2004年6月1日(火)
シムシティクラシック封印。目に赤い点の残像が・・・(死)。
結局徹夜で7時まで起きてた。全然眠くない。
で、少々嫌な記事を見てしまった。個人的なことですが。
さて、あざみ野へCDを返しに行く。
方法については雨がやんでいたので迷ったが、久々に自転車フリーで出かけるのも悪くないなと思ってバスにした。車や自転車といったモノを持っていると、何かと持って帰らなければならないという制限のもとに計画が制限されるきらいがあるからだ。もっとも、こちらは逆にお金がかかるという制限がつくのだが。
さて、世田谷通り沿いにあるバス停から乗り込む。時刻を確認していたのだが、信号のタイミングまでちょうどの展開だった。まず専修大学行きが先に到着し、後方にあざみ野行きがつけるという形。振り分けによる効率化ということになるだろうか。ノンステの大型車はそれなりに席が埋まっていた。
途中先方の車両(専修大学行き)に乗ればいいようなところで下りる客(学生)がいたのには閉口したが、運転手のかなり強引な運転もあって比較的速い展開。とはいえ、あまりに強引で前後左右に振られて酔ってしまう。結局前の手すりで体を調節しながらということになった。それにしてもこんな狭い道を良くまあこれだけ飛ばすもの。
聖マリアンナ医大で大きな入れ替えあり。車内はいつのまにか女性客が8割以上という何か異様な雰囲気。それにしても何て強引な運転なんだ。
そんな強引な運転でもやはり遠いのか、40分あまりであざみ野到着。向ヶ丘遊園駅からだと45分以上だったであろうことを考えると、やはり遠いのだった。しかしこの時間だとアップダウンがあっても自転車の方が速い・・・。
さて、ひとまずTSUTAYAでCDを返却。今日は借りない。
バスターミナルに戻って路線表を眺めてみる。ほぼ全て東急の路線。小田急が肩身狭そうに横に。何か変わっているな。
ここからどうしようかこの路線図を見ながら少し思案。新横浜までバスを乗り継いでいって溝の口に高速バスで戻るというのもなかなか悪くない。東急バス一日乗車券で港北ニュータウン三昧というのもありだ。歩くのは自転車で散々やっているのでさすがにパス。地下鉄というのは何か味気なくていけない。センター南まで行って適当にぐるぐるして戻ろうかとも考えたが、一本で戻れるような路線がないというのは致命的だ。せめて南武線の駅までのバスぐらいなければ・・・(以上思考モード)。
で、散々迷った挙句、今日は気乗りしなかったので止めておくことに。
とはいえそのまま引き返すのはさすがに嫌なので、田園都市線に久々に乗ってみることにする。
田園都市線のあざみ野駅は2度目だが、もう15年ぐらい前のことでほとんど記憶には残っていない。そのときはやはりバスであざみ野まで来たわけだが、あの頃と比べると道路環境が全く違う。
ホームは割と広くとられていた。昔からしたら破格の広さだっただろうが、今となってはそれほど驚くような広さとはいえない。とはいえ、やはり田園都市なのかな。もっとも、あざみ野は田園都市線の駅の中でもかなり新しい部類に属するはずだが。
08系の押上行きが来た。一駅、たまプラーザで下車。110円也。
たまプラーザで下りるのは初めて。子供の頃にこの名前を見て、何てダサい名前なんだと思ったものだが(さらに言うとこんなダサい名前の駅に急行が停まるのはなぜだろうと思っていた(笑))、もはやこういった変な名前の駅も増えているので今更、という感じではある。
ホームの目の前に喫茶スペースがあり、珈琲の香りが漂ってきた。こういったところを演出するのはさすが東急と言ったところだろうか。
ひとまず適当に周辺の撮影なんぞをしてみる。北側というよりは、表側だけはきっちりと整備を行っている。こういった何かと正面だけは綺麗に見せておいて・・・というのは東急のお決まりなのだろうか。溝の口も二子玉川もここもそうだ。だからこそ面白いのだが。
たまプラーザ東急SCの横へ向かう。曲線を描いた空中歩道は最終的に裏手の住宅街へとつながっていて、車道なしに住宅街へという先進的な試みの最初の例だったのかもしれない。こういうところは良くできているが、いかんせん住宅街はもう古い。
SCの地下(と言っても地上階でもあるのが微妙)へ。思ったよりもしっかりとしたつくりになっているのにはちょっと驚いた。以前食事だけで入ったのであまり探索していなかったのだが、買い物での流動は一応あるのかも、というレベルにまとめられていた。
TSUTAYAを一応見てみる。駅から比較的離れた場所にあった。まずは駐車場チェック、ないみたい。品揃えチェック、地元民以外使う価値なし。ダメじゃん。
南側の出口へ向かってみる。エスカレーターが上り下り常に稼動している状態で、実際段差が大きい。南側はロータリーが整備されていないのに、港北NTへのバスのアクセスの拠点を担っているというのがなんとも妙だ。おまけにこんなへぼっちいスペースに羽田空港行きのバスまでくるとは(実際目の前で来たがガラガラだった)。
と一通り見るべきものは見た。
とりあえず改札を通った。発作的だったがまあいいだろう。
とりあえずどう帰ろうかということになってくると面倒なのだ。
宮前平から歩いて菅生車庫というのは歩く割にはあまり面白くない(カリタス学園行きがくれば別だがまずこない)。溝の口からバスというのはそれなりに有力。梶ヶ谷からバスというのもあり。二子玉川からバスというのもあり。溝の口から無難に南武線もいいだろう。鷺沼・宮崎台では小田急へ結ぶ先がない・・・(以上またも思考モード)。
というわけで無計画にとりあえず乗り込んだのは目の前にいた営団8000系。私の中では最強の通勤電車と認める営団の6000・7000・8000系シリーズだ。このインバータ音と走行音に強力な加速、さらには渋い「Sマーク」・・・がないっ!!!(爆死)。
最も厳しいたまプラーザ−鷺沼間の山を越えていく。ここあたりの高度は100Mをゆうに越えるわけだが、おそらく開通には相当の苦労があっただろう事は想像に難くない。トンネルを2つほど越えると鷺沼駅に到着。インバータ音に心躍らせるが、ひとまず降りておく。
駅自体は一部変わってしまったところがあり、昔は3階まで直通するエスカレーターなんてなかった。外の跨線橋から眺めた時には何が起きたんだろう、と思ったほどだが、時代は止まっていてはくれないということらしい。尤も、改札口は昔の雰囲気を色濃く残していた。
古いほうの階段から2つ下りてホームへ。8500系の清洲白河行きが待っていた。東急といったらこの8500系の銀色の車両だ、というのはさすがに古いという感じもしなくもないが、私からしたら8500系以降は東急っぽくないイメージがある。ドアの閉まる感じがやっぱり8500系だ、などと思いつつ(このドアの閉まり方が微妙に好きだ)。適当なことを書いているが実は5000系にはまだ乗ったことがない。
ところで、宮崎台駅の題字の下に[電車とバスの博物館]って何?って思ったら、これのようだ。
梶ヶ谷で下車。2面4線式の広いホームが特徴だ。宮崎台方面に広い敷地があるが、ここを大井町線の車庫にするのだろうか。
先頭へ行ってみる。トンネルの上に住宅地が連なっている。そこを通過の案内。4番線通過という案内。東急では外側線路を通過に使っているんだった。こういうのに会社色みたいなものを感じた。5000系が俊足で駆け抜けていった。
後続の8500系に乗り込む。あっという間に溝の口到着。こんなに近かったのか・・・。自転車の乗っているとどうも妙な感じではあるが、通常溝の口の交差点から梶ヶ谷の交差点までで意識するのでそれは微妙に違う。とはいえ、こんなに近いか・・・。
溝の口ではいろいろと回ってみたが、結局何も買わなかった。よく考えたら電気店に行って電源やファンについてみておくべきだったが、後の祭り。
さて、向ヶ丘遊園まで行くバスが正直使い勝手が良さそうなので停留所へと行ってみる。
そのバスはちょうど到着したところだった。8分前だったにもかかわらず席が埋まりそうなほどの乗車率。慌てて乗り込んだが、一人席はもう残っていなかった。なんだこの混雑は。
乗り込んでから南武線中野島経由というのを考え付いたがもう遅い。ま、JRだと新幹線とかにお金がいって南武線にお金が還流しないが、市バスならば川崎市に確実に還流するので、まぁいいか。
バスは県道13号線から府中街道に入っていく。ここあたり南武線との競合を避けようという意図が見えてくる。実際津田山という障害があるのでこの路線バスは必要だろう。幹線道路を走るためか思いっきり停留所数を抑えた形になっていて、結構速い展開。梅林で大量下車、さらに久地で大量下車。車内は閑散となってしまった。余計なことを思い出したが、昔久地駅の名前は久地梅林、だったな。私鉄だった頃の話だが。
久地駅前まではそこから2つ。JRの踏切の制御が下手糞なため、結構待たされて踏切を渡る。いつのまにか眠ってしまった。気がついたら遊園に到着していた。荷物を確認して慌てて降車。
文教堂で立ち読み。WinPCの雑誌のできが結構良かったので要検討か。
後は歩いて帰る。ちょっと遠い。
GoogleDance開始。で、いつも見ていた黙示録は更新を停止するそうで。こういう行き当たりばったりの運営というのは正直好きじゃない。他を回ってみたがやはりPR更新。今回は随分辛口で、朝日・讀賣・毎日の新聞各社も落としている。上がっているのはほんの一部だけ、といった印象。
同時に田園都市線ついてちょこちょこ調べていたらいいページを見つけたのでメモ。こういう質素で資料的価値があるページは個人的に好きだ。
2004年6月2日(木)
寝たのが3時半。起きたのは11時半。
適当に過ごしてから自転車で3時ぐらいに学校に着く。10時半ぐらいまで滞在。勉強がはかどらないが、一応行っておかないと話にならない。
帰ってきたら11時すぎ。で父がパソコンをいじっていた。で、音声部分についての不具合を見事に直した上、マウスに関しても父のノート用のマウスとの取替えで直してしまった。何かレベルが違う。というか、取説をしっかりと読んでいないというところが原因だったり(死)。ダメ人間だ。
眠くないのでPCと向き合ったりアニメを見たり。マウスがよくなったので突然扱いやすくなった。
2004年6月3日(木)
寝たのは朝の9時でした。起きたのは12時でした。恐ろしく不健康で母からもかなり白い目で見られております。これはさすがにまずいです。なんとしても戻さないとです。
午後から学校へ。学校で少しだけ勉強。あまりはかどらないが、気にせずに少しずつでいいから勉強しようと思う。日頃から習慣習慣、これ凄く大事。いまさらという感じだけど。本当にエンジンがかからないというのは困ったものだ。単にダメ人間というだけの話だが。
今日の帰宅路は月が凄く明るかった。こんな明るい月を見るのは久しぶりだ。
家に戻ったのは21時過ぎ。文章を読んだり他のサイトを回ったりして今日も終了。
あと、今日2000Hitに到達しました。最近急激に増えているという感があります。どちらにしろ、わざわざ訪問して頂いてありがとうございます。これからもがんばります。
2004年6月4日(金)
かなり嫌な夢だったような・・・。ま、そんな事はすぐに忘れるのでどうでもいい。
それにしても今日は随分と乾いた晴れ方をしたものだ・・・。乾燥注意報とは。
そんな乾いた日に出かけると日焼けが怖い・・・というより皮膚へのダメージが懸念されるので、なんとなく行く気が薄れてしまった。これから毎日行こうという計画はまたも破綻。何やっているんだか。とはいえ、この紫外線の現状はかなりやばい。自転車利用の大敵だ。
夕方にジェーソンでCD-Rを買ってきた。日本製のメディアを安く買いたいというのが動機。314円で5枚組みメディア(日本メーカー&日本製)を購入。このレベルの値段でケチっても仕方あるまい。むしろこの方が安心できてありがたいし、少しはいい気分になれる。こんな流れものでは経済にあんまし役に立っていないような気はするけど。
適当にC言語の勉強をするが、それにしても卒論の時にあの程度の知識であそこまでバリバリ書けたものだな・・・。我ながら恐ろしい。もちろんあの時の集中力のお陰で全体を見通せるようになったわけだが。ほとんどみようみまねだった。
結局自分でどんどん書かないと絶対に上達しないんだよね、言語の勉強って。理解するのはある程度はなせるようになってからでも遅くない気がするから、とりあえず書かないとだめ。
そう考えると、今やっているゼミが少しむなしくなってきた。
2004年6月5日(土)
学校に行こうと思っていたのだが、借りてきたビデオのことが気になって結局返せず。うーむ。
おまけに勉強も全然せず。うーん。
やはり学校にはなんとしても行かなければならないらしいです。
明日は雨だそうで。最悪だ。
2004年6月6日(日)
やはり雨。
朝から体調がすぐれない。体を動かしていないことと夜更かしか。あと勉強も足りなそうだ。
夕食後にTSUTAYAに返却へ。行きは府中街道から鶴川街道へと抜ける。府中街道の下りは大渋滞になっていた。南武線の高架橋はもう2線分完成していた。大丸の方がネックということなのか。それとも駅舎が間に合わないのか。完全完成は確か1年後だったか。もう近い。
返却ついでに学校に行って少し勉強してから帰る。狛江市の多摩川の河川敷も、多少路面が改良されたので、水溜りだらけで走れない、とはならなかった。
帰っていたら11時を過ぎていて、勉強をしつつ夜更かし。
2004年6月7日(月)
なぜ主張をしようとするのかとか、その主張は何が含まれるのか・・・って全然違うな。要約できていない・・・未熟だ。ま、議論において析出するもの・・・というのが正しいのだろうか。
まあ実際、誰かに受け入れてもらいたい・理解してもらいたいと思うからこそ文章というものは書くわけなのだけれど(それが自分への悔恨ということもあるような気はするが)、それを掲示板とか実際の会議の場とかで議論した時に、本来向かう先ではなく周辺にそのエネルギーを向けられては困るということとか、理解してもらおうとすると自分を貶めてまで(こうすると批判はしにくくなる)他の人の同意を得ようとする、とか。自分を貶めるというのは強烈な批判から逃げるために私が良く使う方法ではあるのだけれども・・・って、全然まとめられない(死)。
こういう議論についての考え方というのはネット上では良くでてくるのだけれど、それについてまとめているところは大概W足しが個々で書くようなこんな酷い文章にはならない。情けない。
心理学というものを専攻すると、こういうのが分かるのかもしれないな。もう少し自分を客観的に見てみたい。
この文章は何気なく書いたものですが、「正しさ」こそ人を殺す&&行く方向の二つのサイトを見て、つられて書いてみたという次第です。別に同調して書いたというわけではなく、何気なく自分の中で適当に吐き出してみただけ。それだけのこと。
さて、今日はプログラミングゼミがある。
とりあえず雨ということもあってバスで。ちょうどやんでいたのでちょっと微妙だったが、とりあえずはバス。
図書館で3冊ほど借り、30分ぐらいゼミを開始する。遅刻が酷すぎるな。
それにしてもやる気なさそう。こっちもやる気がなくなってきそうだ。
9時前に離脱。結局全く降られなかった。自転車でよかった、というオチとは。
深夜に久々のプログラミング。txtをcsvに変換するプログラムを作っていたのだが、最後につまった。sscanfの書式についてごちゃごちゃ調べたものの、解決せず、「ハンドルされていない例外」に閉口。が、これがとんでもない記述間違いに起因していた。引数に&をつけていないという馬鹿さ加減。本当に馬鹿か、といいたくなる。つまり、不当なアドレスへのアクセスでプログラム停止、というわけですな。はぁ。
というわけで結局そのsscanfの引数間違いによって浪費した時間は、完成までに費やした時間の4分の3程度。ぐはっ。こういう変な引数を取る関数は利用しない方が吉か。でも楽なんだよな、それなりに。これを使わないとなるとC++で記述するしかない。そのほうがいいような。
のんびりとそんな作業をしていたら4時半。眠くない。寝たのは5時。
2004年6月8日(火)
なにか凄く暑い。
午後から学校へ。基本的に勉強がはかどったので悪くない感じだが、院試のライバルが増えるという事件があってあまりいい気分ではない。ま、いい気分にならないほうがむしろ勉強がはかどるのでまあいいのだが。
ただ院試をなめているように見えるのが少々むかつく。悪かったな、無能で。
それにしても生活リズムが崩れすぎだな。これをいかにして矯正するか。
10時に離脱したのだが、外は冷え込んでいた。寒冷前線が通過したのだろうが、信じられないほど冷え込んでいて寒いぐらい。自転車で来たので最初は寒かったが、体が冷えてきて問題なくなった。
寝たのは3時。
2004年6月9日(水)
情報処理技術者試験の結果が見れるというので、アクセスして点数確認。やはり落ちていた。
で、午前525点、午後595点、合格基準600点。両方とも達していないとは・・・。午後は達していると思っただけにちょっとショック。勉強時間が足りないようだ。
ひとまず情けないとしか・・・。次こそは受からなくては・・・。
回答の確認もしたかったのだけれど、Acrobat4.05ではダメで文章を読み込めない。つまり高いPCを使え、ということですか。重たい6.0を使えというのですか。おかしくないですか。IPAだったらそれぐらいは気を使ってくれ。
価格.comでDELLの製品に関しての記事を見て、64ビットのWindowsが出るであろう1年後あたりでの売却をほぼ決心。
理由。電源・VGA・マザボ(これはさすがに分かっていたけど)はDELLのみで動く製品で互換性ゼロ。つまり流用できない。ナニソレ。
メモリを1GBも、Hynix製であるという点は少々惜しいが、おそらくこれから1年間でかなりの動きがある事は明らかなので、そこあたりが落ち着いたらAthlon64で64ビット環境にして、より静かなPCを目指してがんばればいいだろう。今回の失敗が生きてくる。
ハードディスクは、今は手持ちのに入れているので問題なし。足りなければ買えばいい。今かなり安い状況だし。
・・・というわけで将来の売り飛ばしへの条件はほぼそろったといったところ。それにしてもこんな互換性のない製品を売りつけるとは、酷い会社もあったものだな。調べが足りなすぎた。情けないったらありゃしない。相変わらずうるさくて旧マシンの稼働率が90%以上。どういうこっちゃ。
とりあえず確実に言えること。外資のPCは買うな、以上。(追記:AppleとIBMは除く)
さて、今日は5時ぐらいからMM21線三昧してきました。
記録を書き上げるのはまだ先になりそうです。
2004年6月10日(木)
いい気候だっただけに少々惜しまれる。
さて、3時ぐらいに出発してゼミを済ませ、勉強をして9時ぐらいに離脱。
帰ってきて食事。
そしてLANの設定をいろいろと。これは結構面倒だが、いろいろと勉強させてもらった。しかし、ネットワーク管理というのは想像以上に技術が必要だな。もっと勉強しなくては。せっかく時間もあるのだし、もっとたくさんやっていきたい。
さて、寝なくては。