砂金掘り道具のカッチャを持っていないので、なにか代わりになるものはないかとホームセンターを物色していた。
目についたのは農具の”ホー”。用途には”畝上げ、草削り、種植え”と書いてある。そこで、H工業所の社長である
友人のTくんに電話して、素材や加工の可能性について尋ねてみた。なんと、親切にも手を貸してくれるとのこと。
さっそく、ステンレス製のホーを購入してH工業所へ。Tくんは、休日にもかかわらず仕事をしていた(Tくん、忙しい
最中、手を煩わせてしまってごめんなさい)。Tくんは、慣れた手つきでステンレスの板を切り、慎重に溶接してくれた。
そして、ホーはカッチャへと姿を変えた。オマケに柄の部分も90cmに切ってもらった。
手を貸してもらうどころか、なにからなにまでおんぶにだっこ。
Tくんは微笑んで、『素材が違うから割れるかも知れんよ。』
彼の笑顔は、付き合いの始まった35年前と変わらない。
Tくん、大切に使わせて頂きます!どうもありがとうございましたm(_ _)m
|
|
|
急に富士山を見てみたくなり、富山・石川と出かける予定を変更し、3月24日から26日の日程で
富士・甲府の旅に出かけた。(※ 3月25日には石川県を大きな地震が襲った。。。祈早期復興!)
初日はあいにくの天気で、目の前にあるはずの富士がまったく見えない。。。2日目の白糸の滝、ここでも
悪天候のため、ボ〜ッとした滝が見えたのみ。身延山久遠寺にも参拝したが相変わらず天気ははっきりしない。
ただ、満開のしだれ桜はそれなりに美しかった。
甲府に移動した3日目の朝、ホテルの窓から遠くに見える富士。”富士を近くで見たい!”急遽予定変更。
意を決してのロングドライブへ!
富士五湖を回る途中で、富士の4合目まで車で登った。(駐車場で出会った観光客の多くは中国から来られた
方々だった。)ようやく間近に見えた富士は、30年近く前にスケッチ旅行に来て以来の雄大なものだった。
それから、た〜っくさんの富士を眺めながら帰路についた。
身延山久遠寺のしだれ桜 桜は満開だったが天候はもうひとつ。 |
|
本栖湖 野口千円札のデザインにもなっているスポット。 残念ながら、逆さ富士とはいきませんでした。 |
|
野口千円の富士 |
|
|
納経帖のカバー 第一番の札所で購入。なんとなく収集の始まりを予感。。。
|
第一番札所 那智山 那智山 青岸渡寺
| |
第二番札所 紀三井寺 紀三井山 金剛宝寺
| |
第三番札所 粉河寺 風猛山 粉河寺
| |
第六番札所 壷阪寺 壷阪山 南法華寺
| |
第七番札所 岡寺 東光山 龍葢寺
|
結婚20周年ということで、妻とグァムへでも行こうかと思っていたら、娘達がついてくることになり、
結局国内、しかも交通費を浮かすために車で、という強行軍と相成った。
28日には神戸・南京町でおもちゃの清朝銭を見たが買う気にもならず、その日のうちに倉敷に突入。
翌日、チボリ公園に行ったが穴銭はあるわけナシ。夕方頃、抜け出して骨董屋で数枚の雑銭を入手。
そして、加古川のO氏に教えてもらった「ひがし田」で舌鼓。ナマモノも旨かったが白子の天ぷらは
なかなかのものだった。そしておきまりのアナゴの押し寿司。もう一度行きたいっ!
最終日、大原美術館の桜は綺麗だった。そして、美観地区での3軒目の骨董屋。暗い店内で古銭を見せてもらう。
おおーっ!さりげなくコインホルダーに収まっているのは、鉄銭ではなく銅銭の、しかも白銅質の仙台通寶ではないか!
『ぼ・せ・ん・だ・・・』しかもしかも800円!!!動揺を隠しつつ、あまりそれを見ないようにして
茶碗に入った数十枚の穴銭をほじる。古寛永の仙台銭、水戸銭、文銭の超きれいなものを拾いつつ、
さりげなくホルダーの母銭の仙台通寶とともに買う。
こういったときの娘(彼女はいつも骨董屋に付き合ってくれる)は敏感だ。
「お父さん、なにかいいものあったの?」
明るいところでホルダーを破ってみた。・・・。・・・。・・・。おもちゃだ・・・。
まぁ、いいか・・・。携帯のストラップにでもぶら下げておこう・・・。
帰りに大阪のS荘氏と落ち合おうと思ったら、中国自動車道で数台が絡む追突事故。
大渋滞を避けるため176号線に降りると大大大渋滞・・・。結局、S荘氏には会えずにフラフラになりながら
帰宅。あー、疲れた・・・。
きょうは妻と二人で、犬山の旧市街で開催された「おもしろそうだがや」に
行って来た。骨董店で古銭を!と期待して出かけたが、出店は手作りの店ばかりで骨董店は
なかった。古銭は見つからなかったけれど、おもしろい「馬の置物」を見つけ気に入って
買ってきた。。。。癒されるなぁ。
祭の地ビールに誘われて犬山祭に行ってきた。案の定「骨董市」が開かれていた。
予想通りである。今日の連れは鑑識眼のすばらしいS氏。最強のパートナーに「骨董市」。
こいつはおもしろくなってきた。
すかさずS氏が「鍔銭」を見つけた。2枚の天保銭と並べて陳列してある。お祭の骨董市で格安品はあまり
期待できないが、とにかく値段を聞いてみようとS氏。10000円以下なら買っちゃおう。
「すみません。この天保通寶はいくらですか?」
と、私。
「1000円です。」
と、おかみさん。まあまあの値段だなあ。本座広郭の美品である。するとS氏が、
「じゃ、これは?」
早くも鍔銭の値段を聞く。店主がやってきた。
「この古銭は高いよ。」
私、
「えっ?これお金なんですか?」
とりあえずとぼけてみる(館主はけっこう狡いのである)。
「これは『秋田鍔銭』といって珍しいモノだよ。18000円。」
「そうですか。お金なんだ。あ〜あ、高いもんですねぇ・・・。どうもありがとう。」
やはり、それなりの値段であった・・・。
次にS氏は箱に入った数百枚の穴銭を見つけた。彼曰く、「匂う」のだそうだ。人のいない時を見計らって、 S氏が古銭にかぶりつく。
「1枚100円。15枚で1000円だ。全部チェックしよう!」
さすがはS氏。ものすごい勢いで選銭を始める。古寛永を漁る。わたしは寛永通寶がさっぱり分からない。 呆然としている私に彼は、
「これは抜かれてないな。いいものがあるかも知れんよ。だいたい、 こういったロットには鐚銭があったりするものだ。・・・あ、はい。これは1000円はするよ。」
と、言って一枚の古寛永を手渡してくれた。たった1枚で元がとれた。しかも、鐚銭があるかも知れない とくれば、わたしも少しはやる気が出る。そして、一緒にかぶりつく。
・・・ったく、S氏は予言者か!?金質の赤い鐚銭が出てきた! 「熈寧・篆書」の鋳写しである。 彼の凄さをまざまざと見せつけられた・・・。
古寛永8枚と鐚銭1枚。それと小型50銭(T11)、半銭(M8)に5厘(M6・8)、一朱銀(なんちゃって?)2枚が 今回の収穫。そのあとS氏とふたりで、これらを肴に地ビールを飲みまくった。いやー、旨かったなー。
※ S氏の名前は明かせませんが、「S荘」氏とだけ書き加えておきます。これなら、きっと誰にも解らないはずだ。
きょうは体調が悪かったので遅くに出勤した。しかし、古銭は体調が悪くともながめることは
できるのである。状態のいい「重和様の政和」が届いたのに触発され、昼間、北宋銭と戯れていた。
「聖宋元寶の正字か。書体が整っているので好感が持てるな。」
などと、ひとりでブツブツ言っていた。2孔目の「正字」を見つけて、ふと、
「あれ、なんか違うな。」
じっくりルーペで見てみると、なんと北宋符合泉志の拓図と「宋」の文字が違うではないかっ!
おおー!新種だ、新種だ、新種だっ!!
何度も何度もルーペで確認し、拓本をとる準備をしつつ、目に留まった傍らにある「古泉大全」に
手を伸ばし・・・、
あれ?。
な〜んだ・・・。載ってるじゃないか・・・。「正字狭宋」だと〜。そういえば以前桜荘さんが、
『「符合泉志」の横に「古泉大全」を置いておかなアカンよ。』
と言っておられたなー。こういうことね。こんな調子で何度新種を発見したことやら・・・。
まったく「ひとりよがりの古銭館」である。
「明治二十八年、明治三十年、明治四十五年の円銀」も、買ってくればよかったな・・・。
やっと仕事も落ち着いたので、H皇帝を誘って再び大須骨董市に行ってきた。
「H皇帝」とは、Hな皇帝ではない。頭がHな皇帝・・・いやいや、頭文字がHで、皇帝という名で
HPを運営している若者である。そして、現在のところ、わが「シリウス」の個別担当主任である。
時間に厳しく朝に弱い彼と11時に犬山市を出発。大須に到着するころには、雨がザーザー・・・。
多くの店が片づけを始めていた。急いで「例の店」を探す。見つからない。今日は出店して
いないのだった・・・。こうなったら他の店で探そう。しばらく漁ってみる。例によって、
ありきたりの北宋銭、清朝銭、近代銭。おお、円足布がいっぱいあるな。きれいな緑青。
贋造品だ。値段を聞いてみると、1番小さいヤツで3000円。あとは5000円、7000円。
反首刀もあったが、値段を聞く気にもなれなかった。収穫は「ゼロ」であった・・・。
しかたなく大須商店街を二人でぶらつく。突然、H皇帝が「あっ、まっちゃんだっ!」と、
叫んだ。「まっちゃんって?」と聞くと、「マツムラですよ。」と彼。指さす方向を見てみると、
変な格好をした人のまわりに人垣ができている。おお、掛布のものまねのうまい「松村」さんで
ある。へ〜え、ほんものだ。古銭はニセモノだったがタレントはほんものだ。さっそくデジカメで
写真を撮った。骨董市のネタでHP更新をしようと持参してきたのである。
今度こそ骨董市で古銭をゲットしなければ・・・。来月9日は、「岐阜・金神社」で
骨董市があったはずだ。しかし、あそこも贋造品のオンパレード。収集の方向が
変わってしまいそうである。
忙しい仕事を無理矢理休んで、嫌がる妻子を連れて名古屋の大須の骨董市に行ってきた。
わたしは朝が弱いので、結局着いたのは3時前。片付けを始める店もあった。
大急ぎでまわって古銭を漁る。ありきたりの北宋銭、清朝銭、近代銭。こんなことなら
いつもお世話になってる古銭屋さんへ行けば良かったと、ちょっと後悔していた時、
一分銀や穴銭などを無造作に箱に入れて売っているお店があった。
期待もせずに穴銭を漁り始める。やはり、欲しいものはひとつもない。
一分銀の箱も気になってのぞいてみると、値段が500円である。なんかおかしい。
字体も変である。な〜んだ贋造品か。「なんちゃって」のページに載せるのも面白いかも知れない。
「なんちゃって一朱銀」もあるぞ。
できのいいのを選んでいると、店主の声が耳に入ってきた。
「・・・状態のいい貿易銀を7万円で仕入れたのに贋物だった。一万円で・・・」
どれどれと思い、店主の方に近づいていくと、「なんちゃって円銀・貿易銀」がたくさん
あるではないか。しかも、「なんちゃって円銀」は1000円。こっちの方がおもしろいな。
明治二十八年、明治三十年、明治四十五年・・・。「明治四十五年」なんて、
贋造の価値があるんだろうか。指ではじくと「ピーン」と張りのある音がする。
真鍮製の銀メッキなら「チーン」である。とりあえず銀製だな。なかには「カッ」
という音がするものもある。これは「錫」か「鉛」だ。あっ!明治十年だ。たとえ「なんちゃって」
でも明治初期の円銀なら買いだ。本物なら何万円もするはずだ。
ターゲットの穴銭には欲しいものがなかったが、おもしろいものが手に入ったと
悦に入って帰宅した。さっそくカタログを見てみると、なんと、明治十年に円銀は作られて
いなかったではないか!明治十年の円銀は存在しないのである!Woom!これは良心的な
贋造品なのだ・・・???。さっそく、HPの「贋造品・模造品」のコーナーにUPする
ことにした。恐るべし大須骨董市であった。
この日の収穫は「なんちゃって円銀明治十年」、「なんちゃって一分銀」、「なんちゃって一朱銀」
と、中国銅幣4枚であった。
久しぶりに名古屋の古銭即売会に行って来た。あまり規模は大きくはないが、なにか掘り出し物でもと 思い、娘を誘ってのデート。
初めに覗いた店では雑銭を丁寧にホルダーに入れて売っていた。私は以前、そういったものの中から
加治木の「背治洪武・闊武」を300円で掘り出したことがある。2匹目のドジョウを狙って
しばらくほじくる。娘も慣れた手つきでそれを手伝う。すかさず、店員の女性が近寄ってきて
「いらっしゃいませ。外国のきれいなコインもありますよ。」
近頃、古銭の即売会にも若い女性の店員が増えてきているのである。
「ぼくはアナセンを集めているんです。」
「は?」と店員さん。
「昔の、四角い穴のあいたお金です。」
「え?・・・あぁ・・・。・・・『和同開珎』なんかいかがですか?」
いきなり『和同開珎』をすすめられ少しひるむ。高価なのは百も承知である。
「そんな高いもん、買えませんよ。」
すると、店員さんは
「そんなに高くありませんよ。」
『和同開珎』の特価販売中かな。『高くない』と言い切る女性の勢いに、貧乏なわたしは顔をあげる
ことができなくなった。財布の中身は2〜3万。いくら安売りでも買えるわけがない。腐っても
『和同開珎』である。私は下を向いたまま、
「でも、10万円くらいはするんでしょ?」
「そんなにしませんよ!」
店員さんの口調が、少しきつくなったような気がした。仮に、超破格激安大大大特売で5万だとしても
買えない・・・。もはや、返事さえもできない。
落ち込んだ私を見て、店員さんは他のお客さんの方へ行ってしまった。
元気なく穴銭ほじりを続けていると、雑銭の中になんと『和同開珎』があるではないか!しかも、
未使用級の極美品なのである。しかもしかも、1500円!!な〜んだ、これのことか。
やっと顔をあげることができた。娘は私の表情の変化を敏感にとらえ、私の手にしている
『和同開珎』の入ったコインホルダーに書かれている文字を指さして、
「おとうさん、この漢字なんて読むの?」
「『模』だよ。学校で習ったでしょ?」
元気の出た私に気づき、例の店員さんがまたやって来た。
わたしは、
「これのことね。『和同開珎』。なかなか作りがいいですね。買おうかな。この模造品。」
驚いたことに、店員さんの言葉は
「模造品なんかじゃないですよ!」
「でも、ここに、模・・・」
私の言葉も聞かずに彼女はきびすを返して、
「社長、社長、これ模造品なんかじゃないですよねっ!」
奥からでてきた初老の男性が
「ん、模造品だよ。」
店員さん、絶句。今度は彼女が落ち込んでしまった。彼女はきっと、古銭をよく知らない
アルバイトだったんだろうな。
この日の収穫は、「千字文の光緒・背宇」、「咸豐元寶当百(河南寶河局)」、 「咸豐通寶当十(阿克蘇局)」、「宣統通寶(戸部寶泉局)」、状態のいい「蟻鼻銭」、そして 「なんちゃって和同開珎」となった次第である。
庭で錆びたクギ、空き缶、銀紙を掘り出しているばかりで、 ちゃんと金属探知器を試したくて仕方がない。友人のUくんを誘って、 岐阜県中津川市の「苗木城跡」へ出かけた。
彼は、わたしの古銭探しの話に、ニコニコ(いや、ニヤニヤ)しているばかりで、
金属探知器を信じていないのか、成果をまるで期待していないようだった。
あまい!彼は、わたしの「Alert Prospector X1」の実力を知らないのだ。
少しわかっていただこうと、庭で掘り出した錆びたクギ、空き缶、銀紙の話をしてみた。
しかし、彼の表情は、「微笑」から「嘲笑」に変化しようとしていた。
いかん、まったく逆効果であった・・・。そうだ、成功例を話すのだ!
そうだっ!山梨の「宏子さん」だっ!!
彼女が5時間で26枚の古銭(但し、現行貨を含む)を掘り出した話をしたら、彼は
「えーっ、本当ですか!」
ほら、やっぱり信じてなかった。
城跡に着くと、彼は趣味の写真も忘れ、金属探査に没頭していた。プップップププ・・・。
「ウワッ!きてるきてる!」
娘が幼い頃使っていた「ピンクのシャベル」で必死に土を掘り起こす。
「おおっ!クギだ!これは城に使ってあったものに違いない!」
と、彼。わたしは得意になり、自分の鼻の穴が少しふくらむのを感じた。
「おおっ!またクギだ!これも城に使ってあったものに違いない!」
「おおっ!今度は針金だ。これは違うな。」
「おっ、なんだ、チューブか。チョコレートが入ってたヤツだな。」
「飲み物の王冠だ。」「空き缶の錆びたヤツだ・・・」「クギだ・・・新しいものだ・・・」
「Uくん、場所を変えようか。どこかいいところ知らない?」
次はヒト気のない古めかしい神社。大きな杉がそびえ立っている。ここなら間違いなく
古銭の掘り出しができるだろう・・・きっと。神社の隅までくまなく探査に精を出す。
しかし、「Alert Prospector X1」はウンともスンともいわない、無口なヤツになってしまった。
電池切れかと思って金属に近づけると、ププーーーーーーとうるさい。
だんだん、大雑把な探査になってきた。すると、久々にプップップププ・・・。
「おおっ!丸いぞ!穴も空いてる!!・・・5円玉かな?」
「いや、これはナットを締めるときに使うワッシャーだな・・・」
Uくんは、
「古銭じゃなくてもいい。10円玉でも見つからないかな・・・。」
と、言い出す始末。
「Uくん、場所を変えようか・・・。」
近くに寺の跡地があるらしかったが、見つからず探査終了。彼は、
「これ、ホントに古銭に反応するんですか?」
と言いながら、10円玉を道にころがし「Alert Prospector X1」をその上にかぶせた。わずか
3〜4cmでやっとプップップププ・・・。しばし二人は沈黙した。
彼はその日の夜、「古銭館掲示板」に書き込みをした。
『性能の良い金属探知器を手に入れるため頑張って貯金して下さいませ。』
日曜日なので、友人のO氏と岐阜県の骨董店に出かけた。わたしの
ターゲットはもちろん穴銭である。
幸運にも、ある寺から出たという古銭数百枚があった。ただ、この店は
前回、1枚200円だった。ちょっと高い。しかし、店主は古銭の入っている
壺を新聞紙の上にひっくり返して、「ゆっくり見ていってください。」と言う。
よーし、ゆっくり見させてもらおう。
寛永通寶の文銭が多い。まさか、「島屋文」なんて無いよな。「退点文」の
きれいなものでもないかな。「入文」でもいい。おや、洪武通寶も多いぞ。
あ、「背浙重点通」だ。あ、またあった。お、「背北平」もあるぞ。日本鋳は
ないかな。「背二十一波」の四文銭もたくさんある。「長尾寛」は?
開元通寶も目立つ。北宋銭、明銭や清朝銭もあるな。それにしても
永楽通寶が1枚もないぞ。
1時間ほど古銭とじゃれあっていたら、妙にきれいな黄色い文銭が出てきた。
「磨いたのかな?」と思いつつ手に取ってみると、肌がきめ細かい。
郭が正しい。文字がしっかりしている。母銭だ!種銭というヤツだ。
内郭も整っている!ドキドキ!どうしよう。1枚200円だ。店主、
気付くかな?よし、2、30枚買って気付かれないようにしよう。
ちょうど店主が居眠りしているではないか・・・と、思ったら起・き・た。
とりあえず奥さんらしき人に渡してお金を払おう、と思ったら店主の前に
並べ始めた。店主、寝ぼけながら、「ちょうど30枚だね。」奥さん、
「このあいだと同じ価格で。」6000円ならよしだ。1万円を渡すと
1000円のおつり。おお、奥さん、1枚300円で計算してる!
まあいいか。母銭入りだ。
帰りの喫茶店でゆっくり「母銭」を見る。あれ、ちょっと小さいしイビツだなあ。
あ、縁が削ってあるぞ!ショック!並品以下ではないか!
しかし、「母銭」ならいいとしよう。でも待てよ。本当に「母銭」かな。
わたしはまだ「母銭」を1枚も持っていない。こんなに黄色いものかな。
なんと自分は「母銭」の金質も知らないではないか!違うかも知れない。
9000円あれば、お気に入りの「清朝・天命通寶」が買えたのに・・・。
信じるしかない。そうだ、今日わたしが買ったのはたぶん「母銭」だろう。
いや、きっと「母銭」だ。「母銭」にちがいない。
さて、こいつを肴に飲む酒は、甘いか辛いかわからないけど、しばらく
肴にはなりそうだ。
5月いっぱいで退職した会社から、「人が足りないので1日だけバイト
して欲しい。」と依頼があった。久しぶりに行ってみると、懐かしい
仲間達の顔があった。その部屋には、F氏、S氏、M氏がいて、
空いていたT氏の席にひとまず座った。
「T氏がいないね。どうしたの?」
と、尋ねると、
「Tさんは風邪をひいてお休みです。」
と、F氏。
「よく風邪をひく人だったからなあ。」
と、私。
そんなところへやってきた、遭いたくなかったO氏。わたしの顔を見て
何を言うのかなと、ちょっと楽しみで見ていたら、スッとかわして去っていった。
こんなもんなのかなと妙に納得していると、25才くらいの新人らしい男性の社員。
「あんた、前にここにいたの?」
初対面にしては、ぶっきらぼうな第一声だった。少しムッとして、
「あなたは何歳なんですか?」
と、わたし。
「26だけど。」
と、彼。
『不遜!』
それからわたしは、優しく優しく優し〜く彼にご注意申し上げました。
ふと目が覚めて、『Woooooom!』と唸り、こんなわたしにも
愛社精神のかけらがあったんだなぁと思い、ジワジワとこみ上げてくるものを
感じた次第である。独立してしまった今、彼らに迷惑がかからないよう、新しい顧客の開拓に
全力を投じていきたいと誓う今日この頃である。
妻が参加しているソフトバレーボールのチーム「秋桜」に紛れ込んで、今日、試合に
出た。二十歳くらいの若者が、軽やかにジャンプして容赦のないスパイクを
打ち込んでくる。四肢は細く長く、髪は茶色。
年配の選手の多くは背が低い。四肢は短く、
ジャンプなど、しているようなしていないような。なかには、ボンレスハムが
ユニフォームを着ているかのごとく、しっかりと空間を大きく占有している女性もいた。
同じ日本人か。いや、その感覚が古いのか。しかし、明らかに人種が違うのである。
「人種のルツボ・・・」そんな言葉が頭をかすめる。
ひとりの南米系の選手を除き、他はすべて日本人か、とにかく、
アジア人なのである。同属なのである。しかし、シカシ、ジンシュが違うのである。
たかが2、30年の違いで、ヒトの形態がかくも変化しうるものなのか。
ダーウィン、ラ・マルク、ド・フリース達にこの進化の速さを見せてやりたい。
日本語が通じることを信じて、最も進化していると思われる若者に話しかけてみた。
館主「すごいね、君。へそがネットより上にでるくらいジャンプしてたよ。」
若者「そんなにジャンプしてませんよ。でも、ぼくは、小、中、高と
バレーをやってたんです。みなさん、楽しそうにプレーしていらっしゃるので、
ぼくも楽しいです。お手柔らかにお願いします。」
日本語が通じるどころか、敬語も使えるし、謙遜も忘れてはいない。日本人であった。 清々しい青年の言葉であった。少しうれしくなって、気持ちも体も軽くなり、 次の試合では、自分のジャンプが3cm程高くなったような気がした。