『荒野』

 6体のドールと人間一人。人数分の紅茶とスコーンと98本の未使用ろうそくが並ぶ、ジュンの部屋。問題の紙切れを携えて、彼は百のお題の一つを読み上げる……。
「それじゃあ次三つ目は『荒野』だけど……」
「えーと、それじゃあ僕が…」
 やや遠慮がちに挙手をするのは蒼星石。普段が真面目な彼女であるから、ジュンとしては安心して指名ができる。他のやつらも蒼星石くらいな態度だったらまだ我慢できるんだけどなぁ――などとジュンは思いながら、彼女を指名した。
「じゃあ蒼星石」
「ありがとうジュン君」
 素直な顔にほっとした面持ちで、ジュンが燭台に立つ蝋燭へ、火を灯す。
  ボッ……
 緩やかにその身を溶かし始める蝋燭。煌く炎が辺りに柔らかく広がる。そして、蒼星石は軽く頷いた後に語り出した。
「さてさて、荒野とは広々とした野原、ただ草が生い茂るだけの平原……。その中をただ僕は歩いていた、そう、歩いていたんだ。誰かの夢、nのフィールドだったのかもしれないけど、実はそれもわからなかった。それはそれとして、ただ無意識にそこを歩いているうちに、僕はある事に気がついたんだ。草が生い茂っていると先に言ったと思うけど、どうもその草にただならぬ雰囲気を感じる。そこで僕は今まで歩いてきた道――ほとんど獣道だけど、とにかくそれを振り返ってみた。そしたらどうだろう。僕の歩いた跡を追うように、草が波打っているんだ。まるで一つの大きな意志を持った生き物のように。たとえばほら、沢山の働き蟻は目的をもってひたすらに食料を運ぶ、そんな感じなんだ。動きだけじゃない、数もそうだ。それはもう、一つ一つを数えるなんてできないほどの……それが、ありとあらゆる動きを網羅している、決してそれらは同じ動きをしていない。しかしそれでいて規則正しく、一つの目標に向かって……そう、僕めがけて伸びているのはもう明白だったんだ。襲われる! そう判断した僕は急いで逃げようとした。草は周囲に伸び蠢いてはいたけど、一方向だけは何の動きも見せていなかった。そこだ、と当たりをつけて走り始める。案の定、するりと襲い掛かる草むらを脱出できた。とその時は思ったんだ。……ところが! 今度は僕が抜けた先から草がざわめき始めた。何という事だろう、僕が立っているそばから、草達は意志を持ち始めているようだった。何が原因かはもはやわからない。仕方なく僕は逃げた。けれども、逃げるそばから襲い掛かる草の量は増え続ける。
“レンピカ!”
 逃げることはもはやかなわない、と判断した僕は庭師の鋏を取り出した。こうなったら真っ向から対峙するしかないと思ったんだ。丁度相手は草。僕の力で防ぐにはぴったりだった。歩みを止めると、待っていたかのように草は僕めがけてその巨体――そう、一本一本は小さいけど、巨大な束となっていたんだ。僕はその草を真っ二つに……もはやそれは草と呼ぶにはあまりにもおぞましい存在だった。切るそばから、切るそばから、次々と迫ってくる。たとえるならそう……水銀燈の黒い羽、あんな感じさ。それが連続でくるもんだから、さすがに参ってきた。いくつも切り裂いている間に反応が鈍ってきて、あわや草に包まれかける……といった時、ぴたりとそれはやんだんだ。空中まで飛び出さん勢いの草は、ぱらぱらと元の草原へと散っていた。その時にはもう僕の息は切れる寸前。本当に危ういところだったというわけさ。そして……ようやく気持ちと体が落ち着く頃にあたりを見回してみると、向こうの方から乾いた色の何かが押し寄せてきているのが見えたんだ。砂浜へと打ち寄せる波のように、徐々に徐々にこちらへと迫ってくる。ある程度の距離で、草がその乾いた色によって跡形も無く消えうせているのがわかったんだ。何かの力か? 不思議に思ったけど、僕にはもう確かめるすべは無かったんだ。何故なら……その時すでに僕はそれにのまれていたからね。本当にあっという間だった。抵抗する間もなく、僕もレンピカも荒野の土くれに……と、ここでおしまいにするよ」
 まだまだ続きそうだったそれを区切ると、蒼星石はふっと息を蝋燭に吹きかけて炎を消した。やや長い時間。しかしながら、終わってみればそう大したものでもない時間。しばらく周囲はしんとなっていた。と、堰を切ったように声を張り上げたのは翠星石であった。
「す……凄いです蒼星石! まさか語りならぬ物語を作ってしまうなんて! 姉としてとーっても鼻が高いですぅ!」
「ありがとう、翠星石」
 スタンドアップしての大拍手。褒めすぎだろうというよりは、おそらく蒼星石の話に気圧されたのかもしれない。やや小うるさい彼女のそれが数分近く続く。ようやく収まった辺りで、次に口を開いたのは金糸雀。もちろんジュンの指名付きである。
「非常に凝った話かしら……。ふと思ったのだけど、これは蒼星石が今考えたのかしら?」
「いや、ただの体験談だよ」
「本当かしら……。どうも抽象的でカナには作り話にしか思えなかったのかしら」
 疑いのまなざし。苦笑を浮かべかける蒼星石を遮って、翠星石がその視線の先にしゃしゃり出た。
「はんっ、これだからお子ちゃまは困るです。蒼星石の語りにケチをつけようって魂胆ですか? おとといきやがれですー」
「な、なんですってぇ!」
 言われようのない悪口。棘を刺された金糸雀がムキになって立ち上がるのも無理はなかった。
「カナは思ったことを言っただけかしらー!」
「その思ったことっていうのがありえないです。これだけリアルな語りに、どうして作り話なんて……」
「いや、実は金糸雀の言うとおりなんだ」
 話がこじれそうだったと判断したのか、蒼星石はあっさりと指摘を認めた。その瞬間に“んが”と口をおっぴろげる翠星石。そして勝ち誇ったように高笑いする金糸雀。
「ほらごらんなさい、かしらー!」
 とここで、言い争いなどが発生するより先にさっさと手を挙げた者がいた。それは水銀燈。指名したジュンも、思わずつぶやいてしまう。
「珍しいな……」
「いちいちうるさいわね。さてと、真面目な蒼星石ならではよねぇ、こんな話を作ろうとするなんて。私としては、即興で作ったっていうのが気に入ったわぁ。貴女、何か悩みでもあるんじゃないのぉ?」
「どうしてそう思うんだい」
「ふふふ、だって草原においかけられるなんて……。それに大地と同化なんて、何かを暗示してるとしか思えないわぁ」
「……そうだね、そうかもしれない。けど、これはあくまで作り話だから」
「ハッピーエンドが描けない。そしておそらく最後まで描けば、それは夢オチになるであろう話。それだけでも十分危機感を味わえるってものよぉ。……ま、いいわぁ、この辺までにしといてあげる」
 くすくすくす、と小さな笑みがこぼれては消え、こぼれては消え……。水銀燈にとってかなりツボに入ったようである。と、そんな彼女に対抗するかのようにすかさず手を挙げたは真紅。嫌な予感が少ししながらも、ジュンは仕方なく彼女を指名した。
「いやに多弁じゃないの、水銀燈。作り話とはいえ、蒼星石の話に貴女の名前が出てきたのが気に入ったのかしら?」
「あの、真紅。水銀燈じゃなくって、僕の語りに対する感想なんじゃ……」
 いざこざが始まるより先に、蒼星石がツッコミを繰り出す。ナイスだ蒼星石、とジュンは心の中で親指をぐっと上げた。
「そうね、そうだったわね。……よく作られた話だわ。その分、情景が単調。草、草、草、そればっかり連呼してたじゃないの。もうちょっと捻りが欲しかったわ」
「そ、そう……ありがとう」
 感想、というよりは何か批評のようなものである。苦笑を浮かべる蒼星石ではあったが、その周囲では納得いかないという表情だ。金糸雀、そして水銀燈も、あまりいい顔ではない。特に彼女を褒めちぎっていた翠星石などは、苦虫を噛み潰したような表情まで浮かべている。
「ちょっと真紅、あんた何様のつもりです?」
「何。この真紅様に向かって文句でもあるの」
「……もういいですぅ」
 何様、と問うて、真紅様、などという言葉が返ってくれば、さすがにそれ以上言う気も失せようというもの。はいはい、と投げやりな態度で翠星石は引き下がった。
 最後に挙手をしたのは雛苺。だが、はっきりとではなく、なんとなくというくらいの緩さで。そして、首をかしげながら言葉を紡いだ。
「……ヒナにはいまいち分かりにくかったの。なんで蒼星石がそこにいたのか、ってのがわかったらよかったの」
 そこ、というのは荒野のことであろう。事情をまた話すように、蒼星石は口を開いた。
「始まりは分からない。そういうものだよ、雛苺」
「うー……。でも、気がついたらそこにいた、なんてちょっと無責任なの〜」
「無責任……」
「そうなの。鞄から目覚めたらというのならわかるけど、知らない間にそこに居たなんて……もっと意識をしっかり持つべきなの」
「ふうん、なるほどねぇ……」
 作り話、あるいは夢の話に何をそんなにムキになっているのか、とジュンを含め他の面々は思ったのだが、蒼星石自身は妙に納得したように頷いていた。何度も、雛苺の言葉を反芻するように。ある程度、ほんの2,3分ほどそれが続いたかと思ったら、蒼星石は最後に大きく一度頷いて区切りをつけた。
「ありがとう、雛苺」
「うん? うん」
 やはり首を傾げる雛苺。彼女はまた別の結論に行きついていたのかもしれない。
「じゃあジュン君、次へ行ってよ。僕はもう十分だ。皆から沢山の意見をもらえたしね」
「よぉしわかった。それじゃあ次だな」
 綺麗に“次へ”流れが移った。それを感じたジュンは、今後もこの調子を願うのであった。

<つまりはそういうことなんだよ>


あとがき:

 三つ目は荒野。こっから動機外れしてゆくわけですが……さて、蒼星石は真面目(多分6人の中では一番)な分、扱いが普通……になってどうしたもんかと思ったものです。
 まあそれよりも、一番問題なのは語りをどうしようかってことで……なんて、当初の目的に振り返るまでですが、その当初の目的ってのは……まぁいずれそれは語るという事にして。今更ですが、偽小説みたくに単純に台詞のみ形式にするのが簡単だったかなぁ、と今思います。簡単ではあるんですが、まぁそれだとあんまり面白みもないのですがね。と、とりとめもない後書きですね、今回。いや正直戸惑ってるだけなんでしょう、それは。何にかと申しますと……それは多分、徐々にキャラを書けなく……ごほんごほん、いえ、なんでもないですよ(爆)
2006・5・18

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