どんっ
…腰を、おろそうとした瞬間、突き飛ばされました。
前からです。日差しに当てられ、すっかり体力が弱っていた私はあっさりと後ろに倒されました。
背に、後頭部に砂浜の砂の感触がたっぷりします。
「い、一体なんなんですか!」
慌てて身を起こし(そのくらいの元気はすぐに出ました)私を突き飛ばした方に目を向けます。
するとそこには、ある意味見慣れた…いえ、まったく見慣れてはいないのですけどね。
なにせ太助君の家で少々顔を合わせた程度なのですが。
ともかく、そこには…フェイさんが立っていました(さすがに名前は覚えてますよ)
ノースリーブのワンピース(とはいえ、レースといった飾りなど何もないシンプルなものですが)
を身につけ、相変わらずの裸足で…そこに立っていました。
両の手を後ろに回し、こちらをじっと見ています。
無言…。と思いきや、わずかに笑みを浮かべて私に向けて言いました。
「いらっしゃいませ」
そのままお互いに砂浜へ腰をおろします。フェイさんはあぐらをかいて。私は正座で。
お互いにお互いの顔を見、そしてまたもや無言。
“いらっしゃいませ”という事は、店員かなにかの真似事でしょうか。
そうですねぇ、まさか家というわけでもありますまい。
しかしながらここは店と呼ぶにもちょっと…一応日陰ではありますが。
そう、その日陰に入ることができればこの暑さから逃れることができましょう。
そしてのんびりと近くで波が打ち寄せる音を聞きながら…。
とはいえ、フェイさんはこんなところで一体何をしているのでしょう。
シャオさんや太助君と海にでもやってきたのでしょうか。それにしては近くに人気もありませんが…。
いいや、そんなことを考えている暇は私にはありませんでした。
「…って、あのですねフェイさん。お店屋さんごっこに付き合ってる余裕は無いんです」
しばらくして我に帰った私は、即座にフェイさんに申し立てを行いました。
お店やさんごっこなど、やけに新鮮ではありましたが(もちろんフェイさんにそういう趣味があったことも)
…言うまでも無く今はそれどころじゃなかったのです。
「分かりますよね?このきつい日差しなんです。暑いんです。死にそうなんですよ!」
大声をあげて立ち上がりました。冷静に見なくても、私に余裕が無いのはまるわかりです。
しかしながらフェイさんは相変わらずの顔でこちらを見たまま。つまりは変化無しです。
「通じてますか!?私の言ってること理解してますか!?」
「少しだけ…」
なんとフェイさんはひどい返事をしてきました。しかも楽しそうに。
そうこうしている間にも、暑さは私の身体を、頭を蝕んでゆきます。更に余裕がなくなってきます。
少しだけ、ってあなた…こんなの話にならないじゃありませんか!
「あーもう、お願いですから日陰に入れさせてください!!………うっ」
力いっぱい叫んだ後、とうとう限界が来てしまったのでしょうか。
私は力なくその場にどさりと腰をおろすことを余儀なくされてしまいました。
もはや抵抗する気力もありません。大声を出す元気など出てきそうにありません。
はぁ…と疲れを含んだため息を吐き出しながら、私は腕の時計をちらりと見ました。
パーティーまではまだ時間があります。時間がおしているならば慌て気分も出ましょうが…
余裕をもって来てしまったのは、今思えば失敗だったかもしれません。
と、私の行動と同様…ではありませんが、フェイさんは顔を上げ、空(正確には椰子の葉)を見つめました。
特に私にとってはどうでもよかったので気にも留めないのですが。
相変わらずここは暑く、太陽は照りつけ…近くに影があるというのにフェイさんは入れてくれず…。
…などと考えながら再度フェイさんを見ると、彼女はなにやらすたすたと歩いています。
まっすぐにのびた一本の影…椰子の木から一本しかのびていない、その影にそって歩を進めたかと思うと、
その先端で前かがみになってしゃがみこみ、砂浜をざくざくと手で掘り始めました。
そして出てきたのは…真っ黒…本当に真っ黒と言わんはかりの、丸くつばのついた帽子です。
「そんなもの掘り出して…」
ぽそりと呟いていると、フェイさんは微笑を浮かべながらそれを私に手渡してきました。
こんな真っ黒なのはゴミ以外なにものでも無いのでは…。でもまぁ、無いよりはましです。
余計に熱を吸収しそうですがね。
「どうもありがとうございます。かぶらせていただきますね」
素直にそれを受け取り、私はさっきと同様に影の外に座りなおしました。
…やはり余計に熱を吸収してる気がするのですが、気分の問題でしょうか。
一応若干暑さは和らいだ気もします。まぁ、帽子はやはりあったほうがいいですからねぇ。
などと自分に言い聞かせていると、またもやフェイさんはとことこと影の先端へと歩き出し…
嬉しそうに第二品を掘り出しました。
それは真っ黒なビン…って、ビン、ですか?
驚いていると、先ほどと同様にフェイさんはそれを私に差し出してきます。
「いや、あの、いくらなんでもそれは…」
しかし遠慮する矢先からフェイさんはずずいとビンを私に近づけてきます。
「たしかに喉は渇いてはいるんですが、さすがに砂の中から掘り出したものは…」
さてどう断ろうかと思っていたその時でした。ビンに雫がつたっているのが見えました。
あれは…あせ、というやつでしょうか。ビンの汗。冷たい飲み物に付着する…
気付いた時には、私はフェイさんからそれを受け取り、蓋をあけて口をつけていました。
ごっくんごっくんごっくん…
喉を冷たいものが通り抜けていきます。
先ほどまでの暑さが、思いがけないほどに和らいでゆきます…。
半分ほど飲んだところで、私は口を離しました。手に持っているビンは確かに冷たい…。
「…ちょっとフェイさん、何なんですかこれは」
質問と同時に、私は慌てて砂を掘ってみました。
同じものが出てこないか。果たしてこの辺は砂浜を冷蔵庫代わりにしてるのか…。
しかし同じものはやはり出てきませんでした。
フェイさんはやはり笑みを浮かべたままこちらを見ていました。
「何なんですかぁー!これはぁー!!」
急いで彼女の傍に駆け寄ります。そして思わず大声で叫んでしまいました。
そりゃ叫ばずにいられません。こんな熱い熱い中から冷たい飲み物が出てきたんですから。
するとフェイさんは、にべもなくこう返してきました。
「とけい…」
「と、時計?」
一体何を言い出すんですか、と思っていたらフェイさんは私の腕につけていた物…
「え?これですか?」
たしかに時計ですね、腕時計。これを嬉しそうに指差してきました。
もしかして…ジュースの代金とでも言うのでしょうか?
「いや、あの、これはちょっと大切なものでして、あげるわけにはいかないのですよ。
代わりと言ってはなんですが…」
ごそごそとポケットをあさります。そして私は一枚のコインを取り出しました。
「今日のパーティーのために特別用意してたものですけどね…これを差し上げます」
ありがとうございました、と付け足してフェイさんの掌にコインを乗せます。
「結構いわくのある記念コインなんですよ」
金額的価値はなかなかなもので、ものめずらしさからもこの真っ黒グッズ二つとつりあってもいいでしょう。
フェイさんは手に乗ったそれをしげしげと見つめていますが…。
「それにしてもこれは不思議ですねぇ…。この辺の砂って、埋めておくと冷えるんですかね?
えっとこの帽子もいただいてゆきますね」
そのままさらりと立ち去ろうとします。正直、私にはわけがわからなかったので…。
ぐいっ
…去ろうと思ったらビンを持つ手とは反対の手をつかまれました。
くっ、やはりコイン程度では誤魔化されないということなのでしょうか。
直接“時計”と言っていたし…やはりフェイさんが欲しいのはこの腕時計…。
しかしこれは大切なもの。あげるわけにはいかないのです…。
「申し訳有りませんフェイさん、これは非常に大切なもので…。あなたにあげるわけにはいかなくて…」
頭を下げつつ説明していると、フェイさんは私をつかむ手とは反対の手でぽんぽんと地面を叩いています。
笑顔ですね…。でもってその行動の真意は…。
「もしかして、そこに座ってゆっくりしてけってことですか?」
こくり
尋ねると頷いてくれました。当たりのようです。が…。
「何故こんなところで…?」
再度尋ねました、別の意味で。しかしそこで目に映ったのは真っ青な海…でした。
ブルーウォーターと表現するのはこういう海なのだろうと、まさしく思わざるをえない海です。
「…まぁ、ね。そういうことなら構いませんよ」
まあいいか、と心の中で思いながら、改めて私はそこに胡坐をかいて腰をおろしました。
相変わらず日陰の外なんですがね。肝心の影そのものは、ただ一本、フェイさんが座ってる方向に伸びてるのみです。
私はその反対側に座っていたんですからその恩恵にあずかれなかったのは当然。
帽子が一応あり、片手には冷え冷えのジュースもありますから、まだマシですが…。
そのまま…時が流れてゆきました。
夏の砂浜、椰子の木のそばで女の子が一人、青年が一人、海を見て座っています。
あたりに響くは、ザザーンと打ち寄せる波の音。
時たま冷たいジュースを口にしながら、潮の香りと音をただ堪能していました。
そんな私を、フェイさんは相変わらずの笑顔で見続けています。
まったく…人なつっこいのかそうでないのかよくわかりませんねえ、ほんとに。
少々苦笑しながら、私はふと腕時計を見ました。
「え!?もうこんな時間ですか!?」
時計が指していた時間に驚き、がばっと立ち上がります。
余裕をもっては来ていたものの、かなりのんびりしすぎてしまいました!
ちょんちょん
慌てる私の背を誰かがつつきます。言うまでもなくフェイさんなのですが…。
「なんですか?」
振り向くと同時に、フェイさんは手を差し出してきました。
何かと思ってこちらも手を差し出すと、彼女はそこに一枚のコインを落としました。
代金として先ほど私が差し上げたコインです。
なんということでしょう…返してくださるとは…。
「いいんですか?」
何度もコインとフェイさんの顔とを見て尋ねると、彼女はこくりと頷きます。
「ならばあなたが欲しがっておられた時計を差し上げますよ」
ふとそんな衝動にかられました。
本当はパーティーの大穴プレゼントにと用意していたものですが…
いい一時をプレゼントしてくださったと思えば、時計くらいは。
そう考えながら腕時計を外そうとした正にその時…
「もう…もらったから」
「え?」
ふふっ、とフェイさんは笑みを浮かべて答えました。
もうもらったとはよく分かりませんが…まぁ、満足そうな顔なのでよしとしましょうか…。
「どうもジュースご馳走様です。帽子もありがとうございました。
なんだか長居してしまいましたね。それでは…」
いそいそと私は、そのままパーティーへ向かいました。
フェイさんはこの後どうするのかとか、帰りは大丈夫なのかと気にはなりましたが…
「…おや?」
気がつけば目にうつるは板張りの天井、でした。
…夢、ですか?
自分がいたのは、寝間の布団の中。ありがちなオチにがっくりです。
「はぁ…なんということですか…」
あの後のパーティーが一体どうなるのか非常に楽しみだったのですが…。
妙に中途半端なところで目が覚めてしまったものですねぇ。
いや、一区切りついていたといえばついていたといえるでしょうが…。
「ふあーあ…」
二度寝はせず、そのまま起き出します。
少し外へ出ようと思いました。あんな夢の後だからでしょうか。
私はフェイさんの顔を見たくなりました。
夢の中ではかなり笑っていた彼女。それを忘れないうちに、現実の顔も見ておこうかと。
少々不謹慎な気もしますが、私は七梨家へ向かってみることに決めました。
いつものように髪のセットを整え、神社の外へと繰り出します。
そういえば今の季節は夏真っ盛り。丁度夢で体験した状況に良く似ています。
実際私は軽装…いや、帽子だけはかぶっていました。日射病にでもなったらたまりません。
もっともこの鶴ヶ丘町ではそうそう日陰に困るものでもないでしょうが。
「しかし…あれはどこの場所だったのでしょうね…」
木陰でそよそよと吹く風を身体に浴びながら、私は夢の風景を思い返していました。
真っ白な砂浜、真っ青な海。どちらも広々と見渡せていて…。
丁度その境を歩いていたのでしたね、私は。
今思えば、何の疑問も持たずに砂浜を歩いていたのは、さすが夢だからといったところでしょう。
そして暑さで倒れる前に…椰子の木にたどり着き…そこにフェイさんが居たのでしたね。
不思議なものをいくつか掘り出しては私にくれ…そのお返しといえば、時計…。
その時計も、たしか“もらった”と彼女は言ったのでしたっけね。
一体いつのまに何をもらったのやら、私にはとんと思い当たるものがありませんが…。
そうこうしているうちに、七梨家が近づいてきます。
今日の手土産は水羊羹。本当は冬が旬だそうですが…うちの母にとっては季節は関係有りませんね。
と、苦笑いを少々浮かべていると、前方から二つの人影が見えてきました。
「あれは…」
私が最も目的としていた方、シャオさん、そしてフェイさんではありませんか。
シャオさんは、真夏の日差しに白が映えるノースリーブのワンピース…。
かたやフェイさんは、タンクトップに短パン。そしていつもとは違ってポニーテールという髪型。
そんな、お二人とも夏いっぱいの色を表した格好です。
「こおり、食べよっか」
「またあの店で?」
二人はなにやら話し込んでいる最中で、こちらの方は見えていないようです。
氷、そして店という言葉が聞こえてきたことから、お二人は前にも同じように外へ出かけたのでしょう。
そしてきっといい店を見つけたに違いありません。ならばご一緒するのも悪くありませんね。
元々、七梨家に行くことが目的ではなく、二人にお会いすることが目的であったのですから。
そこで当然ながら、私は声をかけました(ここでかけなくては、いつ声をかける、というものですね)
「こんにちは、シャオさん。そしてフェイさん」
「あら、出雲さん。こんにちは」
「…こんにちは」
すぐに二人とも私に気付いてくれたのか、挨拶を返してくれます。
シャオさんは当然ながら笑顔ですが、フェイさんはどうも無表情です。
もしかしたら暑さに参っているのかもしれませんね…。
「シャオさん、これからどちらへ?」
「あ、それはですね。この前フェイちゃんと二人で偶然見つけた駄菓子屋さんに…」
うきうきと私の方を見ながら、笑顔で話し始めたシャオさんでしたが、途中で言葉を詰まらせました。
何かに驚いた…というよりは、何かに気付いてはっとなった、と言った方が正しいでしょうか。
顔が少々こわばっています。一体何があったのでしょう?と私は首を傾げました。
ちらりとフェイさんを見たものの、シャオさんとは違っていつもの無表情のまま。
うーん、フェイさんからでは情報は得られなさそうですね…。
と、もう一度シャオさんと目を合わせると、そのシャオさんはゆっくりと口を開きました。
「あの、出雲さん…。何か…忘れてませんか?」
「何か…って、なんですか?」
「その…」
なにやらシャオさんはもごもごと、言葉をためらっているようです。
うーん、相当気まずいものなのでしょうか。
もしかして髪のセットが執拗なまでに乱れてしまっているとか?
朝何度も鏡を見てチェックはしたものの、来る途中でセットが崩れたかもしれません。
あるいは、口に出すのもはしたないものですが、社会の窓が開いていたとか…。
もしくは誰かが、私の知らない間にぴったりと後ろをつけてきていたとか…。
様々に原因を推察し、後ろを向いたり頭に手をやったりと私はあちこちに行動を起こします。
しかし変わった所は何もありませんでした。一体シャオさんは何を忘れていると言ってるのやら…。
「影…」
ぽそりとフェイさんは呟きました。
影…影というのは…日が当たってできる…。まさか、シャオさんが言っている忘れ物とは…?
シャオさんの目線を確認すると、それは私の足元をまっすぐに指していました。
そういえば…上とかは気にしてましたが、下の方はまったく確認していませんでしたね…。
ここは、確認しておくべきでしょうか…何があるのか…。
恐る恐るその先を追う私。そして…
「え!?」
<ポーン>
2003・10・20