郵貯日記(2005年5月下旬)


2005年5月21日(土)
 こんな研究漬けの生活では、音楽を聴くぐらいしか楽しみがない。
 というわけで学校へ向かう経路として、新宿TSUTAYAへ行くことにした。新宿なら母が返しに行ってくれる。
 4時を過ぎたあたりに家を出て、遊園駅についたらちょうど急行が出て行った。そして時刻表を見るともっとも恐れている結果。20分間急行がないというやつだ。くそっ、小田急のダイヤ改定にいまだに慣れない。急行が1時間に4本しかないなんて。
 時間があまりにも余ったのにカメラを持ってきていないことを悔いつつ、チケットショップへ向かって土日用回数券を200円で入手。40円安く新宿へ向かうことに。それも時間が余るので、登戸まで適当に歩き始めた。この街も結構な勢いで変わっていくが、その昔の記憶が少しずつ飛んでいっていることが微妙な気持ちにさせてくれる。
 登戸駅で7分ぐらい待って急行がやってきた。混雑率はそれほどでもなく、先頭方向をかぶりつきの人たちの後ろから眺める体勢でしばし向かう。和泉多摩川から梅ヶ丘の風景は迫力があるが、沿線風景というには程遠い。
 トイレを使うためにマイシティを経由してから新宿のTSUTAYAへ。今日はCCCDあたりを大量に借りて学校でコピーしようかとか考えていたが、この時期にPCをおかしくしかねないCCCDを借りるなんて危険すぎるという結論になり、普通の物を3個(5枚)借りるにとどめておく。
 ついでに新宿西口にあるメガネドラッグの清掃機でめがねを洗っていく。するとねじが緩んでいたためレンズが清掃機内に落下。何か店員さんを困らせるようなことをしてしまった上に、ねじの調整までやって頂いて、恐縮することに。
 ようやくいろいろな用事を終えて京王新宿駅へ。特急で調布へ向かう。着席が十分可能な位置取りだったのだが、前の女がだらだらと歩いた上に座席の前で立ったために後ろは私を含めて全員座れなかった。お前は人に迷惑をかけるという意味合いを知らんのか。
 それでも特急だと早いので立ったまま向かう。つり革にぶら下がり、頭の中をほとんど空っぽにして体力の消耗を最小限に保ち、調布まで。それにしてもこうして新宿から乗ると、沿線の変わっていき方というのは結構面白い気がする。つつじヶ丘あたりまでは結構住宅が続くが、次第に田園風景が混ざり始め、多摩川を渡ると新興住宅地とか山が迫ってきて、最後は高尾山。なんだ、京王も結構面白い沿線じゃないか。
 7時ぐらいに到着して早速研究。孤独な時間が続いたが、同期の修士が昔の友達などを連れて研究室に泊まりに着たので、結構活気付いた。人がたくさんいる方がPCのファンの音があまり聞こえないため、ゲームの騒音の方がはるかに集中しやすい。ファンだけの音はもうたくさんだ。サーバー室で一人というのは、こういう心理状態になるのかもしれないなと、ふと思った。


2005年5月22日(日)
 4時過ぎにソファーで少し休憩と横になったらいつのまにか寝ていて8時半。皆帰ったようだが、こちらは作ったバイナリデータを用いたシミュレーション作業を行い、全部で約70000ファイル、合計5GBぐらいのCSVファイルを作成する。さらにはそのCSVファイルを用いた解析作業へと。だが、その解析作業に向かう前にやらなければならないことがたくさんある。
 でも12時前に離脱。とりあえず食事と風呂と就寝のため。3時間ぐらいかかるであろう作業を走らせたままにしておく。
 12時20分のバスで家へと戻る。それにしても一週間があっという間だ。時間が過ぎるのが早すぎる。
 まずは食事を済ませ、さらには風呂、そしていろいろとやったあとに寝る。明るいので眠りづらいが、帽子を顔にかぶせて日光をシャットアウトすると何とか眠れた。プログラミングをひたすらする夢にはまだ遠いか。というかC#で書くようになって随分と負担が軽減された。配列周り(文字列とか含む)が随分とやりやすくなったし、フォルダを作成する機能とかも簡単に実装できるので、手動で作るというような手間が省ける。
 久々に3人で食事になったので、いろいろとお話。それにしても父は徹夜をしないでちゃんと計画通りに仕事を終わらせられるって、たいしたものだと思う。今まで会社の仕事で徹夜とか、そういうことがなかった。
 親戚の人生いろいろな話をしつつ、食事は終了。
 その後学校へ向かおうとしたら、途中の古本屋のあたりで突然の雨となって避難。しばし強く降り続いたため、時刻はいつのまにか12時。さすがに行くのがばかばかしくなり、帰ってきた。久々にたっぷりと眠れそうだ。


2005年5月23日(月)
 学校へは午前から。ようやく久々に教授に見せて話を進める。
 しかしうまく行ったかと思っていた入力部分の設定が意図したものではなかったという問題があって、さらに時間を浪費。やる量がさらに増加した。
 そんなわけで帰ってきたのは午前6時。


2005年5月24日(火)
 学校へは昼食を食べてから13時ごろに出発。
 いろいろと話し合った結果、突然今までやってきたことに対する説明が必要だとかいう話になり出した。いや、それを選んだ理由なんてどこにもないから。というか、それを一つ作るのに一体どれだけ時間がかかると思っているのだろうか。それが分かっていないじゃないかと思えてしまった。総当りが無理だから、適当に良さそうなものを選んでやっているだけで、そんなものに理由をつけて選ぶことなど、この研究そのものの背景を事細かに設定できるに等しい。そんなこと、できるわけないといっていたのは教授だし、実際そうじゃなかったのか。
 選んだのに理由なんかない。言われたままにやることを増やしただけだ。それを突然、それに対する意味付けが必要って、できるわけないだろ。できないんだったら困るでしょって、元々出来るわけがない。
 結局研究の内容は5日ぐらい前にやっていたことに逆戻り。つまり一日16時間程度掛けて3台ぐらいPCをぶん回していた研究への時間がパーになった瞬間だった。そのこと自体は少なくとも元々自分自身がやろうとしていた内容への回帰に過ぎないわけで、何で最初からそれをやらせてくれないんだと、それをダメにして先の方へと誘導してやらせたのはあなたじゃなかったんですかと、毒づきたくなった。元々最初からその研究をやる予定だったんだ。何を今更、だ。
 深夜、誰もいなくなった研究室内で素手で柱を殴りまくって手が痛くなった。それでも腹立たしさは止まらず、鳴きたくなるような情けなさが最後まで私を支配した。
 そんな感じでPCをやはり動かしている待ち時間の間に、眠りに落ちていった。


2005年5月25日(水)
 起きたら6時。ちょうど隣席で同じ研究をやっている同士がきた。彼の朝は早い。
 彼に愚痴を言うというあまりほめられたことではないことをして、やることを適当にやってから帰宅する。面倒なんで今日はバスで。どうせ今日も行くしかないのだ。
 7時40分頃帰宅。風呂と朝食をとって8時40分。授業があるので9時45分に起こしてくれるように頼んだのだが、結局疲れがひどくて眠り続け12時50分に起きた。


2005年5月26日(木)
 とりあえず研究付けの生活は続くが、この日からしばらく日記をつけられなくなっていたので良く分からない。でも朝帰りだったのは相変わらず。


2005年5月27日(金)
 授業があるので午前から学校だったか。そんでもってゼミまであったので、ゼミに自分の資料を持ち込んで、その推敲作業とか推敲作業とか。
 さらに夜は飲みとかで焼肉とかに行った。久々に腹いっぱい速い時間から食べられたので、朝まで元気。


2005年5月28日(土)
 朝9時ごろ撤退して、15時頃戻ってくる。そして朝遅くまで。


2005年5月29日(日)
 朝7時ぐらいに撤退し、16時半ぐらいに学校に戻ってくる。もはや学校が基準。
 プログラムというか、まとめる.netの不具合がどうもあって、移植しなおしてやり直し。そのやり直しによるデータ収集の量が半端ではない。というわけで相変わらず徹夜だが、家との往復にかかる1時間とかがもったいない。


2005年5月30日(月)
 朝を過ぎても順繰りに作業を進め、自動実行中は休むという形で続ける。
 意地で夜の10時半に抜け、最後のバスで帰宅。朝から雨だったが、この時間になっても雨は相変わらず降り続いていた。ようやく帰れて一安心。
 ちょうど帰る前あたりでハムスター急死。1年半という短さと、その死に方がよくテレビである考えのない血統による掛け合わせを想定させるような突然死だったそうだ。
 それにしてもよく帰ってこれた。やはり家は落ち着く。
 この学校での生活という形になる中で、時間というものを隅から隅まで使いきろうとする何かを使うような感じとなっている。少ししか寝なくても大丈夫な状態が続き、体は既に無理な状態になっていても、何かに憑かれたように動き続ける。
 この状態は、毎日徹夜泊り込みをするプロジェクトの最下層と何か似ているようにも感じられる。でもこういう引き締まった生活を続けられるのなら、それはそれで悪くない。
 家のパソコンを長くつけている余裕はない。よって日記はほとんどかけないのだが、6日ぶりに日記をつけていたことを知って、その程度しか日記を書いていなかったのかという気になるほど5日間が長く感じられるのだ。


2005年5月31日(火)
 まだ終わっているわけではないので、この日の昼に日記をアップ。
 さて、学校で気合入れて論文の続きを書くことにしよう。


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