郵貯日記(2004年2月上旬)


2004年2月1日(日)
 いよいよ状況は厳しさを増しつつあった。
 CDを借りてきたことによる時間のロスを悔いつつ、3時ごろ学校に到着。すぐさまプログラムに取り掛かるかというとそうも行かない。それだけ思考力を要するだけに激しく消耗する作業のため、なかなかやる気が出てこないのだった。
 7時半ごろまでに仕様書を書き終え、作成を開始する。ここ2・3週間で着いたプログラミング能力の上昇はだてではなく、わずか1時間30分ほどで完成。しかし完全な完成ではもちろんなく、デバッグを繰り返してバグを潰し、完全に想定された値を出すようになったのは日付が変わってから。
 もちろんその間に夕食にも出かけた。約1年半ぶりの吉野家。当時食べすぎで牛丼に対する拒絶反応を出したほど昔は食べたものだが、久々に食した。久々だけになかなか。牛丼もそろそろなくなるわけで、なんとも・・・。
 プログラムは完成したので、狂喜。かといってのんびりするわけにもいかないので、卒論要旨の作成にかかる。これはこれで、時間を掛けて作成するとなると、それなりに面倒になってくるのが・・・。ただ、頭を使うプログラミングに比べると比べるべくもなく楽な作業だ。但し、結果がでていない部分はどう頭をひねっても書けないので、今後の研究が進むことが絶対条件になる。


2004年2月2日(月)
 朝食をローソンで購入。おにぎりを二つ。食べてから学校のソファーの上で寝る。
 4時間も寝ただろうか。さすがによく寝たという感じだが、代わりに体が冷えてちょっと風邪気味。
 買っておいた牛乳を飲み、先生の話し合いまでネットの巡回に費やす。
 気になるのは自サイト。検索結果に対してGoogleにサイト内全体がスパム扱いされている事はほぼ明白になりつつある。理由は不確定。考えられるのは2つ。

 ・極端なキーワードの繰り返し(みかん狩りや旅行記のアンカーテキスト)によるスパム扱い。
 ・悪徳商法マニアックスへのリンク。

 前車の場合。これは、Austin Updateと呼ばれるグーグル側のスパムフィルターの導入によるものだとされている。この情報についてはグーグルダンスの、グーグルショック!が参考になる。仮にこれが原因の場合、私としては対処をするつもりは一切ない。検索結果を全て表示しても表示すらされないことがあるという点で、状況の深刻さを物語っているが、それでも対応する気はさらさらない。
 実のところ、後者の可能性が高まってきているように感じる。いわゆるグーグル八分、という問題だ。圏外からのひとことの中の当該記事が参考になる。参照されたい。
 つまり、問題のサイト(グーグルが設定した法律違反のページなど・・・正当な理由ではないのは明らかですが)にマイナスのページランクを設定し、そのページに対するリンクを張るページを、より価値のないページとして評価していく。このようにして、より価値のないページに対してリンクを張るページを、より価値のないページにしていく仕組み。
 現状で公開されているPageRankに関しての検索上位表示への実効性のなさは現在ではほぼ確定しつつある。だからこそグーグル側がその情報を公開したとする考え方はほぼ正しいと考えてよい。
 一方で、1月25日から始まったであろうページランクの変動において、私のサイトが取り残されている。
 1月20日に書いた日記において件の問題を取り上げたことにより、キーワードとリンクによるスパムフィルターがかかった可能性を否定できないところ。
 いや、現実問題として、このスパムフィルターは他のページでも実行されていて、そして確認されている。
 がんばれ!!ゲイツ君の2004年1月20日の番外編からリンクされているコラム番号205「選択する考え」に制裁が掛けられてページランクが2つ下がっている。番外編掲載の当該記事(今更繰り返さないが)にスパムフィルターが掛けられ、そのページにリンクする205番のコラムにも制裁が掛けられているのである。
 これを同様に私のサイトに適用するとしよう。1月中旬の日記へリンクする1月上旬の日記などにも制裁が掛けられていることになる。
 ここまでして制裁を加える理由はなんなのだろう。
 私は別にそこまでして上位表示されることを至上命題にしているわけではないのでいいわけですが、問題はこうしてネット上ですらいいたいことも自由に発言することを許さず、黙殺しようとする姿勢にあります。それを大手検索エンジンが行うことの危険性です。
 当該企業があまりにも危険であるため、そのような記事を書いたサイト管理者の危険を考えてくれている、などというのならば心遣いは感謝こそすれ余計なお世話でしょう。それにしてもここまで徹底してやるというのには、妙に税金を取ることに熱心なお役人と同じ、というのはあまりにうがった見方でしょうか。なぜ検索禁止を当該サイトだけにとどめずに、他のサイトにまで伝播させるのか。そんなに明るみに出ることが恐ろしいのか。
 さらに今回ははてなダイアリーにおいても当該記事に関する削除が行われたこと。これがあまりにも厳しい現実を物語っています。削除せざるをえないような事情があったものと察しますが、この問題に対して語ることすら、もう既にタブーとなってしまったのか。そんなに危険なんですか、その・・・は・・・。
 それにしてもここまで必至になって言論を抑え込むという方針に対してわたし達はどのようにして対応するべきなのか。今考える必要があるのかもしれません。
 こういうとき、完全に自由な環境である2chというのはかくも偉大に見えてくるのはなぜなのでしょうね。そうか、サイト管理者である西村博之氏の断固とした姿勢というものが、そうした環境を醸成しているのかもしれません。参加したことはないですが、こういう最後の駆け込み寺的な役割も時には果たすというのが本当に不思議であります。
 とりあえず、1月中旬の日記にはロボット対策としてキーワードの変更とアンカーテキストの取り外しを行いました(屈したと思われるのでしたら御自由に)。これでどうなるかが気にかかるところです。これで復活したら、もう恐るべしとしか言い様がない。

 時間は学校に滞在していた時間へと戻ります。いや、考えたのは学校でなんだけど。
 先生と話し合ってからプログラムを微修正していく。ちょこちょこと。ちょこちょこと。
 直してはバグが発生し、さらに動作スピードが遅くなり、それを防ぐために変数がグローバル化し始め、さらにソースが見えにくくなるという繰り返し。
 それにしても厳しい状況は続く。
 10時に離脱。かえって食事をとって、久々に日記を書いたという気分に浸り、そしてあとは何をやろう・・・。


2004年2月3日(火)
 夜更かしをしてしまって起きたのは11時。
 いつも通り学校に行こうと思うのだが、どうも体調がすぐれない。というか体に力が湧いてこない。
 何か風邪っぽいと思ったのは12時を過ぎてから。
 これはいけないと思い、とりあえず寝ることに。少し寝て治るのならば、それがちょうどいい。この手を今までよく使ってきた。
 しかし、調子はいっこうによくならず、さらに悪化していった。
 3時を過ぎると、頭痛に全身痛みまで・・・。
 インフルエンザか・・・!
 さらに状況は悪化し、歩くことはもちろん、立つことですらつらくなり、寝ていても全身の痛みと頭の痛みが眠りを妨げる。パソコンに向かう気力など全然なし。
 食欲も当然湧かず、だが、食べないとダメなので母の作ってくれた食事にありつく。こういう時に自宅にいるというのはなんとありがたいことか。
 やはり一日中寝ていたが、体の調子はいっこうによくならない。


2004年2月4日(水)
 多少調子はよくなったが、歩いたり立ったりすることがつらいのに変わりはなく。というわけで休ませて貰う。
 やはり寝ていたのだが、昨日から寝通しなので意識を失うわけもなく、なんともいえない感じ。
 しかし食欲は湧かないし、熱こそ下がってきたが咳とくしゃみが逆に酷くなるし。
 卒剣のことを考えて、夕食後作業をチョコチョコと。しかし、気付いていなかった致命的な問題があった。データを持ち帰っていなかったのだ。圧縮しても17MBもあるので結局先延ばしにしていたが、これがあだになった。おかげで全然。バグを潰しているつもりで時間を大幅に浪費するというありがたくない展開に。

 自サイトの状況を何気に観察したら、やはり酷いことになっている。
 インデックスされているページがわずか8ページだけ。つまり、それ以外はキャッシュすらされていないので、検索結果以前・・・という状態だ。残っているのはTopと日記Index、物置場、御案内、リンク、2002年10月上旬・下旬、2003年6月中旬。これだけ。ふーむ。
 この理由はどこに起因するのか、いまだに不明。やはりGoogleからマイナスのページランクを食らったか。
 ま、今は何をしても無駄らしいので静観することにしようか。


2004年2月5日(木)
 多少よくなったが、熱は下がらず。くしゃみと鼻水はかなり酷い。
 基本的には寝て過ごす。食欲は出てきたので、なるべく多めに食べるようにして。
 いろいろ書きたいことがあるが、つらいのでこれぐらい。


2004年2月6日(金)
 熱が下がった。くしゃみと鼻水も収まった。
 インフルエンザ、治ったようです・・・。でもウィルスとの戦いで体力ゼロ。しゃれになってません。
 とりあえずどうやっていくかはいろいろと調査と吟味をした結果、至近のバス停から京王稲田堤にアクセスする方法が適切であろうと考えた。登14系統を使う。極めてユニークなバス路線であるが、このような路線形態になっているとは知らなかった。地元のバス路線って実は案外知られていないんだよね、電車が普通になっている人にとっては。
 昼食を食べた後、13時10分頃家を出た。生田宿のバス停までは3分とかからずに着いた。しかしバス停の時刻は予定と随分と異なっており、ショーック。全バス停の時刻表を載せているわけではないので、誤差は確実にあるということが分かっていたが、何か見間違いがあったようだ。路線の根本を理解していないからだろうな。
 やや遠いファミリーマートへ向かって飲み物を調達。歩くだけでつらい状況に変わりはなく、さりとて立っているだけでもつらいし、しゃがみこんでも寒い。病弱な身にはどちらにしてもつらいのだった。
 定時から5分遅れてバスは到着。乗ってしまえば、座席も十分空いているので楽だ。各バス停全てで乗降があるわけではなく、一部知っている人が便利と思って使う、という場合が多いのではないか。交通状況は運行に支障をきたすようなレベルではなく、10分で城下到着。乗り場の分かりにくさはスペースの関係上仕方のないところだけど・・・。
 それにしても、想像以上に楽だった。いろいろと書きたいことはあるが、バスって定時制さえあれば凄く便利な乗り物だ、と非常に感心した。特に日常において近い場所にバス停があって、それが使いやすかったらたまらないだろう。あと、病弱者の気持ちは病弱者にしか分からないような・・・。
 このバス路線、基本的には丘陵地アクセスのための西菅団地へのアクセスが絶対として、その路線長が短すぎることと、路線として完全に分離されてしまうことによるリスク回避、そうした時に遊園南口への送り込みが必要となり、今回のような路線図になったと考えてよいと思う。ただ、どう考えてもこの路線は赤字である事は明白。
 こうしたバスの味を占めた利用者が新線開通によってバスを廃止されたら、贅沢な意見とは思うが確かに文句を言うかもしれない。やっぱり便利だよ、ドアから乗り込んでドアから下りればいいだけだもん。階段上って下りて・・・の電車と比べたら。病弱だと身にしみるよ、ホント。
 何て思いつつ、エスカレーターに乗ってホームに上がる。エレベーターとエスカレーターのどちらが便利か、言うまでもなし。
 調布から学校まで歩いたのだが、10分とたたない内に足がわらになり始め、まともに歩けなくなった。青息吐息で研究室にたどり着き、ひとまず作業を開始。
 本当は教授と少し話し合っておきたかったのだが、他の人も行き詰まっており、順番が回ってこない。こっちも病弱でしゃれになっていないので、7時過ぎに帰宅することに決定。
 寒気が身にしみる中、パルコに逃げ込む。トイレを済ませて、健康のための果実漁りでもと思ったのだが、こんな時に限って改装中・・・。
 やる気がなくなったので、記憶回路内から京王の時刻表を取り出し、時間が近いことを確認してから駅へ。始発の橋本行きは入線していて、ホッと一息。間もなく出発、そして間もなく到着。
 駅を出てバス停の時刻を見て確認すると、今度はネット上に乗っていた時刻表が正しい・・・。うーん。
 それまでは至近のセブンイレブンで時間を潰す。食欲は出てきているので、おいしそうな弁当やおにぎりを見ていたら・・・。
 時間になったのでバス停へ。早着で、早発。数秒だけどいいのかな・・・。西菅への送り込みの関係なのか時間が詰まっており、その理由からかバス内はガラガラ。
 混雑のない府中街道は超余裕で、あっという間に戻ってきた。3分歩かずに家に到着。病み付きになりそうだ。

 この記事に関連していろいろとまとめたいことがありますが、卒研まで基本的に封印の方向で行きます。


2004年2月7日(土)
 病気が治って2日。しかし、寝る前にサモンを飲んだのはさすがにまずく、寝られなくなった。やはり治ったということか。
 起床は10時。体の調子がいいと楽なのはそうだが、まだなんとなく緊張感は抜けない。
 あまりほめられない時間の過ごし方をして、15時25分のバスを狙って停留所へ。今度は狙い通りであったというより、遅れは5分程度だったので、これぐらいを想定していくのが妥当ということになるのか。15分弱ぐらいで城下到着。乗ってくる客も多いが、下りる客も多い。
 バスを使うということは確かにお金を消費する。しかし、楽なものは楽である。
 今日はノンステップバスだったのだが、移住性の悪さは確かに・・・。席が少ないので最初立ったのだが、減速時に前に吹っ飛ばされそうになる。これは体力が回復していないということが理由になるわけだけれども、これでは立っている人はしゃれにならないだろう。となると、「ノンステップバスは車椅子の人たちのためだけにある」というとんでもない理論すら成立することになる。もちろん老人の乗降に貢献していることを考えると、そうした極端なレベルにはならないわけだが、病弱者、怪我人、老人、妊婦、車椅子、全て様々な要求がある。老人や病弱者に対してサービスを提供することは利益にかなう可能性は高いが、車椅子利用者のためだけに投資する事は全く投資効果に合わないだけでなく、著しい不公平である。それはあまりにも不公平な社会資本(インフラ)整備ではないのかと。そんなことを思ってしまった。
 もちろん、こんな単純なことで説明できるわけではない。本当はもっとしっかりとした文面で長く書きたい。
 でもね、時間がないんです。ですから、今日はここで終わりにします・・・。

 京王ストアで明治の飲むヨーグルトを買うなど健康に気を使いつつ、到着する急行に乗って、調布へ。
 で、学校までが長い・・・。
 研究室での研究をちょこちょこと進めるというか、ただ進めるしかない。気分転換をた、ま、に、入れるぐらいしか時間がない。
 バスの時間に合わせ、21時50分前、離脱。22時5分の電車はこんな時に限ってほとんど遅れなし。あのね・・・。
 城下のバス停では早めに到着したバスが、今日はちゃんと定時まで待ってから出発。この停留所から私を含めて2人しか乗らず、2人しか乗客がいないという、大変寂しい状況になっていた。
 停留所ノンストップで生田宿到着。所要時間7分5秒程度。2.9kmでこの時間、時速25km相当・・・。
 もう路線バスじゃない・・・。これって・・・。
 お陰で非常に快適な帰宅でございました。ほんと、バイトとかで使うようになったら申請しようか・・・。
 病み上がりには変わりがないので、日記はここまで。


2004年2月8日(日)
 都立大の名前が「首都大学東京」だそうな・・・。ダサッ。石原センスナッシング。

 ・・・はおいといて、今日もバスで通学。
 ようやくプログラムは完成し、その内容に対して教授からのOKサインも出て、要旨に取り掛かる。今まで書いておいて貯金は生きたとは思うが、頭脳労働よりはさすがに楽だ。
 体調がよくないので、バスの最終から3本目に乗れるように帰宅。それにしても、今日のバスの運転手、かなり怖い運転だったな。何が怖いかというと、距離感覚がないのか、信号100M先から音をたててブレーキをかけるとか。その他、停止位置がめちゃくちゃで、私が下りたのは道路で轢かれそうになったとか・・・。やれやれ、いろいろな運転手がいるものだ。
 疲れているけど、致し方なし。


2004年2月9日(月)
 要旨提出前日。
 なめていたのだが、先生はそれを許さない。結局要旨を考えていく作業でなんと徹夜の憂き目に・・・。まだ病み上がりなんですが・・・。
 断続的に椅子の上などで寝つつ、断続的に校正と差し替えを順繰りに行っていく。頭脳作業ではないので楽だが、自分の硬い文体の文章を何度も読み返す作業は逆に苦痛でもある。無論、完璧で胸を晴れるような研究を行えたのならば、それはいいだろう。しかし、半年程度しか学んでない若造が、そんな素晴らしい研究できると思いますか?できるわけないだろ。できていると思い込んで喜んでいるだけで、普通は何もできていないオチに決まっているじゃん。一体この研究が何年続いていると思っているんだ、クソが・・・。それに役立つだけの頭脳持っていたら、こんなところで日記書いて時間を無駄にしてねーって。
 大体システムの構造そのものが難しすぎるんだって。結局まともな研究をするには、12500行あるD5さんのコードを解読できる力、もしくはそれを組み立てる作業が必要になってくる。・・・常人には無理だって。学部で成果を出せといわれて出せる方がおかしい。
 だんだん、どうでもよくなってきて、ほとんど機械のように省エネ状態で校正を順繰りに行っていく。文章を見るのが嫌になりそうだ。
 予想外の徹夜で、2時ごろオリジン弁当に。24時間営業がありがたい。温かな弁当は学校に戻るまでに冷めてしまったが、おいしく頂いた。


2004年2月10日(火)
 さらに文章を見るのが嫌になってきた。ついでに、自分の研究が嫌になってきた。どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんですか。学校はレジャーランドじゃないんですかぁ(笑)。
 そもそも、そこまで手を加えられちゃうんだったら、自分でやる意味があるのかと言う感じ。皆の意見でもあるわけだが、ここまで変更が必要ならば、先生が最初から全部書くほうが速いのではなかろうか。
 もう何もしたくない気分でいたところで、結局3時ごろOKサイン。最後の校正後、印刷をして、提出して、ようやく一息。喜ぶ元気もねえよ。
 面倒な研究請願書の用意も開始。教授と学科長の許可を貰い、保健センターでいろいろと貰う。後は写真だけか・・・。履歴書の書き方は、こういう時非常に便利だ。
 5時40分離脱。今日も登14系統で帰宅。府中街道の6時は混雑気味。この時間は込むんだね。暖かな森山商店の灯を見つつ帰宅。はぁ、疲れた。
 10時30分就寝。もう誰も寝ることを妨げられない。


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