『A Horror』


草木も眠る丑三つ時。
誰もが寝静まるであろう時間、一人の少女が起き出していた。
そばの布団ですやすやと眠るもう一人の少女を見やりながら、自分はすっくと立ち上がる。
「喉渇いたな…」
小声で呟いたかと思うと、ふらりと歩き出した。
小さな体の半身をおおうほどの長い髪がゆらゆらと揺れる。
しかしこの時、この少女フェイは、ほんの数分後に世にも不思議な恐怖を体験するとは、
寝ぼけ最中の夢にも思わなかったであろう…。

たくさんの冷たい飲み物が入っている冷蔵庫。
起き抜けに感じていた喉の渇きを癒すべく、フェイはその中にある一つの入れ物を手に取った。
コップに中身をある程度注いだかと思うとそれを口につける。
ごくごくごく
「…ふう、もう一杯」
何かの宣伝に使えそうなほどいい飲みっぷりを披露している。
残念ながら今は夜中であり、誰もそれを見る者は居ない。
彼女のファンが居たなら、隠し撮りをしておけばよかったと後悔すること間違いないだろう。
それはそれとして、フェイが二杯目を注ごうとしたまさにその時、出来事は起こった。

ごとっ

「え…!?」
突然の大きな物音。
慌てふためき彼女は、つい二杯目を落としそうになる。
何とか中身をこぼさずに済んだ事にほっとしたのもの束の間…

バキバキバキ

ずーずー

ガタン!!

「な、なに?」
先ほどのような騒音が連続で鳴りだした。
音は二階の方から聞こえてくるのだが、うるさいことこの上ない。
ここがアパートやマンションであったなら、すぐさま隣部屋やらから苦情が飛んできたことであろう。
幸いにも七梨家は簡素な住宅街の中に位置していた事もあり、また距離もそこそこ離れているためか、
どこからも苦情らしき押しかけは起きる事は無かった。
(本当は、既に七梨家の怪として近所ではいつもの事となっているだけかもしれないが)
だが、フェイにとっては苦情がどうとかなんてことは関係ない。
今はただ、鳴り続いている騒音。この騒音が何なのか…そればかりに意識が取られている。
「この家って…夜に何かとんでもない事が…?」
謎は様々あるが精霊達との縁は深いフェイ。
しかし当然この前来たばかりの七梨家に縁が深いわけではない。
毎夜毎夜物がひとりでに動き出しているのだろうか?怨霊が住みついていたりするのだろうか?
もしくは開発によって追い出された狸達が密かに集会を開いているのだろうか?
あるいは、電話ボックスよろし七梨家の屋根裏を使用して正義の味方が夜空に繰り出しているのだろうか?
…などなど、候補はいくつかあったりする。
麦茶の二杯目を入れたもののすっかり飲むことを忘れ、考えにふける。
考えに考えぬいたあげく、結論なるものは特に出ない。想像だけではダメなのだ。
こうなれば、自らの目で見るしかない…。しかし待ち構えているのものによっては、自分が恐ろしい目に遭う…。
幾度となく悩んだ彼女であったが、正体を確認しようと彼女は意を決して足を向けた。
胸の鼓動が高鳴る。言葉で表現するなら正にドキドキ。自分の手で謎を明らかにする!
が…

し………ん

「…静かになったみたい…?」
彼女の意思が二階へ向いた丁度その時、困惑の根源は消え去った。
その後はいくら時が過ぎようともまったく物音がせず…。
数え切れないほどに首を傾げながら、フェイはとこに戻るのであった。





翌日…。
昨晩の事が気になりすぎてよく眠れなかったフェイは、うつらうつらと舟をこいでいた。
朝食時であっただけに、今にも味噌汁につっぷしそうなその姿は非常に危ない。
「どうしたんだよ、フェイ。寝不足か?」
心配そうに那奈が声をかけてあげると、フェイは少しだけ目を開けた。
開けたといってもほぼ半目。すぐにでも閉じてしまいそうだ。
「うん…」
こくりとフェイは頷いた。
「夜更かしでもしてたのか?」
今度は太助が尋ねる。代わる代わる質問を投げることによって少しでも眠気を取り除こうという魂胆だ。
しかし、その努力も徒労に終わりかねない。
「うん……」
先ほどと同じくこくりと頷き、フェイはなんとか反応している。
しかしやはり今にも目は閉じられそう。再び眠り出すのも時間の問題であった。
「フェイちゃん。朝御飯途中だけど、眠いんだったらもう一度寝たら?」
「う…ん………」
シャオの優しい呼びかけを最後に、フェイはとうとう眠りに落ちた。
慌ててそれを支えるのは呼びかけた当の本人、シャオである。
「えっと、フェイちゃん寝かせてきますね」
よいしょっとフェイの身体を持ち上げる。
小さなその姿を見ていると、何故かしらあたたかな気持ちに太助はなった。
まさしく子供をあやす母親(と呼ぶにはかなり無理があるが)を見ているようであったからだ。
こうしてはいられない、と太助は無意識に立ち上がった。
「シャオ、俺も手伝うよ。一人だと布団しくのとか大変だろ?」
「え?あ、そうですね。でも…」
「遠慮するなって。一人でやるより二人でやる方が早いし」
「では…お願いします」
「ああ」
いつものように遠慮しがちなシャオだったが、それほど問答するでもなく太助の申し出を受け入れた。
フェイを支えつつ、二人でキッチンを後にする。
それを見送ながら那奈は、心の中で鼻歌を歌っていた。
「うむうむ、朝から仲良しさんで結構なことだ」
口に出して言い、そして顔もほころんでいる。かなりの上機嫌である事は見てすぐわかる。
彼女のそんな様相を見ていたキリュウは、自分の隣に目をやった。
「ところで…ルーアン殿」
がつがつがつがつ
キリュウがさらりと呼びかけるが、ルーアンは熱心に食事中であった。
フェイの一騒動(?)の最中もずうっとそれだったのである。
「…よく黙ってみていたな?」
がつがつがつがつ…
「…ふう、食べた食べた。キリュウ、何か呼んだ?」
「…いや別に」
キリュウの声は彼女には届いていなかったらしい。
そんな朝の場面が繰り広げられ、今日という日は始まるのだった。





そして夜。
誰もが眠る闇の時。
フェイにとって眠れない時間がやってきた。
朝からたっぷり寝すぎた所為もあったのだろう。
が、昨日の事が意識の底で気になり、やはりというか同時刻に目が覚めてしまったのだ。
「今日こそ…確かめてみよう…」
むくりと布団から起き上がり、すやすやと寝ているシャオを起こさないように部屋から出る。
そして彼女はいくつもの段を見上げた。目指すは階上。
音源はそこにある。昨日と同じく…

ごとっ

バキバキバキ

ずーずー

ガタン!!

激しく騒音が鳴り響いている。確かめるなら今だ。
だが…フェイは、最初の一歩がなかなか踏み出せずにいた。
「…恐い…の?」
自分で自分に尋ねる。
足が少し震えているのが分かる。ためらっているのだ。
正体が気になる。が、未知のものに対する恐怖感もあったのだ。
いや、普段ならそういう気持ちなど振り切って堂々と二階へ行けたはずだ。
「…昼間にあんな映画なんて見るんじゃなかった」
たまたまやっていたホラー映画を見た。それに影響された。早い話がそうだ。ただの偶然だが…。
要らぬ想像が頭を駆け巡る。昨日より更に、更に…。
しかし、こうしてためらっているうちに音がやんでしまう。
そうなると、またもや正体をつかみ損なってしまう。
夜寝られなくなる。朝寝をして、夕方に起きてしまう。そんな生活はまっぴらごめんだ。
…狂わされている。自分の生活が狂わされている。謎の音によって。
「…行こう」
我慢がならなかった。そうすると簡単に一歩が踏み出せた。
次に一歩、そしてもう一歩。するすると階段がのぼれる。
気がつけば二階に到達していた。音もまだやんでいない。正体をつかむなら今だ。
「…この音…キリュウの部屋から?」
二階に来て初めて認識できた。音源はキリュウの部屋にある、と。
どういうことなのだろう。キリュウが音を立てているのだろうか、こんな夜中に。
不思議に思いながら部屋に近づく。と、扉の前に来たところで音はやんだ。
「ふー…。これで準備は万全だ」
「キリュウ…?」
扉ごしにキリュウの声が聞こえてくる。何かをやりおえたような、すがすがしい声だ。
まだ起きてたの?と思いながらフェイは更に扉に耳を立てた。
「さて、寝るとするか…」
今まさにキリュウは床に入ろうとしている。
ならば音源はキリュウである可能性が極めて高い。いや、もはやそれしか考えられない。
しかしここで“なんだ、キリュウの仕業か”などと引き下がっていては浮かばれない。
自分のこの二日間の悩みは。そして階下で下手に感じていた恐怖はどうしてくれようか。
ともかくフェイにとっては納得がいかなかった。そして彼女がとった行動はただ一つである。
「キリュウ!」
がちゃり、とノックも無しに扉を開ける。
開ききったところで、キリュウとフェイは目があった。
一瞬キリュウの目がまるくなる。まさしく驚きそのものだ。だがそれは瞬時にとがった厳しいものに変わった。
そしてキリュウは、がばっと布団から飛び出し、フェイに向かって叫んだ。
「伏せろ!フェイ殿!!」
「え?」
一瞬フェイには言葉の意味が分からなかった。
だが、キリュウの声が飛んだ刹那、自分の目に飛び込んできたのは巨大なハンマー、その頭。
もちろんそこで固まる訳にはいかなかった。瞬時にそこでキリュウの言葉の意味を理解する。
そしてフェイは素早くそこに伏せた。

ごおっ!

彼女の頭上(正確には体の上)を、振り子のようにハンマーが通り過ぎてゆく。
過ぎ去った後に素早くフェイはその場を移動。ハンマーが当たらない位置へ、キリュウの部屋の内部へと身体を委ねた。
「ふう…」
「あっ、そこにもたれてはいけない!」
「え…」
壁に背をもたれると、がくんという衝撃がフェイの身体に走った。
体が傾き、どしんとその場でしりもちを打ってしまう。
その直後、頭上から“ひゅううう…”という音を彼女は聞いた。
見上げると、今正に天から降ってくるものがあった。それは大きな大きな針。しかもたくさんだ。
「!!!」
声をあげる暇もなくもちろん動く暇もなく、フェイはその場にへたり込んでいた。
せいぜいできた事は両の腕で自分の頭を覆うくらい。
針が彼女に直撃しようかというその寸前…
「万象大乱!」
キリュウの提言が部屋に響く。
そして、フェイの身体にばらばらと小さな針が当たる。
やがてすべてが降り注ぎ終わると、“ふう”というため息が漏れた。
それはどちらからであったろうか。いや、どちらからも、であったろう。
真夜中の騒動は、こうして幕を閉じた…。





翌日。
“キリュウの目覚まし”なる存在を、フェイはキリュウから言葉により深く知る事になる。
夜中に聞こえていた大きな音は目覚ましの準備に寄るものらしいが…。
音の正体を知る前よりも、知った後の方がよほど恐いと感じたフェイであった。

<こわいですねぇ、こわかったですねぇ(?)>


後書き:なんかありがちですねぇ。少しはひねりを入れてみたかったんですが…。
っていうか、この話の何がHorrorになってるんでしょうか(笑)
なんかフェイが違うひとになっちゃってるっぽいけど…まぁいいでしょ。
今回限りだと思いますよ、こういう性格のは。
…って、そういうのだと困るか…(汗)

2003・5・20

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