ドイツ旅行について

1998年7月末にドイツ旅行に行きました。
以下は、一緒に行った母の紀行文です。


『ドイツへの旅』

はじめに

ノイシュバンシュタイン城   ドイツは、古城街道やロマンチック街道などさまざまな本により、 知識を得たり、興味をそそられる国として、かねがね憧れていた国である。 ところが、帰国して2週間にもなるのに、ぼんやりしていつものように 旅の思い出の整理をする気がおきないのはどうしたことだろう。 頭の中で整理しているのだろうか。旅をして、 その思い出を文にしたためて記録しておくことは1つの旅を終えたいい記念になる。
  さて、どこから述べたものか、ドイツは領邦国家としての歴史が都市や町のあちこちに息づいている。 それというのも、イタリア やドイツは、強力な統一国家を形成する絶対主義王朝が生まれず、 各都市がそれぞれ強い力を持ったのである。 そういった意味では国というよりいろんな都市に特色を持ったものが多いといえるだろう。 今回私が訪れた都市は、ドイツの数多い諸都市のほんの一部分である。 いつの旅もそこに生きた過去の人物にひどく興味を持ったものである。 そこで今回は、「月の王」ルドヴィヒ2世についての思いなどもおりまぜながらいくつかの名所について述べていこう。

≪1≫ミュンヘン

ミュンヘンの町並み  バイエルンの首都であるこの都市は、ドイツの南の中心都市である。 ビールでも有名だが、ドイツの文化の中心都市でもある。100 万人以上の人口を擁する この都市の印象をひと言で述べるのはむずかしい。なぜなら、今回自由行動があって、 町を右往左往したわけでもないので。簡単に車で町をぐるりと一回りした印象は、 ひと言で言うと、この町が大きく雑然としているな、いうことだ。 ルドヴィヒ2世のおじいさんであるルドヴィヒ1世がミュンヘンの町並みを作ったという。 ルドヴィヒ通りの町並みが新古典様式に統一されていると、ガイドさんが説明してくれた。 そのことばがそのままなるほどとうなずけた。なぜなら、ミュンヘンはウィーンやパリのように 彫刻をほどこした建物は少なく、すっきりしていて、凹凸が少ない。ミュンヘン大学もその通りにあり、 大学生の在籍が多いわりに学んでいる人が少ない、という話をしていた。なぜならドイツの若者は、 18才以上になると兵役に6ヵ月つかなくてはならないらしい。そこで大学から学生が姿を消すそうだ。 一瞬怠けているのかな、と思った私たちの思惑をガイドさんがきちんと打ち消してくれた。 要するに日本の大学生とちがって本当に学びたい者が学ぶ大学なのだ。 ルドヴッヒ1世は「ミュンヘンの父」と呼ばれているそうだ。 バイエルンの王国はナポレオンにより作られ、マキシミリアン1世から始まるが、 その2代目のルドヴィヒ1世が一番立派な王様だったようだ。 しかし、その王様もローザ・モンテスというイギリスからやって来た踊り子に夢中になり、 退位するはめになってしまう。美女が歴史を動かす一例といえるだろう。

ニュンヘンブルク宮殿   ミュンヘンの北西部にある、ニュンヘンブルク宮殿、これは1664年ミュンヘンの選定侯 フェルドナンド・マリアが王妃が男児を出産したお祝いに作った宮殿という。 インドのタージ・マハルなど王妃のために建てられた建築物は世界中いたるところにある。 ルイ15世がポンパドール夫人のために建てたプチトリアノンなどもそれにあたる。 さて、このニュンヘンブルクは、シンメトリーが大変美しい。宮殿の中でも 一風変わった形をしているなと思ったら、フェルドナンド・マリアの王妃が イタリアのサヴォイの出身で、彼女がイタリアの建築家を連れてきたらしい。 建物は立法体で宮殿の形としては変わっているといえる。 立方体の建物が回廊によってつながっており、宮殿の建物部分もさることながら、 庭園も含めるとその規模はあのヴェルサイユをしのぐという。 そのように広大な宮殿をもっとゆっくりと歩いてまわりたかったものである。 宮殿正面の庭の運河に続く池には白鳥がいて白い宮殿によく似合っていた。 ルドヴィヒ2世はこの宮殿で生まれた。その部屋も公開されていた。 宮殿内部の中で特に印象に残っているのは、正面の入ってすぐの大ホールである。 上品なロココ風の装飾で天井も美しく統一されたインテリアがすばらしい。 また、いろんな部屋を見たが、中に、大変大きなタピストリーのかかっている部屋で、 ガイドさんの話によるとこのタピストリーを仕上げるのに何人もの職人さんが 3年がかりで仕上げたという。そしてしまいには失明してしまったという。 それほどタピストリーを作るのは手のこんだ緻密な作業であるということだ。 ルドヴィヒ2世らを輩出したヴィッテルスバッハ家はミュンヘンでずっと権力を 握ってきたのだが、この夏の離宮ニュンヘンブルクほどその一族の力を示している ものはないと思われるほどすばらしいものである。「優雅」ということばがぴったり の宮殿である。庭園にいくつかある小さな建築物がまたすばらしい。 今回は見学できなかったが、アマリエンブルクなど次回はぜひ見たいものである。
 ドイツの市電は、UバーンとSバーンというのがあって改札がない。 切符は自動販売機にて各自が買うだけで、それを見せる場所も人もいないのには驚いた。 日本人の感覚だと「これはただ乗りしなさい、といっているみたい。」となるかもしれない。 そこはそれ、ドイツ人にとって、ただ乗りしているのがばれたらなにより恥ずかしいことらしい。 乗客に混じって車掌さんが時折切符を切りにくるそうである。 こんなことからもドイツ人気質の一端が理解できようものである。 そうそう、扉を開けるには把手をもってあけるのである。 私たちはフランクフルトでこの電車に乗ったが、なんとも不思議な経験であった。 切られていない切符は記念にアルバムにはさんである。

≪2≫リンダーホフ城

リンダーホフ城  ルドヴィヒ2世が建てた城の中で唯一完成したのがこの城である。 この城はガルミッシュパルテンキルヘンという町にある。 この長長い名前の町はかつてヒトラーが政権を握っていた頃、 第一回冬季オリンピックが開かれた所だそうだ。そこでヒトラーはミュンヘンから この地までの道路を整備させ、アウトバーンを作ったそうだ。 そこで、ミュンヘンからこの地までを特別に「オリンピック道路」と呼んでいるそうである。
 リンダーホフ城の中があそこまでロココ風とは知らなかった。 実際に中を見学してみて、ルドヴィヒ2世が夜の王なら、月光で装飾に多く使われている金色は まぶしく輝いたのだろうか、と考えたりしてしまう。それほど壁や天井などの装飾は金色が多かった。 ルキノ・ヴィスコンティの「ルドヴィヒー神々の黄昏」の映画の中で、 この宮殿の食堂で主人公のルドヴィヒ2世に扮したヘルムート・バーガーが この城に連れてきた俳優の「ハムレット」や「マクベス」の一場面の台詞を聞くシーンがある。 開けた扉の向こうにデュ・バリー夫人の肖像が見え、あっこれは本物の宮殿を使ったのかなと思った。 ルイ14世の騎馬像やルイ王朝の人々の肖像画が飾ってありガイドさんの話によると ルドヴィヒ2世は一人で食事する時もその人々の分も食事を用意させ、召使が隣の部屋でいると、 さも実際にその人達がいるかのように王は話していたという。ルドヴィヒ2世は狂王と呼ばれたり、 精神分析をしてパラノイアと診断されたらしいが、この宮殿を見て、 ここまでルイ14世に心酔していたのか、とその崇拝ぶりに圧倒されてしまう。 もう一つの城ヘレムキンゼー城の入口にもルイ14世のモニュメントがあるらしい。 しかもリンダーホフ城はベルサイユ宮殿の中の庭園に建つプチトリアノンを模して造ったものである。 ヘレムキンゼー城はベルサイユ宮殿そのものを真似たものである。ヘレムキンゼー城の真正面にある噴水も ラトゥナの噴水で、これはまったくベルサイユと同じである。今回は、このヘレムキンゼー城には行けなかったが、 湖の中の島に建つというだけでもその環境がすばらしいと思う。またぜひ行ってみたい。
 さて、リンダーホフのロココ様式には、すべての装飾にためいきの連続であったが、なかには、 ゴブラン織りに似せた絵を描いた椅子とかをいくつか見て、いそいで造ったものか、 お金を節約したものかそのわけを知りたくなったものだ。

≪3≫ニュルンベルク

ニュルンベルク  この町にはこの町の名前が持つ、妙にクラッシックななつかしい響き、 一度は行ってみたい。趣のある町のような気がしていた。そしていざ訪れてみると、 そこには古都の落ち着いたたたずまいがあった。中世の都市には必ずといって ある城壁の名残がこの町にもあり、市内を流れるベグニッツ川の上にかかる橋や 建物(ぶどう酒蔵)などが古都の味わいをもって美しかった。とりわけ心に残ったのは、 カイザーブルク城の上から眺めた市街の美しさである。赤い屋根が陽光に きらめき統一された町並みの中にこじんまりとまとまっ美しい町の様子が一望できた。 ニュルンベルクは神聖ローマ皇帝の町として栄えてきた。ドイツの諸都市は、 ほとんどが戦後復興してできた町という。それほどナチスの、世界を相手にした戦いは 壮絶をきわめていたのだ。ここの皇帝城も幾多の苦難を乗り越えてきたのだろう。 マキシミリオン1世の壁画を見たり、神聖ローマ皇帝の苦しい財政事情の話を聞いたりしているうちに 中世にタイムスリップしてしまったようなカイザーブルク城であった。 ルドヴィヒ2世の城のような豪華さがないかわりに質素な当時の皇帝の姿をかいま見たようなひとときでよかった。 この城にまつわる話の中で、後にプロシャの王となるホーエンツォレルン家についての話が特に私の興味を引いた。 ホーエンツォレルン家はニュルンブルク城伯(皇帝が留守の間城をまかされた人)となっていたらしい。 そして、当時皇帝が決まった城を持っていずあちこちの城を転々としていたのをいいことにこの ニュルンベルク城を自分のものにしてしまう。そこで争いが起こり、皇帝は再び自分の城を 建てなくてはならなくなる。そして新たに建てたのが私たちが見学した城であった。 ホーエンツォレルン家は、ブランデンブルクに所領を与えられプロシャを中心にやがて ドイツを統一していくのである。今回は、このホーエンツォレルン家にまつわるこのような話や ドイツ南部にあるホーエンツォレルン城を見たことで、さらにその一族の作った城への興味もわいてきたのである。

ホーエンツォレルン城  さて、ニュルンベルクではニュルンベルガーといわれる焼きソーセージを食べた。 「職人の町」というのが町の一角にあって、小さな店がたくさん集まっていた。 ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」というオペラを思い出した。 たしかにニュルンベルクには職人が今でもこのように伝統を持って仕事を続けているのだろう。 そして歌を競い合ったという話など、本当にそのままあてはまりそうな町の様子である。 ニュルンベルクという町は、戦後の裁判の話やナチスの党大会の話などの負のイメージにはそぐわない、 それらを払拭してしまう何かあたたかい中世の名残りをとどめた、ムード漂う町である。 また、わたしはそうした町に復興したドイツの精神のようなものに触れた気がした。 この町は私が思い描いたとおりのすばらしい歴史的な町であった。

≪4≫カッセル
カッセルの公園

 予想した以上に私に強いインパクトを与えた町。広々とした公園、緑の木々の中に埋もれる町、 カッセルはグリム兄弟が人生の大半を過ごした町として知られている。 王立図書館員だったグリム兄弟は、決して裕福ではなく、 つつましく暮らしたという。彼らが住んだという高台にある家からの見晴らしは素晴らしく、 心豊かな2人から生まれた童話に夢があるのも納得できる。お兄さんの方は、 17か国語ぐらいしゃべれるほどの博識だったようで、 ドイツの外交官のような地位に一時ついていたらしい。 このような豊富な語学の知識から周辺地域や諸国の民話を収集することができた。 そして、それをもとにして書いたのが「白雪姫」や「あかずきんちゃん」 「いばら姫」などの童話だという。カッセルには、このグリム兄弟の記念館以外にも、 ナポレオンの兄弟が建てたヴィルヘルムスヘーエ宮殿と公園があり、その広大な敷地、 そして見事な階段状の噴水などは思わずうっとりしてしまう。カッセルの魅力は、 緑豊かな所だがドイツの他の都市と同じく清楚でこじんまりとしている所だろう。

≪5≫おわりに
バーデン・バーデン  その他にもやはり公園を散策した温泉保養地バーデン・バーデンや ハイデルベルクにあるカールテオドール橋とよく似た、アルテマイン橋のあるヴュルツブルク、 丘の上にある木組みの家の町並みの美しいマールブルク、ローテンブルクへの途中垣間見た、 古い家々が今も残るディンケンスビュールなど、心に残る町はいっぱいである。 ドイツを一周したわけではないので、すべてのドイツを見ていず、ドイツを語ることはできない。 ホーエンツォレルン城へ行く途中黒い森を通り文字通り濃い樅の木の繁るさまをこの目で見て、 ドイツには変化があるなと感じた。ドイツの人が最初にクリスマスに樅の木を飾るという習慣を広げたという。 それもうなずけるほど樅の木がここには多かった。 ヴュルツブルク このように、木々の鬱蒼と繁る所もあれば、 中世の城壁に囲まれてひっそり佇む家々もある。そして、 古い家を大切に保存し続けその中で暮らしている人達もいればフランクフルトのような近代的な大都市に暮らす人もいる。
 きっとドイツの人は自分たちの住む町に誇りと愛情を持っているのだろう。意外なことにドイツでは、お祭りが大変盛んだという。 あの厳格な国民がなぜ?と思ってしまうが、ドイツの人は陽気でビールを飲んだら、踊ったり歌ったりと騒いだりするのが大好きだそうである。 ロマンチック街道ぞいの町では、中世のその町にまつわるお話の歴史劇を町の人が演ずるような祭りも多い。 彼らは町に伝わるその町独特の話や歌や踊りを フランクフルト 大切に語り継いできたのだろう。そして、 これからもずっとそうやって子孫に伝えていくのだろう。自分たちの住む町を誇りに思いながら....。

 今回の旅を通して、ドイツには城あり、奥深い森あり、緑の平原あり、可愛い町あり、と何でもありのいわば、 ごちそうでいうならフルコースを毎日経験しているような気がしたものだ。 私のいろいろと思い描いていたドイツそのままがそこにあったり、また、 意外な一面も見られたりと、予想以上にすばらしいドイツに出会えてこの旅はほんとに良かったと思う。 旅の思い出は、いかなる場所であっても、その場所でその光景を見たり、その一瞬が心に焼きついているものである。 マールブルク それはまるでその光景を見る私の目がカメラのシャッターであるかのように、 その様子は永遠に変わらず、また心に残るのである。たとえば、その一場面は、 雨の降る中をホーエンツォレルン城から降りる瞬間かもしくは、 その城壁からはるか彼方を眺めている一瞬であったり、その時ひょうが降ってきたのを体験したりした、 まさにそのひとときなのである。ドイツにはまた行ってみたい。 まだまだ見ていない部分が多すぎるほどなので....。

(了)


私の文:スペースが少し残ってるので、つたない私の文でも。
ドイツで最も印象に残っているのは、紀行文にも出てきた、
“ホーエンツォレルン城”“カッセル”です。
前者は城の雰囲気、そして後者は芝生、です。
細かい事はさておき、ドイツは何もかもが綺麗でした。
町並みも、自然も、そして・・・。いいところです本当に・・・。

※えーと、写真のレイアウトが悪いかもしれませんが、勘弁してください。 また作りなおすかもしれません、このコーナーは。


戻る。