小説「ヨコハマ買い出し紀行」(先生編)

「ふうっ・・・。」
 コーヒーを置いて窓の外を見ると明るい。
太陽はもう高くまで昇っていて存分に大地を照らしている。
いわゆるポカポカ陽気といった感じだ。
 「ちょっと、ひなたぼっこしようかな。」
 そういってコーヒーをもつとドアを開けた。見慣れた風景が広がる。
でもなんだか落ち着く。そんな風景だ。
 ベランダのテーブルに腰掛けた。
 「気持ちいい〜。」
 大きくのびをする。
 変わらない日常――。
 その時、向こうの方に人影が見えた。
 「ありゃま、先生。」
 すると先生はフフッと少し笑って
「ひさしぶりね。ちょっと近くまで来たものだから。」
 そういってベランダへ上がってきた。
 「ご注文は何にします。」
 「そうね。カフェオレお願いできるかしら。」
 「カフェオレですね。わかりました。」
 注文を受けると彼女はにこやかな笑顔とともに店の中に入っていった。
それを見送るとあたりに目をやった。ゆったりと流れる時間。
 「こういうのを望んでいたのかもね・・・。」
 その初老の婦人はベランダのテーブルに腰掛けると、ふとつぶやいた。

 しばらくすると店の中から彼女は出てきた。
 「お待ちどうさまでした。え〜とカフェオレでしたよね。」
 そして丁寧にテーブルの上に置いた。
 「ご一緒してもよろしいですか。」
 「ええ。」
 そうすると彼女は少し照れながら椅子に腰掛ける。
 「今日はとっても天気がいいんで、ひなたぼっこしてたんです。」
 「あら、そうなの。そうね、もうすぐ暦の上では春か。」
 先生は少し思い出したような顔をして
「そういえばアルファさんが生まれた時ぐらいかしらね。冬が暖かくなってきたのは。」
 そうして遠い目でアルファさんを見つめた。

「ガシャ。」
 なにか音がした。二人とも目をやる。
 「あら、あの子は・・・。」
 先生が声を出した瞬間、彼女も目線を送った。
 「タカヒロじゃない! いらっしゃいませ。」
 その少年は自転車をとめると、すぐベランダへ上がってきた。
 「こんにちは。先生もいたんだ。」
 「こんにちは。ええ、ちょっとおじゃましてるの。」
 「こんにちは、タカヒロ。何か飲む?」
 そういってアルファさんは微笑しながら立ち上がった。エプロンが少し風になびく。
その姿がじつに絵になっている。
 「ええ〜っとね。」
 わけもわからずタカヒロは動揺してしまった。
 「メイポロ、できる。」
 「メイポロね。わかったわ。」
 空になったコーヒーカップをお盆にのせて彼女が店の中に入ろうとすると、
タカヒロが何か持っているのが目に入った。
 「あらっ、それは何?」
 「図鑑なんだけどね。綺麗なのが載ってたんだ。アルファにも見せようと思って。」
 そういうとニコニコしている。
 「それは楽しみ。ちょっとまってて、すぐメイポロもってくるから。」
 そう言い残すと彼女は店の中に入っていった。
 タカヒロが一番手前の椅子に座ると,先生と目があった。
 「何を見せてくれるの。」
 穏やかな笑顔の先生。
 「えっとね,これなんだけど。」
 そういってページを開いた。
 「ああ,これね。確かに綺麗よね。」
 「でも,いままで見たことないんだ。本にはこの辺でも見れるって書いてるのに。」
 「そうね。最近は見れなくなったわ。」
 そういうと先生はまた遠い目をした。
 アルファさんが店から出てくる。
 「おまたせ。」
 小急ぎでテーブルにメイポロとおかわりした自分のコーヒーを持ってくると
「で,何。」
と興味津々だった。
 図鑑をのぞき込む。
 そこには綺麗な六角形の模様の写真がたくさん載っていた。
 「うわ〜綺麗。」
 「雪の結晶だってさ。」
 タカヒロが少々自慢げにこたえた。
 「こんなの見たこと無いよ。」
 アルファさんは感心したようにそれを見ている。
 「北へ行けば今でも見れるわよ。」
 先生が言う。
 「昔はこの辺りでも見れたんだけど,今はちょっと無理かしらね。」
 「えっ,こんな形のが降ってくるの?」
 タカヒロは驚いた様子をみせた。
 「フフッ,そういうわけじゃないわ。これはね顕微鏡で見た写真なの。
だから私達の目にはただの小さな白いかたまりにしか見えないわ。」
 「ふ〜ん。そういうものなんだ。でも不思議だな。
どうして六角形の形にしかならないんだろ。他の形になっても良さそうなのに。」
 「雪っていうのは上空で水が凍ってできるんだけど,その時この形をとると安定するのよ。
つまり六角形の形になりやすいのね。」
 「へ〜え。」
 タカヒロは感心している。
 「昔,水分子の形がどうこうって聞いたことがあるわ。きっとそれね。」
 今はそんなことはあまりやかましく言われない。
得たもののかわりに失ってゆく知識を持った人たち。そんな時代の黄昏なのだ。

 「じゃあさ,先生。いままで不思議に思ってたこと聞いていい?」
 「何?」
 アルファさんは二人のやりとりを見ている。
 「夕方になると空が赤くなるじゃない。あれ,いつも不思議だったんだ。」
 「それわね。」
 ふとアルファさんの方を見ると
「アルファさん知ってる?」
と言った。ちょっぴり楽しそうに見える。
 「ええっ。」
 いきなり自分にふられてびっくりしてる。
 「ええっと,つまり・・・地球は自転してるってことですから,
え〜夕方になると太陽からはなれる方向に回転するから,そっそのせいかな。」
 顔が高揚している。
 「う〜ん。残念だけどそれははずれ。それじゃ,次回までの宿題にしましょう。」
 「ひ〜ん。」
 「タカヒロ君もよ。」
 「ええっ。」
 二人の顔をながめると
 「それじゃ,今日は楽しかったわ。そろそろ失礼するわね。」
 先生ははかったように立ち上がった。
 「えっ,もう帰っちゃうんですか。」
 「ええ,ちょっと寄っただけだから。タカヒロ君,理科も少し勉強してね。
 きっと面白いと思うわ。」
「そうそう,お代はツケておいてね。」
 そういうとベランダを降りていった。

 「宿題になっちゃった。」
 図鑑を前にしてタカヒロがぼやく。
 「まあまあ,明日にでもいっしょに調べましょうか。」
 タカヒロの肩に手をあてながらアルファさんはいった。
 変わらない日常。ちょっと知的な日。

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