2007年1月1日~2007年6月30日


□2007年6月29日(金)

雨を運ぶ風が枝を揺らし、林の中を通り抜けていく。芝の間からすっと伸びた可憐なネジバナ。紫に染まるラベンダー、早々と花を開いたネムの木や山ユリの硬い蕾の向こうに、眠りから醒めた夏の風情が広がる。やっぱり、ウォーキングは朝に限る。

久しぶりに残土・産廃問題ネットワーク千葉の例会に出席。その間にも、県内ではあちこちで問題が発生。多古町の桜宮自然公園の所さんたちも参加していて、産廃処分場予定地を「塩漬け」にしている反対運動の現状をユーモアもまじえて話してくれた。荒れてゴミ捨て場になっていた谷津田と周囲の里山を「自然公園」に創りあげた桜宮の人たちの話にはパワーとゆとりがある。

夜帰ったら、ドアの前に産直野菜のケースが置いてあった。今回はジャガイモ(キタアカリ)1㎏、ニンジン500g、キュウリ2本、ズッキーニ2本、パセリ50g、ピーマン5ヶ。『産直ニュース』によれば、「野菜ケースはそろそろ“夏”へ」というメッセージが入っていた。今年はカラ梅雨が心配されているが、カラ梅雨で困るのは水不足だけではないようだ。

「露地野菜の場合、降りつける雨が野菜についた虫をたたき落とし、活動を抑制してくれることがよくあります。一番顕著なのがアブラムシです。適度に雨が降ってくれる年はアブラムシの被害をそれほど気にしなくて済んだり、大量発生した年でもひと雨降ったら劇的にいなくなっちゃった、なんてこともあります。」

でも、この空模様なので今年のアブラムシは「困ったことに結構元気」とのこと。農家(三里塚有機農法産直の会)が手塩にかけて育てた野菜には、人や自然とのつながりを通して格別な味があるようだ。


□2007年6月28日(木)

昨日で6月定例議会も終り。議案6号に対する反対討論を行なった。討論はホームページの「議会レポート」に掲載。「防犯まちづくり推進条例」とは、自治会や町内会といった任意団体をコミュニティ・ポリシングに動員し、機能させていくための第一歩か。

今日は歴史と今を語り合う女性の会の例会。月1回なので積もる話に花が咲く。時節柄このところムシムシ暑い。紫陽花も満開だ。晴れている日などほとんど無視してしまいそうに地味な花だが、梅雨空にはどっきりするほどあでやかに映える。ウォーキング・コースには所によって紫陽花が植えられているところがあるのでしばらくは目を楽しませてくれるだろう。

議会の会期中に執行部が提出してきた資料や、市内にある産業廃棄物の安定型最終処分場のことで問い合わせがあって集めた資料を整理。安定型最終処分場については、許可が下りてこれから搬入が開始されるものや事前協議中のものもあり、しっかり監視していく必要がある。2年前「安定5品目が安全とはいえない」という千葉地裁木更津支部の判決をみるまでもなく、素掘りの大穴に産廃を埋め立てていく現状は必ずや環境に負荷を与えることだろう既に埋め立てが終っている芝地区2ヶ所の処分場なんて、量がハンパじゃないもんね。。そのうち1ヶ所からは過去にメタンガスや硫化水素が発生して新聞ダネになっているのだ。もう1ヵ所も、覗いて見た近隣の農家の人の話では「おっかないような物を埋めていた」というし。

□2007年6月25日(月)

エステコース割引きのセールス電話がかかってきた。「エステには関心がありませんので」と断ったら「関心ないですか?」と問い返したので、思わず「はい。自信がありますので」と答えてしまった!きっとずーずーしいおばさんと思ったことだろう。先日も、墓地のセールスを断る時、「私、お墓で眠る気にはなれませんので」と言ってしまった。クラシックの歌手が歌う「千の風になって」の売上げが100万枚を突破しそうだというニュース?を聞いた直後だったので、つい。

今朝の朝日新聞県版におコメの不耕起栽培に記事が大きく掲載されていた!岩澤信夫さんの写真付コメントも。私も岩澤さんの講演を聞いて目からウロコ、胸ワクワクだったので『たいむ』第51号(2004年7月14日発行)で「自然は誰も耕さないのに実を結ぶ」というタイトルで感想を掲載したことがある。

実は、今年の収穫が終ったら多古町の生家の田んぼを借りてやってみようと計画している。イトミミズを発生させ、雑草を押えるのにどうしても冬期湛水(冬水たんぼ)をどうするかが悩みのタネで、川のそばの田んぼを借りてできないかと思っている。一人では無理だから妹夫婦にも声をかけている。

田んぼといえば、今年から有人ヘリによる水田の農薬散布がすべて無人ヘリに切り替わった。長年病害虫も発生しないのに予防と称して空から「毒」を撒くという野蛮な手法に反対してきたので、有人ヘリ中止には賛成。とはいえ、無人ヘリは農薬の濃度が4倍も濃くなるのが心配。<BR> しかし、無人になったことで今年の散布希望面積は昨年の

1500ヘクタールから今年は600へクタールに減った!有人ヘリより飛散範囲が狭まることで、散布に融通がきくようになったからだが、それだけ多くの農家ができることなら散布を止めようと思っていたことは嬉しい驚き。病害虫も発生していないのに防除と称して空から一斉に農薬をまくのはもうやめにしてほしい。

国道ルートの埼玉県上尾市の湿地で希少種のサワトラノオ(サクラソウ科の多年草)が群生しているという。自然保護団体はルート変更を求めているが、国土交通省は移植や道路構造で「適切に対応する」。成田新高速ルートの印旛沼に営巣する絶滅危惧種サンカノゴイ(ゴイサギの仲間)の繁殖地も同様で、ヨシ原の移植で営巣地を引っ越してもらうという。サワトラノオにしてもサンカノゴイにしても、希少種がひっそりと生き延びるにはワケがあるのであって、近くに引っ越して解決するものかどうか・・・。

★下の写真はサワトラノオの仲間オカトラノオ。坂田ヶ池の周囲や風土記にも自生している。<

□2007年6月24日(日)


 あら~!っという間の慌ただしい1周間だった。常任・特別委員会が続き、金曜日の総務常任委員会で全て終了。あとは27日(水)の本会議を残すのみとなった。

 18(月)は千葉地裁で裁判の傍聴とその後の会議のため建設水道常任委員会の傍聴ができなかったが、その他(自分の所属する委員会のほか)はすべて傍聴して情報収集。最終日の各委員長報告では審議全体がつかめないので傍聴するに限る。

 それにしても・・・消防の(仮称)公津分署建設関連の不祥事に対する成田市の姿勢は実に曖昧模糊としている。「市に責任はない」(市長)わけないでしょう。

 22日(金)の総務常任委員会でその点を質問してみたが、もう少し詰めてはっきりさせる必要があると思う。そうでないと、市発注公共事業のこれまでとこれからの総括にならない。

 23日(土)は沖縄慰霊の日。米軍基地をめぐる県民投票や海上ヘリ基地の賛否を問う名護市民投票をきっかけに幾度となく沖縄を訪れ、そこに住む人たちのホスピタリティにふれながら、彼らが体験した、或いは親から子へと語り継がれたあの大戦で被った戦争の悲惨さを知った。

 今年の沖縄は、文科省の教科書検定で日本軍が強いた「集団自決」が削除されたことへの怒りが渦巻いている。31市町村、県議会が撤回を求める意見書が採択されたという。全く同感だ。

 私も読谷村のチビチリガマの中に入り、狭いガマに中に追い込まれた100人を越える村民の親が子どもの首を鎌で掻き切り自らも死ぬという自決の跡を見たときの衝撃を忘れない。「日本軍の関与なくしてはありえなかった」ということは疑いの余地もない真実だ。沖縄には「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」が脈々と流れている。命を宝と尊ぶ住民が天皇のために死ねという皇民教育を受けた悲劇を、沖縄の人たちは決して忘れていない。安倍首相の顔色をみた文部官僚の姑息で許しがたい検定だ。

 夜、成田市民オンブズ準備会のミーティングに参加。いよいよ9月1日(土)に国際文化会館で設立総会とのこと。市民の目線で行政と議会を監視し、税金の使い方のチェックを通してよりよいまちづくりを提言する市民オンブズがこの成田市に誕生することに感慨を覚える。

 私が市民の会の仲間と市制初の税金の使い方をめぐる監査請求、住民訴訟をやって以来17年余りの月日が過ぎた。あの頃は助役から「市で決まったことに反対するなどあなた方は常軌を逸している」と言われたものだ。当時は「オンブズマン」という言葉も知らなかったが、知っていたら?もっとも、メンバーはほとんどが女性だったから、名称は「オンブズマン」ではなくオンブズパーソンかオンブズ、で止めただろう・・・などと勝手に想像したりして。

 夏至も過ぎ、梅雨本番。今日は雲に覆われた蒸し暑い天気。朝NHKテレビの日曜番組をみていたら安倍首相が登場して舌を転がしながら何やらしゃべり続けていた。そして時々みせる空疎な眼差し。最近の彼の政治スタイルは自爆に向かって突撃していくようだ。おまけに自分で被害妄想的に創り上げた「敵」に対する被害者意識も増幅している。やはり、こういうタイプの男を最高権力者にしてはいけない。

□2007年6月17日(日)

梅雨の晴れ間の爽やかな初夏の日曜日だった。この頃早寝早起き早朝ウォーキングで快調。森の中をフィトンチッドが充満していると思っただけで、細胞が活性化する。

 今朝の収穫は2つ。コゲラがユリノキの幹をカンカンと突付いている姿をみつけたこと。あんな小さなくちばしなのに、なんと乾いた美しい音だろう。それから、学習院講堂そばのラベンダー畑が薄紫色に煙り始めたこと。空気の流れに乗って癒しの香りを運んでくれる。

 午後から「開かれた議会をめざす会」主催の公開シンポジウムに参加。タイトルは「自治体破綻をどう防ぐ!?地方議会の役割とは?」。会場は新宿区戸塚特別出張所。講演が地方自治総合研究所研究員菅原敏夫さんで「夕張破綻問題からみる議会のあり方」、その後法政大学教授・自治体議会改革フォーラム廣瀬克哉さんのコーディネートで「議会のチェック機能とは?」と題するパネルディスカッション。

 講師の菅原さんは議員になりたての頃千葉財政研究会で自治体財政のイロハを教えてくれた方。パネリストで相模原市議会をよくする会代表や取手市議会事務局職員、元矢板市議によるディスカッションは久しぶりに刺激的だった。

 それにしても、本来は行政をチェックする役割を持つ「議会そのものが市民によってチェックされる対象になってしまっている」(相模原市・赤倉さん)現実を、どれだけの議員が危機感をもって自覚しているか・・ 

□2007年6月15日(金)

訪問介護最大手「ハロー、コムスン」の問題は、日本の介護制度の歪みでもある。ホームヘルパーをしている知人に聞いたら、待遇の悪さでヘルパーをやめる人が多く、介護産業の担い手不足が深刻だという。8年くらい前は、成田市でも市主催のヘルパー講座が好評だった。女性の受講者がほとんどで、家族に介護が必要になった時のために、といった理由を挙げた人もいたが、主婦がやりがいのある仕事を求めて資格をとる例が多かった。それに、当時はバブルがはじけ、不況だった。

介護保険制度が議論されている時、私は反対した。その前に北欧の制度を視察してきたこともあり、「医療と福祉は営利にしない」という考えに共鳴していたからだ。しかし、導入されてからは、いろいろな問題をはらみつつも見直しながらより良い制度になればいいと願っていた。でも、やっぱり甘かった!制度の根っこに問題があるのではないか。

企業が参入すれば当然利益が追求される。国で決めた介護報酬単価では利益上がらないとなればヘルパーから搾取する。知人の話では往復時間も含めると時間給650円位にしかならず、近所のスーパーにパートに行った方がマシというわけだ。ヘルパーは割に合わないと日本の女性が離れつつある職場に、日本政府はフィリピンなどアジア人女性を導入しようとしている。かつて男性の3K仕事と性産業で働く女性をアジアから「調達」していたが、今度は介護か。

医療も福祉も「いのち」そのものにかかわることだ。その制度を支える基本を営利追求の企業にまかせたらお金で命が取引されかねない。私の古い友人は崩壊する医療の世界でストレスを溜め込んでいる。ヘルパーの知人はなんとか「やりがい」に支えられてヘルパーを続けているが、介護労働に見切りをつけてやめていくヘルパーの気持ちが「すごくよくわかる」という。やっぱり、医療と福祉は営利にしないための制度の再構築が必要ではないか。

画時期を忘れてしまったが、NHKが放送した「日本人はるかな旅」というビデオをみていたら、縄文人29人のDNAと同じDNA探しをしたら、朝鮮1人、台湾1人、タイ1人などのほか、圧倒的多数の17人がバイカル湖周辺に暮らすブリヤート人(シベリア先住民)と同じだったそうだ。29人中17人!現代のマクソホン村の人たちを映していたが、あの人のこの人もどこかで見たことのある人たちみたいだった。ま、日本海がアジア大陸とつながっていた時代があったわけだし、不思議なことはないけど。

13日に聞いたばかりだけど、学校で教える日本史で去年から縄文・弥生は教えず、一気に大和朝廷の日本統一から始めるようになったって、ホントかしら?本当ならナンセンス。考古学の発掘に頼る側面が強いから新しい発見で定説が覆ったりすることもあるけれど、だから歴史の醍醐味があって面白いと思うし、子供たちの歴史的想像力育むのではないかしら?考古学への入り口になるかもしれないし。

□2007年6月13日(水)

今朝は久しぶりに早朝ウォーキング。太陽が昇る前の坂田ヶ池や風土記の丘は静けさに包まれていて、それを突き破るように小鳥たちのさえずりが聞こえる。ウグイスの声に混じって、これまで昼間は聞くことが出来なかった「トッキョキョカキョク」が聞こえた!マジに聞こえたホトトギスの声。さては・・・ウグイスの巣に托卵をタクランでいるのね。

 今年は森の小鳥たちの声が気になって、ラジオのイヤホンをつけずひたすら自然の音に耳を傾けながら歩いている。だから、「ホーホケキョ」なんていう正調ウグイス節を歌うのは少なく、みんなマイ・フレーズで思い思いに歌っていることを知った。以前日記に「ホー・ホ・ケ・キョ!」ときっちり歌ったウグイスに思わず笑ってしまったことを記したけれど、あれはお稽古中の子ではなく、きっと個性か、その時の気分によってなのかもしれない。ウグイスに聞いてみないとわからないけど。

今朝もみんな勝手に歌っている中で、風土記の丘湿生植物園に沿った小道にさしかかったら、あの時と同じ「ホー・ホ・ケ・キョ!」という声が聞こえて嬉しかった。

それにしても、もし小鳥の声が聞こえなかったら自然の中を歩く楽しみが半減するだろう。野の花も同じ。ホタルブクロが朝露にぬれて眠たげにうなじを垂れていた。オカトラノオの花も咲き始めた。これからしばらくは森のあちこちで出会えるだろう。熟して落ちそうなキイチゴの実が一粒、人目につかず残っていたので摘んで食べた。森の恵みは早いもの勝ちなのよね。以前独り占めして食べたことがある。半月位前は山桑の実が真っ黒に熟していたが、とても手が届かなくてあきらめた。あれは木の実を食べる小鳥さんたちのもの。

午後は一般質問3日目。公明2名、共産1名、自民1名。共産党議員の質問で、市長が市議時代、かの「日本会議」のこの地域の主要なメンバーだったことがバクロされた。おまけに、成田の子供たちが使っている歴史・公民教科書を「有害」図書という認識だと発言したことも。そうした認識は変わらないようだし。ちょっとセニョール!・・・大丈夫?

自民党議員の質問では、教育長の答弁で将来給食センターを建替えるにあたっては食物アレルギーの子ども(成田市では270名、全体の3%)に対応した特別の調理室を用意することが確認された。これはとてもよかった。

□2007年6月8日(金)

6月定例議会が始まった。今日は議案の提案だけだったが、執行部からの報告や特別委員会のメンバーを決めた。私はこれから2年間新清掃工場整備特別委員会に所属することになった。

ところで、全員協議会で『成田市国民保護計画』の報告と質疑があった際、成田空港の軍事使用に対する小泉市長発言は、歴代成田市長の「公式」答弁から一線を越えたものだった。

成田空港の軍事使用について、私の知る限りこれまでの市長は(個人的認識がどうであれ)「成田空港は民間空港だから軍事使用はありえない(と信じている)、あってはならない(と考えている)、ないことを願う」という答弁だった。もちろん、「軍事使用」が具体的に何を指すかは認識に多少の違いがあるのだが。

小泉氏は「軍事所用した場合、しなかった場合、どちらで住民の安全が確保されるか」「住民の安全が軍事使用によって守られるなら(軍事使用を)認める。」「軍事使用しないと住民の安全が脅かされるなら認める」と、市民の安全と空港の軍事使用をバーターする無責任な発言。軍事使用が住民の安全を脅かすという発想ができない人なのだ。

もっとも彼は、市議だった頃も忠君愛国軍国ニッポンの人で、「敵が攻めてきたらどうする」と、軍事力強化を支持していたけれど。

『成田市国民保護計画』とは、成田がどこかの国や武装集団などからN(核・ニュークリア)、B(バイオ・生物)、C(ケミカル・化学)兵器等によって攻撃された場合、或いはその「おそれ」のある場合に備え、国・県・関係各署との連携や市民の避難誘導など、成田市の対応を決めたものだ。市の防災計画をたたき台にしているから一見防災訓練の手引きのような感じがするが、その原因は自然災害ではなくテロ、ゲリラ、戦争などによるABC攻撃。

成田空港は民間空港として建設されたわけだが、有事となれば軍事転用され戦略的拠点となる。米軍も第二次朝鮮戦争への作戦計画の中で成田空港の円滑な使用を要求している。当然、戦争相手国の攻撃対象となるわけで、「成田市国民保護計画」でも、成田空港がミサイル攻撃を受けた場合が想定されている。こんなおどろおどろしい仮定のもとに市民への啓発活動や避難誘導訓練が行なわれるわけだ。子供たちにも年齢に応じた「教育」が行なわれるという。「国民保護計画」を知るほど、そしてその計画が実際に発動された時を考えるにつけ、こうしたおぞましい戦争計画に住民を動員していくことに怒りを感じる。

□2007年6月7日(木)

社会保険庁で明らかになった年金番号問題をきっかけにして、この国の行政システムとその運用に対する度し難い不信感が噴出している。

社会保険庁といえば民間人を長官に迎えた去年も徴収率を上げるために分母をごまかした不始末で大騒ぎだった。その前は、小泉首相はじめ政治家たちの名前がゾロゾロ出てきた年金未納問題だった。誰もが避けて通れない老後の暮らしのためにやりくりして納めた年金がこんなにいいかげんに扱われていては、世が世なら歴代社会保険庁長官は悪代官として国民の怒りで打ち首、獄門、島流しのいずれかではないか。

何はさておき、この問題は政府の責任において国民が納得のいくように処理すべき最優先課題。

それにしても、政治家や官僚(公務員)による税金のムダ使い、政・官・業の癒着体質、はたまた今日のニュースにあるような自衛隊情報保全隊による国民に敵対した情報収集活動といい、あまり使いたくはないが「誰の金で何のために仕事をしているのだ!」という怒りを感じる。納税者として国民・住民はこうした身の程知らずの行為を助長させてはならない。<

陸上自衛隊が、イラク派兵に批判的な国民に対する情報収集活動をしていたことを知り、おぞましい気分になった。軍隊を増長させてはいけない。軍隊は「国」を守るための暴力組織であって、「国民」など守りはしないのだ。あの太平洋戦争でも、「国体=天皇制を護持」するために戦争を長引かせ、沖縄を捨て石にし、東京大空襲、広島、長崎への原爆投下を導いたではないか。国民の命が最優先されることはゼッタイにない。

ところで4月1日から『成田市国民保護計画』が発効したけれど、どこかの誰かから生物・化学兵器や核攻撃があった時、成田市は私たち市民をどこへ避難誘導すると思う?計画にはいろいろな手順が書かれているけれど・・・京葉方面?銚子方面?九十九里方面?それとも利根川を越えて茨城県へ?まさか、中台運動公園の体育館やスポーツ広場ではないでしょうね。・・・読めば読むほど、最新兵器に対する竹やりとバケツリレーを思い出す。

いずれにしても、漫画チック・劇画タッチの『保護計画』などに頼らず、憲法9条を世界に広めていったほうが日本のポリシーは高まると思う。

□2007年6月4日(月)

6月定例会で行なう一般質問の打ち合わせ。質問趣旨を担当課に説明する。私の質問項目は議会レポートを参照。

朝日新聞の6月2,3日両日電話による世論調査によれば、安倍首相への支持率が政権発足後最低の30%、逆に不支持は49%に上昇したという。5月末に年金記録問題でガタンと下がった直後の松岡農林水産大臣の疑惑自殺でダブルパンチ。

 それにしてもこの1週間あまり、安倍氏の政権運営は強引で場当たり的だった。そもそも「選挙の顔」として自民党総裁に選ばれたのにそれがアテにならなくなってきたのだから、自分をアピールしたい気持ちはわかる。でも、彼が「私の内閣」「私の判断」を連発してリーダーシップを誇示するほど不安を感じるのは私だけかしら?平時だから「少し頭を冷やしたら」(2日朝日新聞社説)程度ですむけれど、危機管理の視点でみればすぐ感情的にジタバタ対応しようとするこのタイプの政治家に、政府のトップで「リーダーシップ」など与えてはいけないということではないか。

早慶戦で早稲田が連勝し、六大学野球完全勝利。神宮からのちょうちん行列をテレビで放送していた。ハンカチ王子効果もあって神宮は満杯、ちょうちん行列も延々と続いたようだ。私が大学時代も中日に入った谷沢とヤクルトに入った安田というピッチャーで優勝し、やはりちょうちん行列があった。その時のちょうちん行列は文学部の記念会堂前に流れ込み、応援団のリードでシュプレヒコールが響いた。デモのシュプレヒコールとの違いが面白くて、自治会の仲間と通りがかりに思わず立ち止まって聞いてしまった。「我々は愉快だ」「実に愉快だ」とか・・・ほかはもう忘れちゃったけど。広場にはサッポロビールから優勝祝いに贈られた缶ビールが山と積んであって、学生運動が忙しくて野球どころでなかった私たちも、ホイホイ配られたのをもらって飲んだ記憶がある。私の六大学野球の「思い出」はそれくらいかしら。ずいぶん昔のことだ。

□2007年6月3日(日)

久しぶりに「トピックス展」をみるため風土記の丘の資料館に入る。何年ぶりだろう。私のふるさと多古町の塙台遺跡の再葬墓群(64基)から出土した土器などが7月1日まで展示されている。塙台遺跡というのは、田んぼの中にぽっかり浮かんだその名も「島」という地区にある2000年前の遺跡だ。中世の頃は志摩城というのがあって、千葉氏の直系が追い詰められこの地で滅亡したという話が伝わっている集落である。また、ここは不受不施や僧侶の妻帯・肉食を禁じる日蓮宗異端の地区として知る人ぞ知るところだった。

私も中学校へはここを自転車で通り抜けて通ったので、懐かしさもあって展示会に足を運んだ。太古の昔にこのあたりで稲作を始めたご先祖たちの暮らしの一端を知ることは胸がワクワクする。<

ところでこの島地区を見下ろす高台に母の眠る墓地があるが、父の話では、さらに奥の千田の庄というところがどうやらこのあたりで最初にご先祖たちが住み着いたが場所らしい。ご先祖たちは高台から眼下に広がる湿地帯に降りていき、水田にしていったのだろう。多古というのはその昔は多湖⇒多胡⇒多古になったといわれるくらいだから、あっちこっち湿地だらけの土地だったのだろう。

 これも父の話だが、昔は高台にある畑を耕していると土器のかけらがザクザク出たという。我が家にも大小のかけらや意味ありげな石がしまいこんであったのを記憶している。

風土記の丘はアザミやナルコユリが最盛期を過ぎ、これからはドクダミの花が林床を覆う。手で触れない限り、草いきれの間から立ち上るドクダミの香は清冽で好きだ。きょうも森の中は小鳥たちの声が響き渡っていた。最近実感したこと。ウグイスの定番は「ホー・ホケキョ」だが、1時間余り歩いているとそれぞれ自己流のフレーズで鳴く声を多く耳にする。「ホー、ホホホ、ホイッ!」「ホー、ホー、キョ!」「ホー、ホイ、キョキョキョ」エトセトラ・・。もう、みんな思い思いの鳴き方。表現に乏しい私にはとうてい文字に表せないくらいコロコロ違う。とにかく、カラスの「カァカァ」やシジュウカラの「ツー・ピー、ツー・ピー」と違うのだ。まるで会話をしているように舌の回るすごいおしゃべりな鳥もいるけれど、ウグイスも本当に楽しませてくれる。

□2007年4月30日(月)

憲法記念日を前に、昨夜録画しておいたNHKの憲法特集を観る。日本国憲法が誕生する過程を追ったもの。天皇の戦争責任を問う極東委員会、天皇・戦争放棄・沖縄統治をセットに占領政策の円滑化を目指す米国、天皇制を温存させようとする日本の復古主義者。3者の利害がせめぎ合う中から産声をあげた日本国憲法。新資料としてはGHQが憲法草案を作成するにあたってベースにしたといわれる日本の憲法研究会(民間)の、現行憲法の精神につながる開明的な役割も紹介されていて、とても見ごたえのある番組だった。

国民主権・基本的人権の尊重・戦争放棄を格調高く謳いあげた日本国憲法。変える「必要」はないと思う。むしろもっと活かしていくべきだ。環境権やプライバシー権などは個別法で補える。憲法の精神を徹底的に活用・実現していけば、日本は世界から尊敬される国になるだろう。敗戦の惨禍の中で、国民はそういう日本をめざしたのではなかったのか。

 当時GHQ民生局職員で草案作りに加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんも出演し、コメントを述べていた。彼女の最大の功績は憲法第24条で男女の本質的平等を条項として残してくれたことだ。ベアテさんは、短時間の間に世界各国の憲法を読み、一番良いものをつくろうという情熱で合衆国憲法にもない男女平等条項を書いたという。世界的ピアニストとして芸大に招聘された父とともに子ども時代を日本で過ごしたベアテさん。日本女性の抑圧された姿を見た彼女は「日本のために何かしたかった」という。24条はまさしく「ベアテさんから日本の女性たちへの贈り物」だ。

 (上の写真はベアテ・シロタ・ゴードンさんとまちこのツー・ショット)

5年ほど前、来日したベアテさんの講演後の懇親会で、隣に座っていろいろ話を聞いたことがある。番組でも一部触れているが、彼女が起草した男女平等条項には、「天皇」条項同様日本側の猛烈な反発があったという。さもありなん。明治以降絶対的権力を付与された天皇制という、生まれながら「特別の人」に権能や崇拝を求めるこの制度こそ差別の根源ですもの。父系大家族制度のもとでの男尊女卑の時代の中で、天皇制維持を至上目的としてきた保守政治家たちにとって「男女平等」は受け入れがたかったのだろう。しかし「彼女(ベアテ)も強く望んでいる」とGHQが押し切るかたちで残った憲法第24条。それを押し付けというなら、押し付けられても良いものは良い。大事に守っていかないと。

□2007年4月29日(日)

今朝、悦ちゃんがお赤飯を届けてくれた!お料理上手で、選挙でドタバタしていた時もバランスの良いお惣菜を作って持ってきてくれたっけ。

今日は「昭和の日」。昨年までは「みどりの日」。その前は「天皇誕生日」。そして、私の誕生日。4月29日は晴れの確率が高い。今日も光に満ち溢れた1日だった。ところでもう忘れてしまいそうなほど前のことだが、「誕生日おめでとう!」と明るく祝ってくれた人に、40歳を迎えた私は「めでたくない!」と言った。そうしたら「でも、一つ大人になったんだからやっぱりおめでとう、だろ?」と言われたっけ。そうよね、「大人」って奥深くてキリがないと思う。私も一つ一つ「大人」に近づいていく修行中かもしれない。とはいえしみじみ自分の年齢を考えてみると、ちょっと呑気すぎるかなぁ。でも・・・年齢なんてすぐ忘れてしまうからやっぱり「大人」になる努力はしなくちゃ。

今日、大いなる誤解に気付く。新聞日曜版に「タヌキは父子家庭?」というのがあった。開発でタヌキの親子が山を追われて人里に現われた話を聞くたびに、私は母親が子どもを連れている姿を連想していた。でもそれが実は父親だったのだ!母親は子どもを産んで授乳が終るとどこかへ姿を消すという。以後父親が子育てを担当することになるらしい。

 似た話はオーストラリアでエミューの親子に出合った時に聞いた。エミューもメスは卵を産むとさっさとボーイハントに出かけてしまい、後はオスが子育てをするのだそうだ。だからあのエミューの親子は父と子です・・・という説明だった。珍しい遭遇らしく、案内してくれた人がカメラで追っかけていた。もちろん、私もバッチリ。

 ところで妹が連休を利用してつれあいとオーストラリアに行っているのだけれど、ウルル(エアーズ・ロック)にはもう着いたかしら?

(エミューの親子。写真中央チョロチョロしているのが子どもたちで、その右がパパエミュー。車のガラス越しに撮ったのでちょっと不鮮明。)

□2007年4月28日(土)

午前中はきのうの夕方届いた産直野菜を料理。でも・・・2種類のサラダ用の野菜には困ってしまう。どっちも馬に食わせるような元気な葉っぱで、保存のために濡らした新聞に包んで袋に入れて冷蔵庫に納めたけれど、いつものように食べきれずに残してしまいそう。

夜、市民オンブズ準備会のミーティング。情報交換を通して設立への展望も具体化してきた。

□2007年4月27日(金)

経済産業省は、送電線の磁界を国際基準に合わせて規制していく方針を決めたという。ずっと電磁波問題をとりあげてきた一人としては大歓迎。送電線の周囲の子どもが小児白血病にかかる確率はそうでない地域の子どもの2倍というのが日本を含む国際的な疫学調査の結果だ。「人類最後の公害」といわれる電磁波問題、行政も予防原則を中心に啓発していくべきだと思う。啓発予算を付けてくれと要望しているんだけど・・・。

今日千葉地裁で前市長の公判があった。傍聴した人の話では、当時かかわっていた職員の証拠調べ(証人尋問)があり、そこである事実が明らかにされたという。それは、私が前市長逮捕後に捜査の指揮をとっているという県警の人から市長応接室で聞いたことと同じ。当時この日記にも記したが、彼は贈賄側のテックと競合するテスコ(前八千代市長に賄賂を贈った業者で事件後に社名を変更)がまとめたという県内各焼却施設運転管理委託料関連の資料を前に、実は私が市議会で運転管理委託料を「高い」といっていた頃、もう一人、テスコの意を受けて同じように高額だと動いていた議員がいたと実名をあげた。

 今日の証拠調べではさらに生々しいことが前環境部長によって語られたようだ。その議員は、業者が用意した県内各清掃工場運転管理委託料をまとめた資料をもとに一般質問をちらつかせて環境部の対応を求めたらしい。「検証する」という担当部長の約束で彼の質問はなかったようだが、受注を狙う業者が作成した資料で交渉するなんて私には考えられないことだ。議会の審議の場で高額だと指摘していた私と、贈賄の前科がある業者から渡された資料をもってウラで働きかけていた彼。別に議会審議の場だけが行政とのやりとりの場ではないけれど、テスコの意を受けて立ち回るなんて胡散臭いじゃない?テックにもエージェントの議員がいたというし、行政への働きかけ・口利きを「議員のお仕事」にしている人って、彼らだけかしら?

□2007年4月26日(木)

朝日新聞朝刊(県版)に赤坂消防署公津の杜分署の建設をめぐるこの間の不明朗かつ不透明ないきさつが掲載されていた。公共事業をめぐる問題の吹き溜まりみたいな出来事で、建設業者が市を詐欺罪で刑事告訴するという噂もあるので、今後の推移が注目される。

これは昨年夏に競争入札の結果落札した業者が、資材を発注する段階で落札額では(低すぎて)工事ができないとして予算の上乗せ(約7千万円)を要求したものの市の了解を得られず解約を申し入れたことから発している。市で調査の結果「設計業者の積算ミス」で予定価格が低く提示されたという。しかし、それなら「入札前に設計図書を公開しているのだからそれをもとに積算すれば予定価格で工事ができるかできないかわかるはずで、できなければ入札辞退がある。明らかに間違っているなら意義を申し立てればいい。落札した以上はその金額でやるべきだし、出来ないなら辞退すればよいではないか」というのが市の考え。市は契約を盾に強気のようだ。確かに契約書は有効だが、もし設計業者の積算段階でミスがあったとして、業者の積算のまま検証もなく入札で予定価格として提示したとしたら市にも責任がある。澄ましていていいわけない。

いきさつの大枠はそんなところだと思うが、一連の事態の中から公共事業をめぐる政・官・業の癒着の構造が垣間見える。設計・建設業界の談合(もう落札業者が決まっているから設計図書で積算して入札競争をするなどということはないのだろう)、それを黙認する行政の怠慢。間にチョロチョロ介入する議員。噂では設計業者にも、建設業者にもしっかり議員名が登場するのだ。私のところにも、女性の声で留守電が入っていたし・・・。その後前市長逮捕や選挙で自粛?気味のようだけど、またゾロ蠢き始めないとも限らない。ギョーカイは別世界でわからないけど、ともかく行政にはしっかりしてもらわないと。これまでのような癒着・馴れ合いはもうキッパリやめてほしい。「被害者」は市民だということを、市民もわかってほしい。

□2007年4月25日(水)

10時から市議選の当選証書授与式。この1年間は合併特例で61人議会ということもあってなんとなく落ち着かなかったが、選挙で30人になってホッとひと息。20代、30代の新人も当選したが、表向きはともかく裏返して彼等の選挙戦の実態を調べてみると特に新しさは感じない。ただ、彼等が今後若さを活かしてどんな発言や活動をしていくか期待している。

ところで周囲はしきりに「疲れたでしょう」と言ってくれるけれど、特に選挙疲れというほどのものは感じない。今日の授与式では「声、大丈夫ですか?」と聞かれた。(金曜日の午後4時間を除いて)朝8時から夜8時まで告示期間中助手席に乗り込んでいたのを知ってるな・・・。成田を知るにはこれが一番、とばかりに選挙カーで全域を回った。大丈夫。高校時代は弁論部、大学時代は学生運動で喉を鍛えてあるもんね。それに、事務所に戻って選挙カーから降りたら食事をし、簡単な打ち合わせの後帰宅してゆっくりできた。それもこれも、選対やボランティアの人たちのおかげ。

今日は選挙運動中気になっていたゴルフ場練習場の安全対策に関して都市計画課へ。現在事前協議中で、終了次第防球ネット設置に向けた工事が始まるとのこと。隣接道路を生活道理として使用している住民にとっては一刻も早く改善してほしい課題だ。その他、県道の維持管理の件で県の成田整備事務所、独居高齢者の生活実態把握に関して市の担当課に。

はいえ、とにかく眠い。食後は特に眠くなる。もともと私の体調管理は生理的欲求優先。食べて眠ることが健康維持にとってイの1番。しばらくは食べて寝て体力を調整していくつもり。<BR> 選挙が終って気付いたら外は眩しい新緑。ベランダのローズゼラニウムが花盛り。キャットミントやペニー・ロイヤル、スウィートマジョラム、オレガノ、ブラックペパーミントもワサワサと繁り始めていた。バジルやイタリアンパセリもみずみずしい。そうだ、セージとチャイブの苗を買ってこなくちゃ。枯れそうだったローズマリーも息を吹き返した。ジャーマンカモミールは少し遅れているが間もなくカモミール・ティが飲めるだろう。ハーブたちに囲まれて嬉しいな。

□2007年4月22日(日)

佐藤愛子さんの小説のタイトルじゃないけれど、戦い済んで日が暮れて・・・ホームページ解禁!今回も選挙カーで成田中を走り回った。私はニュータウンに住んで都市型の選挙をやっているようで、実は告示前は地べたを駆けずり回るような支持者回り。いわゆる「自民党型」選挙が基本だと思っている。でも、今回は時間が足りなくてなくて会えない人が多かった。だからいまだに悔いが残っている。

下総・大栄地区は告示期間中に全域を選挙カーで回ったが、広大な農村地域が広がっているということを実感した。私は農本主義者ではないけれど、食と農は切り離せない。政府と産業界が手を組んだ新農政のとてつもない陰謀(日本の農業潰し)を考えると、農業をしっかり位置付けていかなければ日本の未来はないと思った。

今回の選挙で一番感じたのは、ガチガチに票が固まっているであろうと思われる農村地域の女性の反応。おそらく、これまで私のような候補がいなかったのかもしれないが、彼女たちの眼差しの真剣さだった。農村地域は、自民党か共産党かといった選択しかなかったのではないかしら?だから、無所属・市民派の女が選挙カーの助手席に乗り込んでマイクを握って政策をしゃべりまくっている姿はものめずらしかったのかもしれない。彼女たちの選択肢を刺激したと思う。投票行動にどう出るかはわからないけれど、真面目に手を振ってくれているのがヒシヒシと伝わってきた。

もう一つは、子どもたちの反応だ。選挙カーが近づくと道路際にいる子どもたちや公園で遊んでいる子どもたちが敏感に反応して手を振ってくれた。それと、中・高校生の子どもたちも男女を問わず「がんばってください」と手を振ったり言ってくれたりして、最初はからかわれているのかしら?と思ったがそうでもないらしい。他候補の選挙カーには無反応でも、私の選挙カーに反応してくれたりする。小学生のグループが「足立さんだ」なんて言いながら手を振ってくれる。女子高校生の熱い反応にも励まされた。子どもたちには女性候補ということで関心があったのかもしれない。農村地域の女性の反応と同じく、それだけでも立候補したかいがあった。

ところで、私の陣営のウグイスおばさんたちは予想どおりマニュアルを逸脱?してそれぞれの個性が出て選挙カーの中は時々爆笑。トシちゃんは、「ただ一人の女性候補、足立まちこ」を強調しているうちに突然「ひとりぼっちの、足立まちこ!」と叫んでいた。それも橋賀台で!スミちゃんは「孤軍奮闘の足立まちこ」と言ってほしかったのに畑の真ん中で「孤立無援の足立まちこ!」と叫んでいた。・・・・とほほ。でも、スミちゃんが「利権に群がる候補者は落選させましょう、それが選挙です」と叫んでいたのは、正しい。

思い出すのは16年前の最初の選挙。スミちゃんは「掃き溜めのツル、足立まちこ!」、アサちゃんは成田警察署の前で「成田に革命を起こしましょう!」と叫んでいた。ヒヤヒヤ、ハラハラしながらも、その熱意が嬉しかった。今回も同じ。

 とにもかくにも、選挙を支えてくれた仲間あっての選挙だった。みんなが私を当選させるために自分の生活を選挙に照準を合わせて家庭や仕事を調整してくれた。それを考えると、責任は重い。

□2007年4月14日(土)

アラ~ッ!明日は市議選の告示。ホームページの更新もダメ。このところ毎日支持者名簿にあるお宅をピンポーン。というとカッコいいけど、実際は地べたを駆けずり回っていた。でも・・・4期

16年の間に出合った人たちに一人でも多く会って市議としての政治姿勢や政策を知ってもらうには時間が足りない!会えなかった人たちには「ごめんなさい」。

 明日からは選挙カーに乗りっぱなしで市内を駆け巡る。スポット演説ができるのが嬉しい。だって、私の生の声を聞いてもらえるんですもの。あちこちでスポットをやりたいと言ったら、選挙カーの行程表を作っている選対が調整に困るかしら?

ところで、「七夕は1年に1回だけど、足立さんは4年に1回だね」という人と私をつなぐのは、年4回ポスティングや郵送している「たいむ」。「忘れそうになる頃届くんだよなぁ」と言われるけれど、市議としての私が何を考え、何をアピールしようとしているかを知ってもらえる一番のツールだ。共鳴してくれる市民が一人でも増えることを願っている。それに、最近はホームページも加わってよりタイムリーに市民へのメッセージを伝えやすくなった。

今日中台に言ったらバッタリ、リンさんに会った。オーストラリア人で私の英会話の先生だった人。抱き合って再開を喜ぶ。彼女はちょうど4年前くらいに帰国したが、最近また日本に戻ったという。選挙のお手伝いをしたいといってくれたが、ハテサテどうしよう。何を手伝ってもらえるか、嬉しい悩み。

 オーストラリアでは選挙に行かないと罰金。以前日本にいた時、彼女に罰金支払い命令が出たらしい。その時彼女は「選挙資料も送ってこないから選びようがないじゃない?だから抗議したのよ」と言っていた。払ったか払わなかったかは知らないけど。以前オーストラリアに行った時、国政選挙の真っ最中で空港のロビーにも投票所が設けられていた。罰金を払わせるくらいだから、投票し易くはしているようだ。

今年は桜や桃、蝋梅、沈丁花の花がいっせいに咲いて、もう新緑の季節に移ろうとしている。市議選は46人が立候補の予定のようで、定数30。どんな顔ぶれがそろうのかしら?

□2007年3月24日(土)

成田市民オンブズ設立準備会の第2回ミーティング。10人の参加を得て、少しずつ会と活動内容のかたちが見えてきた。私はオブザーバー参加。県オンブズから市原の中谷さんがオブザーバー参加してくれて、いろいろアドヴァイスをいただく。

前市長の汚職事件や議会のあり方などに直面して、「成田にはオンブズはないのか」という声をよく耳にした。有志に声をかけて実施にこぎつけた県オンブズ公開講座は大盛況で、成田市民のみならず周辺自治体住民の関心の高さを実感したが、こうして成田市民の中からオンブズを結成しようという人たちが集りをもてるようになったのはとても嬉しい。

 マスコミで報じられる内容から、とかくオンブズというと行政や議会に対して対決型と思う人もいるかもしれないが、目的は市民にとってのよりよい地域づくり。だから、税金の使い方をチェックすることから始まる。税金がどう使われているか、全てはそこから始まるのだ。

オンブズ準備会に参加している人たちは、各分野でそれぞれ経験豊かな人たち。それを活かし、議会とは一味違う活動に一歩踏み出した。久しぶりの春の雨が気持ちよい。

□2007年3月23日(金)

今日も嬉しいことがあった。(その1)あるお宅を訪ねたら、門から住居に続く小道にカモミールが咲いていた!ふつう5月連休の頃が満開なのに、ずいぶん早く咲き始めたものだ。暖冬の影響ね。私のベランダのカモミールは苗を買って日も浅いので咲くのはまだ先。花が咲いたら、まず摘んでフレッシュなカモミール・ティーが飲みたいわ。(その2)お昼に風土記の丘でリラクゼーション。クヌギやコナラの芽がふくらんで、中には葉が顔をのぞかせている木もある。同じ樹種でもいろいろらしい。林床にはスミレも咲いて、森は春のにぎわいを見せ始めた。

 昨日母系出自のことに触れたが、今日代理出産は実子と認めないという最高裁判決があった。その母が産んだ子はその母の子というのは生物学的真理なのだが、中の受精卵が他人のものというのは想定外。生殖医療が進むといろいろ問題がこんがらかってくる。

血縁関係がある我が子がほしい!という人たちによる代理出産を全否定する気はないが、もし代理出産を一般的に認めたら、そのうち(年月が経るに従って)どんな管理をしても社会的母子関係があいまいになっていくことは確実ではないか。

人類を生物として進化発展させた要因にインセスト・タブー(近親婚の禁忌)がある。進化の過程でまず母と子の性関係が排除され、以降その範囲が広がっていったのだが、生む母と受精卵の母が異なるということで、タブーがあいまいになり、結局崩壊していくのではないかしら?そうしたら、人類は突然変異を想定することも含めてずいぶん変わっていくだろう。今生きている人たちはとっくに死に絶えている未来の話だけれど。

□2007年3月22日(木)

嬉しいニュース!前回の選挙を手伝ってくれたあと「たいむ」に寄稿してくれていた会津素子さんが青年海外協力隊に見事パスした。2ヶ月間の研修を経て秋にはエジプトに行くという。「たいむ」では、孤児院で暮らすカンボジアの子どもたちとのふれあいを綴ってくれた。毎回感性豊かで示唆に富んだ文章だった。その素子さんが選んだのが保育士の資格をとってチャレンジした青年海外協力隊というのに納得。

素子さんはカンボジアだけでなくインドの孤児院やここ2年くらいは虐待された子どもたちが暮らす県内の施設で8人の子どものお母さん役をしていた。エジプトでもきっとそうした愛と共感を必要とする子どもたちに関わる仕事に携わるのだろう。もしかして素子さんの天性の仕事かもしれない、と私は勝手に思っている。

 時節柄というか・・・外でお昼を食べることが多くなった。この間は「香車」で冷やしとろろそばを注文したら、どんぶりにおそばが詰まり、その上にとろろが乗っかって出てきた。それにつゆや薬味をかけて食べる。まずくはないけど、見たとたんにお腹がいっぱいになった。

女性の婚姻禁止期間をこれまでの半年から100日に短縮しようという案を自民党プロジェクトチームがまとめたらしい。とはいえ自民党内や公明党は慎重のようだ。こういう法律は要するに「父の推定」をより確かなものにするためで、女性だけに課せられた禁止事項である。

生まれた子どもの父親が誰かというのは父親のみの永遠(というか、血統を父方でたどるようになってからのこと)のテーマで、その子を胎内で育みこの世に送り出した母親にとっては一点の曇りもない自明の理「我が子」である。母の名を子が継ぐ母系制度にあっては全く問題にならないことなのに、系譜を父方を通してたどろうとすれば、確かに自分の子であるかどうかは制度の根幹にかかわる問題なのだろう。ゴチャゴチャするならいっそ制度を母方にしちゃえば確かなのに・・・でも、これって男のこけん(かコカン)に関わることかもね。

□2007年3月19日(月)

お昼を竜台の「初音庵」で食べようと寄ったら、コロッケ蕎麦というメニュがあった。聞いたらお蕎麦の上にコロッケが載っているらしい。ギョッ!これって、お蕎麦の邪道じゃない?でも、お客さんの中で「コロッケ蕎麦!」と注文した人がいた。お店の人の話だとリピーターの中にコレを好んで注文する人がいるらしく、メニュから外そうとしたが残しているということ。そこは商売だから、ね。そこで、私も注文した。やっぱり、お蕎麦にコロッケがのっかっている、それだけ。初音庵でこういうのを食べる人もいるんだ・・なんて自分のことはさておき、お蕎麦は美味しくいただいた。

夜、明日から始まるという「ダ・ヴィンチ展」のニュースや、「迷宮美術館」で彼の両性具有美術作品の秘密に迫っていた。私もルーブル美術館でモナリザを見た時は、それまで写真や映像を通して勝手にイメージしていたモナリザとの落差に愕然とした。絵は手に取れるほど小さかったが、心底感動した!さすが人類が生み出した芸術の、至宝の一つだ。

ほかに、ルーブルで感動したのはミロのヴィーナスとドガの貴婦人。私の貧弱な想像力を超える美しさだった。ミロのヴィーナスの周りは人だかりで、撮影は禁止されているのにみんなパチパチ。実は私にも、案内してくれたフランス滞在の画家F氏が撮ってくれたヴィーナスとのツーショットがある。

蛇足だが、ルーブルで「感動」したことは他にも二つある。一つは、何しろ世界中から観光客が来ていて混雑しているところだ。ちょっと触れそうになると「パードン」。特に、若者が「パードン」を連発するのにカルチャーショック。日本じゃありえないものね。それと、地下のレストラン。世界の主な料理が揃っている。




□2007年3月17日(土)

今日一瞬の間だがヒラヒラと舞ったのは、この冬(といっても、もう啓蟄の過ぎているのだが)の初雪と呼ぶべきか春雪と呼ぶべきか・・・まぁどうでも好きに呼べばいいけど。このところ寒い日が続く。もう20年以上も前のことだけれど、春分の日に雪を伴った春の嵐が襲来したことを思い返せばこれからドカンと雪が降ることだってありうる。まだ春に浮かれるのは早いかもしれない。

 実は原発最大の事故が8年前に起きていたことが明らかになった。北陸電力・志賀原発での臨界事故の重大性を考えると、原発というのは秘密主義とデータ改ざんなどの隠蔽体質によってしか運転できないのではないかと思ってしまう。首相などがいくら電力会社を怒ってみせても白々しい。政府は原発に依拠する国のエネルギー政策を転換すべきだ。

市内あちこちに祝成田高校選抜出場の張り紙。どんなことでも全国レベルで競うということは大変なことだ。もって生まれた能力だけでなく、それを活かすための日頃の鍛錬は本人・家族・そして周囲の環境などが揃って見事に開花する。最近は自分から野球中継を見ることがない私も、成高球児の健闘を祈る。・・・成田市は選抜出場に対して1千万円の「祝儀」。

米下院で可決しそうな旧日本軍軍隊慰安婦関連決議。これに対する日本政府と、自民・民主右派政治家たちの慰安婦問題へのジタバタした対応は見苦しい限りだ。もうずっと前に国連でも慰安婦を

 戦時下における性的奴隷」と位置付けている。私はインドネシアで慰安婦にされた女性の証言を聞いたことがあるが、直接も間接もない、そこに日本軍がからんでいたことは事実だ。政治家のほとんどは男たち。彼らに言いたい。もっと責任感と誠実さをもった大人の男になれ、マッタク。慰安婦問題だけではない、一事が万事、無責任な政治家が多すぎるではないか。

□2007年3月14日(水)

市議選立候補に必要な戸籍抄本を多古町役場にとりに行く。私の誕生日は4月29日だが、父が届け出たのは5月5日。私は実家にとって30年ぶりの子どもで、昭和天皇とほとんど同じ日、同じ時に生まれたことを「めでたい」と思ったそうだ。

去る3月1日に90歳になった父は、農家の一人息子として生まれ、ずいぶん長い間兵士としてお国のために尽くした。日本軍がレイテ島で壊滅状態になった後衛生兵として傷ついた兵士とともにセブ島に移り、7ヶ月間ジャングルをさまよった後に米軍の捕虜になった。そして、昭和21年に帰国しその約1年後に私は生まれた。

子どもの頃、私たちきょうだいは眠る前父から「昔話」を聞いた。その中で私は父が戦地に赴いた当時の旧満州から南方の島々の風俗や習慣の話を好んだ。文化人類学に関心を持ったのは、父から寝物語に聞いた「用兵地誌」や、胸がワクワクするような南方の風情といった、突き詰めるところ文化の多様性への関心が出発点だったかもしれない。

父が私たちに話す時は過酷な戦場を抜きに話した。「肥溜め」のような匂いのドリアンが、実は果物の王様だったとか、黒龍江添いの部族を調査する時に同行し、傷口が化膿した部族長の息子を治してやったら感謝に大量の食料をもらったとか、結婚したばかりの母に贈ったノロ鹿の頭骨や、ロシア製の壁掛けのいわれなど。

その父はセブ島を訪ねる誘いを断り続けてきた。今春90歳を迎え、「戦友」の声が聞こえるという今でも、その気はないらしい。かの地はもう十分だ、と言う。

今日は風の強い1日だった。畑作地帯を行くと、10m先を見通せない砂埃が舞っていた。でも、そこを離れると落葉樹の枝が薄紫色に煙って芽吹きはもうすぐだ。10日に亡くなった時実新子さんの川柳をふと思い出した。「中空にわが恋放り上げて泣く」。これしか憶えていない。

□2007年3月10日(土)

初めて稲荷山(とうかやま)団地へ行った。合併して1年も経つのに「いなり」と読んでいたのを「とうか」と知ったのは昨日のこと。新聞県版で「古代聖剣『七星剣』歴史の謎秘め展示」という記事を読んだ。北斗七星を金属で象嵌した七星剣がここ稲荷山で宅地造成するために行なわれた1893年文化財調査で発掘されたという。7世紀から9世紀の間に製造されたもので、古代の七星剣は4例しか現存しておらず土中で発見されたのは全国初、しかも鞘に入ったまま焼かれたらしく謎の多い遺物だがまだ詳細は解明されていないそうだ。

稲荷山の団地はなだらかな丘陵を切り拓いて造成されている。このあたりの土中で静かに眠っていた七星剣が千年を超える月日を過ぎて後世の人に目に触れる、それだけで不思議な胸騒ぎを覚える。

それに、(大熊座にある)北斗七星は当時の人たちにも特別の存在だったのだ。「この星に向かって戦いを挑めば負け、背にして戦えば必ず勝利する」なんて・・・。その言い伝えはどこから出たのかしら・・・。

18日まで下総歴史民族資料館で展示されているので、ぜひ行ってみたい

□2007年3月7日(水)

今日は久しぶりに専業農家の人たちと話す機会があった。そして、コメ農家に生まれ、一方の足は田んぼの中にあると思っている自分の考えが、彼らからすればとても観念的で「わかってねぇ」らしい。農家と同じ意識や経験はないけれど、農業の多面的な機能を積極的に評価すべきだと思っている私にはショックだった。

一生懸命農業と向き合っている人ほど、国の農政に対する失望や批判は大きい。失望というよりあきらめかもしれない。それでも、いやそれだからこそ、それぞれ生業(なりわい)としての農業に誇りを持って自慢の作物を作っている。だから、農と食の関係にしっかり向き合わなくなった日本と日本人の未来に悲観的な意見は重く、説得力がある。私もフード・マイレージ世界一の日本の未来は危ういと思っている。「いのち」に関わる政策と真剣に向き合わない政治は国民にとって不幸ではないか。

私も「たいむ」60号で「『新農政』で田んぼが消えていく・・・」という記事を書いたが、田んぼが消えていくということは地域が壊れていくということだ、と言われた。その通りだ。最近「子どもたちに日本固有の文化や伝統を大切にすることを教え、愛国心を育てる」といった言葉をよく聞くが、そうしたものを育み育てたこの国の自然・風土・基本である農業を粗末にして、ちゃんちゃらおかしい。

□2007年3月6日(火)

啓蟄。とはいえ今年は記録破りの暖冬だったから冬ごもりしなかった虫もいたのではないかしら?冬の最中にも我が家に定住しているごきぶりがどこかからキッチンの流しに出てきたくらいですもの。もちろん、夏のバリバリした元気はなく、ヨロヨロしていたけれど。虫が元気に冬を越した年は、農作物にとって受難の年らしい。

市議選立候補者の説明会があった。私の「陣営」からも責任者が行ってくれたが、なんと、49人が出席したらしい。旧下総5人、大栄10人、成田34人。うち新人は9人だとか。女性は、またもや私一人。立候補者が多いのは良い傾向だが、女性がたった一人というのはどういうことだろう。つくづく成田は男社会だと思う。・・・というのは女の責任でもあるのだが。

たいむ」62号の版ができた。今回はまちづくり提案に私のお気に入りのKAI君の写真を使わせてもらった。お母さんの了解は得ていたが、ご両親の最終的な承諾をいただくのに版下コピーを見てもらった。快く了解していただいたので刷りに入る。私の、今期最後の「たいむ」だ。選挙が終って次の「たいむ」が出せるといいな。

□2007年3月2日(金)

3月定例議会が終った。市議61人の記念撮影はやっぱり「オー!」という感じ。合併後1年間の特例措置は終り、4月市議選は定数30で争われる。ウワサでは40数人が立候補を予定しているようで、激戦。なんだかすごい選挙になりそう。

いまや「選挙一式承ります」という職業が盛況。例えば候補者の政策などを記したリーフレット、あれも「内容まで承ります」だからみんなマニュアルに沿って似たり寄ったりのリーフレットになる。私はそんなのいやだからこれまで同様の手作りリーフレットを作った。「たいむ」を作る時と同じく手作り。誰かが作ってくれたら楽でいいんだけど、これだけは他人まかせにはできないのだ。

全て終了したあと、政務調査費に関する各会派が集まっての会議が開かれた。事務局が作成した「取扱基準」(案)に対する各会派の意見を取りまとめたものを検討したが、いくつか肝心なところで「常識の範囲でやればいい」といった類の意見がでた。その「議員の常識」と市民の常識や感覚にズレが出ていて、しかも政務調査費そのものの使い方をめぐって法的な論議や裁判が行なわれたりしているから成田市議会でも取扱基準をしっかり決めようということなのだが・・・。

今朝の朝日新聞県版に成田市の政務調査費を「調査」した記事が載っていた。初耳だったのは名刺印刷代に政務調査費を使っている会派があったこと。しかも、「1回の印刷で8万円を使った議員もいた」こと。すごいなぁ。会派の海外視察は原則不可とする、という案は「視察先は会派に一任する」という結果となった。

私は16年の議員生活の中で、市民ネットの人たちとイギリスのNPO十数カ所を視察した時と、フランスの国会で審議されていた公職の選挙に立候補者を出す際の男女同数法(パリテ法)関連の視察をした時の2回、それぞれ20数万円の政務調査費を使ったことがある。私費で行こうと思っていたが、同行する議員が政務調査費を使うというので事務局に問い合わせたところ政務調査費を使ってもいいのではないかという返事があったので、使わせてもらった。使えなければ私費で行っただろうから原則禁止で良いと思ったけれど、会派視察で台湾や韓国などへ行っている自民党系の会派から異論が出た。

□2007年2月27日(火)

 占いでは「攻撃こそ最大の防御」であるらしい私にとって、思考回路が異なる人の言葉を聴くのはものすごく忍耐が必要だ。でも、一国の文部科学大臣の発言となると「聞き捨てならない!」。

 伊吹文部科学大臣は、日本を「極めて同質な国」とか「大和民族がずっと統治してきた国だから同質性がある」とか言ったそうだ。いまさら日本人は単一民族などという妄想を公言するアホな政治家はいなくなったけど、国家権力の中枢にいる人ですよ、この人は。しかも、文部科学大臣。

 よくも頭の中がグチャグチャ腐るようなことを言うものだ。「大和民族」って、なんだ?「統治」って、なんだ?そのイロハから勉強しなおせ!・・・と言いたいところだが、でも、こういうことを公言するような人は客観的な事実を検証するという回路がプッツンしているから無理かもしれないな。そんな男が文部科学大臣なのだ、我が日本国は。ホント、憂国の情がフツフツと湧いてくる。

 同じ伊吹氏の「人権メタボリック症候群」発言も、日本が世界水準から見て人権後進国であることへの認識すらない。2つの発言から感じられるのは、「井の中の蛙」ということ。こんなピント外れなことを言っていたら世界の流れに逆行することになるだろう。

 「ボクチンの同志だから」と、衛藤ナントカという落選議員を復党させる総理大臣も同じ思考回路でおまけに自己チュー史観の信奉者。そして、この種の考えの男はたいてい

 「ジェンダー・フリー」にも敏感に拒絶反応を示す。私の60年の人生経験からすると、女(母・姉妹・同級生・妻等々)への屈折したコンプレックスの持ち主が多いみたいだ。というか、本質的に彼らは「女」性なのではないかしら?だからことさら男と女を区別したがるのだと思う。自らの性的アイデンティティを確認するために。

 彼らが日本の子どもたちに押付けようとしている「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書(扶桑社版)に顕著な中国大陸ー朝鮮半島への地政学的危険視は、象徴的だと思う。底辺を流れるのは感情的な嫌悪感。彼らの「朝鮮半島は日本列島に突き出た一本の腕」論を私は別の見方で見る。しなった日本列島に突き出たぶっとい朝鮮半島。これって、腕というより×××じゃない?女コンプレックスの男たちは腕ならぬ×××のように突き出た朝鮮半島が怖いのかもしれない。

 わが国は室町時代頃まで母系原理を引きずってきたし、その名残りが社会全般に根を張っていた時代も長かった。文化人類学をかじった私には、「男」がギスギス自己主張なんかする時代や社会は「女」にとって苦痛なのよね。今日はなんだかメチャクチャ動き回って疲れたので、一番ムカッとしたことを書いた。

□2007年2月26日(月)

東西冷戦の頃、米国のCIAが雇っていた日本人スパイがほとんど役立たずだったということがCIAの機密文書で明らかになったというニュース。私が興味をそそられたのはそのスパイの一人が児玉誉士夫という戦後長らく自民党に強い影響力があった右翼だったことだ。児玉誉士夫は私腹を肥やすことや権力が目的で母国の将来に無関心だったとか、辻政信は情報を捏造したり資金をもち逃げしたり再軍備を目論んだりとか、いやはや・・・。でもそんな連中をスパイにしたCIAのオソマツってことじゃない?だいたい共産圏の情報をとるのに右翼を雇うなんてね。<

 今朝の毎日新聞県版のコラムを山本記者が書いていた。彼はこの間、障害児の学校生活の改善を求める運動を取材して来た記者だ。コラムは成田市教委が署名を受理しなかったのを一転受理することになったいきさつと問題が書かれていた。

 私も取材を受けて話したが、この問題は単に市教委や彼らが相談したという弁護士が『請願法』を「気が付かなかった」「見落としていた」といった性質のものではない。私たちが「当然」のように行なっている市民的権利の行使に対する侵害であったことを認識できるかどうかなのだ。市教委同様、障害児の両親や「ともに育つ会」県連も、話し合いに同席していた私や取材の記者も、その時請願法は頭の中になかった。しかしこの種の署名を国も地方公共団体も受理するのは当然であるという前提があった。しかし、そうした市民的権利に対する認識が成田市教委には欠落していた。今回の件で市教委は皮肉なことに反面教師の役割を演じたといえるだろう。

 当然と思われることにも根拠(ここでは法律もしくは条例、規則など)がある。市教委は会との話し合いの席で不受理の根拠を再三問われてもそれを示せなかった。「れじゃあ市民運動なんかできないじゃないですか」という参加者の悲痛な声がいまだに私の耳にこびりついている。その声に押されて私は「受理しなければいけない」という法的根拠を探そうと決意したのだ。憲法第16条に基づく請願法がそれを保障していることを知るのはそう難しくはなかった。

□2007年2月25日(日)

陽射しは春の勢いを感じさせるが、今日も冷たい風が吹く1日だった。ついに枯れてしまったのかしら?と思っていたローズマリーが花を咲かせ始めた。うっとりするほど深い青。この色をみるといつも思い出すのは人魚姫が暮らしていた海の色。モチロンこの目で見たわけではない。アンデルセンが「人魚姫」の棲む海の色を「矢車草の青」に例えているのだ。だから、きっとこんな色なのだろうと勝手に思っている。このローズマリー・フォタブルーは、他のローズマリーが冬でも花を咲かせて元気なのに比べハラハラさせる。去年の冬も枯れたように元気がなかったけれど、ある時枝に張りが出てきて小さな花のつぼみがびっしりとついた。そんな性質なのかしら?

昨日は午後から夜にかけて東京と成田と、2カ所の集まりに参加した。その一つ、原子力発電所の廃絶と環境破壊のない社会をめざして活発な活動を続けるたんぽぽ舎18周年の総会と講演会(東京)は大盛況だった。記念講演は「原発は『頑丈に』設計されているわけではない」(化学ライター・翻訳家の田中三彦さん)と「日本の核武装疑惑を追う」(たんぽぽ舎・山崎久隆さん)。

田中三彦さんは元原発の設計に携わっていた人で、ボイラーの安全係数は4なのに、原発はそれより低い3だということを私は初めて知った。例えば地震・・・自然の破壊力に対し、原発はどこまで持ちこたえられるのだろう。

火山列島の上にはすでに50基を越える原発が建設され、プルサーマルほかさらに建設計画が進められている日本。原発は国家百年のエネルギー政策だ。資源がないから、とかクリーンなエネルギーだとか言われるが、放射能汚染は最大の環境汚染だということを前提に、原発の縮小を考えていく必要があると思う。だって、例えば東海村でチェルノブイリのような事故がおきたら成田は(風向きもあるが)1時間以内に汚染圏に入るのだ。狭い日本、どこへ避難しろというのか。

東京都知事選に「世界的な建築家」といわれる黒川氏が立候補表明して、彼のインタビューとそれに対する石原都知事の反応などが各局のテレビで放映されていた。『週金』で佐高氏が石原知事を「老残の身をさらしている」と言っていたが、この件で言えばなんだかどっちも「老残」をさらしているようで、特に黒川氏という人を初めてしみじみと見たが、病み上がりのようにヨレヨレで痛ましくさえ感じる。言っていることも、なんだかよくわからん。関係ないけど、佐倉市役所の建物は黒川氏の設計だと聞いている。

□2007年2月22日(木)

歴史と今を語り合う女性の会例会。中央公民館の他の部屋に空きがなかったので調理室でやる。

20人前後が利用できるサークル室がもっとあったらいいのに、といつも思う。中央公民館がオープンした1979年当時には予測できないほど市民の文化サークル活動が活発になったといえば聞こえ良いが、市民の文化的なニーズが読めればもう少し使い勝手のよい建物になったろうにと思う。そのうち建替えるだろうから、その時はよく検討して市民の声を反映した施設になってほしい。

女性の会の楽しみは赤ちゃん連れの会員さんがいること。今日もその笑顔にすっかり癒された。それに、足が不自由な会員さんの迎えに行ったら、ご主人が満開の菜の花をたくさん箱に入れてくれた。我が家で一番大きなガラスの花びんいっぱいに活けられるくらい。今日は久しぶりにさわやかな気分だ。

先週は一般質問の頃から風邪気味で、土・日は寝込みたいくらい熱っぽかったり鼻水がでたり。ティッシュペーパーの箱を抱えてウロウロしていた。

おまけに、16日(金)の教育民生常任委員会を傍聴した際、議員が人権への配慮に欠け障害児差別発言をするのを聞かされて心がキリキリ尖った。

昨日は今期最後の総務常任委員会。思えば私の議員生活のほとんどがこの委員会の所属だった。そうそう、自治法改正で4月1日から助役が副市長になり、権限も強化される。また、前市長の最後の2年間は2人助役だったが、4月からは1人副市長に改正される。

今週も連日委員会が開催されていて、今日、明日、そして26日の3日間予定されている予算特別委員会で、今期の議会も残すところ最終日のみとなる。4月の市議選は合併後初ということで、最近の下馬評では旧成田市が約30人、大栄地区が約8人、下総地区が約5人といった話が耳に入る。定員30人なので、キビシイ~!!

□2007年2月16日(金)

夜、ケーブルテレビで12日の県オンブズ公開講座の様子が放送されているというので見ていたら、県立美術館で篠崎輝夫さんを追悼する個展が開かれているという。昨年亡くなられたことを私は知らなかった。以下は私のささやかな追悼文だ。いまから23年前に、私が成田でミニコミ新聞の仕事を始めたばかりの頃のインタヴュー記事。

「当時の若者なら誰でも夢に描いていたように、僕も意気込んで予科練に入った。でも、現実は大違いでね。その硬直した規律の中で自由を強烈に夢見たね。そんな時、やはり同じ志向をもっていた仲間に誘われて、サラサーテのチゴイネルワイゼンを聴いたんだ。見つかったら厳罰ものだから、毛布をかぶってね。針がすり減っているからシャシャシャシャーって音なんだけど、忘れられない思い出です。」アトリエに入る前の朝のひととき、画家で日展審査員の篠崎輝夫さんのお話を伺いました。気難しい方だったらどうしよう、という不安も、チゴイネルワイゼンで吹き飛びました。私も、ヤッシャ・ハイフェッツの奏でるその曲が大好きなのです。戦争という生と死の極限状況の中で、精神の自由を求めた篠崎さんの心の中には、鮮烈なロマンチシズムが流れていらっしゃるとお見受けしました。

絵の好きな方は言うまでもなく、成田にお住まいの方なら、一度は篠崎さんのお名前や作品を目に止められた経験をお持ちかと思います。53年の歴史をもつ洋画研究団体である成田郷陽会の中で育まれ、独自の作風を確立された篠崎先生の業績は、成田市民の自慢の一つです。

今年も、春の光風会展、秋の日展、その間の個展とお忙しい一年だったようです。さらに、中国天山山脈のふところにあるウルムチ、トルファンへのスケッチ旅行もこなされました。シルクロード行は今年で3度目とのことで、絵馬から始まった篠崎さんのテーマがついに中国西域へと辿りつかれたようで、そのスケールの大きさに圧倒されました。

現在は、1210日からの個展にそなえて、制作や準備に忙しい毎日を送っておられます。毎日9時にはアトリエに入り、一作を三ヶ月のペースで完成されるそうですが、いい仕事が出来たと納得された日は、夜の街をさまよい歩かれるとのこと。

こんな愚問を発していいのかしら?と思いつつ、お好きな画家は?と尋ねると、「フランスの美術館で暗闇の中にスポットで浮かびあがったルオーの絵を見た時、小さな絵だったけど、迫力があった。ルオーは一番好きな画家です。それと、現代ではアンドレ・ミノー。」

存在するもの全てをモチーフとして吸収してしまう大胆さと、それを具象化する際の研ぎ澄まされた繊細さ、お話を聴きながら、本物の凄さを感じました。

□2007年2月15日(木)

9日から始まった3月定例議会も、今日で一般質問が終った。私の1回目の質問全文は「議会レポート」参照。まだ始まったばかりなのに、連日議場の市長席に座り答弁に立つ小泉氏を見ていたら、なんだがすっかり市長職が身についたみたいで、「市長!」と声をかけるのに違和感のない雰囲気をかもし出すようになった。何だかずっと前から市長だったみたいに見えちゃうから不思議。そんなふうに思えたのはわたしだけかと思って他の議員に聞いたら「そうだねー」。

昨日は春一番が吹いて、探している間に冬が去ってしまったような気分。11日には「この暖冬で、すでにコハクチョウなどの北帰が早くも始まっています」という、「日本雁を保護する会」から風の便り。今年は本埜村の白鳥渡来地で数の減少がみられ、人に依存せず餌を求めてその周囲に分散化しているらしい。印旛沼周辺地域に小規模の越冬地が形成されつつあるようだ。なんだか胸がワクワクする。

12日に国際文化会館で開催された県オンブズ公開講座は大成功だった。何人集まるか全く予想がつかなかったが、朝日新聞の連休前記事のおかげで、お隣りの富里はもちろん、旭、東金、松戸など、県内各地からの参加もあり、70人以上の参加者で賑わった。

前成田市長の不祥事だけではない、後を絶たない行政の不祥事や、民意を反映しない議会。オンブズの活動は行政監視の一つのツール。市民の声を吸い上げ、勧告し、是正させる。ノルウエーでは男女平等オンブッドがあるし、人権に絞ったオンブズなどもある。オンブズマンの「マン」は男を指すのオンブズ・パーソンという名称を使うところもある。私は、もともとスエーデン語から出た言葉だから、「オンブズ」がいいと思う。「オンブッド」でもいい。

この日参加した人だけでなく、各地のオンブズを見渡すとリタイアした年代の男性の多いのが目に付く。それまでは寝に帰るだけだった自分の住むまち。いざ地域に戻って暮らし始めた時、税金を払い、余生を送ろうとしているまちの現実に直面して黙っていられなくなった人々が多いのではないかしら?

この公開講座の結果、成田市では9人の人が成田市オンブズの準備会に参加してくれたらしい。遠からず成田にも市民オンブズが結成されることを祈る。

□2007年2月11日(日)

「政務調査費」の私的流用やあいまいな使い方が次々と明るみに出て全国的に問題になっている。朝日新聞は、都道府県と政令指定都市、東京23区など119議会の調査結果を公表した。都道府県でいえば領収書の添付と公表はわずか4議会、条件付(例・5万円以上)公開は5議会、条件付公開方針が4議会となっていて、千葉県は議員一人あたり月額40万円支給しているのに非公開。びっくりしたのは「行政の内部情報を得る」など、情報収集のための飲食費を当然のように政務調査費で払うこと。

 「第二の議員報酬」と言われるのには何となく心当たりがある。使途の問題だけでなく、1990年代のバブル崩壊にともない、市議会でも2年ごとにお手盛りで値上げしてきた議員報酬を市民感情に配慮して据え置き、かわりに政務調査費を値上げしたいきさつがあるからだ。旧成田市議の場合月額6万円。

 成田市議会は収支報告書に領収書も添付し公開している。政務調査費は「預かり金」。流用できないように領収書は原 本を添付する。最近県オンブズや新聞社などから政務調査費の情報開示請求が続いている。そのせいもあって、9日には各会派の担当者に対して使途についてより詳細な説明があった。県議会のように領収書いらない、非公開では県民は納得しないだろう。

 よく晴れて、風が冷たい1日だった。ガラスの花瓶に黄色いバラを飾って一般質問の準備。午後弟に選挙事務所で使う看板類を持ってきてもらう。普段は生家の物置小屋に預かってもらっている。こうしてみると4年に1度なんて本当にあっという間だ。

 風がやんだ暗い夜空に、カシオペア、北斗七星、北極星、プレアデス星団(すばる)を見つけた。私のベランダからだとオリオンとおおいぬ座のシリウスくらいしか見えない。今夜は遮るものがないので首が痛くなるくらいに天井を見上げ続けた。夜空にまたたく星たちは、どんな書物よりも私を厳粛な気持ちにさせてくれる。

□2007年2月9日(金)

3月定例議会が始まり、冒頭小泉市長の所信表明と市政方針があった。どういういきさつか確かな理由はわからないが、成田市の本会議や一般質問は午後1時から始まるのでお昼の食事をどうするか、家で早めに食べるか、お弁当を持って行くか、外食にするか、その都度考えてしまう。

たまに市役所の中にある食堂でお昼を食べるが、先日混む時間帯に行ったらタンメンを注文する人が多いのにビックリ。横では「この前来た時は売り切れだった」と話す声も。タンメンがここの一番人気とは驚いた。私はタンメンにはちょっとした抵抗感があってこの35年余り一度も食べていない。人生最初で最後の「つわり」の頃、タンメンを食べた時に湯気とともに立ち上る野菜の匂いと塩味に思わずゲッとやってしまったのだ。以来、塩味の麺類は食べたことがない。嫌いとかではなく、食べたいと思わない。でも・・・そんなに人気があるならそのうち一度食べてみようかしら。

一般質問に対する1回目の答弁が今日までに(環境を除いて)出てしまって、まだ質問の原稿も書いていないのに困ってしまう。おまけに、2回目に質問は?と聞かれる。これではもう決まっている答弁に合わせて質問を書き、次の質問を考えることになってしまうではないか。以前、通告した質問の内容について説明をしていて「2回目の質問は?」と聞かれ、「1回目の質問の答弁がわからないのに2回目の質問なんて言えるわけないでしょう」と言ったら、結局こうなってしまった。良くない傾向だ。

定例会の度に思うのだけれど、3回目までバッチリ打ち合わせして本番では原稿も完璧にキマッテイル議員が多く、ヘンなところで感心してしまう。私なんか、事前に打ち合わせしても忘れたり気が変わったりしてとてもあのようにはいかない。

□2007年2月8日(木)

 昨日小泉市長が入札改革方針を発表したという新聞記事。

 07年度の建設工事を原則一般競争入札とし、電子入札を全面的に採用するという。また、昨年12月議会で前向きに策定するといっていた「(仮称)口利き要綱」については「市職員に対する職務に関する働きかけについての取扱要領」として、対象に市長・助役も加えて6日から施行したとのこと。(「口利き要綱」については足立まちこのホ―ムページ「市民の広場」07・1月を参照)入札改革については、一般競争といっても、「地元業者の保護」等といった「制限」を付けるかどうか、付けるとしてどう付けるかで、様々な限界が生じる。このところ一部で一般競争入札を採用したが、いろんな制限が付いて実際の効果が薄かった。(これも、「市民の広場」06・12月を参照)

 口利きに関するコンプライアンス要領の施行は、(市長の不当な指示も含めた)小泉市長の決断を評価したい。

□2007年2月7日(水)

 議案説明会。4月から自治法改正で助役が「副市長」になる等、条例の制定4件、副市長を1名とする等条例の改正19件、条例の廃止1件、道路関係での私有財産の取得2件、香取広域市町村圏事務組合の事務及び規約関連1件、北総西部衛生組合解散関係2件、千葉県市町村総合事務組合の規約関連1件、字の区域及び名称変更1件、市道路線の廃止及び認定各1件、補正予算10件、19年度予算9件の52議案が提案される予定。

 成田市の19年度当初予算は骨格予算で一般会計が487億円(前年度比△1.6%)。今後新市長のもとで政策的な肉付け補正される。特別会計は2776862万円(同3.3%)総計7646862万円(同0.1%)。3月定例市議会は2月9日(金)から3月2日(金)まで。一般質問は21名で、13日~15日の3日間。

その後、総務常任委員会協議会が開かれた。(仮称)公津消防分署整備事業に関連して、設計業者、建設業者、関連する他の請負契約業者への対応について説明があった。基本設計を5万円で落札(実施設計は950万円)した設計業者のミスが原因のようだが、こんなことが本当にあるのだろうかという信じられないようなお粗末な内容で、「ハイ、そうですか」と簡単には納得できない。この事業にはその他にも、建設工事の入札について「議員の○○さんがHに決まるよう働きかけている」という留守電が入っていたいきさつがある。そして、留守電通りになった。市としては今後設計会社に必要に応じて賠償請求、建設業者に違約金・前渡金返還請求といった法的手続きをとるという。これにより、公津分署の完成は遅れることになる。

途中で市の顧問弁護士の外に別の弁護士にも相談したようだが、署名不受理問題でも露呈したように、成田市の顧問弁護士の存在感が薄いように思えてならない。顧問料払ってちゃんと役に立っているのかしら?

□2007年2月6日(火)

午前は一般質問打ち合わせ。午後、渡辺純君の水分補給と給食介助を求める2万人を超える署名の提出に同席。純君とご両親が小泉新市長に手渡した。純君とはひさしぶりに会ったがずいぶん身長が伸びていてびっくり。先日は成長に合わせたバギーを注文したという。早いもので今春は4年生になる。

選挙事務所が決まった。並木町で寿司屋をやっていた古い1軒屋だが、探し歩いていた彼女たちは迷う事なく「ここがいい!」。賃料が安いだけでなく、なんだかとっても気に入ったらしい。今日私が見に行った時はもう、お掃除や家の内外のレイアウトに関心が移っていた。この家をどう甦らせるか、主婦の腕の見せ所といった感じ。私は、ただただそのパワーに押され気味。すごいなぁ。
 
 昨日は小林前市長の初公判。傍聴した人や今朝の新聞記事を読むと、受託収賄の起訴事実を認めたという。検察の冒頭陳述は具体的で生なましい。
 
 おまけに、検察側提出の証拠説明では、「毎月30万円の生活費を受け取って生活していた女性」の存在が明らかになったそうだ。手取り30万円のお手当か・・・それって○○?噂では聞いていたが、まさか本当の話とは思ってもいなかった。

これも今日の新聞記事だが、1日にホテルで開かれた建設業災害対策協力会(ギョーカイの人の話では、かつての談合組織が名義替えしたもので、建物の2階に談合部屋があるそうだ)の新年会に三谷助役が出席し「地元業者に配慮した形で入札制度を見直す」と挨拶したという。入札制度改革に地元業者を配慮すればいいというものではないし、だいたい、そんな噂がある業界の新年会に行くなんて信じられない。小林前市長の時から始まった関係らしい。その感覚、マッタクどうかしているよ。市役所の職員にもギョーカイと親しいのがいるらしい。癒着が職員まで侵食しているとしたら根腐れ。そんなのは引っこ抜いてしまえ。
 
 庁内で総務部長とバッタリ出合った時に記事の話をしたら、「厳しいのを作りましたからみていてくださいよ。」と言っていた。明日の議会運営委員会で説明し、記者会見もやるという。入札制度のどこをどんなふうに厳しくしたのかしら?それと、「(仮称)口利き要綱」は?とりあえず期待するとしよう。

□2007年2月4日(日)

風の強い一日だったが、陽射しに力強さを感じるし、葉を落とした木々の枝も心なしか薄むらさき色に煙っているようだった。

私にも待ち望んでいた春が訪れるといいのだけれど・・・。というのも、04年2月から07年2月節分まで、私の気は「空亡」に入っていたのだそうだ。そう言われて振り返ってみると、この3年間(04年背信・05年殺命・06年清算)は人間関係、特に男たち(男社会)にムカつくことが多かった。そういう気難しい感情は人生でも始めて味わう経験だった。そして、0512月には母を失った。

長い人生には運勢にも強弱があるのね・・・と思いつつ、そんなこんなで冴えなかった気分も昨日の節分でおさらば。07年2月からは開拓期。冬眠していた運勢もるんる~ん

朝日新聞日曜版に豚の赤ちゃんたちの写真が載っていた。生まれて3日目のきょうだいですって。なんて可愛いんでしょう。でも、見出しは“おいしさは「氏より育ち」”とか。今年の干支はイノシシで私は年女だけど、干支でイノシシというのは日本だけで中国などは豚。あまりの可愛さに、これからこの子たちを思い出さずに豚肉を食べることができるかしらと思ってしまった。

以前子豚が主人公の映画を見たら、猫が彼に「豚って生きている時はただ食べるだけで何の役にもたたないのよ。死んでお肉やソーセージになって初めて役にたつの。」と意地悪そうな顔で言っていた。この子たちも、食べられるために育てられるのね・・・。

下総に行く途中芦田の産廃処分場埋め立て予定地そばを通ったら、地元の人たちが処分場入り口周辺の枯れ草を刈っていた。埋め立て反対の看板が目立つ。そろそろ搬入が始まるのだろうか。以前地元の人たちは搬入が始まったら監視すると言っていた。帰りに車を止めて遠くからのぞいてみたら、素掘りの穴が大きな口を開けていた。

□2007年2月3日(土)

午前中は成田市の一般廃棄物最終処分場クリーンパークの視察。平行滑走路の北伸に伴い覆土される可能性が高まったので、「残土・産廃問題ネットワーク千葉」代表藤原寿和さんに様々な角度から見てもらった。藤原さんは都庁の環境部局に勤務しながら千葉県はもとより全国を飛び回って環境問題一筋に活動してきたエキスパート。数年前、その功績が評価されて田尻賞を受賞。彼が代表を務める残土・産廃問題ネットワーク千葉(私も設立時からの会員なんだけど)も、2年前に朝日環境賞を受賞。

15年くらい前のクリーンパークは野ねずみの大発生やカラスが群れ飛び、悪臭を放って周辺住民からの苦情が絶えない施設だった。その頃一度中を見たことがあるが、埋め立て状況しか見なかった。今回はこれまで埋め立てられたダイオキシン類などが地下水を汚染する可能性が心配されるので、水処理関連施設を中心に見た。隣接して北伸工事が進んでいるのが見える。このあたりは先端の保安区域、進入灯エリアになるようだ。19年度のなるべく早い時期にクリーンパークの使用は中止となるそうだ。その後どのような過程を経て覆土するにしても、成田市の北部(地下水下流域)の井戸水を利用する住民の不安を払拭しなければいけない。

藤原さんの膨大な情報の蓄積にもとづく矢継ぎ早の質問に対して、水処理関係は業者に委託していたので話がかみ合ったが、その他は管理担当の職員だったので対応が難しく、改めて中味に踏み込む必要を感じた。視察を通していくつかの課題が残されたので調べてみたい。

空港のためなら何でもアリ、の風潮は困る。クリーンパークだって、覆土されて滑走路が供用開始となった後に問題が発生したら、どこから手を付けるのか。原因の解明すらできない。現状での問題点は、臭いものに蓋ではなく事前にきちんと対応しておくことが市民の安全な暮らしにつながるはずだ。その責任は成田市にある。

□2007年2月2日(金)

一般質問の通告締め切り。新市長の所信表明が9日に行なわれるのだから、それを聞いてから質問項目を決めたいのだが、議会の規則でそれができない。もう少し柔軟に運用できないのだろうか。

私は、①市長選の公開討論の中で子どもたちが使用している教科書を批判したことに関連して、具体的な認識と、市議時代の発言から市長の個人的な歴史観及び成田市の子どもたちが使用している歴史教科書に対する見解②発達障害者支援法施行と、児童生徒への精神薬投与の危険性について③環境問題(残土・産廃、新清掃工場、最終処分場クリーンパーク)④日米で改訂作業に着手した朝鮮半島有事に対する「概念計画」による成田空港の軍事使用に対する市長の見解の4点について質問する。

 夜8時、ふと夜空を見上げると満月が晧晧と輝き、南天にオリオンのシンメトリックな雄姿。ベテルギウスは赤く、赤く、リゲルは青白くまたたいていた。その左下には大いぬ座の一等星シリウス。金星や木星といった惑星を除き全天で最も明るい恒星。こういう時につい歌ってしまうのが「冬の星座」。中学校で教わった歌で歌詞も曲も大好き。凍えそうな冬の夜空を見上げるととてもなつかしい気持ちで思い出す歌だ

□2007年2月1日(木)

毎日のように葉を数枚摘んでサラダに使っていたロケット(ルッコラ)がたくさんの蕾をつけたので、数日前に手製の花瓶に活けたらクリーム色の花を開いた。しかも日々成長している。すぼめた掌に入る小さな花瓶だったので今日はひと回り大きなガラスの花瓶に入れ替えた。ひとあし早くテーブルの上に春の息吹を感じて嬉しい。

女性を産む機械に例えた柳沢厚生労働大臣の発言をめぐり国会が混乱している。民主党などは辞任なしには予算委審議に応じない構えのようだ。天皇家の男系男子にこだわる根っから女性差別論者安倍首相などに罷免される前に、柳沢氏には自ら辞職してほしい。

ほかにも、自分は関係ないような顔をしていながらこの種の女性差別意識を持った政治家は国にも地方にもゴロゴロいる。とりわけ日本の女たちはこうした差別発言にもっとセンシティブにならなければいつまでたっても男に都合良く利用されるだけ。男女共同参画社会などはるか彼方だ。

昨日、エコテックが旧海上町周辺に建設を予定している産廃処分場の建設と操業差し止めなどを求める訴訟の判決が出た。原告(の中で飲料水を地下水に頼る旧海上町の原告住民)の訴えを認め、「地下水が汚染され、身体に重大な影響を及ぼすことは明らか」という画期的な判決。

私もこの場所には計画が浮上した頃残土・産廃問題ネットワーク千葉の一員として現地調査に参加したことがある。予定地は豊かな緑に囲まれた水源地だった。旧海上町は住民投票を実施するなどまちぐるみで反対し、県も不許可にしたが、行政不服審査請求で国が不許可を取り消したことで許可が下りていた施設だ。経営状態も怪しい会社だったのに国が許可せよという結論を出した時はひどい話だと思っていたが、業者が主張する安全対策についても裁判所は会社の経営内容にまで踏み込んで、「適切に処分場を維持管理できるだけの経済的な基盤が認められない」と判断した。

□2007年1月29日(月)

このところ気になる記事を切り抜くことが多い。先週の女性に関する興味深い記事は、米国では51%の女性、夫と暮らさず」。女性の晩婚化、婚外のパートナーとより多く、より長く暮らすようになっているようだ。「人々が結婚の枠内で人生の大半を過ごすとして社会政策を立て、意思決定するのは幻想」(民間研究所・クーンツ教授)という。そういえば、制度上の「結婚」にこだわり、そうでないカップルを制度上で差別している括弧付き「先進国」は日本くらいだ。

「夫婦別姓、賛否並ぶ」という内閣府の世論調査。「姓の変更で不便を生じないようにしたほうが良い」、と言う人が62.7%、「仕方ない」は23.9%。ただ、選択的夫婦別姓となると、「かまわない」

36.6%、「必要ない」35.0%と拮抗。20代、30代は「必要ない」が少しずつ増えているようだ。結婚間もないか、子育て真っ最中だからかもね。若い時は、好きな人と結婚したら同じ姓(カレの姓)になりたいという刷り込みが大きいと思う。民法ではどちらを選ぶかは二人で決めること、自由なんだけど、結局妻の姓を名乗る例外?を除き夫の姓がほとんど。姓だって戸主だってどっちでもいいんだけどね。<

「老後に夫と同居→妻死亡リスク2倍」。愛媛県総合保健協会の調査結果。75歳~84歳で死亡リスクが2.02倍。夫は妻に依存することで彼女の寿命を縮めるているのだ。逆に男性は妻がいると、いない場合に比べて死亡リスクは0.46倍に下がっていたそうだ。

成田市の高齢者福祉でも、妻に先立たれた男性をいかに自立させるか、家にこもらず外に連れ出すかが大きな課題になりつつあるという。

柳沢厚生労働大臣が「女性は子どもを産む機械や装置」に例えたということが問題になっている。柳沢さんは、あの社民党の阿部政審会長すらTVで「ご尊敬申し上げている」と公言するお方。かくいう私も安倍政権の中で首相以下他の大臣は全く信用していなかったが、柳沢さんには個人的なシンパシーをもっていた。

でも、「機械と言ってごめんね」と言われても、潔く辞めていただきたい。「差別」に対する認識があるかどうか、差別の問題をどう取り扱うか、これは世界の基準に照らして考えるべきだ。

26日に柏市に行き、打ち合わせが終った後さんざん呑んで食べておしゃべりして風邪をひいてしまった。

27日の昼はなんとか過ごせたが夜の市民ネット千葉県の新年会は欠席。とても残念。葛根湯を飲んでいるが、今日は少ししんどい。

□2007年1月28日(日)

先週、日本時間24日午前ブッシュ米大統領のステート・オブ・ザ・ユニオン(年頭教書演説)、日本は26日に安倍首相の第166通常国会での施政方針演説、そして・・・同日に成田市では新市長の初登庁があった。成田市長の施政方針は2月9日(金)から始まる定例議会で行なわれるだろう。

米大統領の一般教書の中で注目されたのはイラク増兵。翌日上院で増兵反対が可決されたが、拘束力がないため日を置かず3000人が現地へ派兵された。国民の7割が反対しようが、彼が好んで使う「EVIL=悪党」と同じ脅威を与える国になったと言われようが、泥沼へのエスカレーションというベトナム戦争の悪夢をよみがえらせるような選択に足を踏み入れたのだろうか。

安倍首相の演説では、極めて抽象的な「美しい国」とやらにこの国がかかえている諸課題が封じ込められていくようで、とても未来に開かれた国づくりにつながるとは思えなかった。彼のいう「イノベーション」や「再チャレンジ」、「教育改革」が自己満足、非生産的に聞こえてしまうのは私の偏見かしら?

グリコのおまけ、デウス・エクス・マキーナ(古代ギリシャの機械仕掛けの神様)のように都合良く使われる「美しい国」。逆さに読んで「にくいしくつう」なんて揶揄嘲笑されて、散々。安売りはやめたほうがいい。

先週は「たいむ」61号の発行に多くの時間をさいた。年4回の「たいむ」発行は、その時々議員活動のけじめのようなもの。だから「1回くらい休もうかな」という誘惑を感じても、それは一瞬のこと。もちろん、ボランティアで手伝ってくれる人たちがいなかったらとても今の部数を市民に届けることはできない。

それと、私がモタモタしている間に4月の市議選に向けた選対の準備会がスタートした。26日(金)に参加させてもらったが、まだ節分前なのになんだか春が来たようでとても賑やか。こうしてまた、彼女達と私の共通の流儀で選挙が出来るのが嬉しい。

□2007年1月23日(火)

朝日新聞社の全国世論調査によると、安倍内閣は支持率39%(前回1247%)、不支持37%(同32%)とのこと。不支持が支持を上回るのもそう遠くないかもしれない。「国民感覚から遠い政治家」と見る人が50%。内閣を「頼りない」と見る人は67%。

政策的な不満もあるが、首相その人のキャラクターでいえば国民は小泉前首相の派手なパフォーマンスに免疫が出来てしまって、もっと激しい個性でないと物足りなくなってしまっているのではないかしら?あまり良い傾向ではない。

それに、安倍氏はもともと実力や周囲の人望を集めて首相になったとは言えない(自民党の都合)から、期待するほうが無理だと思う。そもそも「評価」されたのは拉致問題への強硬姿勢くらいで、それだって妙に視線が定まらないようだ。だいたい、「強硬姿勢」というだけでやんやの喝采を受けるような状況は好ましくない。

と言って、民主党や小沢党首に期待が集まっているわけではないのが悩ましい。宮崎県知事選なども例にとりながら政治に関心のある無党派層がふたたび政治の動向を左右するようになったという見立てがある。ただ、その「無党派の中味」がどんなものか、いずれ参院選で明らかになると思う。最近の世相をみると、かつての「無党派」とはかなり変質してきているような気がする。

今日は議員団の初詣と新年会。新年会のみ遅れて参加したら、小泉新市長が議員にお酒をついで回っていた。途中で帰ったが、気配り?お疲れさま。

□2007年1月22日(月)

今日は午前中雑用を済ませ、午後は「たいむ」61号を印刷するのに紙を買いに行き、合間をみながら印刷して1日が終ってしまった。今日の印刷は6000枚で終り。「たいむ」61号の1面記事は「市民の広場」に転載

昨日の市長選挙は小泉一成さんが当選。ぶっちぎりの勝利といったところ。

20年余り前、私は成田でミニコミ新聞の仕事をしていて、彼が家業の旅館のそばにカナディアン・ハウスを建て、「PIPS」(ピップス)を始めた頃に広告の仕事で知り合った。新勝寺の参詣客を相手に営々と築かれてきた門前の商店街で、後継者の若者たちが新しい門前づくりを始めた頃だった。旅館のそばのカナディアン・ハウスは、その象徴のような景観?だった。

とにかく、不祥事後の成田市の「顔」として、しっかりやってほしい。ただし、彼が歴史教科書に対するような自らの歴史観を成田の子どもたちに押付けようとしたら話は別だけどね。

□2007年1月19日(金)

歴史と今を語り合う女性の会」でお昼の食事をはさんだ新年会。今年も世代を超えて女同士大いに語り合いたい。

市長選挙も終盤。今朝家を出る段階で私の「投票入場整理券」が届いていないのであせってしまった。「女性の会」でみんなに聞いたらとっくに届いているという。え~ッ!?何で私には届いていないのかしら?ふと思ったのは、以前住民健診の通知が届かなくなって健康増進課に問い合わせたら、課長から住基ネットに接続しているかどうか尋ねられた。確かに、私は住基ネットへの接続を拒否しているけれど、自治体丸ごと接続していなかったり、個人の選択による自治体もあったりするのだから、そんなことで自治体から通知がこなかったりするのはコマル。

それにしてもこんなに遅れたことはかつてない。夕方選管に寄ったら、整理券を郵送するのに住基ネットは関係ないという。じゃあ、私が郵便物を整理する時に間違って捨ててしまったのかしら?そんなはずないと思うけど、ま、せっかく選管まで来たことだし・・・というわけで、初めて期日前投票をした。どっちにしても21日(日)は東京で国民投票でのメディア規制に関するシンポジウムがあるので投票を済ませておいたほうが楽だ。

家に帰ってポストを開けたら、あらッ!!入場整理券が届いた。選管は15日(月)朝一で発送できるよう手配したと言っていたが、それがどうして今日になったのかしら?最近年賀状の遅配が問題になっているが、こういうものも関係あり?

私はこれまで市長選には全くかかわったことがない。選ばれた市長とも一線を画してきた。別に用もないのにケンカをやる気はないが、「情」が移ってしまったら問題があった時にきちんと対決できないじゃない?

長谷川元市長は税金の使い方を問題にして市議に立候補したのでずっと対決姿勢できたが、元市長が引退直前のボートピア問題でみせた政策判断には感銘を受けた。小川元市長、小林前市長とは気まずい別れになってしまった。別れ下手な私。今度の市長とはどうかしら?

□2007年1月17日(水)

今は知らないけれど、昔は同じ神様に「勝利を我らに」と祈って戦い合う人たちがいた。先日の成田市長選挙の出陣式では、保守両陣営にかけつけてそれぞれに「勝利を」と演説した人がいたことを聞いてゲッ!・・・そういう人に天下国家を論じられても、信用できないだろうな。

今日は阪神淡路大震災から12年。あの日は早朝から学校保健会の視察に出かけ、夕方帰ってきて議会事務局に寄ったらTVニュースが煙を上げる神戸市を上空から放映していた。その時はまだ事態の深刻さはわからなかった。

1ヶ月後、長田区にボランティアで入った。建物が崩壊した跡に遮るものもなく視界が開けていたのを一瞬奇妙に感じたものだ。焼け残った民家は1階がつぶれ、道路から2階に入れた。1階が残っている民家を覗くと、洋服ダンスがひっくり返っていた。高速道路が寸断され、中階がつぶれたビルもあった。

震災の2ヶ月前にひさしぶりに会った旧友と神戸の夜景を楽しんだ後の、崩壊した巨大都市の無残な姿の落差。テレビが飛んでくる激震で着の身着のまま家を飛び出した人たちに給食用の大鍋でダイコン汁を作ったら、「あったまるぅ~」と心底から喜んでくれたのを今でも鮮明に憶えている。

自然は、人間の意思などとは無関係に自らの摂理によって存在する。そこに生かされている生き物たちはいかにわが身を守り生き延びるか、だ。

そろそろ「たいむ」61号をつくらなくては・・・と、版下作りに入る。

□2007年1月14日(日)

市長選告示。チラホラと下馬評も伝わってくる。聞いている話や私の感想をここでパァ~ッ!と書きたいところだが、今はまずいのでやめる。2月9日から議会の定例会が始まるので、アノひとが市長になったら・・を想定して一般質問を考えるのは楽しい。

去る10日、山形県で小5の子どもが自殺した。「人なつこいがカッとしやすい性格で、1年程前から精神を安定させる薬を服用していたらしい」という内容が気にかかった。この子は精神科でどんな診断をされ、どんな薬を処方されていたのだろう。

 数年前議会で特別支援教育に関連して一般質問。診断マニュアルに基づき小・中学校の学級担任によってADHDなどと診断?された子どもが精神科に送られ、抗うつ剤や中毒性の中枢神経刺薬剤を処方される傾向にあることを問題にしたことがある。その時、成田市でもリタリンを処方されている子どもが9人いることが判明した。

すでに05年、EUでは子どもへの抗うつ剤投薬に強い警告を発し、約600万人の子どもが投薬されて問題が発生しているアメリカでは、04年に抗うつ剤のパッケージに「<B>青少年を自殺願望や自殺を試みる危険性を高める</B>」という警告を表示することを命じる文書にブッシュ大統領が署名したという。

新聞記事を見て気がかりだったので市民人権擁護の会日本支部に問い合わせたら、以前成田まで訪ねてくれた米田さんからメールが届いた。この問題に警鐘を鳴らし、日本政府に要請活動をしてきた団体だ。彼らも報道に接しただちに関係者・関係機関に働きかけながら情報収集を始めているという。

朝日新聞の日曜読書欄に「たいせつな本」というコーナーがあり、今日は鈴木ムネオ事件との関連で逮捕・起訴され休職中の外務事務官佐藤優さんの文章が載っていた。彼の大切な本は宇野弘蔵の『経済原論』。神学部学生の時、マルクスの共産主義社会とイエスの教えに近似性を感じていたようだ。K・マルクスの『資本論』やK・バルトの『教会協議学』などからマルクス経済学とキリスト教神学を並行して学ぶ中で、宇野の弁証法に出会い、『資本論』の論理に立ちながらキリスト教徒であることに矛盾を感じなくなったという。宇野から学んだ弁証法は、外交官になりインテリジェンス業務に従事するようになった佐藤さんの「知的武器」になったそうだ。「異能の外交官」と言われる彼の内面にふれる文章だった。

なんでこのコーナーを読む気になったかというと、佐藤さんのように奥深くもないし、知的武器にもならずに終ってしまったけれど、少し似たような経験があったからだ。大学時代にレーニンの『国家と革命』の中の党組織論を読んだ時、『新約聖書』にあるパウロの「コリント人への手紙」などで展開されている教会組織論ともいうべきものと本質的な類似性を感じてびっくりしたことがあったからだ。キリスト教もマルクス主義もユダヤ人から始まった。出発点はハタから見るほどの対立概念ではないのかもしれない。

□2007年1月12日(金)

朝はたいていBS放送で海外ニュースをつけっ放しにしている。今日はブッシュ大統領によるイラクへの米軍増派演説とそれに対する民主党が多数をとった連邦議会の様子が繰り返し流されていた。もちろん、内乱状態にあるイラクの惨状も。戦略的にも戦術的にも窮地にあるアメリカの増派は、ケネディか誰か民主党議員が言っていたが、治安対策どころか戦争のエスカレーションにつながるのではないか。

私の青春はベトナム反戦運動に染まっているが、田舎の保守的な女子高校生が反戦意識に目覚めたのはアメリカによる戦争の「エスカレーション」だった。戦火に怯える罪のない国民と失政によって戦場にかりだされるアメリカの若者たちへの思いは、当時も今も変わらない。

大量破壊兵器の存在を口実にした米・英のイラク侵略を「断固支持」し、自衛隊を戦地に送り込み、その後どこまでもついて行きます下駄の雪の日本政府だが、今回も主体的な説明責任を果たさないまま支持。「主権国」が聞いてあきれる。

去年テレビで見たドキュメンタリー番組にシナノキ(科の木)が登場した。日本特産の落葉高木で温帯に生育するというからこの辺りにもあるのだろうが、葉のない季節なので、私には特定できない。なんとしても今年の春に芽吹き、花を咲かせ、実をつけるのを見たい一心で捜したら、「新勝寺の境内に1本ある」という情報をもらった。もう、とても嬉しい!ヨーロッパの菩提樹は仲間らしい。

□2007年1月11日(木)

 少しずつ日が長くなってきたようだ。ボロぞうきんのような私の感性にも、春を待つ歓びはある。北欧のどこかの国の神話にあるように、痩せ細って死んだ太陽がまた息を吹き返し、太り始めたということかしら。

この頃凄惨な事件が続く。兄が妹を、妻が夫を殺してバラバラにする。こうした事件があると必ず「心の闇」とか「人間のやることではない」という。でも、今も昔も、人間はこういうことをやる生きものだというところから目をそらしてしてはいけない。そうしないと「何故?」の本質にふれることはできない。

「日本人は残酷ではない」と思いたがる人がいるが、それは大間違い。例えば子殺し。江戸時代の人口は結果的には間引き(嬰児殺し)によって調整されていたというのが定説だ。嬰児殺しは江戸時代に限らず口減らしの常套手段だった。もっと昔はエライ人が死ぬと家来や召使たちが殉死させられた。生き埋めなのか殺して埋めたのかは知らないが、それではあんまりだというヒューマニズム?思想が芽生えて埴輪となったと教わった。犠牲の人柱もあったし、武士社会や軍国主義時代は主君や天皇のために死ぬことが美化された。

古今東西、人類史は血塗られた歴史でもあるのだ。子殺しだって人類だけではない。たとえばハヌマンラングールは、オスが群れを乗っ取って最初にやることは、群れにいる前のリーダー(オス)の子どもたちを全て噛み殺してしまうことだという。理由は、子を失ったメスたちの発情を促し自分の子孫を残すためだとか。また私は子どもの頃、赤ちゃんがいるウサギの巣を覗いてはいけないと教えられた。母ウサギが子ウサギを奪われることを警戒して(子ウサギを)食べてしまうからだという。食べたのを見たことはないけど。ほかにもきっといろいろな例があるにちがいない。

信仰のない私には、神と悪魔、善と悪、光と闇といった二律背反的概念は、崇高さや犠牲的愛と、残酷さや憎悪を併せ持つ人類が創ったものだ。その対立は人間を悩ませ続け、宗教や哲学や文学・芸術に昇華されたし、社会秩序を維持するために慣習法や成文法なったのだろう。

殺すという行為の裏にある生物の本能や社会的事情を「犯罪」とするかどうか。長い歴史を経て人類社会は殺人を「やってはいけないこと」という合意に至った。ただし、国際法で認められている戦争で人を殺すことや、国によっては法に基づき人を殺す死刑制度が残っている。合法的殺人だ。

私は、神がモーセに伝えた『十戒』の一つ「あなたは殺人をしてはならない」という戒めを、殺人を超克できない人類がそれでも殺人を否定しようとする至高の知恵としてよりどころにしたい。

夜、成田市長選挙に向けて3人の立候補者の公開討論会(主催・成田青年会議所)があった。リンカーン・フォーラムが後援し、進行を請け負っていた。候補者の発言の中味はともかく、良い企画だった。

□2007年1月9日(火)

今年初めて市役所に行った。用事をすませて議会の控え室に行ったら、図書室の並びにいままで気付かなかったドアがあって、そこに新しい会派の名前がかかっていた。聞くところによると、自民党と同じ会派にいた民主党議員が長年の古巣だった会派を出ることになって創った一人会派の部屋らしい。残すところ任期も3ヶ月余りというのに、よほどの事情があったのね、きっと。それにしてもおかしなことに、民主党はいまの成田市議会に2人いるのだが、もう一人もやはり一人会派を名乗っている。この際2人で「民主党」の看板を掲げればいいのに。

夜は県オンブズ拡大幹事会が代表幹事の広瀬弁護士の事務所で開かれた。誘われたので初参加。オンブズマン活動に関心を持っている市内のXさんにも声をかけたら早速参加してくれた。

この間、公共事業の入札、政務調査費、首長や議長の交際費その他、「税金の使い方」を監視する全国・県オンブズの活動はめざましいものがある。私も、オンブズが情報公開制度を駆使して集めた各種情報を公表するたびに参考にさせてもらっている。

私とオンブズの付き合いは、成田市で談合情報が飛び交っていた頃や、前市長と建設会社社長との土地共有問題などで相談にのってもらったことがある。昨年10月には茨城オンブズ主催のシンポジウムにも参加して、その空気にふれることができた。オンブズの税金の使い方に対するチェックはとても刺激的だ。

私が所属する「地方議会」は、そもそも行政をチェックする住民の代議機関だから、大きな権限が与えられている。しかし本来の機能を忘れて行政の「追認機関」になってしまい、民意を反映しない硬直した議会に対する住民の批判は厳しいものがある。住民が議会の役割に疑問を感じ「そんなものいらない」となれば地方自治の一角が崩れてしまい、民主主義は風前の灯だ。成田市民の中からも市民オンブズへの関心が高まってきていることは民主主義の健全さを示すものだが、議員も「特権」にあぐらをかいている場合ではない。



□2007年1月5日(金)

今日はついていない日。帰ったら私の駐車場に駐禁コーンが置いてあった!いたずらかと思ってどけようとしたら、地面のアスファルトにビスでしっかり固定してあり、私の手にはおえない。いったい何が起こったかわからなかった。誰が何で?すぐ団地サービスに電話して来てもらい撤去させたが、加良部団地と間違えたという。駐車料金を払わない人への対応らしい。もう、シンジラレナーイ。

事務所が開いている時間帯だったからよかったものの、夜だったらどーするの?実害はなかったものの、小鳩のような私の胸にはとてもショックだった。それより何よりこんな事ってホントにアリ?

以前、売っているおにぎりには約10種類もの添加物が使われていると聞き、絶対に買わないと決めた。もっとも、それ以前も買ってはいなかったけど。だって、おにぎり1個100円もするなんて私には我慢できない。それなら、自分で作ったほうがずっと安上がりだし、美味しい。飲み物も、普通は自分で作って魔法瓶に入れて持ち歩く。たまに毒々しいものが飲みたくなる時があるのでダイエット・コークを買うくらい。コーラは自分で作れないもんね。

今日の新聞に「添加物依存 危うさ」と題する記事が掲載されていた。厚労省が定める添加物は約810品目あるらしい。メーカーは目的に応じて大量の添加物を使うという。確かに、食品の裏をひっくり返すと原材料表示が出ているから、知ろうと思えば簡単。日本人は1日平均10グラムくらい、子どもたちにも毎日何十種類もの添加物を食べさせることになるという。最近子どもたちの体がヘンだ、変わってきていると言われるが、添加物漬けのできあいの食品に頼る今の食生活だと、ヘンになってもおかしくはないだろう。

飽食の時代、ごはんに一汁一菜が基本の食生活を想像しただけでヘルシーな気分になるというものだ。

□2007年1月3日(水)

共同代表をしている「国民・住民投票を活かす会」の活動を通して各地の議員と知り合う機会がある。神戸市議会議員の井坂信彦さんもその一人。神戸空港住民投票運動の過程で出会った。1999年に26歳で市議に初当選し、2期目。神戸市議会のみならず、現在は20代・30代の議員による「全国若手市議会議員の会」(約300名)の副会長としても活躍している。彼の発行する「いさか新聞」が届くたびに、地方議会に若者たちが積極的に参加していってほしいと、切実に願う。

ところで、大晦日に届いた「いさか新聞」に注目した。神戸市はこの1月から「神戸市政の透明化の推進及び公正な職務執行の確保に関する条例」(コンプライアンス条例)を施行するという。具体的には議員などの「口利き」に対するもの。ボス議員の汚職事件をきっかけに制定されたものだ。

井坂さんは条例に賛成した上で不備を指摘している。その中で、「市長・助役の口利きや指示も記録・公開の対象とすべきだ」、という点は、成田市も市長の受託収賄事件をきっかけに「(仮称)口利き要綱」を検討しているので参考になる。成田は要綱止まりで残念だけど。市長・助役も対象に、というのはすでに昨年12月に三重県で導入したのを参考に私も市の担当課に伝えてある。

いずれにしても、要綱策定は迅速に。モタモタしているようでは、どこかから圧力がかかっているとみなさざるを得ないだろう。

来る11日夜、青年会議所主催の市長選立候補予定者A,B両氏の公開討論会が開かれるという。青年会議所といえば前回市長選挙の際、今回立候補を予定しているA氏が初めて市長選挙に出た時に組織を上げて応援した過去がある。今回はどういうシフトか知らないけど。ダーティVSクリーン、金権VS右翼というような、どっちがどっちかわからない、どっちもどっちのステレオタイプ化された「対立軸」?を蹴飛ばして内容のある討論会を期待する。


□2007年1月2日(火)

ここ10年余り、お雑煮以外のお正月料理というのはほとんど作らない。どこで食べるかと言うと、生家。家を出て以来毎年2日に生家へ新年のあいさつ行くことになっているので、そこでまともなお正月料理をご馳走になる。今日のお料理も美味。

去年は1218日に母を亡くし、母のいない初めてのお正月だった。「例年どおり集まろうよ」ということできょうだいが集まったが、みんな母がもういないという実感が伴わない混乱した気分だった。何事も自分で責任をもって考え生きていかなくてはという覚悟で迎えた新年だが、私を知り尽くして説教してくれる人がいないというのは本当に心細い。今年は私も年女。母が生きていたらいったい何を語ってくれただろう。

□2007年1月1日(月)

お雑煮を食べ、今年の歩き初めをした。新春ウォーキングは坂田ヶ池からスタートし、風土記の丘を一周した。あちこち寄り道をしながら1時間30分しっかり歩いた。

坂田ヶ池は水鳥さんたちの楽園。水面をバタバタ飛び立ったり潜ったり。思わず立ち止まって見入ってしまいそうな光景だ。ギャッとかグエッとか声をあげながら群れるもの、独りスイスイ泳ぐもの、鳥にも個性があるようだ。

風土記の丘では赤松の若木の緑がまぶしかった。なんとデリケートな緑の美しさだろう。植林した頃からいつもそばの遊歩道を歩いて来たが、初めての体験だ。風土記の丘でも松食い虫の被害で枯れる大木が時折目に付く。それに替わって、古墳群の間にすくすくと育つ若木が風土記の丘のたたずまいを整えていくのだろう。

ブッシュの間からチッ、チッ、チッ、 高い枝の間からピー、ピー。鳥の鳴き声も聴こえる。空気は冷たく澄んでいるけれど、小鳥の声は心をなごませてくれる。気になったのは20㎝前後の笹が林床を覆い始めていること。風土記の丘に通い始めて20年以上経つが、このままでは下草の植生に影響を与えていくではないか。例えば、スミレ。それにキンポウゲやアザミなども徐々に駆逐されていくのではないか・・・心配だ。

歩き終ってから、今年初めて、ではなく全く初めて「大和の湯」に入った!ウォーキングコースには「大和の湯」への矢印看板があるのでいつも目に入っていたが、まさかお風呂に入ろうとは思ったこともなかった。でも今日は元旦だし、ちょっと変わった事もいいだろうと思って寄ってみる。実はこの温泉施設が出来て、成田市でも「入湯税」が加わったいきさつがあるのだ。

興味シンシン女湯に入っていってウワーッ!もう大賑わい。常連さんが多いらしく、みんなマイ・シャンプーなどお風呂グッズを持ってきている。自分のことは棚に上げて、元旦のお昼からこんなところに来ている女性って、どんな人たちだろう・・・などと思ったが、老若子どもまでいて特に変わった様子もなし。みんなそれぞれ、ゆったり、ぺちゃくちゃ、瞑想にふけったりして広いお風呂を楽しんでいた。私も、いろいろなお風呂に出たり入ったりして去年の疲れからすっかり解放された。大学時代はずっと「銭湯」に通ったし、スポーツクラブにもお風呂やサウナがあったので女同士の裸の付き合いは知っているが、女湯ってほんとうに楽しいなー。