□■□2010年12月31日(金)
今日で2010年も終わり。現代社会は、太陽暦とキリスト教がいっしょになった暦が世界標準になって動いている。ふだんはあまり気にしないで暮らしているがいざとなると・・・私の頭の中は西暦で動いているのだが公文書は元号なのでまどろっこしい。「歴史学」では明治以前の歴史は基本的に西暦で学ぶが、明治以降の天皇制国家になって元号使用が強化されてからというもの、過去を振り返る時に元号がパッと出てこないので西暦との対照表つくっている。昭和の時は西暦から25を引けばよかったが、それ以外はもうダメ。普段は西暦、公文書その他必要に応じて元号か新聞なみに西暦のあとにカッコをつけて元号を入れるようにしている。早く公文書を西暦に統一してほしいんだけど。
ところで昨日のTV番組で、古代マヤでは3つの暦が歯車のように噛み合って時が流れ、2012年12月21日にはその13回目の〝バクトゥン〞の終わり、5200年を迎えるという。〝長期暦〞(3つの暦の1つ)には、その先がない。そこで、この世の終わりを予言しているのはないかと真面目に考えている人たちもいるようだ。
人間が考える〝世界の広さ〞は交通手段の発達段階によって異なる。古代の人々にとっての世界の終わりという、その〝世界〞とは、徒歩で彼らが理解できる範囲(と、祖先たちの物語)だから、現代人が考える地球規模というのではない。ノアの方舟(はこぶね)みたいなものだ。チグリス・ユーフラテス川の未曾有の洪水の記憶が語り伝えられ、ヘブライ語聖書の創世記に採用されたのだと思う。
古代マヤの人々にとって最も恐れたのは干ばつ。襲いくる飢餓の中でその地を捨て、新天地を求め密林の中で移動を繰り返したのだろう。天体の運行と密接に結びついた精緻な3つの暦は、見渡す限りの密林の中での自分たちの位置と、時をおいて繰り返し襲ってくる死活的干ばつを予知するための備えだったのではないかしら。
ヘブライ語聖書に由来するキリスト教の「ハルマゲドン」も、そこから生まれた「ノストラダムスの大予言」も、アメリカ大陸に辿りついて広がった人類の子孫たちが残した「2012年」も、考えてみれば私たち人類への戒めだと思えばよい。目先の地球温暖化だって、もとはといえば人間の仕業。地球歴では寒冷化に向かう中でのあだ花みたいなものでしょ。目ざめよ!だ。
今年最後にちょっとイヤ~な気分になったこと。それは、朝日新聞が一面トップで昨日は「中国軍が離島上陸計画―東シナ海領土交渉の圧力に」、今日は「弾道ミサイル防衛用ソフトー日米共同開発が頓挫―第三国への輸出で溝」といった軍事関連記事を掲載したこと。イタチの最後っ屁みたいな記事ならまだしも、こうして一面トップで扱うことに強烈な違和感。なんだ、また国民への刷りこみが始まったのか。そのうち排外主義的国威発揚記事を載せ始めるのではないかという危惧。私がもの心ついた時からそばにあり、自己形成の一部と思ってきた朝日新聞の、終わりの始まりにならないよう願う。
とにもかくにも性懲りもなく、というかパンドラが好奇心から我慢できずに開けてしまった箱から飛び出す災忌たちに驚き、慌てて閉じた箱の中にただ一つ残った〝希望〞を忘れず、良き新年でありますように。
□■□2010年12月30日(木)
驚いた。畑の作物や樹木の樹皮を喰い荒らすイノシシやシカの駆除にオオカミを放つ計画が検討されているという。今日の千葉県里山シンポジウムsatochibaメーリングから。
シカやイノシシの食害に悩む大分県豊後大野市に対し、「日本オオカミ協会」という団体が提案。ニホンオオカミは乱獲などで100年ほど前に絶滅したので、ニホンオオカミの亜種ハイイロオオカミを中国やロシアから輸入することを勧めているらしい。米イエローストーン国立公園で効果があったようだ。
しかし、専門家の中からは生態系の崩壊、人や家畜が襲われる危険など懸念されているという声も。確かに、広大なイエローストーンの自然環境と異なり、日本の中山間農地の環境から見ればオオカミと背中合わせに暮らすことになる。
「オオカミは捕食効果が大きい、習性上人を襲うことはまずない」といっても、いつそのバランスが崩れるか保障はない。目先の食害に追われて、長期にわたる生態系の保全がおろそかになってはとりかえしがつかない。
野生の生き物たちの置かれた環境は人間の経済活動の結果。オオカミだって、絶滅させておいて1世紀を経て今度は外国から連れて来ようとしている。もし効を奏して今度はオオカミが増え、人家周辺に出没するようになったらまた駆除かい?腹が立つほどムシのいい話だ。共生を第一に、慎重な対策をすべきだ。
同じく今日のsatochibaで、野鳥をウオッチングしている人から。国内各所で渡り鳥の鳥インフルが報道されているけれど、関係筋の意見としては「爆発的で脅威」といった見方はないという。野生動物はとても強く、簡単に鳥インフルにはつかまらないそうだ。
むしろ、鳥インフルは身動きできない状況で大量飼育されているブロイラーに特有の病気かもしれないという。多くの鶏がストレスを感じている。EUでは禽舎での飼育を実質的に禁止する方針を打ち出しているそうだ。初耳。生き物たちには生きることを楽しむ権利がある、という言葉がとても新鮮で、同感。
□■□2010年12月28日(火)
用事があって市役所に行ったら、行政棟と議会棟の入り口に門松が飾られてすっかりお正月の雰囲気。どこの自治体でも飾っているのかしら。
読売新聞に「子宮頸がんワクチンで副作用、失神多発」という短い記事があった。厚生労働省の子宮頸がんワクチン接種に関する初めての調査。私が12月議会で「ワクチンに頼るのではなく、性教育の充実とがん検診率の向上を」と一般質問をした時点では、まだ厚労省による子宮頸がんワクチンに関する副反応の報告は出ていなかったので興味深く読んだ。
記事によると、昨年12月から接種が始まった子宮頸がんワクチン、推計約40万人が接種を受け10月末現在副作用の報告は81人。最多が失神・意識消失21件失神、失神寸前2件、発熱11件、注射痕の痛み9件、頭痛7件など。
接種者のほとんどが思春期の女子で、このワクチン特有の強い痛みにショックを受け、自律神経のバランスが崩れるのが原因ではないかとみられているようだ。失神して転倒、負傷した例もあるという。厚労省は「痛みを知った上で接種を受け、30分程度は医療機関にとどまって様子をみるなど注意してほしい」と呼びかけているとか。
子宮頸がんワクチンは「処女のワクチン」と言われるように、男性との性交渉を経験する前の女子に接種しないと効果がない。性行動が低年齢化してきていることにふまえ、成田市でもワクチン接種の補助対象は小学校5年生~中学3年生までだ。
それにしても、今年4月から県内で初めて半額補助に踏み切った成田市で補助を申請したのは100人余りずだったのに、もう全国で40万人もの接種者がいるとは驚き。
宣伝がすごい。今日の朝日新聞にも子宮頸がん対策と銘打って日本で唯一認可されている英国製薬会社の名前入りの大きな啓発広告が掲載されていた。学校を通して保護者に配る啓発リーフレットも、裏には同社名入り。莫大な宣伝費だ。国も先の臨時国会で女子へのワクチン接種半額補助を決めた。
ワクチン接種を否定するものではない。しかし、インフルワクチン同様「どちらかといえば接種しておいたほうがよいだろう」(ウイルスの型が違えば効果なし)といったレベルのワクチン。副作用も、今回は「失神」例が公表されたがまだよくわかっていない。同社のワクチンはありふれたウイルスといわれるヒトパピローマウイルスのうち、発がん性があるといわれる15種類ののうち2種に、しかも限定的な効果だというのに、この間の国(や自治体)と製薬業界一体となった宣伝をみていると、ウイルス対応のワクチンで子宮頸がんそのものを予防できるような錯覚を国民に与えているのではないか。
27日付け配信されたtanakanewsでは「朝鮮半島の緊張は山を越えた?」。田中宇さんが毎日何十本か読むという政治経済に関する英文情報の中からの分析結果。それによると、ここ1週間ほどの米国・韓国・北朝鮮・中国の動向を注視すると、「60年間停戦状態にあった朝鮮戦争が再燃するかもしれない」という緊張感は峠を越えのではないかと感じているとのこと。朝鮮半島を再び戦場にしてはいけない。そうあってほしいと切に願う。
どうしてそのような分析にいたったか、内容をかいつまんでみると・・・
〝やる気満々〞をアピールしていた韓国の20日の軍事演習に、北朝鮮は「報復に値しない」というコメントを発しただけだった。米高官は中国の抑止が効を奏したのではないかと言っている。20日の安保理では北朝鮮のみ非難する米国と、ケンカ両成敗の中露が折り合わなかったが中国も北朝鮮も結果に一定の満足を示した。同日北から信頼されているビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事が平壌訪問、北朝鮮からIAEAの核施設査察を受け入れる意向を引きだした。中国はこれを支持、峠を越えたと言う認識をもつにいたった。
韓国が史上最大規模という23日の軍事演習(海域)に北朝鮮はほとんど反応なし。米国は韓国軍が分界線ギリギリで繰り返す軍事演習をやめさせなかったが、米国の有力誌は半島が戦争になったら避難民の保護などで中国軍の助けが必要になるという見方。オバマも半島の緊張緩和には中国の協力は不可欠と言っている。また、韓国には米国から多額の投資が入っており、米国が韓国経済を戦争で自滅させることは考えにくい。
米国の産軍複合体が戦争を誘発することはありうる。が、米国が半島を戦争にしたら中国は他の非米・反米諸国と結託して全力でドルと米国債を潰しにかかり、経済面で米国の覇権を崩壊させるだろう。それは中国にとってリーマンショック前に比べて格段に簡単になっている。
26日には韓国国防相が年末発表の国防白書の中で北朝鮮を「主敵」と呼ぶ表現を避けることを発表。
半島が戦争寸前だというのに27日、中国は北朝鮮と高速道路や鉄道建設の協約を締結。北朝鮮を一番よく知っているのは中国。半島が戦争寸前の状態ではないこと、北の政治体制が崩壊寸前ではないこと、金体制のもとで経済自由化の流れが生きているようだ・・・。
こうした分析を読みながらこの間の日本の対応をふりかえると、米国に従属した外交の限界を感じるのは私だけかしら。
□■□2010年12月27日(月)
昨日の市長選挙は投票率40.96%で、過去ワースト2だったようだ。最低は市制が施行された1954年の32.38%。確定得票数は現職の小泉さんが31,630票、湯浅さんが9,361票。22,269票の大差で小泉さんが当選した。
前回も1万票くらいの差があったように記憶している。現職有利もあるが、市民の間には「実行力」を強調する湯浅さんと、〝ハコモノ行政〞批判や市民税10%減税といった彼の公約の間にギャップを感じていたのではないか。
私と湯浅さんは市議一期目の同期。年齢も1つか2つ若い。小林元市長は4度チャレンジして市長になったが、彼自身が言っていた「負けた気がしない」くらいの差だった。だから、次こそは、という気持ちで挑戦し続けたのだろう。この大差を湯浅さんはどう分析しているかしら、おおきなお世話かもしれないけれど。
他の自治体の12月議会も終了。その断片が新聞記事となるのを読むのは興味深い。ちなみに成田市議会関係では、JR成田駅前再開発関連の「請願」に賛成した議員は4人(私もそのうちの1人)だったことと合わせて閉会記事が掲載された。
佐倉市議会では市長提案の「自治基本条例」案を「拙速」だと言って否決したという。自治基本条例は成田市でも準備中。私は12月議会でも協議機関に応募した市民は全員参加できるようにしてほしいと一般質問(質問内容はホームページの〝議会レポート〞参照)した。
自治基本条例はまちの「かたち」を決めるもの。時間がかかってもより多くの市民が策定プロセスに参加し、その声を集約して条例に反映できるようにするというのが私の考え。佐倉市議会が否決にいたったいきさつの詳細はまだ聞いていないが、政治的な思惑からでない限り、議会が否決したことの意味は重いと思う。策定を目指す成田市はもって他山の石とすべし。
山武市議会は市長(執行部)の反問権を盛り込んだ議会会議規則の一部改正に関する議員発議案を可決したと言う。記事によれば、反問権を採用した議会は全国に137自治体(条例・会議規則93、要綱・申し合わせ44)あるらしい。
県内では流山市、長生村、栄町、神崎町が導入しているようだ。成田市でも来年4月改選後には議会基本条例の制定にむけた動きが始まるだろう。執行部の反問権が入るかな?
反問権で思い出したが、そんな言葉がまだ生まれていなかった私は議員になって一度市長から「反問」されたことがある。1999年3月議会のこと。当時一般質問は60分以内で質問回数3回まで。
(足立の1回目質問趣旨)小川市長は「選挙で選ばれる市長は退職金はもらうべきではないと考える」と、著書で述べている。議会の委員会でも「もらわない」と言っている。いまどう考えるか。任期満了とともに退職金が支給されるが、どう扱うか。
(小川市長答弁趣旨)現在ももらうべきではないと思っているが、条例上辞退できないので、いったん受け取り、将来公職に立候補しなくなったら公益のためにどう遣うか考えたい」
(足立の再質問)受け取れば市長の政治信条や公約に反するし、県市町村総合事務組合退職手当条例に放棄事項がないので、辞退すれば公選法199条2項違反となる。就任後4年間、条例改正など、どのような働きかけをしてきたのか」
(これに対し市長が質問と関係ないことを答弁をしたため、足立が再々質問。すると・・・)
(小川市長)「私はこれまで公益のために仕事をしてきた。足立議員は公益のために何をしてきたか教えてほしい」と、逆質問された。
市長支持者から「ケーブルテレビが入っていなくてよかった」という声もあった。当時CATVから度重なる取材要請があっても議会が断っていた。ま、興味のある人は1999年3月議会の議事録を参照。
私は「活発な論戦」のために「反問権」賛成。ただし、事前のうんざりするほど念入りな打ち合わせで、「ここで『反問』しますから」な~んてことのないように。
□■□2010年12月25日(土)
部屋にいたら市長選の選挙カーがまわっているらしく、ウグイスの声が聞こえてきた。騒々しい音でもあるが、明日の投票日を前にやっと〝選挙〞の雰囲気を感じた。私は先日期日前投票をしてきたが、投票率が気になる。
年が明けると来春の県議選、市議選に向けた駅立ち、辻立ちも始まるだろう。近年の有権者の投票行動をみていると、名前を染め抜いた桃太郎旗を持って〝露出〞することが候補者にプラスになることは選挙で実証済み。駅では顔なじみになったり、「よく頑張っている、エライ」と思ってくれるようだ。
告示期間以外そういうことをしたことのない私にさえ「一緒に立ってあげるからやりなさい!」とハッパをかけてくれる人も・・・。
先日「小泉・湯浅両候補で成田にカジノはノーと言える候補はどちら?」という電話をもらった。ギャンブル依存症から回復した家族をもつ市民だった。
その時の話が耳に残っている今日、橋下大阪府知事が収益の8割が中国の富裕というマカオの最高級カジノ施設を視察し、「カジノは日本経済の切り札。これはもういくしかないでしょう」と絶賛、意を強くしたという報道を読んだ。もともと彼はカジノ誘致論者。
カジノ解禁には法の改正が必要。手っ取り早くやる場合は「特区」指定を受けるという方法もあるようだ。しかし、解禁するとなると同じようなゲーム機を使っている遊戯施設や、店内では換金できないパチンコなど、関連法の改正もでてくる。
千葉県のプロジェクトチームもカジノ設置に向けて舵を切った。過去に成田空港周辺という新聞報道があったので9月議会の一般質問で市の考えを聞いたことがある。漠然とした答弁だったが、それによると「空港周辺」の範囲は成田市に限らないというような言い回しだった。
カジノが単独でポツンと建てられることはない。ほかの娯楽施設などが必要となってくる。成田市内を見回すとウイング土屋周辺がそれらしい条件を備えているが、別の場所だとカジノ+αづくりが必要になる。
いずれにしても、カジノ誘致を騒いでいるのはオモテの話。現実はすでに関西に本拠をもつ日本最大の組織暴力団が裏カジノを仕切っているという。千葉県ははじめ外国人専用カジノというふれこみだったが、いまは日本人も遊べる施設に転換したようだ。カジノが解禁となり、オモテが合法化された時、オモテ・ウラが混在し、パチンコと競合するニッポン・ギャンブル列島が出現する。
成田市がその先駆けとなるか、もし成田市に白羽の矢が立ったら、市長は住民投票で民意を問うべきだ。どんなまちをつくりたいか、こどもたちにどんな未来を残したいか、決めるのはまちづくりの主人公である市民だと思う。
□■□2010年12月24日(金)
生活クラブのデポーに注文しておいたシュトーレンを引き取りに行く。この時期には、ずいぶん前からドイツのクリスマスのお菓子シュトーレンを注文している。ドイツではクリスマスの4週間前の降臨節(アドベント)にシュトーレンとロウソク4本を用意し、ロウソクは1週間ごとに1本ずつ灯して徐々に明るくし、シュトーレンは毎日食事のあとに少しずつ食べていくそうだ。クリスマスを迎える時には4本のロウソクはみんな灯されて明るさを増し、逆にシュトーレンは食べきる。
今は年中販売されているようだが、もとはいといえばクリスマスの時にしか作られなかったお菓子とか。私が注文するシュトーレンは、太目の棒状で全体を粉砂糖で包み、中にはレーズン、プルーン、クランベリー、アーモンドペーストなどが入り、シナモンの風味がする。これからお正月までの間朝の紅茶といっしょに食べる。
お店で肉のコーナーをのぞいていたら、羽根をむしったニワトリ1羽を引き取りに来たひとがいて、思わず声をかけてしまった。だって、日本では丸ごと焼く人はあまりいないんじゃない?その方の話では、中に詰めるのは主にネギで、全体は塩と胡椒で味付けするんですって。そして、今日はお子さんの誕生日でもあるらしい。
お母さんがせっせと作ってくれる手料理で育つ子は、きっとそのお料理に込めた愛情を心の糧にしていくことだろう。
□■□2010年12月23日(木)
タップダンサー、コメディエンヌ・ダンサー、ミュージカル女優、ミュージシャン、ベーシスト、ピアニスト、そしてエンターテイナーの7名が登場するタップダンス・コメディショーを国際文化会館で観た。演じるのはチーム「TAP DO!」。主催はNPO法人子どもプラザ成田。楽しいステージだった。タップダンスやパーカッション、アッと驚くような大道芸、短編芝居がユーモアたっぷり、リズミカルに展開された60分だった。さすが子どもプラザに集う親子、楽しみ方を知っている。ステージと一体になって盛り上がっていた。
成田市にいてもこうして実際に「舞台」を観る機会があるのは嬉しい。できるだけ多くの子どもたちにそうした機会があるといい。舞台に集中する子どもたちの表情をみていると、テレビやゲームとは異なる好奇心にあふれている。私などは、そうした子どもたちを見ているだけでも楽しい。
多くの人にとって、ナマの舞台を観た経験は人生の記憶に刻まれる。私の数えられるほど少ない体験でも、幼いころ農閑期に訪れた旅回り一座の剣劇や人情話から始まって、学校の講堂で観たクラシックバレエ、新劇、そして能楽にふれた・・・その時々の非日常的な刺激を今も忘れない。芸術性に乏しいわが人生に照らしてみても、そうした子ども時代の体験は大事なことだったと思う。
今夜の私は、アイルランド民謡にあわせて3人の女性が躍るタップダンスにため息が出た。北国の深い森に棲む妖精のようでホントに美しか~。
充実したプログラムを楽しんで外に出たら、東から大きな月が昇り始めたところだった。専門家は目の錯覚だというけれど、やっぱり、太陽も月も登るときと沈む時はゼッタイに大きく見えるよね。
□■□2010年12月22日(水)
冬至。このところ朝は6時半過ぎに山の端から陽の光がさし始め、夕方4時半には沈んでしまう日々だった。これからはまた陽射しが戻ってくると思うと心が軽くなる。生命の遺伝子にインプットされた太陽への反応かしら?或いは人類創生以来の動物的直観かしら?な~んていうと、またまた大げさな・・・と笑われてしまいそう。でも、自然に生かされていることを実感する瞬間、人はみな謙虚な気持ちになると思う。
今日は穏やかに晴れて、千葉では気温も17度を記録し、冬至では記録上50年ぶりの暖かさだったようだ。昨夜の雨で乾燥した大地も潤い、寒く暗い冬至のイメージを追い払い、思いがけないプレゼントをもらったような嬉しい一日だった。
何度かメールや資料を交換した山口県の「萩・福栄 水と命を守る会」から要請があり、環境対策課へ。1月下旬に成田市内の安定型産業廃棄物最終処分場見学を計画していて、その際成田市に協力をお願いしたいということなので、仲介した。
萩市では、同じ業者が成田市の処分場の5~10倍大きな管理型産業廃棄物最終処分場計画が持ち上がっていて、議会にも特別委員会が設置され、地域ぐるみの反対運動が起こっているようだ。萩市行政・議会・住民団体の視察団?が市内の処分場と周辺を見学したいとのこと。担当課からの手続きについての提案を「水と命を守る会」に伝える。
□■□2010年12月20日(月)
また、0歳児保育の相談を受けた。2人で働いて生計をたてなければならない若いカップルにとって、保育は急務なのだが受け入れ態勢がついていけない状況が成田市にもある。待機するこどもが50人ともなると、子育ても仕事もという若いカップルには深刻な事態だと思う。3人の乳幼児を育てるカップルのお父さんの訴えや、その後担当部長・担当職員の話を聞きながら、頭をかかえてしまった。
政府は子ども手当から給食費と保育費を天引きできる仕組みの検討を始めたようだ。給食費は事前に保護者と同意文書を交わすことが前提で、保育料は自動的に天引きするといった案。
男女共同参画社会を実現していくには、「現金給付」よりも、保育料や給食費を無料にし、こどもたちの良好な養育環境と学校での食が保障され、男女が仕事を分かち合える制度をつくっていくべきだと思っている。それが、少子高齢化を乗り切るキーワードの一つでもある。そうした社会制度のグランドデザインを前提にした制度設計の前に、選挙目当てで現金をバラまき、あとから天引きというお粗末なことになる。いったん配られた現金手当への既得権を侵害されたような気分になるのではないかしら。
来年4月の市議選に向けて、これまで5回の選挙を支えてくれた人たちと話し合った。地域主権を実現していくために議会も大きく変わらなければならない時代になった。その変化の時代に議員としてかかわれることを願い、市議選にチャレンジすることに決めた。
□■□2010年12月19日(日)
成田市の市長選挙が告示された。小泉VS湯浅両氏の一騎打ちのようだ。私のところにも両陣営から「出陣式のご案内」が届いたが、これまで自分の選挙以外、誰かの「出陣式」というのに出たことがない。要するに、そういう政治的な付き合いがないということなのだが。したがって、これまで同様、今回の選挙でどちらが市長になっても議員としての私の立ち位置は変わらない。
鹿児島県阿久根市では市長がリコール住民投票で失職して1月に出直し市長選がおこなわれるが、今日のニュースでは市議会リコール署名も必要数を上回り、順調にいけば2月には議会解散の賛否を問う住民投票が実施されるという。一見、市長派VS反市長派の争いの様相だが、これを市政の混乱とみるか、地域主権のまちづくりの試練と受け止めるか・・・というと私は後者。
主権者である市民が現行制度の中で保障された手法を駆使しながら考え、行動しているのだから、いわば民主主義の学校のようなものだろう。おおいにやりなはれ。
□■□2010年12月18日(土)
母の命日で弟夫婦や妹と実家近くの猪森台に墓参り。イノシシが出没した大昔から生えていたような十数本の椎の木の間から、おだやかな冬の陽射しがさしこんで清々しい。
ある時考古学の発掘をしていた人から「墓地というのは人が永遠の眠りにつくところだから、その土地で一番良い場所が選ばれる」と聞いた。以来、この高台を墓地に定めた先祖たちは眼下に湿地帯(今はぜ~んぶ田んぼ)とその間を蛇行する栗山川を望み、椎の木立に守られて眠りにつくことを願ったのかもしれない。・・・などと勝手に決め込んでいる。こどもの頃は周囲の畑からたくさんの土器のかけらや面白いかたちの石が出ていたから、ずいぶん昔から人が棲みついていたのだろう。
実家のすぐ近くの寺が墓地を分譲している時、近くにお墓を移せば墓参りも便利になるという話があったが、車で3分くらいだし、ご先祖が決めた墓地にお参りしようと、私たちきょうだいは思っている。私自身は「千の風になって」という歌のように、墓地に眠ろうとは思っていないけれど。
マヤの暦に端を発する「2012年問題」に興味をもつ妹がふと「ここは津波がきても大丈夫そうね」と言った。でも・・・ここは海抜30数メートルくらいだから、地球がひっくりかえるような天変地異では無理なんじゃない?
来年は墓地のそばの畑にルバーブを植えようと思う。もっちろん、ジャム作り。今年JA富里のお店で売られていたのを買ってジャムを作ったら、好評だった。
レンタルショップで借りたドイツ映画「バーダー・マインホフ~理想の果てに」を観る。当時も今も、私は社会を変えるために機関銃をぶっ放し爆弾を仕掛けてバクハツさせるような武装闘争にはついていけん。
語る言葉も若さゆえに教条的。当時自分が使っていたの言葉と重ね合わせ、いたたまれないような恥ずかしい気分になった。でも・・・人間の社会には彼らのような若者が登場する要因があるし、これからもその可能性をはらんでいる。
貧困、搾取、差別、戦争などがある限り、手段を問わずバーダーやマインホフに続く者はいつでも現れるだろう。「基本的人権」も先人たちが理想を求め血を流して闘いとったもの。そして、奪われないように闘い続けなければならないものなのだということを肝に銘じたい。
□■□2010年12月17日(金)
都市計画審議会。提案されたのは1号議案成田都市計画地区の(市)決定について、2号議案まちづくり交付金事業の事後報告についての2件で、1号は可決、2号は諮問なので承認された。
都市計画地区に決定されたのはR51沿いの東町と花崎町にかかる旧ジャスコ跡地1.6ha。イオンマークのついた大型ショッピングセンターが計画されているようだ。旧ダイエー跡地では病院の基礎工事が始まっているので、再びあの場所に活気が戻ることになる。
まちづくり交付金事業の対象は、はなの木台を含む公津西地区の整備。主に社会資本整備関係に充てる交付金なのだが、なんかヘンな交付金事業だと思っていたけれど、やっとその中身がわかった。バブルがはじけた1990年代を中心に、国は補助金を用意して自治体に単独事業をやらせた。多くの自治体が借金漬けの財政危機に陥った原因の一つがこれ。国の補助がつくからと、いろんな公共事業に手をだした。そして、首が回らなくなった。
このまちづくり交付金事業って、衣を変えても中味は似たり寄ったりの事業ではないかしら。多くの自治体はいま財政難で新たな事業に手を出せないでいるけれど、成田市は多少余裕があるから国からの誘いもあるんじゃないかしら。別にそこまで・・・と思われるようなところに手の付け方をしないよう願いたい。ま、事後評価システムが導入されたのは良い。
今年最後の産直野菜ケースが届いた。中味は人参、里芋、大根、ゴボウ、ほうれん草、京菜、チンゲン菜、きさらぎ菜、カブと、にぎやか。葉物類が見事。農家の加代子さんによれば、去年全滅だったゴボウ、今年こそはと草取り、根切り虫、アブラムシ退治に精をだしたのの猛暑にたたられ、あきらめかけていたら秋になって復活、生命のたくましさを見せてくれたという。私もゴボウの力を有難くいただきま~す!
□■□2010年12月16日(木)
「歴史と今を語り合う女性の会」忘年会。例会は毎月第4木曜日の10時から中央公民館で開いているが、今日はボンベルタの中華料理店のお座敷で15人、お昼を食べながら楽しいひとときを過ごした。予定時間を前後して集まった人たちから話が盛り上がってしまったので、会長さんから「お話はいったん中断してお食事を注文してくださ~い!」と促される。それからメニュとにらめっこして全員のオーダーが終わるまでがそれなりの時間。忘年会(暑気払いも)といっても、「女性の会」の場合は「ご予算」やお酒が入るわけでなく、それぞれ好きなものを注文してあとは食べながら2時間余り語り合う。
おばあちゃん、ママと親子3代で参加してくれた1歳半のるなちゃんがみんなの心をなごませ、喜ばせてくれた。まだママのお腹にいる時からなので、私たちも会のたびに成長を目の当たりにできて嬉しい。こどもが1人いるとそれだけでみんなが笑顔になる。私なども普段使わない顔の筋肉がゆるんでくる!「女性の会」には、同じように妊娠中に会員になり、出産後も赤ちゃんを連れて参加、幼稚園や小学校に通うようになってからは1人で参加の会員さんもいて、世代を超えて女性が語り合える会の良さかしら。
□■□2010年12月15日(水)
名古屋市議会リコール請求署名に関する市選管の一連の姿勢に腹をたてていたら、なんと再審査の結果「一転、住民投票へ」。選管に無効とされた署名人3万2千人が異議申し立てを行い、無効から有効に変わった数がリコール住民投票に必要な36万5795人を超えたという。
河村市長への評価はさておき、行政監視、議会監視などを通して政治参加⇒市民自治へと足を踏み出した名古屋市民の意思・情熱に心から拍手を送りたい。
同時に名古屋市選管の署名への姿勢をとおして、地方自治法の問題点も浮かび上がってきた。現在片山総務大臣のもとで改正法案提出の準備中だが、自治法の抜本改正や、選管の姿勢を正さない限り、地域主権・住民自治は実現しないだろう。
朝日夕刊の〝人脈記〞に奥地圭子さんとNPO法人東京シューレのことが取り上げられていた。こどもたちの「不登校」問題に対して奥地さんが果たしてきた社会的役割はとても大きい。
登校拒否という言葉が不登校に変わり、1992年文部省(当時)有識者会議はそれまで登校拒否は精神的な疾患があるか親の育て方が問題、とされてきたものを「誰にでも起こりうる」とする報告書をまとめた。
私も議会ではこどもの立場に立って不登校問題をとりあげてきたが、この報告書以降、教育委員会の対応が少しずつ変わっていったと思う。それでも、不登校問題の〝解決〞はこどもを学校に行けるように変えることだという姿勢は変わらない。日本の教育制度の限界かもしれない。
こうした中で、奥地さんは一貫してこどもの立場に身を置き、こどもの権利を擁護し、こどもの居場所づくりに東奔西走してきた。親だけでなく、どれだけ多くの人が奥地さんの言葉に耳を傾けたことか・・・私もその一人。
□■□2010年12月14日(火)
定例会最終日。執行部から提案された議案はすべて原案どおり可決された。修正も、新聞種になる紛糾や否決もなく、「すべて原案どおり可決」・・・というのは成田市議会最終日の〝儀式〞みたいなもの。行政にとっては「本当にいい議会」。
私の記憶をたどると、議会が議案を否決したのは2003年(平成15年)3月議会の利根川から太平洋まで2市8町1村(だったかな?)による空港圏大合併の協議会設置議案くらいかな。で、当時の市長は〝やってられないヨ〞と思ったのかどうか、辞職しちゃった。
全て終了後、試行中の議場コンサート(2回目)が開催され、今年千葉県で金賞を受賞したという中台中学校ブラスバンド部の演奏を楽しんだ。関係者のほか、始まる前には市役所を訪れている人にも庁内アナウンスで案内があり、いつもは堅苦しい議場にこどもたちのブラスや歌声が響いた。
私は、ハンドベルの「ホワイト・クリスマス」に心を奪われた。し~んと静まった議場にハンドベルの音色だけがまるで天空からふりそそぐようだった。
□■□2010年12月13日(月)
ハワイの修学旅行から帰ってきたグランドサンをめぐり、グランマ同士電話で孫自慢をした。とはいえ、一緒に暮らす京都のグランマには情報量で勝てっこない。母系論者の私にとって唯一の強みは〝私の娘が産んだ子〞くらいかしら、とほほ・・・だ。
それにしても、〝修学旅行〞でハワイというのはなんかピンとこない。孫も「おばあちゃん、ボクは沖縄くらいでいいと思うんだけど」と言っていたようだ。そういえば、10月19~21日新清掃工場整備特別委員会の視察で沖縄へ行った時、かの地は修学旅行シーズン。空港などでたくさんの高校生たちと遭遇した。で、彼にその感想と沖縄の歴史と今をメールしたっけ。憶えていてくれたかな?
でも初めて外国を経験し、ずいぶん刺激になったようだ。高校の寮で暮らすようになって、「山を一つ越えただけなのに空気が違う、人も違う」と言っていた。今回は太平洋を飛んで外国へ行った。もっと違う何かを感じてきたと思う。
〝百聞は一見に如かず〞を何度も経験した成田のババは、ハワイから更に世界の国々へと、飛び出してほしいと願う。でも、あとで娘から「お母さんがそんなことを言うとプレッシャーを感じるかもよ」と、注意された。そーかい?
□■□2010年12月11日(土)
「師走」という言葉には不似合いな南風が吹いて暖かい一日だった。昨日知人からいただいた濃い紅色に白い縁取りが見事なシクラメンを箱から出して仕事部屋に置いたら、殺風景な室内のそこだけがゴージャス!おかげでるんるん・・・デスクワークがはかどった。
それと今日は我が家で今年最後に咲いた一輪のバラの花がひときわ強い香りを放っていた。南風が植物の本能をくすぐったのかしら、それとも散り際のひと時かしら、これまで鼻をつけてクンクン嗅いでもあまり香りを感じなかったのに。外出する時ドアを開けたらふわ~っと甘い香りが漂ってきた。落ちた花びらもいい匂い。ブルガリアのバラの谷、バラ摘みの季節はきっとこんな香りに包まれるのでしょうね・・・。
花びらがこぼれはじめた最後の一輪・・・
□■□2010年12月10日(金)
ニュータウン赤坂センター地区振興検討協議会が開かれ、現状と今後について話し合われた。
千葉県企業庁の説明ではセンタービルほか2棟解体の進捗状況は6割弱とのこと。来年3月末の引き渡しに変更はないようだ。更地になった段階で1ヘクタールを成田市が購入する予定。購入後は、公民館や図書館利用者用の駐車場として整備される。その後の利用方法は、総合計画審議会を傍聴した際「日記」にも記したが、次期5ヵ年計画案によれば計画最後の年度(平成27年度)の基本構想を待つことになる。その際、策定するプロセスの中では当然のことながらパブコメなどさらに幅広い市民の声を聴くことになるだろう。
ところで、以前センタービルの解体状況を写真付きで「日記」に書いたが、そこで使用されている腕のなが~い工事機械は日本に3台しかないものですって!ビル解体にあたって周囲への影響を抑えるために細心の技術が採用されているようだ。
朝日夕刊を読んでいたら、縄文農耕が証明されるかもしれないという期待を持たせた京都・上里遺跡の出土品の分析結果がまとまったという記事。2001年~09年の調査で縄文晩期の溝の遺構からコメが19個、マメ、どんぐり類がみつかったという。日本にコメの野生種はなかったというのがこれまでの定説なので農耕がはじまっていた!?と期待されたが、栽培種は確認できず、コメは弥生時代のものだったらしい。マメ類は野生種か栽培種の判断がつかなかったらしい。
ゆるやかな定住をくりかえしながら狩猟採集生活を送っていた縄文人は、狩猟のほかに周囲の水辺の魚介類や植物を採取して食料の一部にしていたのだろう。飢えと隣合わせだった時代のいつ、どこで栽培=農耕が始まったか・・・研究者の想像力や努力の一端にふれて胸が躍った。
□■□2010年12月10日(木)
総務常任委員会。これで12月定例会の委員会審査はすべて終わり、最終日14日を残すだけとなった。
そして市長選挙が19日告示、26日投開票となる。前回の1月選挙は12月に現職市長逮捕―辞職による出なおし選挙でドタバタの続きだったからなりゆきみたいな感じだったが、今回この時期の市長選挙って、あまりイメージがわかない。盛り上がりも感じない。まぁ、私にとって市長選挙は有権者として投票するだけの関わりしかないのでそんなふうに思うだけかしら。ともかく、成田市の「代表」を選ぶ選挙なのだから候補の主張に耳を傾け、投票所に行ってほしい。
全国的に「首長」選挙はだいたい投票率が低い。30%~50%の間が多いのではないかしら。30%以下というのもチラホラ。こういう現実を放置したままでおくのは民主主義の政治制度にとってはよくない。議会議員選挙と一緒にやるか、最近威勢のいい首長がいるけれど二元代表のどちらを残すかといったらまず議会、二元代表制を廃止して議会の中から市長を選ぶとか、議会がシティマネージャーを雇うとか・・・完璧な制度などあろうはずもないが、民主主義先輩国を参考にしながら柔軟に変えていけないものか。
□■□2010年12月8日(水)
新清掃工場整備特別委員会。1時から協議会が開かれ、メーカーから酸素式熱分解直接溶融システムについての技術説明があった。これは、10月に委員会で成田・富里と同じ機種の沖縄中部北清掃組合の美島クリーンセンターを視察した際に入手した情報を確認するためで、わかりやすい説明だった。
その中で、かつて視察したことのある同じ機種の南魚沼清掃工場が、スラグをコンクリートに使用するJIS規格の認証を受けたということを知った。
どの機種のガス化溶融炉も、溶融後排出されるメタルやスラグを有価物として宣伝している。でも私は、メタルは有価物として理解できるがスラグは有害物質も封じ込めた(有害)ごみなので産業廃棄物として扱うべきではないかと思っている。
それはさておき、スラグの用途として路盤材に使ったりコンクリートに混ぜると言われてきたけれど、マンション建設に使用したコンクリートでポップアウト現象が起こって問題になったこともある。酸素式メーカーによれば高品質のスラグが得られるとのことなので、これから実証していくという南魚沼に注目したい。
委員会では新清掃工場建設工事の進捗状況が報告された。工事は3・4・5月の長雨、7・8・9月の猛暑、集中豪雨などで多少影響を受けているものの、23年12月末の完成を目指して順調に進んでいるようだ。
現在、現場では雨水調整池(容量4,700㎥)、工場棟の建築基礎工事・ごみピット地下部分の基礎工事が施行中で、機械工場ではボイラー本体2基、非常用発電機1基が制作中とのこと。
委員会終了後、現地を見学。ごみ搬入路から工場棟を見る。写真後方のクレーンの先、洗濯バサミのようなところが工場棟の高さになる。左奥がごみピットの位置。成田・富里のごみを1週間分溜められるらしい。私の背後のスペースは各種機械類が置かれる。
現場の一部は元谷津田で、その先は荒海川の源流になっているので湿地帯。どこかで水脈にあたったのか、先日雨が降ったからか、ホースから排出される地下水に勢いがあった。
□■□2010年12月7日(火)
経済環境常任委員会を控室でTV傍聴。毎度〝控室TV傍聴〞なんてくどい、ただの〝傍聴〞でいいではないかと思う。でも、以前委員会室で傍聴していた市民が私に「X議員は(委員会室にいなかったのに)傍聴したとホームページに書いていた」と言ったので、仕組みを話したら「なるほど」ということになった。控室にあるテレビの5チャンネルで委員会中継が見られるのだ。知らない人は同様に思うだろうと、くどいようだが書いている。
委員会では農業関係の2つの請願が審査された。「米価下支え」など緊急対策の即時実施については不採択、TPPなど輸入自由化路線見直しについては、国の動向をみるということで継続審査となった。
あれ?と思ったのは請願の紹介議員と賛意を表明した議員2名が、自民党系の「継続審査」に賛成したこと。その時に出た意見は、採択と継続審査なのだから、その2つで採決すべきではなかったのかしら。で、委員会としては賛成多数ということで継続審査になる。・・・と思って後で事務局の担当に聞いたら、「可否を問うわけではないので、いいんです」って。久々の「継続審査」だったので、忘れちゃった。
民間告発サイト「ウィキリークス(WL)」創始者のジュリアン・アサンジュ(ステキな名前!)氏がロンドンの警察に出頭したという。スウェーデンで強姦容疑の逮捕状が出され、ICPOが国際手配していたらしい。でも、WLのスポークスマンは「メディアの自由に対する攻撃」として、今後も公開を進めて行くと言う。
WLによって今年4月から始まったイラク・アフガン戦争関係の情報公開は、ついに史上最大の米国秘密文書暴露に至った。強大な軍事力を背景に世界の一極支配を目指してきた米国を揺るがしている。米国と結託して自国民を欺いてきた各国の政治支配層も戦々恐々としている。日本関係の文書はまだ序の口らしい。これからどんな「外交の秘密」が出てくるかしら。
いずれにしても、これがまさに「情報革命」。聞くところによると、このような秘密外交文書の暴露は1917年のロシア革命以来らしい。全ロシア・ソビエト大会は権力を握った直後の布告で、秘密外交の廃止、秘密条約の破棄を宣言、旧政府が英仏などと交わした秘密外交文書を公開したという。世界の労働者に第一次大戦を終結させる闘いへの決起を呼びかける決定打として。
□■□2010年12月6日(月)
10時~医療問題特別委員会、2時~建設水道常任委員会。控え室でTV傍聴。
医療問題特別委では、市の24時間医療相談ほっとライン事業(健康増進課)の利用状況の報告に興味があった。そもそものスタートは一次救急のコンビニ受診を減らすことが目的(「救急医療の円滑な運営を図る」)だった。今年の5月~9月末で相談件数2,222件、一ヵ月平均444.4件と、幅広く市民の保健・医療の電話相談窓口になっているようだ。
相談内容ベスト5は①気になる身体の症状に関する相談31.6%、②現在受けている治療に関する相談19.7%、③ストレス、メンタルヘルスに関する相談15.3%、④育児に関する相談13.5%、⑤夜間・休日の医療機関案内6.1%。
相談の電話をかけてくる人は30代(857件)、40代(519件)に多く、相談対象は乳幼児に関することが796件で35.8%。相談対象をみると、30代は子育て、40代~60代は私の経験に合わせても加齢による体調の変化が起こる年代・・・自分自身の相談も多い。
ストレスやメンタルヘルスについての相談も多い。カウンセラーが対応してくれる。他と比べて相談時間が長いのは織り込み済みのはず。
なにぶんにも業者委託の事業なので、或る程度継続してみないと全体がみえてこないと思う。が、こうしたきめ細かな市民サービスは、スタートしたことに意味があると思う。
□■□2010年12月5日(日)
先日吹き荒れた強風で落ち葉が山となった。南側の古墳に植えてあるクヌギやコナラの葉だ。落ち葉を黒いビニール袋に入れておくと堆肥ができると聞いていたので試しにやってみた。ホントに腐葉土になるといいけれど。ついでに、ランナーで増えたいちごを移植した。これも農家のおじさんがいちごは12月と春に移植すると言っていた記憶があるから。
不思議なのは、種がこぼれたはずなのにこの時期になってもカモミールの芽が出てこないこと。イタリアンパセリからこぼれた種はたくさん芽をふいてくれたのに。3月に種を蒔いたので花の咲いた時期が遅れたからかしら。ふつうは、放っておいても増えて困るほど元気なハーブ。
今日行われた阿久根市の市長リコール住民投票で竹原市長が失職した。約400票の差だという。竹原さんは1月の出直し市長選に立候補を表明している。失職は2度目。前回も出なおし市長選で当選して市長になった人だ。竹原さんへの市民の評価は真っ二つに分かれているようなので再度選ばれる可能性も大きい。それと、先日は市議会リコール署名も提出されている。一見大混乱の様相だが、外から見ているといろいろ教えられることが多い。そして、行き着くところは二元代表制が制度疲労を起こしている問題が浮き彫りになる。
地方自治法の抜本改正に向けて、11月29日にはパブリックコメントが締め切られた。来年の通常国会には改正法案が提出されるという。日本の民主主義・地方自治を成熟させていくために、国民的な議論を巻き起こしてほしい。
□■□2010年12月3日(金)
10時~空港対策特別委員会。2時~教育民生常任委員会。いつものように会派控室で内職をしながらTV傍聴。内職は、パソコンの中にしまいこんである「まちこの日記」(2006年~)の整理。ホームページから移動して文書の押入れにつっこんだ、といった感じ。しかし、まぁよくためこんだものだ。2006年以前のものはプリントしてから削除してしまった。「日記」は議員活動の記録でもあるので、そのうちホームページからで辿れるようにしようと思う。
夕方、R51を寺台方面に向かうと、成田橋あたりで昨夜から今朝にかけての雨を集めた根木名川が勢いよく流れているのが見えた。なかなかこういう光景にぶつかることはない。ミニコ新聞時代の1986年の夏、利根川との合流点から遡って「最初の一滴」をもとめ、堤防をてくてくきょろきょろ歩いて縦断ルポならぬ道中記を書いたことを思い出した。タイトルは「根木名川16.185キロメートル+源流を探る!」と大風呂敷を広げたが実際はお笑い一人旅。最後は下のイラスト参照。
イラスト・まちこ(1986年7月)
当時の根木名川はまだ改修工事中。東関東自動車道あたりから先は成田と富里の台地から絞られた水を集め、田んぼの中をゆるやかに蛇行する小川。かつては大雨が降ると、水があふれて田んぼが冠水したようだ。
川の名前からして源流は富里の根木名だが、地元の人から「ここが源流」といわれたあたりは宅地化され、かろうじて水を絞り出しているといった状態。それよりもR298手前で合流する三里塚の台地に切り込んだ谷地を源流とする流れのほうに、勢いがあった。斜面林から絞られる水も澄んで冷たかった。どちらも共通していたのは、絞られた水が集まり、ガマなど水草の茂る湿地があったこと。そこからあふれ出た水が川の始まり。「最初の一滴」はロマンに過ぎなかった・・・今は昔、懐かしか~。
□■□2010年12月2日(木)
3日間の一般質問終了。人の話を聴きながらイスにじっと座っているのは大の苦手で、歩き回りたい誘惑に耐え、モゾモゾ動き続けながらもイスに縛りつけられたような3日間。今日は熱っぽく、背中の筋肉が痛んだ。
一般質問終了後、「北朝鮮の砲撃事件に抗議し、毅然とした対処を求める決議」が27名の署名で提出され、全会一致で採択された。私は、署名しないで賛成。署名しなかった理由は、前文が一方的な情勢認識に基づいて書かれていて署名する気になれなかったから。先だって全会一致で採択された県議会の文章を引っ張ってきたらしいが、知り合いの県議に聞いたら、修正前はもっとひどかったらしい。今回の事件は米・韓によって繰り返される挑発的な軍事演習の中で発生したことで、どっちもどっち。
採決にあたっては棄権という選択肢も考えられたが、北の共和国の砲撃が島民に犠牲者を出すような事件に至ったことは見過ごせない。国への要望事項の文面は特に反対する理由もなかったのでま、いいっか。
しかし、米国がイランやアフガン侵略で罪のない多数の市民を殺傷してきていることにはたったの一度も抗議の決議をあげたことがない成田市議会の議員が、北の共和国には「民間人が居住する島への無差別な砲撃」に抗議するというのもムシのいい話だ。
□■□2010年11月29日(月)
沖縄知事選は、伊波さんが負けてしまった。競っているというので期待したが残念。普天間の移転問題で、現職も「県外移設」をかかげたので争点がボケてしまったというのが一般的な見方のようだ。
でも、仲井間さんのTVインタビューでは、「地元や県民が県内(辺野古)はダメだといっているからそういうこと(県外移設)になる」なんていうヘンな言い回し。別に彼自身県内は「反対」というのではないようだ。さしあたり、地元の名護市が市長・議会ともに反対しているから無理、沖縄以外のどこかに作って・・・というにとどまっている。
政府は「反対」とは言わない仲井間さんでホッとしたようで、早速(辺野古移設で)意見交換したいと言っている。・・・昨年の政権交代選挙以降民主党が沖縄の人々に対してとった態度はサイテー。
デスクワークで疲れたな~と思っていたら、SatochibaのMLで、本埜に飛来したハクチョウの写真(25日撮影)が送られてきた。この中にはオオハクチョウやアメリカコハクチョウとみられる個体もいるようだ。私にはみんな〝ハクチョウ〞にしか見えないけれど、胸がわくわくする光景だ。
それにしても、2番穂の見事なこと!今年はこうした2番穂があちこちで目についた。写真を送ってきた人は、今年は餌に困らないだろうと言っていた。米つくりが儲からないから春まで耕さずに放置する農家が増えているらしい。
□■□2010年11月27日(土)
お天気がよかったので、掃除と洗濯。それから、昨日夕食を食べながら話した知人と話の続きを電話でいろいろ・・・女同士、なにかと話はなが~くなる。そうそう、夕べは久しぶりにとんかつを食べた。私は家でとんかつを作らない。8月にイベリコ豚のとんかつというのを食べて以来。
午後、某ホテルの免税店(象嵌専門店だが、いまやお客のニーズに対応するために妹のいるお店はカップ麺も置いてあってほとんどコンビニ並み)で働く妹が〝早番〞だというので待ち合わせ、届いたばかりの熊本ミカン農家直送の摘みたてみかんをおすそ分け。箱の中のみかんは摘んだものをそのまま入れるとかで、大きさはもうバラバラ、でも甘い。
帰り道、成田警察署からヨークマートに通じる道に植えられたアメリカフウの紅葉が美しかった。ニュータウン中央通りのユリノキも大分葉を落とし、木によっては花が咲いた痕跡を残すガクが姿を現すようになってきた。今年は何本の木が花を付けたかしら?そのうち散歩がてらに数えてみよう。
(左)ユリノキの花 大きな葉に囲まれて余り目立たない。葉が衣類の半纏に似ているので和名ハンテンボク。英語では花がチューリップに似ているのでチューリップ・ツリー)。
(右)葉が落ちると、枝に残った花のガクが現れる。花が咲いたか、何個咲いたかわかる。でも、大きな木にたくさん咲くと数えきれない。(PHOTO BY MACHIKO)
図書館通りのケヤキも枝の間から空が見えるくらいに葉を落として冬支度。今日は風が吹いていたので街路樹の下では落ち葉が舞っていた。晩秋の風情を楽しみながら、落ち葉集めて堆肥に使えないかしら・・・と思ったり。
夕方、女性の会の子育て中の会員さんから子宮頸がんワクチン関連の資料を借りる。
□■□2010年11月26日(金)
定例市議会が始まった。12月14日まで。始まる前に報道からの要請で来春の市議選に向けた恒例?写真撮影。壁を背にして自分の名前を書いた紙を手に持ち数枚、紙を置いて数枚・・・。選挙で報道関係が使う写真。
議案説明のあと議案の1~4号まで先議。総務常任委員会に付託されて審査が行われ、その後本会議で採決。職員の給与、議員の報酬及び費用弁償、特別職の給与、教育長の給与など、いずれも人事院勧告に基づく給与等の引き下げに関する条例の改正。私の表決態度は、職員給与の引き下げに関する条例改正を扱った議案1号に反対、ほかの3議案には賛成。
全員協議会で地方議会議員年金制度の経過について議長より報告があった。既に新聞報道にもあったが、全国市議会議長会の意見がまとまり、この制度を廃止することにし、廃止にあたっては4点の措置を講ずるよう総務省に求めることになったという。
すでに破綻目前だから当然の成り行きだと思う。税金も投入されているのでどう取り繕っても納税者の理解を得られない制度だ。以前聞いた話だが議員年金制度というのは世界広しといえども日本だけだという。成田市議会の議員も現在報酬天引きで毎月7万5200千円を掛け金として支払っているが、損をしても一刻も早く廃止したほうがいい。
□■□2010年11月25日(木)
「歴史と今を語り合う女性の会」の例会。今日は子育て中の、私の娘と同じ世代の会員さんたちからいろいろ教えられることが多かった。12月議会で質問する予定の、子宮頸がんワクチン接種や性教育関連でも示唆を得た。
忘れかけていたが、作家の三島由紀夫が自決して今年は40年になるという新聞記事を目にした。朝日夕刊では新右翼「一水会」顧問の鈴木邦男さんが「三島は、そんな偏狭な、排外主義的な日本を夢見たのではない」として今の〝右傾化〞の中味を問うている(「三島に負け続ける我々」)。 同じページには編集委員が、自分にとっての〝あの日の行動と思い〞を込めた「そうだ。三島を読もう」というコラムを載せている。
1970年の今日、三島由紀夫が盾の会を率いて市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に突入、総監室を占拠してバルコニーから自衛隊員に決起を呼びかける約8分の演説をした。そして呼びかけたはずの自衛隊員によるヤジと嘲笑の中を総監室に戻り、割腹。子飼いの盾の会会員森田必勝が介錯した。その後で森田必勝も割腹、別の会員の手で介錯。三島の(といわれた)首が転がっている写真が新聞に掲載されるなど、ショッキングな事件が起こった。
私は当時、学生運動の合間にアルバイトをしていた日本育英会で第一報を聞いた。同じ市ヶ谷で現場は近い。みんなで屋上に上がり、しばらく自衛隊の建物の方向を眺めていた。現場は見えるはずもなかったが、なにか騒然とした雰囲気が伝わってくるようだった。日本でも騒乱罪が適用されるような激しいベトナム反戦運動が続く中で、私にとっての三島「事件」はドメスティックで暗い印象が残っただけだった。
この年齢になると、どうしても「あの日私は・・・その時私は」といったように、歴史に残る出来ごとに自分の人生を重ね合わせて考えるようになるものだ。
□■□2010年11月24日(水)
午前中議員団研修会。午後は議案説明会。
議員団研修では「長所伸長のまちづくりのやり方」~地域活性化メガトレンドと成田地域のこれから~というテーマで杤尾圭亮さんが講演。1970年創業のマーケティグ会社(株)船井総研で地域ブランド創造チームに所属している人。第一声ともいうべき言葉は、成田市のような豊かな自治体から「地域活性化」まちおこしについて講演の依頼を受けて嬉しい・・・。
確かに、地域活性化の定番はさびれた中心市街地や過疎化が進む地方の課題。空港を抱えて財政力では全国でも上位にある成田市がどうして?というところだろう。杤尾さんの話では、成田市のような10万人規模のまちは人口・生産性ともに減少化傾向になるが、成田市の場合は東京に近いので動態からみて大きな人口減少はないだろう、しかし、2005年に比べて2035年には労働人口が60%で10%減少、高齢化率が30%で倍になる見こみとか。活力・余力があるうちに新しい施策をうっておく必要がある、ということだった。
そのうえで、立地・資源・3C(会社・競合・客)、それにストーリー性、人材などを総合した持続可能な活性化策のハウ・ツー話となったのだが、こうしたギョーカイの人の話を聞く機会はほとんどないので、面白かった。
それはともかく議員団が船井総研の話を聞こうというのも、成田はいま、羽田国際ハブ空港化に刺激され「負けてなるか」と税金をつぎ込んで派手な地域活性化策を繰り広げている、そんな関係でしょ。
ところで、議員団の研修会は毎回職員(おもに部課長)にも声をかける。だったらせっかくだから議員と職員に限らず、市民にも公開してほしい。内容・講師料(1回20万円・市の補助金)からいっても、議員だけ聞いていてはもったいない。
昨日北の共和国が南の韓国領の島を砲撃、韓国がこれに応戦して朝鮮半島情勢が一気に緊迫しているようだ。例によってテレビが大騒ぎしてる中で、今日は誰かが「北は戦争にならないところでタマを撃った」とコメントしていた。
一方、20年くらい前から日韓を巻き込んで朝鮮半島有事の作戦計画を温めてきた米国だが、オバマ米大統領もABCのインタビューで軍事行動には慎重な発言をしていた。というより、アフガンに戦車部隊を送ることを決めてますます泥沼にはまり込んだ米国が、いま朝鮮半島に手を出す余力はないだろう。
北の共和国に影響力をもつという中国だって、せっかく経済大国に成長したのに北への戦争支援なんかでリスクを負いたくないだろう。・・・ということで、「死の商人」たちが期待するような第二次朝鮮戦争にはならないと思うし、してはいけない。
日本政府は今回の砲撃事件に対し、朝鮮学校への高校無償化制度適用の審査をいったん停止したという。それとこれは別でしょうが・・・。大人げないというか、政治的なセンスがないというか。こういうところも政府の短絡的かつ理念のなさの表れではないか。尖閣問題以降、国内の排外主義者たちに煽られて浮足立っている。
□■□2010年11月22日(月)
一般質問の打ち合わせ。朝、雨上がりの曇天で寒いのではないかと厚地のジャケットを着て出たけれど、湿って暖かい。11月は穏やかに晴れて暖かい日だけでなく、今日のようなお天気も〝小春〞っぽい。やわらいだ空気に一瞬草木が萌える頃を感じた。が、自然が静寂に向かう季節の匂いは違う。つかの間の小春だった。
昨日ウオーキング中に出逢った猫たち(写真)がどうしても気になって、坂田ヶ池に行く。猫のいた場所の最短距離である管理事務所近くの駐車場に車を止めると、周囲に2匹の猫が人を避けるように、でも人の動きをうかがっていた。近寄るとサッと逃げる。昨日見た猫たちではない。バラの石段を下りて池に向かうと、浮き橋そばのガゼボに4匹の猫たちが思い思いに休んでいた。昨日見た場所の至近距離。あの猫たちだ。人に寄ってくるようなそぶりで、逃げるわけでもなく動作もゆったり。やっぱり・・誰かが捨てたのね。捨てられたばかりかもしれない、まだ人間との関係がぎこちない。少しやつれた感じ。二匹の目ヤニをふいてあげることしかできなかった。そのうちあの駐車場にいた猫たちのように逞しく、敏捷になるのかしら。
(左)ウォーキング中に出逢った猫ファミリー(4匹)。このファミリ―を捨てたのは誰?(2010・11・21)(右)5年前、猫ファミリ―がいたすぐ近くの水辺で出逢ったアライグマ。PHOTO BY MACHIKO
管理事務所に連絡しようとしたら、むこうから作業着を着たおじさんが石段を下りてきた。猫・・・というと「困ってるんだよー、この頃捨てる人がいて。いまこの辺には捨て猫が十何匹もいるんだよぉ。餌をやる人がいるから棲みついちゃってねー。愛護センターや市に連絡しても、犬ならすぐ来るけれど、猫は1ヵ月管理事務所で飼って、その間に周辺に飼い主探しをして、それでも飼い主が現れないと初めて愛護センターの仕事になるんだけれど、その手続きが面倒臭くてねー。」ということで放置しているらしい。それにしても、無責任な飼い主だ。
話は変わるが、土曜日に実家へ行った時に、見慣れない猫が日だまりに置かれた鉢の砂の中で昼寝していた。猫や犬が大好きな弟のつれあいに聞いたら、彼女がノラにも餌をやっているのを知っているらしい誰かが我が家に捨てていったらしい。その子と合わせて3匹も。
ノラ猫については、人間の発想で「可愛そう・・・」という見方もあるが、犬や猫はもともと馴らしやすい野生を人間のために飼いならしたわけで、野生に返ることについては彼らの本性に聞いてみないとわからない。現代が野性で生きられる環境かどうかは別だけど。「動物愛護センター」は人間の勝手。この問題は捨てられた犬や猫と「動物愛護センター」の間にワン・クッションが必要。
□■□2010年11月20日(土)
先日刈り取って陰干ししておいたタイム、セージ、ペニーロイヤル、オーデコロンミントをあしらってリースを作った。狭い部屋にハーブたちの香りのハーモニーが広がる。赤と金色のリボンを飾ってクリスマス・リースの出来上がり。夕方実家から月桂樹の小枝を摘んできたので、そのうちもう一つリースを作る予定。
今年はローズゼラニウムがワサワサと茂ったのでずいぶんハーブバスを楽しませてもらった。地下植えしたローズマリーもしっかり根付いて育ちはじめているので、来年が楽しみ。
四街道市在住でリタイアした元新聞記者田中さんから届くメルマガの最後にある「今日は何の日」。彼が選んだ今日は1980年、中国で〝4人組〞裁判が始まった日。
4人組とは、江青(毛沢東夫人)・張春橋・王洪文・姚文元で、毛沢東の側近。1966年から始まった文化大革命の中で実権を握っていた人たちだ。1976年に毛沢東が死去、同年華国鋒首相によってクーデター未遂で逮捕されていた。81年に結審、江・張は死刑、王は無期懲役、姚は懲役20年の判決言い渡しがあった。が、その後減刑措置があり、江は91年、王は92年服役中死亡、張は05年、姚は06年病死したという。
それだけだと昔日の感あり、といったところ。しかし国民を巻き込んで闘われたすさまじい権力闘争は、追放され、弾圧されて生き延びた人々や、そのこどもたち、そして中国社会全体に深い傷跡を残し、さまざまな影響は経済大国といわれる今も残っているのではないか。
世界の耳目を集めた文化大革命。日本でも大きく報道されたから記憶に残っている人も多いと思う。私も、文革が始まった1966年に大学に入学し、中国語を選択したこともあり、多少の影響を受けた。例えば、教養課程で学ぶ中国語は、会話以外で毛沢東選集や毛沢東語録などもテキストに使われたと記憶している。60年代後半は世界も日本も、今思い返してもめまいがするほど激しく揺れ動いた時代だった。
□■□2010年11月19日(金)
国際文化会館で成田市の22年度表彰式が行われ、市政への功績(消防団員21名ほか)・徳行(絵画2点を寄贈した人)、教育への功労(学校歯科医9名ほか)・功績(スポーツの全国大会などで上位になったこどもたちなど)に対する表彰に出席した。
自分の席について表彰された人たちの席を見回すと、ん?どこかで見たような顔が・・・そうだ、真夏の甲子園でたびたびTV画面にクローズアップされた成田高校のピッチャー君だった。ベスト4まで、本当に強かった。ピンチを切り抜けて雄たけびをあげる精悍な表情が記憶に残っていたが、きょうは夏の日焼けもおさまって和らいだ表情をした高校3年生がそこにいた。成高野球部からは彼を含む3名が出席していた。
教育委員会功績彰では、全国大会で活躍した市内在住の児童・生徒・成人や少林寺拳法では常に全国トップの実績を維持している成田国際高校少林寺拳法部の女子2ペア、全米チアダンス選手権のシニア・ポムで1位になった成田高校ダンスドリル部も表彰された。最年少は小学校1年生の空手少女。
みんな厳しい練習に耐えて優秀な成績をおさめただけあって、清々しい表情だった。将来日本を代表するアスリートとなる道を歩むもよし、またスポーツとは全く別の道を選ぶもよし、どの道を選んでもその支えとなるのはこれまでの練習に耐えた強靭な心身だろう。心をこめておめでとー、がんばってねー。
□■□2010年11月18日(木)
一般質問の通告締め切り。私も「発言通告書」を提出。〝通告〞とは・・・やっぱり議会で使われている用語は固苦しい。ずっと違和感をもちながら使用している自分も情けない。
12月議会では(1)市政への市民参加の推進(2)「(仮称)人権推進課」の設置(3)こどもたちの未来のために(4)TPPと成田の農業、以上4点を質問する。
ラジオで国会中継を聴きながらドッキンとしたのは、仙谷官房長官が自衛隊を「暴力装置」と言った時のこと。おー、国会で政府要人の口から〝軍隊=暴力装置〞という懐かしい言葉が出てくるとは、やっぱり政権交代なくしてはありえないことだなどと思いながら、あの言葉は誰が言ったんだっけ、エンゲルスだったっけ、レーニンだったっけ・・・と記憶を辿るものの、もう忘れた!私も軍隊は「暴力装置」だと思うけれど、時の政権が配下にある軍隊をそんなふうにストレートに言ってしまってはミもフタもないだろう。その後「自衛隊の皆さんごめんなさい」と謝っていたが、暴力装置がいらなくなるような内政・外交をやってほしいものだ。
そして、国際政治のパワーゲームに振り回されながらあっちこっち顔色を見て渡り歩くのではなく、世界に誇る「日本国憲法」第9条にもとづいて軍隊のない平和な国を目指してほしい。世界には軍隊をもたない国が30近くあるといわれる。決して夢物語ではないのだ。
□■□2010年11月17日(水)
用事があって議会事務局に寄ったら、現在議会運営委員会が行政視察中とのこと。京都府京丹後市議会を視察するということは事前に聞いていた。
京丹後市議会といえば、今年日本経済新聞社の調査で市区議会の議会改革度全国第1位に選ばれたところである。2008年に「議会基本条例」を制定して2年あまり、条例の中味とともに、それが着実に運用されていることに対する評価だと思う。
その京丹後市議会の〝開かれ度〞だが、議会の議決事件の幅を広げたこと、議会運営委員会・全員協議会をふくむ全て完全公開、定例会閉会後旧町(5町)単位の議会報告会、参考人制度の活用、陳情提出者の説明と議員からの質疑(市民が意見を述べる場の保障)、委員会と各種団体との意見交換(委員会閉会中調査の充実)、討論による合意形成(議員間の自由討議)、執行部の反問権(再反問可)、執行部答弁時間に関係なく議員の発言時間は30分確保、といったことを条例で保障。こうして〝議員が忙しくて悲鳴をあげる議会〞になったそうだ。(市町村議員研修会で行った前議長報告より)
成田市議会が議会基本条例制定に向けて動き出すのは来年4月の改選以降になるだろう。京丹後市議会前議長の報告では策定にあたり事前に市議会に対する市民アンケートを行っているようだ。その結果、市民は議会に関心はあるが評価していない、議会改革が必要だと思っているという現実をふまえて条例づくりに入ったという。策定過程では、意見を聞く会、公聴会、市長公募のまちづくり基本条例(自治基本条例)の制定を進める会との意見交換会、2回のパブリックコメントといった市民の意見を反映させる取り組みがなされたという。こうしたていねいな取り組みが制定後の運用につながっていると思う。
成田市議会も、議会基本条例を制定するにあたっては策定過程からさまざまなかたちで市民も参加できるようにするといい。
ところで、京丹後市議会は遠方から視察を受け入れるにあたっては市内宿泊が〝条件〞らしい。ついでに地元にお金を落としてもらうという配慮。議会視察の手配をしている成田市議会事務局の話では、過去の例としてある市議会では宿泊は別と言ったら視察を断られたことがあったとか。
私の経験では、岩手県○○市を委員会で視察した際、翌日秋田に向かうという視察行程の関係で宿泊先が盛岡だったことがある。その時○○市議会事務局の人が「○○にもいい温泉があるんですけどね~」といかにも残念そうに言ったことを記憶している。せっかく来たのだから泊ってくれればいいのに・・・という意味にとれた。
□■□2010年11月16日(火)
栄町へ行った帰り道、風土記の丘資料館に寄った。企画展「房総の四季耕作図と農具絵図」を見る。バイパス沿いに見た看板のサブタイトル〝豊年満作!農耕図のナゾを解け!!〞に好奇心を刺激されて入ったのだが、中味は学術的な企画展だった。室町から近世までを見て、農村・農耕風景も農具も似たり寄ったり。同時に、私が幼い頃に見た田んぼの光景や農具の数々と重なるものがあり、あ~懐かしい・・・。
「四季耕作図」(室町時代~近代)には農耕の様子を描く中に、当時の農業技術や美術史的系譜などが読み解けるのだという。そういわれてみると中国南宋や、江戸時代狩野派の流れをくむという画風などは素人目にも納得。
受付の女性から、「これも大変貴重なもので、展示スペース内の環境を前もって準備し、中の温度など数値を報告してから国立博物館が許可をした」という「農具絵図」。解説には明治政府の〝勧農政策〞のもと、各府県の役所が村の長たちに作成させた絵図面、とある。近世以降の農具の比較に有益な資料だそうだ。千葉県で見つかっている絵図が全国最多とか。受付の女性によれば木更津縣のもの一番多いそうだ。閉館近い時間帯に入館したので見学者は私一人。いろいろ話を聞けて得した。
農耕風景が激変したのは戦後の機械化。狭い田んぼに機械が入るようになり、田植えから稲刈り・脱穀・乾燥・精米まで全て機械が使われるようになった。農家の重労働は軽減されたが、いまや日本の農業は〝消滅〞の危機にある。先日見ていたTV特集で「いつ上手に農業をやめるかと、いま農家の頭の中はそれだけ」と言っていた農家の言葉が胸にせまる。
農業だけでない。人類史的にみて文明の発達というのは何を意味するか考えてしまうよね・・・。恩恵を受けながらのことだから、ムシのいい話かもしれないけれど。
□■□2010年11月13日(土)
ニュータウン自治会連合会と地区社会福祉協議会共催で、9時30分から新山小、11時から吾妻小を会場に開かれた「合同ひもとき」に出席した。こどもたちを見ているだけで嬉しくなっておばあちゃん顔。健やかに、そして幸多からんことを願う。
「開かれた議会を目指す会」からの情報。福島県会津若松市では、市民から「本市の経済情勢や多額の市債残高を考慮すれば、地元の民間給料と比較して高い議員報酬を削減し、将来的には無報酬のボランティア型制度へ転換し、市議会議員の職業化を廃止してほしい」という陳情が市議会に出されたという。審査結果は1対27で不採択。
理由は①多様な議員の存在やその専門性の追求を否定した時代逆行の内容である②新しい議会をつくりだすことこそ議会の役割や議員活動、議員報酬、議員定数の議論をすべきで、議論なき削減試行に疑問がある。
メーリングで情報を送ってきた人は「苦しまぎれの反対意見」と言っていたが、確かに説得力がない。矢祭町が議員を減らしたうえで日当制を導入し、それまでの1人当たり330万円から90万円に削減している。欧米などでは国会議員を除いてボランティア的な要素が強いように思える。成田市の姉妹都市米サンブルーノ市では議員報酬は月額5万円くらいと言っていた。以前訪ねた英国サフォークの県知事さんは年額約130万円とか言っていた。今後自治体議会の議員が少数専門家するか、ボランティア化するか、全国でいろいろ議論になるだろう。私は、ボランティア型が良いと思っている。
「露に濡れ、伸びし大根 落日映え」。11月のビレッジライフ懇話会の案内が届いた。10月は「残暑にも 大根の葉伸びて 彼岸かな」。いずれも、懇話会の代表で神戸大学名誉教授の保田茂さんの巻頭句。猛暑が続く9月上旬に恐る恐る蒔いた大根がはや収穫できるまでに大きくなったという。
そういえば、私も1週間くらい前にルッコラの種を蒔いて気付いたら双葉に育っていた。私は土を割って芽を出すところを見るのが好きなのだが、慌ただしい日々でついうっかりして見逃してしまった。それにしても、小さなちいさな種に宿る生命のパワーにはいつも謙虚に感動。
□■□2010年11月12日(金)
菅政権が進めようとしている環太平洋パートナーシップ協定(TPP)。さる10月22日、この協定に日本が参加した場合の影響を試算した農水省発表が波紋を広げている。「・・・19品目の関税を何の対策も打たずに直ちにゼロにした場合、4.1兆円の生産減、食料自給率は40%から14%へと下がる」(10月27日外務委員会での篠原孝農林水産副大臣)。
今朝の朝日県版にも掲載されていたが、千葉県は11月2日時点で「日本がTPPに参加した場合の千葉県農業算出額への影響」という試算を行っている。
私も昨日市民団体のMLを通じてその資料を手に入れたばかりだが、それによれば米は平成20年の算出額に対し米はマイナス727億円。94%の減少。なんと県産米の9割が外国産に置き換わるという。残り1割は価格が39%低下。落花生も40%減少、算出額1億円の麦は、消滅。
肉用牛は40億円で83%の減少、生乳の生産が消滅するため乳用牛も消滅。豚70%、鶏17%、鶏卵17.5%の減少。
千葉県は合わせて1380億円、33%の減少となる試算だ。千葉県は北海道に次いで、茨城県と並ぶ農業県だが、このありさま。成田市はその千葉県の中でも有数の農業が盛んな地域。さっそく農政課には成田市の試算を要請した。
前原外務大臣は「GDP1.5%の農業が、全体の98.5%の産業の足を引っ張ってはいけない」という。「国を開く」とか「他国との競争力」を強化するためには〝非効率的〞な農業は犠牲になっても仕方ないという考えのようだ。前原氏は「第二の開国」の志士になりたいのかもしれない。でも、彼のことを〝米国の下士官〞という人もいる。
国民の命に直結する食料は「1.5対98.5」といった数字で比較できるものではない。経済界には「食料は輸入すればいい」という声もあるが、天に唾するとはこのこと。人間は機械を食べガソリンを飲んで生きていくことは出来ないのだ。それに、かつては石油、直近ではレアアースなどで大騒ぎしていることを想えば、食料ならなおさらではないか。
また、日本の風土・環境は農業によって保たれてきた。その農業が壊滅しては風土・環境も荒廃していくだろう。少子高齢社会が進む中、もう一度耕すのは至難の業。守るべきものを見失った政治の行き着くところ、未来にはどんな風景が広がっているだろうか・・・。
□■□2010年11月11日(木)
野毛平工業団地で成田市の航空機災害訓練が実施された。今年の訓練目的は、昨年3月に発生し乗員2名が亡くなった貨物機横転事故を想定した初期対応などの活動手順の習熟強化を図るという。
何年ぶりかで見学したが、今回目についたのは現場で作業する人たちの耐熱防護服が色分けされていたこと。後で消防本部に聞いたら、事故発生直後に現場に到着し航空機の内外で作業していたオレンジ色はレスキュー隊員だという。シルバーが消防団員、からし色は消防職員、また、現場から救護所に運ぶ人たちは水色の感染防止服を着用しているそうだ。
放射能防護服は?と思って聞いたら、まずレスキュー、事故の態様が判明して必要な場合に登場するという。・・・あれを着て動く姿を一度見てみたかったのだがこのような訓練ではお目にかかれないのかもしれない。放射能漏れを想定した航空機事故の訓練は過去にないと思う。
成田市が放射能防護服を購入するにあたってはちょっとした思い出がある。平成5年のことだがフランスなどで処理してもらったプルトニウムを国内に運ぶ際、こっそり民間航空機を使用していたというスクープ記事を読んだことがあった。(当時、海上輸送が問題になった)
調べたら航空機とアイソトープなど、事故が発生した際、最初に現場に飛び込む消防隊員が放射能汚染にさらされる危険のあることがわかった。それに、病院も。成田市には放射能防護服がなかったので関連して一般質問をしたら、その後購入された。
当時の消防長の話では、消防本部も予算要望していたがカットされてきたらしい。そんな時に議会からの質問だったので後押しになった、ありがとう、ということだった。その時2着購入したが、この防護服は鉛が入っているとかで一部を手にとっただけでもズッシリと重い。放射能漏れなどあってはならないけれど、災害訓練はあってはならないという前提のもとに発生した場合を想定して行うもの。放射能防護服を着用した訓練はどういう時に行っているのかしら。
(写真左)左端の白い看板に描かれているのが事故を起こしたXYZ機。成田市が誇る?救助工作車、タンク車その他高性能消防自動車が勢ぞろい。(写真右)救護所。その向こうの里山が新清掃工場の余熱利用施設建設予定地。写真では訓練会場と里山の間が隣接しているようだが、実際は荒海川の水源と谷津田がある。
□■□2010年11月10日(水)
ニュータウン建設のシンボル?的存在だった赤坂センタービルの解体が行われている。これだけ大きなビルの解体をまともに見るのは初めて。現在東側の壁面を削っていて、重機が長い手を伸ばし、水を吹きかけながらガリガリ、ガリガリ、といった感じ。
壁面の周囲が少し霞んでいる。吹きかける水は見えるし、重機の動作はゆっくりしているので、この霞は解体から発生する埃かもしれない。東側と北側から写真を撮ったが、過敏な人は目、鼻、呼吸器などの粘膜に多少の影響がでるかもしれない。その場合、さしあたり外出にはマスク着用がいいかもね。
センタービル解体後更地となった半分を成田市が企業庁から成田市開発公社を媒介して購入(支払いは市の債務負担行為=借金)。当分は公民館や図書館の利用者用駐車場として使われ、将来的には生涯学習の拠点など、複合施設が建設される予定。
昨日の総合計画審議会での市の説明では、平成27年度に基本構想を策定することになっている。ちなみに、国際文化会館も同年に基本構想策定。これら大型プロジェクトの基本構想はいずれも次期5ヵ年計画の最後の年、ということになる。 (写真左)東側から・・・ (写真右)公民館駐車場から・・・ PHOTO BY MACHIKO(2010・11・10)
□■□2010年11月9日(火)
総合計画審議会を傍聴。議題は現在の5ヵ年計画(2011年3月まで)の進捗状況や次期5ヵ年計画(2011年4月~16年3月)素案及びパブコメの結果報告など。
現在の5ヵ年計画も残すところ5ヵ月足らず。そこで目についたのが「未整備」事業。2事業あって、その一つが文化財保存展示施設。これはいったん下総地区にある歴史資料館に隣接して建設するところまで決まったが、文化財審議委員による現地視察で湿地帯であることなどの理由でクレームがつき、そのままになっているわくつきの施設。それはそうと、その施設が次期計画から抜け落ちていた!終了後「なんで?」と聞いたら、施設を担当する生涯学習部によれば今後学校統合で廃校が出てくるのでその活用策の中で対応できないか検討していくということのようだ。別に新たに建物をつくる必要はない。
それと、もう一つが「男女共同参画センター」。結局この5ヵ年計画の中でもまったく手が付けられなかった。付けようともしなかった。かつては女性センターとして、その後男女共同参画センターとして、総合計画・5ヵ年計画に組み込まれてきた拠点施設だ。歴代市長が「必要」と言いながら手もつけなかったとはどういうことか・・・。これも新たに建物を建設する必要のないものだ。間借りでもよい。これについては次期5ヵ年計画ではちょうど中間にあたる2013年(平成25年)に設置運営予定と入っていた。少し具体的な年度が示されただけマシかしら。
□■□2010年11月8日(月)
土曜日、山口県萩市で管理型産業廃棄物最終処分場反対運動を展開している住民団体から処分場問題全国ネットワークを介して要請があり、今日はそのための調査。
萩市に巨大な管理型産廃処分場を建設しようとしている業者が成田市内で安定型産廃処分場を経営しているY社なので、成田市の状況を知りたい、とのことだった。2年ほど前は、これも成田市で安定型処分場をもつT社が能登半島に産廃処理場を建設しようとしているという話を聞いたことがあった。いまや産廃業者も全国展開の時代らしい。
そういう成田市のごみだって、自区内処理の一般廃棄物(家庭系)の中で、不燃物の一部を最終的には北海道や関西の処分場に運んでいる。
ごみ問題は避けて通れない社会的な課題なのに、「廃掃法」の抜本的改正も遅々として進まない。私は、2011年に向けた「政策提案・予算要望書」にも入れたけれど、ごみは3Rの徹底、リサイクルよりも排出抑制に力を入れる、というところから進めていくべきだと思っている。排出抑制は、家庭だけでない。産業界も同じで、そのための責任を負うべきだ。
それはともかく・・・まず現場へ。ここは定期的にウオッチングしている場所でもある。6月に県から拡張許可が出たと聞いているが、まだ事業は始まっていないようだ。
(左)拡張処分場は左の谷地及び山を半分削り、右の既設処分場と一体化する計画。(右)周囲はかつての里山。山際の道を行くと頭上の枝が風に揺れるたびにカラカラと心地よい音をたて、木の葉が舞い降りてくる。
PHOTO BY MACHIKO(2010・11・8)山肌からにじみ出る清水の近く、モンキチョウが羽根を休めていた。
□■□2010年11月6日(土)
昨日、鬼泪山国有林の山砂採取について審議していた千葉県土石採取対策審議会の報告が知事に提出された。鬼泪山を守る会のMLで、昨夜は「朗報」として、今日は土石審会長渡邉勉さんの「所見」が送られてきた。私もこの間ずっと車に「SAVE KINADA」のシールを2枚貼り付けて走っていたので嬉しい!
審議会の報告書は、守る会としては当初両論併記かと予想していたが、所見に寄れば「現時点では県の国有林からの山砂採取に係る基本的な考え『・・・』を見直すまでの状況には至っていない」「ひとたび山を掘削すると、地盤の改変により、地盤・森林・景観など今までバランスの取れていた自然環境が崩れることになり、元の環境に回復することは至難の業となる」「後世にわたって環境との共存を図り、持続可能な自然や社会を築いていく方策名求められており・・・鬼泪山国有林の山砂は大変貴重な天然資源であることから・・・山砂採取については早急に結論を出すべきものではない」
以上のように砂利採取を様々な角度から検討した結果としての報告である、という「所見」に加え、千葉日報の記事では「報告書の文面は山砂採取に対し終始否定的だった」ということだった。報告を受けた森田知事の対応に注目したい。
(左)鬼泪山・手前の空間にもかつて山があったが既に山砂採取で跡かたもない。(右)鬼泪山を水源として流れる湧水 2009年1月(PHOTO BY MACHIKO)
地元水利組合の方から説明を受ける。左端が足立(2009年1月) ♥風雨にさらされ色あせてしまったけれど・・・
□■□2010年11月5日(金)
今月26日から始まる定例市議会に向けて、一般質問の通告書が議会事務局から送られてきた。ところで、「開かれた議会をめざす会」秋のシンポジウムが今月28日(日)14時から新宿大久保地域センターで開催される。
基調講演は元武蔵野市長を6期22務め、「独自政策・議会との激しい議論」で知られた前衆議院議員の土屋正忠さん。タイトルは「ベテラン市長から見た、良い議員、悪い議員。あるべき議会」。
ディスカッションでは「私たちが考えた議会改革の特効薬」。議会にまかせているだけでは変わらない、議員と市民、参加者みんなで具体策を考えようという企画だ。
これまで出されていた提案は、議員テスト&面接試験、男女の比率を決めたクオータ制の導入、研修義務化、出馬検定、議会での質問義務化、議会報告会の義務化、傍聴者にも発言を認める、選挙と公募市民で議会を作る、議会に選挙公約の常設展示、選挙を比例代表制にする、期数を重ねると報酬が減る、議員通信簿を作る、執行部抜きで議員だけの自由討議、会派制廃止等々。
議会と住民の関係を変えたい!という率直な提案といえる。現行制度の中でもできること、制度改革が必要なものを整理しながら、会としてまとめて総務省に提言したらよいと思う。
今日の朝日オピニオンは〝日本の空を元気に〞特集だった。その中で、ルフトハンザの日本支社長が、「私の夢は羽田と成田が高速鉄道で直接つながること。所要時間は30分」。地方⇒羽田⇒(30分)⇒成田⇒海外へ、その逆に海外⇒成田⇒(30分)⇒羽田⇒地方へ、「それがあたかも一つのシステムとして動く」ことだと語っていた。
これは以前航空会社のエンジニアの方から聞いて「日記」にも書いたことがある〝ナリ=ハネ空港〞と同じ。その時の話では、成田=羽田を30分で結ぶ交通手段(高速鉄道)がドイツ生まれの都市型リニアモーターカーだった。
昨年10月に前原前国土交通大臣が羽田国際ハブ空港化を打ち出し、約束が違うと怒る〝地元〞を代表して県知事が大臣に会った際、〝成田と羽田の一体的活用〞という言葉でその場が取り繕われた。県議会では〝一体的活用〞の意味が抽象的でよくわからん、と言う声があがったようだ。空港の中をうろうろしていれば20~30分はすぐ過ぎてしまう、ナリ=ハネ30分であたかも一つの空港のように活用する、というところからスタートしたら理解しやすかったと思う。
最近の調査ではスカイアクセスやエクスプレスの利用客が増えているようで、将来的にはさらに速く成田と都心・羽田と結ぶ計画もあるという。支店長さんの〝夢〞は実現するかしら?
□■□2010年11月4日(木)
PBSニュースが放送したオバマ米大統領記者会見を観た。敗北宣言だ。最大の敗因は、景気回復が遅れる中で失業・雇用問題など、国民のいらだちへの対応が十分でなかったこと、と総括した。ティーパーティー&共和党からやり玉にあがっている医療保険制度改革については、対案を検討して改正する余地を残しながらも、誰もが安心して医療を受けられるという制度改革に反対する人はいないだろうと語った。
会見の中で、「我々が忘れてはならないのは、権力は国民にある、ということだ」という言葉が印象に残った。最も謙虚な敗北の弁であり、そしてこの時私が最も聞きたかった言葉でもある。
昨日は東京6大学野球で50年ぶりの早慶優勝決定戦があった。なんとなく聞き流しならぬ見流しだったが、今朝のワイドショーでは大隈重信や福沢諭吉まで登場し、取り上げ方をみると確かに50年ぶりというのは歴史的ということなのだろう。ドラフトで注目された選手もいて、秋晴れの神宮は満杯だったようだ。私の学生時代は早慶戦にぶつかると講義はたいてい休講になった。「伝統」みたいなものかな。先生方はせっかく気をきかせてくれるのだが、学生の多くは神宮には行かず行きつけの喫茶店やサークル部室、はては麻雀やパチンコ、et cetera。
私は夫に連れられてラグビー観戦をしたことはあるが、在学中野球は観たことがない。でも、5年間在学していて一度だけ、谷沢などがいて久しぶりに6大学で優勝した時のことは憶えている。提灯行列が文学部記念会堂前に到着した時、サントリー(だったと思う)が差し入れた缶ビールが山積みになっていた。詩人会でシュールな詩を書いていた友人と1個ずつもらい、飲みながら穴八幡虫ふうじの境内でおしゃべりしたっけ。缶ビールとの初めての出会い。40年も前のことだけどね。
□■□2010年11月3日(水)
昨日TVのお天気お姉さんが「明日は洗濯ものが2度干せます」と予報したとおりの、気持ち良く晴れた秋の一日だった。午前中は洗濯や掃除の合間にこれまで蚊の襲来を恐れて手をつけられなかったコバノズイナ、実家から苗を分けてもらった月桂樹、アガパンサスを鉢から取り出して移植。
〝アガパンサス〞は、太めの茎の先に広がって咲く小花が青いレースのように繊細で美しい。初夏の頃だったかしら、実家に行った時「きれいねー!」とため息をついたら弟のつれあいが「どうぞ」といって鉢ごと包んでくれた。名前がわからないままいただいたものを植えたら鉢いっぱいに増えたらしい。私も名前を調べることもなく花を楽しんでそのままだったのだが、今日「猫のしっぽスペシャル・ベニシア英国に里帰り」というTV番組で、ベニシアさんの妹さんの庭に同じ花が咲いていた!それをベニシアさんが「お母さんが好きだったアガパンサス」と言っていた。それで、初めて名前を知ったというわけ。本当にグッドタイミングってあるのね。来年は分けて里帰りさせましょう。
米中間選挙でオバマ民主党は歴史的大敗。今回はアメリカの〝草の根保守〞の不満が爆発したということのようだ。
今回共和党躍進の原動力になったティーパーティの主張は「共和党」の政策スタンダードからみても非現実的な要素をもっているといわれる。同じ「ティーパーティー」でも、ボストン茶会事件は本国イギリスが東インド会社にアメリカへの茶税を免除する「茶法(Tea Act)」を定めたのに反発して植民地アメリカの急進派市民が起こしたものだ。時代は変わったが、ティーパーティーは共和党との折り合いいかんでは白人中間層の利益を代弁する独自の政党をつくることも考えられる。日本は米国の従属国。米国がクシャミしたら日本が風邪をひくと言われて久しいから、今後に注目したい。
□■□2010年11月2日(火)
今、美郷台大通りケヤキ並木の紅葉が美しい。急に肌寒さを感じるようになったと思っていたら・・・目を奪われてしまいそう。鮮やかな赤、黄色、緑。そしてさらに微妙に彩られた1本1本の木。今日は車の運転中よそ見をしては「きれい・・・」。帰路もわざわざ同じ通りを選んだ。 美郷台の区画整理が完成した頃、電線の下に高木に育つケヤキを植えるなんて非常識と思ったし今もその考えに変わりないが、紅葉の美しさは別。
同じケヤキでも、図書館通りのケヤキ並木の紅葉は遅れているようだ。美郷台に比べ木がずっと大きいからかしら、筑波山方向から吹いてくる北風がせり上がるような傾斜地の美郷台に比べて暖かいのかしら・・・わからない。
米中間選挙の投票が始まった。オバマ民主党は米国の伝統的な草の根保守を集めたティーパーティ&共和党に苦戦らしい。2年前、米国民の熱い期待の中で初のアフリカン・アメリカンハーフのオバマ大統領にとっては、当時の熱気と厳しい現実との落差が大きい分、厳しい選挙になりそうだという。
日本でも、民主党政権が内政・外交にわたって行き詰まり状態を抜け出せないでいる。「デッドロック」に乗り上げたとは思わないけれど・・・。民主党支持ではないが、民主主義の政治制度において「政権交代」は必要だと実感できるように軸足をしっかり踏みしめてもらいたい。何にでもスタートはある。選挙によって国民から「権力」を付託された政党の責任を肝に銘じてほしい。
人間が行う政治にベストはない。特効薬も簡単には見つからない。民主主義の政治は合意形成に時間がかかる。では絶対的な権力なら問題が解決するかというと、それをやるには国民の声を封じ込めるアナクロニズムの強権政治しかない。絶対に「ノー」だ。・・・というわけで、メディアに踊らされることなく私たちは何をなすべきか考えてみたい。
□■□2010年11月1日(月)
印刷機のトラブルで久々に修理を頼む。結局原因は私のドラム操作ミスで、再び快調に動きだした。ほかに、センサーを感知する部所が汚れていたのでお掃除してくれた。1999年に購入してからすでに11年。この機種の部品はもう製造していないようだから、部品交換が必要な故障だとアウト。でも・・・機械自体はそれほどさし迫った摩耗状態ではないようなので、まだしばらくは使えそう。
今日・明日と決算特別委員会の審査。3時頃から議会の会派控室傍聴。内職は先日新清掃工場整備特別委員会で視察した際の報告書。私の担当はうるま市の野鳥の森自然公園。この公園自体はうるま市の都市計画事業として実施されたものだが、地域の自然を最大限に活かすとい意味で成田市の新清掃工場付帯施設整備、とりわけ施設外(計画では散策コース)の活用の参考にできないか、というのが検討課題。
視察を通して考えたのは、整備にあたっては「散策コース」と限定しないで最大限多目的に活用する〝(日本のふるさと)里山・田んぼミュージアム〞。可能な限り手を加えずに現状を維持し、整備にあたっては関係するNPOや関心を持つ市民を募ってかつての里山・里道・田んぼを復元する。四季を通じて地域の生物多様性をよみがえらせるだけでなく、そこで市民が遊び、学び、活動する喜びを体験できるエリアにしてほしいということ。温浴施設と里山・田んぼの両方を楽しめるし、イベントや収穫を通して施設を利用する市民の交流が生まれるのではないか・・。
秋が最後の華やぎをみせる頃となった。かつては季節の移ろいに敏感に反応していた私の感性も、いまは変化に気づくので精いっぱい。でも、嘆く前にとりあえず、この季節を楽しもう。
□■□2010年10月30日(土)
台風14号が接近する雨の中で公民館祭りが始まった。外での催しを企画していたサークルはお気の毒。歴史と今を語り合う女性の会も沖縄戦の語り部として活動しているひめゆり同窓会東京支部副会長上江田千代さんの講演を企画。成田のまちは初めてという上江田さんをお迎えに約束の時間にJR成田駅西口へ行くと、半年前にお目にかかった時と同じ凛としたなかにも優しい笑顔が現れた。
講演会場の中央公民館視聴覚室は、雨天の場合に使用することになっていた他の団体が入ったので2時間の予定が会場のセットから引き渡しまで1時間30分に短縮。フラダンスと民謡踊りにはさまれて上江田さんには予定の話を途中で切り上げてもらうことになってしまった。雨の中を参加してくれた人たちも会のメンバーもとても心残りだったが、こればかりは仕方ない。天候はさておき、あらためて市民の文化=サークル活動の隆盛に対する成田市の施設の貧弱さと整備の立ち遅れを実感・・・と、言えばキリがないのでここではやめる。
終了後ボンベルタ内のコーヒーショップに移動し、上江田さんを囲んで会員・参加者で懇談。台風を気にしながらも上江田さんを目いっぱい引きとめてしまった。成田線や総武線が遅れたり止まったりしたら・・・と案じていたが、18時過ぎに無事東京杉並のご自宅に帰られたということを聞いてホッとひと息。
□■□2010年10月29日(金)
急に肌寒さを感じるようになって、紅葉が目を引くようになった。とりわけサクラの紅葉が一枚、一枚、色とりどりに映える。虫喰いの跡や大小の茶色や黒い斑点にも自然が織りなす絶妙な美を感じる。
外出の帰り道、落ち葉を拾ってきてハロウィンのカボチャグッズのまわりに散らした。するとそこは秋深まるメルヘンの世界・・・というのはちょっと大げさかしら?でも夜になって、やはり娘が残していった陶製の小人や動物たち、私が集めたフクロウなどを適当にあしらってロウソクを灯したらやっぱり別の世界が現れた。春を待つ2月、ひな人形を飾り終わってぼんぼりに灯りをつけた時のように、胸の躍るひとときだった。
それと、久しぶりにイタリアンパセリを摘もうとしたら鉢の周囲にびっしりと苗が育っていた。夏の間に種がこぼれたのだろう、美味しそうなベビーリーフ。
〝お金で買える「幸せ」は、年間610万円まで〞〝幸福感 年収610万円で頭打ち〞・・・「高い収入で、満足は買えるが幸せは買えない」。米プリンストン大学の名誉教授らが、米国人約45万人を対象にした自らの電話調査とギャラップ社が08~09年にかけて毎日1千人に実施した「幸福度」調査をリンクさせて出した結論だという。
この調査を主導したプリンストン大D・カーネマン名誉教授は「人間の非合理的で感情的な振る舞いを分析する『行動経済学』」というのを確立して02年にノーベル経済学賞を受賞しているらしい。
年収以外の要素(健康状態・学歴・年齢・信仰など)とも併せて、日々の暮らしの中で喜びや幸せを感じることの比較は興味深い。でも、こうしたことはその人の生き方や考え方もあるので割り切れない要素もあると思う。まぁ、いかにも米国的な調査だとは思う。
毎日いろいろあるけれど、今日は落ち葉とイタリアンパセリの赤ちゃんが私に小さな喜びを与えてくれた。・・・明日の公民館祭りのお天気が心配。
□■□2010年10月28日(木)
地方自治体の「経営改革・人材育成支援」が目的というJMAC構造改革推進セクター主催の〝行政経営実践セミナー〞(東京)に参加した。全国から200人余りが参加していたが、行政部門では主に企画と財政の担当者が来ていたようだ。参加者の4割が議員。
セミナーの中心テーマは行政経営のノウハウ。でも、少子高齢社会など前例のない行政課題をはじめ、民主主義の政治制度を採用して60年余、10年ほど前からようやく住民・議会・行政の関係に変化の兆しが見えてきた。そうした中での新しい行政の在り方がどう語られるか、そこでの住民・議会はどうかといったところで、私のテーマ「市民自治」の視点から関心があった。
プログラムは「行革担当者の悩みに応える」「議員の悩みに答える」「実施計画・予算編成担当者の悩みに答える」「マニフェスト推進担当者の悩みに答える」「人材育成・人事担当者の悩みに答える」といったテーマ。
行政では行政評価、行革プラン、政策の優先順位や枠配分、予算の組み替え、新規事業の企画・評価能力の高め方、市長マニフェストへの対応など。議会では予算・決算における役割、議会改革の進め方など。具体例と様々な現場対応のハウ・ツー、そこに主催者の基本的な考え方が示されて結構面白かった。
成田でも次期総合計画を策定中。12月市長選挙に向けた候補者の「公約」も出てきた。議会でも11月1、2日と決算審査。いろいろ参考になりそうだ。おまけに幾つかの情報を得られたのは成果。
□■□2010年10月27日(水)
佐倉市が街路樹や公園の樹木の害虫被害への対応について農薬使用をやめている、という話を聞いて問い合わせた。佐倉市公園緑地課の話だと農水省・環境省の局長通知以降5年くらい前から農薬使用を中止し、捕殺・枝の伐採で対応。やむをえない場合は従来の農薬ではなく自然由来のニームで管理しているということだった。「ニーム」は以前日記でも記したことがあるインド原産の植物。
私も2003年(平成15年)、農水省が都道府県に対して「住宅地等の農薬使用について」という消費・安全局長通知(その後、環境省も加わる)を出したことにふまえ、水田への農薬空中散布と合わせて住宅地における農薬使用について一般質問で市の対応を聞いたことがある。その後市は通知をもとに成田市でも公園や街路樹などの害虫対策については早期対応を心掛けてはいるが、農薬使用からは脱却できていない。
また、局長通知は行政だけでなく、庭のガーデニングや樹木を管理する住民や地区などへの呼びかけでもあるので、広報などで周知を図ってはいる。しかし・・・ある団地では殺虫剤の「定期散布」(!)というのをやっていて、まだ徹底していないことを実感。
それはともかく、来年度の「予算要望」でも、政策提案として公共施設(保育園や学校、公園・街路樹など)では有機リン系、ネオニコチノイド系農薬を使用しないことを要望しているので、〝善は急げ〞。早速、担当課に佐倉市への聴き取り(調査)と、成田市でも農薬に替わる自然由来のものを使用するよう要望した。
□■□2010年10月26日(火)
「ご近所の空き家」について相談を受けていたので市役所などで実態を調べてみた。いろいろな事情のもとに放置?状態になっている空き家がニュータウンの中にも思っていたより多く存在する。さらに、今後高齢化が進む中で市内にある幾つかの団地や農村地域にこうした放置住宅が増えてくるだろう。
空き地の雑草については市条例があるが、空き家については無い。団地のような家がひしめき合う住宅地域の中で近所に住む住民の居住権や環境権、さらに防災・防犯などに不安を与えている場合でも、すんなり解決できないのが現実。行政が私権に関与するには限界があり、こうした問題は民間同士で解決しなければならない。といっても、誰と交渉したらよいかわかりにくいのが現実。権利関係がはっきりしたら手順を踏んだ法的手続きをとるのが一番良いと思う。とはいえ、こういうことはなかなか一件落着!に結びつかないものだ。
同じ空き家でも、過疎地の自治体などでは人口増加を目的に〝空き家データベース〞や〝空き家バンク〞をつくって空き家所有者とU/Iターン希望者などに情報提供しているところもある。その場合でも、行政の領域は情報提供までで、交渉・契約などは当事者同士や不動産業者が入って行うことになる。ここに何かヒントがないかしら・・・と思った。まだ情報収集が必要。
この件は市民相談室と環境衛生課に聴き取りをしたのだが、環境衛生課で聴いた「猫」の話は興味深かった。犬には登録制があるが猫にはない、から始まって飼い主がいないことの証明だとか、猫に餌をやる人はその飼い主とみなされるとか・・・犬は、娘が望んで柴犬を飼ったことがあるが猫は飼ったことがない私の猫観を整理できた。
□■□2010年10月25日(月)
ヒメツルソバの花が咲きはじめた。ピンクのコロンとした丸い花が可愛かったので春に小さな鉢を買って植えたのが、夏の間四方に伸びて今花盛り。
このところ風邪をおして出歩いて、ついに体力に限界を感じたので今日は2時過ぎまで食事抜きでうとうと・・・30日11時30分から中央公民館で催される講演会「ひめゆり学徒の沖縄戦体験」(講師・上江田千代さん)の問い合わせが4件あった。その中の1件は、伯母さまがひめゆり部隊で自決されたのだがその最後がいまだわからない、ご存知の方がいないか捜しているという市外の方からだった。ひめゆり記念館の壁に掲げられた乙女たちの写真を思い浮かべながら、そのお気持ちが胸に迫った。
福島県会津若松市議会が議員の仕事を試算したという。会津若松市といえば、議会改革では全国でも先頭を行く議会だ。独自モデルでの試算だからいろいろな意見があると思うが、1日8時間労働で換算すると169日、報酬の上限770万円が妥当としたらしい。労働時間というのは本会議出席、要望聴取、市の行事出席などに時間を振り分けて算出。〝議員のお仕事〞は単純に見ればだいたい似たり寄ったりと思うが、報酬については同じような規模の自治体でもかなり差があるので、770万円の根拠はあまり説得力を感じない。
多くの国民が議員や議会制度に不満や不信、疑問を感じている現状を考えると、「議員」を専門職・特権化しないように制度を抜本的に改革したほうがいい。議員報酬の生活給的な要素を除外し日当制にする、自営業に限らず、勤務しながら議員を兼務できるように開会時間を米国のように夕方からにするだけでもずいぶん変わるのではないか。より多くの住民が議員を経験できるようにもなる。私も、市議選立候補にあたって法律事務所をやめなければならなかった過去があるのでよけいにそう思う。
□■□2010年10月24日(日)
いやはや、八ツ場ダムの基本高水(200年に1度の洪水が発生した際の最大流量・八ツ場の場合は群馬県伊勢崎市のハ斗島で毎秒2万2000トン)を算出した根拠となるはずの資料が国土交通省には存在しないんですと!ダム建設の根拠となる数字のはずなのに。半世紀、現地住民を苦しめ、膨大な税金を投入し続けた結果がこれでは、納税者に対する詐欺行為ではないか。
国の審議会は05~06年に基本高水が妥当か否かを審議した際、数値をそのまま踏襲したという。審議会も、国土交通省が出してきた資料を鵜呑みにしたのだろう。ところが、一連の八ツ場ダム訴訟ではこの基本高水の数値が問題として取り上げられていた。原告や代理人が現地を調査し、資料を集めた結果、根拠がないと批判されていた。が、1都5県で争われてきた八ツ場ダム訴訟はいまのところ1審では5連敗で控訴審へ。どこも右へならえ判決だった。今後裁判にどう影響するかしら。
公共の建設事業の中では、需要見込みだの利用者数の予測だのといった事業を根拠づける数字が見込み外れであったことがよく指摘される。八ツ場ダムもその一つであった可能性が高い。
成田市はず~っと〝八ツ場ダムは必要〞と繰り返してきたけれど、負担金を払い続けてきた自治体として八ツ場をめぐる現状をどう考えるのかしら。いたら聞かせてほしいものだ。
□■□2010年10月23日(土)
去る15日、西中で教諭が生徒の態度に怒り、胸ぐらをつかんで壁に3回背中からぶつけ、その後右足を掛けて押し倒し後頭部を床に強打させるという事件が発生した。成田日赤の診断では頭がい骨亀裂骨折、急性硬膜外血腫。19日に退院しているようだが、頭蓋部に関しては退院して終わりではない。今後長期にわたって注意が必要だ。どうしてこのような怒りにまかせた衝動的な暴力行為に及んでしまったのか、再発防止の徹底を。
中学時代は心身が急激な変化を遂げる時代。他人の一言が、或いは一つの出来事が、こどもを大きく変える。善くも悪くも。中には大人社会のひずみの影響をもろに受けてしまい、学校では対応が難しいこどももいるかもしれない。しかし、まだ中学生。幾らでも変わりうる可能性をもっている。親も学校もこどもに問題があれば粘り強く接してほしい。特に親は愛と信頼を言葉や態度で示してほしい。
もう10年以上前のことだが、日本の親は学力の偏差値の高い子ほど〝愛情〞を注いでいるという調査結果が出た。スポーツに能力を発揮するなど他も推して知るべし。一方、日本のこどもは〝自分は親から愛されていない、評価されていない〞と思っている子が諸外国の倍近いという調査結果もあった。親は、自分の存在を肯定できないまま育つこどもの心を考えたことがあるだろうか。今はどうだろう?
実はこの不祥事、昨日22日の朝日県版に掲載された。事件は15日に発生し、私が新清掃工場整備特別委員会で沖縄に視察中に20日付で教育委員会より議員宛てFAXが届いていた。21日夜視察から帰って読むと、末尾に「学校から第1報を受けてのお知らせなので今後正式文書で事故報告を受けて、それに基づき当該教員への事情聴取を行う予定なので内容の取扱いについては慎重にお願い」するというお願い事項がついていた。私も、〝慎重に〞と思っていたが、新聞報道されたので思うところを記した。
□■□2010年10月22日(金)
午前中久住、午後は市役所に出かけたが、熱っぽくて関節が痛い。声も少しかすれ気味。19日~昨日までの視察中は葛根湯で間に合っていたが、どうやら本格的な風邪~!薬を変えたらずいぶん楽になった。寝込まなくてもよさそうだ。
沖縄県うるま市にある美島環境クリーンセンター(成田・富里共同施設と同じメーカーのシャフト炉)視察は、行政側担当者の説明がとてもわかりやすくて有意義だった。昨年個人で訪ねた時は所長さんからの聴き取りだったので、改めていろいろ学ぶことが多かった。
機械工学を担当したといううるま市の担当職員でさえ、ガス化溶融炉の〝思想〞や理論と格闘してきた経緯が言葉の端々から感じられた。やはり、ダイオキシン対策と最終処分場問題の解決を売りに登場したガス化溶融炉は自治体が〝実験場〞であることを実感。そして、メーカーが美島クリーンセンターの〝実験〞によって得たものは、後に続く成田市の施設に反映されるだろう。さらに、実験はまだ続く。
溶融炉の中で起こっていることは数値だけで見るしかなく、炉で問題が起こると後に全て影響してくるという不安定さがあるという職員の説明もわかりやすかった。基本的には自分で分解してみないとわからないということのようだ。さすが~、機械工学(といっても私にはどんな学問かわからないけど)。専門職員であっても技術の習得が難しく、習得によって改善に気付くと言う。それがコストに影響してくるという意味で、「市民の大切な税金」の出費を減らす努力につながるということだ。
成田市もこうした専門職員の配置が必要だと思った。機械工学といってもいろいろあるだろうが、ベースとなる考え方は共通しているのではないか。美島環境クリーンセンターも、専門職員が理解できないことを業者に投げかけ、総業マニュアルを変えて行くことで例えばLPGなどは3分の1に減らすことができたという。もし専門職員がいなかったら業者サイドで運転管理されてきたに違いない。
その他の視察先で得た情報などと合わせ、環境部長も参加したので成田市の清掃工場や付帯施設に反映できるといいが。
□■□2010年10月18日(月)
都市計画課より高さ住宅地における建築物の高さ制限を求める請願(2007年12月議会)の紹介議員に対する説明を受けた。個別にやっているようだ。成田市はこの請願が議会で前回一致で採択されたことを受けて検討してきたが、この度「絶対高さ制限付き高度地区の指定方針(素案)」を策定した。9月議会の建設水道常任委員会で一部公開したが、今日はそれに基づくガイドライン等についての説明。
今後は、県住宅課やURなどニュータウンの公的土地所有者、分譲や社宅所有者との個別協議、その他NT住民への周知、市民全体への周知を経て、23年度以降都市計画決定に向けた法的手続きに入るという。まだ調整すべき課題も残っている。
請願から3年を経る間に、請願のきっかけとなった赤坂地区の「要塞型マンション」計画は業者が経営不振でとん挫し、現在は別の会社が100戸余りの戸建て分譲住宅地として造成中。
明日から21日まで新清掃工場整備特別委員会の視察で沖縄に行く。うるま市にある中部北清掃組合の美島環境クリーンセンターの機種が成田市で建設中の川崎技研シャフト式溶融炉。私は昨年夏に全国地方議員交流会が沖縄で開かれた時に個人で清掃工場を訪ね、所長さんから話を聞いているが、それから1年、運転管理の実績も積んでいるから参考になる話が聞けると思う。その他余熱利用の付帯施設の視察など2ヵ所入っている。沖縄は気候の関係もあってヤマトのようにどこもかしこも余熱利用=温水施設ということではないようだ。
□■□2010年10月17日(日)
空高く気候も穏やか、昨日・今日と市内でもイベントの秋。今日は午前中1時間ほど「たいむ」のポスティング。帰りに斜面林の縁に咲いている野の花を摘んで小さなブーケを作り、自作の花瓶に飾った。ついでに、娘が高校時代に買ったハロウィンのかぼちゃも飾る。ハロウィン(ローマ・カトリックの万聖節11月1日の前夜祭)が近づいたせいかお店に各種グッズが目につくようになった。同じ前夜祭でも、クリスマス・イブに比べるとこどものお祭り。去年は暮れかけた団地の中でコスチュームを身に付けたこどもと付き添いお母さんの一団に遭遇しびっくり、でも楽しかった。
午後は2つのイベントがバッティングし、迷った末、ナンダコレという興味?から成田市・医療構想千葉主催のシンポジウム「国際都市成田の将来と新しい医科大学構想」を選んだ。何がどうなってこのような集会が開かれるのかわからないまま最後まで聴いていて、な~んだ。
要するに、空港関連の税収で財政力のある成田市から国に対し医科大学、ディカル・センターなど誘致の手を上げさせよう、一刻も早く、という尻たたきシンポであった。副市長が仕掛け団体の仲介ですでに文部科学副大臣と会っているようで、どうやらお膳立てはすっかり整っているみたい。東大医科学研究所の教授が「誘致消極論(者)は書き留めて後世に残せ」と、市長・副市長にプレッシャーをかけていた。医療の現実に対する彼らの焦りは理解できるけれど、場をわきまえてほしいよね。関係ない私などはそんな様子を見て目が点になってしまうじゃない。ちなみに、 日本医師会は医科大学構想には反対の立場のようだ。
小林前市長の「空港近くに病院を」という政策提案は動機が理解できた。が、医科大学、巨大メディカル・センター構想などは、市民の何人が知っている?市の財政負担の積算はもっとわからない。さらに今日「何事か」と参加した2、3人の議員を例にとっても初めて聞いた話。医療関係者などから「来年では遅い!すぐにも手をあげないとほかにとられてしまう」と急かされてどうするか、市長がどちらを見ているか、注目したい。
□■□2010年10月16日(土)
夜、今年で5回目を迎える印旛沼花火大会。実行委員会から案内状をいただいたが私は都合で行けなかった。
それにしてもいやはや・・・近くで花火を打ち上げているとわかっているからいいようなものの、部屋の中にいて断続的な轟音に襲われると心が穏やかでいられなくなるほどだった。
ふとイラクやアフガンの人たちを想った。日常的にあのような音を聞いているのかもしれない。しかも命の危険にさらされながら。
それから会場周辺のヨシ原に生息する野鳥たちのことを想った。渡りをするサンカノゴイなどはもうみんな他所へ移っていったかしら?花火大会にこの時期を選んだのは、野鳥の産卵期を避けたということも一因としてあるのではないかと勝手に想っているが、温暖化の影響もあってまだ居残っていたら驚いただろうな。それにしても、この花火大会はいつまで続けるのかしら。
昨日から新聞週間が始まった。初日に開かれた第63回新聞大会では新聞協会賞の授与式。8件の報道が受賞したという。その中でも朝日新聞大阪本社社会グループの大阪地検のFDデータ改ざん事件のスクープとそれに続く一連の記事は、報道の醍醐味と社会的影響力をあわせもつ胸のすくような快挙だった。
しかもスクープにつながる記者の直感と粘り強い取材の中心にいたのが、板橋洋佳さんという下野新聞(宇都宮市)から記者生活をスタートし、3年半前に朝日新聞に移った若者。昨日(15日)の朝日に掲載された板橋さんの「事実を掘り起こす」という現場報告には、彼の〝記者魂〞はもちろんのことだが、ジャーナリストとしてのセンスの良さを感じた。記者にこのセンスがないと、記事は単なる〝広報〞になってしまう。最近サラリーマン記者が増えて、事象の本質に切り込むような記事が少なくなっている。ラクをして情報を集めようとする気持ちは否定しないが、得た情報は足で確かめているだろうか。一方の見方をタレ流していないだろうか。
近年、私の周りには「東京新聞」の姿勢を評価する人が多い。かつて某個性派週刊誌の編集長は、自分が在籍したことがある大新聞を含むマスコミ批判をしたあと、「新聞は東京新聞があればいい!」と言い放ってたっけ。みんなほろ酔いの席だったけどね。
□■□2010年10月15日(金)
北総地区9市の市議会議員研修会(正副議長会主催)が成田市内のホテルで開かれた。講演は横江公美さんの「インターネットの活用で日本の政治はどう変わるか」。一昨年の米大統領選挙やご自身の米国政治の現場体験(横江さんは松下政経塾出身。あの塾は塾生に米国政治家のスタッフなどを体験させている)をふまえた話などは政治制度や選挙制度の違いを超えて面白かった。オバマ陣営のネット活用選挙運動についてはずいぶん紹介されたし、お隣韓国の政治や選挙もネットの役割が相当なものだと聞いている。おそらく、日本も同じ方向に進むのだろう。
市議会議員活動の中ではホームページやメールなどは日々自分でなんとか管理できるけれど、選挙でネット解禁となったらネット管理スタッフが必要になってくるのではないかしら。候補者本人がパソコンとにらめっこする時間には限界がある。もっとも議員がネット活用をする、しないは自由だけど。
成田市議会はすでに本会議も委員会(いまのところ議会運営委員会を除く)もすべてライブでネット中継している。会議録を含め議会関連情報は基本的にインターネットで知ることができる。さらに選挙でネット解禁になったら、議会も議員も政治も、こうした変化に耐えられるように変わらざるをえないだろう。
ただ、横江さんも言っていたがネットはあくまで補助的ツールであり、選挙でいえば原点は候補者がひとりでも多くの人に接すること、候補者その人を知ってもらうことに変わりない。候補者と有権者のフェイス・トゥー・フェイスが確かな一票につながる。
また、最近はホームページを持つ議員も増えた。成田市議会でも半分くらいの議員がホームページを開設している。更新回数は別として。でも、議員活動の報告は日常的にはホームページがタイムリーなのだが、主に定例議会ごとの「議会だより」といった印刷物は必要。私も、1991年以降年4回「たいむ」を発行し続けているが、ネットを利用しない人もたくさんいるから紙の媒体は欠かせない。それと、紙の媒体に愛着を持つ人も多い。紙や印刷技術の発明が人類の文明を押し上げたのですものね!
朝日夕刊の「論説委員室から」という囲み記事を読んで徳島市の姫野雅義さんが急逝されたことを知る。私と同年の63歳だった。姫野さんは吉野川第十堰を取り壊して可動堰を建設するという国の計画に異議を唱え、ついに今年国土交通省に可動堰建設計画を断念させた市民運動の中心にいた人だ。吉野川に心を寄せるたくさんの人々を束ね、困難な中で住民投票をやりぬき、「可動堰ノー」と言う声を活かし切った様々な活動は、姫野さんなくしては実現しなかったと思う。そのプロセスは、まさに民主主義のお手本のようだった。
私も、2000年1月23日に実施された第十堰住民投票(「たいむ」第34号掲載)や、その後何年かして住民投票の結果を守るために推されて徳島市長に立候補した時の市長選挙の応援で彼に接する機会があったが、周囲の人たちから慕われ信頼を寄せられている、そのままの人柄だった。
早すぎる死は、川にアユ釣りに出かけた先での不慮の出来ごとのようだ。姫野さんらしい最後かもしれないと思った。彼が第十堰を守ろうとたちあがったのも、自らがこどもの頃から魚をとったり遊んだり慣れ親しんだかけがえのない場所だったから。そして「たくさんの生きものが生息しているだけでなく、私たちの暮らしを守ってきてくれた。この川がどんなに大切な川か。これをこどもたちに残して行きたい」(1999年)という思いからだった。冥福を祈る。
□■□2010年10月14日(木)
今日は午後から私の担当エリアで「たいむ」をポスティング。前回の7月とは異なり、庭の樹木や花など秋たけなわの彩りに。春は思わず立ち止まって花の香りを胸に吸い込んだみかんの木に、まるまる太った実が色づく時を待っていた。住宅地の秋も趣があって楽しい。
11日から名古屋市を会場に国連地球生きもの会議が始まった。15日には、輸入された遺伝子組み換え(GM)作物が生態系に被害を与えた場合の対策を定めたルール「名古屋・クアラルンプール補足議定書」が採択される予定。
「種」の壁を超えて作られた組み換え作物の栽培面積が増え続けている。私たちの食生活に欠かせないダイズ・トウモロコシ・ナタネのほとんどを輸入に頼る日本は、まさにGM食品の人体実験場。
ここ数年私はGM食品関係の市民運動に加わっていなかったが、「農民新聞」10月15日号の投稿記事を読んで、GM汚染の拡大と深刻さを実感。日本が食用油の原料として年間200万トン輸入しているナタネの輸出国カナダでは、栽培されるナタネの80%がGMナタネだという。
ナタネについては、04年に農水省は鹿島港から陸揚げされて運ばれる途中の国道51号沿い成田市内でGMナタネが自生していると発表した。直後、私も県内の市民グループと一緒にGMナタネ汚染調査に参加した。その時私が採取した市内3ヵ所の自生ナタネからは汚染が発見されなかった。中部圏のGM食品を考える会の報告によれば、伊勢湾を囲む100キロ圏でGMナタネの自生が確認され、08年には在来ナタネに、09年にはカラシナ、ブロッコリーにも交雑が見つかっているそうだ。
GM食品を考える市民グループは、汚染の拡大に対して行政による駆除対策や、汚染が拡散して取り返しがつかないことにならないよう、カルタヘナ法に基づく国内法(100年以上前から日本にあった在来種しか保護の対象にしていない)の抜本的改正を求めている。
□■□2010年10月13日(水)
昨夜は市役所で周辺9市町による成田空港圏自治体連絡協議会、それを受けて今日はビューホテルで4者協議会が開かれ、成田空港の「容量拡大(30万回)に係る確認書」が締結された。しかし、そもそも物理的にかなり無理した拡大で、実際に30万回が実現するかは疑問だ。マスコミなどでは「羽田国際ハブ空港化が加速する中での成田の危機感のあらわれ」といった表現が使われていた。確かに、私が接しうる範囲で小泉市長の危機意識は群を抜いている。さらに「みんな羽田に持っていかれて貨物空港にされる」という相も変らぬデマゴギーで善良な住民を不安にさせる議員もいる。
ここに至る過程で、容量拡大で騒音被害が大きくなる成田・芝山の議会や地元住民団体の容認が報道されたが、関係地区での住民説明会で容認したところは一ヵ所もない。民主主義における合意形成のスタートは「住民」から始まる。関係住民の合意や同意がないうちはやらない。なのに見切り発車したのは「30万回に同意してくれない住民も、容量拡大が地域の発展に寄与するということには理解を示してくれている」(成田市議会全員協議会での片山副市長)という理由。こんなご都合主義行政がまかり通るようでは先が思いやられる。・・・それにしても、空港行政ってずっと住民置き去り、あとで「地域振興」などのアメを与えて不満をなだめるというスタイルだ。これでは成田市が真の意味で豊かで成熟した国際空港都市になることはないだろう。
チリでは、8月5日の鉱山事故で地下約700メートルに閉じ込められた作業員33人の救出が始まった。家族やチリ国民だけでなく世界が注目する中で、救出用カプセルが順調に動き、1時間に1人の間隔で次々と地上に生還しているようだ。落盤事故から70日目。本当に良かったね~。
この事故はチリ国民の心を一つにし、不人気にあえいでいた大統領の支持率アップに寄与したらしい。
今回の事故で最も注目されると思われるのは、事故発生から全員無事が確認されるまでの17日間、地下深い暗闇の、食料は3日分しかない中で33人がどのように過ごしたか・・・その経緯は、感動的な英雄談や家族愛、救出作業とは角度を変えた、各分野における〝人間の可能性〞についての学術的な考察だと思う。きっと私たちに貴重な教訓を残してくれるに違いない。
□■□2010年10月12日(火)
男女共同参画推進懇話会を傍聴した。次期計画策定に向けて提案された「素案」とそれに対する委員からの意見が出された。
全体を聞いて、「男女共同参画計画」という軸足については共有できていても、なぜ男女共同参画なのかという根本的なところでの視点が定まっていないように思った。無理もない。一番の原因は国にある。国際的には「男女平等」社会を実現していくための計画なのに、日本は基本法を制定する過程で「男女平等」という言葉を使用することに踏み切れず、焦点をぼかして「男女共同参画」などという下を噛みそうな用語にしたからだ。
・・・他人のことはあんまり言えない苦い経験が私にもある。かつて「歴史と今を語り合う女性の会」から市議会への請願として、国に「男女平等基本法」制定を促す意見書提出を求めた時のこと。女性計画に熱心な公明党の賛成を得るために原案では「男女平等」基本法としたものを政府が提案している「男女共同参画」に変えた経験がある。おかげで請願は採択され、県内では早々と意見書提出にこぎつけることが出来たのだけれど・・・。
そんなこんなで日本はいまだに法律上の女性差別を残したままだ。国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)から日本政府に対しては、「民法の差別規定(再婚禁止期間、婚姻適齢、夫婦同姓の強制など)の改正」「意思決定への女性の参加を引き上げるための数値目標とスケジュールをもった暫定的特別措置の採用」のフォローアップ項目について来年までに措置内容を報告するよう求めている。報告は条約締約国の義務。
8月末から9月初めにかけて来日したCEDAWのシモノビッチ委員が記者会見や内閣府で講演した時にも、日本は女性差別撤廃条約に法的拘束力があるという認識が不十分なのではないか、条約が単なる宣言のように思われているのは問題だと指摘、日本に残る民法上の差別規定はもう他の国ではないとし、「法律上の差別は国の責任において変えるべき」と迫ったと言う。そういえば、条約が民法など個別法の上位にあることを認識している人って少ないのでは?条約を批准したのだから民法を変えなさい、ということだ。
国のこんなありさまを見るにつけ、成田市が「女性計画」から18年経っても審議会等への女性委員3割登用が実現できないでいることや、市議会議員30人中女性議員が私1人という現実や、市民アンケート調査で「男は仕事、女は家庭」という性別役割分担意識の典型的考え方に「同感しない」成田市民が40.6%(女43.3%、男37.0%)しかいないという結果も、そんなものかと思ってしまう。男女共同参画社会はまだ道遠し、といったところね。それでも、次の計画がこれまでよりもステージアップすることを期待したい。
□■□2010年10月11日(月)
昨夜は井村弘子さんの卆寿お祝い兼懇親会から帰って早々と眠ってしまったせいか、朝4時30分に目が覚めてしまった。カーテンを開けると外はまだ真っ暗で、ベランダ越しに空を見上げるとため息が出るような美しい冬の星座。南の空高くオリオンの雄姿。その左下には大犬座。恒星では全天で一番明るいシリウス(天狼星)が青白い光を放っていた。天頂から西に少し傾いて牡牛座の肩先にプレアデス星団(すばる)。かつては鮮明に7つの星が見えたのだけれど今は老眼・遠視・乱視と3重苦の私。それでも、鮮度は落ちるが6つの星が見えた!
この時間を〝あかときやみ(暁闇)〞というらしいことを思い出した。あかとき(暁)というのは夜が更けて行って明け方近い頃。空を眺めて〝あけぼの〞を待つほどの動機もなく、かといって二度寝もできず、いつもより少し早い一日が始まった。
今日は「たいむ」をポスティングする準備。ボランティアさんのお宅に届けたり、その先でこの時とばかりおしゃべりまちこ・・・。そうそうこの前、「たいむ」にも寄稿してくれていた会津もと子さんの「えこねこ便り」に推薦文を書いたりしたので、今日は事情を知っている2名の方から「足立さん、次の市議選出ないの?」と聞かれた。気を遣わせてしまったようだ。そぎゃんこつ、な~んも言ってないっす。
20代、30代の人たちにも市政を身近に感じてもらいたい。それに、成田市議会に一番欠けているのは女性。もっと女性を!というわけで、まちづくりに関心を持った女性たちには若い感性で成田の未来を考え、行動してほしいと願っている。
□■□2010年10月10日(日)
昨日からの雨も午後にはあがった。雨が降らない長く暑い夏が続いたので土砂降りでも気持ちが落ち着く。午前中、震源地が近い所であまり時間を置かずに2回身体に感じる地震があった。「たいむ」76号の印刷も3分の2が終わり、友人と遅いお昼を食べる。
話題の中心は昨日から岩波ホールで公開が始まったウニー・ルコント監督・脚本の映画『冬の小鳥』(韓国=フランス)。話題の映画だ。私が知っているだけでも、『週刊金曜日』の映画欄、朝日新聞、NHKラジオでとりあげている。
この映画は韓国で父に捨てられて児童養護施設に入れられた9歳の少女ジニが、その現実を受け入れてフランスに養子としてもらわれていくまでを描いているようだ。4歳の少女が1996年のヴェネチア国際映画祭で主演女優賞を受賞して話題になった『ポネット』(ジャック・ドワイヨン監督・脚本、フランス)を連想させる。突然交通事故で母をなくした幼い少女が母の死を受け入れるまでを描いた作品だ。死の意味がわからずにひたむきに母を求めるポネットが涙を誘った。『冬の小鳥も』たぶん、9歳の少女なりに現実を肯定して生きていこうとする物語だと思う。
『週金』9月24日号で中村富美子さんの映画批評を読んだ瞬間から、私は〝いつ岩波ホールに行くか〞を考えている。当分昼間は行けないが、いま一番観たい映画。
夕方から、市東孝雄さんの農地取り上げに反対する会・共同代表の井村弘子さんの卆寿のお祝い兼ねた懇親会が参道のとあるお店で開かれたので出席。井村さんは教員を退職されてから千葉県の環境保護運動の先頭にたって活動し、残土・産廃ネットが朝日新聞の〝明日への環境賞〞を受賞した際原動力となった方。今日は昼間反対同盟の集会とデモがあって会の有志も参加し、沖縄から発言したヘリ基地反対協代表の安次富浩さんにも帰路加わってもらい、デモ終了後に成田で懇親会となった。卆寿を迎えてなお3キロのデモを平気でこなす井村さんにはみんな脱帽。
□■□2010年10月7日(木)
昨日と今日は市役所と印刷用の紙を買いに出かけた以外は「たいむ」76号を作ることに集中。10日発行なので明日・明後日とも我が家は作業場と化す。単純作業の時は脳から指令が下ったようにお料理に力が入るから不思議。
産直農家から無農薬・有機で露地栽培している野菜を購入するようになって20年余り。私は都合で月1回の購入(産直野菜は週1回配達)だが、ケースに入ってくる『産直ニュース』をいつも楽しみにしている。特に自然との〝折り合い〞の付け方は生き方につながり、農業一筋に生きてきた人の言葉は簡潔にして哲学的洞察力に富んでいて教えられることが多い。私は農業を生業とする人たちの言葉に惹かれる。 そういえばカルチャー(文化)の語源はラテン語でクラトゥーラというが、これには〝耕す〞という意味がある。農業も「アグリカルチャー」。定住農耕が人類の文化を発展させる原動力になったと思えば、奥が深いのは当然かも。
ところで、農家にとって今年の猛暑・水不足の影響はやはり相当深刻らしい。作付けだけでなく生育中の野菜もダメージを受け、秋だけでなく冬から来春にかけても品数がそろわない状況が続きそうだという。定番の根菜類もピンチらしい。産直農家の加代子さんもこれから天候が落ち着くのを待って何ができるか模索しながら野菜の作付けをしていくそうだ。
そんな中で、この冬から新しい野菜として「のらぼう菜」を計画しているとか。江戸時代は「ジャバ菜」と呼ばれ、西洋アブラ菜系でおひたし、ごま和え、味噌汁、炒め物に美味しいんですって。関東のからし菜、北陸の雪菜のように九州などでは野良生えしているので「のらぼう」と呼ばれるようになったらしい。野良生えするくらいだからきっと逞しく栄養豊かな野菜なのでしょうね。楽しみ。
□■□2010年10月5日(火)
成田市の2011年度(平成23年度)予算に関する要望書を市長に提出した。Ⅰ「市政への市民参加と情報公開の徹底」5件、Ⅱ「まちづくり」4件、Ⅲ「こども」5件、Ⅳ「食と農」4件、Ⅴ「環境自治体の創造」4件、Ⅵ「国際空港都市」2件、Ⅶ「男女共同参画社会の推進」5件、以上7項目計29件について政策提案及び予算を要望した。
恒例となった市内10(私立を含む)の中学校生徒による中学生議会が本会議場で開かれたので傍聴。質問内容にもこどもたちの視点がきちんと入るよう工夫されて、徐々に洗練されてきたと思う。簡潔で的を得た質問に対して答弁が長いのは相変わらず。
後半は会派の控室で作業をしながらTV中継で傍聴。西中の生徒が子宮頸がんワクチンの予算について質問した時に思わず作業の手を止める。ワクチン補助対象は小学5年から中学3生まで。その中で、「なぜ5年生以下は補助しないのか」という問いに市長がどういう答弁をするか・・・注目したが模範回答で、抽象的だった。保護者や学校はどう説明しているのかしら。
実は、今日市長に提出した提案と予算要望では、子宮けいがん予防についてはワクチンのみに頼るのではなく、性行為や性感染症への正しい知識、妊娠・出産・親としての責任などへ認識が重要であることから、「リプロダクティブ・ヘルス&ライツに基づく性教育」を実施するよう要望した。
子宮頸がんウイルス(HPV)は性交渉により男性から女性に感染し、女性だけが発症する。ワクチンは感染前に接種しなければ効果がない。性行動の活発化・低年齢化を考えて未感染者のワクチン接種は12歳前後からとされている。自治体の助成対象もそれに沿っている。
でも、ワクチンというのは特定の型にしか効かない。先日読んだ或る機関紙によればHPVウイルスは15種の型があり、現在日本で認可されているワクチンはこのうち2種類の型にしか効果がないそうだ。ワクチン接種で期待できる効果は6割程度らしい。
ところで、このHPVウイルスには8割の女性が感染するのだそうだ。しかしそのうち9割は自然消滅し、1割が居残り、このうち5%の女性が前がん症状になるという。ここで発見できればほぼ確実に治療できると言われている。そこで子宮頸がん検診が重要になる。
要するに、子宮頸がんを減らすにはこどもたちには正しい性教育、成人女性にはがん検診(子宮頸がんの検診率は24%といわれ、英米が80%以上に比べて極めて低い)が決め手ということ。
□■□2010年10月4日(月)
今年は四柱推命で「健衰」とかで、そういわれてみると近頃体力がもたない。夜は9時になると眠くなってしまう。きっと眠ることで健康をコントロールしているのかもしれない。こういう時は生理に従って過ごすのが一番、と自分に言い聞かせている。。
今日は用事が済んでから北印旛沼大竹地先のヨシ原造成地の様子を見に寄った。そうしたら・・・なんて幸運なことでしょう!久しぶりに見るサギの大きな群れが空をゆったりと旋回し、稲刈りが終わった田んぼに優雅に降り立つ光景に遭遇した。胸がときめくようなひとときだった。
ここの人工ヨシ原は2年前に市議会で取り上げた甚兵衛広沼角川河岸の造成地よりもずっとヨシの根付きが良い。でも、サンカノゴイの移転先?にしてはいかにも「造成しました!」という小細工(そばに印旛沼があるのに池や水路を作ってみたり)が気に入らない。ところで、ここへ「サンカノゴイに移っていただく」という事業者の目論見が成功したかどうかは確認していない。私の見た限り現状ではまだ環境が整っていないので無理だと思う。野鳥愛好家の中からもサンカノゴイは激減したという声を耳にする。戻るにしてもあと幾年か様子を見る必要があるかもしれない。或いは、人工ヨシ原が人工的であるうちは寄りつかないかもね。
2010・10月・4 (PHOTO BY MACHIKO)
下の写真が大竹地先の代替ヨシ原の一部。現在は立ち入り禁止でまだほかの土木工事をやっている。親水公園のような構造にするのかしら。サンカノゴイにはなるべく奪った営巣地に近いようなヨシ原環境を返せばいいのに、お金をかけて余計な構造にするのはいかにも行政(千葉県)らしい。
□■□2010年10月1日(金)
朝、「広報なりた」の伝言板を見ていたら、〝大自然を満喫・坂田ヶ池自然観察会〞の募集があった。サブタイトルの〝大自然〞という言葉に思わず「うっ!」タイトルを付けた職員の意気込みは感じるが、坂田ヶ池を〝大自然〞と呼ぶのには抵抗がある。原初の森を想い起こさせるようなシラカシやシイなどの木立も残っているけれど、でも坂田ヶ池は人の手が入って造られた〝自然〞です。かつての里山景観かしら?いくらなんでも募集を読んだ市民や観察会に参加する人が坂田ヶ池を〝大自然〞と誤解することはないだろうと思うけれど・・・。
市議会の全員協議会が開かれた。議題は成田空港の容量拡大(年間発着回数30万回)について。「騒音下住民の苦しみはよくわかる」と言いながら、全員協議会では市議会の「成田国際空港の容量拡大(30万回)実現に対する申し入れ書(案)」を賛成多数で容認した。成田市と空港会社に提出するらしい。
30万回については現在にいたるも関係各地域の住民説明会では同意を得られていない。そんな中、羽田空港が来る16日に4本目の滑走路国際線開港セレモニー、21日から供用開始される。これまで議会質問には必ず「30万回は住民の同意が前提」とし、今日も議員の質問に「16日までには(住民と)合意したい」と言いつつも「この期に及んでもう、住民の同意なんか待っていられない!」というのが市長の本音なのだろう。そのためには議会のお墨付きがほしかったということ。関係住民を置き去りにして物事を進め、結果やむなく認めさせる成田空港建設の手法の踏襲だ。
次の言葉がその危機感・焦燥感を表しているのではないか。「いま、30万回を打ちださないと将来に禍根を残す。歴史の審判が下され『あの時の市長は誰だ?』と・・・正念場。(騒音下住民には)大変な思いをさせるが、ここで決意しないと・・・」そんな市長を後押ししているのが地元経済団体や市議会の推進派。空港に成田の「運命」をまかせ、経済や税収の豊かさを基準にしかものを見たり、まちづくりを考えることができなくなってしまった人たち。
内陸空港である成田空港に飛行回数や時間制限があるのは当然だろう。周囲が砂漠や海上ならいざしらず、直下に人が暮らしているところで同時平行離陸や時間制限を解除して実現しようという30万回。22万回になったばかりばかりなのに、そんなに焦ってどこへ行こうとしているのかしら。
□■□2010年9月30日(木)
「歴史と今を語り合う女性の会」例会。公民館まつりに女性の会として参加する上江田千代さん(82歳)の〝ひめゆり学徒の沖縄戦体験〞(10月30日土曜日11時30分~1時30分)の打ち合わせ。上江田さんは女学生の時ひめゆり部隊として沖縄戦を体験し、今は語り部となって一人でも多くに人に戦争の悲惨さを伝えるための活動をしている。
それから、渡邊純君のママから中学校生活の嬉しい楽しい近況報告。みんなが温かい気持ちを分かち合えたひとときだった。
□■□2010年9月29日(水)
積もった事務処理に追われて頭の中がゴチャゴチャしてきたので、坂田ヶ池公園~風土記の丘を歩く。今日は雨があがり、あたりには樹木や土の匂いが混じって湿ったいい匂いが漂っていた。久しぶりに癒される。先日読んだ冊子の中でC・W・ニコルさんが語っていた。森に入って元気をもらうというのは感覚的なものではない、「生地南ウエールズの医者は何十年も前から患者に〝森の散歩〞という処方箋を書いている」と。私は、医者に処方されるまでもなく心身が求めるままに森の中に入る。そしてパワーをもらう。動物的直感かもね。
今日は雨上がりのせいかいろんなキノコが目についた。もう、それだけで胸が躍る。一人で楽しむのはもったいないので、ジャ~ン!一挙公開。
PHOTO BY MACHIKO (2010・9・29)
キノコの名前は知らな~い。最後のキノコは手にとったキノコとりのおじさんが「このへんでは食べないけど、軽井沢ではうどんの汁にいれて食べてるよ」とか。そして、見つけた彼岸花。鮮やかな赤になぜか亡き母を思い出し、恋しいと思った。
□■□2010年9月28日(水)
昨夜午前0時、名古屋市の議会解散リコール署名が1ヵ月の期限で終わった。今後選管が署名をチェックし、名古屋市の場合は有効署名が36万5,795人(自治法76条=連署で有権者総数の3分の1、ただし有権者が40万人を越える場合は超える数×6分の1と40万人×3分の1を合算した数)以上になれば解散請求ができる。そして住民投票が行われ、過半数が賛成すれば議会は解散となる。河村市長が自らの公約実現の壁となっていた議会を解散すべくリコール署名を呼びかけ、期間中旗振り役を務めたという意味で、地方制度の根幹である二元代表制の在り方に波紋を投げかけている。
無責任なダメ議員と議会vs市民の味方首長(リーダー)・・・一見わかりやすい構図だ。同じようなことは橋下大阪府知事や、リコール投票が行われる鹿児島県阿久根市長も主張している。
こうした首長が登場しラディカルな議会批判が住民に受ける下地は議会にあると思う。背景には議会が民意とかけ離れて特権化し、機能不全に陥っていることがあげられる。住民の不信感は頂点に達しているといってよい。
成田市民だって、「議案をそのまま追認するだけの議会に市民の税金から年間800万円余りの報酬を与えていいのか」「議員が30人も必要か」と言われれば、「よくない」と答える人が多いだろう。反対に、減税公約に「反対」という人は少ないだろう。
名古屋市民(や、市長リコールを問う住民投票が行われる阿久根市)がどのような結論を出すか注目したい。それによって生じる結果に問題アリならまた変えていけばよい。まどろっこしいかもしれない、選択のツケが自分たちにふりかかってくるかもしれない。しかしそのようにして民主主義の大地を耕していくのは主権者である住民だ。
私は、多様な国民・住民の声を政策に反映させていくには1人のリーダーにまかせるようなシステムではなく、代表民主制としての議会制度は必要だと思う。そのためには選挙で一票を入れたあとは議会におまかせではなく、主権者が変わることで議会を変えていくしかない。
朝鮮民主主義人民共和国では金王朝の3代目が選ばれたという。封建主義だのあーだこーだと批判する前に、人のふり見て我がふり直せ、だ。「民主主義」の政治制度を採用したはずのわが国でも世襲議員というのがいて、選ぶ選挙民がいる。
□■□2010年9月26日(日)
大栄野球場(命名権料年間200万円で〝ナスパ・スタジアム〞と呼ぶ)の開場式が行われた。旧大栄町時代の計画はスポーツ・レクリエーションの場として約5億8千万円で整備する予定だったが、合併後計画が変更されて約21億3千万円に膨らんだ施設。大谷津球場が北千葉道路建設で1シーズン使用できなくなることや硬式野球人口の増加などが理由らしい。
メインスタンドは3階建で個人席が1500席。内野(クレイ)・外野(人工芝)の観客席の広さが合わせて13,560㎡。8,000人位の観客が入るとか。野球にはほとんど興味がないから野球場のことはわからないが、これまでのような運動公園の中の一施設としてではなく単独の野球場なのでなかなか立派にみえる。これだけの施設を作ると維持管理も大変だろうな・・・。それはともかくせっかくの施設、少年野球はじめ野球の好きな人たちにどんどん使用してもらいたい。
今日は開場式が終わるとさっそく国民体育大会のソフトボール競技が始まる。第一試合の東京都と鹿児島県の代表チームも参列していた。市長が始球式をやるらしい。
後方がバックスクリーン一体型スコアボード(磁気反転式掲示板)
秋の彼岸も最後の日になってしまったが実家に彼岸参り。12日に帰った時は撮りそこねたので、庭のエノキの倒木に生えていたサルノコシカケを記念撮影。2枚かと思っていたが、よく見たら下のほうにそれよりも小さいのがもう1枚生えていた。 2010・9・26(PHOTO BY MACHIKO) ん百年を生きて命尽き、なおしばらくの間立ち続けてついに倒れたと思われる姿に、よくぞここまで・・・と手を合わせた。
□■□2010年9月25日(土)
銚子市と旭市にかかる産業廃棄物最終処分場反対運動の「勝利集会」が開かれた。私は参加できなかったのでお祝いのメッセージを送る。産廃処分場計画が持ち上がって以降、旧海上町の住民投票を経て先日の最高裁での千葉県を相手にした行政訴訟勝訴に至るまでの裁判闘争という、長く苦しい闘いを粘り強く続けた住民の勝利だ。とりわけ、女性たちの頑張りがすごかった。〝女の底力〞を見せつけた運動でもあった。そして住民が全幅の信頼に応えた弁護団の存在。裁判を傍聴するたびに住民と弁護団の強い絆を感じて胸が熱くなったのを憶えている。
中国漁船拿捕、船長の逮捕勾留をきっかけに「領土問題」がないとかあるとか、その対応を強硬だの弱腰だの毅然とだのといった威勢のいい言葉が飛び交う日中間の対立。逮捕された船長は今日保釈されたようだ。私はもともと「国家」とか「国境」に関心がないのでこういう問題にはうんざり。「アダムが耕し、イブが紡いだ時、誰がいったい紳士であったか」(14世紀英国農民一揆の指導者の一人ジョン・ボール)という言葉があるが、それをもじれば、人類の祖先たちが山野を越え海を渡って世界に広がっていった時、いったいどこに国家国境があったか、だ。
国家に主権をもたせ、国と国の境を線引きすることを国際秩序として認め始めてから400年も経っていない。とはいえ、当面どうするかは考える必要があるだろう。先日早大教授の天児慧さんが朝日新聞に書いていたような「領土領海の係争地域に限定した『共同主権論』・・・」や「日中首脳会談で『領土領海問題』としての尖閣諸島問題の凍結を宣言」するとか、「当地域を『政治特別区』にし、民間レベルの自由往来を制限する」とか「当地域をめぐる諸問題を議論し解決するための専門委員会を設置」するといった提案(「脱国家主権」の新発想を)に耳を傾けたい。
□■□2010年9月24日(金)
朝、市川さんのお宅で目覚めると雨の音がしない!やっぱり地元の人の天気予報は当たり、ね。障子を開けると、果樹園の向こうには山が迫っていた。朝食の前に作業場でおみやげに用意してくれたブドウ数種類とプラム、プルーンなどを箱に詰めて宅配の準備をした。お家の周りに広がるプラム畑の周りを散歩した後、遅い朝食作って賑やかに食べる。朝ごはんをそんなふうにして食べるなんて学生時代の合宿以来だわね。その後昼食用におにぎりをたくさんつくって出かける。最初に山を降りた所にあるブドウ畑、その次は桃の畑へ。
(左)たわわに実ったベリーAの房がズッシリと重い・・・ (右)これが昨夜飲んだ白ワインの「甲州」。
ここでもおみやげのぶどう(上の写真)や桃(缶詰用の固い種類)をもぎながら果樹栽培の話を聞かせてもらう。「はぁ~」「へぇ~」「ほぉ~」と感心しながら、農家のプロ意識ってすごいなぁと思う。山梨の中山間地にもニホンシカ、イノシシ、サルが出没し、コメ(サルの場合コメを噛んで汁を吸い、滓をペッ、ペッと吐き出すらしい)や果樹、木の皮を食べたりして被害を与えているという。余談だが、ゆうべ聞いた話ではニホンシカはエゾシカよりも美味しいらしい。これまでも〝中山間地農業〞という言葉は聞いてきたが、やっとその現状を垣間見、体感することができた。
その後、市川さんの案内で昇仙峡へ。私は初めて。それにしても、ぞくっとするような渓谷美だった。観光で訪れた者にはわからないが、かつて渓谷を流れる水は澄んでいたが上流にダムができてからすっかり汚れてしまったという。
昇仙峡の帰りに近くのワイナリーに寄って試飲。そこでほんの一口試飲させてくれた中で一番高かったのが5千円の白ワイン。口の中に広がる味も香りも存在感がありながら、喉越しはサラッとした透明感があった。でも、昨夜飲んだ白ワインとは比べようもない。私はいま、あのワインをどのような言葉で表現しようかと悩んでいる。
夕方甲府のまちに下ってきて私を含む3名が甲府駅の前で降り、あずさ号に乗って帰途についた。残った4人は市川さんのお家にもう一泊する。今夜はほうとうの作り方を教えてもらって鍋を囲むんですって・・・。
□■□2010年9月23日(木)
久しぶりのプライベート旅行だというのに朝からポツリポツリ。天気予報はカサマークが並んで×。私は〝晴れ女〞のはずなんだけどなぁ・・・、おまけに待ち合わせの場所をカン違いして、同行の人たちに車を遠回りさせてしまった。合流した後の車の中は女性5人に男性2人で行楽モードに切り替わる。首都高で時間をとられ、ふきつける雨で速度制限があったりしたが1時過ぎには無事甲府について、早速B-1グランプリの最高賞ゴールドグランプリに輝いた「甲府鳥もつ煮」を食べようと、元祖鳥もつ煮のお蕎麦屋さんに行く。そのお店が鳥もつ煮発祥の本店とか。ところがお店の前はこの通り。
(左)グランプリ直後の休日とあって、時々冷たい雨が降る中午後2時を過ぎても順番待ち。テレビ局も取材に押しかけ、車のナンバーを撮ったり、お店の人にインタビューしたり。(右)やっとお店の入口に届いた・・・。
空腹のうえ寒い中1時間以上待ってやっとありつけた熱々の鳥もつ煮は、うまか~。砂肝、ハツ、レバー、それに〝キンカン〞と呼ぶお腹の中の卵のモトがこってり甘辛照り煮。。メニュには鳥もつ丼もあったが私たちはお蕎麦のおつまみにして食べた。事前に見た写真ではレタスとシシトウが添えてあったけれど、シシトウが無かった。理由はわからない。
夕方近く、目的地である甲府盆地を見下ろす果樹農家市川勝三さんのお家に到着。塩山市に住む市川さんの農業仲間2人もゴルビーやピオーネといった高級ぶどうをお土産にとっくに到着していた。早速みんなで海抜900メートルにある市営温泉へ。合併前は町営温泉だったとかで、竹下内閣時代の〝ふるさと創生〞で配られた1億円を原資に掘った温泉の一つだそうだ。営業時間は6時までということでゆっくりというわけにはいかなかったが、山並みを眺めながら露天風呂を楽しんだ。帰る途中、「明日はいい天気だ」と市川さん。甲府市の灯りがすっきり見えると翌日は良いのだそうだ。逆に霞むと崩れる。ここで生まれ育った人でないとわからない天気予報。
夜は同行した匝瑳市のお米農家小川さんが持ってきてくれた水揚げされたばかりのサンマや野菜、市川さんが用意してくれた肉などでバーベキュー。土間のストーブで赤々と燃える薪の炎よりも熱く語り合う崖っぷちの農業問題で一同夜の更けるのを忘れた・・・と書きたいところだが、夜は早々と眠くなってしまう私に限っていえば、農業専門紙の記者と4人の専業農家の貴重な議論の最中もうつらうつら。
市川さんの農園で生産された甲州という品種のブドウで彼の友人が造った白ワインをご馳走になった。こういうワインを〝極上〞というのでしょうね!以前市議選に立候補するために法律事務所を辞めるお別れ会の時ボスが、フランス料理店に集まった十数人の人たちの「料理をぜんぶ合わせたよりも(値段が)高いんだよ~」というワインの栓を開けてくれた。その頃はワインの味などわからなかったので記憶はないが、私がワインを飲むようになってから最高の味だった。
□■□2010年9月21日(火)
成田に引っ越してきて、就職したいがこどもを預ける場所がなくて困っている・・・3ヵ月の赤ちゃんを連れた若いカップルの話を聞いていて、あらためて保育所問題を考えさせられた。近年は保育所の受け入れ態勢もずいぶん充実してきたと思う。でも、長引く不況の中で若い夫婦が一人の働き手だけで家計を維持することが難しい時代。夫婦で働いて子どもを育てていかなければならないのが現実だ。とにかく市に入所の「申請書」出しておかないことには話が進まないのでそうしてね、としか言えないのが辛いわね。
これまでもよく耳にしたが、「保育所に〝空き〞がない」という言葉が切実に迫ってきた。国も地方自治体も子育て支援が叫ばれているが、保育所という男女共同参画時代を支える施設整備が中途半端なまま。これは国政の重大な怠慢だと思う。子育ての環境整備を充実させてほしいという親たちの願いはもっともな要求だ。こども手当でお茶を濁されては困る。
少子高齢社会で大事な基盤整備は特養老人ホームや保育園では常に「空き」をつくっておくような施策だと思う。でないと社会経済全体がスムーズに回らない。日本も少子高齢化が進めばいずれ労働力不足が発生する。解決方法は女性と外国人労働力。夫が外で働き妻は専業主婦という戦後の高度経済成長期の核家族モデルは半壊れの時代。誰もが安心して暮らしていくにはそのくらいのゆとりが必要ではないか。
郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件をめぐって、押収資料改ざん容疑で大阪地検の特捜主任検事が逮捕された。押収したフロッピーディスクのデータの中で、厚労省の村木厚子局長に罪をきせるために日時を改ざんしたというもの。村木さんは先日無罪となり、検察が控訴を断念したので無罪が確定したが、これは検察制度の危機。だって、検察が「あいつを罪に陥れよう」と思ったらここまでやるということだから。検察権力にはこういう体質があるのだ。かつて「国家」が暴力性をむき出しにした天皇制軍国主義全盛の頃、(特高)警察・検察・司法がそれを支えたことを忘れてはならない。まったくおぞましい事件だ。
□■□2010年9月20日(月)
2日間で43万人5000人を集めたというご当地グルメの祭典B-1グランプリ。18、19日に厚木市で開催されたB級グルメ日本一を決めるこの大会で〝甲府鳥もつ煮〞が優勝したという。鳥もつを甘辛いタレで照り煮したもので、「地元でそば屋に行けば誰もが頼む」という一品らしい。なんでも、B級グルメの定義というのがあって①特定の飲食店のメニューではなく、その地域に行けば複数の店で食べられる②地元の人が日常的に食べている③値段も手ごろ、など。
実は私、23、24日と個人的な旅で山梨県に行くんだわ~。さっそく甲府で食べることに決めた。食べた感想は後ほどこの日記で・・・。
B級グルメという言葉がマジで私の意識の中に入ってきたのは成田空港成長戦略会議の中間とりまとめ。新聞、雑誌、TVなどのパブリシティでいくつかの提案があり、その中にB級グルメ等フードという意見があった。羊羹やうなぎ、てっぽう漬のほかにB級グルメを開発したら?といったことのようだ。でも、成田市でB級グルメの定義に合ったローカル・フード、何かある?ふだんはほとんど外食をしない私にはちょっと思い浮かばない。ローカル・フードってもともとは「各地方に静かに根付いているもの」「その土地の風土が伝わるようなもの」だから、ブームに乗っかった「開発」といってもねー。
それにしても、もともとは「町おこしイベントで投票はおまけ」だったのが回を追うごとにブームが過熱し、グランプリの経済効果も絶大とか。確かに、優勝すればメディアに登場するわ、観光客も来て注文するわ、コンビニも商品販売するわ、コンサルのはじき出す数字では相当な効果があるようだ。もちろん効果は大きいほどいいんだけど、それはさておき町おこしの夢があってこういうイベントは大好き。。
□■□2010年9月19日(日)
〝敬老の集い〞2日目。昨年度の決算によると、集いで配られたお弁当・お茶・ミニ羊羹セット(対象者1万4,949人)が1,929万5,000円、敬老祝金(75歳以上の対象者9,700人))7,332万7,000円。金額の多寡ではなく、税金で運営される地方行政にあって長年の懸案であった敬老祝金が改善の道を閉ざされていることは残念。(75歳以上全員に)現金をプレゼントすれば喜ばれるのは当たり前。でも、それを他の施策に替えられない平等な施策としてしまうのはちょっと筋違いではないか。小泉市長は情の濃い方のようだからそれでよしとするかもしれないが、小金持ち自治体だからできる現金のバラまきと考えれば、政策的に検討すべき余地が残る。
湿度が高めだけど晴れた空の高さに秋を感じる。夜も涼しくなったので床にマットを敷いて寝ていたのをやめてベッドで眠るようになったら、なんとなく夏の疲れがじわ~っと出てきたようだ。お昼を食べて『週刊金曜日』をめくっていたら内容は結構刺激的だったのだが睡魔が襲ってきたので、昼寝をする。
昼寝の前に読んでいたのは9月17日号で特集していた〝マスコミ不信はなぜ強まるのか、『朝日』の小沢バッシング〞。その中で、〝「リーダー捜し」の意味を問う・男ジェンダーをこじらせる八方ふさがりの社会で〞という北原みのりさんが書いた見開きの記事は面白かった。例の民主党代表選とメディアをバッサリ。
ところで、メディアの〝世論〞は圧倒的に菅有利だったのに対し、「インターネットという地方の若者メディア」では「希望は小沢」(「希望は戦争」をもじった?)という声が圧倒的だったんですってね!北原さんは、(若者にとって)菅さんはリアルな団塊世代の男。父親、上司として等身大の男。リベラルぶりっこだけどオヤジ。小沢さんは(小泉さんみたいに)やってくれそう、変えてくれそう、最後の希望と、身近にいないだけ、力がありそうなだけ、リアルな男でないだけ期待が募るのだろう」という。
へぇ~・・・私みたいなおば(あ)さんからみると、小沢さんといえば〝なんつーかおっさん〞といった感じで、とってもリアルなイメージなんだけどね。ま、小沢待望論につける薬で一番効くのは、一度首相の座につけること。ただし懲りても小沢さん(リーダー)のせいにしないで、ツケは国民が払う覚悟をしときぃや。
□■□2010年9月18日(土)
PHOTO BY MACHIKO みんな「ゆるキャラ」みたいにマイペースで準備体操。(2010・9・18)
地元の小学校の運動会。子どもたちの準備体操が終わった頃を見計らい、ゆるんだおばあちゃん顔を切り替えて国際文化会館で開催される敬老の集い(第1日目)へ。成田市も敬老の集いに招待する対象となる70歳以上の人が今年は15,476人(人口比約12.2%)いるそうだ。昨年より527人増えたという。そのなかで喜寿を迎えた人は867人、米寿の人が363人。米寿となるとハードルが高くなるようだ。100歳以上の高齢者は23人でうち21人は女性。最高齢は女性で107歳。
会場を見回すと、女性7:男性3くらいの割合かしら。集いに来られた人たちは皆さん元気そう。たぶん、70代の方が多いのではないかしら。「高齢社会」が言わずもがなの女性社会。様々な社会的要因を差し引いても、生物学的には女性が一次的な性(ということは男性は二次的)としての生存能力が高いのだろう。
上野千鶴子さんが『おひとりさまの老後』を書いたのも、高齢社会を生きる女性たちに向けたメッセージだった。長い間日本の高齢者福祉のネックになってきたことの一つは、家族への依存。夫は妻より先に死ぬ、だから介護は妻がやってくれるといった固定観念。社会も家族もどんどん変化してきているのに、政治も行政も男社会。現実に合わせて制度も変えようという必要も発想も弱かった。でも、欧米に遅れていま、日本も老後はおひとりさまの社会、それも超高齢社会が到来しようとしている。読んでないけど上野さんは最近「男おひとりさま」の生き方を週刊誌に書いているようだ。以前担当職員から聞いたのだが、成田市でもここに高齢者福祉の課題の一つがあるらしい。それは、男おひとりさまにいかにして家から外(地域社会)へ出てもらうか、ということ。
はじめからおひとりさまを選んだのではなく途中でおつれあいを亡くした人を例にみると、女おひとりさまは1年も経てば見違えるように元気になる人が多い。一方男おひとりさまは食事や生活のバランスが維持しにくく外出も少なくなって生活の質が落ち、健康を害する傾向にあるという。女も男も、人生の何年かはおひとりさまとして暮らし、どのような最後を迎えるか、じっくり向き合う時代になったということだろう。また、それに合わせて高齢者福祉も制度設計していく必要がある。
□■□2010年9月16日(木)
9月議会最終日。初めての試みとして議場コンサートが行われ、成田小学校のこどもたちが美しい歌声を聴かせてくれた。私の知人のお嬢さんもかつて合唱部で活躍していたので伝統は聞いていたが、今年も千葉県合唱コンクールで銅賞に輝いたという。
(2010・9・16) PHOTO BY MACHIKO
日本の多くの地方議会の議場同様に、成田市議会の議場も〝非日常的〞でおそろしく権威主義的な構造になっている。でも、今日ばかりは、傍聴席には保護者、議席の後方には執行部職員のイスが並ぶなど、雰囲気がすっかり和らいだ。これからもコンサートを通して議場が交流の場になるといい。議会を身近に感じてほしい。そのうち、使い勝手が悪いから議場をフラットにしよう、なんて声が出てくるかもよ。もっとも実現するのは数十年後の建て替えの時かもしれないけれど。
14日に行われた民主党の党首選は、菅さんが党員・サポーター票を取り込んで721:491の大差で再選された。朝日新聞の15日の社説は、冒頭「民意をおおむね反映した選択・・・まっとうな結果」という評価。「まっとうな結果」には私も同感。それに・・・妻の顔(存在)が見えない政治家より、〝出しゃばり〞とか〝八面六臂〞まで評価はいろいろだが丸見えの妻がいる政治家のほうが安心じゃない?首相も〝菅伸子の夫〞と言われないように、政治のリーダーシップをとってほしい。
人事では今日の夕刊に総務大臣として旧自治省⇒鳥取県知事⇒慶応大学教授の片山善博さんの名前が。実現したら待望の人事だ。消費者庁長官になったばかりの福嶋正浩さんにもぜひ留任してほしい。
□■□2010年9月13日(月)
久住に用事があって出かけたついでに、津富浦と合わせて産業廃棄物の最終処分場を2ヵ所ウオッチング。どちらも皮肉なことに谷津田の奥のこっとりした自然の中なので刈り入れの終わった田んぼと山林を隔てる昔ながらの里道(赤道)を歩く。この前行った時は6月で、田んぼの水路にはクレソンが自生し、山際にはホタルブクロが咲き、そうそう真竹のタケノコを摘んできたっけ。
それから3ヵ月、昼間の蒸し暑さの中にも植物たちはもう秋の装い。元気いっぱいに茂るクズの甘い香りがあたりに漂う。そしてヒヨドリバナ、ハギ、足元に栗のイガが落ちているので見上げると大きなクリ木、花が終わってガクの間から実が姿を現し始めたクサギ、そして名も知らない木の花・・・。部屋に秋の風情を感じたくて、少し摘む。
クサギ PHOTO BY MACHIKO(2010・9・13) 中央右上のほうにまだ花の名残りが・・・。「臭木(くさぎ)」に似合わない優美な白い花。熟した実とガクの対象も目が醒めるほど美しい。ほかにも、気の毒な名前を付けられた植物がある。イヌフグリとかヘクソカズラとか・・・
昨日行われた沖縄県名護市議選は普天間飛行場の移設に反対する市長派が勝利した。1997年、普天間移設先として名護市辺野古に海上ヘリ基地建設の話が持ち上がった時に実地された市民投票の時、ヘリ基地反対協議会の事務局長だった仲村善幸さん(現職)も2位当選。当時出会った名護の人たちの顔が目に浮かんでくる。名護市民はその後の曲折もあったが、13年後の昨日、市民投票の時の「ノー」を再確認した。菅政権は辺野古を断念し、どんなに困難でも地元沖縄の民意に沿った対米交渉を行ってほしい。民意をあからさまに踏みにじるような「国益」など、ない。
□■□2010年9月12日(日)
多古の実家で午後のひとときをくつろぐ。弟が、先日井戸のそばに生えていたエノキの大木が倒れたというのでみんなで行ってみる。すぐ近くには〝氏神さま〞も祀ってあって、我が家ではいわば聖域のような場所だ。
エノキは大人二人でかかえるほどの太さで、93歳になる父がもの心ついた頃から同じくらいの太さだったというからもう何百年か経っているのだろう。私の数十年の記憶では徐々に樹の衰えがみえはじめ、枝葉が減ってきて近年は横から数本、細い枝が葉をつけている程度になっていた。最近は絡まっていた蔦が枯れたので先は長くないだろうと思ってはいた。その木がついに命尽きて倒れたのだ。幹から半円形の大きなサルノコシカケが2枚、少しずれて重なるように生えていた。妹は桜の木に生えたのをみたことがあるらしいが、私は初めて実物を見る。触ってみたらカチカチに固い。エノキの置き土産かしら?
嬉しいことに傍から新しいエノキが育っていた!高さ2メートル位かしら。これまで木の陰で見えなかったけれど、次の世代を残してくれたようだ。「子孫が残ってよかったね」と言うと、弟も「俺もホッとしたよ」と笑っていた。まだ芯は固いので朽ち果てるまでどのくらいかかるかわからないが、ずっとそこに置こうということになった。いろんな生き物たちが集まってくるし、周りの植物の肥料にもなる。それに何よりも、家族の歴史を見続けた木ですもの、自然に還るのを見届けたいじゃない?
実家の新米を食べる。我が家も田んぼは五反歩を残してほとんどを親戚の専業農家に預けてしまった。兼業でお米を作るのは弟の代で終わりになるだろう、多分。
□■□2010年9月11日(土)
地元の中学校の運動会。2学期が始まってから練習する元気な声が時々聞こえてきて、なんとなく楽しい気分にさせてもらっていた。娘が中学生の頃は夏休み明け直後に運動会?と思ったけれど、いまは長期休暇で鈍った心身に気合を入れるには良い機会だと、勝手に理解している。
娯楽の少なかった時代は、運動会といえば学校だけではなく地域こぞっての一大行事だった。名称も「連合大運動会」。重箱にお弁当を詰めて家族総出で参加し、楽しんだ。大人の地区対抗や〝青年団〞の競技もあったっけ。そんなわけで、農村では稲刈りがぜんぶ終わって、空気が澄んで、自然が最後の華やぎをみせる11月前後だったような気がする。遠い記憶の中から楽しい思い出のひとコマひとコマが蘇る。
明日が最終日なので、歴博の企画展「アジアの境界を越えて」を見に行った。企画展が始まる前に、展示の準備をしてきた上野祥史さんの講演を聴き、始まってから関連事業として東潮さんの講演を聴き、残るのは展示そのものを観ることだった。今日を選んでラッキーだった。ひととおり観終わった頃、館内放送で1時30分から上野祥史さんのギャラリー・トークがあるということを知る。佐倉市内で次の予定を組んでいたのだが中止。15分ほど待って、上野さんの説明を聴きながら展示室をめぐるチャンスをゲット。たくさんの人たちが上野さんの周りをぞろぞろとくっついて歩き、立ち止まっては彼の言葉に耳を傾けた。私も1時間余り、素直な学生気分に戻って勉強させてもらった。
夜、産廃処分場建設をめぐる行政訴訟(東総住民VS千葉県)で、最高裁判決が確定。住民勝訴の嬉しいメール・・・でも、事業者との民事は敗訴。要するにいずれも東京高裁判決が踏襲されたということ。う~ん、行政訴訟で県の許可処分は取り消し、民事で業者の工事差し止めを退けるとは。この矛盾をどう解釈するかは法律の専門家にまかせるとして、素人的には計画そのものが不許可なのだから「工事」は認められないのではないかしら。
□■□2010年9月10日(金)
総務常任委員会。定例会の委員会審査も今日で終わり。やっぱり、成田市でも入札制度改革がおかしくなってきている。電子入札による原則制限付き一般競争入札導入は良かったし、電子入札も当初と比べてバージョンアップされ、より談合しにくいシステムになってきた。でも、価格競争を嫌い「最低でも予定価格の9割ほしい。でないとやっていけない」という業界の声に、国があれこれ知恵を絞った入札制度を地方自治体にも自治体にも押し付けてきている。
今年4月から導入された最低制限価格の算定も同じ。これまで建築で85%、土木で70%だったが、いまやそれは「下限」の最低制限価格で、実は最低制限価格の「上限」がつくられて90%に設定された。今回議会に提案された契約案件では1件は8社が、もう1件は3社が最後の1円まで同額の札を入れた。そのうち1件は上限の最低制限価格ギリギリの89.88%。
これまで何度か〝くじ引き談合〞という言葉を使ってきたが、バージョンアップされた電子入札システムでは電子くじ引きになっているので恣意的なものが入りにくい。入札参加社のほうでも、下限の最低制限価格に近い札を出せば受注できるのに、やらない。仲良く上限受注を目指してくじ引きにするための〝企業努力〞をしているのかしら?或いは、容易にくじ引きになるような算定方法なのか・・・。
それにしても、これは成田市だけの問題ではないのだが、不当に高い最低制限価格の設定はどう考えてもおかしい。県も同じシステムなので担当課に聞いたら、「8社同額」については「そういう極端な例はない」とのことだった。
□■□2010年9月9日(木)
午後、経済環境常任委員会。〝内職〞をしながら議会の控室でTV傍聴。
台風9号は地域によっては豪雨による被害をもたらしたが一気に秋を運んでくれた。以前この日記に、コロンと仰向けになって動かないので死んだのかとそっと手にとると羽根をバタつかせて飛び立つアブラゼミのことを書いたが、今朝の朝日新聞に同じ体験をした人の投書が載っていた。〝セミも熱中症?〞とか。あまりの暑さにお腹を出して休んでいたのかしら。今年のセミさんたちは地上での短い生活が酷暑とぶつかって気の毒だったわね。
雨をたっぷり吸いこんだ庭にオーデコロンミントの花が咲いていた。ガラスの花瓶に活けると秋の澄んだ香りが漂ってきた。ついでに夏の間収穫し続けたミニトマトの木を抜こうと思ったが、花の周りをモンキチョウが飛んでいたのでしばらく抜かずにおこうと決めた。木陰で伸び放題の草も、バッタが飛びはねていたので抜くのをやめた。・・・ということで、今朝はオーデコロンミントを摘んで蚊に刺されただけ。
〝「9・11」にコーラン(イスラム教の経典)を燃やそう〞とインターネットなどで呼び掛けている米フロリダ州のキリスト教会に世界の批判が集まっているという。イスラム世界の反発はもとより、欧米のキリスト教世界からも。今日は、ヒラリー・クリントンが批判していた。
当然、そのキリスト教会は批判されてよい。ただ、ふり返ってみれば、「9・11」からアフガンやイラク侵略に至る過程で米国民の圧倒的な支持を得たブッシュ政権の行動の根っこには同じ感情が支配していたのではないか。「コーランを燃やそう」とは言わなかったけれど。
宗教といえば、英国のS・ホーキング博士などによる宇宙論の新刊書『ザ・グランド・デザイン』に宗教界から異論がでているという。宇宙誕生のビッグバンも、「無」から生まれたものであり「神に点火してもらう必要はない」という考えは、現代の理論物理学などでは主流。私も、「神」が宇宙をデザインしたという考えには想像力が働かないので、人類が宇宙をどこまで解明できるかに関心を寄せている。でも、それは仏の分子生物学者でノーベル賞を受賞したジャック・モノーが『偶然と必然』(1972年刊)で語っているように、「冷えきった孤独な宇宙の中での胸苦しいまでに不安な探索」だとも思う・・・哲学的に言うとね!
□■□2010年9月8日(水)
午前中は所属する新清掃工場整備特別委員会。清掃工場建設の進捗状況と、今後予定される付帯施設の概要が報告された。工場は2011年(平成23)年12月竣工を目指して、現在工場棟のごみピット地下部分土留工と基礎杭打(谷津田を埋め立てた場所があるので最長の杭は28メートルになるという)が行われており、今後ごみピット地下部分と建築基礎工に着手すると言う。
付帯施設は、09年から続けられてきた庁内プロジェクトチームの検討結果が示された。目玉はアクティブゾーンとして25メートル×5コースの温水プール。その他リラックスゾーンとしてジャグジー、こども用プール、寝湯、座浴、歩行浴など。その他露天風呂2、浴室2、サウナ2、体験・学習スペース、売店・物産コーナー、食堂、多目的室、休憩スペースといったところ。施設はユニバーサルデザインで、付き添いも使いやすいよう配慮したという。今年実施設計に入り、11年~13年に建設予定。
午後、新駅・基幹交通網整備促進特別委員会を控室でTV傍聴。7月17日に開業したスカイアクセスの利用状況は「数字は公表できないが概ね好調」、成田湯川駅利用状況は1日の乗降客数平均700名前後らしい。成田湯川駅については「見に行ったらぜーんぜん人がいないよ」という声を耳にしたことがあったので、乗降700人前後と聞いて「少しは・・・いるじゃん」と、わけもなくホッとした。
わーい、朝出かける前に雨がポツポツと降ってきた。待っとたんよ~。台風が日本海側から列島を東南東に縦断する影響らしい。もう今日はな~んにもしないで、ただ雨が降るのを眺めていたい気分だった。
□■□2010年9月7日(火)
建設水道常任委員会を控室でTV傍聴。所管事務調査で、都市部から「絶対高さ制限付き高度地区の指定方針(素案)」が示された。以前、航空会社が売却した社宅跡地に〝要塞型〞と周辺の住民が表現した高層マンション計画(その後計画した会社が経営不振で売却)が進められたことがきっかけで始まった高さ制限だが、やっと素案ができたわけだ。この方針が導入されるのはニュータウン内の第1種・2種中高層住居専用地域、第1種住宅地域となる。
9月議会で一般質問した芦田産廃処分場跡地の土地売買契約(成田市と、現在は合併して名称が変わっている金融機関)に係る書類一切の情報公開請求をした。
市長答弁で焼却炉はダイオキシン調査の結果撤去するということなので、やっと先が見えて良かった。でも、平成9年8月購入時から土地だけでなく産廃焼却炉も〝込み〞で買っていたのを13年間も成田市は事業者のものと思い込んでいた(との)こと、しかも裁判手続きで決着させようと思っていた(が、あれこれ想定はしていたもののまだやっていなかった。やれば所有関係はすぐわかったはず)というのが事実なら、どこに問題があったのか契約時点に戻って調べてみたいと思った。だって、6000㎡余りの土地を約4200万円で買って、焼却炉が入口にあるために〝有効活用〞も出来ず、しかも13年経ってもまだ行政財産になっていない物件なのだ。いずれにしても、そんなこともあるのね~、でもどうして?という気持ちで調べたい。
□■□2010年9月6日(月)
午前中は空港対策特別委員会、午後教育民生常任委員会を議会の控室でTV傍聴。
空港部が21年度航空機騒音測定結果(年報)を提出。離陸機の上昇を早くする騒音軽減運航方式や飛行コースを守る運航規則に加え、平成17年秋から始まった騒音レベルによる国際着陸料金制度による低騒音型航空機へのシフト(への期待)と、騒音レベルを減らすための方策を講じられてきている。
しかし、年間発着数30万回に向けた騒音下住民の理解は得られていない。よく言われることだが、航空機騒音は自動車騒音のように横から襲ってくるのではなく、空から降ってくる。自動車騒音なら騒音防止壁1枚が一定の効果を生じるが上からだと現在のような線引きによって実施されている民家防音方法では無理。以前から言っていることだが、家屋一軒丸ごとを想定するような防音工事が必要だと思う。線引きによる補助政策ほど人間の感情を無視した政策はない。
加えて、夜間の飛行禁止を徹底すること。空港を受け入れてそこに住み続ける住民への最低限の保障だ。30万回の地元合意を遠方(横芝など)から固めていって白紙撤回を求めている久住、下総を孤立させて落そうとするようなやり方がミエミエ。
それにしても、小泉市長の羽田ハブ化への危機意識はもはや感情のレベルに達している。もっと冷静になってほしい。・・・とはいえ、市議時代には羽田が国際化したら成田は日本から分離独立と言っていたくらいだから、さもありなんといったところだが。
民主党の党首選は報道にふれるだけで暑苦しい。とはいえ首相選びでもあるので無視できない。今日は田中真紀子さんが小沢さんの応援演説をしていた。いよいよ小沢首相の誕生かな?菅さんは「1に雇用、2に雇用、3に雇用・・・」と叫んでいたが、あれって、英国のブレア元首相が就任演説か何かで「エデュケーション、エデュケーション、アンドエデュケーション」と叫んだのを思い出させた。そういえば、ブレアから激励があったという報道も。でも、なんとなくとってつけたようで軽い感じ。
暑さだけでなく雨の降らない日が何日続いたかしら・・・乾燥好みの西洋ハーブも必死で生きている。畑の野菜はもっと大変だろう。あちこちでスプリンクラーが水をまいている。ひと雨ほしい。ん?マスコミが〝電力不足〞や〝水不足〞を書き立てないわね。どっちも節電や節水が行き渡って騒ぐほどのことでもないのかしら。
私は、はじめの頃こそ思わず冷房のスイッチをいれたが、あとは暑さに順応したのか老化で暑さを感じなくなったのか、冷房を使うことはない。もう1ヵ月以上、夜は扇風機に首を振ってもらいながら床にキルトのマットを敷いて寝ている。ひんやりして気持ち良い。8月に入ってベッドに寝たのはちょっと涼しかった2回位かしら。板の上に寝て身体が痛くない?と聞かれたがぜ~んぜん。私はいつでもどこでも眠れるの。それに、近頃は夜更けとともにシャワーのように降り注ぐ虫の声が暑さも疲れも癒してくれる。
□■□2010年9月5日(日)
昨日・今日と、富山市で開かれた第17回全国市民オンブズ(マン)北陸・富山大会に参加した。メインテーマは「予算づくり、市民も参加せんまいけ!」。オンブズの全国大会は、テーマに開催地の方言を使うようだ。一昨年の千葉大会は〝チェンジさせっぺ地方議会〞、昨年の岡山大会は〝おえりゃあせんのう地方財政〞といった具合)。全国から258名が参加した。
これまで、オンブズの活動は主に予算が使われた後の問題点を指摘してきたが、これからの課題は予算編成過程をクリアにしていくこと、プロセスの公開と予算全体について市民参加の道をつくっていこうと提案。
これについては、私もすでに08年(平成20年)12月議会で予算編成過程の公開を求める一般質問を行い、昨年からホームページでの公開が始まった。今後の課題は、よりきめ細かな公開と、その過程のどこかで市民の意見募集、パブリックコメントを行うことを要望していきたい。
4日に行われた分科会は①「政務調査費さいばん作戦会議」②「初めての市民オンブズマン」③談合問題分科会 ④情報公開・ランキング分科会 ⑤議会改革シンポジウム ⑥「住民訴訟の課題」分科会。私は情報収集のために談合問題分科会を申し込んだ。数日前に分科会の大川隆司弁護士から要請があり、成田市の新清掃工場入札問題とその結果について簡単な資料を作成して報告。「議会(特別委員会)を中心に一貫してその不自然さを指摘、多くの市民の疑問の声を背景にして、未然に防いだ。成田市議会にとって極めてまれな例であるが、二元代表制が機能した」と、総括。
今日は、公金検査請求(国に対する)訴訟制度の創設や、弘前市の住民訴訟敗訴費用負担問題、議会請求権放棄問題などの報告、地域活動報告があり、最後に参加者一同で大会宣言を決議して終了した。決議されたのは、第1:予算編成過程の情報公開・説明責任を徹底するよう自治体に求めること 第2:実施機関の一方的な判断に寄る情報公開請求拒否事項は憲法で保障された知る権利を侵害することを確認し、この条項を制定した自治体には改正を求めて行くこと 第3:政務調査費情報を透明化するよう議員・会派・議長に引き続き求めていくとともに、議員・議会の活動を注視していくこと 第4:公益活動であ住民訴訟の訴訟費用は原告の負担としない立法化等を求めていくこと 第5:地域経済の保護に名を借りた入札制度改革の後退を許さないこと 第6:国に対する公金検査請求訴訟制度の制定をめざす活動を引き続き行うこと 以上。
富山市は初めて訪れたが1日~3日までは八尾地区の〝おわら風の盆〞でにぎわったようだ。日程が無理なのはわかっていたが、見物したかったなぁ。昨夜は、「富山に来ることがあったら必ず電話してね」と言ってくれていた市内に住む学生時代の友人と食事。学生運動仲間だったから、激動の時代の思い出話で旧交を温める。
今日、帰りに会場から歩いて富山駅に着くと、近くで若者2人が急にダダダッと走り出した。カメラを手にしている。その方向に目をやると市内を走る路面電車が近づいてきた。富山駅北口から岩瀬浜まで7.6キロを結ぶ日本初の本格的LRTだそうだ。やさしそうでスマートでいい感じ。彼らにちょっと遅れて私も終点に到着した「セントラム」をパチリ。道中車窓から北アルプスの山並みと日本海を眺めながら、ちょっと旅の気分も味わえた。
(左)第1日目の全体会。(右)路面電車 ( PHOTO BY MACHIKO)
□■□2010年9月3日(金)
医療問題特別委員会。控室で資料を作りながらのTV傍聴。肝心のところは(自治体病院ではなく)成田赤十字病院が相手なので歯がゆい。きっかけは成田日赤の医師(特に医療の基礎となる内科医)不足が原因で市民の一次救急がピンチということで始まったのだが、やはり、特別委員会を設置するよりも必要に応じて全員協議会などで話し合えばよいことではないかと思った。
久しぶりにロングドライブ。陽射しがカ~ンと照りつける。猛暑はまだおさまる気配がないが、木陰が濃さを増して秋を感じさせる。夜、BBC地球伝説で〝秘境ネパールのハチミツ〞を観る。絶壁のあちこちに造られた大小の巣はヒマラヤオオミツバチのもの。信じられないくらい大きいものもある。無数のハチたちが群がり、下から煙でいぶすと上のほうに寄っていく。すると下には蜜が滴り落ちるハチミツ色の巣が現れる。長い縄梯子をよじ登り、先に切っ先のある長い棒を使って命がけでとる村のハニー・ハンターたち。7ヶ所刺されると死ぬといわれる。今は医師も同伴するというからいかに危険な作業かわかる。
そして、単にハチミツをとるというだけでなく村の男たちには一大イベントなのだそうだ。何日間か行動を共にし、結束を示す機会だ。塩とハチミツにこだわる私にはもう、ゾクゾクするほど面白い番組だった。
今年はドイツのヴィスバーデン市役所前の朝市で買ったラベンダー畑のハチミツと、愛媛県のミカン山のハチミツを味わえた。かすかにそれぞれの花の香りがして、うっとり。
□■□2010年9月1日(水)
え~っ!「弁護士と相談して法的措置を視野に入れながら撤去を求めていく・・・」と言っていた産廃焼却炉が、「過去の資料を見直し、再検討した結果土地を買った時から成田市のものでした」ですって。今日の私の質問に対する答弁。土地を買って13年目にして信じがたいお粗末な話。焼却炉の撤去費用は、以前見積もった金額では1800万円とか。ふつう、財務規則ではそういう負担付きの物件を買ってはいけないんじゃない?この件は、そもそも跡地購入時に問題があったのではないかと思われる。
それはさておき、13年間も放置されたままだった芦田産廃不法投棄跡地に建つ焼却炉が撤去されることが決まって一区切りがついた。でも、焼却炉がなくなった後の跡地有効活用といっても、何があるかしら。・・・というような場所が産廃処分場や不法投棄場所に狙われるのよねー。
31日をもって「去りゆく米軍、市民の思い・・・イラク駐留米軍が7年間の戦闘任務を終えた」という新聞記事。
中東での利権確保のためには子飼いのサダム・フセインが邪魔になったブッシュ=ネオコン政権、9・11を口実に「アルカイダとのつながり」や「大量破壊兵器の存在」をでっちあげて侵略を開始したのは2003年。10万人を越える市民の命を奪い、国民同士をも争わせるような流血の混乱に陥れた史上まれな〝汚れた戦争〞だった。そして米軍が撤退しても、この7年の間に蒔かれた対立の種はあちこちで芽を出し始めている。かいらい政権も米国の様々な支援なしには立ち行かないだろう。メソポタミア文明発祥の地の歴史と文化を破壊した〝罪〞もある。アフガンだって同じだ。
この二つの侵略戦争をみても、米国の傲慢な覇権主義の行き着く先がみえているではないか。「テロとの闘い」と言いながら、大量の兵器を投入して多くの市民を巻き添えにし、破壊を尽くしても最後の勝者にはなれずに去っていくのだ。
テキサスのブッシュ農場の前に立ち続け、「どうして私の子どもはイラクで死ななければならなかったのか、理由を説明してほしい。大統領であるあなたには説明する責任がある」と、大統領に面会を求めた兵士の母親の言葉を思い返すたびに、そこに真実があると思う。
昨日取り除かれた巣の周りを一匹のスズメバチが飛んでいた。業者さんの話では、餌をとりに行っていたハチが戻ってきて、消えた巣の周囲をしばらく飛び回るけれどそのうちいなくなるから心配しないで、という。「戻りバチ」って呼んでいた。
□■□2010年8月31日(火)
一般質問が始まる。本日は午前2名、午後2名。今議会の一般質問は11名。30人の議員のうち11人というのは少ないのではないかしら?とはいえ、座って人の話しているのを聞くだけというのが大の苦手の私には、ホンの少し気分がラク。
朝、着替え中の部屋をブ~ンと勇ましい羽音がした。よく見ると大きなハチ!ミツバチではないのは私にもわかった。思わず、外に追い出そうと窓を開けた。ほとんど裸だったのに・・・いや、だからこそモロに刺されてしまうのが怖くて。幸い、一気に外に飛び出してくれた。ハチの行方を追うと、軒下に大きなハチの巣。いつ造ったのかしら?巣穴の周囲にも数匹。そういえば以前玄関のそばの低木の周りを飛び回っていたのと同じだ。刺されたらいやだなー、と言う気持ちはあったけれど別に攻撃してくるわけでもなかったから放っておいた。でもいつの間にかいなくなってせいせいしていたのに・・・あんなところに本拠を構えたのね!
環境対策課にハチや巣の様子を伝えて相談したらスズメバチではないかということで現場を見てくれて、「バッチリ、スズメバチでした!」。図鑑や標本を見せてくれた。巣の除去に補助金がつくので、早速提携する業者に連絡してくれて夕方の除去となった。
PHOTO BY MACHIKO (2010・9・1)スズメバチの種類はキイロスズメバチで、巣は20㎝弱。造り始めて1ヵ月位らしい。材料は木の皮で、円形に波打つように固めた見事な巣だ。スズメバチの餌は虫なので人間にとっては〝益虫〞なんですって!人を刺すのは巣を守ろうという本能が働く時で、やたら刺すことはないという。業者さんからスズメバチの生態などをいろいろ聞いた。業者さんも、巣穴にぶわーっと殺虫剤を吹き込んで殺生をするのだから、せめて供養の言葉で送り出してあげようと思っているのかも。除去された無残な巣を見ながら、せっかく造ったのにごめんね~、という気持ち。でも、我が家の軒先を棲家とするスズメバチが近所の人を刺して命にかかわるようなことにでもなったら・・・と思うと、やっぱり除去しかなかったのよね・・・。こんどは森の中に造ってね。
□■□2010年8月27日(金)
定例市議会が始まる。9月16日(木)まで。一般質問は31日、9月1日、2日の3日間。私は1日午前11時からの予定。
09年度(平成21年度)決算関係議案が提案された。成田市の財政状況を示す主な指数は財政力指数1.497、実質収支比率4.8%、ちょっと気になるのは経常収支比率が82.7%で前年比8.3%の増。一般的には経常収支比率が83%を越えると財政の硬直化が始まると言われる。他の自治体と比べればまだ気にするような数値ではないが、健全な財政運営のためには注視すべきポイントだ。公債費比率は7.8%、公債費負担比率が10.2%と、前年比0.7%増。起債制限比率6.7%。
地方債(借金)は前年度より約7,100万円減って398億8,723万2,000円。でも、減ったと喜んでもいられない。債務負担行為支出予定額が約225億2,350万円。ドカンと約169億3,800万円増えた。債務負担行為も借金のうち。大型公共事業が続いていることによるもの。財政調整基金を含む積立金(貯金)からの取り崩しが合計約33億円あるが、これはお金に困ってというより財政運営上のやりくりなのだろう。
・・・と、気になる点はあるものの成田市は市川、市原、君津、浦安、袖ヶ浦とともに県内で地方交付税不交付団体の一つ。幾つかの数値でみる限り安定した税収に支えられた財政運営が行われているようにみえる。しかし、「景気低迷」で法人市民税が大幅減(△59.3%)、自主財源の62.2%を占める固定資産税も、私の記憶では初めて△0.6%の減収となった。自主財源が減収を続ければ、現在のような大型事業の推進に陰りが出てくるだろう。仕上がって終わりではないわけで、将来を見通した事業かどうか、将来の負担に耐えられる政策かどうか、一つひとつチェックしていかなければいけない。
それはそうと、昨年10月はじめ市長に「10年度予算要望書・政策提案書」を提出した際、利害関係やしがらみに縛られない第3者による事業仕分けを提案したことがある。形式はどうであれ、政策全般をまな板に乗せてみてはどうか、今もその必要性を感じている。
□■□2010年8月26日(木)
住民登録をしていながら行方がわからなくなっている高齢者問題に続き、今度は150歳前後の超高齢者が次々に発見されて話題になっている。といっても戸籍上の話だが。昨日は152歳が最高齢だった。今日は163歳だ、180何歳だと次々と年齢が高くなっている。
それにしても、ペリーの黒船来航から○年後とか、龍馬が脱藩する○年前とか、エジソンと同じ年齢とか、そんな人たちが戸籍上生存していたんだ・・・。住民票による100歳前後の行方不明者は安否が気遣われるけれど、戸籍で150歳前後の〝生存者〞となると言葉は聞けなくても制度の隙間から歴史が見えてくるような気がする。戸籍は届け出によって記載されて動く。「生存者」一人ひとりに事情があって届けられなかったのだろうが、今は知る由もない。合掌。
戸籍制度は6世紀頃中国から採り入れたもので、もともとは奴隷登録簿から始まったという。その後、古代天皇制の律令体制下で人々を末端の家単位で管理するため全国に広がったが10世紀頃には途絶えていた。それが復活したきっかけは明治政府が徴兵・租税義務の制度を布くためだったという。明治以降、戸籍制度は国家が国民を統治していく上で絶大な役割を果たしてきた。新憲法で家から夫婦単位となって廃止された身分差別の記載は原戸籍をたどれば残されていることがわかる。そしていまも婚外子の記載や逆に戸籍に記載されない人(皇族)などが存在する。要するに人々を管理・統治するための差別制度といえだろう。
そのため、戸籍廃止運動やそのための議員連盟もある。私も差別につながるものは廃止することに賛成。ちなみに、戸籍制度があるのは世界広しといえども日本だけ。ほかの国では住民登録だけ。植民地時代の遺物として韓国と台湾にもあったが、韓国では廃止運動の結果08年に廃止、台湾では政権が台湾出身者に替わって新戸籍の編纂がストップしているそうだ。
□■□2010年8月25日(水)
議案説明会。執行部より9月定例会に提案される24議案(21年度決算関係10議案を含む)の説明があった。
あら、そんな時代になったのね・・・と思ったのは「成田市文化基金」に関する条例の提案。1983年(昭和58年)に制定された条例は廃止されることになる。新たな条例制定の理由は主に設置目的。もともとこの基金は総合博物館・美術館構想を背景として83年に1億円でスタートし、「図書・美術品及びその他文化的資料の購入資金」に限定されていた。
私はこの旧条例について、1994年(平成6年)9月と96年(同8年)6月両議会の一般質問で基金を成田文化の創造全般を対象とし、市民の文化的要求に応えることや、文化活動の支援などへも運用ができるように設置目的を拡大する改正を求めたことがあった。どちらも、答弁は「変えられない」。
今回の設置目的は購入資金「並びに市民の文化的志向に対応する文化芸術の振興事業及び文化施設の整備の資金にあてる・・・」と、目的が広がった。運用次第だけれど、ガチガチだった設置目的が緩和したことはよかった。
議会の議決を必要とする(予定価格でいうと1億5,000万円以上の工事又は製造の請負)入札案件(3議案)では「制度」そのものを考えさせられるような内容。その中で、ニュータウンの中央線橋梁政策工事では予定価格が4億1,160万円のところ落札金額が3億3,799万6,911円。消費税込の落札率は86.2%。ところでこの入札(制限付き一般競争)には8社が参加したのだが、全ての業者が同額を提示し、くじ引きで落札業者が決まった。防災行政無線固定系更新工事も同様で3社が応札し、予定価格1億8,805万5,000円のところ3社同額の1億6,098万7,620円(ちなみに消費税込落札率は89.88%)。これもくじ引き。(制限付)一般競争入札とは名ばかりで、入札が通過儀礼化してきているみたいだ。
今年の夏はハーブたちが元気に育ってくれたので、冷たいハーブ・ティで暑さをしのいでいる。ペパーミント、スペアミント、アップルミントといったミント類、レモングラスやローズマリー、冷凍保存しておいた朝摘みのカモミールなどをあれこれブレンドして楽しんでいる。今朝レモングラスを摘みに出ると、アゲハがゆらゆら飛んでいた!アゲハの幼虫はフェンネルが大好きでムシャムシャ食べる。私はフェンネルを食べない。花を活けて楽しむ以外はアゲハが卵を産めるよう植えている。
□■□2010年8月24日(火)
一般質問の打ち合わせ。議会棟を出るともあ~っと蒸し暑さに包まれた。冷房の中で数時間ひと休みしていた汗腺から汗がじわ~っと出てくるのがはっきりわかった。駐車場の周囲にぐるりと植えられたクスの葉が強い陽射しを照り返している。なんて美しいんでしょう・・・しばし暑さを忘れてうっとりと眺める。
先日朝日新聞の「声」欄に載っていた投書だが、少しでも木陰がほしいこの時期に街路樹の枝をバサバサ伐採する行政への苦情が述べられていた。行政の理由は台風で木が倒れたりしないための予防策等。おもわず思い出し笑い。実は成田市でも、2年前から花の咲く木に限って伐採を止めたけれど、郵便局通りのニセアカシアが同じ理由だった。以前9月早々伐採を始めたので担当課に問い合わせたら台風が来る前に、という。でも伐採しなくなっても、強風に倒れることはなかった。枝は自由に伸び、今年は木によって多少の差はあったがほとんどの木が芳香を放つ白い房状の花をつけた。
理由は特になくて年中行事だったニュータウン中央通りのユリノキも、枝の伐採をやめて花を咲かせる木も増え、空に向かって伸びた枝が道路や歩道を中心に木陰を提供してくれている。伐採していた頃は強風に折れやすいと言われた枝も強靭になってきたようだ。
成田市で今疑問に思っているのはヨークマートから警察に向かう通りのアメリカフウの枝の伐採。理由は枝が伸びると葉が大きくなるからだという。葉が大きくなるといけないの?木が成長すれば葉が大きくなるのは自然の法則でしょう・・・。何のためにその木を選んだのかしら?その他の街路樹も同じだが、歩行や通行など交通の障害にならない限り、植えたからには樹木たちの性質を大切にしてほしい。ちなみに、アメリカフウの紅葉は色とりどり、とても美しい。
□■□2010年8月23日(月)
一般質問のための準備・・・集中力が続く間に少し手をつける。市役所に行ったついでに確認のため質問に関係する芦田の医療系廃棄物の不法投棄跡地とごみ焼却炉の写真を撮りに行く。道路をはさんで荒海川、根木名川まで田んぼが続き、山林の深い緑を背にしてぽっかり空いた土地とそこに置き去りになった焼却炉。ふと1997年~98年の不法投棄発覚から医療系を含む産廃の山を撤去するに至る過程を思い出した。あとで聞いた話だが、千葉県は医療系ごみが混じっていなければ撤去費用1億円(2億数千万円の撤去費用を県4割、成田市4割、産廃業界2割拠出)を出さなかっただろうという。ということは、ほぼ全額成田市の負担で撤去することになる。また産廃処分場の許可権を持つ県の責任だとして成田市が放置すれば、県内各地と同様に今も産廃の山が残っていることになる。想像しただけでおぞましい。
朝日新聞夕刊が「ニッポン人脈記」を連載しているが、いま人脈を通したイラク戦争の〝検証〞をやっている。今日はその17回目で、04年4月にファルージャ近郊で他の2名とともに拉致されたストリートチルドレン支援ボランティアの遠菜穂子さん、同じ頃ファルージャ周辺を取材中拘束されたフリー・ジャーナリスト安田純平さんが登場。
彼らが拉致・拘束されたことに対し、退避勧告が出ている危険地帯に行ったことへの「自己責任論」を持ち出して非難した政府・自民党や一部メディア。それとは正反対にパウエル米国務長官は日本のTV局のインタビューに対し「危険地帯へ行くリスクを誰もとろうとしなかったら、我々の世界は前進できなくなる。」として危険に身を投じたことを評価したという。
確かに、高遠さんら3人が拉致された時の政府の対応はヒド過ぎた。米国の言いなりでいち早くアフガン・イラク侵略を支持し〝ブッシュのポチ〞と言われた小泉政権。人質と交換に自衛隊のイラクからの撤退を要求され〝危険だから退避しろと言っているのにいうことをきかないで勝手に行ったのだから自分の責任。自業自得、マッタク迷惑千万〞という口調だった。一部新聞が煽り、ネットが炎上した。その後も、拉致され殺害された若者に対して死者に鞭打つような対応だった。むき出しになった不寛容さ、寒々とした小泉政権の本質をみたようだった。
米軍は11年末の完全撤退権を前に今月待つまでに先頭任務を終了するという。いち早く米国のアフガン・イラク侵略を支持し「ブッシュのポチ」と言われた小泉政権以降、日本は常に米国の後を追ってきた。しかし、イラク侵略の口実はとっくに失われている。ブッシュと組んで侵略した英国はいま厳しい検証を行っているという。日本でも政権交代を経たいまこそ、高遠さんも語るように日本としてイラク戦争を検証すべきだと思う。
□■□2010年8月22日(日)
100年前の8月韓国強制併合条約が締結されたことにあわせ日韓両国市民による〝強制併合100年日韓市民共同宣言日本大会~植民地主義の清算と平和な未来を~〞という集会が東京で開催された。今日のこの大会を引き継いで27日~29日までソウルでも集会が開かれる。昨年韓国を訪れてシンポジウムなど交流の機会をもった京畿道の社会市民フォーラムの人たちもその中心で活動しているので、私も市民共同宣言・行動計画を発する場を共有したいと思い参加した。
日韓両国で開かれるこの集会は、去る10日に発表された菅首相談話が語っていない植民地支配の根幹である日韓併合条約とその強制の国際法上の不法・不当性や、慰安婦、強制動員、在日問題その他残された課題の清算を目指し、市民レベルで共同作業を行ってきた成果。市民運動の交流を深めながら日本と韓国、そして将来的にはいまだ交流の機会が得られない北朝鮮共和国市民とも力を合わせて、まず東アジアの平和と友好を深めていくことを願う。
去る6~7月、併合100年を期にNHKと韓国KBSが共同で世論調査を行った。その中で、「相手の国で思い浮かぶ人物は誰か」という質問に対し、日本では「冬のソナタ」のぺ・ヨンジュン、韓国では初代韓国統監伊藤博文がそれぞれ1位だったことが話題になった。伊藤博文については、昨日の学習会で醍醐聡さんが言っていたように「韓国の学校教育の影響もあると思われるが・・・韓国人にとっての伊藤博文が歴史上の『トゲ』として今でも記憶に突き刺さっていることが伺われる」のかもしれない。彼を暗殺した安重根は民族の英雄として称えられているのだから。
日本ではこれまで隣国である韓国がほとんど意識の外であった。近年の韓流ブームを通して芸能界から入ってもよい。「国家」といった面倒くさい境界のない時代から、のちに「日本」となるこの列島の社会や文化形成に大きな影響を与えた朝鮮半島に目を向けることは、はじめの1歩だと思う。政治は、両国民同士の交流の後からついてくればよいのだ。
□■□2010年8月21日(土)
夜更けとともに開け放った窓の外では秋の虫が鳴きはじめた。今日、明日とニュータウンの第31回ふるさとまつり。そして甲子園の夏が終わった。例年この2つのイベントを境に、暑さの中にも夏の終わりを感じるようになる。でも・・・今年の夏は亜熱帯化しているのでどうかしら?
ふるさとまつりのオープニング・セレモニーに出席したあと、市民ネットワーク千葉県主催の学習会へ。テーマは「NHK大河ドラマ『坂の上の雲』のどこが問題なのか」。講師は今年3月まで東大大学院経済学研究科の教授を務め、現在「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表の醍醐聡さん。これまで未整理のまま頭の中にあったものとあわせ、日清・日露戦争と韓国併合の歴史を体系的に学ぶ機会を得た。お話だけでなく、用意された〝資料〞が読み応え満点!今後活用させていただこうと思う。
来年は中学校の教科書採択が行われる。千葉県では昨年自己チュー史観のつくる会系〝歴史〞教科書を使いたい知事が誕生。印旛郡市の採択協議会を構成する自治体の中でも成田市の小泉市長が同様の考え。聞くところでは新しい四街道市長もそのようだ。こうした天皇制軍国主義を賛美する首長たちの政治的圧力が教科書採択を歪めてはいけない。来年の教科書採択は千葉県が全国から注目されることになるかもしれない。そうでないことを祈っているけれど。そのためには、草の根民主主義のネットワークをひろげていかないと・・・。
未来を担う子どもたちには偏狭かつ独善的な自己チュー史観の教科書はふさわしくない。こういう歴史観で固まてしまっては世界から相手にされない、孤立するだけだ。
□■□2010年8月20日(金)
27日(金)から始まる定例市議会一般質問の通告締め切り。私は①成田市のまちづくりと千葉県成田空港緊急戦略プロジェクト会議による〝カジノ構想〞に対する地元成田市としての見解②芦田産廃不法投棄跡地及び残存する焼却炉の取扱いについて③COP10と生物多様性、里山イニシアティブへの成田市の取り組みについて、以上3点を質問する。
朝日夕刊1面トップで「戻った地下水活用へ」という見出しの記事。国土交通省は地下水の取水が原因で生じていた地盤沈下が収まったのでこれまでの規制を転換、再び地盤沈下が起きないようにしながら地下水を活用するための研究を始めたという。
ここにきてやっと・・・という感じ。1980年代にその話を聞いた時は、90年頃には地下水は公共水道を含めいっさい取水できなくなるといわれた。井戸がダメならどこから水をもってくるかといえば、水源はダム。日本中でダム建設が行われていた。房総半島の地質を調査してきたある地質学者も「規制はダム建設の口実だ。地下水は取水しないと溜まってしまうので適度に抜いて(使って)いかないとダメ」と言っていた。
私もこれまで、八ツ場ダム問題では、ダムに頼らないために千葉県環境条例にある地下水の取水制限の撤廃や、河川などに張り付いた水利権の柔軟な運用などを国や県に働きかけるよう求めて一般質問をしてきたが、こうした国の政策転換が千葉県の条例にどう反映するのか注目したい。
夏の甲子園、成田高校が惜しくも準決勝で敗れる。ピッチャーが安定していて打線もここ一番で打ってきたから負ける感じがしなかったが、ここまできたら地力の勝負なのだろう。ベストを尽くしたことを祝福したい。
□■□2010年8月19日(木)
環境審議会を傍聴。議題は「ごみ分別区分の見直し及びごみ処理費用の住民負担のあり方について」。今後、一般廃棄物処理基本計画に基づき、市民アンケートや審議会の検討結果などをとりまとめてパブリックコメントを行うという。
当面する課題は、新清掃工場の稼働にあわせ、これまで香取広域市町村事務組合で処理してきた下総・大栄地区と分別を統一すること、家庭系ごみの有料化については、分別を徹底させて減量化に努める中で有料化(によるごみの減量化)について検討するとのこと。ごみの分別区分の見直しについては、大幅に細かくするとことではないようだが、これまでより分別が増えるのは良い。ま、ゼロ・ウエイストを目指して30種以上の分別で知られる徳島県上勝町は雲の上の存在で、県内でも分別徹底で知られる我孫子市と比べても序の口であることは言うまでもないが。
明るい兆しは、成田市のごみが減少化傾向にあるということ。平成17年度に比べ21年度は人口では7.3%の伸びだがごみの総排出量は家庭系・事業系合わせて7.2%の減少。家庭系に比べ事業系の減少が顕著だという。企業は経済原理が働くからさもありなん。家庭については子どもの頃からの環境教育が大事。
ところで、ごみの減量化政策を進めて行くのは良いとして、問題は、新清掃工場の機種がガス化溶融炉であること。1800℃もの高温でごみを溶融する。要するに〝なんでもOK〞という炉なのだ。新清掃工場が稼働した時、分別の徹底、ごみの減量化政策との整合性が不透明だ。というより、3R(リユース・リデュース・リサイクル)から考えるとイメージがわかないんだけど・・・。
10時からの審議会を傍聴して、あらためて審議会の旧態依然とした問題点をヒシヒシと感じた。会長はどうやらアテ職のようで、多忙なギョーカイの会長さん。他の審議会等も同様だが、アテられたギョーカイや団体も市の要請でやむをえず受けている場合もあるのでは?
それはそれとして途中妙に進行を急いでいるようなので、あら、もうお昼かしら?と思わず時計を見たらまだ11時30分。審議会は1時間30分で終わらせるという決まりがあるとは聞いてない。とにかく早く切り上げたいようで、最後は手を挙げた人も発言を遠慮するほど。もし、会長に用事があるなら副会長にバトンタッチして途中退席すればいいことだし、なんか、融通がきかないね。成田市の都合だとしたら、審議会はアリバイづくりではないことを肝に銘じてほしい。
□■□2010年8月16日(月)
最近毎日のようにベランダや庭先、玄関などにお腹を上にしてひっくりかえっているアブラゼミをみかけるようになった。動かないので死んでいるのかな?と思ってそっと手に取るとバタバタと羽根を動かして飛び立っていく。今朝も、あらまあ生きていたんだ。あんなに元気に飛ぶのにどうしてコロンとひっくりかえっていたのかしら、ちょっとひと休みかな?どっちにしても、短い地上生活、長生きしてね。
今日は天気予報によると今夏3度目の暑さのピークを迎えたとかで、湿気を含んだ暑い一日だった。1年ぶりに多古中学校時代の3人組が顔を合わせて旧交を温める。還歴が近くなった頃から、一番遠方にいる友人が夏休みで帰郷するスケジュールに合わせて食事やよもやま話でひとときを過ごすようになった。
政府が国際ネットワーク「国際SATOYAMAパートナーシップ」を立ち上げるという。10月の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10・国連地球生きもの会議IN名古屋)で設立総会を開く。国や自治体、国際機関を結ぶネットワークにしたいようだ。世界各地の情報交換、人材育成、資金支援などを進めると言う。
人間は住居や耕作地の周囲に広がる自然に手を加えることで暮らしを支え豊かさを生み出す環境を造りだしてきた。そこでは動植物など自然の恵みや燃料、木材などを調達した。人々の暮らしと自然が共存・共生するエリア。その一角には決められた地域の人々が誰でも自由に出入りして益を得ることができる土地(日本では入会地)もあった。里も山や森も生きものたちでにぎわう時代が続いた。都市化や開発の波が押し寄せる前までは。
日本の「里山」も消滅状態、荒れ放題。でも、人間が持続可能な暮らしを維持していくには自然やいきものたちとの共生が必要。千葉県には堂本知事の時に全国に先がけてつくられた「里山条例」があり、〝里山シンポジウム〞につながる数多くの市民団体・NPOが活動している。国際ネットワークには期待とともにこれまで蓄積したものを提供できるだろう。民主党政権は野党時代に連携してきた市民団体やNPOをもっと活用すべきだ。
□■□2010年8月15日(日)
亡き伯父の新盆見舞いを済ませた後、実家に行く。その昔栗山川で廻船問屋を商っていた伯父の家(亡き母の実家)は川沿いにあり、そこから実家のある集落を直線で結ぶ道を久しぶりに車を走らせたが、あたり一面に広がる田んぼは稲穂が色づいて垂れ、刈りいれも間近いようだ。
幼い頃はこの道が川と水田を分かつ堤防だった。ヨシ原にはヨシキリが巣を作り、田んぼでは白鷺が群れて舞い、水路をカワセミが疾風のように飛び交った。いつの頃か河川敷の一部が埋め立てられてレクリエーション広場や畑、田んぼになり、川幅もずいぶん狭くなったけれど、それでもゆったりと流れる川と周囲に残ったヨシ原が往時をしのばせる。道の途中に植えられた桜の並木も大きな瘤をつけたエノキの古木も・・・。
実家ではレイテ戦の生存者である93歳の父と、お盆参りに来てくれた元看護婦で90歳の伯母から戦地の話や戦時中の話を聴く。いとこや私たちきょうだいも、今聞いておかなければという思いで耳を傾けた。今日は終戦記念日。そして、娘の誕生日。
□■□2010年8月14日(土)
新盆お見舞いの合間をぬって歴博講演会へ。企画展「アジアの境界を越えて」(9月12日まで)の一環として催された講演で「3~5世紀東アジアの国際交渉」と題して東アジア考古学が専門の東潮さん(徳島大学大学院ソシオアーツサイエンス研究部教授)のお話。会場は満席、用意された資料が足りず刷り増し?するほどの盛況だった。聴衆の多くは私と同年代くらいが多かったが、中には若い人もチラホラ。東さんの講演は、現在得られている第一級の資料を駆使して構成されたもので、門外漢の私も暑さを忘れた。
この企画展とは別だが、先日歴博が展示中の「現代」をテーマにした展示で、検証の結果「沖縄戦」をめぐる展示内容を変更したという報道があった。歴博として集団自決に関する日本軍の関与を明確にしようだ。洩れ聞く話では、この展示に対しては関与の事実を書けという声と、軍の関与はなかったと主張するグループ双方からの抗議があったらしい。ま、そういう曖昧な要素があったのだろう。それに関する話をしてくれた人も「歴博さんもいろいろ大変なようで・・・」と言っていたっけ。もちろん、歴博が日本軍の関与を明確にしたことは評価したい。
考古学や歴史学のジャンルでは、出土品や記録された資料が命。それをどう解釈するかは研究者の自由だが、科学としての方法論を無視して資料を恣意的に解釈をしたり事実を曲げたりすることは許されない。「新しい歴史教科書をつくる会」の新自由主義史観=自己チュー史観が歴史学としては間違いだらけと言われる所以もここにあるといってよいだろう。
□■□2010年8月13日(金)
成田高校野球部が甲子園で2回戦に勝ってベスト16に進んだ。夜、スポーツニュースを見たらなるほど素人目にも勢いを感じる。先日、1回戦勝利の後の都市計画審議会では、市長挨拶の中で甲子園が話題にされ〝優勝〞の言葉がチラリと出た。2回戦の試合ぶりからして、成田に深紅の優勝旗を・・・という市民の期待がふくらみ始めてもおかしくないだろう。ま、夏の甲子園は国民的イベントだから〝外野〞からいろんな声があるだろうけれど、ベストを尽くして自分たちの試合をしてほしい。
さるお店で、食事のあとなんとなく周囲につられて〝アイスコーヒー〞を飲んだ。外でアイスコーヒーを飲むことはめったになく、今年は初めて。会計が済んで外に出ようと、みんなでおしゃべりをしながら歩きはじめた時、店内の壁一面に張り付けた鏡に私たちの姿が映った。と、目線の先の自分の顔、笑った口元の歯が茶色!というか、人工の前歯1本の白さが異様に目立った。ギョギョッとして口を閉じ、別れのあいさつもそこそこ車に戻って手鏡をみると・・・やっぱり茶色。いままでそんなことはなかった。確かに人工の歯よりも自分の歯のほうが黄色みを帯びてはいる。でも、気になるほどの色違いではなかった。どうして急に・・・と思って考えた結果、真っ黒な色をしていたアイスコーヒーに思い当った。それに最近研磨剤の入っていない歯磨きを使っているのでその影響もあるかもしれないと思い、研磨剤が入ったものを買って磨いたら、あらら・・・汚れが落ちて元の色に戻った。ふつうコーヒーを飲んで歯が黒くなることはない。お店のアイスコーヒーのあの黒さは、着色料を添加してあるのではないかしら?
□■□2010年8月11日(水)
全国的に問題になっている100歳以上の高齢者の所在確認について、成田市福祉部長の名前で市内に住む100歳以上の高齢者の調査結果がFAXで送られてきた。それによると、市内在住の100歳以上の高齢者は8月末で23名であり、介護保険サービスの利用状況、介護施設への照会、市の診療所への受診確認等によって全員の所在確認がとれたとのこと。
とにもかくにも、まず正確な所在確認から始めなければならないところに、問題の根深さがある。親子関係の希薄さとか家族の事情とかいろいろドメスティックな原因はあるけれど、それ以前の問題として、行政が行う高齢者サービスの諸制度がどうも実態を伴って効果的に運用されていないようだというお寒い現実が見えてきた。そして・・・〝世界一の長寿国〞というけれどそもそもカウントする数字に疑惑をもたれてしまった。「高齢社会」を迎えようとしている日本に大きな課題を残したといえるだろう。
前我孫子市長の福嶋浩彦さんが消費者庁の長官に就任した。政権交代なくしては実現しなかった人事として大歓迎!
我孫子市議時代、有志議員で始まった千葉財政研究会で一緒だった。我孫子市長になってからは、当時私たちが願っていた市民自治を根幹に据えた自治体改革を、全国の先陣を切って始めた。12年間務めた市長を辞め、東京財団というシンクタンクや大学で研究をしながら、さまざまな分野でその成果を市民活動の現場にもフィードバックしてくれた。最近言葉が羽根のように軽い政治家たちにうんざりしていたところだ。福嶋さんの言葉の重みと実行力に期待したい。
夜は市民団体の事務局会議で千葉へ。今夜は少し涼しかったが、この時期はJRの駅で流れる小鳥の鳴き声が暑苦しい。せせらぎの音でも流さないかしら・・・と思ったけれど駅ではいろんな音でせっかくのせせらぎも消されてしまうかな。それにしても、暑くても寒くても、昼も夜も小鳥のさえずりとは芸がないわね。
□■□2010年8月10日(火)
都市計画審議会。市長より委嘱状が渡される。今回は都市計画公園(大谷津運動公園)の変更、生産緑地地区の変更についての2議案が提案され可決。大谷津運動公園は公園のほぼ中央部分をトンネル方式で成田新高速鉄道と北千葉道路が横切るため、その整備で都市公園機能が一部失われる。面積にして0.1haの減。
何年か前、この新高速と北千葉道路が横切るためにプールが場所を移動して新しく作られることになったので、障害のある人も利用しやすい施設設計を市民といっしょにいろいろ要望したことがある。完成後利用した人の話ではユニバーサルデザインに配慮されているのでとても使いやすくなっているらしい・・・猛暑が続くのでふと、大谷津のプールを思い出した。そういえば私は最近泳いでいないなぁ。
7月に行政視察した新潟県新発田市で、まちづくり基本条例(自治基本条例)を策定中に担当した職員がいなくて後日回答するという約束だった「住民投票」に関する議論などについての回答を議会事務局を通して入手した。ほかに、審議会等委員に公募の市民を積極的に加えるという条文に関する質問の回答も。
住民投票について言えば、「市民提案会」というところで提言をまとめる段階で議論はあったが条例には入れなかったという。行政側の考えはなかったらしい。いずれにしても、議論の内容から推察すると民主主義の重要なツールである住民投票についてはまだ正しく理解されておらず、消極意見が押し切ったかたちだ。
自治基本条例がめざすのは民主主義や住民自治の成熟した地域社会。それがこの国の「かたち」にもつながっていく。そのためにはこれまでの硬直した行政や議会のあり方・運営を抜本的に変えていかなければならない。柔軟に住民参加の手法が検討されていくべきだし、民主主義の〝切り札〞として国民投票や住民投票がきちんと位置付けられるべきだと思う。
サラシナショウマの葉の数枚に、少し茶色の焦げたような色が・・・!(鉢植えの)サラシナショウマは場所を変えちゃダメと言われていたのに、ちょっと変えたせいかしら。水やりのついでに木陰に置いておいてあったのを木洩れ日があたる場所に移したせいかしら。それとも、暑さのせいかしら。でも、きっと大丈夫!たおやかな白い花穂をつけてくれますように。なぜだかわからないけれど、高原の霧の中に咲いているのを見て以来私の憧れの花なの。
□■□2010年8月9日(月)
総合計画審議会を傍聴。 今日は2011年~15年までの次期5ヵ年計画実施計画の素案が提案された。素案をもとに9月中旬から下旬にかけて2週間、パブリックコメントが実施される。成田市政の次の5ヵ年を決める重要な計画の素案。「広報なりた」、ホームページ、各種公共施設などを利用して広く市民に発信するということなので、幅広い市民の声が集まるよう努力してほしい。市民も「知らなかった」ことを行政の責任にするのではなく、自らの市政への関わり方の問題として考えることができるように。
この審議会のかつての名称は総合開発審議会。空港建設を契機として始まった成田市のまちづくりを象徴するような名称だった。私は1993年に議員になって最初に議会選出でこの審議会の委員になり、通算2回委員を務めた。久しぶりに傍聴人として部屋に入ったら、あらら・・・19年余り前私と一緒に初めて委員を委嘱された人が委員長・副委員長席に座っていた。もう、チョーベテランといった雰囲気。審議会等の委員の任期は2年。よほどの人材不足、人材発掘に怠慢、事無かれ主義、いずれにしてもこうしたところが私と行政の埋めがたい〝溝〞かなぁ。
私は、市長の諮問機関である審議会や委員会は可能な限り1人1委員会(当て職や兼務は避ける)、任期は2期(4年。やむをえない場合でも3期まで)、委員の1割は公募、女性委員の割合は男女共同参画計画にある3割を早期達成して(平成4年に「成田市女性計画」で数値目標3割を掲げて以来一度として達成したことがない!)4割を目指す、という考え。
それと、昨年から審議会委員の議員枠がなくなった分、委員の人数が減ってしまった。議員に替わって市民に入ってもらい、1人でも多くの市民に参画してもらおうと要望したのだけれど、いまのところ実現していない。その気になれば条例の委員手数を変えるだけですむことなのに。1回出席で7千円余の謝礼の問題とは思えないので、要するに考え方ということ。地域主権の時代と言われながら、成田市の市民参画もまだ入口でウロウロしている感じ。
□■□2010年8月7日(土)
立秋。どこかに〝ちいさい秋〞がないかな・・・。でもわざわざ探さなくても、もうあちこちに秋の気配を感じている。陽の光が黄色味を帯び、日陰の色が濃くなってきた。植物の緑も勢いがなくなってきた。秋の花とインプットされているせいかしら、早々と花をつけ始めた萩などはムシムシ暑くてもそこだけ〝秋〞の風情。今日も暑かったけれど天気予報では高気圧の勢力も昨日がピークらしい。蝉しぐれが激しくなるほどに、夏の終わりが近いことを感じる・・・と、五感も全開。
先月から今月初めにかけて「たいむ」75号の印刷やポスティングが加わったので少し慌ただしい日が続いた。それもひと区切りついたので今日は冷蔵庫の中を整理して野菜カレーを作ったほかはひたすら怠惰に時間を過ごした。そして夏休みに読む本も用意。『HOW WATER WENT ON SALE AND WHY WE BOUGHT IT』(邦題『ミネラルウオーター・ショック』エリザベス・ロイト著)。それと、林完次さんの『春夏秋冬・星座の本』。林さん撮影の星座の写真付き。夜空を見上げた子どもの頃を思い出しながら楽しみたい。
夕方のTBSテレビ報道特集で「裏金告発元警官が〝副市長〞に〝独裁者市長〞に変化?」というタイトルで鹿児島県阿久根市。この間、「議会はムダ、報道も偏向」という竹原信一市長が議会に出席せず「専決処分」を乱用してきた。今回の元愛媛県警巡査部長仙波敏郎さんを副市長に迎える人事もこれまた専決処分。竹原市長は「開かれた議会をめざす会」の講演で、仙波さんは全国市民オンブズマン連絡会議の岡山大会で話を聴く機会があったので、多少お二人の雰囲気はつかんでいるつもり。興味深い組み合わせだと思った。
裁判に負けても処分した職員を復職させず、県・国の勧告や地方自治法を無視してきたものの、無理が生じて軌道修正が必要になったのかも・・・。とはいえ自分がやるのでは恰好がつかない。そこで、裏金作りを断固拒否・告発、嫌がらせに耐えて定年を全うしたことで知られ、市長も「正義を貫く人」と称賛する仙波さんにひと肌脱いでもらおうということかしら。早速、副市長の初仕事として職員を復職させた。竹原さんは「今でも処分は間違っていない」とブツブツ言っていたが受け入れたようだ。
竹原市長に対する市民の評価はニ分しているようだが、お盆明けには再び市民団体がリコール署名を始めるという。
□■□2010年8月6日(金)
広島に原子爆弾が投下されて65年。平和宣言の中で日本政府に核の傘からの離脱を求めた秋葉忠利広島市長に対し、菅首相のコメントはなんと「核抑止力は必要」。一方で唯一の被爆国として核廃絶を言いながら他方で抑止力としての核の効果を認めているようでは、日本政府が唱える〝道義性〞において核廃絶の先頭に立つことはできない。政治の信用問題だ。百歩譲って核保有国が言うなら自己を正当化する理屈としてはわかるけれど、唯一の被爆国として非核3原則を持つ日本の政府が核の土俵に乗った発言をするようでは話にならない。
政治がパワー・ゲームに偏っていくほどに、そこで語られる言葉が人々の心から遠ざかり、空疎になっていく。政治ほど人間臭いものはないはずなのに、心に響かなくなっていく。権力の座につくとよけいにそうなのかしら。
夜、NHKで放送された吉永小百合さんの原爆詩朗読コンサートを見た。この催しは『夢千代日記』をきっかけに始まり、今年で25年になるそうだ。もはや彼女のライフワークといえるだろう。その姿は以前誰かがどこかで例えていたように、平和を祈る「巫女」のようだった。コンサートには皇后もみえていたようで、私の勝手な想像だけど・・・そのうちヒロシマ・ナガサキを象徴する国民的催しの一つになるかもしれない。多くの人たちの深い感動と共感が会場に満ちあふれているのが画面を通して感じられた。
□■□2010年8月5日(木)
オルタナティブ・メディスン(代替療法)ホメオパシー(病気と同じ「症状を起こす毒」を限りなく薄めたものを砂糖粒にしみ込ませた丸薬を飲んで治す。似た症状を起こす物質が似た病気を治すということで「同種療法」と呼ばれる)が問題になっている。朝日新聞でも損害賠償を求めて4日に開かれた山口地裁での口頭弁論をきっかけに〝ホメオパシー〞について大きく取り上げていた。
裁判は、乳児が死亡した原因をホメオパシー療法によるものとして両親が提訴したものだ。私が娘を出産したのはもう38年も前のことで記憶にないが、新生児はビタミンKが欠乏すると頭蓋内出血を起こす危険があるため、生後1ヵ月までの間に3回、ビタミンK2シロップを与えるのだそうだ。ところがホメオパシーでは助産師がこのシロップの代わりにレメディという治療薬(特殊な砂糖玉)を飲ませているのだという。裁判になった赤ちゃんはレメディを飲んだが頭蓋内出血で死亡したらしい。
数年前、妹の薦めで『欧米医学の最先端~ホメオパシー療法入門』(J&R・ウルマン共著・徳間書店)と、名前は忘れたが自然治癒力に関する本を読んだことがあり、ホメオパシーが記憶の中にあった。私は面白そうなところを読んだだけで療法を〝信じる〞までには至らなかったが、がんも含む多種多様な病気を治せるということで、日本国内にも利用者が数十万人はいるらしい。化学物質を使わず、薄める毒としてはトリカブトなど植物やヘビの毒液、イカの墨、アカアリなど昆虫、鉱石(最も使われているのが塩)など、動物・植物・鉱物など自然界のものはなんでも対象となるせいか〝自然派〞の女性層を中心に人気が高まりつつあるという。
しかし一方で、「ホメオパシーはプラセボ効果(偽薬・薬効がなくても本人が効くと信じて飲めば効くことがある)に過ぎない」と言うスイス・ベルン大学の05年の調査結果や、今年2月には英国議会で「英国の公的医療の対象から外せ」という勧告が出るなど風当たりも強いようだ。
私が読んだだけに終わった理由の一番は、「徹底的に希釈をして、薬物の物質性を排除して、霊魂化することにホメオパシーの真髄がある」「ホメオパシーの霊性」、「(100万分の1に薄めたインクと同じように)薄めて震盪(サカッション)させる回数が増えるほど効き目が強い」といった表現についていけなかったこと。私も自然治癒力を大事にするとか、化学薬品に頼らないという考えはあるのだが、ここまでくるとスピリチュアル・ヒーリングの世界。もちろん、どういう医療を選択するかはその人の自由。そのうえで、できれば効果的な治療を選びたい。厚労省もプロジェクトチームを立ち上げてホメオパシーも自然療法ととも代替療法として研究を始めているようだから、様子をみましょう。
□■□2010年8月3日(火)
昨日、大阪国際交流センターで開催された全国自治体議会改革推進シンポジウム(主催・三重県議会)を聴いて、今日帰った。
PHOTO BY MACHIKO(10・8・2)
シンポジウムの基調講演は「地域主権改革の動向」と題して首相補佐官の逢坂誠二さん、その後パネルディスカッションで「議会内閣制、地域主権下における議会の役割等」。パネリストは大阪府知事の橋下徹さん、元総務大臣・前岩手県知事の増田寛也さん、三重県議会議長三谷哲央さん。コーディネーターは朝日新聞編集委員の星浩さん。そして、コメンテーターとして基調講演を行った逢坂さんが加わる。主催した三重県議会は現行の二元代表制のもと、議会改革では全国でも先頭を走る。
橋下大阪府知事の議会内閣制発言や河村名古屋市長のボランティア議会、そして議会とのっぴきならない対立関係に陥っている竹原鹿児島県阿久根市長など突出した例とともに、全国の議会で議会改革への流れが目立ってきている。その背景にあるのは住民の「議会」に対する根強い不信感。
議会否定につながるような声も聞こえる中で、議会の側も危機感をもち、現行の制度の枠内で「議会基本条例」の制定はじめ議会改革に手をつけ始めた。こうした中で、枠内で出来ること、枠を超える場合の制度設計、或いは憲法改正も視野に入れた地方議会制度そのものの抜本改正など様々な角度からの議論が噴出している。昨日のシンポジウムは、そうした議会制度がかかえる問題や課題に正面から取り組んだものだった。
シンポジウムで交わされたさまざまな議論は私なりにこれから整理していこうと思うが、議会改革の基本は民主主義を強化する方向でなければならない。増田さんが、(長や議会など)どこかに権力を集中させるのではなく分散させ、またどんな改革を行うにしても住民のコントロールが及ぶ範囲で行われなければならないと言っていたことに共鳴した。シンポは議会改革の議論だったので住民投票については話題にならなかった。しかし、住民のコントロールを実現するとすれば重要なツールの一つが〝住民投票〞だ。現在ほとんどの自治体は自治法に依拠していて常設型住民投票条例を持つ自治体は少ない。自治法を改正し、リコールや政策提案などをめぐってもっと住民投票がやりやすいような制度改正が急がれると思った。
□■□2010年8月1日(日)
千葉市文化センターで「戦争責任を考える千葉8月の会」主催の〝「韓国併合」100年を考える・写真展/DVDとお話〞の集い。「千葉8月の会」とはもう20年のお付き合い。会の≪合言葉は具体的に事柄を聞き、事実を把握する≫こと。毎年8月、世界各地から歴史の生き証人を招いてアジア・太平洋戦争だけでなく、今も絶えることのない戦争の悲惨さを語ってもらう会を催してきた。私も、インドネシアの日本軍慰安婦、米国のイラク侵略戦争の中で生きる市民等々、多くの証人の言葉と映像を通して、戦争の悲惨さと平和の尊さを〝体験〞させてもらってきた。今回はその25回目。
DVDは韓国KBSが「光復(戦後)60年」を記念して制作・放映された「日本は8.15をどう記憶するか―記憶のブラックホール」で、船橋市に住む朝鮮問題研究者・李洋秀(イ・ヤンス)さんが同時通訳・解説をしてくれた。お話は「韓国併合と在日」というタイトルで千葉大教授の趙景達(チョ・ギョンダル)さん。猛暑を忘れ、歴史と現実に集中できた3時間だった。そして、もっと明治以降の歴史を学ぶ必要を感じた。
趙さんの話の中で、〝国体〞(念のため、秋に成田でも3つの競技が開催される国民体育大会ではない)という言葉は水戸学で使われ、それに吉田松陰が飛びついて明治政府になってまとめられたものだそうだが、1938年に当時の文部省が全国の学校に配った『国体の本義』というテキストの中では、「君主(当時の日本では天皇)は頭の良い悪いではなく血(統)」という意味の解説があるという。やっぱり・・・「国体」ってずっと気色悪い言葉だと思っていた理由を自分なりに納得。
(左)千葉大・趙教授のお話。 (右)平和と友好を祈って日本(宮城県)-韓国(ソウル)2500㌔メートルを歩いて旅を続けた市民の報告(2010年3月4日朝日新聞県版でも紹介された寺下さん) PHOTO BY MACHIKO
金曜日に届いた産直野菜の中にエンサイが入っていたので、金・土・そして今日も炒めて食べた。ニンニクとごま油と好みの味付けで、エンサイだけ炒めたり、豚肉、豆腐などと一緒に炒めたりて食べた。3日連続だが飽きない。
『産直ニュース』によれば、猛暑続きで畑は土煙りがたつほど乾燥しているそうだ。里芋にはスプリンクラー、ナスにも熱障害で茶色のシミが点々と出始めたので散水ホースで水やりを始めたようだ。そして、冬キャベツやブロッコリーの種まきをしたけれど暑くて芽が出るか心配していた。場合によっては蒔き直しも覚悟しているという。たいへん、たいへん、と言いながらも農家が元気なのは、そういうふうにして手塩にかけて育てた自慢の野菜をおいしい、おいしい、と言って食べる消費者がいるからだろう。私は食べるだけだけど、農家の皆さん本当にありがとう。
□■□2010年7月30日(金)
午前中全員協議会。市長から成田高校の甲子園出場に1千万円寄付することについての報告があった。「1千万円」の根拠はないようだ。同じ全国大会出場でも、他の種目では交通費などへの助成があっても高額寄付はない。甲子園は別格らしい。「成田市」の宣伝効果に対する期待が大きいようだ。
午後は1時30分より男女共同参画推進懇話会、3時より成田都市計画事業JR成田駅東口第二種市街地再開発事業建設業務代行者選定委員会を傍聴。後者を傍聴した理由は私も委員を委嘱されている都市計画審議会で以前議題に上がった再開発事業関連なので参考のため。JR東口に再開発ビルを建設するというもので、総事業費約100億円。その特定業務代行者(建設業務プラス保床の責任も負う。地元業者とのJV可))と特定事業参加者(デベロッパー)をどこにするか決める委員会。業務代行者と事業参加者はセット。市の提案に対して2社以上でグループ応募したのを各委員が点数をつけ、最高得点者に発注するプロポーザル方式。
この方式は、たしか前市長の時新清掃工場建設にあたり環境影響調査関連で採り入れた手法。のちに前市長といずみ清掃工場運転管理業務委託業者との贈収賄事件が発生した際、関連してこのプロポーザル方式で業者を決めた時の資料を開示請求した朝日新聞の記者によれば、それぞれの委員がつけた点数はわからないように鉛筆で書いた後消されていたとのこと。公正を期するためであったのかもしれないが、この時の記事は事件がらみで〝不透明〞さが指摘されていたと記憶している。で、私にはあまり良い印象として残っていないのだが、プロポーザルでやると決めた以上は透明性や公正さが確保されるよう対応してほしい。
「開かれた議会を目指す会」の情報によれば、茨城県取手市議会は8月に開く臨時議会で可否電子表決システムを導入・稼働させるそうだ。そこまでは特に驚くことでもないが、すごいのはこのシステムの財源約800万円、議員の行政視察を5年間凍結して捻出したということ!財政事情もあるのだろうが、市民に開かれた議会を目指す自助努力はなかなか真似のできることではない。市民の評価は高いと思う。
一方、こうした事情で取手市議会は視察に行かないもののこの夏は各地から視察が来ているという。本会議や委員会での音声入力システムと格安インターネット中継に興味があるらしい。ちなみにこのシステムで議事録作成時間が大幅短縮、職員の残業代もカットされたそうだ。
□■□2010年7月29日(木)
人も大地もひと息ついたような一日だった。〝ほんのひと息〞でも、恵みの雨、心身をいたわってくれる涼気だった。
群馬県某市議会の話だが、(議員の)ブログを規制する意図をもった条例(議会事務局に問い合わせたところ「市議会議員政治倫理条例」という名称とのこと)をつくろうという動きがあると聞いた。悪いジョーダンだと思ったが関係議員によればそういう目的が含まれているらしい。通称ブログ規制条例。それを検討する議会の委員会(これも議会事務局によれば「○○市地方分権・地方自治調査特別委員会」という名称のようだ)が「原案」をもって法務担当の職員に見せたら、当然のことながら〝ブログ規制〞はペケ。そうしたら委員たちが「ここが今回の一番のヤマバだ」って怒ったんだって!信じがたいおバ●ね・・・要するに、議会のみっともない内幕を書いてほしくないのだろう。私も自分の所属する議会の現状については社会常識的な節度で書いている。が、これはと思うことは事実に沿ってこの日記で書いてもよいと思っている。もし議会が本気で議員のブログを規制しようと思っているとしたら怖い話だ。身内の恥をさらす程度の笑い話で終わってほしい。
昨日2名の確定死刑囚に対する刑が執行されたことに対する、アムネスティ・インターナショナルから抗議声明が届いたので「市民の広場」に掲載する。法務大臣になって連盟を抜けたようだが、かつては死刑廃止議員連盟の中心にいた千葉法務大臣自らが執行に立ち会ったという。
犯罪の残酷さを考えれば被害者の遺族に限らず死刑やむなし、或いは死をもって償えと考える人も多いだろう。私も、死刑制度は廃止したほうがよいと思っていても被害者や遺族に自分の感情を重ね合わせ、長い間死刑制度廃止に与するのに躊躇していた。が、光母子殺人事件をめぐって遺族やマスコミ、それに同調する世論を目の当たりにし、「死刑制度」は廃止すべきだと確信した。アムネスティ・インターナショナルの抗議声明を支持する。
□■□2010年7月28日(水)
昨日・今日と午前4時起きで5時過ぎから「たいむ」75号の早朝ポスティング。ポスティングのボランティアの人たちはそれぞれのスケジュールでやってくれているが、私の場合毎年6月議会の報告を兼ねた「たいむ」は7月発行なので早朝ポスティングが中心。そして陽射しが強くなる7時過ぎには終了。ポスティングの間イヤホンで聴いているラジオのお天気キャスターが〝梅雨明け10日〞といって梅雨明け後10日間は晴天が続くと言っていたが、ホントにずっと晴~。そろそろ雨がほしい。ひと息つきたい。
午後、市役所で男女共同参画セミナー。「指針なき時代の親子・家族の関係作り」というタイトルで、講師は臨床心理士の京谷幸一さん。思春期が専門で、教育現場や医療機関のカウンセラーとして活躍中とのこと。このセミナーも市役所を会場に開催される講演会の例にもれず参加者はおじいさん、おばあさんの世代が多かった。それはそれでよいのだが、どちらかといえば子育て中の保護者に聴いてほしい内容。
先日、親に長時間木刀で殴打され、親が疲れて眠ったのを見計らって逃げ出しコンビニで保護された男の子のことがニュースで報じられたが、逃げることもできずに命を落とす子など児童虐待が後を絶たない。昨年(09年度)に全国の児童相談所が扱った児童虐待の相談は4万4210件に上ったという。1990年に調査を始めてから19年連続の増で過去最多であったらしい。また、08年に虐待によって死亡した子は、107件128人で、心中以外のケースでは67人。そのうち39人が0歳時で、26人は0ヵ月児、生まれたその日に虐待で死亡した子が16人いたという。
子どもを守ることが第一だが、同時に虐待する親を責めたり罰したりすることで終わりではなく、将来に向けてのケアも必要だ。最悪のケースで目立つのは望まない妊娠。医療機関を受診しないで出産したり、母子手帳が発行されていないケース、乳幼児健診を受けていない割合も前年度より増えているという。「親の心理状況は、母親側は『育児不安』、父親側は『攻撃性』の問題」などとあわせ、相談その他支援体制の充実が必要だ。おそらく虐待する親もギリギリのところで生きているに違いない。
□■□2010年7月26日(月)
めでたいことに昨日成田高校が甲子園出場を決めたらしい。酷暑の中、市民の楽しみが出来たことはグーね!先日、ベスト4が決まった時かしら、「今年は1千万円ですかね」と言った人がいた。成田高校の甲子園出場は20年ぶりだそうだが、その時は成田市から1千万円の寄付金が贈られた。甲子園に行くということはなにかとお金がかかるからだろう。巷の噂(あくまでもウワサ)ではその時成田高校の同窓会は3億円集めたとか。さすが・・・。
またまた事故米が食用米として不正に転売されていたことが発覚。これについては、「たいむ」第74号(10年4月発行)の記事を以下に転載。やっぱり流通過程がブラックボックスだ。
生産者・消費者にわかる情報表示を
4月8日(木)衆議院議員会館でJAS精米表示の問題点を考える集会が開催されました。主催は「米の検査規格の見直しを求める会」。足立も昨年6月議会で農産物検査法に基づく斑点米(着色米)検査項目の削除を政府に働きかけるよう求めて一般質問をしたことがあり、参加しました。
関係官庁の農水省総合食料局計画課と消費流通課、消費者庁食料表示課が出席。斑点米検査、ブラックボックス化して不正や汚染の温床となりかねないブレンド米、ふるい下(した)米などの問題点が議論され、最後に「生産者、消費者に役立つ情報表示を!」というアピールを採択しました。(「たいむ」第74号より)
今日は漬けてあった梅を干した。暑過ぎてお天気が不安定のようなので2、3日目が気を抜けない。
それと、双葉社という出版社から三井環著「『権力』に操られる検察 五つの特捜事件に隠された闇」という新書版の本が送られてきた。以前三井さんと名刺交換したのでそのつながりだろう。
「正義の機関」検察がナゼ鈴木宗男事件、日歯連事件、朝鮮総連ビル詐欺事件、小沢一郎事件、郵便不正事件といった「無理筋」な事件を手がけるようになったか・・・検察の内部を熟知した人によって語られるのが興味深い。それもこれも検察が組織を守るために時の権力(小泉政権)に借りを作り「けもの道」に足を踏み入れた結果だという三井さんの指摘は、ドラマチックですらある。すごい世界を垣間見せてくれる本だ。
□■□2010年7月24日(土)
朝、曳地公園とその周囲の美化運動に参加。親子(お母さんと小学校低学年といったところ)での参加が目立つ。約1時間だったが、小さな子どもたちと一緒のごみ拾いはとても楽しかった。ごみを上手に挟んでビニール袋に入れる姿は慣れたもの。きっとこの〝ごみ作戦〞の常連さんたちなのね。
途中、羽化したばかりで足をモゾモゾ動かしている乳白色の大きなセミを持っている子がいた。のぞき込むと、まわりの子が「カラから出ようとしているのをボクがみつけたんだよ」とか「放してやれよ」などと言うのだが、手にとった子は放し難い様子。子どもたちとセミのことを話しながらしばらく歩いて公園の出口に着いた頃には、セミも徐々に地上の空気に慣れて元気になってきて、羽根を震わせるようになった。で、その子も手放す時だと納得したようで、公園の木立に向かって放った。セミはほんの少し飛んで地面に降り、それから木をめざして移動を始めた。地上での短い命、無事に過ごせるといいね!
午後、環境部主催の講演会を聴く。気象予報士でTVのお天気キャスターの森田さんの講演で「異常気象と環境問題―異常気象は何を訴えているか」。森田さんは「あ、あのひと・・・」とわかるくらいよく知られた方なので市役所6Fの大会議室は満席。専門の気象のことだけでなく話題も豊富で講演上手。午後1時30分からという、居眠りが始まる時間なのに3時過ぎまで聴衆を惹きつけ、絶えず笑いを誘い、真夏の暑さを忘れさせてくれた。
□■□2010年7月23日(金)
朝、地震で目がさめた。かなり強い。ラジオをつけたら成田は震度4とのこと。起きてガスをつけると、火がつかない。以前点検に来たガス会社の人が外のガスメーターのある場所で「震度●になると自動的に止まる」と説明していたのを思い出した。その時はあーしてこーしてと回復方法を聞いたのだが、ガスが止まるような震度は相当のものだろうという先入観があり、真剣に聞いていなかった。幸いどうしてもガスでないと、という炊事はなかったのでガス会社が始まるまで待つことにした。
洗濯やら事務処理やらをしていると10時過ぎにガス会社の人が来て使えるようにしてくれた。その時門の前を車で通りかかった近所のおじさんが窓から「うちも止まったけど、自分で直しちゃったよ~」と言ったので、あらっ、みんな自分でやっているのね。今度は忘れないようにとメモをしておいた。ガス会社の人の話だと、その人が朝出社した時にはすでに100件くらい私みたいな電話があったらしい。
□■□2010年7月22日(木)
新潟県内3自治体を視察して帰る。視察目的は20日(火)・長岡市防災シビックコア地区整備計画、21日(水)・新潟市コンプライアンス推進事業、今日22日・新発田市の市民参加と協働による新発田まちづくり条例・食の循環によるまちづくり条例について。
(右)20日・長岡市 (中)21日・新潟市 (左)22日・新発田市 行政視察は行政の施設内で説明や質疑が行われ、必要に応じて関連施設やその他参考となる施設を視察。
新発田市ではまちづくり条例策定時の担当者が他の部署に移動していたので私が一番関心のあった住民投票に関する議論があったか、なかったか、条例に反映されていない理由はなぜか、といった点は後日確認の上知らせていただくことになった。この条例策定にあたって学ぶべきことの第1は、公募で手を挙げた市民全員が「勉強会」に参加するかたちでスタートしたということ。
先日、成田市の自治基本条例制定に向けた市民委員会(まだ設置されてはいない)の第1次募集(その時応募数が少なく、更に追加募集があるようなので、私が勝手に第1次募集とした)に応募した人から聞いたのだが、条例についてまったくの素人は難しいようだという。関心を持って応募した市民にそう思わせてしまうのはどうしてかしら?新発田市では、公募で勉強会をスタートした時は57人だったのが次のステップともいえる提案会というのに残った市民は29名だったという。自分には合わないと思えばやめて行く人もいたわけだ。はじめからハードルのようなものを作る必要はないと思う。なお、視察に関しては後日報告書を作成する。
帰りにスカイアクセスに初めて乗った。途中はこんなスピードで36分はないだろうと思っていたが、印旛日医大前から空港第二ビル間はさすが!以前時間を1分短縮するのに100億円かかるという話を聞いたことがあるが、みるみるスピードが上がり、36分というわけにはいかなかったが39分位で着いた。
新潟県も34℃~35℃と暑かった。しばしば国内最高温度を記録する多治見市では39℃以上を記録。熱中症への注意が喚起される酷暑だ。もう、こうなったら亜熱帯ね。
□■□2010年7月19日(月)
3連休で行楽地にくり出す人も多かったようだが、私は大半を部屋にこもって「たいむ」75号の印刷。出かけたことといえば印刷用紙や食料品の買い物と友人との食事と、あ・・・印旛沼までスカイアクセスの通過を見に行ったくらいかしら。そして、猛暑の中でポスティングしてくれているボランティアさんには心から感謝。私も、今月いっぱいは気合を入れて自分の担当エリアをポスティングする予定。途中思いがけない出会いがあったり、確実に2~3㎏減量できるのが嬉しい。
先週の木曜日あたりから空の色や雲のかたちに変化を感じるようになっていたが17日に梅雨が明けたようだ。最近〝雨期〞と言う言葉を耳にするようになった。〝梅雨〞というのは梅の実が熟す頃に続く長雨の通称で、気象用語では雨期なのだろう。最近の気候は温帯モンスーン型というより亜熱帯に近いのではないかと言われるが、雨期と思えば体感的にはまったく同感。
そんなわけで梅雨が明けたら漬けておいた梅を干そうと思っていたのだが、明日20日(火)から22日(木)まで行政視察で新潟へ出かけるので、帰ってからにする。あっちこっちで〝梅を6キロ漬けた〞と自慢して歩いているので、3日3晩太陽だけでなく夜露にもあてて完璧に干して仕上げるつもり。これまでは塩だけ、塩と紫蘇の2種類しか作ったことがなかったのだが、今年は塩を減らしたいので黴を防ぐために梅を一度焼酎で洗って消毒した。それと、紫蘇は庭に生えたものを使い、1度あく抜きもした。塩の量はこれまでの3分の1だったが黴も生えず、紫蘇もすき透ってガーネットのように美しい色。そんなこんなであとは梅干しの味次第。おすそ分けする時にまたまた自慢話がしたいの・・・。
□■□2010年7月16日(金)
議会事務局よりFAXで、関東運輸局が成田市を「観光まちづくりコンサルティング事業」の対象に選んだという新聞切り抜きを送ってきた。なんでも旅行会社など専門家が自治体に協力して旅行開発などを支援するらしい。「自治体だけでは気づかなかった観光資源の発掘や新しい旅行プランの開発につなげる」とのこと。「発掘」というのは、要するに市内の何が観光「資源」になるか、客を呼べるような魅力あるアピールや組み合わせが可能か、プロの着眼点のお手並み拝見といったことかしら。ところで、成田市には「観光振興基本計画」がある。これだって、コンサルタントが入って策定したもの。コンサルやら旅行会社やら交通会社などにわがまちの観光計画を作ってもらっているようなものね。
下総にある数ヵ所の団地に「たいむ」をポスティングしてくれているIさんの勤務先を訪ねる。途中、山際にねむの花が咲いていた。真夏の太陽の下で咲くにしてはデリケートな紅色の花。車を止めてしばし見とれる。今日は夕暮れ時の7時過ぎ、古墳を囲む木立の中からヒグラシの鳴く声が聞こえた。まだアブラゼミやミンミンゼミの鳴き声も聞かないのに・・・。ニュータウンの街路樹の下に植えられたカンナの赤い花も咲いて・・・夏だなぁ。
あんまり暑くてうっとうしいので初めてグリーントマトのスープを作ってみた。2本植えたミニトマトが次々と色づいて収穫時を迎えている。以前トマト農家のHさんから聞いた話だが、或る時車が止まって、大使館に勤務しているというエジプトの人がグリーンのトマトを分けてほしいと言ったそうだ。日本では赤いトマトしか売っていないので探していたらしい。なんでも、エジプトではグリーントマトを使ったスープがあるのだという。・・・ということを思い出したので、今日はまだ青いトマトと、セロリ、パセリ、ディルと、ここまでは我が家の庭で収穫し、ほかにドライのミックスハーブ、ザータル少々を入れて試作してみた。これはもう、夏のスープ。冷やしたほうが美味しい。今度は大きいグリーントマトを手に入れて作ってみよう。
□■□2010年7月15日(木)
歴史と今を語り合う女性の会、暑気払い。食事をしながら暑さを吹き飛ばすおしゃべり。1歳になったばかりの最年少の女性るなちゃんも、ママ、おばあちゃん3代一緒に参加してくれて笑顔をふりまき、みんなを幸せな気分にしてくれた。
一昨日(13日)は私と女性の会も名前を連ね、県内有志で県教育長あての要望書を提出した。6月の千葉日報の記事がこれまで進めてきた学校での男女平等教育の誤解を招かないよう市町村に通知をだしてほしいという趣旨の要望書。その後の調べで、千葉日報が例の記事を掲載するにあたっては、混合名簿を目の敵にする保守系県議からの働きかけがあったようだ。歪んだ男女差別主義者たちの思惑で千葉県の男女平等教育を後退させてはいけない。
お店の窓からみえる空はすっかり夏空で、光の色も黄色みを帯び始めてきたのだが、まだ梅雨は明けていない。集中豪雨で土砂災害の被害が出ている地域もあるようだ。
「たいむ」をポスティングや郵送してくれるボランティアさんのところに届ける。最後のAさんのお宅にはまたまたあがりこんでおしゃべり。人生の先輩で聞き上手な方なのでついつい甘えてしまう。
帰ったら、元上野動物園の園長さんでパンダの人工授精を成功させた増井光子さんが英国滞在中に馬術大会で落馬して亡くなったという訃報。残土・産廃問題ネットワークちばが朝日新聞社の「明日への環境賞」を受賞した際、同時に兵庫県豊岡市でコウノトリを人工飼育しているグループが受賞し、「コウノトリの郷公園」の園長さんとして出席しておられた。受賞パーティーでいろいろお話を聞く機会があり、いきものたちへの深い愛情と、終始笑顔を絶やさなかった姿が強く印象に残っている。お元気だったのにとても残念。ご冥福を祈る。
□■□2010年7月13日(火)
今日は一日「たいむ」第75号の印刷その他にかかりっきり。それにしても、勝てば官軍というか・・・「みんな」の代表や幹事長の鼻息はすごい。自民党も久々にひと息ついて笑顔が戻ったようだ。それにくらべて民主党は敗者の悲哀を味わっている。回路が冴えない。でも、何事も山あり谷あり、敗因から何を学ぶかがこれからの民主党を決める。何はともあれ、政権交代の余地だけはしっかり残してほしいと願う。
今回の選挙をみていて、国民は圧倒的に強い政党の存在を望んではいないことがはっきりした。イギリスも先の選挙で2大政党政治が崩れ、久しぶりの連立政権が誕生した。日本の政治家たちも、好きなように権力を行使しようなんて思わずによーく議論してよりよい政策を実現してほしい。〝ねじれ〞を歓迎する声に共感した。
口蹄疫問題で、宮崎県の畜産農家が所有する種牛6頭のワクチン接種と殺処分を拒んでいるという。知事は種牛が健康であることを理由に特例として延命を認め、農水大臣は殺処分を迫っている。
人情からすれば、農家の気持ちもわかるし牛も健康というのだから何とか見逃して!といいたいところ。でも、この牛が残っている限り口蹄疫対策特別措置法による請願解除が認められないと言うのだから悩ましい。これはすでに泣く泣く殺処分した農家の手前認められないということもあるだろうが、国際的な信用問題にもかかわってくるようだ。
農林水産副大臣の篠原孝さんのメルマガによれば、1998年オランダの豚コレラでは900万頭、2001年イギリスの口蹄疫では400万頭が処分対象になったという。畜産の規模が違うということもあるだろうが、今のところひとケタ少なく済んでいることを考えると、対策は万全にしておかないと大惨事となりかねない。
篠原さんによれば日本は「加工畜産」(飼料穀物を輸入して農家が肉、卵、牛乳に加工していることから、好物資源を輸入して加工し、海外に輸出する加工貿易をもじって篠原さんが20年前名付けた)の国。しかも世界でも並はずれた過密飼育、現状で納まっているのが奇跡に近いという。
□■□2010年7月12日(月)
選管から届いたFAXによると、成田市長選挙の期日が暮れも押し詰まったクリスマスの翌日12月26日に決まったようだ。告示日は12月19日。小泉市政せの新年度予算を決めてからの市長選挙となる。来年1月20日の任期満了や年末年始などを考えるとそういう日程が選ばれたのだろう。前回は市長の逮捕~辞職という事件がらみだったからやむを得なかったかもしれないが、これまで統一地方選で市議選と市長選が一緒だったのと比べると、慣れていないせいもあってなんとなく盛り上がりが気になってしまう。
選挙費用のことなども含めて同時に選挙ができないものかという声もあるかもしれないが、市議会が任期を半年近く残して解散ー同時選挙になることは逆立ちしてもないだろう。それに、考えてみれば2度の選挙を通して市民が日本の地方自治の二元代表制のことや市政について考える機会があるのは良いこと。
先日日記に書いた「予言タコ」のパオル、結局ワールドカップでドイツの全ての試合と決勝戦の計8試合、占った試合全てを当てたそうだ。このところ連日、ワールドカップのニュースといえばパオルが登場していて楽しかった。私はといえば試合よりパオルのほうに興味があった。こうなったらもう誰にも文句を言わせないないんじゃない?むしろその〝快挙〞を称える声もでてきているというから嬉しい。私は多古町の生まれなので〝タコ〞には親近感がある。私の多古というのは、元々は多湖だったのが多胡になり、その後多古になったというのだけれど、昔は知らない人に「多古町出身」というとあの「タコ」をイメージするらしく、たいていクスッと笑われたものだ。
ところで、パオルは次のワールドカップでの予言は寿命(3年くらいらしい)の関係で無理のようだ。でも、きっとワールドカップの歴史に名を残すタコになるだろう。めでたし、めでたし。
□■□2010年7月11日(日)
参院選の開票が進む頃、南風が強くなってきた。我が家の南側に鎮座する古墳とその周囲に生えている数本の高木が風を受けてごうごうと音を立て始めた。今の民主党はまさにこんな無党派層を中心とした強風にさらされているようなものだろう。風を避けることはできない。民主党自体、そんな風にのって政権の座についたのであり、今回の選挙はその風向きが変わったのだ。「みんなの党」躍進を、この間民主党を支持してきた無党派層がくらがえしたと負け惜しみを言っていた幹部がいた。そうした分析も可能だろう。つまり、民主党が政権の座に着いてもたついている間に、これまで民主党の十八番であった財政の無駄遣い削減、公務員制度改革や国会議員の定数削減などを〝アジェンダ〞(課題といった意味かしら)といってわかりやすくストレートに主張した「みんな」に食われたということなのだろう。
無党派の風がどういうものか、その恩恵を受けて近年の選挙を戦ってきた民主党が、今度は逆風を受ける。風だって自然の法則によって吹くのだ。人の世とはいえ、無党派の風にもちゃんと理由がある。それを想定した風対策をきちんとやらなかった菅首相は相変わらず「ワキが甘い」といえるのかな。
道あゆみさんは民主党というのではなく応援したのだが、深夜落選が決まった。とても残念。改選3名のうち猪口さんとともに道さんが当選して2名が女性だったらよかったのに。でも、彼女には今後を期待したい
□■□2010年7月10日(土)
国立歴史民俗博物館が主催する歴博講演会を聞きに行く。今日は「アジアの境界を越えて」と題して歴博准教授の上野祥史さんが講演。何はともあれ、心待ちにしていた企画だ。会場はリタイア(たぶん)した歴史好きとみられるおじさんたちを中心に、たくさんの聴衆。歴博講演会は今日で319回目だそうだが、いつもこんなに人が集まるのかしら。
来る7月13日(火)~9月12日(日)まで、同じタイトルで大学共同利用機関法人人間文化研究機構・国立歴史民俗博物館・国立民族学博物館主催の企画展が佐倉の歴博で開かれる。上野さんはその準備を中心的に担ってきた考古学(中国)の専門家で、今日の講演の内容はその企画展示に関した〝さわり〞とのこと。でも、とても刺激的な内容だった。
動乱の時代と言われた5世紀、乱れただけでなくその中から中国では隋・唐といった強大な権力の誕生、朝鮮半島の統一、日本では古代国家の体裁が整い始めるといった時代をとりあげて、王権・権力、信仰・意識、生活様式などを通して〝境界〞論を展開してくれた。
〝境界〞とは何か、それを越えると何が起こり、どういう変化が起こるか・・・古代は5世紀を中心に、近現代は18世紀~20世紀をとりあげ、歴史学やフォークロア(民俗学)と人類学が手を組んだスケールの大きな企画展になりそうだ。
21世紀になっても宇宙船地球号といいながら国や民族、宗教の紛争が絶えない。その一方経済のグローバリズムが地球全体を覆い尽くそうとしている。もともと地上には国境線などなかった。山や川、砂漠や海が境界だった時代に思いをはせ、人類の歴史や文化を考えてみたい。「古代や近現代のさまざまな境界を眺めれば『グローバル』な現代の明日もみえてくる」(チラシより)かもしれない。
□■□2010年7月9日(金)
朝日の県版に8日開かれた「成田空港をいかした県経済活性化について話し合う県の緊急プロジェクト会議」中間とりまとめに関する記事。見出しは〝カジノ導入に向け、県、チーム設置へ〞。「空港周辺に外国人専用カジノをつくることを前向きに検討する」ことなどを盛り込んであるという。
カジノを「観光資源」として、経済波及効果や雇用創出効果が大きいので地域活性化が期待できる、としている。カジノがあると「国際空港都市としての魅力」が向上し、「国際化する羽田空港との差別化」ができて有効という考えらしい。
しかし、そんなキレイごとを言っていてよいのかしら?「外国人専用」というけれど、市内に外国人しか利用できない賭博場があるというのはいかがなものか。カジノは要するに公認の賭博場。たまに外国映画に登場するような着飾った人たちが有り余るお金をまき散らす社交の場ではない。ゲームとして楽しむ人もいるかもしれないが、一攫千金を夢見てわずかのお金を賭ける人たちも多い。そして、ギャング映画の背景に登場するような、犯罪の温床になりかねない。
知人で海外を渡り歩いているフリーのジャーナリストがいるが、国際空港のあるまちはどこも治安が悪いという。成田の治安が比較的良いのは、いまはまだ空港反対運動があって警備が張り付いているからで、そのうち問題が起こってくるのではないか、ということだった。
成田空港成長戦略会議の〝空港の将来像ワーキンググループ会議〞の概要が報告されていた。いくつかのテーマの中に〈カジノ構想について〉という一項目があり、「カジノはかなりバリアが高い。街を二分してしまうこともある。」とまとめられていた。市議会の中には空港がもたらす金権・利権を〝成田の発展〞にすりかえてカジノ、カジノと導入に熱心な議員もいる。が、成田のまちづくり、市民の暮らしの視点からも考えなければならない課題だ。
2010・7・9 (PHOTO BY MACHIKO)市役所に行ったら、1階ロビーでこんな光景が。うなりくんとこどもたち。そういえば、今日から祇園祭りね!
□■□2010年7月8日(木)
ニュースを見ていたら、ドイツの水族館で飼育されているタコのパオルに身の危険が迫っているらしい!?なんでもパオルはワールドカップのドイツ戦を占って百発百中。で、ドイツが占い通り勝ち進んできた時には〝パオルさまさま〞だったが、準決勝で負けたとたん熱狂的ファンから八つ当たり。丸焼きにしちゃうぞ、とかパオルの料理法がネットを飛び交っているという。この間ドイツVSアルゼンチンの時にも負けたアルゼンチンがあのタコめ!とばかり怒りをぶっつけていたから、気の毒なパオル・・・。
ところで、そのパオルの占いとは、二つのプラスチック?の箱にパオルが好物の貝を入れ、対戦する2チームの国旗をあしらったフタをする。その上に乗ったパオルはどちらかの箱のふたを開けて貝を食べる。・・・と、そのチームが勝つ。まともにサッカーの試合を見ない私だが、ドイツVSスペイン戦の占いを見てしまった。パオルは、はじめドイツの箱の上でモゾモゾ動いていたのでドイツの勝ちかと思わせた。が、やがて向きを変えてスペインの箱に乗り移り、フタを開けた!そして占いは的中。ま、ワールドカップの熱気がクールダウンしたら、そのうちドイツの人気者になるんじゃない?きっと。・・・日本だったらタコのパオちゃんとか呼ばれて。でもヨーロッパではイカとかタコはあんまり良く思われていないからどうかしら。
ということで、まだオランダVSスペインの決勝戦を残しているものの、遠い国でのワールドカップ、日本チームの決勝トーナメント入りとブブゼラの音とタコのパオルの名前が私の記憶に残った。
□■□2010年7月7日(水)
入札等監視委員会を傍聴。08年1月から年2回開催し、今回で6回目。最初の頃と比べ行政側の緊張感も解けてきたようで、通過儀式や消化試合のようになってしまわないことを願う。
今日の選定事例は(仮)久住パークゴルフ場整備工事(コース築造工事)その他計10件。事例は3人の(外部)委員が決めているようだが、市が毎回10件と指定しているのかしら?
その中で、灰出しコンベヤー(1・2号炉)修繕については見積もり競争で、予定価格が15,653,400円のところ契約金額2,564,100円。落札率はなんと16.38%。そのやりとりを要約すると・・・
委員:(業者は)なぜこんな金額で落札したのか?開きが大きい。
クリーン推進課:予定価格は全国都市清掃会議の積算を参考にした、詳細はわからないが、営業努力をしたのではないか。
委員:なぜ見積もりにしたのか、入札なら最低制限価格制限価格がある。(競争相手より?)7割も安いのは不思議。どうして安くなったのか?
クリーン推進課:安かろう悪かろうはいけないと思っている。随時チェックしている。(今回の)成果品に問題はない。
委員:設計は何を基準にやるか。
管財課:設計書でやるのではなく、積算ベースで積み上げてやる。機械なのでなかなか把握できないので過去を参考にして積算していく。
委員:積算根拠だけで把握できないものがあるとわかった。(見積もり競争による随意契約という)方法がこれでいいか考えてほしい。
クリーン推進課:不具合があればどういう対策をとるかかなり明確。でも、問題なく動いている。委員長:(この金額でできるというのなら)いままで余分に払い過ぎていたのでは?不安を感じる事例。
かつて私も問題にしたが、成田市はいずみ清掃工場の運転管理に佐倉市と比べて倍の委託料を払っていた先例もある。成田市の積算が甘いのか、業者が営業努力をしたのか、入札方法に問題があるのか、手元に詳細な資料が配られないのでないのでわからないが・・・。
この事例に限らず、今回も委員が選んだ事例には随意契約が多かった。観光ガイド『時代を映す街成田』(観光プロモーション課)についても、委員より「入札ではなく随意契約をとる理由をもう少し真剣に考えてみては?」という問いかけがあった。加えて委員長も「金額のことよりも、説明を求められた時、契約形態を問われた時、きちんと理由を述べられるかということ」と指摘。
委員長より本日の講評:事例10件中6件が随意契約。随意契約はいま一番懸念、疑いの目で見られている。一度決めたら変えられないというのでなくなんとか一般競争入札にもっていくように努力してほしい。(委員は)世間の人がみんな思っていることを代弁している。
成田市はこうした提言にどう応えていくのだろうか。6月議会の一般質問でも指摘したが、入札改革を進めようとしている努力はわかるのだが、またまた国や業界に押されて不透明さや恣意性が入り込むような入札方法が試行⇒導入されつつあることが懸念される。
□■□2010年7月6日(火)
私としては文明史家と呼びたい梅棹忠夫さんが去る3日に90歳で亡くなったという朝日夕刊の記事。「文明の生態史観序説」という、地球史的・人類史的な文明論の視座から日本や日本の文化を位置づけた有名な論文の著者。私も何度か読みかえしたことがある。合掌。
梅棹さんを初めて知ったのは1964年(昭和39年)、10月特大号と銘打った雑誌「中央公論」。今は黄ばんでシミだらけ、表紙も消失してしまったが、私の知的好奇心を刺激してくれた大切な蔵書として残してある。戦後も20年目を迎えようとする中で、中央公論は「各方面の識者に推薦を依頼」し、「その集計にもとづいて編集部で百余篇に及ぶ候補者リストを作り、最終的には上記10名の委員の選考を経て18篇の論文を決定」、それに基づいて〝特集・戦後日本を創った代表論文〞を発表した。 当時高校生2年生で、社会や文化に目を向けるようになった私には胸躍るような特集だった。何はともあれ町の書店で手に入れ、授業そっちのけで読みふけったことを憶えている。その戦後日本を創った18篇の論文の一つが、1957年中央公論2月号に発表された梅棹忠夫さんの「文明の生態史観序説」であった。梅棹さんが探検やフィールドワークの中から構築した〝生態史観〞は、高2になって学び始めた「世界史」をいっそうビビッドなものにし、視界を大きく広げてくれた。
その論文以外梅棹さんの書かれたものは「狩猟と採集の世界」(講談社学術文庫)を読んだくらいだが、一篇の論文が社会や個人に大きな影響を与える時代に生きられたことは幸せだったと思う。この頃は新聞の「論壇時評」すら読まなくなってしまった。
夜、「ショパンとサンドの愛の軌跡を名曲とともに」という番組を観る。ショパン生誕200年とかで、今年に入ってからずいぶんショパン特集が組まれていて嬉しい。有名なショパンとジョルジュ・サンドの関係は、誰よりもショパンの才能を評価していたサンドの献身的な愛によって維持されていたことを知る。私がショパンで好きなのは甘美な高音と夜のとばりを開くような低音。
春の頃だったかしら、ショパン生誕200年ガラコンサート・イン・ワルシャワでニコライ・デミシェンコがワルシャワ・フィルをバックにピアノコンチェルト1番を弾いた。デミシェンコの高音は官能的ですらあった。
□■□2010年7月5日(月)
参院選も終盤戦へ。3、4日に実施した朝日新聞の全国世論調査では内閣支持39%、不支持40%と出たそうだ。鳩山辞任・菅内閣発足でいったん持ち直したかにみえた内閣・民主党の支持率もまたまた下落の一途をたどり始めた。自民党内閣末期から内閣支持率は落ちるところまで落ちて首相交代でいったん持ち直し、再び下落し始めるというコースをたどってきている。
・・・といっても、メディアが主導する世論調査の動向は多少のことでは回復できないような仕組みだ。国民の多くはまだメディア・リテラシーの免疫ができていない。小泉首相が下落を北朝鮮訪問で挽回したように、相当の衝撃的な政策に打ってでないとメディアは国民を道連れに首相辞任までしゃぶりつくすだろう。或いは次に狙うのは民主敗北⇒政界再編かしら?
とはいえメディアは(それが一つの仕事として)日々国民の知る権利、情報公開が進む中で政治や政治家の動向を国民の目にさらしてくれる。もはや政界のドンが裏で政治を仕切っていられる時代は去った。「親分が黒と言ったら黒、白と言ったら白だ」という小沢一郎さんの親分金丸信さんのことばを思い出したが、今後それに従うような政治家は育たないだろう。政権交代で攻守ところを変えた発言や政策提案が行われ、ミニ政党も増え、政治家も新旧交代を避けられなくなった。政界がドラスティックに流動している。新しい人、若い人、そして女性がもっと政治の世界に登場していくにはそうした状況も必要だ。動かなければ水も淀み腐る。
私は国政選挙の運動には関わらないけれど、選挙区では道あゆみさん、比例区では保坂のぶとさんに頑張ってほしいと思っている。
時節柄、蒸し暑い日が続く。そして、紫陽花が美しい。なぜかこの年齢まで紫陽花に心惹かれたことはなかった。目には入っても、ただそこに咲いているだけ。花全体も葉も大きすぎる。成田市の花が〝あじさい〞と決まった時も、まったく興味がなかった。でも、今年は折にふれて目に留まり風情を感じる。春先に植えた山あじさいの苗が元気に育ってくれているのも嬉しい。
(2010・7・4)坂田ヶ池ではハスの花が咲きはじめた。7月の坂田ヶ池はハスの花と香りで満ちあふれる。
PHOTO BY MACHIKO
□■□2010年7月2日(金)
保健福祉館で第18回ニュータウン赤坂センター地区新興検討協議会。千葉県企業庁のニュータウンセンタービルの解体工事が7月中旬から(11年3月中旬まで。3月25日引き渡し)始まるということで、県企業庁と請負業者から説明があった。現在ある3棟の解体と外構工事。解体による廃棄物の内訳はコンクリートガラが10トン車で1776台、ガラスくず及び陶磁気くずが4トン車で56台、アスファルトガラ10トン車10台、木くず10トン車10台、混合廃棄物4トン車10台、石綿(アスベスト)含有材4トン車2台、廃石綿4トン車1台、鉄くず10トン車202台。更地になったあとの土地の半分は市が購入する予定。
その後、生涯学習部で南三里塚五十石の捕込遺跡保存について文化振興班から説明を聞く。6月議会の一般質問で約束してくれたように、三里塚御料牧場記念館に常設展示するため現在残されている込遺跡関係の資料を整理しているとのこと。嬉しい。
夜、旧知の方から連絡をいただき、市内某居酒屋で騒音地域のフールドワークを行うために来日した英国・マンチェスター大学の映像人類学者(Documentary and Sensory Media)のドクター・ルパート・コックス教授を紹介していただいた。私が文化人類学を学んでいた頃は形質人類学(人類を生物学的な視点から研究する)、そして文化人類学、社会人類学が主流だったが、近年は様々な角度から細分化してきている。でも、人類学そのものは学際的なものなので、コックスさんの場合映像や音を通して関連する分野とのコラボレーションがあるようだ。以前騒音地域を案内したことがある専門家の先生方もご一緒で、楽しいひとときだった。
コックスさんの、今回のフィールドワークも含めた研究は英国政府の補助によるものと聞いて、彼我の違いに興味を持った。
□■□2010年7月1日(木)
第3回成田空港成長戦略会議、これまでの経過と中間とりまとめ(案)の検討というので傍聴。まちづくり、まちおこしといった視点では興味のあるテーマだし、シンクタンクやプランニング会社会社でも旅行代理店でもなんでも、このギョーカイの最先端のアイデアや意見を参考にしながらおおいに議論したらいいと思う。ただ・・・それをどう活かそうかという人たちの顔ぶれが旧態依然としている。スタートだからそれもやむなしといえばそれまでだが、しょせんこれまでずーっと成田市の商業などの中心にいた人たち。
要するに政権交代で一気に加速した羽田国際ハブ空港化の流れで金縛りにあった人たちがにわか仕込みの〝まちづくり〞に目覚めたということでしょう?でも、その中心にいる人たちは長い間新勝寺におんぶに抱っこ、座っていても客は来ると思っていた人たち。空港が建設されてからは、空港関連の税収にすっかり成り金気分、政策を研くよりもだぶつくお金の配分をアテ込んできた人たち。ずっと他人任せできたから、イザとなるとまちづくりのノウハウもまず外注や仕掛け人に頼ってしまうのだ。
今日聞いた話で一番印象に残っているのは「(若い)女性の視点がなくてはいくらやってもダメ、魅力も半減。若い女性が集まれば人も集まる」(そんな趣旨かな?)という戦略会議の女性委員の言葉。これに尽きる。そもそも男性がいくら集まってあーだこーだと決めても、女性を「門前のおかみさん」やアシスタントのレベルでしか見ていないようでは、ね。議員になった頃はよく〝成田市政は門前のダンナ政治〞だと批判していたが、今日の会議をみていて、な~んだ・・・顔ぶれ(代替わりもあるけど)をみるとちっとも変っていないじゃん、と思った。金太郎アメみたいに、どこを切ってもダンナ衆の顔が出てくる。それがいけないというのではなく、それだけでは成田も空港も変われないよ、と言いたい。
戦略会議で出された委員からの意見や提案はもりだくさん。今後どう自前の空港まちづくりへと進化させていくかは、ものごとを決めるところ(機関)の半分を女性にしないと見えてこないだろうな。