2003年11月1日(土)
なんとなくお休み。雨も降っていたということがあるだろうか。それにしても、あまりにも寝すぎてしまい、体が何か変な感じ。
この体の感じは、サイクリングやトレッキングをしていなかった時にも似ていた。
その体の不調を取り除くために、トレッキング、そしてサイクリングを始めたんだっけ。そして、一時期サイクリングのやりすぎで関節痛と紫外線によるできものに悩まされたこともあった。夏に走って熱射病になりかけたことも幾度もあった。いまだに日射恐怖症的なものは体に残っている。
何か、そうしたことは随分前になってしまったかのようだ。最近、そうしたことをする機会に恵まれないというか、熱がなくなってしまったというか・・・。
今日も父のつってきた魚を食べる日。二日食べ続けても、確かにおいしいことには変わりがないか。
ハムスターが来た。
姉が誰かから貰ってきたのだ。まだ3週間ぐらいとのこと。前の種とは違う。
またなんかにぎやかになりそう。前の種よりも少し大きいせいで、小屋が小さく見えるな。まだ慣れていないのに、皆から熱烈な歓迎を受けていた。
明日は少し早起きして、遠征する予定である。
2003年11月2日(日)
この日の記録は別記録になります。
2003年11月3日(月)
起床は9時ぐらい。十分に遅いな。
せっかく起きても、旅行記を書く気が全然しない。それだけ、余り嬉しくない旅行だったということか。
昼食はそば。
食事後、どうしようもなく使えない状態のまま放っておかれている8mmビデオデッキのヘッドクリーニング作業をすることを決意。使われないままもう3年ぐらい放置されているのだが、既に8mmビデオデッキは販売停止状況にあるため、捨てるわけにも行かず放って置かれている。録画も可能なのだが、残念ながら、凄まじいほどのノイズとブレにより、通常のVHS3倍録画よりもはるかに画像が悪く、とてもじゃないが使用に耐えないのだ。
その8mmビデオを何とかしてみようと思い立った理由は、3台あるビデオデッキのうちの二台が、買ってから4年ほど経って画像にざらつきが目立ち始めたからだった。微量ではあるが、もう一台の利用回数の少ないビデオに比べて明らかに画像の劣化が進んでおり、そのビデオのVHSとこちらのS-VHSが互角に見えるほどまでに画質が落ちてしまっているのである。
ヘッドの磨耗であることを察知し、できれば他のビデオデッキで長く使おうと思って久々に8mmを引っ張り出してみたはいいものの、全く使用に耐えない録画状況。このままお荷物と化したままにさせるぐらいならば、ダメでもともとと修理に踏み切ることにしたのだった。
まず父を呼んで、やり方を教えてもらう。
実は父はこうしたことを結構よく知っており、我が家の修理屋さんなのである。洗濯機やコタツ、テレビからカセットデッキまで、直した家電の数は数え切れない。
原因についてはほぼ確定しているので、やり方を教えてもらう。分解した後、綿棒にアルコール(揮発性の液体ということだ)をつけ、ローラーのようになっているヘッド部分を上の部分を片手で回しながら、片手で優しく寄せ、汚れをふき取る。つまるは「優しく」清掃するということである(非常に大事で、下手すると買い替えになるので注意)。綿棒を惜しんではいけないし、アルコールのつけすぎにも注意。父によると、レコード屋とかにこうした汚れをふき取るようなもの(クリーニング液)を売っているとのことだったが・・・。
本来ならばそうしたクリーニングテープを利用するのが筋であるかのようになっているのだが、はっきり言ってほとんど効果がないといってよい。おまけにヘッドが磨耗するため、実は非常にありがたくないのだ。
このヘッドの役割はビデオの中枢といってよい。再生・録画の画質はこのヘッドで全てが決定される。つまり画像と音声の能力は、このヘッドの能力全てにかかっているわけである。ビデオが高価か否かは、このヘッドの値段とBS、ゴーストリダクション機能、が主な理由になるはずなのだが、ヘッドがだめになってしまえば全てが終わりだ。そして、捨てられてしまう理由の大部分が、これに起因すると言ってもよい。ついでにテープの通り道も全てきれいにしておけばますますよい。
ヘッドを理由とした故障は、近年のデジタル化においても同じようなものである。
例えば、CDの音が読めなくなった理由はほぼ確実にこのヘッドの汚れに起因する。家でも使えなくなったCDデッキを開いて清掃したお陰で復活しているものを今でも使っている。MDも同様で、こちらは録画もすることから、汚れは大敵。でもヘッドをきれいにすればすぐに直るのである。
そうすることも分からずに修理費用が高くて捨ててしまう。本当に勿体ないことだ。そうならないように、自ら修理して使えるように勉強できるような環境が非常に重要と思うのだが、そうした情報は非常に少ないと言っていいし、ネットを回ってみてもヘッドの汚れに関してはメーカー側は手を出すな、という一点張り。ヘッド以外の修理のページは見つけたが、意外とこういうことを案内しているところはほとんどないみたいだ。簡単なので、紹介しようかな、と思ったりする。
ヘッドのクリーニングを丁寧にやると、明らかに画質の向上が見られる。丁寧にいろいろと清掃して、ホッと一息。
という間もなく、調子に乗ってVHSの方にも手を出すことに。今度もいろいろと清掃をしてやったと思って、事後確認を行うと・・・。音が出ない!!!
ヘッドのクリーニングがやばかったのだろうと再度クリーニング。音声は復活したのだが、今度は画像がざらざら。がーん。
再度、丁寧に、ゆっくりとクリーニングを行ったところ、ようやくきれいな画像を得ることができた。回転させながらクリーニングを丁寧にやるということだけなのだが、回転させるときに上の方に指が少しついてしまったのが理由みたい。
しかし、いろいろと録画をしてみたのだがフライングイレース(FE)機能の一部に障害が発生するようになってしまった。いわゆる、録画して停止した時に、そのテープの後ろの方がざらざらになってしまうのを防止するという、ビデオの高級機のみに許されたあの機能が・・・である。
ひとまず様子見だろうか。それでも明らかに画質が改善された。DVDがまだまだメジャーではない頃に買った高級機3台は、これからのHDDやDVDの時代に食われていってしまうと思うと残念な限りだが、今後発売されることのない貴重な高級機種なので、大事に使っていきたいと思っている。
最後に一言。この文章を見てビデオデッキ「など」をいじって動かなくなったり映らなくなってしまったりしても、私は一切責任は取れません。恨んでくれてもいいですが、苦情のメールをよこしたりしないでください。下手糞に清掃したあなたに全ての責任があります。下手糞でなければ、今以上の画質を得ることが可能でしょうし、捨てられる運命にあった製品をよみがえらせることもできるでしょう。
まぁ、いつかはもっとしっかりとした文章で紹介しようかと思っているけど、撮影者がいないから無理かな。修理する人は撮影できないし。
途中書いたように、下手に清掃すると音が出なくなったり画像がざらざらになったりすることがあることは実体験を持って示しましたので。
あと、利用する時の心構えとして、ヘッドを痛めるような「カビ」「ワカメ」のテープを利用することは厳禁。テープよりもビデオデッキをいたわりましょう。そんなになってしまったテープは捨てるように。
再び8mmに手を出す。なんとなく清掃量が足りない気がしていたので、もう少しやることに。さらにきれいになった。ひところのこれからは8mmの時代だ、と言っていたことを思い出させるような素晴らしい映りで、少し感動。再生機能にも明らかな向上が見られた。
がんばっていたら疲れて、寝てしまった。それにしても、ここまできれいになると思うと、何回も清掃してみたくなるが、やりすぎは当然ヘッドを痛めるので、我慢我慢。
食後、なんとも酷い時間の使い方をして、あっという間に時間がなくなっていく。
悔しいけど、体の調子がよくないことに起因しているのかもしれない。
明日は早起きしてサイクリングしにいこう。本当にするかは分からないけど。
2003年11月4日(火)
久々に早く起きたといっても8時半だが、それでどこかに出かけてみることに。「昼寝をしないように」「体の調子を整えるために」というなんともいいかげんな動機だったが、サイクリングへ。
多摩川水道橋を渡ってからは小田急沿いの側道を行く。高架化された後に側道を作るというのは狛江が始めてだそうで、今後の例になるかといえばそうでもないらしく、その事実を知った時には驚いたものだが、やはり日照権の問題を考えてもこの方法はいいんじゃないかと思う。
武蔵野崖線の急坂を登り、成城の碁盤上の道路を適当に北東方向へ向かう。結局都道118号から千歳台の交差点に至った。仙川周辺流域の道路の狭さにはなんとも・・・。
荒玉水道道路と甲州街道を避けるようにして適当に走ると、日大を見て下高井戸の商店街に入った。10時を過ぎているぐらいなので、まだまだ人は多くないか。
ここからは甲州街道沿いに。交通量調査をやっていた。笹塚の交差点から公団の古い団地が集中する道路に入った。ようやく郵便局を探しに入ったのはよかったのだが、見つからない。商店街が集中している一帯から見ていったのだが、どうもダメ。しっかりと横道まで見ていなかったことが失敗だった。オペラシティの郵便局ともども、今後の機会に。
山手通りから神田川へ。神田川の遊歩道は自転車には厳しすぎるほどだが、適当に切り抜けていく。すっかりと日差しが南にきた頃、ようやく東中野郵便局。学校の前にある郵便局というのはなんとも面白い条件だ。ちょうど学校では体育祭をやっていて賑やか。それにしても、久々に郵便局。なんとも心地いい。
このまま学校方面に戻っていくのだが、少し遠回りして新宿小滝橋郵便局。小型ビルの中、都心にはよくあるパターンの郵便局だった。ティッシュをゲット。小滝橋の交差点付近にはバスの営業所が大きく陣取っていた。あまり信号の効率がよくないようで、交通が滞っている。
早稲田通りを西に進む。まっすぐ走っていくだけ。何の変哲もない通りだ。車向けの店舗の数はかなり多い。
お寺の密集地を抜けると、中野上高田一郵便局。
中野に近づくにつれ次第に店も人も増えて走りにくくなってくるなか、天気も怪しくなってきて肝を冷やす。商店街を北に向かってしばし、見えにくいところに中野新井郵便局。何とも・・・という場所だ。ここで帽子の紛失に気付き、前の郵便局に戻って、発見。ほっ。
同じ道を行ったり来たり。ブックオフに入ってみたのだが、ここのブックオフはカバーがかけられている本があるという点で、他の店舗とは一線を画しているようだ。品揃えは比較的よかったが、常時収集の本はないので、そのまま通過する。
狭い通りに入って、中野五郵便局。ここあたりの商店街は活気があっていい。中野通りを過ぎるとようやく静かになった。
久々に見た中野新井二郵便局の古い局舎に敬意を示しつつ、環七とぶつかる。ここの交差点にあるセブンイレブンで初めての水分補給。汗が出なくなってから2時間ぐらいたったか。夏だったらかなり危険な行為だが、替えられないものがある。お金だ(爆)。200mmのジュースを一瞬にして飲み干す。
間もなくスーパーが見つかり、烏龍茶の500mmペットを税込92円でゲット。もうちょっと早ければ・・・。
到着するは中野大和町郵便局。さらに進むは阿佐谷北六郵便局。ここには3行のお宝印あり。何か天井が高いのが妙だ。
ここから北へ向かい、中野白鷺郵便局。中杉通りはバス通りにもかかわらず、狭い道路と歩道で自転車を停めるにも一苦労だ。
しかし付近の生活道路の状況は良く、適当に走って下井草南郵便局に到着した。ここで早稲田通りから開放され、荻窪を目指す。いい具合にいい場所に出て我ながらナイスと思いつつ、人の多い青梅街道の歩道に不法駐輪。西友荻窪簡易郵便局へ。3階に居を構えているが、人はかなり多く、かなり利用されている模様。荻窪駅に行ったことがないものの、構造的に考えると駅直結という郵便局で、利便性は高そうだ。
白山通りを経由して環八を渡る。今日の最後のノルマは杉並西荻北郵便局。今まで肩透かしを何回か食らっている。
生活道路を行く。環八の猛烈な混雑を尻目に、閑静な住宅街といった風情で、道路を作る意義はこういうところにある(環八ができたお陰)、ということをもっと人にうまく納得させることができればいいと思うのだが・・・。
今回も発見には困難を極めた。どうもここあたりの道路構造はうまく飲み込めていないことが原因だったらしく、東西に走る結構太めの道路沿いに佇んでいた。これで杉並区は50局。残り4つか。
程なく五日市街道に出た。ロンロンの手前ぐらいで南に走って井の頭通り、そしてそのまま直進するとなんと井の頭線の踏切が・・・。吉祥寺付近に踏切があるなんてかなり驚き。知らなかったな・・・。
直進すると、そこは井の頭公園。ようやくの休憩と昼食になる。母の作ってくれたおにぎりを食べると、ようやく燃料が蓄えられたな、という印象。食べずに走るというのは厳しいものだ。
休憩の間もなく、吉祥寺通りを南進。さらにむらさき橋通りに渡って南進、さらに三鷹通りに渡って南進。さらに武蔵境通りに渡って南進(爆)。いや、事実ですから。
学校到着は3時ぐらい。気合入れなおし。
結構疲れはあるが頭はすっきりしていて、結構勉強しやすい感じ。走りすぎではないこと、つまり適度な疲労感といったところか。5時間が目安だろうか。
この日も粘って11時過ぎの帰宅。疲れたな。
2003年11月5日(水)
ここのところ日記も書けないほど忙しく、1日前と3日前の日記は手もつけていない・・・。この日記も、夜更かしになることを承知で書き進めている。
朝は昨日無理をしすぎたか、ちょっと遅くなった。ひとまず溜まっていたアニメを見て、その後昼食前に少し勉強。このまま家でも勉強付けで普通に慣れればいいのだが、だんだんパソコンに向かうのがつらくなってきた。まぁ、こうして本気になれること自体が奇跡に近いことなのかもしれないけれど。
午後から昨日に引き続き自転車で学校へ。授業を受けて、研究室。あまり雲行きよくない。天気も同じく。
7時30分ぐらいに抜ける。既に雨が降り始めており、結構厳しいなと思いつつ自転車でそのまま帰宅へ。多摩川を渡ろうとしたところ、なんとパトカーがたくさん集まっている。ちょうど小田急と水道橋の間なのだが、これだけ集まっていると事件の匂いがするな・・・。やっぱり、殺人事件だろうか。・・・これじゃまるでコナンか金田一。ちょっと軽すぎか。
帰ってからも、少しのんびりしたぐらいでやっぱりプログラムの勉強に専念。
だが、多少は完成が近づいたかも。とりあえずエラーはかなり撲滅できたので、明日あたりからバグ潰しにかかれそうだ。
で、何を作っていたかというと、HTMLエディタ。別にそんなものを作っても研究の足しにはならないが、言語の勉強には悪くない。役に立つと思えば、感動があるだろう。それこそ、今回のプログラミングの狙いでもある。そんなものを作っている暇があったら、しこしこ書くほうが速い、とかそういうことではないのだ。
で、アニメがあったこともあるが、寝たのは2時半。はぁ、せっかくの規則正しい生活も逆戻りだろうか。
2003年11月6日(木)
確かに逆戻りのようで、起床は10時45分。大学生モード化。
プログラムを少しやって、家を出たのは12時半。授業を終えたが、その後は研究仲間があまりこないので、あまりやる気が出てこない。というか、ほとんどやる気が出てこない。はぁ。
夕食は9時前にパルコに行って安売り品を手に入れてきた。最終的な値段を考えると、それほど安くないのかもしれないが。
帰りルートは鶴川街道経由。検問を鶴川街道下りでやっていたけど、なんかあったのかな。いつも渋滞する場所なので、さして影響は無さそうだ。
古本屋に何軒か寄ってから帰宅。それにしても、結構霧がかかっていた。雨も弱く長く降っていたということか。
いよいよ、パソコン自体も勉強の環境へと変貌しつつあるようだ。ひとまず件のプログラムはエラーが発生しなくなったものの、バグがあるようで正常に動作しない。難しいものだ。
2003年11月7日(金)
この日は家にそのまま滞在。単に寝坊しすぎて、その上食べるものがなくて出かけるのが面倒になったという話なのだけれど。その間はアニメとプログラムの勉強。
母が帰ってきてから、残り物で昼食。食後は眠くなってプログラムどころか眠りのほうへ。
目が覚めた後、母と打ち合わせをして今日の夕食を外食にすることに決定。たまにはいいだろう。但し地元のピザ屋なのだが。
爪が短いことを何気なく考えていたら、ピアノを弾きたくなったので突如として弾くことにする。弾くのはどれぐらいぶりだろうな、などと考えてみたが、もちろん思い出せるわけもないか。日記で探すのは面倒だし。Namazuシステムを導入すると楽なのだろうけど、やり方が全然分からないし。
ピアノは6時にはじめて7時45分まで。指の先が痛くなった。全盛期の頃の指の筋肉が戻っていないのに、感覚だけ覚えているからな。
ところで、四苦八苦していた自分のHTMLエディタ作りだが、ついに完成。出来上がったのは夜の1時半。今のところはファイルごとにソースを書き換えなければいけないという妥協の産物だが、それでも無事動作して、微修正を繰り返してできたというのは感動。今まで使ったことのないような関数も山のように使っているし、ここ数日だけで一気に能力が進んだという気がする。
ただ、肝心のオブジェクト思考的な考え方は全然、か。main関数が一番下にあるという時点で非常に醜いだろうし、クラスが一つしかないというのもやっぱりという感じ。
それでも、出来上がったというのは、それだけで意義がある。これでソースをいちいち書き換えないで利用できるようになれば、日記の作業は一気に省力化されることだろう。できれば日記で書いているWordから直接読み込みたいものだが、邪魔なデータが多すぎるのでまだ無理かな。
にしても、文書の骨格は一日に出来上がったのだが、エラー潰しにもう一日、さらにバグ潰しに一日、さらに動作の微調整に一日、か(実質的に動くようになったのは0時を回ってからなので)。プログラムって、結局そういう風にできているんだな・・・。
最後のほうは、どういう風に書いているかを把握できなくなり始めて、大いに参った。だからこそのオブジェクト指向なんだろうな。
ひとまずソースを載せておく。私のプログラム人生の第一歩として。
充実感にふけりつつ、今日の作業はこれでほぼ終了。お疲れ様。2時半に就寝。
突然であるが、リンク集をようやく完全な再編にこぎつけた。ひとまずこれで一段落つきそう。一つの殻に閉じこもらずに、どんどんネットの世界を冒険していきたい。
2003年11月8日(土)
起床遅し。昼食は母にスパゲティを作ってもらった。そして3時に家を出発。京王YL駅へアクセス。
調布駅前にある新撰組の旗が気になったりするこの頃。来年の大河ドラマは新鮮組なんだよなぁ。そして近藤勇が香取慎吾・・・。でも脚本は三谷幸喜だし、結構いい感じで期待が持てそう。その頃の研究は・・・忙しすぎて全然ダメかも。録画で溜め込むにもドラマは厳しいなぁ。でも面白そうだ。
どうでもいいことを書いておりました。
突然現在の状況。ゼミが2日後に迫る中、必要な書類は学校から持ち帰って自分でいろいろとやってみなければならない、ということがある。そのため、ひとまず資料をかき集めて自宅に送信。
しかーし、その後しばし、学校ではしばらく作業をすることもなく、なんとなくネットサーフィン。おいおい。
5時ごろから勉強に入った。いろいろと問題点が多いし、その評価方法もどうも面倒だ。さて、どうしたものか。うまく行かない原因はある程度目星はついているものの、それをどういった評価方法で分離していくべきかとは非常に困難であるという気がする。その評価方法がある程度定性的に説得力をもたないと、意味をなさないからだ。誰もが納得できるような強い理由が・・・難しいものだ。
というわけでTAの仕事を終えてきた院生の人たちとともに、7時に学校を出発して帰宅モードに。パルコにも行ったが、研究内容が隅から離れないような感じで、結構いい感じの脳みその状態かな、と考えてみたり。
全員での夕食は久しぶりか。姉が新百合のビブレで山のように梨を、母が重たい父のバッグなどを大量に買ってきた。新装開店セール、か。
ハムスターが来てから一週間になる。店屋にいるのとは違って、人懐っこいし、噛まない。噛まないというのは重要なんだよね。威嚇するようなハムスターだったら、買っている意味が分からないだろうし。
だからといって、平然と仰向けに寝ていいというものなのだろうか。うーん。
顔が口だけになるほど大きな口であくびをしてしまうものなのだろうか。うーん。
今日も無事に終えようとしている。なんとなく感謝。
と思ったら、父がカビテープを利用してビデオをぶっ壊していて録画失敗・・・。クソが・・・。
2003年11月9日(日)
起床時刻は11時。どんどん遅くなっているな。
録画しておいたアトムを見たあと、バラ苑に出かけることにした。おそらく今日当たりで公開は最後だろう。
ついにモノレールの最後の撤去が行われるようだ。11月20日で終了。府中街道のバイパスを23時から6時まで通行止めにして行っているようで、これで完全の消滅するんだな、と実感。だが、それ以上に広くなった視界がもたらしたイメージはやはり大きく、モノレールなき後の遊園はどう変貌していくのだろうか、など興味が尽きないところだ。
バラ苑に到着。下から上っていかないというのがなんとなく面倒で、自転車で上までいけるようにしてほしいもの。自動車に関しては有料化されたようで、一日500円だそうだ。生田緑地は2時間400円だったか(調べれば分かるのだけれど面倒だ)と思うので、長く滞在する場合は有利かも。
階段を登ってバラ苑に到着。人はそれほど多くなく、休日でこれじゃあ、という感じ。やはりこういった施設はあまり人がこない、という印象はやはり強く感じる。特にボランティア化されてからバラの品質悪化が顕著なのは素人の私が見ても分かるのだから、ある意味当然の帰結ともいえる。
相変わらず気になる期間限定公開。まだ終わっていないどころかこれから咲く品種もあった。それでも期間を区切らなければいけないというのは、まだ遊園の工事を完了していないと言うことなのか。
バラの観察をする。やはり良くない。一つの枝にいくつも蕾をつているところなどははっきり言って論外。さらにいえば、無農薬になっているところは「アブラムシ」「うどんこ病」「黒点病」などのいかにもという症状が出てきてしまっている。酷いものには食害も発生しており、手が回っていないことが明らかだ。
昔管理していた人を雇って何とかならないかな。周辺住民には技術を与え、住民からは手伝ったりしてもらったりしてとか、そういう感じでやっていくんだったら結構うまく行ったんじゃなかったのか、と思うのだけれど。
全体的に見ても、バラの輪郭の崩れが激しいことが明白。特にアブラムシとうどんこ病は目の毒。あと蕾をある程度つんでおかなきゃいい花は咲かないのだろうけど。
かといってボランティアに参加するほどの時間は全然ありませんな。
一通り見終えたので、新しくできた裏門へ。かつては全く立ち入ることもできなかった向ヶ丘遊園の周辺部だ。ただ、出たところはある程度整備がされているところで、昔歩いたことのあった道。間違っても遊歩道などとはいえないが、前きたときよりは整備されている感じ。やはり人が通行できるぐらいに草を刈ったのだろうな。ここを左に行けばいつものところだけれど、右のほうは崩落寸前の場所もあってかなり危険。
ひとまず左へ。少し行くと尾根上にある広場になっている。ここから来たところを含めて四方向に行けるわけだが、左は南の住宅街から遊園地の裏門があった場所へつながるし、直進するとどんぐり山の道路からふるさとの小道方面へ向かえる。右へ向かうルートが案内されていて、これが通常ルートだろう。
いったん直進して変わりないことを確認してから、右のルートに入る。右のルートは実は初めてで、どのようにつながったか興味深いところ。歩道もかなり広めで、整備状態も結構いい。
しかし途中で廃道っぽいしっかりとした歩道があったので、そこに突入することにした。真っ暗でくねった小道を進む。整備されているものの、人が来る気配もなく、打ち捨てられている。整備したという時点で、かつてから生田緑地計画の一端を担う予定があったことが伺えるのだが、今は現在の青少年科学館周辺を中心にしていることから見ても、その面影もない。人すら一日に一人通るかも分からないレベルだ。
そこを抜けると、山里のような住宅が点在するという妙な光景が現れた。廃屋も存在しており、人気は全く認められない。しかし車が置いてある家には確かに人が住んでいるのだろう。こんな所に住むというのは、どんな気持ちになるものだろうか。恐ろしいほど周辺は静かだ。府中街道の車の音が聞こえてくる。
周辺の廃道を探す。怪しいところはいくつかあるが、私有地とも言える場所には迂闊に近寄れない。廃屋の近くを散策してみたのだが、がけ崩れの跡が生々しく残っており、これによって家を放棄したのだろうか、などと類推してみたりする。なんか凄い場所だな。がけ崩れの中にも廃道が認められたが、崩れているので進入は困難。よって断念。
最深部も一応行き止まりになっていたので、砂利道を下る。谷戸沿いに作られた住宅街が進入しているといった感じだが、府中街道から眺めても、こういった存在は全く見えてこないというのが不思議だ。
ひとまず入口を探すが、進入を禁止するが如く、針金が張ってある入口も存在している。生田緑地の裏の世界、といったところか。こういったところがあるから、生田緑地のページの公開がいつまでたっても進行しない。うーん。暫定公開に踏み切るかな・・・。
横に入って進んでいくと階段があった。階段を進むと、まるで私有地で行くのすらためらわれるが、ここあたりはこういった道は常識になっているので、躊躇しつつも進んでいく。すると、あるところを境にうっそうとした森林の中の道に入っていく。しばし進むと、バラ園から出られるところから右へ行ったところにある道に出た。比較的太いとはいえ、バラ苑に向かう方向には、前は途中に大きな倒木があって乗り越えるのが大変だった、などという強烈な状況がこの道の現状だ。
バラ園の方向に行ってもしょうがないので、左へ。ここからは視界が利かない笹薮を抜ける。抜けると、ここから直進は「出入りお断り」という看板。戦争中に掘った深い穴が山のように存在するため、危険なので近寄ってはいけないのである。
そういう所なのである。
人も来ないところなので、ずばり遭難の危険があるのである。
住宅街が目の前にあっても油断は禁物。恐ろしい所だ。
さて、右手に道がある。ひとまず進むが、間もなく笹薮の中を書き分けることになった。下り坂なので、そろそろ出口が近いかと思えるのだが、なかなか出られない。
左手には崖沿いにお墓があり、お寺がここ辺りにあるのだな、と分かるのだけれど、目立たないせいかそのお寺がどれほどの大きさなのか良く分からない。さっきの看板はお寺のものなので、それなりに大きそうなものなのだが。
出てきたところは、正に圧巻。普通こんな入口わからねー。だからこそ、穴場なんだろうな。
荒捜ししなければ分かるまい(電柱の横が入口)
|
おなかも減ってきたので、今日の散策はこれでおしまい。バラ苑までが遠い。自転車を取りに行かなくては・・・。
帰宅時刻は2時過ぎ。
母と姉は新百合のビブレから帰ってきていた。ビブレのセールは3日間の内2日間お世話になった。昨日は姉が2回もいっているので、かなり行ったな。
今日は相撲が始まっていたり、投票日だったり。そうなんだな。
しかし、今日は勉強を全然しなかった。困るじゃん。
明日の発表どうしよう。
そんなことを考えている内に選挙の結果が出た。与党絶対安定多数、ですか。コイズミ信任おめでとー。結局国民が選んだのはコイズミなわけね。はぁ。これで自衛隊員が山のように死ぬな、多分。
寝たのは2時ぐらい。あんまし眠くない。
2003年11月10日(月)
起床時刻は8時。意識をもって寝ていたお陰だろう。
レポートの完成を急ぐ。一日中雨という予報がうんざりさせてくれる。事実だったし。
ひたすら勉強を続けて昼食の時間。というわけで卵納豆ごはん一丁、プラス姉の虫食いパンを2つ。虫食い・・・。
3時に印刷を終え、出発。4時半からの研究会。無事には終了せず。ちゃんと考えがまとまっていないから批判を受けるんだろうな。考えがまとまっていて、それがどう役に立つかを説明できなくては。役に立つことは自分の中で常識になっていても、それが説明できないというのでは・・・。何に向かっているのかを改めて考える必要がありそうだな。
研究会は2時間45分の熱戦。疲れたのですぐに帰る。明日も発表が続く。
さて、どうしたものか。明日の発表内容。
余談だが、こう忙しい日々を過ごしているうちに、西沢渓谷の紅葉は終了。雪でも見に行こうか。それともどうする。今年も逃してしまったな・・・。
はやて一周年パスで、函館まで行くとか。6・7・8日あたりは使えそうかも・・・(本当だろうか)。
紅葉が過ぎるのは早い。稲城南山と生田緑地は・・・。
ところで、この日記が私にとっての自作プログラムの利用第一歩となるわけだが・・・。
正直感動。一瞬にして日記が出来上がるなど、今までのことを考えると、信じられない落差だ。これがプログラムの威力か・・・。
今日も夜は遅い。