へ)を一本につなげていく手法にはとても説得力があった。
バイオマスがエネルギー供給の中心にあるオーバートーネルの人が「日本がスウェーデンと同じ森の国だというのを知ってるよ」と言っていた。だからバイオマスは有効なエネルギー源だと。バイオマス、太陽熱、風力、波力、地熱、工場の排熱・・・それぞれの地域の特性を活かした再生可能なエネルギー政策を現実のものとして実感させてくれた。
スウェーデンに限らず、再生可能エネルギーが有効に利用されていく大前提が電力の自由化。発送電を含め電力が地区割数社で独占されている日本の硬直した姿は異常だ。もし日本が本気でエネルギー政策を転換するなら、この体制を解体していかなければならない。
2時間余りの長編だが、最後まで目が離せなかった。映画の中で中国電力の社員が島民を説得するのに「原発は安全です。このままでは祝島に未来はありません。原発によって島を活性化できるんです」と言うと、満員の会場から失笑がもれた。映画は09年に撮られている。フクシマを知った今、そうした言葉は滑稽ですらある。
映画の上映会場は千葉市のハーモニープラザ内にある男女共同参画センターのイベントホール。中を視察したが、とても充実していた。成田にもこんな施設がほしいな。
□■□2011年6月17日(金)
ウィキリークスから情報提供を受けた米公電の第2弾?が朝日新聞で連載されている。その頃その出来事に関心をもち、そして今その情報に接する者にとっては、ああやっぱりそうだったのか、おや、そういう背景や圧力もあったのか・・・などと、他人事ではないような気分で読むことが多い。
それにしても使われる言葉は「秘密公電」ほど本音が出て生々しい。5月だったか米のTPPの狙いを明らかにしたところではニュージーランドの主席交渉官が、米国務副次官補に「当時の8ヵ国でゴールド・スタンダード(絶対標準)に合意できれば、日本、韓国その他の国を押しつぶすことができる。それが長期的目標だ」・・・そーか、これがTPPの真の目的なのか。
15日と今日は08年、朝鮮半島有事を想定した日本政府への空港・港湾調査の要求や、アフガンへの陸自派遣要求の公電。どちらも、自民党政権(当時)の政権基盤の弱さから「困難」ということで実現には至らなかった。
朝鮮半島有事については周辺事態法の「後方支援」の認識にずれがあったようだ。かつて周辺事態法が審議されていた頃、後方支援は軍事行動と一体のもので作戦の成否を決めるものなのに、戦場から離れた場所での〝お手伝い〞みたいなきれいごとを言って国民の目を欺いてきたのを思い出した。
陸自のアフガン派遣は対テロ戦争の「有志連合」も巻き込んで日本政府を説得したが実現せず、それでも公電は「障害はあるが日本を丸めこむ自信はある」。・・・政府と一緒に丸めこまれてしまう国民はたまったものではない。
政権基盤が弱いというのは、時には国民にとってプラス面もあるようだ。ちょっと安定?感があると民意をないがしろにして権力を強化するような法律を通したがるものだ。
4日間続いた一般質問も今日で終わり、ちょっとひと息。夕暮れ時、今年植えたレモングラスを初めて収穫し、カモミールとブレンドして味わった。これからの季節、レモングラスはハーブ・ティーとして欠かせない。去年は地下植えから鉢に移して軒下で越冬させたのだけれど、寒さのせいか私の管理の失敗か、枯れてしまった。
□■□2011年6月16日(木)
一般質問も今日で3日目。残すところ明日1日だが、さながら防災議会となった。市長は14日の一般質問初日に、「原発事故はこれまでの災害と様相が大きく異なる。物的被害より市民生活に大きな影響を与えた」と、所見を述べている。私の質問に対しても、3月を中心に約250件(環境対策課・農政課)も含む)の問い合わせや要望が寄せられ、今も続いているという。
選択の余地のない人工放射能への不安が多くの市民に与えた影響は予測し難いものがある。市が放射能災害でいまやっていることは市内各施設等を中心にした放射線量の測定と、その結果の公表。もちろん、市民にとっては正確な情報がほしい。その情報をもとに自らが防護対策を講じる以外、いまのところ手立てはないからだ。
今日は市内体育施設(プール、テニスコート、野球場・フィールド競技場、その他パークゴルフ場など)の放射線量の測定結果が配られた。例の文科省の暫定的な目安3.8μ㏜/h(年間20ミリ㏜)を下回っているから使用は差し支えないとのこと。福島県に緊急時の目安として提示された数値が市民の健康の足かせにならないことを願う。国際基準は1ミリ㏜/年(0.114μ㏜/h)。
14日の新聞をめくっていたら、「つくる会」の歴史教科書主導で編纂された自由社の中学歴史教科書2012年版の年表が、東京書籍の02年版教科書を丸写しで盗用した可能性が高いという。「子どもと教科書全国ネット」が発表した。東京書籍の「大和国家」を「大和朝廷」に、「太平洋戦争」を「大東亜戦争(太平洋戦争)」にと、彼らの〝独自性〞出した違い以外は表現も一致していたそうだ。そして、代表執筆者でつくる会会長の藤岡氏は、「指摘を受けるまで気付かなかった・・・担当者は自由社を退社しており・・・」「採択された後、充実した年表につくり直す」
つくる会の歴史教科書の歴史観にも、つくった人たちのこうした無責任で自己中心的な甘え構造があることをあらためて実感。
□■□2011年6月15日(水)
一般質問が終わって、傍聴に来てくれた人たちと控室でしばしおしゃべり。その中の一人は、近々2週間の予定でご主人の赴任先の某国に行くそうだ。そういえば3月末から4月に半ばにかけても避難していたっけ。もちろん、放射能から。
人工放射能汚染対策の一番は、浴びないこと。だから、避難。でも生活や仕事を考えると誰もができるわけではない。だから日々の暮らしの中で少しでも線量の低い環境を選ぶこと。放射線量は低い方がいいに決まっているのだからそのための予防原則を講じること。これは有害化学物質や電磁波にも通じる。
帰宅して、玄関脇に置いてある火鉢の水槽をのぞいたら、メダカがスイスイ泳いでいた。実家の納屋にころがっていた火鉢が気にいったのでもらってきたのだが、もてあましていたのが役に立ってよかった。
□■□2011年6月12日(日)
今年の夏に稼働する原発は54基中4分の1の14基になる見込みとか。定期検査後の運転再開は、事故を踏まえた安全基準を政府が出さなければ認められないというのが地元自治体の見方という。自治体の一番の役割は住民の命と財産を守ること、当然のことだろう。しかし、「この原発は安全です」といわれても、いまさら「安全な原発」に頼れるだろうか。住民が許さないのではないか。
メディアは、一方で終息の見込みがたたない原発事故を報道しつつ、他方で〝原発が動かないと電気も日本もタイヘン〞というイメージを国民に刷りこんでいるようだ。だからナニが言いたいのよ・・・と聞きたいくらい。
夏に向かって、私たちはますます正確な情報、未来志向の情報収集に努めなければならないだろう。
原発がなくても電気は大丈夫、そういうことは最初から知る人ぞ知る常識だった。でも、福島の事故によって発信力を増したようだ。
昨日神戸市内で開かれた市民学習会で、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)も「日本の電力需要は原発なしでまかなえる」と訴えたという。研究現場から原発の危険性を告発してきた小出さんの話に、予定の5倍を超える人たちが集まって別室も用意され、熱心に耳を傾けたと言う。「6.11脱原発100万人アクション」といい、かつてシコシコと行われてきた原発反対運動を考えると隔世の感あり・・・とあらためて思う。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の反対署名が1120万を超えたという!〝1000万署名が出来ることを実証してくれはった〞と、これも関西より。
□■□2011年6月9日(木)
一般質問の聴き取りに応じたら、昨日中に市長答弁がドドドと送られてきた。聴き取りだけで終わりにしてほしいのだが、政策担当者はさらに綿密なやりとりをしておきたい。本会議の質問に答えるのは1回目が市長、2回目以降は指名されなければ部長(監査委員会と農業委員会は事務局長)だから、ちゃんと答弁してもらうには担当者ができるだけ詳細に質問内容を把握して答弁を用意しておく必要があるということだろう。
質問者としては、どこかで打ち切らないといけない。で、今日は質問内容を整理。私は一夜漬け人間で、原稿も直前に書くので今日はここまで。
今後の議員活動のために新しい印刷機を入れることにした。今度はリース。1月に12年間使った印刷機を廃棄処分にした。その後、隣町の知り合いの印刷機で「たいむ」やリーフレットを印刷したのだが、タイムリーな広報活動が出来ず、おまけに思い出したくもないほどチョー不便で疲れた。
ところで、いまどきの印刷機はランでつなぐとパソコンの中で作った書類を印刷してくれるんですって!私が印刷機を使う一番の目的は年4回発行の議会レポート「たいむ」。そうなると、パソコンの中で「たいむ」を作れないといけない。いよいよ切ったり貼ったりの版下作りとサヨナラする時かしら。もちろん、版下からの印刷もできるけど。
□■□2011年6月8日(水)
午前中、成田ニュータウン赤坂センター地区振興検討協議会。成田市は土地開発公社を通して県企業庁よりセンタービル解体後の跡地1ヘクタール購入を交渉中とのこと。南側に残る1ヘクタールについて企業庁の話では、民間の病院が進出計画をもって用地確保に動いているようだ。存続が心配されていたボンベルタだが、本社とまちづくり公社が契約更新を前に最終調中。継続には本社も前向きで、何らかの営業活動は続ける方向性らしい。正式には9月頃決定という。
ところで、協議会に属する議員のほとんどは残る1ヘクタールも市が買うことを希望しているようだ。確かに、あの場所に2ヘクタールの市有地があるといろいろ夢を膨らませてくれる。でも、今回購入する1ヘクタールですら本格的な跡地利用計画(中央公民館・図書館その他)は平成30年以降になるという。それを考ただけでも、残る1ヘクタールを「将来性があって良い場所で、いろいろ使えそう・・・」だけで更に(土地開発公社が)先行取得する合理的理由にならないのでは?
今回の1ヘクタール取得の経緯も、はじめに企業庁の事情があって用地取得が先行したので釈然としなかったが、その後市民アンケート実施などを経て私も賛成した。一番の理由は、現在の中央公民館がすでに生涯学習の拠点施設として市民のニーズに応えられない状況なので、センタービル跡地には多機能の生涯学習施設を、そして現在の公民館が建っている場所を図書館・道路と平面にし、これまでの図書館より更に多くの機能をもたせた「図書館」を建設してほしいなぁと思っていた。
それはさておき、購入予定の1ヘクタールはたまたま、保育園の建て替え時期でタイミング良く仮設園舎の建設場所として有効利用できたのは良かった。今のところほかは駐車場で暫定使用していく。更地部分7000平方メートルのうち、3500平方メートルを仮設園舎(平成25年~29年使用)に、残る3500平方メートルを中央公民館・図書館の駐車場とする計画らしい。
午後は議案説明会。
□■□2011年6月7日(火)
午前中は一般質問の内容について、執行部からの聴き取りがあった。あまり気が進まないけれど、政策担当者の率直な話を聞くことができるのがいい。或る程度ホンネも聞けるしね。
ここ2、3日パソコンの立ち上がりがヘンなので業者にトラブル診断をしてもらった。一番最初に発売された「VISTA」。もう5年以上使っているがこれまで特に大きなトラブルはなかった。一度パソコンメーカーに遠隔操作で不具合を直してもらったこと位かしら。私の前の画面をどこにいるかわからない人が動かしているのを見て、目が点。
あれこれ説明されてもちっとも理解できないけれど、知人から「今のパソコンは足立さんがいじったくらいでは壊れません」と言われて以来、信頼している。
今回も、私が開いたことのない画面をあっちこっち操作してまた素直に立ちあがるようにしてくれた。まぁ、ごっちゃらごっちゃらしていたのを整理整頓してくれた、といった感じ。
以前からずっとハッキリさせたいと思っていたことを先週総務省に問い合わせたところ、調べてから連絡すると言われていた件で、きょう回答があった。結論は「議員も一市民として議会に請願することができる。その場合、自分で紹介議員になることもできる」。
□■□2011年6月6日(月)
原子力安全・保安院の斑目さん(人の名前を憶えられない、すぐ忘れる私だが、この人の名前は不思議と頭にこびりついている)が出ていて、東電福島第一原発事故で大気中に放出された放射性物質は77万テラベクレル(テラは1兆倍)とする解析結果を発表した。テラなんて私の理解の外。でも、なるほどと思うことがあった。
放射能汚染マップを隠し続け、隠しきれなくなってやっと公表した文科省「スピーディー」(タテ割行政で国内向けらしい)による3月15日の汚染マップを見ると、その日のシミュレーションは汚染の太い帯が福島県からずっと南下し、茨城を経て房総半島の半分を覆っていることがわかる。その中で、成田市は黄色い帯の中にあった。
1号機は地震発生から5時間後、3・2号機の順で約77時間~80時間後の14日にメルトダウンを起こしていたというから、15日の汚染シミュレーションは生々しい。
日本国民が知らされていない間に、各国は日本にいる自国民に避難・帰国命令などを出していた。それらの国には、IAEAを通して気象庁(海外向けらしい)が事故直後から送っている汚染マップが伝わっていたのだ。
ルフトハンザやアリタリア航空などが当面成田空港使用を避けるという方針を出し、成田に着陸し翌日離陸予定の航空機のクルーは機外に出ず、一晩機内で過ごして翌日離陸するという話も納得できる。市内でも、インターネットを通じて海外で報じられているこの情報を集めた結果、娘さんとお孫さんを安全区域に緊急避難させたお宅もある。余談だが当時選挙準備をしていた私の選対でも緊急避難する人たちでしばらくの間活動はストップ。
〝人の命は地球より重い〞と言われながら、政府の対応をみているとなんと軽く扱われていることよ・・・と思う。
□■□2011年6月5日(日)
森の中に入ると、湿度が高くて空気が重く感じられた。そのぶん、草や土の匂いとともに樹木たちが発するフィトンチッドが心身に沁み入ってくるようで心地よかった・・・。ドクダミの花の清冽な白が下草に生えて眩しい。久しぶりに至福のひととき!
でも、巷では首相退陣の時期をめぐって混乱し・・・メディアがそれを煽りたてる。裏で練られていた?「大連立」が浮上したようでまたまた永田町政治家たちとメディアが騒々しい。混乱するほど盛り上がる、まったく懲りない人たち。
□■□2011年6月4日(土)
高校時代の友人から嬉しい季節の便り。〝とき色の野芥きそうや荒草に〞という自作の句を添えて。3年間クラスも部活も別だったが、高校から大学時代、私の疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)時代に出逢った大切な人たちの一人。教師を辞め、近隣市に住んでご主人の事業を手伝っている。・・・それにしても筆跡って変わらないんだね。
メキシコ、インド、タジキスタンの関係機関宛てに、それぞれの国で囚われている人権活動家や政治犯などの即時無条件解放、公正な裁判や速やかな調査、拷問の禁止等を求めるハガキを送る。国際人権団体アムネスティの会員なのだが、普段私にできるのはせっせとハガキを送ること。世界中から届くハガキ・アクションがきっかけになって救われる囚人もいると思うと、これだけは欠かせない。
夕方思い立ってミニ菜園を整理した。収穫を終えたイチゴの株を実家の畑に移動させるため抜き取り、ランナーで増えた新しい苗は鉢に植え、空いた場所に何を植えようかしら・・・あれこれ考えるのは楽しい。とりあえず今日は庭の隅っこで肩身の狭い思いをしていた(と思う)レモンバームを菜園の中心に移した。それにしても、もう蚊が・・・。3ヵ所刺された。
□■□2011年6月3日(金)
中央公民館で環境活動家・田中優さんの講演を聞いた。主催は生活クラブ生協。東電福島第一原発事故がもたらした現状と脱原発エネルギー政策に関する講演で、いろいろ参考になった。近隣自治体の生活クラブ関係や市民ネットの議員など顔見知りがずいぶん来ていた。
6月議会に行う一般質問の通告締め切り。今回は19人が質問する予定のようだ。私が引いたクジは14。質問は14日(火)から始まる。また、市民から提出される脱原発関連の請願の紹介議員になった。
昨日(2日)、知人が2泊3日の留置場生活を強いられて釈放になった。そのいきさつはまさにこれが冤罪に生む構造(制度)ではないか思わせるものだった。
去る3月8日朝9時30分頃、用事があったYさんが50ccバイクで柏市内の国道16号線(幅員26m・そもそも赤信号無視で渡れるような道路ではないという)を右折矢印信号に従って通過し右斜め角のコンビニ前を通り過ぎようとした時、コンビニの駐車用に停車していた警察官から〝信号無視〞を理由にバイクを止められたという。彼は矢印に従って右折したので信号無視はしていないと容疑を否定。免許証・車検証を提示し、聞かれたので職業を述べた。
その後用事をすませてから警察(柏署)に行き、事実の説明をし、調書もとられず、警察には必要があればいつでも説明に行くと伝えておいたという(当時は県議選に立候補予定で忙しかった)。その後、出頭通知が来たが、予定が入っていてその都度文書で伝えてきた。
ところが、「5月30日は都合で出頭できない6月に入ってからにしてほしい」と電話連絡した翌31日、「出頭を拒否した」という理由で7人もの警察官が逮捕令状をもって家に上がり込み、家宅捜査、逮捕されたという。暴挙としか言いようがない。
Yさんの留置場体験によれば・・・
①警察官は絶対に間違いをしない、悪いのは市民ということが前提になっていること。
②違反や犯罪を認めれば留置場から早めに出すが、認めないと自動的に10~22日間も勾留さ れる。
③ 長期勾留されたのでは、会社員はクビ、事業経営者は経営破たん・・・これでは「(ウソでも )私がやりました」という状況に追い込まれる。
④ 私は、1ヵ月でも1年でも勾留されてもかまわないという覚悟で、最後まで「違反はやって いないので認めない」(認否)ができた。それでも、途中、警察官や検事から「今、認めれ ば事件は終了して早く留置場から出られますよ」という悪魔のささやきに相当に心の揺れがあ った。
⑤ 本来、権力の監視を担っているはずのマスコミが警察発表を鵜呑みにして記事を書き、 ジャーナリストの役割を放棄していること。今回、記者の誰ひとりとして、もう一方の 当事者である私や弁護士に取材してから記事を書いた人はいなかった。多くの記者が警 察の手先、権力の番犬に成り下がっている。
⑥ 留置場の環境が人権侵害をしている。部屋から出る時にいちいち手錠と腰縄をかける。トイ レには手洗いがない。風呂は週2回、夜9時には消灯。移動のバスは「私語禁止」。
□■□2011年6月2日(木)
菅首相が崖っぷちで踏みとどまった。メディアを通して永田町政治の動きを見ていて、親の心子知らずの道楽息子(娘)に付き合わされるってこんな気分かしら?と思った。ガレキの撤去に追われ、避難所生活を強いられる被災地、そして原発が吐き出している放射能で東日本全体が汚染され続けているのに、茶番劇をやっている場合か・・・。
でも、彼らを選んで政治をやらせているのは私たち国民だ。税金のムダだと思うなら辞めさせればいい。道楽に付き合うならアレが私たち国民のレベルだと思えばいい。付けが回ってきてもあきらめがつくだろう。
・・・などと諦観している場合ではない。国民に甘え、未成熟さをさらけだすのを恥としない政治家たちでも、選んだからにはまともな仕事をさせることが私たち国民の責任でもある。国政を担う者に成長を見守るなどといったものわかりのいい考えを持つのは筋違い。成長は政治家自らの努力でなしとげていくものだ。もっとも、その資質があればの話だけれど。
静岡の茶葉からも基準値を超える放射性セシウムが検出されたという。放射能は地域を選ばない。私が毎朝飲んでいる紅茶は静岡の農家が有機JISマークを取得して栽培・製造している。さぞかし無念の思いでいることだろう。
□■□2011年6月1日(水)
私が政務調査費を使って参加した一昨年5月の韓国視察(を問題にして市民より出されていた監査請求に対し、成田市監査委員は却下の決定を下したとのこと。妥当な結論を歓迎する。
私たち(県内の市・県議4名と大学教授ほか2名で計7名)の韓国視察の大きな目的は〝市民自治の創造と平和〞。私個人のテーマとしては女性と人権。特に政治にクオータ制を採用するなど女性進出めざましい韓国の男女平等政策。
主な行程は京畿道議会訪問・両国の議会制度や市民自治について京畿道社会・市民フォーラムとの共同シンポジウム、ソウル特別市議会訪問、高学歴ワーキングプアの研究集団スユ+ノモや行政への政策提案・首長や議員の人材育成を行っている民間シンクタンク希望製作所訪問などであった。
それに対して請求人の言い分は「水曜集会(毎週水曜日、元軍隊慰安婦のハルモニを中心に日本大使館前で行われている)に参加するのを目的に企画・立案されたので公費支出は全額目的外」というもの。
その背景には、水曜集会を「反日的」とする請求人とそのグループの特異な考え方があるらしい。どうやら私たちの視察行程(3泊4日)中、昼食時間を割いた1時間足らずの間ハルモニや韓国の女性団体と交流したことしか目に入らなかったようだ。・・・
北風ヒューヒュー梅雨寒の中でも緑は濃さを増し、ヤマアジサイやズイナの花がみずみずしい。一月遅れで満開のカモミールやペパーミント・スペアミント・アップルミント・レモンバーム・ローズマリーなどの元気な葉をブレンドしてハーブティを飲めるのが嬉しい。
今日の夕刊に「ケータイ電磁波 WHOが注意喚起・・・発がん性の可能性」という記事。予防原則を喚起する指摘のようだ。そういえば以前、こどもと電磁波について一般質問したことがあった。その時、ケータイについても取り上げたっけ。
□■□2011年5月31日(火)
中学校の教科書採択に向けて、各教育委員に宛てた「子どもと教科書千葉ネット21」の要望書とリーフレットを渡してもらうよう教育委員会に提出。担当課長によれば午後、今月の教育委員会議が開かれるとのことで、ちょうどよいタイミングだった。
成田市の教育委員は現在4名(定員5名―1名欠員)。市長が6月議会に欠員の1名を提案するには、今日の会議に諮られるのではないかしら。
3月に辞任した教育委員は校長を経験されて教育現場を知り尽くした方で、こどもと教員に深い愛情をもっておられた。十数年にわたる教育委員長職にあって、公正・公平な判断をすべく尽力される姿を幾度か見た。3代にわたる市長のもとで、本当にご苦労さまでしたと、申し上げたい。
6月議会が近いので、選挙の前に持ち帰ったハンガーとコーヒーカップ(と小瓶に詰めたインスタントコーヒー)を会派控室に置いた。今のところ他に私物はない。選挙前、過去5回の選挙前同様幾度かに分けてすべて持ち帰った。任期は少し残っていてもそれが私の「控室」に対するけじめのつもりだったのだが・・・。
と、先日小耳にはさんだ話だが、私が自分の控室の荷物をきれいに持ち帰ったので今度の選挙は危ないと覚悟している(いた?)ようだという話が巷に流れていたらしい。それとこれは別なのだが、今回は結果を見ればなるほど・・・と言えなくもないけどね!
□■□2011年5月30日(月)
成田市が24日~26日にかけて消防本部の簡易測定機を使って実施した市内保育園・幼稚園30園、小・中学校38校の放射線測定結果が保護者のもとに届いて、その数値をめぐって今日幾つかの意見が届いた。情報を集め、もう少し専門的な意見を聴く必要があると思った。
先日、市教委は「NAAの0.1マイクロシーベルトとそれほど違わない(ので心配ない?)」と言っていた。ちなみにNAAの測定場所は地上28m。
これに対し、例えば保育園・幼稚園。園庭1mの高さで最小0.25・最大0.30、0.5mの高さで最小0.31・最大0.38という高放射線量を測定した園がある。それに近い園が1園。
0.5mでみると最小・最大値が0.2~0.3の線量が7園、逆に最大が0.1以下は1園しかない。全体に小・中学校より射線量がかなり高い。
小・中学校でも、1m・0.5mの最大値が0.2を超える高放射線量を測定した学校が11校ある。
この通知には「平成23年4月19日の文科省発表の福島県内の公社・校庭等の利用判断における暫定的な考え方の目安値3.8μシーベルト/時間」が参考として載っている。非人道的、撤回せよという抗議が巻き起こっている数値だ。
先日メールをくれたお母さんは、この文科省が示した福島県の数値と比較して対策がなされないことを心配していた。
26日の全員協議会で示された成田市の放射能に対する今後の取り組みについては評価できるものの、今回の測定結果については様々な角度からの分析をしたうえで、市としての考え方を示してほしい。
□■□2011年5月29日(日)
平年より12日も早く27日に梅雨入りしたと聞いたばかりなのに昨日から台風2号の影響で雨模様。これから梅雨に入る太平洋岸の被災地は水害やがけ崩れの心配。
海底が隆起したあおりで石巻市は牡鹿半島地点で地面が1.2メートル沈下、宮城県では海面より低い土地が震災前に比べて3倍以上の約56平方キロメートルに広がったそうだ。点検が終わったばかりの土砂災害の危険個所は岩手142ヵ所・宮城395ヵ所・福島216ヵ所、堤防決壊など河川の被災個所は青森・岩手・宮城・福島・茨城合わせて2734ヵ所もあるという。
成田市でも、土壌が緩んでいるだろうから液状化やがけ崩れが発生した場所の周囲では注意が必要なのではないかしら。近所で液状化被害が発生したことを知らない人や、高台に家の庭先の斜面が下に向かって少しずつずれているようだと、樹木の位置などを比較して心配する人もいた。今回の大震災については、成田市内のどこでどのような被害があったか、マップ化するなどしてわかりやすく市民に伝えることが必要ではないか。
昨年植えたマルベリー(桑)がひとまわり大きく育ち、たくさんの実をつけた。雨の中、黒く熟した実を摘んで食べると、とってもスイート!
生の果実100グラムに含まれるアントシアニジンは一般のブルーベリーの約3.7倍だとか。近年は健康志向が強まって、成分を考えながらモノを食べる傾向にある。でも私にとって桑の実は、目の疲労回復だの抗酸化作用だの生活習慣病予防をサポートするといった効能よりも、野山が遊び場だったこども時代へのノスタルジーのほうが強い。
□■□2011年5月28日(土)
中学校教科書採択を前に「子どもと教科書千葉ネット21」主催の集まりに行った。「教師にしか教科書は選べない」(小林和さん)「自由社・育鵬社の教科書はこんな教科書」(高橋勝さん)、「(高校)教科書での放射線・原子力の取扱い」(菅井修さん)、「201年千葉県中学校・特別支援学校教科書採択をめぐる情勢」(千葉県議)など、講演・報告があった。
4月から小学校では新教育基本法・新学習指導要領に基づく教育が行われている。そして、3月30日には文科省が2012年度用中学校教科書の検定結果を発表し、各地で採択の取り組みが行われている。6月中旬から各地で教科書展示会(成田市では移動教科書展示場として中央公民館)が開催され、8月までには決まる。
教科書採択は、特定の政党・宗派など外部からの働きかけに左右されることなく、適正・公正に行われなければならない。にもかかわらず、3月11日の千葉県議会では、自民党が「教育基本法・学習指導要領の目標を達成するため、最も適した教科書の採択を求める決議(案)」を提案、大震災のどさくさにまぎれて審議抜きで可決されたという。
検定をパスした教科書は全て教育基本法・学習指導要領の目標をクリアしていると文科省が認定したもの。なのに自民党が「最も適した」などというのは意中の教科書があるということだ。森田知事・自民党による教科書採択への政治の介入・圧力以外のなにものでもない。
森田・自民党が採択したいのは育鵬社(教科書改善の会=日本教育再生機構)版歴史・公民教科書、自由社(新しい歴史教科書をつくる会)版歴史・公民教科書。
どちらの教科書も復古主義の特異な政治思想によって書かれたもの。日本の未来を担うこどもたちが学ぶにはふさわしくない教科書だ。
□■□2011年5月27日(金)
週のはじめに風邪をひきそうだったが、葛根湯飲んだらそれっきりに終わってよかった・・・が、臨時議会で本日夜明け前に帰宅したこともあってか、体内時計が一日中不調だった。
夕方帰ったら玄関に産直の野菜が届いていた。箱の中は大根、マノアレタス(巻かないレタスで、今年初めて作付したようだ)、チンゲン菜、カブ、スナックエンドウ。産直の会では午前中収穫・午後発送作業に入る。ニュータウンには夕方届く。露地で育った濃い緑の葉っぱがケースから飛び出しそう。自然の恵みや無農薬・有機栽培を曲げずに手塩にかけて育ててくれる農家の努力をありがたいと思う。
元気な野菜たちを見て、ムダのないように保存する気力が湧いてきた。葉物の種類が多い時は茹でる作業がひと仕事。今日は少なくて楽だった。これから数日は産直野菜を中心にお料理が決まる・・・私もまた、そうした日常がとても大切なことだというのを感じる日々だ。
届いたばかりの「農民新聞」は塩害とヘドロで耕作不能になった宮城県亘理町の広大な水田やハウスを、別の情報紙では緑が濃さを増していのちみなぎる季節に、放射能汚染を避けて人の姿が消えてしまった町や村の今が伝わってくる。
出先で寄ったお店に、「でんきを消してスローな夜を・・・100万人のキャンドルナイト」に向けたロウソクが売っていた。夏至を中心にした1ヵ月をキャンドルナイトに・・・というキャンペーンが始まったようだ。ひょっとして、そのうちコンビニなどでもキャンドルナイト用のロウソクが売られるようになるかも、世の中には商魂たくましい人たちがいるから。
□■□2011年5月26日(木)
午前中は「歴史と今を語り合う女性の会」例会。お連れ合いを亡くされてから〝おひとりさまの老後〞を生きる先輩会員さんが生活の知恵や楽しみを語ってくれた。興味深そうに反応する30代の会員さんたちとのやりとりも楽しかった。わが身を振り返れば同じ境遇に足を踏み出しているのだが、まだ人に語るほどのものはない。
家族の歴史や先日仕入れたスウェーデンの地域医療と介護の最新情報などを交えて井戸端会議が盛り上がった。
午後から臨時議会。正副議長選挙や委員会の構成が決まるので覚悟はしていたが、11時を過ぎると眠い!すべて終了したのは日付も変わった2時頃だった。いろいろ調整があるのでこんな時間になる。とはいえかつて各種審議会に委員を出していた頃は東の空が白んでくる頃までかかっていたものだ。朝日を背に帰宅した時もあった・・・。
新しい議長には宇都宮高明さん、副議長は神﨑利一さんが就任した。どちらも政友クラブ(15人)。議長選挙は興味深かった。定番だった最大会派1本化が不成立。豪志会とリベラル成田が手を組み、公明党・共産党も独自候補を指名。そして無所属・市民の会とエコピースが連携した。今後の議会運営はいかに?と一瞬思わせるような展開だった。そんな元気はないか。
私は総務常任委員と、青少年問題協議会の委員に決まった。提案された災害復旧費を含む4議案には賛成、これまでは賛成してきた議会からの監査委員選出については、棄権した。棄権の理由は最大会派による監査委員決定までの経緯が会派のエゴ丸出し。市議会の活性化には道遠し、なんてことになならないことを願う。
□■□2011年5月25日(水)
昨日と今日、消防本部に備えてある簡易測定機を使って成田市内の小・中学校38校と大栄幼稚園で大気中の放射能測定を行ったという連絡を受けた。保育園は明日測定するとのこと。
こどもの成長にあわせ、地上50cmと1mを測定した結果、NAAの測定結果に近い数値(NAAは地上28mで測定し、0.1マイクロシーベルト)であったようだ。
結果は学校に連絡し、市のホームページでも公表するという。この間、市民から測定要望の声が多かったので「とりあえず」実施したようで、校庭の土壌測定は未定。今後については外部委託など計画的に対応していく考えのようだ。
立ち話で不安を語っていたお母さんや、NAAの地上28mではこどもの生活環境からかけ離れているので校庭を測定してほしいとメールしてきたお母さんに伝えたら「少し安心した」という返事。こどもたちの放射能被曝を心配しているのは福島の保護者だけでない。
農薬などと同様、放射能も大気中に放出されれば空気だけでなく土や水を汚染する。そして、地表(室内なら床)に近いほど濃度が高くなる。早期に土壌も測定してほしい。
□■□2011年5月24日(火)
午前中地裁民事3部で市東孝雄さんの行政訴訟(被告千葉県)と農地法裁判(原告NAA)。
NAAは去る2月15日付で訴えの一部取り下げを申し出ていた。NAAが明け渡しを要求した「南台41-9」を市東さんが耕作していないことを認め、この畑の明け渡し要求を取り下げる意向を示した。そもそも、この土地は市東さんが一貫して「自分の耕作地ではない、耕作したことはない」と主張して農地転用許可申請が不当であることを訴えていた場所だった。
NAAの提訴の大前提はこの「41-9」を市東さんが賃借して占有しているということ。しかし、元地主Fさんは市東さん(孝雄さんのお父さん)との賃貸借の同意書・確認書を「自分が作ったものではない」「確認書は自分が直接受け取った記憶がない」「市東さんの家にはこどもの頃しか行ったことがない」と証言したという。NAAには、地主本人が立ち会わないでどうして同意書ができたのか、どういう経過で同意書や確認書が作られたのか・・・明らかにする義務がある。
しかし、NAAはいつ取り下げるか問われて「なお検討中」と答えた。裁判長から「いつまでか、・・・(結論は)6月中に出して下さい」と期限を指定されるありさま。
千葉県は「書類上の形式が整っていたから許可処分をした」と居直っている。当時市東さんは「耕作地が違う」として現地調査を強く求めたが一顧だにしなかった。耕作権を踏みにじる行為を許してはいけない。
午後は26日の市議会臨時会に提案される議案の説明会があった。終了後は市民から相談を受けた保育所の件で担当課に聴き取り。その後、6月議会に向けて請願を検討している人たちと打ち合わせ。
今日届いた市民からのメール。福島から200キロ以上離れた柏や都内でも部分的にホットスポット現象が報告されていことを例に、市内の学校の放射線量を調べてほしいという。
□■□2011年5月21日(土)
スウェーデン・ストックホルム市の政策・行政責任者を迎えて、「スウェーデンの地域医療・介護との対話」と題したシンポジウムが東京で開催された。主催はNPO法人福祉フォーラム・ジャパン。
3・11東日本大震災後の最重要課題でもある地域医療・介護の在り方など、地域レベルで共有する課題を考える良い機会だった。
ストックホルム・レーン(県)の医療部長・主席医務官のヘンリク・アルムクィストさんの基調講演「スウェーデンの医療・介護の現状と課題」や、県執行委員(政治家)で医療サービス委員会のビルギッタ・リドベリさん(自由党)、ダーグ・ラーソンさん(社会民主党)を加えたシンポジウムの中から・・・
スウェーデンでは病院や診療所といった医療サービスはランスティング(広域自治体:全国に21)、福祉サービス(高齢者・障害者・生活保護など)と教育サービス(保育所・初等・中等教育)は基礎自治体であるコミューン(市町村)という役割分担になっていて、その連携や運営、財政の現状が報告された。
医療はランスティング、介護はコミューンという役割分担は20年前の改革なので、これがうまく機能しているか、サービスが向上したかなど、話し合う時期になってきているとの報告もあった。施設によってサービスの「質」にバラつきがみられたり、2つの公的組織から人が来るのを1つに絞れないか、或いはそれぞれの役割分担など、検討課題もあるようだ。その基準は組織の都合ではなく、「(利用する人にとって)よいサービスになっているか」ということのようだ。
他にも、民間参入や大幅な病床削減の狙い、適切な介護サービスを的今日出来ない場合にはコミューンに個人補償を義務付ける新法や、ターミナルケア、認知症ケアなどを含む現場の実態といった最新の状況を知ることができた。
□■□2011年5月19日(木)
朝日朝刊に、南房総市で市内7中学校の校庭の土壌の放射線量を測定したところ、一校の校庭から放射性セシウム134が土壌1キロあたり11ベクレル、同137が21ベクレル検出されたという。「通常の教育活動をして差し支えない」数値のようだ。他の6校からは不検出だったそうだ。業者に委託して測定したらしい。
成田市の教育委員会に市内の学校の放射能測定について聞いたところ、市教委独自に測定することは考えていないとのこと。市が実施を決める中で学校も対象になるなら・・・という消極的回答。
ならば環境部に、と思って環境対策課に問い合わせると、環境部には放射能測定機がなく、精度を考えると55~56万円くらいの移動型測定機の購入を考えているようだ。いつになるのかしら?⇒20日に確認したところでは発注済みとか。
フクシマ原発事故による放射能汚染が終息するには相当の年月がかかるだろう。成田市の近隣からも放射能は検出されている。長期にわたり市民は被曝の危険にさらされている。市独自に、とりわけこどもたちの生活環境、保育園や小・中学校などを中心に市内の放射線量を測定していくことは必要だ。
先日も市民の方から「防災無線で光化学スモッグ注意報を流しているが、同じように放射能についても測定して必要なら注意報を流してほしい」という声が届いた。
≪福島原発及び放射能汚染の状況確認方法まとめ≫
<http://matome.naver.jp/odai/2130482268198745901>
原発推進をテーマにした小・中学生対象のポスター・コンクールが見送られることになった。1994年から主催してきた文部科学省と(経産省)資源エネルギー庁は「フクシマ原発事故が収束しない中で、当面コンクールは、ふさわしくないと判断した」という。
昨年のコンクール応募要項は「地球にやさしい原子力発電」「五重の壁で、安全を守る発電所」「電気のごみは、地下深くへ、きちんと処分」という内容だったらしい!フクシマの現状を考えれば「応募要項」すらつくれない、というのがホントのところだろう。
また、教本ではこどもたちに原発の利点や安全性のみを強調する内容だという。教育の場で一方的にこどもたちに原発推進を押しつけることがないよう、先生たちにもお願いしたい。
□■□2011年5月18日(水)
菅政権は「原発事故の被災者を『国策による被害者』と明記し、国が最後まで責任を持って対応する方針を示し」、「対応の具体的道筋を描いたロードマップ(工程表)も決めた。」そうだ。
自民党政権下、原発は「国家百年のエネルギー政策」として政・官・業の強固なトライアングルのもとに推進されてきた。当時、脱(反)原発グループが自然エネルギーへの転換や開発などで淡い期待を抱いた民主党だが、政権交代後は自民党同様、原発をエネルギー政策の中心に据えた。
事故は原発を国策とする政権のもとで発生したのだから、国が責任をもって対応するのは当然だと思う。国が責任をもつ、と言われると、私たちはどこか安心してしまう。が、一方で「国」「責任」とは?と考えてしまう。
まあ、一番わかりやすいのは、税金を投入するということかな。一自治体、一企業の手に負えないとこはあるだろう。でも、第一義的な責任の所在は事業主体の東電にあることを曖昧にしてはいけない。・・・と思いつつ、もうそのあたりがアイマイになりつつあるような気もする。
「リスクに備えず何か起これば負担を国や市民に負わせるのは国家社会主義だ」という意見もあるが、別の見方からすれば「国家独占資本主義」だからじゃない?むむむ・・・なんかわからなくなってきた。
□■□2011年5月16日(月)
昨日行けなかった明大リバティタワーでの講演会「福島第一原発事故で、起きたこと、わかったこと、これからのこと―」(主催:たんぽぽ舎、市民エネルギー研究所、(財)大竹財団、現代史研究会)の内容が送られてきた。
死に絶えた牛舎の牛たちなど、写真家豊田直己さんによる現地写真報告や、市民エネルギー研究所の小泉好延さんの講演(「福島第一原発事故で起きたこと、わかったこと」)では、貴重な生データ、現地写真の引用によって、これまでの国・東電の事故発表の不足と欺瞞が暴かれた。
さらに、市民エネルギー研究所の安藤多恵子さんの講演、「東京電力は電力会社の資格があるのか」は、いかに「夏場に電力が足りなくなる」キャンペーンは「ウソ」であり、事業者として東電が資格を欠くという事実を、東電数字データによって明白に示した。
毎年夏になるとマスコミも巻き込んでくりかえされる「電力足りないキャンペーン」は原発必要・増設の下支えキャンペーンでもあった。
安藤さんが示した東電数字データデータによれば、全原発停止とした場合の東電の発電設備量は、停止中の火力の減少分を考慮しても約5497万Kw。それに対し、東電の今夏の発電設備量を市民エネ研が推定した結果は、約5500万Kw~5700万Kw。その結果、「東電の全原発を停止しても、今夏の発電設備は間に合う」ことがわかった。
これまで東電は、たびたびの電力危機キャンペーンに加え、オール電化などを大々的にうたうことによって、電力需要の喚起を繰り返してきた。
一番の問題は、もうけのために絶えず電力の需要を作為的に拡大し続けてきた電力会社側にこそある。夏場の最大電力は数日、数時間のピークカット対策で間に合うことが、具体的な数字によって示された。こうした東電を、安藤さんは事業者として失格、原子力で破綻した東電に送電、配電は任せられないと指摘。発電と 送・配電の分離と、さらなる電力自由化を強く訴えた。そして、今後の見通しとして、「原発は廃炉へ、電力の地域独占体制を廃止する、需要を減らしながら、未来にとっても無理のない電源構成へ移行すべし」と、道筋を示した。
今日の国会は福島第一原発事故への認識や対応などを中心に議論されていた。その中で、菅首相が浜岡原発停止を求めたことや(原発を中心に据えた)国家エネルギー政策の白紙見直しを自民党の議員が批判していた。原発利権や交付金に頼ってきた自治体の中に「不安」が広がっているという。先の見えないフクシマの惨事や、戻るあてもなく故郷を追われる人々を前にしてもなお・・・。
安全神話は崩壊、「原発はCO2を排出しないクリーンエネルギー」(CO2を排出しないのは核分裂の運転中のみで施設建設や保守管理で多量のエネルギーを消費するし、海に流される温排水は大量のCO2を海洋から放出させる)や、発電単価が火力・水力より安いというカラクリはすでに暴かれているのだが。
□■□2011年5月15日(日)
今日は午後2つのイベントが重なって、少し迷ったが「国際空港都市『NARITA』×成田ブランド スタートアップ・フォーラム」に顔を出した。一昨年の羽田空港国際化ショック以降の危機意識を背景に模索されてきた成田ブランド作りの総括的な内容だった。
元気なのは地域活性や観光のコンサルを職業とするプロたちで、実行部隊だった「空援隊」はちょっと疲れ気味。無理もない、自然発生的に生まれたのではなく、昨年羽田国際化に照準を合わせて成田に衆目を惹きつけるために急きょ編成された特命部隊。それぞれが自分の仕事や家庭もあり、忙しかったようだ。
成長戦略をはじめとするこの間の一連の事業はコンサルのアドバイスに沿って進められてきた。気になったのは会場で流されたビデオ。成田といえば「何だろう?」「空港?」程度の人だけ登場させ、その後参道のビデオを見せて「これなら行ってみたい」と言わせる編集になっている。わかりやすいといえばそれまでだが、フェアじゃない。成田山新勝寺が、参詣客を集めるために果たしてきた長年の(営業)努力が正当に評価されていなかったのは残念。
コンサル業者はそれが仕事だから注文されればたいていのことはやる。行政も多少の財政的な余裕があれば或る程度の事業展開はできる、でもそれから先、地に足のついたまちおこしは民間(市民)に支えられてこそ活性化するものだ。スタートアップとはそういう意味であると理解したい。
ところで、私はまだB級グルメとして開発された〝成富うどん〞というものを食べていないことに気付いた。
今日もう一つの集会というのは原発関係で〝福島第一原発事故で起きたこと、わかったこと、これからのこと〞。明治大学のリバティータワーで開かれた。知人に資料を送ってもらうことになっている。
□■□2011年5月13日(金)
野菜を仕入れにJA富里へ行ったら、緑と黄色のズッキーニに思わず目が吸い寄せられた。ついでに我が家の冷蔵庫の中にある野菜を思い出し、今夜はラタトゥイユ。とても力強いお惣菜で、白ワインに合う。
東電は12日、福島第一原発の1号機がメルトダウンを起こしていたことを認めたと言う。事故の早い時期に、私のような素人でさえ得られる情報からメルトダウンが起こったと思ってきた。しかし東電はメルトダウンを認めず、ずっと「燃料の一部損傷」と主張してきた。事実(数字)を突き付けられて認めざるを得なくなったということらしい。
さらに、3号機が水素爆発の前日から高濃度の放射線が出ていたことを公表していなかったこともわかった。結局のところ自己保身のためにすべての生命を軽んじる情報隠し、情報操作。ほんとうにやり切れない思いだ。
今日の朝日オピニオンで、ドイツ・ミュンヘン大学教授のウルリッヒ・べックさんのインタビュー記事「原発事故の正体」が載っていた(いずれも要約は足立)。
「フクシマの事故の持つ意味は、人間自身が作りだし、その被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界がない大災害が起きたときに私たち人間には何の備えもできていない、ということ」
「19世紀に開発された不確実性やリスクに対応する仕組み(EX;保険制度など)は原子力事故に対応できない。なぜか・・・事故の影響が広範で複雑で長期にわたる。チェルノブイリでは、まだ生まれていない人が被害者になることだってあるかもしれない」
「原子力依存か気候変動か、というのは忌まわしい選択。・・・もし長期的に責任ある政策を望むのであれば、私たちは制御不能な結果をもたらす温暖化も原発も避けなければいけない。・・・多分長い時間が必要。・・・ドイツ政府は福島事故の後原子力政策を検討する諮問委員会を作った。私も参加しているが、政府に原子力からも温暖化からも抜け出すタイムテーブルを示すよう求めることになるだろう」
「市民運動がないと産業界と政府に強い結びつきができる。そこには市民不在で透明性にも欠け、意思決定は両者の密接な連携のもとに行われてしまう。しかし、市民運動が関われば政治を開放できる。メルケル首相は諮問委員会を作り公に議論する場を設けた。産業界とは摩擦が起きるだろう。しかし、これは政治を再活性化し、テクノロジーを民主化する」
□■□2011年5月12日(木)
久住に用事があったついでに、最近立ち寄っていなかった2ヵ所の安定型産廃最終処分場の様子を見てきた。大室では埋め立てがかなり進んでいた。津富浦は産廃を埋めるための処分場の建設工事に入ったようで、拡張予定地の山が削られていた。
処分場の周囲はみずみずしい新緑の香りに満ち、田植えが終わった田んぼの山際の水路からは水が音をたてて流れていた。
切り抜いてあった新聞の囲み記事によれば、全国清涼飲料工業会は夏場の節電策として、東京電力管内の自動販売機約87万台の冷却機能を交代で止める方針を決めたと言う。6月~9月末まで続けることで、使用電力を25%抑えられるそうだ。 それでまたふと、成田市の節電に対する考え方に?と思った。毎日市役所に行っているわけではないが、たぶん計画停電以降市役所は昼の間天井の電気をつけていない。市民も納得しているだろうし、仕事に支障が出ないなら別に電気をつけなくてもよい。ところが、1階行政資料室前の奥にある自販機コーナーでは数台の自販機が24時間、市役所が休みでも365日各種飲料を冷やしたり温めたりしている。
市民が用事で訪れるところは電気をつけず、自販機は365日電気付けっ放しということにどんな合理性があるのかしら? 平成5年6月議会で、環境・エネルギー問題の視点から「市役所など公共施設から自販機を撤去してほしい」という一般質問をしたことがあった。その時の答弁は「市民のニーズがあるからご理解を」というものだった。でも、どちらかといえば市民のニーズというより職員のニーズじゃないかしら?
□■□2011年5月11日(水)
あの日から2ヵ月が過ぎた。当時は人々の耳目が津波被害や原発事故に集まる中、市民の方が言った「私たちも被災者」という言葉が耳に残る。
市内でも、津波こそなかったが様々な被害を受けた。同時に、激しい揺れで受けたショックを引きずったまま、その後続いた余震などにおびえて暮らすこどもやお母さんたちの話も聞いた。原発の放射能は「ただちに影響はない」かもしれないが私たちの環境に放出され続けてている。
朝日夕刊の「素粒子」に「核分裂は人間がかつて発見したエネルギーの放出方法の中でももっとも不潔不快」というアーサー・C・クラークの言葉が載っていた。ふと、映画「風の谷のナウシカ」の中で、かつて地上を破壊・汚染し、再びよみがえった〝巨神兵〞(こんな字だったかしら?)を、誰かが「この、邪悪な化け物め!」と吐き捨てたのを思い出した。
東電顧問が「低線量の放射線は『むしろ健康にいい』と主張する研究者がいる」と語り、週刊誌の広告の見出しには「〝放射能恐怖〞報道、どこまでエスカレートするのか」。ことさら〝放射能は怖くない〞というイメージを国民に刷りこもうとする意図さえ感じる。
以前議会の一般質問で電磁波問題を取り上げた時、自然の中にも電磁波があると言われた。そんなのは織り込み済み、地球そのものが巨大な磁石のようなものなのだ。宇宙(太陽)から地球に降り注ぐ放射線だって同じ。地球の生命はそうした地球環境の中で誕生し、活かされているのだから。
問題なのは、そうした自然の調和をかき乱したり、壊したりする「人工」の電磁波であり放射線なのだ。マスコミも巻き込んだ「大本営発表」を鵜呑みにしてはいけない。福島原発の大惨事は現在進行形であり、世界が注目している危機なのだ。
放射能がヒトだけでなくすべての生態系に与える影響については、チェルノブイリ原発事故の影響を調査し百万人の犠牲者と公表したジャネット・シェルマン博士の発言を注目したい。彼女は調査結果を『大惨事の環境と人々へのその後の影響』という本に著している。以下は2011年3月5日に収録されたTV番組での彼女の発言。
「人々ががんや心臓病で命を落とすだけではく、体中のすべての臓器が毒されたというのが衝撃でした。免疫機能、肺、皮膚などすべての器官が放射能の影響を受けたのです。しかもこれは人間だけではありません。調査した全ての生き物・・・生態系の全てが変わってしまいました。放射能の遺伝子への影響は改善する見込みのない話です。一度遺伝子が損傷を受けると、何世代にも引き継がれます」
□■□2011年5月10日(火)
中部電力は昨日、菅首相の要請を受け入れて浜岡原発全炉を数日中に停止することを決めたと言う。廃炉でないのは残念だが、とにかく停止となってよかった。津波の防潮堤ができるまでとか言っているが、浜岡原発は活断層の直上にある。東海地震に見舞われたら3基の炉が一気にメルトダウンしたらどうなるか・・・。
3・11以降日々放射能を放出し空気・水・土を汚染し続けている福島原発に、「いつ起きてもおかしくない東海地震」で浜岡が爆発したら、死の日本列島と化すだろう。
今日は玄関のドアを開けるたびに、外が蒸し暑い・・・。室内外の温度差が大きい。今から「電力不足」が喧伝される夏を前に、今年はどんな覚悟と構えが必要かしら。
私は、チェルノブイリの事故からずっと脱・・・というより反原発。夏の「電力不足」を理由に原発を増設する国の政策に反対し、せめて自分の暮らしから・・・と、エアコンを取りつけなかった。今の住居でも、建物の構造から来客用に1台置いてすべて引き取ってもらった。
しかし、去年の夏は異常に暑かった。約1ヵ月間床の板の上にマットを敷いて寝る暮らしが続いた。電気はあるけれど使わない、健康だからできるやせ我慢だった。もし「計画停電」となったら、病気の人や体力が落ちている人は命取りになるかもしれない。原発がなければ電力が供給できないというのは原発推進に仕組まれたウソ。原発がクリーンだ、安全だというのもウソ。
あの無「計画停電」の時は「被災地を思えば・・・」という人たちの同情心を利用した。もう、東電には一方的な「計画停電」をさせないようにしよう。知恵を出し合い、暮らしも生産活動も節電で乗り切ろう。
こうしたなかで、今年のキャンドルナイトに注目したい。夏至の夜8時~10時までの2時間〝電気を消して、スローな夜を〞というキャンドルナイトの呼びかけに最初から参加してきた。電気だって日本の大量消費、大量生産、大量廃棄の悪しきサイクルに入っていると考えれば、とても自然な流れだった。電気を消して、便利さにどっぷりつかった私たちの暮らしや文化を考えてみようよ・・・、自分にとって本当に大事なものは何か、大切な人のことなどをロウソクの灯りの中で考え、語り合おう・・・おそらく今年の夏至ほどキャンドルナイトにふさわしい機会はないと思う。
□■□2011年5月9日(月)
地方議会に「会派」は必要ない、というのが私の考えだけれど、市議会の新しい会派(3人以上)構成が決まった。
●政友クラブ(15名)石渡孝春、村嶋照等、秋山忍、小澤孝一、海保貞夫、宇都宮高明、平良清忠、神﨑利一、荒木博、湯浅雅明、佐久間一彦、雨宮真吾、伊橋利保、福島浩一、神﨑勝。
●公明党(3名)大倉富重雄、水上幸彦、一山貴志。
●リベラル成田(4名)伊藤竹夫、油田清(社民)、海保茂喜(民主)、伊藤昌一(民主)。
●豪政会(4名)上田信博、青野勝行、小山昭、飯島照明。
(会派外)
●日本共産党(2名)馬込勝未、鵜沢治
●無所属・市民の会 足立満智子
●エコピースの会 會津素子
自民党系の政友クラブと豪政会の顔ぶれをみると、へえ~と思ったり、なるほど・・・と納得したり。自民系は前の期で3つに分かれていた会派が新人を加えて2つに再編された。
1期目は「会派外」だった雨宮さんが政友クラブに入ったのは妥当なところだろう。選挙でどれだけ得票しても、会派に所属していなければ「ポスト」とは縁遠くなる。これは保守が独占してきた議会の「オキテ」。雨宮さんも次のステップを目指すには2期目あたりから保守のポジションを固めていかないとね。
アノ人とアノ人は同じ会派だったのにどうして別れたのかしら?どうしてアノ人がアノ会派ィに入ったのかしら?などと詮索したくなる例もある。もっとも同じ保守でも個性その他モロモロの事情があるのだろうし、会派間のかけひきもあったのだろう。まあ、詮索しようがしまいが煮ても焼いても食えないのが「会派」。この会派構成で議長選があり、次の議長選まで続く。何事もなければ、たぶん。
ニュータウン「ユリノキ通り」で花が咲きはじめた。今年は花が目立つ。枝の伐採をやめてから3度目の花の季節を迎えた。英語でチューリップ・ツリーというように、本当にチューリップの花そっくり。お散歩がてらみんなに楽しんでほしい。
□■□2011年5月3日(火)
憲法記念日。そして、国連の世界報道自由デー。朝日新聞の世論調査では、憲法改正は必要と答えた人が54%、不要が29%。必要と答えた人の74%は新しい権利や制度を盛り込むべきだから、という理由だという。
憲法9条(戦争の放棄・戦力は持たない)を変えないほうがよい59%、変えるほうがよい30%。
私は、「新しい権利や制度」は個別法で対応できるので改憲する必要はないと思う。9条は不戦の誓い。守るだけでなく戦乱の絶えない世界に発信すべき日本人のメッセージでもある。
近くのスーパーで「安全なアメリカ産」と書かれたタマネギが売っていたという話を聞いた。別のところでは、時々野菜の農薬汚染が問題になった中国産の冷凍野菜が店頭で売り切れたという。
この目で確かめたわけではないが、こうした話を耳にすると放射能汚染の問題は国内産農産物の「安全・安心」を脅かしつつあるようだ。放射能より農薬の方がマシ、ということなのだろうか。
生産停止や出荷停止、風評被害などで東日本の農業や水産業が打撃を受けている中、農業関係の業界紙で記者をしている人が「これでTPPが一気に進むかもしれない」と心配していた。もともと、TPPが締結されて関税ゼロになると日本の農業は壊滅状態になるという試算だ。原発事故、そしてTPPと、国内農業に迫る問題はあまりにも大きすぎる。
でも、どれほど困難でも食料自給率向上をおろそかにしてはいけない。これに乗じてTPPを進めることには反対だ。
□■□2011年5月2日(月)
栄町の帰り、ユリノキの花の付き具合とサラシナショウマの生育状況を見るために風土記の丘に寄った。3本のユリノキの花はまだ多くが蕾だったが、開きはじめたものもあった。蕾がたくさん目に付いたので、今年は花盛りを楽しめそうだ。
先日、ニュータウン中央通りのユリノキの写真を撮った方からどれが蕾でしょう?と聞かれた。まだ蕾が小さくて見わけがつきにくかった。ニュータウンのユリノキ通りに花が咲くのは5月中旬頃かな?でも、もうすぐね!
木洩れ日の中、サラシナショウマは株も増えて20~30センチメートル位まで育っていた。この株がみんな、優美な白い花をつけたところを想像してうっとり・・・。
今注目しているのは、郵便局から中台外周に向かうニセアカシアの並木に花が咲くかどうか。特に郵便局前の木は枝を伐採しなかった一昨年・昨年と、枝なしなうほど見事に咲いた。が、昨年何を考えたか、再び道路管理課が枝を伐採してしまった。花芽を損なわないように伐採したことを祈るばかりだ。
夜のニュースで、「オサマ・ビンラディン容疑者」が米軍の作戦行動によってパキスタンで殺害されたという。オバマ米大統領が米国時間深夜11時過ぎに発表。米国が〝9・11の首謀者〞として、そして〝テロとの戦い〞の標的として、国家のメンツをかけて捜し続け10年。ホワイトハウス前には若者たちが押し掛けて「やった、やった」とばかり歓喜の声。
でも彼を殺害しても、この10年間、報復戦争の犠牲となって流されたアフガンやイラクの罪なき人々の血を贖うことはできないだろう。武力によって問題を処理しようとする政治の貧困は、第二・第三のオサマ・ビンラディンを生む。
□■□2011年4月30日(土)
「お母さん、これから何が起きるの?」MOX燃料(ウランとプルトニウムの混合)で動いていた福島第一原発3号機が爆発した時、高校生の息子さんが不安な表情で尋ねた。
毎年晩秋の色が濃さを増してくる頃に〝木洩れ日りんご〞を送ってくれている福島の果樹農家Oさんは、その時母親としてこれに何と答えればよいか悩んだという。息子さんはその後救援物資調達のボランティア活動に出発したそうだ。
農薬を極力使わないために、Oさんの果樹園では病気をいち早く感知するバラを植え、虫よけとして木の間にはにナスタチウムを植えるなど工夫してきた。葉には一枚一枚役割があるからと、葉を摘まずに熟すのを待って収穫したりんごは陽があたる部分が赤いまだら模様。〝木洩れ日りんご〞と名付けて消費者に届く。
そのように手塩にかけて果樹を育ててきたOさんは、福島原発事故で大きな仕事を与えられたという。それは福島第一・第二原発の廃炉と、世界に反核を訴えること。
Oさんたちはいま、市民レベルでの緊急連絡網や情報データ収集に取り組み、福島から現地情報と緊急支援要請のメッセージを発信している。
あの、〝テロへの報復〞で始まった米国のアフガニスタン爆撃の頃、7歳の息子さんから「お母さん、僕が大人になったら戦争をやるの?」と聞かれたお母さんの言葉と重なる。そしてお母さんは変わった。
地震や津波、放射能に襲われようと、爆弾がふりそそぐ戦場や、過酷な難民生活の中でも女たちは子を産み乳呑み児を守り育てなければいけない。こういう時こそ「母の権利」を主張しなければ・・・。「臭いものにフタ」では明日は我が身だ。
□■□2011年4月29日(金)
神戸に住む古い友人から「おめでたいかどうか難しい年齢ですが・・・」という前置きで「誕生日おめでとう」メールが届いた。
「素直に喜んで」くれた後は東日本大震災の津波と原発の話。彼の病院からも医療救護班が仙台の若林地区に行ったそうだが、惨状にカメラを向ける気にならなかったと語っていたという。震災被害の全容もまだ明らかでない、地球規模の危機といわれる原発事故のさなか、私にも巡ってきた誕生日だった。
英国ではロイヤル・ウエディング。ウェストミンスター寺院での式次第のある箇所で英国国歌「GOD SAVE THE QUEEN(KING)」が歌われた。歌う人々をカメラが追う。と、エリザベス女王夫妻のところで止まった。「神よ、我らの女王を・・・」夫君は歌っていたが、女王は口をつぐんでいた。
以前、宮内庁に「式典で〝国家斉唱〞の時、陛下も歌いますか?」と問い合わせたら、「ちょっとお待ち下さい」と言い、少しして「歌いません」という答えが返ってきたことを日記に書いた。「君が代」の〝君〞は天皇を指していると思っているので、英国国家を聞きながら天皇が歌わない日本の「国歌」の内容も腑に落ちた。
□■□2011年4月28日(木)
「歴史と今を語り合う女性の会」の例会。3月は余震のほかに発生する地震の震源が南下してきていたことや、中央公民館が計画停電&節電で部屋の電気・暖房を切っているということだったので中止した。会員が顔を合わせるのは2ヵ月ぶり。公民館のぼたん桜が満開になった。
最年少のるなちゃん、2ヵ月前はちょっと人見知りをしていたが、今日はママやおばあちゃんと一緒におもちゃやおやつ、飲み物をかかえてニコニコしながら部屋に入ってきた。るなちゃんと会員さんたちは彼女がママのお腹にいた頃からの知り合い。会うたび成長していく姿にみんなの目が細くなる。
私もすっかりおばあちゃん目。周囲におばあちゃん目があると子育ても少し気が抜けるんじゃないかな。人間家族にとって「おばあさん」の役割は文化・社会人類学・家族社会学などで証明されているもんね。
先日トマトをたくさんいただき、みんなで分けて残った分を湯むきして保存用のビンに詰める。去年こぼれた種から顔を出したイタリアンパセリの葉を摘んで、夜はパスタ料理にした。
中部電力が浜岡原発3号機を7月までに再稼働するという。2012年3月期の「業績見通し」というから、株主への想定であることを願う。運転差し止め訴訟を行っている住民や、周辺自治体だけの問題ではない。
いつ発生してもおかしくないといわれる東海地震を考えると、活断層の上に建設された浜岡原発は廃炉にすべきだ。「津波」に耐えられるかどうかより以前に、地震の直撃で爆発したら核爆弾ではないか・・・。命が先でしょう。
□■□2011年4月27日(水)
福島原発事故をきっかけにして始まった「節電」だが、公共施設の節電では時々???と思うことがある。
中央公民館では計画停電以降夕方5時閉館としてきたが、5月1日より節電しつつ夜も9時まで開館することになった。
それはよいのだが、同時にこれまでこどもたちが自習したりしていた2階の学習コーナーが使えなくなるという。ご自身も利用していた市民の方から話を聞き、現場を改めて見たところ、窓もあるし、天窓もある。これから日照時間も長くなる。たとえ電気をつけなくても使用できる時間と空間は十分ある。その間利用したいという人たちに提供することは全く問題ないと思った。むしろ、どうしてこの貴重なパブリック・スペースを閉鎖(当分)しようと考えたのかが理解できなかった。
ということで中央公民館に要望すると、ややあって「ほかにもそういう声があったので前向きに検討します」とのこと。
成田市もかなり徹底した節電をしているが、夏場を迎え今後具体的な数値をあげて消費電力の節電要請が国や東電から出されるだろう。パブリックスペースから市民が閉め出されることのないように、全体で意思一致しておくべきだと思い、管財課に要請した。
TVをつけたら、ノーベル平和賞の受賞者など海外の反核学者数人が記者会見を開いていて、日本政府が決めたこどもの被曝基準(年間20ミリシーベルト)の高さに驚き、もっと低い数値に改めるべきだと強く訴えていた。
これは欧米の原発施設の現場労働者並みの基準だそうだ。私も、市民団体の仲間とこのこどもスタンダードの数値を下げるよう政府に強く求めていきたい。
□■□2011年4月26日(火)
24日に行われた市議選の当選証書付与式。
終わってから、議会事務局より、私が県内の議員と21年度に韓国視察を行った歳の政務調査費の使途に関して監査請求が出ているという報告を受ける。
3月1日付「まちこの日記」で政務調査費収支報告書の韓国視察の部分について開示請求があったことを書いた。監査請求はその続編。請求人の言い分の1点目は、視察が「『水曜集会(デモ)』に参加するために企画立案されたというべきで、目的外支出」なのだそうだ。
同行した県議2名についてはすでに千葉県への監査請求が行われていて、県は請求人の主張を却下したという。成田市へは選挙前に請求が出たようだが、時期的に選挙後の今日、私への報告となったようだ。
水曜集会は毎週水曜日、元慰安婦のハルモニたちが日本大使館前(正確には大使館前の道路の対面)で名誉の回復と補償を求めて行っているもの。かつて国連人権委員会は日本軍の軍隊慰安婦を「性的奴隷制度」とし、完全なる補償と謝罪を行うよう勧告している。
視察当時は米下院やEU諸国でもそのための決議がなされていた時期と重なった。国際的な人権問題の一つだ。ハルモニや日本からも訪れていた人たちと交流していろいろな話を聞くことは、慰安婦問題の現状を知るよい機会だった。
昼食をさいての1時間だったので、次の予定地「京畿道議会」へは、車の中でパンをかじりながら向かうことになった次第。請求人は「思想」を問題にしているようだが、政務調査費の使途で「思想が問題」と指摘する「思想」ってなんだろうね。
もう1点、請求では当時私の「たいむ」で、今回の市議選で当選した会津素子さんの「エジプト便り」を掲載していた時期があり、「事前運動に使われているのでそのスペース分の金額を返還すべき」という。
議会会派の会報作成費が政務調査費から支出している(かつては政務調査費全額を印刷から新聞折り込みに使う議員も)。そこで私も後援会だより「たいむ」を第68号(2008年10月号)から無所属・市民の会発行とし、紙代、印刷インク代、一部郵送費用を計上してきた。
「エジプト便り」はそれをはさむ「たいむ」66号(2008年4月)~71号(2009年7月)までの6回。
確かに、発行部数2万部余りの「たいむ」に連載したことによって素子さんが市民に知られる機会にはなっただろうが、当時彼女は青年海外協力隊の一員としてエジプトに派遣されており09年秋に帰国した後、市議選に立候補すると聞いたのは昨年夏頃だった。
国際(空港)都市成田で男女共同参画社会実現を目指す私にとって、若い世代の女性の感性や活動を紹介するコラムであり、「事前運動」だなんて言われてもね。
・・・というわけで、監査請求の結果は如何に。
□■□2011年4月25日(月)
ニュータウン中央通りのユリノキがみずみずしい新緑におおわれた。秋に枝を切り落とすことを止めて3年目。高木の堂々とした並木に姿を変えつつある。初夏には花を咲かせ、夏は木陰がやすらぎを与えてくれるだろう。私はこのユリノキの並木を〝ユリノキ通り〞と呼んでいる。先日お会いした方にそう言ったら、「では私も」と。嬉しいな。
今日は深夜までハラハラドキドキ結果を待ってくれていた支持者の皆さんから激励の電話のベルが鳴り続けた。午後は選挙事務所の後片付け。おじゃま虫かと思ったけれど、私も立ち会う。その間に選管の職員が当選告知の書面を持ってきた。
夜は、この間手をつけられなかった3・11大震災・原発事故関係のメールや書類の整理に追われる。議員活動とともに、震災支援や原発国民投票を求める活動に関わろうと思う。
□■□2011年4月25日(月)
選挙が終わった。いやはや、なんとか滑り込みセーフ!今回は背水の陣覚悟で告示期間も含め準備・実働1ヵ月足らずだった。選挙の成果は私が当選したことで女性が2人になったこと、かな?10年間、女性1人の成田市議会だったから立候補した甲斐があった。6期目のこれから4年間も、これまでと変わらないスタンスで議員活動を行う。
24日朝、遠方の娘より「お母さん、もう十分やったから、これから好きなように生きたらいいよ」とねぎらいの電話、あらまあ気の早いこと・・・。
時を分かたず多古の弟からも「厳しい選挙だって?」と、どこから選挙情報が入ったのか心配の電話。どうやら〝落選〞情報が入ってきたらしい。身内にも心配をかけてしまうような厳しい選挙だった。投票してくれた人たちには心から感謝。
□■□2011年4月16日(土)
「まちこの日記」もこの頃途切れ途切れで休みがちだったが、明日の告示から24日投票日までは公選法の関係でお休みする。
きのうは愉快だった。訪ねたお宅でご主人が私に「いつも〝たんぽぽ〞をくれる人?」???・・・私の議員活動報告「たいむ」のことだった!
大震災と原発事故の影響もあってまだお会いできていない方も多い。市内の一番遠い地区から始めたが身近なところはまだ。時間をみつけて挨拶に伺う予定だが、これまで5回の選挙を通して応援してくれた人を訪ねて約一ヵ月、書きたいこともたくさんたくさんあるけれど、選挙が終わってからまとめたい。
「日記」を読んで下さった皆さん、しばしごきげんよう。
□■□2011年4月13日(水)
3月に78歳を迎えたという高校の大先輩のお宅に伺うと、玄関もお庭もご自慢の花盛り。老眼・遠視・乱視で三重苦の我が目の保養をさせていただいた。
「主婦」のお手本のような方で、82歳になるご主人とともにお元気に生活を楽しむ姿がまぶしかった。そういえば、私の高校はもともと「家」を切り盛りする模範的な「主婦」を育てるための女学校だった。そこで3年間青春を謳歌した私は、たった11年間で専業主婦からドロップアウトしちゃったけれど・・・。
昨日、福島第一原発が事故評価尺度で最悪のレベル7と評価された。事故を小さくみせようとしてきた、あるいは、そう思いたかった政府や電力会社の思惑や願望は砕かれた。私たちはこの現実からスタートしなければならない。「たんぽぽ舎」からのメーリングによると・・・
★1.『原子力安全委員会は半月以上前に知っていた! ―3月23日に史上最悪レベル7と判断していた―』
原子力安全委員会が、周辺環境の放射線量調査のデータなどから逆算して、原発からの放出量を推定する手法で試算したところによると、東日本大震災発生日の3月11日から4月5日までに大気中に放出された放射性のヨウ素131とセシウム137の総量が、3月23日の時点で約10万テラ・ベクレル(テラは1兆倍)以上になり、「レベル7」の基準である数万ベクレルを超えた。(読売新聞4月13日朝刊より)
★2.『大量放出を重大視 放射性物質、今も毎時1テラ・ベクレル―際立つ深刻さ―』
国際原子力機関(IAEA)の運用方針では、「レベル7」を「対策拡大が必要
な放射性物質の大量放出。一つ以上の国で広範囲の健康と環境への影響を伴う」
と位置づけて、「レベル7」は「5」や「6」に比べて際立った深刻さを示して
いる。
原子力安全保安院は、今回の放出量は同じ「7」の旧ソ連チェルノブイリ原発事故の1割前後というが、同事故の値は発生から沈静化までの約10日間の総量。一方原子力安全委員会によると、福島第一原発では今も毎時1テラ・ベクレル程度の大気への放出が続いているとされる。今後数か月以上この状態が続けば、放出量は数千テラ・ベクレルに達し、大事故がもう1つ起きたのと同じ計算になる。(読売新聞4月13日朝刊より)
★3.『放射能放出量はチェルノブイリに匹敵するか、超えるような事故になる
―東電・松本純一原子力立地本部長代理―』
東電の松本純一・原子力立地本部長代理は、4月12日の記者会見で「事故の様相が違うとはいえ、放出量という観点からすると、チェルノブイリに匹敵するか、超えるような事故になると、その深刻さを認めた。
□■□2011年4月11日(月)
三里塚に住む中学校時代の同級生KYOKOちゃんのお宅に行ったら、〝元気〞がはちきれそうな小型犬がいた。長男から一時預かりの予定だったのが今ではE家の一員なのだそうだ。5人の子育て(末のお子さんが大学生)を終えて、KYOKOちゃんの眼差しは何事も自分中心でないと気が済まないというこの〝わがまま娘〞への愛情でいっぱい。大震災や原発事故の話になって、ふと「〝平和〞でないとペットは飼えないわね・・・」
じっくり考えた後で言葉を選ぶKYOKOちゃんと、話しながら考えをまとめていく私と、二人の性格は中学時代から変わらないなぁ・・・。あの頃はまるでお姉さんみたいだった彼女を敬遠していたっけ。その彼女が、原発事故について心底怒っていた。KYOKOちゃんが怒るのを初めて見た。
私が所属する残土・産廃問題ネットワーク千葉のメーリングから・・・
「皆様へ 昨日函館市環境部対策課が我が家へやって来ました。相談されたことは、災害廃棄物処理に関しての意見を求められました。
どうも福島県の放射能汚染された低レベルの廃棄物20から30kmの廃棄物を道南で引き受けるとしたら、住民はどんな反応見せますでしょうねといった内容です。
海を渡ってくるというのがどうも違和感でならなかったのですが、不法投棄は海を渡って来ましたので(苫小牧)国が知事に求めれば特例的な扱いをするのではないかと言うのが環境部の見方のようでした。」
環境省が音頭をとって、北海道内だけでなく、一番近接した関東圏や以西についても都県に打診がされているのではないか、と思われる。
□■□2011年4月10日(日)
統一地方選挙の前半戦投票日。県議選では成田市選挙区は定員2名、立候補者2名で無投票当選が決まっていたのでとっても静かだった。その他全国的には民主党が敗北。大震災の影響が選挙戦に深く影響していることを実感した。
これまでも報道されてきたが、液状化現象で大きな被害を出した浦安市選挙区は市長主導で県議選をボイコット。当選者なしで再選挙になるようだ。
その浦安市の震災被害だが、いつかこういうことになるとかねがね思い、語ってきたことが現実となった。「アサリやハマグリをとってきた所だもんねー」「大地震がきたら液状化を免れないよねー」という埋め立て地。その地にマンションや住宅が立ち並び、都心に通う人たちが移り住む〝おしゃれなまち〞が売りだった。3月19日に現地を歩いたOさんから届いたメールでも
「19日午後、K県議と検見川浜⇒海浜幕張⇒新習志野⇒新浦安の各駅から海に向けての地域における液状化被害状況を見て回りました。特に浦安は凄い状態で、駅前広場ですら泥の撤去がまだ終わっておらず、多くのエリアで上下水やガスラインがズタズタ。駅から三番瀬に向けての一戸建て区域では、多くの家屋で傾きが見られ、また駅と海との中間(海から1.2Km位)にあるヨーカー堂周囲の歩道は建物から50cm以上も陥没している状態でした。検見川浜と新浦安で回った地区だけでも目視で確認できる傾斜住宅が数十はあり、歪みのある住宅は数えきれないものと思えます。垂直1Mに対し3㎜の傾斜位から違和感を感じ、10mm以上になると苦痛や健康被害を訴えるそうです。」とあった。
その後、こうした惨状はTVなどでも報道され、私も実態を目の当たりにした。昨日話した農家のおばあちゃんが「昔から、家を建てる時はそこがどんな場所だったかよく調べてから建てろと言われてきたよ」と。〝先人の知恵〞にはよく耳を傾けないとね。
□■□2011年4月9日(土)
出先から寄った大室の自然食レストラン「風楽」でお昼を食べる。近頃食生活が偏ってきていたせいか川端さんの手作りお料理が身体に優しい。おみやげに美味しい井戸水をボトルに詰めたくれた。
途中訪ねた旧知のお宅では、ご主人が「駆除」を依頼されてしとめた猪の肉の缶詰をいただく。県内では1年間に約7000頭の猪が駆除されているという。狩猟の心得について示唆に富んだお話は心を和ませてくれた。私もありがたくいただこう。
6日吾妻中学校、7日吾妻小学校の入学式では桜の花がやっと咲きはじめたと思っていたら、またたく間に満開。ニュータウンのけやき並木は新しい葉に包まれ、ユリノキ通りの木々も柔らかな緑の葉が開きはじめ、小雨の中で新たな装い。ものみな春の息吹に満ちていた。被災地の皆さんにとっては喜びに満ちた春の訪れとはいかないだろうが、それぞれの思いで春を迎えていることだろう。
こういう時にいつも思い出すのはギリシャ神話の〝パンドラの箱〞。ゼウスがパンドラにあらゆる災いを封じ込めて人間界にもたせてよこした箱(壺)。好奇心にかられたパンドラがフタを開けると不幸が飛び出したためにあわててフタをしたところ、「希望」だけが残ったという。
被災地・被災者のことを考えると巷にあふれる言葉の虚しさを感じる毎日だが、それでも、希望だけは失わないでほしい。
福島第一原発の惨状の前には、かつて「これ以上原発を増やさないために市役所の1%節電を」「市役所から自販機の撤去を」と議会で要望してきた頃が懐かしい。成田市議会で原発に頼るエネルギー政策に反対してきたのは私一人だった。原発は国策で必要、と「1%節電請願」に反対したすべての議員の顔を思い出しながら、いま彼らが何を考え、どう主張しているか知りたいという思もある。
議員になってから一貫して訴えてきた「環境(空気・水・土)を汚染する農薬空中散布の中止を」にいたっては、放射能汚染がひろがる中ではなんとささやかな願いであったことだろう・・農作物への汚染を前に農家の人が「農薬ならなんとかなるが、放射能だけはどうにもならない」と語る記事を読んだ。
□■□2011年4月8日(金)
3・11大震災の被害は、震度6弱を記録した市内でもあちこちで目に付く。もともと湿地帯であったところに家が建っている農村地域を訪ねると、瓦屋根をブルーシートで覆い、たくさんの砂袋で固定した家などが目に付いた。
あるお宅では瓦が塀を越えて隣家に落ち、約70万円の賠償金を支払ったという。自宅の屋根は材料が出回っていないために修復できず、大雨が降るのを気にしていた。
大きな被害は把握できているだろうが、市民の暮らしの中でどんな被害が発生したかきめ細かに情報を提供してもらい、記録しておく必要があるだろう。
福島原発は放射能を出し続けている。事故から一ヵ月になろうとしているのに半減期8日という放射性ヨウ素が減るどころか億倍単位で検出され、先日はクロル(塩素)38という放射性核種もタービン建屋の地下水から検出されているという。再臨界が起きている疑いがあるようだ。専門家も、今後メルトダウンが絶対に起きないと自信をもって言えない状況だという。もし起きたら・・・爆発的に放射性物質が出てくる。そんな最悪の事態に地元や国民はどうするか、国の危機管理はそこまで想定して情報公開すべきだ。不安やパニックは知らされていないところから生じるというではないか。
事故後日本の原発事故を報道する海外情報をインターネットで収集し、いち早く娘さんとお孫さんを関西地方に避難させた人がいる。政府情報への不信から〝○○家の防災マニュアル〞に沿っての対応のようだ。
昨日(7日)災害対策本部から届いた報告によれば、農産物への影響について自主検査している団体の検査で原発の影響は出ていないということだった。それでひと安心、といことでもないが。
□■□2011年4月5日(火)
多古町のホウレンソウが放射性物質汚染で出荷停止になった。多古町には私の実家がある。政府は農産物の出荷停止を県単位から市町村単位で設定・解除することにしたという。田植えを前に気がかりだ。
「多古のホウレンソウが汚染されて、成田は問題ねえってことはあんめぇ」今日会った市内の農家のおばあちゃんが言っていた。騒音の線引き(コンター)と同じで、地面に線を引いても音は空から降ってくる。放射能だって、大気に混じって流れてくるのに多古と成田の境界などないだろう。
「成田で検出されない、というより、成田では検査していないんじゃない?」と言うと、「空港があっからなー。成田で(放射性物質が)出たら、空港を使う外人が減るべ」おばあちゃんの鋭い指摘。
震災・原発事故以来、市民の意識がものすごく変わったことを実感する毎日。みんな節電の努力を怠らない、いま起こっていることへの情報収集、垂れ流しの情報の中から自分が考えを語ってくれる。圧倒的な自然の威力と科学技術の驕りによって起こった原発事故を体感しつつ、これまでの生活を考え直さないとダメだ、と語る言葉に、3・11は成田だけでなくこの国の人々の意識が確かに変わりつつあることを感じる。
朝日夕刊のコラム「終わりと始まり」で池澤夏樹さんが書いていた。「この表題がこれほど適合する時が来るとは考えもしなかった。・・・3・11は我々の日付になった。何かが完全に終わり、全く違う日々が始まる。」
□■□2011年4月2日(土)
Sさんのお宅に行くとドアが開いて小さなお孫さん2人が飛び出してきた。ママが帰ったと思ったのかな?「ママは?」と聞いたら「ボランティア!」。Sさん話では、息子さんご夫婦は震災の翌日からそれぞれ旭市と浦安市に災害復旧支援のボランティアに参加しているという。土木の専門技術を請われてのことらしい。話しているうち、毎日旭市に通っている娘さんが帰ってきた。
お二人で現場に行き、被災者に接する中での体験は幼いこどもたちを含む「家族」で共有されているようだ。きっと地域で活かされることもたくさんあることだろう。
市の災害対策本部からの通知では、消防本部は第1次隊と入れ替わりに第2次救急援助隊が今日福島に出発したという。原発から20~30キロメートル内の歩行困難な100~150人を病院に搬送する予定とのこと。
ほかにも土木部や企画政策部には香取市、旭市、浦安市から人的支援要請がきている。また教育委員会では転入児童生徒(小学生12人・中学生14人)の受け入れ態勢も進んでいるようだ。
阪神淡路大震災1ヵ月後にボランティアで長田区に入った時、ずいぶんいろいろな自治体名が入った作業服姿の人たちを見かけた。さまざまな分野で自治体間の協力・支援体制が動いていることを実感。
こうした行政や民間の市民の様々な体験が成田市の防災対策に活かされることを願う。私が長田区に入って「これは成田でも・・・」と思ったのは避難所に大ナベを備えておくこと。支給される冷たいパサパサした食事を補うために温かい汁物がどれだけ喜ばれていたかを知ったから。神戸の給食は自校方式だったので、どの学校にも大ナベがあった。まちが焦土と化した中、これを使ってあたたかい野菜汁をつくろうと思い立った時から、生きる力が湧いてきたのではないかしら、と思ったくらい。
□■□2011年4月1日(金)
政府は3・11大震災を「東日本大震災」と命名したという。菅首相が記者会見で発表。震災から3週間、歴史に語り継がれる大震災の公称が決まった。
この呼称は震災翌日の12日、朝日新聞朝刊の1面大見出しで使われた。以来私もずっと「東日本大震災」と呼んできた。市役所からのFAX通信では公称「東北地方太平洋沖地震」を使用していたが、実態を考えるとまどろっこしい気がしていた。
□■□2011年3月31日(木)
22年度の政務調査費収支報告書を提出。ついでに議員の任期もあとわずかなので、先日段ボール箱4つに詰めて会派控室に置いてあった書籍類を持ち帰る。
目薬を買いに寄ったお店で単1乾電池1パック(お一人様1パック限定)を買う。このところずっと売り場が空っぽだった。いつも電池は切れてから買いに行っていたが、今回単1を探していたのは拡声器用。これまで市議選告示期間中「選挙カー」で政策を訴えてきたが今回は使わない。政策を訴えていくためにはこれまで以上にスポット演説の回数を増やしたい。移動は自分の車。どんな選挙運動になるかわからないがやるっきゃない。
多くの命をのみこんだまま生々しい爪痕を残す被災地と、人間の科学技術の制御を超えて放射能を出し続ける原発1~4号機。東電会長がやっと「廃炉」を認めた。枝野官房長官は「大きな被害を受けなかった」5、6号機の廃炉も示唆したという。
私たちの思いとはかかわりなく、春の息吹が大地を包み始めた。苺の花が咲き、沈丁花の香りが漂う。樹木たちは芽吹きの季節を迎えた。でも、3・11以前に戻ることはできない。被災した人たちも、私たちも、全てはこの現実から始めなければならないことを、思う。
原子炉の暴走と闘う〝フクシマ〞のために国際的なミッションが形成されつつあるようだ。遠隔ロボット、放射能偵察機、62メートル放水機などの支援申し出や専門家の派遣などが相次いでいるという。
1度目は米国の原子爆弾により、2度目は自国の原発事故により、国民は2度にわたって「核」の恐怖にさらされることになった。ヒロシマ・・・フクシマ・・・。〝悲劇〞の連鎖にしてはいけない。
□■□2011年3月29日(火)
今朝の新聞に、スタジオジブリの宮崎駿監督が記者会見で東日本大震災について語った記事。その言葉の中に「風の谷のナウシカ」を世に送り出した人の感性と哲学を感じた。
「(圧倒的な自然災害と福島原発事故による汚染)この試練に私たちの文明は耐えられない。これからどんな文明を作っていくのか、模索を始めなければいけない」と語る一方で「僕たちの島は・・・豊かな自然に恵まれている。多くの困難や苦しみがあっても、より美しい島にしていく努力をするかいがあると思っている・・・僕たちは絶望する必要はない」と述べたという。
私が宮崎さんの「絶望する必要はない」という言葉の奥に感じたニュアンスは、「(まだ)絶望する必要はない」。
天災は繰り返し襲ってくるけれど、原発事故で「国土の一部を失いつつある」けれど、豊かな自然がある、まだ絶望する必要はない。どんな文明を作っていくか模索を始めよう・・・自分なりにまとめてみた。ナウシカたちが生きる巨大産業文明崩壊後の〝毒〞にまみれた地球とは比べようもない。いまならまだ文明をリセットできるのだ。
でも、原発事故で「国土の一部を失いつつある」という表現の中にナウシカの世界につながる〝深淵〞を覗いたような気がした。〝自然に恵まれた美しい島〞の中に、国土の失われた一部=放射能で汚染された「立ち入り禁止区域」が登場するのだろうか。
□■□2011年3月28日(月)
4月17日告示24日投票の市議選で、告示期間中の選挙カー使用を〝自粛〞しようという現職議員有志の集まりがあった。
「選挙運動用自動車」は、車借り上げ料、運転手・ウグイス日当、ガソリン代、いずれも上限を設けた補助金が公費から出る。告示期間中はお祭りみたいなもの。選挙カーは名前の連呼で時にひんしゅくをかうけれど選挙の風物詩だから回ってこないと選挙が盛り上がらない・・・と思う人もいるかもしれない。
自粛のきっかけはガソリン不足。市内でもスタンドからはみ出した車列が延々と道路を占拠するという事態が発生した。現在は解消されているけれど、被災地は着の身着のまま避難所暮らしを強いられ、飢えと寒さの中でガソリンや燃料不足が続いている。また、被災者(地)と様々なつながりを持つ市民もいるし、今日お会いした人からも「私たちはこうして気楽に暮らしをしていていいのかしら」という声を聞いた。多くの市民が胸を痛め、原発事故の不安を抱えて暮らしている。
更に最近では、欧米によるリビア空爆がガソリンや灯油の値段を釣り上げている。
こうした状況をいろいろ考えた結果、私は選挙カーを使わないことに決めた。告示の1週間、市内全域に選挙カーを回すことを想像したくなかったし、自分の気持ちとして耐え難いと思う。
選挙カーを使う・使わないは自由。他の候補を拘束するものではない。でも、「新人いじめ」の声もあると聞く。選挙カーを使って名前を知ってもらうことは新人にとっては現職以上に効果的かも。でも、「私たちは自粛しますが、権利ですから選挙カーを使いたい人はどうぞ使って下さい」と言われれば、やりにくいだろうな。
□■□2011年3月27日(日)
福島第一原発2号機のタービン建屋にたまった水から毎時1千ミリシーベルトの高レベル放射能が検出されたという。測定する際、すぐに針が振り切れたそうだ。保安院は原子炉から漏れ出た恐れが強いとみている。
昨夜届いたメーリングに3月14日付ニューヨークタイムズのwebページに3号機が爆発する瞬間のビデオが出ている。これまで日本の報道では目にしなかった光景で、まるで核爆弾がさく裂した時のようなキノコ雲が立ち上っている。
http://www.nytimes.com/2011/03/14/world/asia/japan-fukushima-nuclear-reactor.html?hp
(上記Webページを開き、左の写真の一つをクリックすると爆発のビデオが見られる)。
先日「たいむ」78号のポスティングをしてくれる方のお宅に行くと、社会人になってからはめったに会えない娘さんがいた。ディズニーランドに納品する製造会社に勤めていて、ディズニーランドが休園しているので現在自宅待機だという。自宅待機が増えているようだ。
ほかにも、毎日職場に行く人も、スーパーなどは営業時間縮小で、労働時間が短くなっているという。時給制だから収入は激減という。販売関係は、そういうところが多いのではないかと聞いた。また、生産関係の工場などは、停電のない夜中に大量に作るところも。震災や原発事故の影響による労働問題は、被災地はもとよりこうした身近なところにもみられる
電力会社は原発事故によって閉鎖や休業を余儀なくされた事業者、失業や休業、賃金カットに追い込まれた人々への損害を補償すべきだ。
□■□2011年3月26日(土)
地震の強度や大津波、原発事故に対してこれまで「想定外」という言葉を何度聞いたことか。しかし、「防災力検定」の教科書には「約40年間隔で繰り返される宮城県沖地震(M7・5前後)は今後30年間の発生確率99%」「1986年の明治三陸沖地震津波では38・2メートルを記録」と明記されているという。「1000年に1度」ではなかったのだ。「想定外」という言葉は、責任逃れの方便であったことがはっきりした。
私たちは圧倒的な天災・人災の「情報被爆」にさらされ、「無力感」に襲われがちだ。ここから抜け出して問題の本質に迫っていかなければ未来は拓けないと思う。
□■□2011年3月24日(木)
空気・水・土が汚染されたら私たちは生きていけない。この20年間、空から農薬をまく空中散布、有害化学物質からこどもを守るための「予防原則」の実施、基準値にこどもスタンダードを設定すること、残土・産業廃棄物問題、そして原発に頼らないエネルギー政策の実施などに取り組む市民団体で活動してきた。
今回発生している原発事故による放射能汚染はその最悪の事態。しかも、狭い列島に4つのプレートがせめぎあう自然環境を軽視した原発推進政策の結果だ。その結果プルトニウムをたっぷり溜めこんでいる潜在的核保有国日本。〝いつでも作ろうとおもえば作れるけれど、作らない〞などと言っていたように、核兵器そのものはなくても、原発の存在によって核は私たちのすぐ近くにあるようなものだ。
一時他の炉に優先して海水を注いでいた福島第一原発3号機は、MOX燃料(再処理で得られた酸化プルトニウムと酸化ウランを混ぜたもの)を使用していると聞く。
しかし、以前記者会見で放出されている放射性物資の「種類」について記者から「プルトニウムは?」という質問があったが言葉を濁して答えなかった。秘密社会にしてはいけない。
金町浄水場で乳児の飲み水について国の基準を超える放射性ヨウ素が検出されたのに次いで松戸でも。どちらも利根川水系から取水している。成田市でも、ニュータウンの県営水道はすべて利根川の水。
今日市の災害対策本部から届いたFAXによれば、放射性ヨウ素について「千葉県が21日に印旛広域水道取水先の北総浄水場(印西市)で実施した検査では28ベクレル/㎏で基準値を下回っており、安全を確認した」という。放射性ヨウ素の印象水の指針値は300ベクレル/㎏だが乳児は100ベクレル/㎏。千葉県では同じ利根川水系なので乳児の飲用は控えるように呼びかけている。
成田市の水道水は地下水65%。10年以上前に浸透した水だという。乳児用に提供できないものだろうか。今日のニュース番組では赤ちゃんをかかえて不安な顔のお母さんたちが映しだされていた。
本棚の隅におかれていた『チェルノブイリは女たちを変えた』(マリーナ・ガムバロフ、マリア・ミース他著。1989年・社会思想社刊)を取り出して読み始めた。
□■□2011年3月23日(水)
市議選に立候補するにあたって提出する書類の事前審査があった。出かける前に余震が続いたので予定していたMさんが不安で外出できず、1人で出かける。福祉部の前では支援物資の受け付けが行われていて、紙おむつなどが集まり始めていた。
被災地は人々の暮らしを根こぎさらって行った自然災害の猛威と、いまだ制御不能状態の原発による人災が重なって、危機的な状況が続いている。生活に必要な物資不足と、放射能汚染による風評被害で物資輸送が拒否されている自治体などでは、かろうじて一命をとりとめた人々に〝2次災害〞を強いている。
こういう時に選挙をやっている場合か・・・という思いはある。17日には国会で統一地方選の臨時特例法が衆院で可決された。3県20市町村27選挙を最長6ヵ月刊延期できるという法律が通ったが、その他は予定どおり選挙が実施される。
地方自治体の本旨は住民の生命と財産を守ること。こういう国家の根底を揺さぶるような震災被害と原発事故が進行する時期だからこそ、最も身近な地方政治を行うにふさわしい首長や議員を選ぶことが求められているといえるだろう。片山総務大臣の国会での答弁を読み、そのように思った。
今回の市議選では車の借り上げ、ガソリン、運転手、ウグイスなどに公費補助がつく選挙カーを使わないという候補者が相当数いる。私も、被災地で過酷な避難生活を強いられている人々への思いと、成田市民の皆さんの心情を思い、今日の事前審査には選挙カー使用の公費補助を申請しなかった。
「歴史と今を語り合う女性の会」の会員の1歳8ヵ月になる娘さんは、3・11以降余震がくるたびにお母さんにしがみついているという。もの心ついた時に彼女が受けたショックを思うと胸が痛む。11日の揺れは大人も恐怖した。でも、そういう時はこどもに対してなによりもまずお母さんやお父さん、周囲の人がしっかり抱きしめてあげること、そして心のケアが必要だ。
成田市でも、こうしたこどもたちの状況をしっかり把握し、必要なら市としてケア支援を行っていくべきだと思うこれは市に要望したい。
□■□2011年3月21日(月)
3・11大震災から10日目。そして、春分の日・・・というのにそぼ降る雨は放射性物質が混じっている可能性あり。福島原発事故では不自由な生活を強いられている避難民はもとより、最悪に事態が進まないように日夜大量の被爆を覚悟で決死の作業をしている方々を思うと、いたたまれない思いがある。
室内で「ながら」事務処理をしていたら、テレビでどこかの大学の教授が放射性物質の影響は過大に見積もっている、国の基準値を超える放射線量が検出された牛乳もホウレンソウも全く心配ない、風評被害で現地に物資が届かないでおこることのほうが心配、と威勢よく語っていた。
確かに、放射能を理由にいわき市へ物資を届けたがらないのは問題だと思う。 でも、「ただちに影響はない」と言いつつ政府は福島、茨城、栃木、群馬の知事に各県で生産されたホウレンソウとかき菜、福島県内で採取された牛乳を当分の間出荷制限するよう指示したという。
ところで、福島の第一原発から放出された放射能はどこまで広がるのかしら・・・と気にしていたら、横須賀駐留の米軍に退去命令?池子の米軍住宅は3月20日現在もぬけのカラだそうだ。行き先は不明とか。米国政府は日本にいる軍隊を含む自国民に福島原発80キロ圏への立ち入りを禁止している。
各国政府の放射能汚染への対応をみていると、日本政府に比べて迅速かつ徹底的に避難を呼びかけている。この違いは何故だ・・・と思っていたが、少し謎?がとけたような気がする。
『AERA』によれば日本政府は「IAEA」には11日以降1日2回指定されたデータをもとに「放射能拡散予測」を計算して提出しているという。しかし国民には公表していない。作成した気象庁は「国外向け」だと言っているらしい。
一方、「国内向け」には文科省の「スピーディー」という計算システムがあるという。どんなシミュレーションかというと、「万が一、事故が発生した場合、収集データや地形データをもとに、放射性物質の拡散や被ばく線量などを予測計算。開始後約10分で、予測濃度図形が作成され、住民の屋内退避などの各種防災にあてる」、ためのシステムだそうだ。しかしこれも公表していない。
この国外・国内向けはシミュレーション結果が2つあり、しかも「かなり異なる」という。
各国政府は「国外向け」情報を握っていて、それによって自国民への指示を出しているということ。だとすると、「IAEA」に送られているシミュレーションはかなり深刻なのではないか・・・と考えてしまう。「正しい危機感を持て」と言う専門家がいた。そのためには、正確な情報開示が前提だ。事態が今より悪化してしまってからでは遅い。
メーリングで、郡山市長が19日「『廃炉』を前提としたアメリカの支援を断ったことは言語道断だ、『廃炉』前提に一刻も早く原発事故の鎮静化を図るよう対応してほしいと、東電と海江田大臣に要請した」という新聞記事に基づき、「郡山市長の要請を積極的に受けとめ、ただちに福島原発の『廃炉』を決めてください」という署名の呼びかけがあったので、署名した。
□■□2011年3月19日(土)
中学時代バレーボール部で一緒に過ごしたゆっこの家に行くと、「成田市は県から声をかけられてから400人受け入れるとか新聞に出ていたが、もっと積極的に避難民を受け入れるべきだ」と憤慨していた。「このへんの人たちはみんな、成田市は国際都市と言ってるのに肝っ玉が小さいなーって言ってるよー」。
「家にも避難民がいるよ」というので「えっ?」。浦安市のマンションで液状化被害に遭った娘さんが幼い息子さんを連れて避難していた。あちらでは地面が水でぬかるんでいたので、実家に辿りついた時はゴム長靴姿だったとか。娘さんのお連れ合いは通勤の関係で柏市の実家に避難しているそうだ。
ところで、19日17時現在の状況として議員に送られてきたFAXによると、市の避難所への避難者数は8人(男5人、女3人)、放射線測定実施者数(9時~17時の累計)14人(男9人、女5人)で、測定の結果全員問題なしとのことだった。放射線測定はCPM(カウント・パー・ミニ)によるという。
危機管理課に問い合わせたら、大半は海外に行く人や他の避難所(親戚など)に行く前の通過点として、念のために測定した人たちのようだ。
昨夜都内で開かれた「地震と原発緊急集会」の内容がたんぽぽ社のメーリングで送られてきた。その中で、「従来からの気象庁マグニチュードなら、マグニチュード8.3から8.4だった」という地震学者島村英紀さんの指摘は衝撃的。そういえば、気象庁が公表したマグニチュードは8.4⇒8.8⇒9.0と修正されてきた。
島村さんの指摘、「今回のマグニチュード9.0というのは、気象庁がそもそも『マグニチュードのものさし』を勝手に変えてしまったから、こんな『前代未聞の数字になったものだ。いままで気象庁が採用してきた『気象庁マグニチュード』だと、いくら大きくても8.3か8.4どまり。それを私たち学者しか使っていない別のマグニチュード、『モーメント・マグニチュード』のスケールで『9.0』と発表したのだ。すべてのことを『想定外』にもっていこうという企み(あるいは高級な心理作戦)の一環であろう」
なぜ、突然変えたのか?それはM8.4なら浜岡原発など耐震の「想定内」。M9.0と強調することで「想定外」を強調し、或いは1000年に一度の地震」といった言い方で原発推進側(電力会社・政府・御用学者)の責任逃れを図っている「世紀の大陰謀」という。気象庁は地震の総体を表すには「モーマント・マグニチュード」を採用するように心ある学者が要求しても採用しなかった事実がある。
これまで原発推進反対、或いは懸念を表明してきた人々を様々な手を使って握りつぶし、「絶対安全」だとして強引に進めてきた自民党の谷垣総裁は、「原発推進は困難になる、」という認識を示したという。福島原発が直面する深刻さを表している。
□■□2011年3月17日(木)
余震とは思えないような揺れが収まらない。明らかに地震の震源は南下?してきているようだ。地震・津波・核(原発)・・・3.11以降、冗談半分とはいえ「2012年」(マヤの長期暦はこの年で終わる)を話題にしたくなるような毎日だ。
遠方に住む身内の葬儀に参列するという知人から「やっとガソリン入れました。ガソリンごとき(!?)で、なんだか幸せ気分です。お葬式だというのに・・・」というメールが入った。金額限定給油とか。今朝は早朝から並んだらしい。
今日も給油渋滞が続いている。ガソリン不足については県からの情報提供として民間石油精製業者等に義務付けられている備蓄義務量を70日分から67日分に減らし、3日分を市場に供給する予定なので徐々にではあるが改善される見込み、とのFAXが市から昨日届いているが。
市の災害対策本部から連日届く地震対応のFAXだが、今日は市が原発事故で放射能汚染が心配される福島県地方の避難民を受け入れることになったという。
明日(18日)よりサウンドハウス・スポーツセンターで最大400人とのこと。成田市は52万人(16日現在)といわれる避難された人々に対し、迅速かつ積極的な受け入れ態勢を行うことを求めていきたい。
福島原発事故は、日を追うごとに悪化して来ている。ルフトハンザ航空は当分成田空港発着を見合わせて中部・関空に振り替えるという。危険が高まっている地域に乗員や乗客を行かせたくないのが本音ではないかといわれる。
東京にある在日公館は自国民の避難に本腰を入れ始めたという。イラクやバーレーンの大使館は一時閉鎖、大使が帰国したとか、英国やフランスは、在日滞日自国民に国外退去や南への移動を呼びかけている。また、在日米軍が80キロ圏への立ち入りを禁止したという情報もある。
また、田中宇さんの最新速報では、外国金融機関の支店の幹部たちも大挙して外国に逃げ出しているという。脱出する外国人は金融界だけでなく、すべての分野に及んでいて、多国籍企業の場合、東京から立ち去った人の一部は、もう東京に戻らず、「外国企業の東京駐在の外国人幹部の数は減ると予測されている。それはつまり多国籍企業が、経済成長が止まった日本から、高度成長を続ける新覇権国の中国に幹部を移していく口実として、今回の原発事故による退避を使っているのだろう。」という分析。
これまで原発推進派は「日本の原発は5重のカベで守られて安全」と言ってきたが、そうでないことが証明された。以前、原子力資料情報室の故高木仁三郎さんが「プルトニウム社会は秘密社会」と言ったのを憶えている。この期に及んでも、事実をつきつけられてやむなく明らかにする以外は、情報操作に四苦八苦している姿は国民を欺くものだ。まあ、日本の国民はウソをつかれても寛大なところがあるが、今回の事故は世界中が注目している。
それにしても、放射能汚染が心配。
□■□2011年3月15日(火)
吾妻中学校の卒業式に出席。11日に成田を襲ったマグニチュード6弱の地震で体育館の天井が被害を受けため、式場は3階のLL教室と音楽室の2つの部屋と間の廊下を含めて使用するという、異例の卒業式となった。でも、これまでは遠くから男女を眺めていた卒業証書授与だが、校長先生から証書を受け取る卒業生一人ひとりのまっすぐな眼差しを正面から間近に見ることができた。
校長先生の式辞も胸に迫るものがあった。式後に伺った話では、校長先生の出身地は地震で被災し、お身内とはまだ連絡がとれていないとのこと。私たちの周囲には被災地と心身が深くつながっている人たちがたくさんいることを実感した。
震災が原因とはいえ、福島第一原発の4つの炉で次々に発生している事態は深刻だ。地震列島で原発によるエネルギー政策を推進してきた政府に致命的なダメージを与えている。マグニチュード9.0の巨大地震と、原発のメルトダウンによる放射能汚染の二重の危険にさらされている被災地の人々。不安と恐怖は察して余りある。
私もそのメンバーだが、2月に政府の原発推進政策に反対する地方自治体の議員連盟の準備会が結成されたばかりだった。チェルノブイリ事故から遠のいた近年、原発政策に反対することはなかなか市民の理解を得られない領域だった。しかし、こうしてみると残念ながらその懸念は現実のものとなった。
市原市にある千葉県環境研究センターでは放射能量の測定を続けているが、今日は午前10時に通常の3倍の放射能量が測定されたという。テレビで知った市民の方から電話があったので市の環境対策課に電話して問い合わせると、健康には影響ないレベルというが、今後の推移を注視していきたい。
□■□2011年3月14日(月)
3.11は日本をどう変えるか・・・・。災害の惨状を突き付けられながら、ふと考える時がある。9.11が米国を大きく変えたように。天災と人災の違いがあるが、予測を超えた衝撃度に大差はない。
今日から東電の「計画停電」が始まった。といっても実際に今日行われたのは17時からの1時間半くらいだったらしいが。予定されていた我が家が入っているグループの停電はなかった。個人や事業所の間で節電への努力が始まっているようだ。3・11をきっかけに、エネルギーも食料も外国から仕入れ、飽くなき消費社会を築いてきたニッポンの何かが変わっていくのだろうか。
まちの様子は変わった。地震後、開いているガソリンスタンドには給油で並ぶ車が連なり、交通が渋滞。お店の食品売り場ではパンや保存食などの棚は空っぽ。入店制限や、今日は計画停電に合わせて12時閉店というお店も・・・夕方見たら停電がなかったせいか開いていたが。
福島原発は1,3号機に続いて2号機もメルトダウンを起こしているらしい。枝野官房長官の説明では格納容器と圧力容器は異常なく、大量の放射性物質が大気中に放出される事態には至っていない。出たらもはや手の施しようがない。そのために海水を入れながら危険な作業を行っている人たちがいる。20キロ圏の住民には避難指示が出され、被爆した住民もいる。
反原発市民団体のメーリングで送られてきた情報では、施設周囲では基準値を超える放射能性物質が放出されていて、双葉町前では放射能測定器の針が振り切ったという。測定した人の話では、現在のチェルノブイリよりも多い量だとか。
□■□2011年3月13日(日)
地震と津波が人々の暮らしや心に与えた深い傷が伝わってくるにつれ、自然は人間の思惑などと関係なく動いているのだということを思い知らされる。火山の爆発や台風なども同じ。その都度、人々は人間の無力さに打ちのめされながらも、新しい暮らしを築くために立ち上がる。
各国メディアは11日を「日本最悪の日」などと大々的に報じているようだ。とりわけ、福島原発の被災による危機的な事態には米・中・ロシアなどが重大な関心を持っているようだ。米国はスリーマイル島原発事故以来ストップしていた原発建設に踏み込もうとしている矢先だし、中国は電力需要で原発を増設しようとしている。中・ロは日本に近いので放射能汚染の影響を注視し、観測体制に入っていると言う。また、チェルノブイリ原発の元技師は「原子炉から漏れた放射能が雲の高さに達し、風で急速に広がればチェルノブイリに似た事態になる」と警告しているという。
スリーマイル、チェルノブイリの事故を横目で見ながら技術を過信して原発建設を進めてきた日本のエネルギー政策。この地震列島に54基くらい建設されているのではないかしら。狭いニッポン、避難・退去命令が出たって、どこへ行けばいいの?チェルノブイリは今も半径30キロ圏立ち入り禁止のはず。
私はかつて市民団体の仲間とイーゴリ・コスチンさんのチェルノブイリ写真展や、議会に「原発を増やさないための1%節電」請願などを行ってきた。原発に頼らないエネルギー政策や省エネ意識の啓発が大事だと思ってきたが、今度の原発事故はどのような影響を与えるか注目したい。ところで、東電は発電施設の被災による電力不足を調整するために、明日から計画停電に入るようだ。戦時中の灯火管制以来こういうことは初めてだから、少し混乱するかな?
先日生まれながらの〝赤毛〞の中学生が周囲と同じように黒く染めるよう指導されたことを記したが、校長先生ほか担任の先生がその子に謝ったという。
といっても、「(生まれつきだと)わからなかった」のでごめんね、ということだったらしい。実際のところは「指導」を受けるたびに生まれつきだと言ってきたし、「わかっているけど黒く染なさい」と指導されていたその子にとっては、ずいぶん都合の良い言い訳に聞こえるのでは?こういうところから、大人への不信感が芽生えるとしたら残念なことだ。
□■□2011年3月12日(土)
東北地方太平洋沖地震の影響が少しずつ明らかになってきた。亡くなった方への冥福を祈るとともに、傷病を負っている方、救援を待つ方、そして避難所に身を寄せている皆さんの気持ちはいかばかりかと思う。安否がとれない住民の数も多い。
壊滅状態の自治体も。連絡がとれない自治体や、以前「土屋駅」設置について〝請願駅〞の事例を視察した多賀城市では、陥没で街並みの半分が水没状態となり、内湾が出現していた・・・。
東電の福島原発の危険が一段と高まっている。夕方には1号原発(1971年運転開始)で国内初の炉心溶融(メルトダウン)が発生したことを政府が明らかにした。当時寿命30年と言われた原発だが、2号原発は1974年、3号原発は1976年運転開始となっている。老朽化した原発を利益のために動かし続けた企業や、それを許してきた政府・原子力保安院の責任は重い。それにしても情報量が少ない!
成田市の被害状況も、今日深夜午前1時、午後10時と、市の災害対策本部事務局よりFAX報告が入っている。
昨夜は津波(利根川)を警戒し1169人の方が市役所1階ロビーや小学校、公民館、共同利用施設等に避難されたようだ。10時現在まだ145名の方が避難中。負傷者は32名(重症2名、中等症11名、軽傷19名)。
インフラでは水道管破裂地区11ヵ所、道路陥没14ヵ所、通行止め7ヶ所、被災建築物81軒(危険17軒、要注意33軒、市の施設は3ヵ所でダクト施設破損や天井及び壁一部落下など被害が発生しているという。
朝、電話で話した岩手県出身の方は、まだご実家との連絡がとれていないと心配しておられた。今日お会いした80歳台の女性は、〝生まれて初めて〞の恐怖を語っておられた。保育士さんの話では、夕方お迎えに来たお母さんに泣きながらしがみついたこどもたち。怖かったけれど我慢していて、お母さんをみて安心したのね。古くからの知人は激震に慌てて骨折し、入院。手術が必要らしい。骨董品などを扱っているお店が気になって寄ると、・・・!「なかったものと思って・・・」とおっしゃっていたけれど、自分の〝目〞で集めた品々ですもの、お気持ちお察しする。
□■□2011年3月11日(金)
市役所6階の大会議室で市議選立候補者の説明会が開かれていた時、突然地震が襲った。下から突き上げるような揺れと大きな横揺れが続いた。天井の白い吹き付けが細かに剥がれてパラパラと床に落ち、正面舞台の両壁にはめ込まれた音響装置の被いの一方が外れて落ちた。
その後大きな揺れは1回目よりは弱いものの2度襲ってきて、説明会は中断。会場はもうバラバラ。窓から外を見る人、携帯電話にかじりつく人、机の下に潜り込む人(私も同行のOさんから〝こういう時は机の下にもぐるの。学校の避難訓練で教わったでしょ!〞と促されていったんもぐったが簡易テーブルでガタガタするのですぐ抜け出した)。近くに選挙カー関連の説明で来ていた成田警察署の課長さんがいて、「公共施設は危機管理の中心になる建物だからほかの建物よりも頑丈にできている」というのを聞いて少し納得したものの、6階という〝高所〞にいる不安はぬぐえない。恐怖症ではないけれど、高いところは好きじゃない。
選管が会場のテレビをつけて情報収集。東北地方の太平洋沖を震源とする地震であることがわかった。収まりそうにない断続的な揺れに、わからないところは後で問い合わせるようにと説明会が打ち切られた。6度目の選挙で初めて参加した説明会だったが、忘れられない記憶として残ることだろう。
震源は三陸沖でマグニチュード8.8という、観測史上最大のもので、その後茨城県沖を震源とするものまで4ヵ所を震源とするマグニチュード7前後といわれる大きな揺れが断続的に発生した。東北から関東地方の太平洋岸に数百キロメートルの断層が発生したことによるという。予測されていた大地震が一挙に発生したようだ。死者・行方不明者を含む被害は甚大だがいまはまだ予測不能。
大津波の恐怖もまざまざと見せつけられた。観測計器が機能しなくなるほどの7メートルを超えるものが押し寄せたようだ。建物や車その他がれきを道連れに、まるで黒々とした生き物のように水田や整然と並ぶビニールハウスの群れを次々に飲み込んでいく津波。その速度、異様なパワーをみせつける映像は衝撃的だった。大津波は繰り返し襲ってくるそうだ。逃げられるものではなく、とにかく高台に避難するのが一番だという。
東電の福島第一発電所も原子炉を冷やせない状態になり停止したという。初めて「原子力緊急事態」が発動され、半径3キロ圏に避難勧告がでた。放射能は外に漏れていないというが危険。枝野官房長官の発表では「原発を冷やす対応が必要」「全力投入中」「日本国として持てる最大の力を注いでいる」「米軍からも協力の申し出」というもので、とても重大なことが東電福島第一原発で起きつつあるようだ。非常用ディーゼル発電機がすべて使えなくなり、そのため東京電力の電源車8台、陸上自衛隊の電源車が福島第一原発に向かっている。最悪事態(放射能漏れ)に備え、周辺住民を安全に原発の放射能から逃がさなければいけない。(19:48現在、自衛隊の電源車2台が現地到着という)ただし、電源車でどれだけの時間、持つのかは不明。
成田市内でも被害が発生している模様。我が家では、壁に立てかけてあったリトグラフ全てと洗面所の棚に置いてあったビン類が倒れ、床に積んであった書類が崩れていた。ガスは震度4位で自動停止。夜も余震が続いている
□■□2011年3月9日(水)
今期最後の3月定例市議会が閉会した。私を含む6人がそれぞれの立場から議案に対する討論を行い、修正なしにすべての議案が可決された。
恒例の記念撮影の後、3回目の議場コンサート。これまではこどもたちの演奏だったが、今日はソプラノ、ピアノ、バイオリンの女性トリオ。プログラムの中にはプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」から『私のお父さん』が。本会議場で生のアリアが聴けるとは思っていなかったので満足。素人の感想だけど、本会議場は天井が高く、音響も悪くないのではないかしら。
先日市民の方から電話をいただき、今日はさらに詳細を伺った話だが、市内のある女子中学生が、高校入試を前に生まれながらの〝赤毛〞を黒く染めるよう〝指導〞されたという。よく聞いてみると、入試に関係なく、中学入学後は1年の時も2年の時も周りの子に合わせて黒く染めるよう担任から指導されていたらしい。彼女の心はその都度傷ついてきた。
話を聞いた時は驚いたが、ふと、かつて市内の私立高校生から聞いた話で、生まれながらにウエーブがかかっている髪(子どもたちはテンパー=天然パーマと言っていた)の子にはストレートパーマをかけるよう指導があるというのを思い出した。もう20年以上前のことだ。
先生は他のこどもと違う髪の色をした彼女に良かれと思って指導しているのかもしれないが、そうした発想や行為がありのままのその子を否定する人権侵害にあたることに思い至らなかったのだろうか?また、ほかの中学校でもそうした指導が行われていないだろうか?
それに高校入試って、こどもの持って生まれた個性である髪の色や形状が合否に影響するのかしら?「願書」に一言書けば良いことではないの?
□■□2011年3月7日(月)
本当に、3月の天気は移り気。予報通り、昨日とうってかわって水分をたっぷり含んだ雪が降り続いた。知り合いの農家を訪ねて車に戻る時、芝生に積もった雪に足をすべらせてスッテンコロリン。ベタ雪と土が左の膝にくっついて泥んこ。
こんなお天気だから農家の人たちは家にいるだろうと思ったが、留守が多かった。今日は農作業を気にしないでゆっくり外出できるチャンスとばかり出払ってしまったのかもしれない。
市民人権擁護の会日本支部のメーリングで、昨日のデモ行進の報告があった。 発達障害や精神疾患の過剰診断、過剰投薬が国際的に問題になっている中で、慈恵医大で開催されていた精神医学会対するアピールを行いながら「子どもたちを薬漬けから守ろう」というデモ行進だった。こどもたちも参加し、薬漬けやレッテルに反対の声をあげた。
精神科医療の現場で子どもや青少年の被害が多く寄せられるようになっている。市民人権擁護の会日本支部には、誤診・誤投薬・医薬品添付文書や薬理学を無視した危険な投薬、副作用被害などと、その結果として自殺や突然死に至った事例などが多く寄せられているという。全ての被害に共通するのは正しい情報が親や教師に知らされていないことが挙げられる。正しい情報を伝えるように、というのがデモの1番の目的。
それと、国連の勧告が精神医学会によって無視されていること。とりわけ、こどものADHD(注意欠陥多動障害)治療薬認可と同時に、日本でも患者数が不自然に急増したという現象。それを確認した国連「児童の権利委員会」は政府に対し、「委員会は締約国がADHDの診断数の推移を監視するとともに、この分野における研究が製薬産業とは独立した形で実施されることを確保するよう勧告」した。
しかし、日本のAD/HD学会は役員も学会運営も製薬会社との強い結びつきがみられるという。6日のAD/HD学会でも会場内では製薬会社が活発に宣伝活動を行っていたようだ。治療薬も前年比プラス326%の売上高。子どもたちへの投薬は科学に基づいたものか。現場の医師の中には、安易な投薬が広がっていることを危惧する声がある。(12月議会で子宮頸がんワクチンを取り上げた時、市や学校がこどもを通して家庭に配布したパンフレットにワクチン製造販売会社の名前がバッチリ印刷してあって、驚いたのを憶えている。要するに、製薬会社のパンフを配布しているようなもの)
我が子が学校でチェック・シートに引っ掛かり、診察を受けた精神科医から「発達障害」という病名を付けられた保護者にとっては、専門家に頼りたい気持ちは理解できる。しかし、〝投薬が子どもを守るのか、それとも害するのか〞正しく見極める必要があるだろう。そのためには情報が必要だ。
「専門家」まかせにせず、多くの人がこの問題に関心を向けてほしい。こどもの心身の健康が保たれるよう、そして子どもの未来のために。
□■□2011年3月6日(日)
国際文化会館で記録映画「こつなぎ」~山を巡る百年物語~を観た。
小繋は岩手県北部の山間にある集落。人々は入会(いりあい)によって小繋山から得られる山の幸を生活の糧としてきた。小繋事件は、その〝入会〞という成文法以前から慣習的に獲得してきた人々の権利が、近代民法の3代原則の一つである〝所有権の絶対〞の前に奪われていく象徴的な出来事として知られている。
1915年に始まった入会権をめぐる訴訟は1975年まで3度にわたり最高裁まで争われたという。この記録映画は1960年に起きた農民逮捕事件を契機に取材に訪れた3人のジャーナリストが残した記録を編集。なぜいま「こつなぎ」なのかを問いかけている。
私も、高校~大学時代に戒能通孝さんが書いたものを読んでなんとなく知ったつもりでいたが、「こつなぎ」ドキュメントを観て、今日初めて出逢ったような感動を覚えた。山に入り合うことが生活を守るだけでなく山を守ることだというカメラマンの菊地文代さんの言葉は、荒れ果てた現代の山林を目の当たりにしてとても説得力をもつ。それは、同じように入会の対象となっていた特定の土地、原野、漁場にも通じることだろう。
「山は誰のものでもない」、裁判の原告の一人、山本清三郎さんの言葉は様々な言葉に替えて私たちを説得する。「土が自然にできているし 山でも川でも地球の一部分でしかないでしょ これが誰のものというのは変なんですよ 我々は地球の子供なんだから 人間をどうする 生かすも殺すも、それを自由にできるのはこの自然しかないでしょ 地球があって 始めて我々が生きているわけだから」
□■□2011年3月5日(土)
用事があって芝山町を通過すると、道路の周囲は枝もたわわに〝花〞をつけた杉の並木!車の窓を閉めているのに目や鼻の粘膜が妖しく反応した。むむむ・・・。それで済んだけれど、これが嵩じると花粉症。私も予備軍かしら。
「花粉症」を知ったのはもうかれこれ30年前、カルチャーブームの頃「主婦の友文化センター」に勤めていた時。ビルがお茶の水の一番高台にあって風通しがよかったのだろう、密閉されたようなビルなのにどこかから忍び込んだ花粉で2月になると目を充血させたり鼻をクシュクシュさせた社員がチラホラ。箱入りのティッシュ・パーパーでは紙がもったいないというのでトイレットペーパーを机の上に置いてちぎっては花をかんでいた人も。へえ~そんな病気があるのかと思ったのが最初だった。
それが国民病と言われるようになって久しい。身体の中に蓄積された化学物質が花粉に反応するらしい。化学物質が体内コップからあふれたのが過敏症。健康志向の時代にこれだけは不可抗力のようだが、「予防原則」で避けていくしかない。
今日の朝刊で目にとまった記事が2つ。1つは小児肺炎球菌とインフルエンザ菌b型(ヒブ)ワクチンの予防接種後に乳幼児が亡くなる(4人)という事例が相次いだため、厚労省は2つのワクチン接種を一時見合わせることを決めて自治体と販売業者に通知したという。この2つのワクチンと、子宮頸がんワクチンの3種は、最近無料接種の対象となったワクチンだ。
「不用意にワクチンを怖がって・・・やっと日本に導入されたワクチンが打たれなくならないようにしてほしい」というコメントを寄せたのは防衛医大の教授。
そういえば、大田原市が子宮頸がんワクチンを小学校5年生の女児に集団接種した時も防衛医大がからんでいた。だいたい、これまで使用例がなかったワクチンを同じ年齢のこどもに集団接種するなんて、人体実験のような性格をもつ。あの記事をよんだ時はイヤ~な気分になったのを憶えている。
もう1つの記事は、農協が水田を中心とする農業の経営規模をいまの10倍程度の20~30ヘクタールに拡大すべきだという提言を発表したという。でも、増やせば競争力がつくというものではない。私の知っている30ヘクタール耕す農家の話では、台所は火の車とか。1番の原因はお米の値段が安いこと。それで外国産の安いお米と競争させようというのかしら?それに30ヘクタールといっても田んぼの多くは借りて耕作しているからあっちこっちに散らばっていて非効率的。
□■□2011年3月4日(金)
昨日ほどではなかったが晴れて冷たい風が吹く。でも、お天気お姉さんの予報ではこれから〝ちょっとずつ春の暖かさが顔を出してくるでしょう〞という。そういえば、葉を落としていた木の枝が薄紫色に煙って、里山に賑わいが戻るのも近い。
三里塚の専業農家を訪ねると、ご夫婦で人参を収穫中だった。このあたりはかつて取香牧が広がっていたところ。風景のところどころに昔日の面影が残る開けた畑の中で、痛烈な民主党批判を聞かされた。政権交代は戦後続いた自民党農(ノー)政で崖っぷちの農業に起死回生の光が射すかも・・・という期待も吹っ飛んだようだ。とりわけ「TPP」は、(農業だけの問題ではないけれど)まさに農業のリストラ。長年コロコロ変わる自民党農政に翻弄されながらも大地に根ざして頑張ってきた農家にとっては期待を抱いたぶん、失望も大きいのだろう。
専業農家の政治への関心は高く、いつも語られる言葉から多くを学ばせてもらっている。何事もそうだが、農政は農家の話を聞くところから始まると、今日もいろいろ教えられた。
別のお宅を訪ねると、茶の間では私と同世代の息子さんが、自室でお父さんがそれぞれテレビで国会中継を見ていた。私も車を運転している時はカーラジオで聴いているが、民主党政権は液状化現象を起こしているようだ。
私は、政権交代は民主主義の地固めに必要だと考えるから、交代が悪かったとは全く思っていない。が、古今東西「政治」というものは人間の限界をみせつけるものだと、つくづく思う。でも、それが「政治」だから失望なんかしている場合ではない。より善いものを求めるのも人間ですもの。
□■□2011年3月1日(火)
議会事務局の政務調査費を担当している職員から電話で、昨日私の政務調査費の中で、2009年の韓国スタディ・ツアー(5月18日~21日)の開示請求があったという報告。担当はすっかりオンブズ系からの請求と思いこんでいる様子。
この時政務調査費を使ったのは、事前に企画書を事務局に提出して政務調査費で参加できるかどうか伺いをたて、了承されたので使わせてもらった。ダメなら私費で行くつもりだった。
どんな内容のツアーかは政務調査費に添付した企画書・報告書・「たいむ」71号・「まちこの日記」で報告している。ソウル特別市の市議会、京畿道議会の訪問、京畿道の社会市民フォーラム(市民・超党派の議員などで構成)との共同シンポジウム、民間の政策シンクタンク「希望製作所」や高学歴ワーキングプアの自由研究空間「スユ+ノモ」訪問、そして、朝鮮半島の平和的統一を願う市民グループとの交流、さらには挺身隊問題対策協議会を訪問し、お昼休みには元慰安婦のハルモニたちが日本大使館前で毎週水曜日に開いている集会に1時間ほど参加した。
ところで、あのスタディ・ツアーには、政務調査費に関係するところでは県議2名と市議が私ともう1名の計4名が参加した。うち、2名は県内のオンブズ活動では実績のある人たち。
早速確かめると、連絡がとれた県議2名にも県議会事務局に同じツアーの開示請求があったということがわかった。やはり、今日県議会事務局から連絡があったらしい。どうやら請求者は最近活発に動いている排外主義団体のようだ。
要するに、韓国で南北朝鮮の平和統一や慰安婦問題を取り扱っている団体と交流した「思想」が問題、ということらしい。南北朝鮮が民族同士血を流して争うことなく、平和的に一つになることを願う韓国市民や、米・EU議会からも誠意ある対応を迫る決議があげられている慰安婦問題に取り組む人たちと交流するのが「問題」だと言われてもね~。
□■□2011年2月28日(月)
昨年秋頃から、駅頭や中心街の辻々や車の通りが多い街道で名前入りのぼり旗をもった市議選立候補予定者が立ち、名前と顔の売り込みが盛ん。今日も冷たい雨の中、レインコートを着込んで旗をもつ辻立ちを見かけた。本人以外の旗持ち別動隊もいた。
もはやこうした「事前」運動を止めることはできないのだから、「公職選挙法」の関連条項は現状に合わせて改正すべきだ。それと、政党有利も改正してほしい。基本的には、金銭で票を買収すること以外は、「上限」を設けた選挙費用の範囲内で創意工夫、自由な運動ができるようにしたほうがいいと思う。もちろん、選挙で使用した費用の報告書は必須。
・・・などと思いながら、今日は選挙ポスター用の写真を撮った。写真を撮られるのはとっても苦手だが、スタジオのカメラマン(「マン」は通常男性に使用されるが、元々は「人間」という意味がある)が女性だったのと、選挙事務を手伝ってくれるベテラン2名が〝スタイリスト〞で付き添ってくれて、髪を寄せたり服を引っ張ってくれたり、カメラマンの指示に合わせて笑わせてくれたりしたこともあって、これまでのどの選挙ポスターよりもリラックスした笑顔がつくれた・・・と思う。
□■□2011年2月26日(土)
昨日は待ち望んでいた〝春一番〞が吹いた。今日はそのぶり返しとかで午後から風が冷たくなった。外出する時に車全体を埃が覆っているようだったのでよく見るとうっすら黄色い。きっと花粉でしょう・・・どこから飛んできたのかな~?
選挙準備のための事務所を開くのにお掃除をしてくれている方から「畳を拭くのに酢を忘れたからあれば持ってきて」と頼まれる。またこれからしばらくの間いろいろ生活の知恵を教わることになるだろうな。私も専業主婦を11年やたったし、その後今日に至るまで当然ながら家事全般をやっているけれど、ベテラン主婦の皆さんからみれば「えっ!足立さん知らないの?」といったこともある。そういえば・・・と、思い起こすこともあるし初耳もある。ハウスキーパーの仕事は奥深い。
□■□2011年2月25日(金)
総務常任委員会。来年度5月頃1階に総合窓口が設置される。地域活性化交付金を使っての事業。私も一昨年までの予算要望に市民の利便性を考慮した総合窓口の設置を要望してきたので待ち望んでいたことだが、話を聞いていたらなんだかこころもとない感じもした。が、始めは何事もしかり。やりながら市民の声に耳を傾け、不具合があれば直していこうという姿勢が大事。 それに期待が持てそうなのは、説明する担当課長から「(窓口を訪れる)お客様」という言葉が出たこと。
過去に視察した経験では、市民の要望の9割を処理可能なコールセンターをもつオーストラリアのブリスベーン市や、市内各地区(18ヵ所だったかな?)に身近な市民事務所を設け、コール・サービスなどのワン・ストップの行政サービスを行っているハイデルブルク市では市民を「お客」と呼んでいた。ハイデルブルク市では「私たちの給料を払ってくれているから」との説明だった。
いまどきお上意識など問題外だが、その裏返しである〝サーバント〞になる必要はない。市民から行政サービスを委託された機関として公正・公平・迅速に事務をこなしていくことを市民は望んでいる。
また、「お客様」の中には職員に〝サーバント〞を強要する人もいる。これも大いなるカン違い。〝お客様は神様です〞は商魂たくましい民間が客をおだてて金儲けしようと言う魂胆。はき違えてはいけない。
いずれにしても、市民と行政との洗練された関係を育てて行かないと・・・なんといっても国際空港都市だもんね!
残る予算特別委員会は28日~3月2日。私は、市町村レベルの予算は特別委員会を設置してやるより全議員で審査したほうがよいと思っている。
開かれた議会を目指す会の掲示板から・・・「本日、傍聴席から双眼鏡で議席でパソコンで遊んでいる議員を監視していたら、議長からダメ出しがありました。皆さんのところはどうなっていますか?ちなみに議席にパソコンの持ち込みOKです。」という内容だが、成田は持ち込み不可。
「パソコンで遊ぶ」ってどんなことかよくわからないが、ワード機能だけなら私も字を書くよりキーを叩く方が慣れてしまったので便利かしら?でも、議席に持ち込まないと困るようなモノではない。それに、ノートパソコンといっても荷物になる。アナログ世代としてはまだ紙とペンの文化にこだわりたい。
□■□2011年2月24日(木)
歴史と今を語り合う女性の会・例会。お知り合いの紹介で会をのぞきに来た若い女性が、次回も参加してくれるという。大学院で学びながらネイルアートを通して同世代を社会参加につなげるような実践活動をしている方で、問題意識もはっきりしていて新鮮。30代から70代まで、会員さんたちの発言とあわせて盛り上がる。
〝女3人寄れば姦しい〞という女性差別の慣用化されたアテ漢字(モトは頁の上と下に口が2つずつ、つまり4つもついた難しい漢字))がある。じゃあ男が3人寄ったら何だい?などと思ってしまう。かしましい(騒がしい、かまびすしい)に女を3個も使用するなんて・・・男の悪い冗談だと笑って済ませるわけにはいかない、などと勝手にフン!と思いつつ、では女が10人(本日の参加者)寄ったら男は何と言うか。・・・そこで語られることには社会的な意味がある。過去に所属していた市民団体の活動を思い起こしながら、私もいろいろ学ばせてもらっている。
今日は足が不自由だけれど好奇心旺盛、頭脳明晰な会員0さんの送り迎えで行った地区のお祭りとか。何のお祭りかと言うとその昔隣の部落と水争いが起こった時、お酒を断つことで解決できたという。お酒を飲むと勢いもつくが争いにもなりやすい。で、酒を飲まずに冷静に対処したら解決できたということから始まったもので、今日はお客さんが来てもお酒を出さずにもてなすことになったらしい。祭りとお酒は切っても切れないものなのに、その酒を出さないお祭りというのは面白いね。酒を出さないからお金もかからないという。お祭りにお酒がでないなんてつまんな~いと思ったけれ争い事に酒は禁物、或いは酒を飲むととかく争い事が起こりやすいからたまには慎めとの戒めだろう。車の中で0さんの話を聞きながら先人の〝知恵〞は私たちの財産だと思った。
印刷用紙を買いに行ったお店の生花コーナーをキョロキョロさがしたら、あった!ミモザアカシア。聞いたら静岡の温室で育ったものですって。私にとってミモザは春を告げる思い出の花。久しぶりにお店で花を買った。
□■□2011年2月23日(水)
毎日が慌ただしい(心が荒れる・・・この文字を見るたびに、言語というのは人間の心身の別の表現だと実感する)。そんな気分をかかえて農村地域に行くと、陽射しも空気も緩んで早春の大地から立ち上る〝力〞を感じた。たちまち気分もゆるゆるしたりパワーアップしたりするのだから我ながら実に単純な精神構造だと思う。要するに安上がりですぅ。
夜BBCでリビアのカダフィの演説が流れていた。言葉は強硬だが、追いつめられて崖っぷち、もはや権勢を誇っていたころの面影はない。この間はエジプトのムバラクが失脚し、チュニジアから始まった「革命」は確実に周辺諸国に伝播し始めている。第二大戦後に帝国主義支配を脱した後、王族や軍人あがりが支配してきた中東・アラブ諸国はいま、大きな変化の中にある。権力が絶対的なほど、崩壊はあっけない。その後が気がかりだけれど。
ソ連邦の崩壊もそうだった。昔〝スターリン主義体制は千年続く〞といった「哲学者」がいたが、100年もたなかった。ましてや個人の権力は、だ。どんなに武力で弾圧しても、人々の心まで押しつぶすことはできない。願わくは、軍隊に頼らない新しい体制が誕生すること。軍隊に頼ればまた同じ轍を踏むだろう。
私はといえば、各国関係機関にデモの市民を武力で弾圧しないように要請葉書をせっせ送ることくらいしかできないけれど。日本の政治の混乱にヤキモキしつつも、個人崇拝や軍隊を背景にした独裁政権の末路を目の当たりにして、学ぶことは多い。
□■□2011年2月21日(月)
新清掃工場整備特別委員会。建設工事の状況について説明があった。当初計画より9ヵ月遅れるようだ。総額は変わらないが進捗状況によって年割額が変更になる。
遅れの主な理由に挙げられたのは、1つめは昨年の気象条件によるものとして3~5月・9月の雨と集中豪雨、7~9月にかけての猛暑が挙げられた。
2つめが現地の地質条件。軟弱な谷津田部分に地盤改良杭打つ杭を296本から365本に増加、工事棟建屋の基礎杭の長さを20メートルから27メートルに長くしたことなどに時間がかかったこと。
3つめとして地下水。影響を最小限にしているが、ごみピット内への地下水の侵入とピット内から外へ汚水の拡散を防ぐためにピット地下部の壁を2重の遮断構造とする工事に時間を要したこと。
こうしたことは施行者の責めにはできないとのことだった。基礎工事は露天の作業。天候が作業に影響したことはわかる。ただ軟弱地盤や地下水対策は、もともと谷津田を残土で埋め立てた場所に建設するわけで、事前の地質調査でわかっていたのではないかと思うが、議員の質問に対して、この事業は「性能発注」で設計書に基づくものではないので、業者決定後再度追加ボーリング、設計のし直しの結果だという。二度手間みたいで非効率な仕組みに思える。
今後は建物が出来上がっていくので気象条件など不可抗力の影響で遅れることはなくなるだろうが、次は「試運転」という〝不確定要素〞が控えている。
溶融炉はごみ質によるトラブルが多いので、本当に安定した運転ができるようになるのは2~3年かかると聞いている。この期間をどうしのぐか、その場になって慌てることなく、準備しておいたほうがよい。
□■□2011年2月19日(土)
年度末で解散する千葉市土地開発公社が先行取得したものの、事業に手がつけられないままのいわゆる「塩漬け」土地の含み損が110億円になることが報道されていた。簿価総額132億円の約17%の22億円まで下落しているという。なかには簿価に対し時価3%という土地もあるようだ。ツケは市民が払うことになる仕組み。
公共事業用地の先行取得を目的につくられたのが土地開発公社だが、トップは当時助役、今副市長。要するに自治体まるがかえ。バブル経済の時代には「いい土地があるから買っておきましょう」といった不動産会社的な発想で購入する例もあったという。購入代金は銀行から借り入れ、自治体が債務負担行為などで保障した。しかし、バブル崩壊後の自治体の財政悪化で開発事業が停滞したため、多くの公社がこのような塩漬け土地を抱え込み、利息がかさんでいった。それは同時に市の借金が増えていくこと。開発に熱心だった自治体ほど傷は深い。もう、1990年代半ばには問題になっていたことだ。
成田市の土地開発公社は、塩漬け土地が問題になり始めた頃に他の自治体に遅れて設立された。明確な事業計画のもとに土地を購入するという条項が盛り込まれていたので私も賛成した。成田市の場合、事業を進める財政力もあり、おおむねそれは守られてきたと思う。
もっとも、例えば美術館を建設する目的で国際文化会館に隣接する山林を購入したものの1997年の市長交代で美術館計画が消え、塩漬け状態になっている例もある。以前その点を議会で一般質問したが、国際文化会館建て替えの際に活用するという答弁だった。その国際文化会館建設が具体化してくるのは次期5カ年計画の最後の年、2015年(平成27年)だ。
小さな菜園(というとカッコいい)の隅でルッコラが育っていた!去年の種がこぼれたのかしら。青々とした葉を数枚摘んでサラダに混ぜたらごまの風味が広がった。同じくこぼれた種からカモミールも芽を出し小さな葉を広げ始めた。ペパーミントも勢いがいい。今年になって不規則になりがちだった睡眠のとり方を改善したらここ数日不整脈も感じなくなった。わ~い。
□■□2011年2月18日(金)
昨日・今日と個人の一般質問。5名ずつ行われ、私は今日の4番目。これで今期の一般質問は終わり。昨年3月議会に個人的な事情で一般質問を見送ったが、振り返ると年4回の定例会で計80回一般質問の機会があり、79回一般質問を行ったことになる。
一般質問は、公開された本会議の場で行政の施策や姿勢を問い、一方で議員としての政策提案に対する行政の考え方などを聴くことができるまたとない機会。議員は原則すべての機会に質問すべきだと思う。「質問することがない」くらい行政には満足している議員や、「そんなもの」をやらなくても「(行政に)言うことをきかせる」ことができるという議員もいるかもしれない。そんな議員が多数を占めるようになると、朝日新聞で特集していた「2011地方選・議員はいらない?」(2月11日)にあるような、「3ない議会」になってしまう。要するに密室で風通しの悪い議会、住民には何がどう決まっているかみえない風通しの悪い議会だ。行政にとってはこんな都合のよい議会はない。その結果議会と行政がなれあっていてはよいまちにはならない。議会の一員としての自戒の意味も込めて、最後の一般質問を終えた感想。
先日不整脈の心電図をとったついでに、胸部レントゲンも撮ったのだが、小さな白い影がでた。胸のレントゲンはもういつ撮ったか記憶にないほど昔のことなので、CT検査をした。議会が5時前に終わったので結果を聞きにいったらすべての項目で異常なしとのことだった。自分の肺の輪切りなど初めて見た。本数はともかく煙草を吸っていた時期も長かったし、たまに出る咳はコンコンというカラ咳だし、幼いころ肺炎になりかかったことがあったと母から聞いていたし・・・ちょっと気になっていたがひと安心。
5年くらい前にキーンと頭痛がしてCTを撮った時には脳の輪切りをみた。脳ミソがスカスカしていると思っていたが、一応ちゃんと詰まっていた。今はどうなっているか知らないけれど・・・。近年、人間の身体って不思議だなぁ、良くできているなぁ、などと感心しながら写真に写った自分の身体の中を眺める機会をもつようになった。ということは、そろそろあちこち故障が出てくる年齢でもあるということだけど。
□■□2011年2月16日(水)
今日は代表質問。5つの会派が質問した。内容は議会初日に行われた市長の施政方針に対する質問。成田市の場合、現在会派を構成しているのは〝市長与党〞にあたる議員なので質問に緊張感がない。今日は一日、市長は同じような質問に同じような答弁。ペーパーを読みっぱなしだった。
3人以上集まると会派がつくれる。何故3人なのかは知らない。2人以下は〝会派外〞(よく考えるとヘンな呼び名・・・)という位置付け。時々〝会派代表者会議〞というのがあるが、会議を見たことも聞いたこともない。代表者会議に会派外(現在4名)から1名傍聴できるようになってからは2名の議員がいる共産党が傍聴し、あとで内容を報告してもらっている。
会派外は、基本的に議会のポストなし。私の場合2期目、3期目あたりで副委員長ポストが回ってきたくらい。1回目は総務の副委員長だったが、議案に質問したり、時々反対するような副委員長だったので委員長が困ったみたい。2回目は決算の副委員長をやった。その後、打診があったけれど断ったことが1回。まぁ、万年ヒラということ。議会のポストを決める時は会派の中や会派間で緊張関係があるようだが、会派外はのどか~。
議会運営委員会(成田市議会は市民の傍聴不可。許可すべき)も、ポストがつかない会派外が構成メンバーになることはないが、終了後決議事項を事務局がFAXしてくれるので特段の不自由はない。
□■□2011年2月15日(火)
昨日24時間ホルター心電図の結果を聞きに行ったら、過去に2回やったのと変わり映えがしなかった・・・。不整脈はあるけれど、問題なし。それだけ。ドキドキがいつもより重苦しい感じだったので検査してもらったのだけれど。
何年か前、「私、不整脈があるの・・・」と言ったら「フン」と鼻であしらわれた古い友人に、また何か言われるだろうな…と思いつつ、彼も循環器のドクターなのでメールした。そうしたら「人間の心臓は1日に10万回位収縮するが、不整脈はない人が少ない位ある。自覚するか否かだ。種類にも因るが、基本的に正常機能の心臓では不整脈による突然死等の問題はほとんど起こらない。要するに不整脈の治療は、心機能に依存する。心配してもはじまらない」と返事のメールが届いた。で、とりあえず心配しないことにした。
今日は一般質問の原稿を作ることに集中。何故か・・・既に質問内容を「通告」して打ち合わせが済んでいるのだが、2回目以降の質問内容の問い合わせが続いた。私の悪いクセで、この種のものは前もって準備するのではなく、これ以上遅れたらスケジュール的にアウトというギリギリでやっと頭を切り替える。シヌマデナオラナイダロウ、コマッタモノダ。
この前買ったエルトン・ジョンのCDに不具合があったので交換してもらおうと思ったが、もう在庫がないという。返金すると言われたのでそれなら、と思って店先の同じコーナーの中から選んだフィル・コリンズのCDが、当たり!エルトン・ジョンもいいアルバムだったので惜しかったが、まぁ、いいっか。
□■□2011年2月11日(金)
今日の雪混じりの雨には、どんな名前をつけたらよいだろう。朝、垣根にウグイス(⇒後で教えてくれた人がいて、メジロですって!ウグイスは警戒心が強いから人間の近くには寄ってこないらしい))が2羽遊んでいたから〝ウグイスの雨〞かな?それとも〝雪の匂いの雨〞かな・・・。
モンゴロイド系で、1万年前から奥アマゾンの「雨の山」のふもとの深い森に住む「ヤノマミ」(人間という意味)は、子どもたちは4~5才まで個人名がない(男の子はモシ、女の子はナ・バタ。どちらも生殖器を意味する。女の子のバタは〝偉大なる〞といいう意味)。なのに、雨には40以上の名前がついているんですって!木の匂いの雨、蝶の雨、アルマジロの雨等々。
tanakanewsの「速報分析」によると、あの「愛国法」の改定・延長法案が米下院で否決されたという。2001年911以来の有事体制の根拠となる法律。ブッシュ時代〝テロとの戦い〞の名のもとに制定され、米当局に令状なしで逮捕や盗聴を許してきた。その法律を否決に導いたのが例のリバタリアングループ茶会派(ティーパーティー)と聞いて「おー!」だ。
米下院は共和党が多数派で延長法案も共和党が提案したのだが、「愛国法は米国民の自由を侵害している」と反対する茶会派26人の共和党議員が反対に回った結果、民主党の反対票と合わせて3分の1を上回って否決ということになったらしい。法が失効すれば米国のテロ戦争体制が崩れると言う。
共和党は法案を練り直して再提出するようだが、「個人の自由を最大限に尊重する」という茶会派の影響がこんなところに出てきたことは興味深い。
茶会派というのは韓国や中南米とのFTA反対、外国の面倒をみる必要なしとして援助や米軍駐留にも反対するなど、不干渉主義。日本(政府)みたいな対米従属国にとって、茶会派の台頭は要注意?
□■□2011年2月10日(木)
定例市議会が始まった。新年度予算の提案を前に、市長による施政方針演説があった。長い原稿を読むことに集中しているせいか、市長の思いや熱意が感じられなかった。原稿を読むのは仕方ないとして、どうせ読むなら人を惹きつける読み方を研究してほしい。それが無理なら「国語」でやる読み方練習を思い出して・・・。
狭い議場の中、モノわかりのいい議員相手ならまだしも、いまやお茶の間にも市長の施政方針が流れる時代だ。これは別に小泉市長に限らず、一国の首相から市町村の首長・・・或いは「紙」を読む立場になった人全てに通じることだけど。
小池さんが県議選に立候補するため議長を辞職したので議長選挙があり、岩澤さんが残す任期を務めることになった。2ヵ月余りで改選ということもあって議長になり手がいないという噂だった。で、歴代議長を出してきた最大会派政友クラブ代表の岩澤さんが引き受けることになったのだろう。彼はすでに合併を前後した2年間議長職にあった人。
成田市議会のスゴイところは、正副議長選挙などを例にとれば事前の「調整」があったとしても最後は私と共産党を除いて一致団結できること。
議会改革の一つに議長選挙は立候補制とし、それぞれが所信を述べた後に選挙を行うというのがある。議会基本条例でそれを入れている議会もある。現状をみる限り、成田市議会でそれを実現するにはまだ時間がかかりそうだ。
その前に、「会派」をどうするかがある。議会のポストは会派について回る。正副議長や委員長のポストを狙うなら「数」がモノをいうから会派に入らないと難しい。しかし、なんだかんだ理由を付けても、会派でなければできない積極的な役割はない。むしろ、議会を硬直化させ、行政の追認機関になる弊害のほうが大きい。だから、私は地方議会に会派はいらないと思っている。
議会改革と言えば、成田市議会は小池さんが議会運営委員長、そして議長になって一気に進んだ。改革が求められていたとはいえ、彼の熱意と決断がなければできなかったことが多い。私はその点を高く評価している。
□■□2011年2月9日(水)
列島上空に貼りついていた冬型の気圧配置が崩れ始めたようで、先日の夜に続いて午前中にかけて春を運ぶ小雨。冷たい雨だけれど、水分をたっぷり吸い上げた枝が薄紫に色づいてきたように思う。樹木たちが芽吹きの準備を始めたのかしら・・・。立春に飾った小さなひな人形が目に入るたびに、心が和む。
午前中かかりつけの医院へ。55歳頃から時々春先に発症してきた「更年期」の不整脈がこれまでと少し違うようなので24時間ホルターを付ける。どう違うかと言うと、不整脈というより心臓が圧迫されたような感じの時に脈が少し乱れる。もっとも、ホルターを付けて帰ってきたら不整脈や胸の重苦しさはほとんど消えてしまったけれど。なんだったばー。
昨日の夕方打ち合わせの合間、知人に胸が苦しいと言ったら「心臓以外では肺に問題がある場合も」。が~ん!最近肺がんが多い。私は19歳の頃から、妊娠・出産・育児期を除く長い期間毎日5本前後喫煙の習慣があった。そのうち美味しくもないし面倒くさくて日常的に吸わなくなってからも、たまにもらい煙草を吸った。そういえば、昨日議案説明会の時にちょっとした空気の流れでせき込んでからなんとなく熱っぽい・・・et cetera、et cetera。
いろいろ思い浮かべながらすっかり病人の気分で、十数年ぶりに胸部レントゲンを撮り、ホルターを付けた次第。今度は何だったのかな?肺に疾患でもあるのかなぁ。来週結果がわかる。思い当たる自己流診断では、過敏症とまで言えないが化学物質にデリケートになってはいる。
□■□2011年2月8日(火)
定例会に提案される議案の説明会があった。その中で23年度の一般会計当初予算は628億円。前年度比9.8%の伸び率。人口12万6,300人として、1人当たり約49万7千円。特別会計は237億8,937万8千円で、前年度比3.7%増。総計は865億8,937万8千円で前年度比8.1%増となった。
市税は21、22年度とも決算ベースで前年度比マイナスとなっているが、301億1,896万円で1.3%増を見込んでいる。
市債は大型公共事業の影響もあって76億7,200万円。前年度比33.5%の増。これにより23年度の市債現在高(見込)も448億587万4千円で前年度比10.1%の増。借金はほかに債務負担行為がある。平成21年度決算では支出予定額が225億2,347万81千円となっている。合わせた借金総額は一般会計の年間予算を超える。
一方で、基金の「活用」という名目の取り崩しが、前年度比8.1%増の21億39万31千円。
国も地方も財政難、借金漬けで首が回らない中、成田市の財政力は近隣自治体に比べて突出している。それ自体は喜ばしいことだが喜んでばかりはいられない。使い方をきちんとチェックしていかないと、政策も大雑把になるし、時々アッ!と驚くような無駄遣いをしたりする。予算審査に注目したい。
□■□2011年2月7日(月)
午前中一般質問の打ち合わせ。午後は関東観光まちづくりコンサルティング事業第3回合同会議の傍聴。
この合同会議は国土交通省の「22年度関東まちづくりコンサルティング事業」の重点支援地区として成田市が選定されたことによって実施されてきたもの。この事業の中で昨年12月15~16日に実施された成田市モニターツアー(Power SPOT
NARITA!!)の企画・実施報告と、事業への取り組みの総括・これからの成田市の取り組みについて興味があった。
1泊2日のモニターツアーを企画したのは官民による〝トレジャーハンター・成田空援隊〞。一般モニター24名(女10名・男14名)ほか総勢48名で、1日目は空港、2日目は新勝寺を回ったらしい。このツアーのお代は原価表によれば保険料を除いて25,070円。はじめは退屈というか刺激もなくて居眠りをしてしまったが、意見交換に入って観光・旅行業界から参加したアドバイザリー委員の発言に入って目が覚めた。指摘された点はギョーカイの常識。それでも、てんこ盛りの企画内容にアドバイスすることで洗練度と商品価値が増す(と思われる)のだからモチはモチ屋、さすが~。
今回の事業結果は3月18日に開催される「地域が提案する魅力ある旅行商品説明会」でのプレゼンテーションとなるそうだ。今日の総括を活かしてこれからマーケットベースでどんな商品企画が生まれてくるか、ちょっとおもしろそう。
ところで昨年来このような〝成田のまちおこし〞の中心として、成田空援隊がしばしば登場する。出演するTV番組と報道時間が議員宛てにもFAXで流れてくる。それは良いとして、もとはといえば〝親方日の丸〞。全国各地で資金難にもめげず手弁当で情熱と知恵と汗をふり絞って行われている地域起こしに比べると、頑張っているけれどなんか名前負けしている感じだ。
□■□2011年2月6日(日)
8時過ぎ、早々と名古屋市長選で河村氏当確の報。TVでは頭からバケツのお湯をぶっかけてもらっている河村さんの姿が。愛知県知事選、名古屋市長選、名古屋市議会リコールの住民投票のトリプル選挙。どれも彼の思惑通りにいきそうだ。というよりも、〝民意〞が彼とその主張を選んだということ。市議会を敵に回し、ビジュアルな劇場型対立構造は市民にわかりやすかった。河村流を選んだ
河村さん個人や「民度」を批判するのはあまり意味がない。選挙は票を多く獲得したほうが勝ちなのだから。それよりも、09年に市長初当選以来まだ3年しか経っていない河村さん、そして3月の出直し市議選で地域政党「減税日本」が過半数をとったらどんな政治が行われるかに注目したい。名古屋市民だって、それを見ているのではないか。その結果、首長も議会も公約違反なら替えればよい。よりよい政治を求め、有権者が選挙によってその政治権力を選択していくのが代議制民主主義。選んだ結果がハズレならツケは市民自らが負う。
それを見極める民度を養うのが選挙だと思えば、鳴り物入りとはいえ、今回もその一つ。そういえば民主党を政権の座に押し上げた一昨年夏、衆院選の熱気もすごかった。その後今日までの経緯をみても、政権交代が実現してよかったという思いは変わらない。
夜、久しぶりに雨の音を聴いた・・・。心地よい響きだった。窓を開けると湿った空気の匂いがした。いい匂いだ。この前雨らしい雨が降ったのはいつだったかしら?1月に入って2、3度、車に大きな水滴が凍りつている時があった。夜、ほんの少し降った時はあったようだが、地面を潤す量ではなかった。
農家にも本当に嬉しい、恵みの雨だろう。
□■□2011年2月5日(土)
今日届いたtanakanewsによれば、米国のアリゾナ州議会は画期的な新州法を検討しているという。
「州議会内に12人からなる委員会を作り、多数決によって連邦政府が決めた法律や規制を、選択的に無効にできるようにする。
新法案は、合衆国憲法や米連邦の法律が、各州の法律よりも優先するという従来の序列を転覆するもので、事実上、アリゾナ州が米国から分離独立する動き。完全な分離独立ではなく、自州民にとって良くないと考えられる連邦政府の規制のみを、州内に適用することを拒否する。
連邦も州も財政破綻に瀕している米国は、国家の枠組みが崩壊しそうなラディカルな事態となっている。米国は人工国家であるだけに、天然国家である日本人の想像を絶するようなことが行われている」、といった内容。
「人工国家」とか「天然国家」というのは表現としては面白いが、国家論的には???。それはともかく、もともと、米国は州が州法や州兵(軍隊)をもって国のような統治権を行使してきたから、アリゾナ州のような手法が出てきても理解できないわけではない。
米国ほどラディカルではないが、日本でも行政の非効率や自治体の財政難などを突破しようと、道州制論議を先取りするかたちで大阪府知事、名古屋市長、新潟県知事・新潟市長などが都道府県の枠組み再編に積極的な言動を繰り返している。
ただ、中央集権が制度だけでなく国民の思考回路まで支配してきた日本でどこまで出来るだろうか。米国のような広大な国土と違い、狭い日本。「改革」の方向には十分な住民合意が必要だと思う。人気市長や知事が人気のあるうちに「エイ、ヤッ!」とやって出来るものではない。
□■□2011年2月4日(金)
立春。その文字と言葉の響きだけで光の色が変わったように感じる。市役所の正面玄関前に植えられた紅白の梅も咲きはじめた。成田市の木は梅だが、梅は花でしょう・・・寒空の下、他の花に先がけて蕾を開き、清らかな芳香を漂わせる花がなかったら、なんの梅か・・・市の花があじさいに決まった時にそんな感想を持ったのを思い出した。
用事があって久しぶりに参道を少し歩く。参詣客にまじり、ゆったりとした時間の流れの中にいるような心地よい雰囲気を味わった。
用事を済ませた帰り道、同行した人たちに誘われて花崎町の参道入り口近くにあるオーガニック・カフェに入った。私はコーヒーだけ、ほかの3人はスイーツも注文。美味しいオーガニックコーヒーだった。みんなのスイーツをひとかけらずつご馳走になったが、これもみ~んな美味しい。狭い店内には常連さんっぽい人や探し当ててきたような外国のお客さんも多く、インターナショナルな感じだ。
時々車を止める市営駐車場のすぐ手前なので知ってはいたが、通り過ぎるだけだった。食べ物にはこだわりのある女性たちがみつけた店だけあって、私も「いいとこみつけた!」といった感じ。
□■□2011年2月3日(木)
節分。10日から始まる定例市議会の一般質問を「通告」。今回は(1)男女共同参画の地域社会を実現していくために(2)子どもたちの未来のために-青少年の〝たまり場〞づくり(3)市民の文化・サークル活動への支援について(4)成田空港問題・騒音対策についての4項目で質問する予定。
帰りにスーパーへ寄ったら駐車場が大混雑。店内に入ると恵方巻コーナーが設けられていてその周囲に買い物客が集中。いろんなものが詰まったのり巻寿司が並んでいた。そういえば、1月半ば頃からスーパーやコンビニ、お寿司屋さんまで「恵方巻・予約受け付け中」だったね。
大阪の商魂たくましいお店のアイディアで始まったという話だが、クリスマスのケーキのように今や節分には恵方巻。家庭での豆まきが廃れて恵方まき、か。信仰がなくてもケーキを食べ、愛がなくてもバレンタインチョコを贈る・・・なんてへそ曲がりなことは言わない。それが生活の楽しみ方の一つなら、ね。
今日は胸がときめくニュース!米航空宇宙局(NASA)などの研究チームは、地球から2000光年離れた恒星に惑星が6個あるのをケプラー宇宙望遠鏡で発見したと言う。7個目発見の可能性もあるらしい。3日付け英科学誌ネイチャーに発表。生命に適した太陽系外の惑星54個発見、銀河系に地球サイズの惑星5個―生命の可能性も・・・とNASAの発表が続いた。
昨日の報道では小惑星イトカワの微粒子分析が本格スタート、初期分析で「素晴らしい結果」が出たようだ。
こうして地球人は宇宙の彼方に〝仲間探し〞をしている。私たちはどこからきてどこへ行こうとしているのか・・・人類永遠のテーマを追い求めて。
□■□2011年2月2日(水)
明日が締め切りになっている一般質問通告の準備やら少しためこんだ事務処理やら。あとは炊事・洗濯・掃除などといったドメスティックなモロモロ。炊事以外は多少まとめてやることができるが、まとめ食いというのはできないので家にいる時は3食作って食べる。まぁ、「家族」がいようと「孤族」であろうと家事全般はついてまわるわけだ。
家事をこなすのに「専業主婦」を10年間やったのはとてもよい経験だった。元夫の頭の中には学生時代ドイツで世話になった人の奥さんの完璧な主婦像がインプットされていて、結婚当初は「決して多くを望まないがせめて・・・」と〝教育〞された。彼があきらめるのにそれほど時間はかからなかったみたいだけれど・・・。
朝日新聞が新年早々「孤族の時代」に取り組む特集をやっていた。趣旨は異なるが家事に限って言えば生活の基本だから男性の「孤族」も一通りこなせないと生活そのものが成り立たない。学校での家庭科男女共修レベルの話ではなく、親の責任できちんと家庭で身につけさせることだと思う。
今日届いたある市民団体のニュースレターに、弁護士の高山俊吉さんが裁判員制度を取り上げていた。制度廃止の先頭に立つ人だ。
昨年は裁判員事件が大きくとりあげられ、とにもかくにも制度が順調に動き出しているかのような印象を与えていた。しかし、実際は事件処理が滞留しているそうだ。最高裁の講評では、昨年8月末までの起訴事件総数のうち、判決言渡率は42%。ほとんどの被告人は保釈されないまま未決監で待たされているという。裁判員裁判の対象事件は激減しているのに、公判前整理も公判もさらに長期化の様相を呈しているらしい。
そんな中、ある法曹3者との意見交換会では裁判員経験者で「またやってみたい」と言う人はいなかったようだ。高知地裁を例にとると、リストに載っても事前辞退、選任手続きに進んでからの辞退、無断欠席などをあわせるとリスト総員の8割以上が背を向けたという。
さらに、裁判員候補者名簿の記載通知や候補者の質問に答えるコールセンター、選任事務担当者など、制度運営にかかるものを民間委託している状況。これは「外事公安情報や海事情報などの公秘流出と違い、丸ごと民間に出てしまう包括的な『破堤(はてい)流出』もの」とか。
これまで「制度防衛の鉄壁の牙城」と思われたマスコミの中からも、国民参加といえば聞こえはいいが要は負担を国民に押し付けているだけ、即刻廃止すべきだという批判や、民間委託を批判する声も出始めたようだ。今後に注目したい。
□■□2011年2月1日(火)
月が変わったとたん、凍りついたような空気が和らいだ感じ。「もう、我慢できない!」とばかりに日記に書いたばかりなのに。そういえば、去年の夏もそうだった。
大栄地区の某団地で、「たいむ」のポスティングの度にちょっと立ち話をする70代のNさん(女性)は市政や国政の事情通。今日は民主党政権への痛烈な批判を聞かされた。専業主婦で過ごしてきた普通のおばあちゃん、といった感じの方なのだが、特に成田市政の〝内幕〞に詳しい!市長がどーした、議員の誰がこーしたと、私の知らない情報も飛び出す。私はその都度へぇ~、はぁ~、ホント?と、情報の真偽はともかく感心してしまう。
90歳になる私の伯母も〝趣味〞はテレビの政治討論番組を観ること。時々電話で話すと必ず政治評論が出てくる。新聞は「サンケイ」、亡き伯父は雑誌の『正論』を定期購読していたくらいだから私とはちょっと毛色が違うけれど、そこは伯母・姪の関係。お互いに共通項をみつけようと気配り。そんな伯母も戦争にはゼッタイ反対。戦争を体験してきたから政治の動きにも敏感。小泉政権時代、米国の戦争政策に日本政府が加担を強めていった頃は気が気ではなかったようだ。
何事も夫の一歩後ろを歩くように教育された女性たちだって、男の本丸みたいな政治をじーっとみてきたのだ。でも、これからは政治も男女共同参画でないとね。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの呼びかけで、これ以上のデモ参加者の死を防ぐためにエジプト政府に対し治安部隊を抑制することを求めるFAXを送ろうとした。内務相と検事総長あてに、朝出かける前、夕方帰宅した時、そして夜、3回アクセスしたがいずれも通信不能だった。
人々の間の情報の流れをとめることでは、先週、携帯電話のショートメールやツイッターに続いて、インターネットへの接続や携帯回線が遮断されたという。まさか、FAXも?それとも、私みたいにアムネスティの呼びかけで世界中からFAXが届き、罫線がパンクしてしまったのかしら。
そんな中で午後、カー・ラジオで聴いたニュースだが内務相の抑制発言が流れた。正当な抗議デモ参加者への行き過ぎた実弾や殺傷力のある武器使用による弾圧で死傷者が続出している。抗議者が拘束され、暴行を受けても治療拒否されているという。平和な抗議を行う人々の権利まで奪ってはいけない。
□■□2011年1月31日(月)
私が所属している「開かれた議会を目指す会」に参加する市民団体「相模原市議会を良くする会」が「The Gallery -
傍聴席」 臨時特集号 「あなたの選んだ相模原市議会議員の『通信簿』」(2011年1月29日発行)を掲載した。http://yokusurukai.main.jp/
すべて点数化し、ランキングも掲載。目指す会のメーリングで代表の赤倉さんは「今はまさに嵐の前の静けさです。記者会見、そして記事掲載後の議員たちのリアクションがおそろしいです。・・・」書いていた。
確かに、多くの議員は自分の発言などが点数化されることには違和感を持つだろう。点数をつける評価基準の客観性が問われてくる。また、どれだけ客観性をもたせても、人間のやることだから「完全」はない。さまざま視点があることも考慮しなければいけない。一歩間違えると、個人攻撃になってしまうこともある。
しかし、議会や議員は住民の批判を受け付けない聖域ではないし特権階級ではありえない。住民が選んで「議員の仕事」を付託しているのだから、住民の中から「良くする会」のような議会監視グループが出てくることは必然だろう。これまで、一票入れて「あとはまかせたよ」といったおまかせ民主主義が議会を硬直化させてきた。住民意識とはかけ離れてしまった「代議機関」への不信や不満も強い。そうした弊害を思えば、〝劇薬〞かもしれないがこうした「通信簿」が作られることもご時世かもしれない。
同じメーリングでは、会員から「今後、これがどのように広がっていくのか・・・。良い方向であれ!と願う次第です。」というのがあった。
この市民グループが作った「通信簿」を見て市民がどう評価するかということだ。なるほど・・・と思う人や、独断と偏見だと思う人、いろいろあっていい。議会や議員にどうあってほしいか、議論を巻き起こすことに意味があると思う。
□■□2011年1月30日(日)
しかし・・・寒いなぁ!こういう日は部屋から出たくないと思いながらの外出。青空を背景に、高く盛り上がった積乱雲やところどころ荒々しく刷毛で塗りつぶしたような雲を見ると、素人の経験則でも気圧が不安定だとわかる。日本海側は豪雪。昨年夏は猛暑が長く続き、今年冬はそれに変わって寒気が居座る。気候にメリハリが効きすぎると四季をめでるデリケートな心を忘れそう。去年の秋があっという間に終わってしまったように、春もあっという間に終わりませんように・・・。
チュニジア革命(「ジャスミン革命」という呼び名を使うマスコミもあるが、ウラにどんな勢力が介在しているかまだわかない)が親米系のエジプトに飛び火し、ムバラク政権がピンチのようだ。
チュニジア革命が中東アラブ諸国へ「伝播」していくと、イスラム主義勢力圏が再編強化されイスラエルと対峙することになるのだろうか。チュニジアでは911以降弾圧されてきたイスラム主義が強くなっていくだろうという予測がある。専門家の中には、中東のほぼ全域が反米反イスラエル的なイスラム主義になる中で、イスラエルがどこまで政治的延命策を続けられかに注目する人もいる。アラブ・イスラエルの〝最終戦争〞になるのだろうか。
宗教戦争にしてはいけない。ヤハウェ、アッラーと、神の名こそ違うが、2つの宗教はアブラハムの登場まで信仰を共有していたのではないか。神の名で人々に犠牲を強いるなど馬鹿げている。
こうした中東の暴動が各台する背景には、ドルの信用崩壊から起きた穀物や資源の国際価格の高騰があるという見方もある。
第一次大戦でオスマントルコ帝国が崩壊したあと欧米列強の介入を受けたアラブ諸国など中東は、「革命」という名のクーデターで軍部独裁や宗教的権威主義の国家が作られてきた。エジプトなども知人は「ムバラクがいるから治安は安定している」と言っていた。その「治安」維持は、人々の基本的人権や自由・民主主義の抑制を代償としていた。軍部や宗教的権威主義によるパワーゲームや紛争に翻弄されてきた中東の人々が、本当に求めるものが何かを見出す日が一日も早く訪れることを願う。
□■□2011年1月29日(土)
地域政党・市民ネットワーク千葉県の総会のあとに催された〝2011新年交流会〞に出席した。市民ネットとはもう20年来のお付き合い。人権・教育・環境・平和などで考え方を共有するものが多く、成田市議会では無所属・一人会派の私にとって、議員活動・市民運動などで意見や情報を交換できる〝お隣さん〞といった存在。
交流会では統一地方選に向けてネットの新旧議員も壇上で紹介された。ネットの3つのルールの1番にある「議員はローテーション」(原則2期)に沿って、交代する人、続ける人が壇上に並ぶ。一見しなやかだが選挙モードに突入している女性たちとの交流で、寒さも吹き飛び背筋も伸びた気分。
来賓では社民党党首の福島瑞穂さんも挨拶していたが、同行していた社民党千葉県代表の村上克子さんは私の中学時代(多古中)に大学を卒業して赴任してこられた先生。私は先生の授業を受けたことがないが、当時と変わらない笑顔。久しぶりにお目にかかれて嬉しかった。
□■□2011年1月28日(金)
夕方帰ったら無農薬・有機栽培の産直野菜が届いていて、北総台地で育つ農作物の厳しい生育状況がわかった。
『産直ニュース』の大見出しは「年明けは野菜に厳しいスタート・・・寒波、水不足、鳥害で葉物に打撃」。昨年は夏の猛暑で打撃、でも年末の『ニュース』では「年明けは葉物を豊富にお届け出来そう・・・」という見込みだったのだが。
加代子さんの「農家便り」によれば、越冬可能な野菜も、強い寒波の強風で枯れてしまう、いつもは2、3月に野菜やナンテンなどを食べにくる「ひよどり」などが今年は年明けすぐから押しかけてきて小松菜やチンゲン菜が数日で壊滅状態といった被害が出たようだ。寒さには強いほうれん草も、水不足で伸びないという。人の手による水まきは葉物が凍りついてしまってダメになるので、雨を待ってじっとがまんの日々ですって。
今日のケースには里芋、人参、三浦大根、ネギ、京菜、高菜が入っていた。厳しい自然の中、露地で元気に育ってくれた野菜をありがたくいただく。
日本海側を中心に豪雪や霧島連山・新燃岳の噴火活動では降灰など、自然相手の農業は難しい。それでも、安全で美味しい農作物を安定供給しようと頑張る農家の皆さんの思いを大切にしたいと思う。
私たち消費者も、地産地消に心掛けたい。一番の理由は、昔から言われているように、自分の生まれ育った場所、生活する環境の中で生産される農作物が自分の身体に合っているということ。そして、生産者の顔が見えるという安心感もある。TPPで〝農業リストラ〞などもってのほかだ。
朝日オピニオンに掲載された池上彰さんの「新聞ななめ読み」は、2010年に全国で起きた刑法犯速報値(警察庁発表)とそれに関する各新聞の取り上げ方について論評していた。
特に、「殺人事件が戦後最低」は「明るいニュース」なのに、取り上げても目立たないような場所や大きさで、大きなニュースではないと判断していることがうかがえるという。
逆に「『ひったくりワースト1』は千葉」(前年まで全国最多の大阪が33%減り、減り方の少なかった千葉県がワースト1になってしまったらしい)、「高齢者の殺人増加」(高齢社会だから高齢者の数も増加し犯罪も増えるだろうが年齢ごとの比率で比較していない)、「わいせつ事件は増加」といったことが大きな見出しになっているようだ。
マスコミを通して殺人事件のニュースばかり見ていると急増していると誤解している人も多いだろうから、戦後最低というのは驚きのはずなのに・・・と不満の論調。同感。
池上さんは最近テレビやラジオで引っ張りだこで〝日本のおとーさん〞みたいな存在だったが、3月いっぱいで番組を降り、取材・執筆に専念するという。以前彼と大学時代に同級だった人を通して市民団体のシンポジウムで講演をお願いしたことがあった。スケジュールが合わなくて実現しなかったが、再度交渉してみる価値ありかな。
□■□2011年1月27日(木)
歴史と今を語り合う女性の会・例会。かぜをひいたりその他の事情で常連さんが5人欠席だったので視聴覚室は広過ぎた。部屋の隅っこに机を寄せていつもの井戸端会議となった。
公民館への登録サークル数が700を越えるなど生涯学習が盛んなのに、中央公民館は成田市の文化・サークル活動の拠点としては時代に取り残されたような施設規模。会員30人くらいまでの小人数のサークルが使いやすい部屋がもっとほしいなぁ。
・・・などと思いながら、部屋を予約する時「視聴覚室しか空いていなかった」けれど、せっかく視聴覚室を使うのだからと「ヤノマミ」のビデオを用意したが、情報・意見交換に集中して観る時間がなかった。
〝皮ごと食べても安心〞というりんごをいただいた。丸かじりするには大きなりんごだったので、半分に切って皮ごと食べた。〝皮ごと食べてね〞なんて、それだけで嬉しい。
農林水産副大臣篠原孝さんのメルマガにあった「りんごを再び大衆的果実へ」というのを思い出した。昨年は猛暑で前年比140%高だそうだが、りんごの消費が伸びず、価格も低落傾向という。高級化を目指して芸術品のようなりんごとなり、簡単な丸かじりできるりんごがないというのも問題らしい。4つに切らないと給食にだせない、1人で1つ食べるには大きすぎるなど。篠原さんが歩いた欧米諸国ではりんごの皮をむいて何等分かに切って食べる国はないそうだ。
以前中国へ輸出した高級りんごが富裕層に売れているという新聞記事を読んだが、国内消費が落ち込んでいてはりんご農家も大変なのだろう。丸かじり用「シナノピッコロ」に転換する農家が出てきているようだ。
近頃、洗って包丁で切って皮をむいて食べるような果物は敬遠されがちという。面倒くさいみたい。りんごもその一つかも。バナナのように、洗う必要もなく、簡単に食べられるものが人気らしい。
私はりんごが大好きなので、農薬の心配をしないで皮ごと食べられるりんごがあればいいのにと、ず~っと思っていた。以前、ノルウェーのオスロで「うちの庭のりんご」と言っていただいた赤と青2種類、手のひらにすっぽり入るくらいの小粒で濃厚な味と香りのりんごが忘れられない。日本では品種改良でいろいろな種類のりんごがあるが、ノルウェーにはこの2種類しかないといっていた。原種に近く、病害虫に強いので農薬を使用しなくてもよいとか。
それにしても、篠原さんがメルマガに書いていたシナノピッコロってどんなりんごかしら。
□■□2011年1月25日(火)
乾燥した天気が続く中、インフルエンザが流行り始めたようだ。教育委員会からの議会あてFAXでは、平成小学校の2年生一クラスと小御門小の1年生が学級閉鎖になったとのこと。「季節柄流行する時期なので、今後は児童生徒の感染状況に大きな変化があったり、急速な拡大の兆候がみられるような時に(議会に)報告するのでご了承ください」という判断は適切だと思う。
かつて豚インフルから始まる新型インフルが流行した時は、当時国・県が示した学級閉鎖の基準の関係で閉鎖が相次ぎ、それにあわせてどこの学校の何年何組が何人感染、疑いのある子どもが何人といった学級閉鎖の報告がひんぱんにFAXで流された。私などは、状況を知ることは大事だが、もう少しまとめた報告でもよいのではないかと思ったくらいだが、これには迅速な報告を求める議会の要請があった。
新型インフル流行の頃の予防ワクチン騒動を思い出した。政府がパニックに陥っている時、「風邪はひいて治す」と言った専門家がいた。ひかないにこしたことはないが、ひいたら休養をとって休めばふつうは3日くらいで症状は改善される。そして、常識的な「予防」に心掛けるのが一番ということだ。
最近、マスクをかけていた人がいたので「風邪?」と尋ねたら、「ひいていないけれど予防のためにマスクしている」とのことだった。う~ん、念には念を入れて予防線を張っているのね。
ところであの時は、ワクチンが足りない!ワクチンを輸入しろ!とワクチンを輸入したものの、結局使われずに残った大量のワクチンは有効期限を過ぎて廃棄された。巨額な税金がワクチンとともに捨てられたということだ。実は仕組まれたワクチン騒動だったという見方もあった。
ワクチンに限らず、政府が国民を駆り立てるように大騒ぎする時には、ちょっと引いて考えたほうがいいと思っている。
□■□2011年1月24日(月)
山口県萩市より、市民団体「萩・福栄水と命を守る会」副代表ほか2名、市議会の産廃処分場建設問題調査特別委員会の委員長ほか3名、萩市環境衛生課係長の計8名が、成田市の安定型産廃最終処分場の視察と聴き取り調査のために成田市を訪れた。
訪問の件はかねてより「水と命を守る会」の事務局長さんを通して成田市との仲介を依頼されていたので、私も同席し、現地視察に同行した。
萩市の福栄(旧福栄村)では、平成元年に始まったゴルフ場建設計画が凍結された後、平成17年、計画地内に産廃の管理型最終処分場建設計画が持ち上がり、その後まちぐるみの反対運動が続いている。業者は現在事前協議の手続き中とのこと。
埋立容量150万㎥という産廃処分場を計画している業者は、成田市でも安定型最終処分場(既設・拡張計画)を展開している。そこで処分場や周辺住民との関係などを含めた調査となったようだ。昨日は埼玉県所沢にある同じ業者の中間処理施設の視察と周辺の住民団体から話を聞いたという。
萩市議会も建設計画が明らかになって以降、全会一致で「水道水源保全条例」の制定(平成20年)や議会に特別委員会を設置するなどして、建設反対の意思を表明し、今日訪れた特別委員会の4名も全員「守る会」の会員とのこと。市役所庁舎にも産廃反対の横断幕をとりつけるなど、行政・住民・議会が一致反対している中、許可権をもつ山口県と業者の対応が注目される。
(左)成田市の担当課(右側3名)から説明を受ける調査団。 (右)既設の安定型産廃処分場(芝・右側)。写真中央では樹木の伐採が始まり、拡張工事が動き出したようだ。埋立容量は約60万㎥。(津富浦地区)
2011・1・24(PHOTO BY MACHIKO)
□■□2011年1月22日(土)
昨夜からパソコンがおかしいな~、画面をクリックしても動いてくれないしな~、と思っていたら今日になってもやっぱりヘン!始業時間を待って製造会社の有料相談(1件3000円)に電話した。実際の相談に行くまでの順序は、わかっていてもまどろっこしい。最後にクレジットカード番号を入力してやっとのこと相談が始まった。
そこをあーしてこーしてと、指図されるままにやって出た結論が「マウスの左に問題があるようです」。えーっ!すぐ別のマウスに替えたら問題なく作動し始めた。そんなの初めて。「マウスだったんですか・・・」「精密機器ですから当然あります」と、相談窓口のお兄さん。よく考えればそれもそうよね。パソコンそのものの問題ではないということで、相談はキャンセル扱いになり、無料となった。
パソコンに問題がないことがわかって気分も軽くなった。ホームページに掲載した過去4年間の「日記」、写真が入っていたところの余白部分がバラバラで体裁が整っていない時期がある。ちょっと細かな作業なので先送りしてきたが、見やすいように整理した。
久しぶりに『天声人語』の冒頭部分に思わず笑ってしまった。朝日の記者が米国の大学生に「企業ぐるみ選挙」の説明をしたら、「それは政治学というより文化人類学の領域ではないのか」と質問され、恥ずかしい思いをした、という書き出し。実は私も、初めての選挙をやったあと、当時発行していた『市民しんぶん』に「選挙じんるい学・序論」というタイトルで体験記を数回にわたって掲載したことがあった。
わたしが学生の頃は文化人類学がさらに細分化していく時代で、宗教人類学や音楽人類学et cetera et
ceteraが生まれていた。その感覚から20年前に初めて選挙というものを体験した時、民主主義の重要なツールである「選挙」はまさに文化人類学的な手法で分析できるのではないかと思ったのだ。体験記「選挙じんるい学・序論」はいわばフィールドワークのようなもの。その後理論化してないから「学」の入り口の手前で終わってしまったけれど。
□■□2011年1月21日(金)
今日の市議会全員協議会で、執行部よりJR成田駅東口第二種市街地再開発事業A街区建設業務代行者船体結果の報告があった。去る11日にスターツ・五洋建設建設業務代行共同体が選ばれたというFAXが届いていたが、今日はその選定経過についての報告。
A棟の建設工事に対して参加登録したのは大和ハウスグループとスターツ・五洋建設JVの2社。スターツ・五洋が選ばれた最大の理由はA棟の工事請負額。市の予定価格63億2,160万円に対し、大和グループの見積額は64億4,700万円(消費前込)、スターツ・五洋は54億4950万円(同・予定額の86.2%)。執行部の説明では「諸経費」で差が出たようだ。
今後、市が実施設計を行ったあと建設費を積算し、その額に86.2%を乗じた額で随意契約を結ぶことになるという。
スターツ・五洋の施設計画では敷地面積4,313㎡、建築面積3,547㎡、延床面積28,919㎡(容積対象21,559㎡)、鉄筋コンクリート造一部鉄骨造、地上16階、地下1階、高さ59.0メートル、主要用途=住宅・店舗・公益施設・駐車場、保留床の取得規模11,573㎡(住宅108・子育て支援)、保留床の取得額25億8,756万円。
この高層ビル建設をふくむ再開発事業については12月議会に続いて3月議会にも「門前町成田を創る会」から「『JR成田駅東口再開発事業』のあり方に関する請願書」が提出される見込み。
□■□2011年1月20日(木)
ポスティングのボランティアさんのお宅に「たいむ」を届けると、「ちょっとあがって」とお誘いを受けた。「ではちょっと」とお言葉に甘え、2時間。おしゃべりまちこ・・・。でも、Aさんの示唆に富んだお話が聞けて充実した2時間ではあった。
今日届いた「開かれた議会を目指す会」のメーリングで、マスコミから「(全国で)一番進んでいる議会は?」と質問されたので「会津若松市議会だと思う。市民と一緒に改革を進めているから」と答えたという代表の奥山さん。「議会基本条例」を作っても、作っただけのアリバイ議会が多い。
成田市議会も、4月改選後は条例作りに取り組むことになるだろう。議会だけで条例案を検討するのではなく、市民も参加する検討委員会を立ち上げるべきだと思った。議会が本当に住民の代議機関として機能していくためには、議員を選んだらあとはおまかせでは変わらない。どのように住民が議会に参加していくか、条例によって制度的に保障されなければならないと思う。
□■□2011年1月19日(水)
風が弱かったせいか寒さも緩んで気持ち良い一日だった。子どもの頃祖母から「毎日畳の目一つずつ陽がのびる」と教えられたことを思い出すこの頃。陽射しも少しずつ力強さが戻りつつあるのを感じる。
今日は私も時間をみて「たいむ」のポスティング。・・・昨日ポスティングのボランティアさんのところに追加の分を届けると、仕事の流れで未明に住宅団地をポスティングしていたらパトカーが後ろをついてきたという話。「防寒服に身を包み、帽子とマスクという格好なので不審者と思われたのかもね」と笑っていた。
「何をしているんですか」と聞かれ、「仕事が終わったのでコレをポスティングしています」と言ったらおまわりさんが「ソレ一枚もらえますか」と言ったそうだ。「で、一枚渡しました」とのこと。ボランティアさんもおまわりさんも寒い中本当にご苦労さまでした。日の出前って、ふつう一番気温が低いのよね!
夕方、12年間お世話になった印刷機を引き取ってもらった。スペースが空いたので、去年からずっと軒下に出しっぱなしだったベンジャミンを部屋に入れた。これは私がミニコミ新聞の編集をしていた25年くらい前に事務所用に買ったもの。いろいろ思うことがあって久しぶりにお気に入りのCD、チャイコフスキーのピアノコンチェルト1番(クラウディオ・アウラ)とラフマニノフの2番(ジャン=フイリップ・コラール)を心行くまで聴いた。そういえば最近こういう時間がなかったなぁ・・・。
□■□2011年1月18日(火)
朝日朝刊に2011統一地方選へ向けた特集が組まれていた。第1弾?は「首長×民意×議会」。阿久根市・名古屋市にみられる首長と議会の激突、橋下大阪府知事のように議会不信から地域政党を立ち上げ自らの意に沿う議会をつくろうという手法、そうした中での住民の役割について取り上げていた。
「民意」を首長と議会の真ん中に置いたところに意味がありそう。首長も議会も住民(民意)の投票によって選ばれる。行き着くところ民主主義における政治の責任は有権者住民にあるのだ。首長と議会のバトルはメディアを通すと劇場型で面白い。でも、それは日本の地方自治制度がかえている問題の一つのあらわれ。二元代表制でいいのかといったような制度の検証や、なによりも民主主義の政治制度では「主権者」である人々の、意識と責任を啓発するような企画を続けてもらいたい。
16日の鹿児島県阿久根市長選挙で竹原さんが敗れた。「(竹原さんの)方向性は間違っていない」(当選した西平さん)といっても、地方自治制度の根幹を無視して専決処分をくり返した竹原さんが敗れたのは、市民による妥当な選択であったと思う。
専決処分といえば、私の経験では、成田市議会でも一度、市長の専決処分が問題になったことがあった。95年12月定例市議会に提案された久住土地区画整理仮換地計画に対する審査請求の専決処分だった。私は、自治法に照らして専決処分の要件を満たしていないことを理由に承認しなかった(興味のある人は会議録を参照)。
専決処分自体は地方税法などの改正時期との関係でめずらしいことではないが、マスコミで取り上げられるような重要案件に関する専決処分は首長と議会が緊張関係にあるとか、意見が対立しているような状況で行われている。
阿久根では2月に議会リコールの是非を問う住民投票がある。また、昨日は名古屋市でも議会リコールの是非を問う住民投票が告示された。
「住民投票は民主主義の学校」と言った人がいた。首長VS議会に振り回されているように見えるが、住民投票を実施するのも民意によるもの。選択をせまられる住民が主権者として何を学んだかが、とても大事。住民投票がまだ珍しかったころ、御嵩町や名護市、徳島市などで住民投票をやりきった人たちの話を聞く機会が多くあった。それはもう民度アップ!の高揚感あふれるものだった。平成の大合併で各地の住民投票を経て、いまは重要な案件にぶつかると市民の中から「住民投票をやれ!」という声が聞けるようになった。良いことだ。阿久根や名古屋の市民から直接話を聞く機会がほしいな。
□■□2011年1月17日(月)
入札等監視委員会を傍聴した。今回審査対象となる昨年上半期(2010年4月1日~9月30日)の入札及び契約手続きの運用状況等についての報告では、発注工事件数は合計511件(建設工事156件、業務委託286件、物品購入等69件)であった。
内訳は、一般競争入札が211件、指名競争入札4件、随意契約296件(見積競争167件・特命随契129件)。
報告に対し、委員から「相変わらず随契の見積もり競争が多いが理由は?」という質問があった。これに対しては従来通りの「上半期は施設管理など4月早々からの業務委託が多く、時間の問題で3月中に見積もり競争による随意契約を行っている」という答え。
自治法に基づくとはいえ、単年度主義を採用している自治体の予算執行については、民間の感覚では理解しにくいものがある。仕組みが理解しにくいということは、そこに不透明な要素が入り込む余地もあるといえるだろう。
511件の中から監視委員が選んだ選定事例10件は、①東山中学校駐車場整備工事、②大栄地小学校機械警備委託、③下総中学校新設グラウンド測量調査委託、④防災行政無線固定系更新小路(その2)、⑤成田浄化センター前処理機・濃縮槽等修繕、⑥街路樹管理委託(NT7・8住区ほか)、⑦⑥消防職員被服購入(新規採用職員防火衣)、⑧消防ポンプ自動車(CD-Ⅰ)購入、⑨中学校教育用コンピュータ装置借り上げ(遠山中・西中・吾妻中)、⑩高岡保育園プレハブ保育室借上。
10件中随意契約の見積競争が4件、特命隋契が1件で、半分が随契案件だった。委員長が「入札というと落札率(談合)これでいいのか?といったものから質問の中味が変わってきた」というように、前回あたりから随意契約の「透明性」を問う質問が増えた。
質疑の中では、「(施設管理など)毎年わかりきっている事業は競争入札に切り替えもよいのではないか」という委員の意見に対し、担当課長は「年度内で入札にかけられるものは入札にもっていきたい」と、街路樹管理委託を例に答えていた。ほかに、積算根拠や低入札価格の問題についての質問や指摘もあった。
また、教育用コンピュータについては委員長から「契約問題とは違うが」と前置して、小・中・高のコンピュータ教育のしわ寄せが大学に来て弊害となってあらわれはじめていることへの所見が述べられた。処理能力はあるが自分の頭で考えようとせず、すぐ人に聞こうとする若者がふえているようだ。コンピュータはあくまで道具、使う人間が考えるといったコンピュータ教育であってほしいと。
最後の講評で、菊池委員長は前回に続き〝随意契約〞について、「仮に適正に執行されていたとしても、市民がそれを認識・評価できるか、第三者評価に耐えられるかどうかということ。委員はあくまで市民の目で見て妥当かどうかということを考えて意見を言っていく。いろんな問題があると思うが、工夫してもらって市民が納得できるお金の遣い方をしてほしい」と注文をつけた。入札等監視委員会がだんだん面白くなってきた。税金の遣い方に興味のある市民に傍聴してほしい。今日は私一人だった。
□■□2011年1月15日(土)
~子どもの権利・参画の推進をめざして「子ども力・地域力フォーラム」子どもが育つ地域をつなぐ。今、子どもの現場からみえること~という、とても興味あるイベントが千葉で催された。主催はチャイルドライン支援センター、「こどもの権利・参画フォーラムinちば」実行委員会。
夕方から予定が入っていたので、宮本みち子さんの講演だけでもと思い、出かけた。宮本さんの講演は子どもの社会参画先進国ヨーロッパの取り組みの報告と、それをとおして(日本が)何を学ぶか、というもの。
静岡県立大学の学生グループが日本とスウェーデンの若者それぞれ100人に「あなたの発言や活動で社会がよくなると思うか」というアンケートをとった結果、良くなると答えた日本の若者は3割、スウェーデンは8割以上だったという。なぜ、日本では社会に対して「あきらめ」の若者が多いのか・・・
こうした日本の課題をふまえながら、子どもの権利条約を貫く4つの権利(1生きる権利・2育つ権利・3守られる権利・4参加する権利)の中の「参加する権利」を具体的にどのように実現していくか。EUの中でもスウェーデンの若者参画政策、イギリスのヒア・バイ・ライトについての話はとても示唆的だった。そして大事なことは「一番不利な条件におかれている若者が参画できる」ように配慮した政策であること。
日本は同じ「子どもの権利条約」を批准しながらもこうした具体策で後れをとっている。それは子どもの権利を正面から受け止められない「大人」の責任。若者が社会的トレーニングを体験する場はあるか、社会から孤立し、アウトサイダーにならないためにどのようなエンパワーメント政策がとられているか、参画と「社会人」を育てる政策の方向性は示されているか、日本の若者政策は心細い限りだ。
宮本さんの話を聞きながら、ユース・センターやカフェテリア・プロジェクトのような「たまり場」づくりなど、自治体独自の若者政策としてできるのではないかと思った。自治体単独では力もノウハウも不足しているだろうから、NPOや「青少年健全育成」領域との協働で行えばよい。
。
朝日新聞のbe on
Saturdayのフロントランナーに武者小路千家の次期家元千宗屋さんが登場。実は私、朝日夕刊に時々掲載されていた茶道を軸に豊かな広がりを感じさせる彼のエッセーのファン?だった。
それにしても利休から400年余り続いてきた千家の茶の湯、絶えず時代時代の「現代にふさわしい茶道」が追求されてきたからこそ、だろう。千宗屋さんがどのような道を切り開くか、茶道は門外漢の私だが興味がある。
□■□2011年1月14日(金)
午前中「たいむ」を7500枚印刷。我が家の印刷機が故障してしまったので知り合いのところで使わせてもらったのだが、シャカシャカと、紙を送る音が軽快。インクの質も向上しているようで、仕上がりもきれい・・・。先日の5000名は表が私の印刷機で刷り、裏が借りた機械なので、違いがハッキリ。紙詰まりの心配もなく順調に刷り上がってこのところのストレスが一気に解消された。
基本的に手作りの議会報告を発行することにこだわるのは、どんなにインターネットが普及する時代でも、紙は大事な媒体だと思っているから。そして専門業者に作ってもらったほうが見栄えもいいし、いろんなアイディアも利用できるけれど、できるかぎり自分の手を加えて作りたいと思う・・・というのはアナログ人間の勝手なこだわりかしらね!
いまはデジタル書籍~絵本から教科書までもデジタル化されていく時代。「そのうち紙なんかいらなくなるよ~」という声も聞く。でも、デジタルは媒体の一ツールでしょ。紙がいらなくなることはない。だって人類とその文明にとって、言葉・文字・紙こそ伝達手段のαであり、Ωだと思うから。
・・・などと勝手な理屈をつけながら、新しい印刷機に替えるかどうか考えた。我が家の機械には12年間お世話になった。故障部分の部品が運良く交換できても全体が経年劣化、摩耗しているからほかのところもいつ故障するかわからない。・・・とりあえずは、知り合いのところの印刷機を借りて印刷を続けることに決めた。
午後は下総地区の住宅団地をポスティングしてくれるボランティアさんのところに「たいむ」を届ける。久住あたりまで行くと、なんだか春の兆しを感じるようなのどかでこっとりした風景。
帰って遅いお昼を食べ、夕方まで家で折り機にかかりっきり。7500枚ぜ~んぶ(機械が)折った。で、またその一部をポスティングのボランティアさんの所に届ける。・・・ということで、今日は議会報告にかかりっきりの一日だった。来週はもう一度、こういう1日があるのよね~。
□■□2011年1月13日(木)
午前中は市民の方から市政に関することなどいろいろ質問を受ける。午後は刷り上がった「たいむ」をポスティングしてくれるボランティアさんのお宅に届ける。
環境省が内分泌環撹乱物質(環境ホルモン)の有害性を確認する新たな試験を始めるという記事を興味深く読んだ。「環境ホルモン戦略計画」(1998年)による動物試験が批判されて以降紆余曲折を経て、試験方法も向上。今後5年間で100物質程度のリスク評価を目指すようだ。18物質について第1段階の試験を試行的に始めるという。市県は2段階に分かれていて、第1段階は生物試験。環境ホルモンの作用あり、とわかったら第2段階で有害性を確認するめに長期間飼育試験を行うらしい。
シーア・コルボーンなどによる『奪われし未来』(日本・1997年刊)が大きな衝撃を与えた。微量で生殖異常や性分化(決定)に影響を及ぼす環境ホルモン。当時環境省がリストアップした67の化学物質の3分の2が農薬だったこともあり、本会議で一般質問したことがある。また〝オスのメス化〞は環境問題にドン感だった自民党にショックを与えたようで、研究のための高額補助金がポンと出たのには驚いたことを憶えている。オスのコケンならぬ「コカン」に関わることにはとっても敏感に反応するのね。
その後環境ホルモンの問題点を否定する論調も登場した。が、オスのメス化や生殖器官の劣化などは巻貝や川魚で報告されている。ほかに、精神神経系や免疫系への影響も疑われている。欧米では生態調査や共同研究などが進む中で、日本が新たな調査に入ることは喜ばしい。
□■□2011年1月12日(水)
10日必着の催しの返事が手違いで遅れてしまい、速達で送るのに郵便局へ行った。入口で知人に会ってしばらく立ち話をし、カウンター前に並んだら、目の前でお菓子の「キットカット」が売っていた。パステルカラー調にあしらった小さめのきれいな箱入り。子ども連れが買うのかと思ったら「語呂合わせで、受験関係の生徒がいる人でしょう」とか。きっと勝つ?
カウンターにお菓子を置いて売らんかなとは、これも〝民営化〞かな。
午後、郵送作業をしてくれるボランティアさんのお宅に「たいむ」を届ける。これからしばらく77号のポスティングに入る。年4回、厳しい暑さ寒さもある中で協力してくれるボランティアさんいればこそできることに感謝。
先日、児童養護施設にランドセルを贈る〝タイガーマスク・伊達直人〞が報じられた。するとたちまち児童養護施設へのプレゼントが全国各地に広がっているという。送り主もプレゼントの品物もいろいろ。新鮮なネギと白菜というのもあった。様々な事情で親と一緒に暮らせない子どもたちへ何かプレゼントを、という善意の連鎖反応は、人々の心のつながりのようにも思える。
連鎖反応も〝美談〞にほのぼのだから良い。一方もしこれが何かの別件で悪意の連鎖反応だったら?という思いが頭をかすめる。そんなことが起こらないように願う。
□■□2011年1月11日(火)
「たいむ」77号を刷り始めたのだが、どうも印刷機の調子面わしくない。昨年修理した時、調整してくれたところがおかしいので、修理を頼んだ。こうなると、自宅に印刷機があることの便利さをつくづく感じる。というのは、郵送分だけでも「J」で印刷しようと思って電話したら、値段が高いのはさておき、その場での印刷ではなく版下を預けて日数がかかるというので止めた。たとえ2~3日でも時間が惜しい。修理のほうが早い。
今日は「1」が5つ並んだ日。11月には6つ並ぶ日がある。・・・特に意味があるわけでもないが・・・今日も寒い。日本海側は雪だるまが並ぶ。昨夏の猛暑を思い起こし、この冬は逆に厳しい寒さが続くのかなぁ・・・。地球は人間の思惑など考えないで動いたり揺れたり火を吹いたりするし、気圧や海流ちょっと変わっただけでエルニーニョだのラニーニョだのと騒ぐ人間には手のほどこしようがない。文句を言っても仕方ないので寒い間は衣類を着こんで乗り切るしかない。
この寒さに一番効果的なのが、25年以上前に自分で編んだ3枚のセーター。それ以前も以後も編みものなどしたことのない私だったが、何故かひたすら「編みたい」気分になった数年があった。ごむ編みとメリヤス編みしかできず、それ以上上達しようという意欲もなかったけれど、娘に1枚、自分に2枚、それと友人に1枚(・・・これはプレゼントするには未完成な部分が多すぎて、恥ずかしかったので自分用にした)。
「わざとそうしたみたいね」とほめられたのか皮肉?を言われのかわからないくらいあっちこっちだぶついたり引きつったりしている。でも、とにかくあたたかい。それに、好きな色と素材の毛糸を選んで編んだから気持ちが良い。
□■□2011年1月10日(月)
成人の日。成田市でも1,497名(男805名、女692名)が成人を迎えた。国際文化会館で成人式。
会場近くで全員が羽織はかまで髪をトサカのようにたて、ものすごい排気音をふかす車数台から身を乗り出し、提灯や扇子をふりながら奇声をあげて通り過ぎる一団が走行車線を追い抜いて行った。その後右折で渋滞する車列の先端に割り込んだらしく、早々と到着し、今度は文化会館の前が騒々しい。この十人余りの一団は会場でも周囲を無視して賑やかだった。
ただ、顔をよくみるとまだ幼いいたずら小僧といった感じ。恩師らしい男の先生のそばに陣取って盛り上がる。先生も、「おい、前を歩くな!座っていなさい」とか「静かにしなさい!」とか中学時代の延長みたいな注意をしながら苦笑い。彼らとその先生の関係を想像し、困らせることも多かっただろうけれどきっと気持ちが通じ合っていたんだな、と思った。
始めはどうなることかと思ったが、「式典」の進行を阻むような質の悪い行動もなく、おおはしゃぎといった感じ。きっと、中学時代からこんなグループだったのだろう。大目に見てもらえるのは今日が最後と思っているのかな。確かに、あんな恰好であんな騒ぎが出来るのは成人式しかないもんね。ばーばの目からみると、オープニングセレモニーの「うなりくんとチーバくんのダンス」と同じ余興みたいなもの。式典終了後の一団の行動はあずかり知らないが。
□■□2011年1月9日(日)
これまで日々気が向くままに書いては掲載し、長くなると切り取ってワードに保存しておいた「まちこ日記」を整理した。残っていた2006年12月1日以降の日記をホームページに再び移動させ、数年間の記録として公開できるようにした。といってもアナログ人間の私が一人でできることではないので、今回もホームページを立ち上げる時に通ったパソコンの先生からいろいろ教えてもらった。
いざ手をつけてみると、日記はそれなりの量なのでまだ整理し終わってない。ただ移動しただけなので体裁もよくないけれど、とりあえずトップページから過去の日記にリンクできるようになった。これから少しずつ整理していく。
ついでにパソコンの中に溜まった〝ごみ〞のお掃除の仕方も教わった。そういえば初めてパソコン教室に行った時、そんなことも教わったなぁ。でも、何しろ私がパソコンに向かってやることといったら、まずワードで各種原稿を作ること、ホームページを管理すること、あとはメールとインターネットでの情報収集くらい。パソコンの中の整理整頓やごみ処理なんていうのは、言われないと思い浮かぶこともない。
そんなこんなや気忙しいことなどもいろいろあって「日記」を少し休んだが、また再開。
□■□2011年1月4日(火)
菅首相は今日の年頭会見で、小沢一郎元代表が強制起訴された場合には政治家としての出処進退を明らかにするよう求めたという。朝日夕刊の見出しトップはコレ。おっとっと、これが最重要課題ということなのネ。これに対して小沢さんのコメントも。まぁ、「政治」には大なり小なり権力闘争はつきもの。民主党もメディアに煽られないようにしないと。
でも、今年もまた軸足がふらつく政権与党民主党が餌食になるのだろう。私たちはその情報を避けることは至難。今朝の新聞にも某週刊誌の売らんかな広告が大きく載っていた。部数を争う週刊誌の、特に政治に関する扱いはますます扇情的になってきている。「民主党政権、憎しみと裏切りの最終章・小沢を生き埋め・菅、お前にできるのか」などというのは序の口。人格否定、人格攻撃などが続く・・・こういう見出しに慣れるのは怖い。こういう見出しが露出するようになったのは記憶では自民党政権末期から。自民党を支持するわけではないが、安倍・福田・麻生各氏など、気の毒に思ったくらいだもの。
尖閣問題などを見ているとメディアが特に政治・外交面などで差別や排外主義的に暴走しかねない社会が到来しているのではないか、危惧の念を抱く。メディアを利用して国民を一定の方向へ扇情・扇動していくような意図をもった勢力はすでにある。
とはいえ、私は報道規制には組みしない。臭いものにフタをしても中で腐敗が進むだけですもの。それよりも、教育現場では〝メディア・リテラシー〞教育についてどのように位置付けているのだろうか。情報化社会が進み、秘密を原則としてきた外交文書さえインターネットの世界をかけめぐる時代。私たちが選んだそういう社会で、そこに生まれ、次代を担うこどもたちにとっては必須の教育だと思う。
□■□2011年1月3日(月)
そろりと仕事始め。議員活動報告「たいむ」を郵送している皆さんに新年の挨拶状を作成。印刷の準備。
新春の風物詩みたいな箱根駅伝は早稲田大学が18年ぶりの総合優勝で、嬉しい。でも、出場した全ての若者たちを祝福したい。それにしても上位10位までのシード権というのは厳しいものだ。今年10位と11位の差がたった2秒でシード落ちした大学があった。来年は予選会を通過しないと出場できない。でも、この厳しさが箱根駅伝の魅力の一つでもあり、また大学駅伝の質を維持向上させてきたのかもしれない。
私もグランド・サンが中学1年生で時全国中学校駅伝大会に出場した時はバババカ丸出しに都大路、箱根を夢見た。が、彼の本命はバスケットだったのでとうにあきらめた。今は「バスケをとことんやりたい」と寮生活を送る彼にエールを送っている。
暮れからお正月にかけて塩野七生さんの『日本人へ』リーダー篇と国家と歴史篇2冊(文春新書)を読んだ。彼女の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』(1970年刊・新潮社)を読んで以来、出版される著書にはずっと注目してきた。また、ローマ史の研鐕とそれをバックボーンにして語る言葉には重みがある。かつて山本七平さんがそうであったように、私にとっては考え方が異なっても傾聴に値すると思われる数少ない人の一人だ。
□■□2011年1月2日(日)
多古町の実家へ行く。ここ十年余り、自分で作る正月料理といえばお雑煮と2,3品くらい。まともな正月料理は実家にきょうだいが集まり、弟のつれあいの手の込んだ料理をいただく。このところ実感するのは、近年みんなの酒量が目立って減ってきていること。よる歳なみのせいかしら。10年くらい前はビールで始まり、好みで日本酒、焼酎、ウイスキー、ワインに移り、喉がかわいたからビール・・・などといった飲み方だったのに、今日もビールと弟手造りのゆず焼酎でみんなそれから先に進まず、アルコールは終わり。私が持参した日本酒の「多古舞」も、みんなでちょっと味見した後は3月1日には94歳の誕生日を迎える父が小さなグラスで一杯飲んだだけ。放送中の大学駅伝その他世間話などのおしゃべりと料理を楽しみながらの新年初顔合わせだった。
食事の後、妹と実家近くの丸山神社に初詣。田んぼの中におわんを伏せたような形の海抜30数メートルの山で、3つの鳥井と石段を登ると眼下に栗山川が蛇行して流れ四方を見渡すことができる。集落の人たちがここに「神」を祀った気持ちがわかるような気がする。亡き母と最後にお参りした時のことや、こどもたちだけの行事だった天神講ではみんなで作ったご飯などお供え物をもって南の斜面に祀られていた天神様に来たよね・・・などと思い出話をしながら、樹木たちの放つ清々しい空気を吸って戻る。
高齢で最近は犬小屋の中で過ごすことが多いというシロが、今日は暖かかったせいかセーターを着込んで外に出ていた。〝すべて世は事もなし〞といった、のどかな一日だった。
●社を取り囲む樹木たちの姿が時の流れを物語っているようだ。私がこどもの頃、どんな理由かわからないが山の木の多くを伐採したことがあったが、社の周囲の木だけは残された。ここに限らず神社のあるところなどにはこのような巨木というか古木というか大木というか・・・そんな木が残っているのは嬉しい。その周囲には木を見上げる先祖たちの息使いが漂っているような気がする。
□■□2011年1月1日(土)
謹賀新年