2005年8月11日(木)〜20日(土)
前半のことはあんまし覚えてない。記録しなくなると、こうして人生のページが少しずつ零れ落ちていく。しかし、それすらどうでもよくなってしまったのだろうか。
それなりの人生になってきたということなのか、単に堕落しただけなのか、なげただけなのか、それすらも分からない。
ただ、ここはもはや日記としての役割を終えつつあるということだけは分かってきた。もうだめなんだ。
さて、ついでに小笠原の旅行記を貼り付けてみるか。日記という場に適当に旅行記を貼り付ける。やはりもうここは終わっている。
2005年8月15日
徹夜明け。けだるい暑さの中、重い荷物を載せた自転車をこいで最寄の駅へと向かう。中途半端に暑い日差しが照りつける中、エレベータを使用するが、それでも足はなえがちだ。
盆休みまだあけやらぬこともあって、比較的空いた電車を3本乗り継いで浜松町駅を降りる。微妙な距離をタクシーでつないで竹芝埠頭へと。
やはり時刻の割に暑くなった空気を浴びながら、乗船手続きの場所へと赴く。せっかくの屋内にもかかわらず、冷房が一切効いていないというところにケチさがあふれ出している。ここあたりに独占で高い料金を取る東海汽船グループの商売の黒さを見させてくれる。何せ国内唯一の長距離黒字路線であり、料金は通常の国内船舶路線の3倍以上。いくら独占とはいえ、ここまでするとは。おまけにそこまでとるくせして、設備面では他の路線に比べてはるかに劣る。
受け取った番号は251から253番。101番以降の番号はおそらく、受け付けられた順番を意味していたと考えられた。この順番というわけではないが、100番区切りで乗船順番が決定されることを後に知る。番号としては比較的早いほうではあるが、ここあたりが2番客船ではややギリギリのところに位置していたようだ。これの受付が終わったのが大体8時50分ぐらい。1時間10分ぐらい前ではないと、Cフロアを確保できないのかもしれない。
父の買い物に付き合って至近のコンビニへ。氷と柿ピーのみ。セブンイレブンのようなメジャーなところならばおいしそうな食料に出会えた可能性が高かったのだが、あいにくコンビニがそう都合良くはないのが残念だ。ローカルチックなコンビニに相応な品揃えで食欲がわいてこない。家の近くのコンビニで買ってくればよかった。
戻って少し、9時10分に乗船手続きが開始される。このときに並ばせるところが日差しを受ける真っ只中の広場だ。熱中症で倒れる人が出てきてもおかしくないが、よくこういうことを平気でやるもんだなと大変感心した。さすが殿様商売してるだけのことはある。客をカモと見て運営してもおつりが出るんじゃしょうがないのだろう。
暑さの中、行軍を終えてようやく整理券と区画の券との交換。ようやく中に入ったが、エンジンがかかっていないので冷房も然り。おまけに寝る場所の狭さを見て唖然とした。サンライズエキスプレスのノビノビ座席((JR285系 http://jr-central.co.jp/museum/zukan/z_to_285.html))よりもはるかに狭いのだ。おまけに圧倒的に安っぽい毛布と枕。これはかなりきつい。
そんな状態で外から中に入ってきて暑いので、先ほど買ってきた氷が大活躍だった。暑くて早速ぐったりしていたところに氷。これは夏の船には必須だろう。
乗船は早いくせに出発はそれほど早くないので、適当にだらだらすごして出発の時刻に合った頃合でデッキに出た。ようやく出発すると、レインボーブリッジの手前でUターンして本格的に走り始めた。お台場の前に差し掛かると、フジテレビあたりが主催していると思われるメリーゴーランド号とすれ違う。こんなことやってたのか、フジテレビ。
逆方向の看板に出ると、長々と続く物流の基地だった。大きな貨物船が横付けされ、巨大なクレーンで荷物を運んでいる。こうやって物が動いているのかと思える光景だけれども、船の上じゃないとなかなか見れない風景。あのなかに密航者とかがいてもおかしくないだろうし、そのために検査官という仕事もあるのかな、なんて思っていた。世の中深いね。
外に出ていると暑くなってきたので、雑魚寝部屋に戻ってみた。ようやく冷房が効き始めているが、やはり氷を利用して体を冷やす。
11時に早めの食事へ。私はラーメン、母は冷やし中華、父はハンバーグ定食。どれもこれもまさに食堂らしい超標準的な味で、可も不可もないとはこのことか。しかしラーメンに入っているカンメンの強力さは健在で、一気に腹の具合が悪くなった。とりあえず徹夜ということもあるので、腹の具合の悪さをごまかすべく、この後寝ることにした。
再び目覚めたのは5時。とりあえず外に出てみようという提案があったのだが、とりあえず座るだけで結構揺れを感じる。外海に出ている間にゆれるようになったようだ。結構気持ち悪いなと思っていたのだが、そのうちにこれが船酔いということを後に知る。
外に出ると当然そこにはただ海があるのみ。だから何なんだという印象なのだが、父としては結構面白いものらしい。しかし調子が悪いなぁ、という感じだが、次第に悪くなってきた。そして日没ぐらいの時刻に出るとなると、さらにきつくなってきた。いよいよか。どうも昼食べたラーメンが状態をさらに悪化させたっぽい。
苦しかったが、8時ぐらいにとりあえず食事のテーブルに着いた。ご飯と味噌汁とプリンを買って、ふらふらしながら席についた。かなり具合が悪かったが、猫飯にして食べたらこれはまともな食事となってすんなり受け入れられた。プリンは食堂のものの中では一番コストパフォーマンスが高いと見た。唯一標準を上回るおいしさ。これに関しては恐れ入った。
それでもやはり苦しく。戻って再び寝る。22時半に再び起きたら雑魚寝部屋はすでに消灯時間。少し状態が良くなっていたので外に出た。しかし2階層上がらなければならないので、やはりふらふら。外は月明かりと雲で、地平線が見えるがやはり暗い。船内のベンチで少し携帯の文章を読んだら、気分が悪くなってきたので、結局は雑魚寝部屋へと戻った。
2005年8月16日
再び起きると今度は3時半。再び寝て起きると今度は5時ぐらい。そろそろ日の出る按配かなと思って小さな窓からもれる光に着目していると、次第に明るくなってきた。体調はあまり悪くないがとりあえず外へ。曇り気味だったので地平線から出る太陽は拝めなかったが、とりあえず目で見る日の出はこの目で見れた。しかしすっかり体調を崩したようで、船内の椅子でぐったりしていた。這い這いの体で雑魚寝部屋に戻ると、寝るのが疲れていたけれども寝るしかなかった。相変わらずエンジンの高周波と船の低周波振動が苦しめる。しかし避ける道はいまだになく。
8時に朝飯へ。後もう少しだと思いつつ、絶対吐いてなるものかと3度目の食事。気持ち悪いながらも、おかゆと味噌汁と卵、分けてもらった豆腐と大根おろしと納豆をそれぞれ食した。やはり気持ち悪いの一言だが、エネルギーの補給なしには持たない。
やはり寝て吉報をただ待つのみ。一時的に父につられて甲板まで行って蒼い海を見たが、やはり厳しい。
寝て次に起きると、ようやく揺れは収まっていた。湾に入ってきたのだ。揺れが収まるとともに、体調はようやく回復した。
さっさと降りようとする人の列が短くなるのを待ってから下船。しかし列が少し短くなるぐらいで、まもなく下船作業を終了するという放送はこれいかに。
外は日差しが眩しく、南に来たのだと思わせるが、どうにも実感はわかない。とりあえず民宿の「ささもと」の看板を探してあんばいを聞いてから、ターミナルの座席で少し待つ。そうやって宿屋が出迎えてくれるのが小笠原の仕組み。そうして出発となるわけだけれども、入船日特有のメインストリート渋滞。まさにこの日にしか存在しないものだろう。
場所は近いのですぐに到着。広さは調査済みなので問題なし。しかし、コップがない、ティッシュがない、ドライヤーがない、脱衣所がない、とってつけたような階段、なぜかキッチンがある、などなどの問題を抱えていた。ほんの少しで何とかなるレベルなのに、なんだかなぁ。別館というけれど、単に物置を改修したとか、そういうレベルじゃないのか、これは。
とりあえず場所を確保したところで、父が確保しておいたレンタカー屋さんがやってきた。ひとまずは車のために抜けて、父とともに迎えの車に乗り込んだ。場所はやや離れた奥村地区からさらに山道を少し入ったところにあった。種々の作業の間にテレビを見ると、宮城県で震度6弱という地震情報と津波注意報が入ってきていた。
とりあえずの半日レンタル。恐る恐る運転を開始。車こそ少ないが、人が多いので慎重に宿の近くの国営駐車場に持ってくる。
そしてとりあえず昼食。父がめぼしをつけていた店まで車を使っていこうということになったのだが、場所がわからずに苦労した。おまけに一本違う道に入って一気に三日月山のほうの道にまで。そこからはなかなか市街を良く見渡せる。
結局その店には見切りをつけて、島鮨というすし屋で1500円のメニューを頼んだ。が、たった9個で内容が貧弱というなっていない展開に早速がっくり来た。それでも食べたので、早くもう腹が反応。わかりやすい。
免許取りたての母に少し運転させて、またスーパーへ。買い忘れていた氷を購入。さらに父に必要なビールを購入、というところで準備が整う。
まずは宮之浜へと向かう。迷って三日月山方面に行ってしまったので、せっかくなのでそちらからという話になり、山道を登って気象ドーム、三日月山展望台に到着する。てっぺんの展望台は、ウェザーステーションという場所になっているようだ。南島から兄島まで西のほうはあらかた見渡せる。展望に恵まれた景観がすばらしい。海の独特の色合い、島に生える緑の彩りなど、見事なものだ。
山を降りて今度こそ宮之浜へ。やはりアップダウンが激しいが、本村から近くであるけれども水が非常にきれいだ。またサンゴの死骸が美しい。しばしゆっくりと。その間に、オオヤドカリを一匹発見。昔はうじゃうじゃいたというが、相当激減したのだろう。この後、車のある場所で見かけたのはここだけだった。父的には、ここでもぐって見る予定だったので、天気がいい今日からもって来るべきだったと悔しがっていた。
ようやく本題。まずは東回りの山道を走る。幾度となくカーブを曲がりながら坂道を登っていく。次第に風景は遠景を中心としたものとなり、父島の市街地から離れて東側の海岸が見える展望台に入ってきた。ここからは孤立しているように見える東島や兄島が見通せる。兄島との間の潮流は眼で見えるほど速い。近いところは500mと離れていないが、近づくのはそれなりに面倒だろう。
少し進むと気象台の何かがあったが良くわからない。さらにはロケットの追跡のためのレーザー観測所みたいなのがあったけれど、これも実はよくわからない。
途中で二宮金太郎の石像があって、これが首なしになっている。これは逸話があるようだが省略。ついでに日本軍の旧施設など。ここから少し横に入ると初寝浦の展望台となっていた。白い砂浜が美しく弧を描いているのが美しい。
少し進み、巽道路と呼ばれる行き止まりの道へといってみた。こちらがどこまで行っているのかと思って走ったのだが、それなりに距離がある。書かれているよりも伸びている可能性は多少あるかもしれない。あと、行き止まりからは歩道が延びているが、地形図には一切記載されていないのが厄介だ。この日はこれを確認しただけでそのまま山を再び下る。仮に空港ができることになれば、ここあたりに建設されることになるだろう。ここあたりで山を切り崩すのは、地質的な感覚からすると結構危険を伴いそうな感じがする。もちろん調査済みなので問題はないのだろうけれど、仮に完成済みの高速船が廃棄処分になった場合、ここあたりが再燃する可能性は無きにしも非ずかな。
山を下るとトンネル。地形図に出ていない新しいトンネル。トンネルを抜けると突き当たって比較的大きな道路。ここからコペペ海岸に向かった。砂海岸で、少々眩しい。それでももう夕方の陽になっている。少しゆっくりとしてから出発。
さらに洲崎へ。ここは最後のほうが砂利道になっていて厄介。少し磯っぽくなっていたが、砂が中心の海岸であることに変わりはない。比較的石が多く見られるのも特徴か。
ここもゆっくりとしているうちにさらに日はかげり、そろそろ帰らなければならない。母に運転を代えて、メインストリートを夕日が行くのを見ながら帰ってきた。ちょうど奥村まで戻ってきたところで父の携帯がなった。レンタルしていたところから催促が来たのだ。予定を違うようだが、どうも打合せがうまくいっていなかったのか、あるいはこちらの事を聞いていなかったのか、そこは良くわからない。
とりあえず目の前の交差点を曲がって整備場に車を入れる。打ち合わせの人が何かちゃんと話を聞いていてくれなかったのかなぁと思えるが、最初っから十分に回った感があってそれなりに満足。送ってもらうともう6時。
そして夕食。何かさえない料理だなぁ、と思いながら食べる。量自体は少なくないのでよろしい。でも何にも工夫が感じられないのはなんとも。この料理の意味合いはそのうちわかってくる。
夜に出かけると、生協は優秀なことに8時まで開いていた。いくつか滞在時に必要になりそうなものを買い求め、のんびりと戻った。
脱衣所がないゆえにどのように入るかの問題がいろいろとあったのだが、それでも早めの眠りについていった。
2005年8月17日
目覚めれば6時50分。食事の時間までもう少しというところで半分眠りながら適当に。朝食は極めて貧弱ではあったが、ご飯はいくら食べても良いので、多めに食べておく。どうも鮮度がない食事ばかりで、結論としては手間を抜くことに命をかけた食事であるということだ。インスタント味噌汁、作りおきのキャベツサラダ、漬物、袋に入ったのり、干物みたいな魚、というような具合である。昼食の用意について聞いてみたら、生協がやってますので、と一声に伏された。
食後は生協へと。朝7時からやっているというのがすばらしいが、弁当もその時間から売っていた。弁当がおいしそうなのでそれを購入し、それに加えておにぎりなど。そうやって、それぞれが自身に合わせた食事を用意した。
戻って少しのんびりとすると、レンタカー会社からの迎えが来た。ここで迎えに来た兄ちゃんの急加速急減速運転で一気に消耗した。停止して安心したらしゃっくりが止まらなくなった。まったくもって厄介だ。
部屋に戻ってから、まず今回は巽道路末端から西海岸を目指すルートを探すことにした。末端は比較的東側の海岸に近く、加えて道路も比較的整備されているので、うまくすれば楽に海岸に降りられる。問題はどの地図にも道が記されていないということだ。かなり厄介な部類といっていいだろう。地形図と海岸線の比較による簡単な方向予測が唯一の頼りだ。しかし、これはとんでもない挑戦だったということが後々分かってくる。
車を走らせると15分程度でその場所にまでたどり着ける。炎天下に車を置くのは気が引けるがやむをえない。
比較的太い道をひたすら下っていくことになる。道から多く見えた道は鳥島の北側の海で、少しだけ見えた海は実のところ遠くに巽湾を見ている形だったみたいなのだが、そのときには特に興味をもてなかった。ただ単に向かう先が海の方向であればよかったのだ。
しばしひたすら下るけれども、坂は非常に緩やか。そしてちょうど上り坂に達するところで分岐があり、片方は狭いけれども海のほうに降りているように見えた。そこで分岐に安易に入ったのが間違いだった。ひたすら視界の悪いジャングルの中を進む行軍となり、最終的に道は途絶えた。これに至るまで分岐から10分強。面倒な時間消費となってしまった。同じ以上の時間をかけて道まで戻る羽目に。
道を戻って、ぬかるみのところから直進するルートに戻るとしばらくは上り坂。上り坂をしばし行ったところで、途中に林に関する看板があり、そこから巽島方向を見ることが可能になった。風景としては鳥山が見えるぐらい。下のほうはおそらく東海岸と中海岸だろうと思われた。そしてその先は下りていくと思われたが、実際にどこに下りていくかまではわからなかった。すでに時間的には絶望的なので、戻ることに。それにしても相当な距離になるようだが、一体どのようなルートになっていたのだろう。それはその後境浦海岸にある地図で、そのままかなり西進して滝のあたりから来るルートと合流して西海岸に下るようだった。まだまだ全然遠かったらしい。
戻る途中で横に少し出たところ、展望のよい場所に出た。溶岩質の岩と松による土壌でなっており、南の方向あたりの湾か湖や山・海を見た。日か翳っているうちはわーいと楽しんでいたのだが、差し始めると猛烈に暑くすぐに退散した。そこあたりから景色が見えたということは、結構複雑な地形だったこともあるので巽湾のほうだったかもしれないが、まったく自信がない。なにせ写真と地図がうまく一致しないのだ。
結局最深部から戻ってくるまで30分程度。15分程度かけて車でいったん宿へ戻ることになる。
ひとまずの昼食。昼用に買っておいた弁当やおにぎり類を冷房の効いた部屋で食べられるというのはそれだけでもありがたい。生協のお弁当は絶品で、もうここ以外で買うというか食べるというのはありえない感じ。生協の仕事が何気に神がかっている。
食事を終えた後は、次に初寝浦を目指す。やはりバスの来ない場所から下っていくしかない。というわけで夜明道路を進んで遊歩道入り口まで。停める場所は日陰にしたので、帰りは入るのに四苦八苦することはなさそうだなということで少し安心。
遊歩道は最初上り坂が続くが、次第に下り坂が続く。太陽が真上なので日差しが直接降り注いで暑い。それなりに歩いて、ようやく広場のある休憩場所。ここには屋根つきの休憩場所があるのがありがたい。ここからかなり高い場所で東島なども見えるが、それ以上に想像以上に下まであることもうかがわせた。
ここからがどうやら本番の下り。思った以上に長い行程になりそうだった。すでにそれなりに消耗していただけあって、ここから先に断崖に近い勾配をうねうね下っていくのは想像以上遠く、まだかまだかという感じで降りていく。下りても下りても下っているという感じがしないほどの高低差があったようだ。下から3分の1ぐらいでベンチの休憩所があるぐらいで、他に休憩場所もないというのも面倒。途中でヤドカリがいたのに、そこからどんどん下る必要がある。波の音が聞こえるのが最初から3分の1ぐらいの地点だろうか。エメラルドグリーンの水が見えるのが半分ぐらいの地点だろうか。そんな感じで近くなったと思わせておいて、全然遠いのだ。
結局最後は踏ん張りがきかなくなるほど、足ががくがく。初寝浦は想像以上に人を寄せ付けない場所で、所要時間はガイドにある30分というのは大嘘。45分かかった。1.2kmという言葉にだまされると痛い目見る。でも、巽湾のあたりの3つの海岸は、全部これ以上に面倒なのだそうだ。
初寝浦には当然人は誰もいず、貸切というかプライベートビーチ状態。でも透明度が特に高いというわけでもなく、結構普通な感じの広い白い砂浜。この大変さを考えたら、おそらくここに来ることは二度とないだろう。ここまでしなくとも、車だけでいけるきれいな海岸がいくらでもあるからだ。父はまだ元気があったのか、シュノーケリングをやっていた。よくやる。私は私で適当なところまでいって写真を撮ったりしてた。ここはまだヤドカリがそれなりに生き残っていた。あと登山道ではタコの木とか、いろいろな植物が見れたのは収穫だったな。
帰りはその急勾配を一気に上ることになる。一気に汗だらだらで心臓バクバク。200m以上の勾配を30分程度で上ってきたが、よくそれだけで登れたものだなと思えた。上れないかと思ったとは、母の弁でもある。さらにそこから道まで15分。途中休憩を入れたとはいえ、遠かった。遠すぎた。そして消耗した。飲み物が足りなくなるかと本気で心配した。
そして予定が狂った。すでに時刻は3時45分。父を宮之浜へ送らなくてはいけないので、そのまま運転して一気に向かう。ここまで歩いてさらにシュノーケリングとはたいした体力だ。
私たちはいったん戻り、着替え類の整理や栄養分の補給などを行ってから所定の時間に父を迎えに宮之浜へ。ここのサンゴの死骸の多さは相変わらずだが、想像ほど生きた珊瑚がいるというわけでもないそうだ。波が静かな割には、深さは相当なものらしい。
お土産用の石も適当に集まったので、次に三ヶ月山展望台へ。日没を見ようと人が集まっていて、歩きや自転車や原付や車でかなりいっぱいいっぱいになっていた。早めに来て正解だったか。帰りは結構危なそう。っていうか歩きとか自転車で来る人とか、なかなかやる。信じられない。
6時には日没するという速い展開に驚いたが、これで早く帰ることができる。ちょっと暗くなった道を、ライトをつけながらカーブを描いて一気に下って戻ってきた。すでに食事の時間だが、相変わらず手抜きなのだな、これが。
食後は生協に行って生活用品などを買い足し、帰ってきたら風呂に順番に入って後は寝るのみ。10時過ぎの就寝となった。
2005年8月18日
みな相当疲れたようで、しっかりと眠れたようだ。
日の出を見るという約束があったので、5時前に起きた父に起こされて外に出るとすでに相当明るかった。これは間に合わないだろうと思いながらも、5時少し過ぎに出発。道路も車も朝露でぬれていた。250m急の坂をカーブしながら上って旭山付近の展望台まで。雲に隠れて日はまだ出ていなかったが、まもなく始まった。そして海上に赤い光の橋を渡らせていく。
陽が終わると後はゆっくりと戻るのみ。いろいろと展望の良いところがあるので、少しずつ見るが、下りなので結構速く下に戻ってきた。これによる所要時間、大体40分程度。これから下にまで日が達すると一気に暑くなるのだろう。
のんびりとしている間に朝食の時間。相変わらず、如何に手間をかけないようにして作るかを目的にして作られた料理だ。良くぞここまでその方向で探求できるものだと感心する。
食後に生協に出かけると、すでに握り飯弁当は売切れていて、代わりに普通の弁当を購入。
次にガソリンスタンドへと向かい、給油。リッター210円というのが強烈。60kmちょっとで8リッターの1680円も取られた。そして返しに行ってとりあえず午前の業務完了。
しばし眠ってのんびりとしていたら、9時半。いつの間にかレンタカーの手配ができていないことをいぶかしく思った父が起きてきて行くことになった。今度は別の場所でのレンタルで、軽自動車。この方がレンタル料金が半分で済む。所詮は大して動くつもりもなかったので、これで十分なのだった。
レンタルして戻ってきて用意してまず出発したのは、境浦海岸。停める場所は午前中のうちは日陰になっていなくて、炎天下に停めた上、炎天下の舗装道路を海岸まで下っていく。下はやはり砂の海岸となっていて、枝サンゴの死骸が多く見かけられた。沈没した濱江丸は相当に崩壊していて、すでに船の面影を見ることができない状態になってしまっている。60年もたつとそうなるのだろう。35年前にきた両親の話によると、少なくとも当時は船と認識できる程度ではあったそうだ。
サンゴの石を探すだけで十分に時間はつぶれ、次の目的地、小港海岸へ。途中までは中央線がある分何とかなりそうな感じだったのだが、最後はかなり狭くなっていた。左側に川が、右側に断崖がという状態になっている。道路を作るためにマングローブ林を伐採したのだろう。それが文明というものなのだと納得。それでもマングローブ林を直接目で見られたというのが感動的。
ロータリーが見えてきたので終点が判明。少し戻った場所に停め、少し散策へ。白い砂浜が広く広がる小港海岸だが、陽から逃げられる場所がまったくないため、すぐに退散せざるを得なかった。海岸というか砂浜が広がっているという母の話を考えるに、どうやら木を伐採して砂浜を広げたのではないかという疑い有り。売店もあり、最終のバスも平日は6時30分、休日での5時。それなりに人が来るということなのかも。
暑くて疲れたのでさっさと帰ることに。のんびりと最初走っていたら、出発したときには乗客を降ろしていたであろうバスが早くも追いついてきて半分あおられるような形になった。スピードがほとんど出ない軽ではこれはつらい。おまけに早く走るとよく揺れてくれるので疲れるのだ。視界が良くて細かな動きの制御にはらくだが、それなりに弱点があるものなのだなということを改めて実感。いろいろと車に応じた特性があるものなのだ。
部屋での食事となったが、相変わらず生協の弁当がすばらしいの一言。おかずのバランス、味付け、すべてよし。おまけに安いとは。まったくよくできている。たいしたものだ。
食事を終えると父をコペペ海岸へと送り出す。途中漁協に寄ったのだが、大体の都合がわかった。漁船ごとに入ってきて水揚げされるので、午後ではあっても時間は一定しないようだ。伊勢海老を狙っていた父であったが、10月以降らしく、時期ではないらしい。
道を戻って再び目的地へ。それにしても、いい加減同じ道ばかり走っているのでうんざりだ。おまけによく揺れるというのがさらにうんざりする。
戻ってきて疲れてぐったりだが、出発前日なのでお土産を買いにでた。ラテライトの土を利用した焼き物などには目を奪われたがそれなりに高いのでやめておく。代わりにお手軽な塩キャンディを買ってみた。いかにもお土産らしくていい。ついでに生協に寄って少し購入。生協にはお世話になりっぱなしだ。
戻ってきて少ししたところでまたも出迎えに戻る。またも同じ道でうんざり。さらに揺れるのでさらにうんざり。さらに帰りはもっとうんざり。途中の工事現場の真っ赤な土を見られるのが少し目に付く程度。いい加減飽きる。
そして適当な釣り場へと向かう。場所は母島丸の停泊場の先端部ということになったらしい。降ろして駐車場に戻ると、少し部屋に戻る。
少しして今までいっていないところに行ってしまおうという話を持ち出して母を連れ出す。まずは大根岬方面へ車を走らせて見た。全然車がこなさそうだったけれども、やはり車が来ない。途中墓のところで行き止まりとなっていたが、逆側の断崖絶壁がなかなかすごい。ついでに近くにある公園にも出向いたのだが、整備費用が公共事業費の無駄に見えるような人影のなさ。ここにも墓があるけれども、やはりそれが村の中心部が見える場所に立てられていることがわかる。結局墓を作るのは、その人のエゴみたいなものがあるのかなぁ、などとこういうのを見て思ってしまった。
さらに釣浜にも行ってみようということで少し車を走らせてみた。そうすると走っているうちに土砂降りとなった。南国らしいスコールで、少しするとやんだ。そうするとそれほど地面が冷め切らない程度の雨だったので、地面から湯気が立ち上る。車の中との温度差もあり、窓が一気に曇った。南国チックな風景だ。釣浜へは途中から遊歩道300mとの事だが、昨日の初寝浦が200m以上の勾配で600mなので話にならないし、雨の後なので今回はキャンセル。戻る道はいまだに湯気を立てていたが、次第にこれも見えなくなりそうな感じだった。
戻って駐車場に車を置き、ついでに近くの海岸へと出向いた。カエルが山のように死骸をさらしていたという35年前の面影はどこへやらというほどの整備具合で、人のくる割合も多いのか相当踏み荒らされて少し汚れが目立つ。それでも海の色と砂の色はやはり美しいエメラルドグリーン。南の海は太陽の日差しですべてが脱色されていくということなのだろうか。
ついでに父に電話して現況を聞いてみる。そして出向いてみる。釣りのほうは順調のようで、到着してみたところ思った以上につれているようだった。1時間ちょっとで4匹もつれていて、おまけに比較的大物が二つ。磯釣りでこのレベルというのはたいしたものだろうとおもうのは、日頃から釣りの成果を聞いているのでそう思うわけだが。これらは釣りの終了とともに開放された。相変わらず釣りが終わると臭すぎる父。餌が猛烈に臭いらしいが…。車に臭いが移る…。
レンタカーを返却。いろいろとしている間に、南国のレモンをいただいた。かなりいい柑橘系のにおいがする。
返却が終わって時間となって夕食。最後ということなのか、料理は多少お金がかかっていた。島寿司があるなど一応そういうところに見え隠れしている。が、それでもいかにして手を抜いて作るかを主眼に置いた食事となっていた。さすがだなぁ。
食事が終わったところで明日は時間がないのでいろいろと片付けて荷物を整える作業。一時眠って体力を測るなど、今日も結構疲れたらしい。暑かったのもそれなりに影響しているのだろう。
3人が風呂に入ると、後は残った時間を如何にして使うかななどと考える私、寝る母、別室の父は何を思うか。
とりあえず私は0時過ぎまで文章を適当に書き、寝た。
2005年8月19日
6時起床。着替えを終えるととりあえず出発の準備は完了し、手持ち無沙汰な状態となってしまった。それはそれで結構なのだが、寝てしまうというのもありえないし、それまでの時間の過ごし方が難しい。
7時に生協に並ぶまで、外をぶらつくことで母と同意。海岸に出ると朝日の適度な差し込みで海岸と水の色が非常に美しい。またサンゴの死骸の積もり方は、こちらの方が想像以上に多かった。美しさは別として、いろいろバラエティに富んでいた。
公園を適度に散策している内に時間になったので、生協に到着。早速弁当を買おうと思って入ったら、入荷はまだだった。入荷時間は7時から8時までということになっているらしく、その時刻は一定ではないらしい。昨日買えなかったのはもしかしたらそういう理由によるものなのかもしれないな、と思った。
とりあえず予約だけして帰り、朝食を食べる。朝食は相変わらずの手抜きを主眼としたもので、昨日の夜はじめてインスタントではなかった味噌汁も再びインスタントに逆戻り。これで無添加料理を唄うとはたいしたものだね。いやはやびっくりだ。
部屋に戻るともう時間は既に少ない。それでもトイレを早めに済ませて起きたいので、部屋の中を歩き回って何とか出すところへと持っていった。父は生協に弁当を受け取りに行った。その間に時間は迫ってきて、全員がトイレを済ませてから近くのパパヤリゾートへと出向く。
南島散策を主眼として参加したツアーであるが、南島散策と海中公園を泳ぐの人のためのツアーという形になっていた。個人的には南島に上陸できればそれだけで目的は達せられる。
8時10分集合で漁業組合の方の船乗り場へと車で送られる。そして船へと乗り込むことに。思った以上に立派な船で、30人以上が乗り込んだ。トイレまでついているといえばその規模が分かるだろう。
いろいろな説明が終わった後、出発することになる。沖に出ると多少揺れるが、それでも体調を整えてある分まだ大丈夫というか余裕があった。それでも南島周辺はそれなりの揺れとなっていて、鮫池付近の南側での小船への乗り換えが出来ず、西側の扇沼の海食洞が見えるあたりで乗り換え、そこから南の鮫池から乗り込むという段になった。残った人もいたので、南島上陸組みは実のところ3分の2程度。保護対策のために上陸可能人数が限られているので、この方がありがたい。100人制限という項目がある以上、上陸は時間との戦いとなってしまうというのも厄介だったりする。
波が高くてジェットコースターのように船首が跳ね上がる中、見事なコントロールで沼に侵入した。この鮫池への侵入が想像以上に厄介なもので、岩場が多く座礁の危険を伴う形となっていただけに、たいしたものだと思わせる。そして池内部に入るとその一部が次第に明らかになってくるが、まず見えたのは赤くつけられた足跡だった。まるで高山に来たかのような独特の植生と、登山道のように続く赤い道。
そして上陸は岸壁に寄せて飛び移るという方法となっている。全員の上陸が完了すると、様々な説明がなされて出発。持ち込みも持ち出しも一切禁止、国立公園の特別保護地域だけの扱いがある。相当に美しい光景で、サンゴの死骸からなる隆起した岩が、尖って突き出している光景などはなかなか見られる光景ではない。これは秋吉台あたりの光景とも微妙に相似系だが、空が美しいところや赤土が微妙に彩りを添えている。そして絶対的な違いは、海があるということだろう。
まず一行はジョンビーチ周辺の環礁地帯が見える尾根に上った。結構な勾配だったがすぐに上り終える。扇池を含めて南島全体をほぼ一望でき、その美しさを改めて実感させる。
順番なので下りないと次の一行が上れない。というわけで下ることになる。次に砂浜を経由して北の池へ。名前は忘れてしまったが、こちらの池は水が増えれば扇池と繋がってしまうそうだ。というか、台風の時は下手すると南島全体がほとんど海に沈んでしまうような状態になるとか。
そして砂の地層に大量に埋まってそこから転がり落ちた貝。そして池、そして戻って扇池。扇池周辺の動物たちの豊かさが凄まじい。カニやカメだけじゃなくて、いろいろいた。それにしてもなんとも美しい。保護対象になるのも分かるほどのまばゆさだ。植生がまるで高山であるかのように美しく、それでいて海に囲まれているという特殊な条件。とにかく美しくてたまらなかった。
50分ほどの滞在で戻ることになった。岸壁に接近させるとはいえ完全に岩にくっつけるわけにはいかないので、全員乗り込むまでに時間がかかる仕組みになっている。その後遊泳するカメを見るという幸運に恵まれつつ、相変わらず絶妙のコントロールで船へと戻っていった。
そして全員が乗り込むと、なぜが目的は変化してホエールウォッチングになっていた。好きな人には好ましいことなのかもしれないが、それぞれの目的はそれぞれに異なっている状況でこれを選ぶパパヤの考えがどうにも。これで泳ぐ準備をして乗り込んだ人は結局一度も泳げなかったので相当に残念な思いをしただろうし、南島だけでよくて船酔いするような私には、このあとは相当厳しい行群になってしまった。
船は一気に諸島を離れていく。途中でイルカを見ることになってそれでしばらく周り、さらにくじらを目指してさらに沖合へ。もう父島が見えないという状況まで離してしまった。大体水深1000mぐらいまでいかないとくじらを見ることができないのだそうだ。最後の方になるに従ってスピード上げまくりで水はかかるわ揺れまくるわで大変。
酔った。半端なく酔った。っていうか吐くかと思った。停止時に船の中央に移動して、片足を縦、横にそれぞれ配置して双方の揺れに対応し、手もまた縦、横にそれぞれ配置して衝撃を和らげる対応をしてひたすら耐えた。よく耐えた。それでも胃のあたりが蠕動運動をはじめてもおかしく無さそうな状況になっていたのが良く分かった。もうギリギリだった。あともう少し続いたらやばいかもなというぐらいになっていた。それをさせていた手足ががくがくになって使い物になってきたところで、ようやく二見港に入ってきて海側の要因による揺れがなくなったことで何とか逃げ切った。このギリギリの時間差で、猛スピードで飛ばしてきた中でもギリギリで耐え切れた。体制的には座るなんて論外で、そんなことをしていたら確実に吐いてた。マジで気持ち悪かった。呪ってやろうかと思った。目だけギラギラ冴えさせて何とかがんばった。
結局くじらが見れなかったことなどどうでもいいのだが、遅れを最初からデフォルトとして動いて、予定の解散時刻の12時を40分も過ぎた。長くやることをサービスと勘違いしているみたいだけど、これによって起こりえる不都合というものをとくと考えて欲しい。
昼食時間が厳しくなること、場合によっちゃ遠いところに宿泊している利用者は荷物をとりに戻るのだけで大幅に時間を消費して出航時刻ぎりぎりになること、それらによる問題の発生により乗船手続きの時間が確実に遅れていい場所がとれずに下の船蔵に押し込められてしまうことが想定されること、これらのことをちゃんと認識しているのかと。これらのことを考えたら、そうおいそれと遅れをデフォとして考えるなんてありえないことでしょ。もういいかげんにして欲しいと。こういうのを契約不履行というのですよ。
そんなわけで散々。海水がっぽり浴びて靴の中までぐしょぐしょ。ああ、高い靴が塩で傷んじゃったな。それだけじゃなくて、既に着替えもない状況で一張羅がこんな状態。やってらんない。
結局昼食の確保が何とか言っていたのが功を奏した感じだが、それらの荷物の整理を済ませ、送り迎えに設定されていた1時5分にのって港へ。この時間に見送りって遅すぎだろと思うが、それでも重い荷物を持たずに港まで乗せてもらっただけでもありがたいと思うしかない。でも、そんな時刻に送り迎えしたって実はいい席取れないんだけど。ほんと最後までダメ宿だったな。やってらんない。
到着して急ぎ乗船続きやったんだけど、400番台で船蔵決定。やってらんない。
そんな状況の中、とりあえず私は靴を乾かすべくいろいろやってみたのだけれども、全然ダメ。父はその間に氷を買いに行った。母は乗船手続きなどなど。どっぷりと体が重い状態ですぐさま乗船手続き。見事D階に決定して船蔵。窓もない。
広さはさらに狭く、行き以下。足はギリギリで伸ばせるが、それは私が身長160cmだからで、背の高い人、170あるひとは既に厳しいだろう。多分足を少し曲げないと眠れない上、寝返りも打てないその空間でそれをやれというのか。今回は本当に寝返りすら打てない狭さなのだ。毛布の幅、それしかない。毛布の幅は50cm程度。しゃれになっていない。
とりあえず食事をするのにこんなシケた場所など考えられないので、とりあえず外へいくことにさせてもらう。何とか椅子が2席分あったのでそこを確保し、適当に分け合いながら食事にありつくことにした。生協の弁当は相変わらずクオリティ高い状態なわけだが、見送りがいつまでたっても終わらない。かなり長い間追いかけてくるので、その間乗客もなかなか引っ込まない。船が生活と密接にかかわっていることを実感させてくれる。それでもそこまで長々と追ってこなくてもねぇ。燃料の無駄とか思う私はしょぼいですか。そうですか。ある意味泊まった宿とそっくりじゃないですか。いや、意味的にはさすがに違うな、それは。とりあえず靴が乾くまでがんばろうと思っていたのだが、全然乾かない。行きとは違って海は穏やか。揺れも少ない。ありがたい。
45分ぐらいしてようやく追ってくる船もなくなって静かになり、私は飲んだトラベルミン(酔い止め薬)が効きはじめて相当に眠くなってきていた。服はようやく乾いてきて、これで寝ることはできるかなという感じになった。というわけで眠ることに。
寝ると起きたら夕食の時間の7時。30分後に食べに行くことになったのでとりあえず目を覚まそうとぼんやりと。あまり何かをするには船というのは良くない。そもそも狭くてほとんど何も出来ないに等しい。荷物の置き場所すら遠い。
猫飯で食事を終えると、外へ。満月に近く、空が明るいので星は非常に見えにくい。大三角が分かる程度で、それ以外はほとんど確認できない。北斗七星ですら確認できない。なんてこった。っていうか、月の周りの空が青いというより水色に近く見えた。明るすぎて。
後はまた寝た。起きたら10時を過ぎていて消灯済み。というわけでそのまままた寝る。
2005年8月20日
そして3時ごろに目覚めた。少し携帯に入っている文章などを見て時間を潰し、また寝た。
8時、朝食の時間ということで食堂へ。またも猫飯とおかずで済ませるが、これが一番高かった。食事のあとは外に出たが、水の色は既に群青色から灰色がかった日本で見る水の色になってしまっていた。黒潮の潮流沿いにあるためか、ゴミが相当に目立つ。おそらく台湾や中国などから流れてくるのだろう。ちょうど御蔵島が見えるあたりで外に出ていた。疲れたので私は下に降りてまた寝た。
そして昼食の時間。クロワッサン一つで済ませ、母と父はざるうどん。残った分を私が貰ってちょうどよくなった。さすがに眠さはなくなってきたが、外で写真を撮るとか、そういう気分にはならない。既に房総半島を右に望めるようになり、間もなく浦賀水道に入ってスピードが下がる。そして再びスピードを上げたりなどを繰り返す。
最終的に3時半に当然のように到着。こちらは熱狂的な歓迎などあるわけもなく、ただただ東京らしい建物郡が出迎えてくれた。乾いているためと海沿いということもあってか暑さは想像したほどでもなく、安堵する。
そしてタクシーと2路線を乗り継いで帰宅していって、長い旅は終わった。しかし船舶内における疲労は一両日で抜けるような生易しいものではなかったことを付け加えさせていただく。