郵貯日記(2003年9月中旬)


2003年9月11日(木)
 風邪をひいているので、一日安静。できる限りの事は・・・ということで。
 かといって、この日は非常に暑く、冷房のない部屋で過ごすのも結構つらかった。
 それにしても、NYのテロから2年ですか。あれだけ大騒ぎされても、だから何、という感じになる私は鈍いのでしょうか。地下鉄サリンの時もそうですが。あの時、父はサリンを撒かれた電車の一本前に乗っていましたし、その日も私は地下鉄で通学していたわけなのですが、3月の真ん中ぐらいというところぐらいです、覚えているのは。酷い話ですね。でも、わたし達にとっては大して重要な話じゃないんです。
 で、言いたい事はというと、自分の身の回りのことでもないのに、なぜ日本のテレビ局や芸能人や文化人があそこまで騒ぎ立てるのか理解できないし、それこそ何万と死んでいるはずのアフガニスタンやイラクなどの人たちには、どういった方法で冥福を祈ればいいんでしょうか、と純粋に考えてしまう私は若いんでしょうかねぇ。ま、テレビ局はネタがないから、というのが理由になりそうですが。
 それにしても、石原都知事がテロ促進運動をされたようで。毎度毎度、彼の行動はわかりやすくてありがたいです。ああいった人間が国会議員じゃなくてよかったですな。それにしても、実は石原都知事はアルカイダの幹部だったりするんじゃないでしょうか。いやいや、ありえない話ではないですから油断禁物です。何せ、今回の言論は正にテロ攻撃といって良いものです。
 それにしても、この人はいくつかの政策などで長けた人なので、今後も期待したいのですが、こう不適切な発言を続けられると、外国から日本人全体が同類と思われかねないので、こういう発言が出てきたときは共産党のようにしっかりと批判して頂かないと困りますね。この人は都知事をやっている限りは外交政策は何もできないからいいと思っていたのですが、こういうヤクザ的な方法で外交を操る方法があったんですね。知りませんでした。正に石原氏本人が『テロ』の権化のような存在です。あの発言はテロリストとして、正に地が出たといって過言ではないでしょう。これからも気をつけないといけません。
 野中さんも引退されるようで・・・。自分の思い通りにならなかったから引退なんて、格好悪いからもうちょっと頑張ればよかったのに。ブッシュ君の戦争も終わらないですし、コイズミ君のポチ外交も相変わらず。それを支持する日本国民。この国は、何かに毒されているかのようです。今年の名月の季節も、なかなか落ち着かない日々のようで。
 とりあえずさっさと風邪を治さなくてはいけないようです。風邪をひいているから、こんなに愚痴っぽくなるのでしょう。愚痴ってどうなるわけでもないのですから。


2003年9月12日(金)
 大変よく晴れて、暑い一日になりました。東京では今年2度目の34度を超え、厳しい残暑になりました(←天気予報やってどうする)。
 さて、昼食はそうめん。量が多く感じられて、恐ろしいほどの満腹感に襲われる。そうめんの食べすぎは厳禁だな。
 学校へ。今日はブックオフの開店日だ。当然寄って行く。人の入りはこの時間にしてはそれなりか。特にご祝儀で入っているという感じではなかったと思う。
 京王の弱冷房車に乗ったのだが、これが凄い暑さ。電車の中で汗だくになってしまった。別に人がたくさん乗っているわけではない。着席の余裕がある状態にも関わらずである。調布で降りたときに外のほうが涼しく感じたのは、気のせいだったのだろうか。かなり異様な体験をさせていただいた。
 ※教訓:京王の弱冷房車には気をつけるべし。
 研究室で、しばし研究テーマについていろいろと。何か、困ったことばかりだ。あと5ヶ月で何ができる。プログラミングの能力もないというのに。どうしろというのだ。どうしろというのだ。今月になってから、これについて一体何回書いたのやら・・・。いいかげんにしたいのだが、本当に困っているのである。書くだけの理由があるのだが、情けない限りだ。しかし、その割には全然努力が足りないが。
 ところでちょっと前のウィルス騒ぎについてなんだけど、大学はそういった外からのポートは全て閉じているようで、全然問題なかったようだ。よく考えたら、ポート開けっ放しなんて大学だったら外からの攻撃にさらされ放題だから、確実に信頼なくすよな・・・。全く、私も何を考えているんだか。だから、学校から添付ファイルを送れないんだな。UNIX的な考えが大学のプログラムの基本だもんなぁ。
 4時間ほど滞在して離脱。パルコでは5%割引セールの開始となっていた。ちょうど腹が減っていたので、シュークリームを一つ。105円の割引で実質99円。調布の南口広場で食す。その後は調布中央図書館に行って、しばし読書。調布の中央図書館は8時半までやっている。この時間帯までやっている図書館は、全国でも早々あるまい。改めて思うが、調布は本当に凄いな。
 ぎりぎりまで引っ張ってから帰る。急行が京王多摩川停車。今日は競輪があったようだ。それにしても、うちの大学って府中競馬場や多摩川競輪が近いのに、そういうのに詳しい人が全然いないような気がするんですが。大学の気質というやつなんだろうな。早稲田あたりだと、ありえない話なのだろうけど。
 帰宅後は時間が短く、録画のアニメを適当に見て終わっていった。


2003年9月13日(土)
 いやいや、今日も暑い限り。
 あんまり暑いと、体も相当変になってしまう。かといってクーラーにさらされると、病み上がりの身には、風邪がぶり返しそうになってしまい、なんともうまくいかない。
 結局クーラーのないとっても暑い部屋にこもっていると、汗が際限なく噴出してきて手の打ちようがない。
 さて、昼食はそば。相変わらずわさびがよく効く。
 昼食後、少し遊園の周辺の撮影会を行い、そして戻ってくる。最近、カメラの撮影を忘れているような気がしてならない。特にマクロ。
 午後4時半に家を出発。久々に一家4人、それも電車でのお出掛けだ。食事に行くのだが、電車で4人というのは、かつての行動パターンだったのに、いまや車にとって変わられていった。全く変わったものだ。都心に行くのだが、それでも父は車がいいと最後までごねて大変だった。
 向ヶ丘遊園駅へアクセス。パスネットで流れていく。急行が来たので即座に乗る。新3000形だ。この車両を母が狭いと文句を言っているのだが、絶対気のせいだと思う。混雑はいつもに比べれば少なかっただろうが、それでも100%はゆうに超える混雑が続いた。
 上原で対面乗換、そしてすぐの発車。通常はもぐる時に並走する小田急にぶっちぎるのだが、最後に小田急のほうが早い場面もあった。3000形、けっこうやるな。営団6000系と張り合うとは。
 わたし達の乗った営団6000系は昭和59年製、赤いシートに緑の車内塗装、完全に昔の面影を残していた。方向表示板のLED化などから生き残った少数派で、古くてもくたびれた感じを全く受けない。さすがだ。加工されていないインバーター音がうるさくなくて、逆に心地よい。
 国会議事堂前で下車。南北線に乗りかえる。乗換には多少時間がかかるようだが、気にするほどでもないか。しっかりと後ろのほうに乗っておいたのも功を奏していた。
 武蔵小杉行きの電車は埼玉高速の電車。南北線の電車って、ほとんど埼玉高速のような気がするのだが、なんでだ。
 白金台で下車。目黒方の出口から出る。それにしても、この深さは異常だ。エスカレーターこそあるが、この深さはちょっと。出口付近ではなぜか祭り。何の祭りか。
 とあるイタリアンの店へ。外の造りは凄い。やはり白金か。
 中に入ると、恐ろしいほどの大きな挨拶とともに、席にご案内。とりあえずさっさと食べたいので、ちょこちょこと頼む。
 味はそれなりに上位に置きたい。値段からしても、妥当な線だろう。十分なサービスだ。
 会計は約10000円。4人で食べて飲んでならば、これぐらいでもちょうど良いだろう。
 帰りは歩いて適当に都心を巡ろうと思い、外苑西通りを北へ。高級そうなマンションとおしゃれな店舗の連続を両側に見つつ、間もなく首都高にぶち当たると、そこが白金の限界地点。ここあたり、ベンツ率は約3割程度。はっきり言って異常だ。
 しばし歩くと、天現寺橋の大きな交差点に到達。この交差店の歩道橋麓に慶應の幼稚舎が・・・。すっげーな、こんなところにあるのか。
 歩道橋を渡って広尾へ向かう。左手に都営住宅と思われる大きな建物が続く。広尾駅に到着した時点で、父が限界宣言を出し、散歩は終了と相成った。たった1.5kmで散歩終了。つまらん。ただ、この1.5kmが駅勢力圏ないとするのはやっぱり変だな。徒歩では、この距離はもう無理だと思う。それにしても、広尾駅は浅い。今となってはもう無理なんだろうな。この浅さは。
 広尾駅でパスネットを投入して、対向から元住吉行きの電車を出した後、北春日部行きの電車を向かえる。日比谷線の最高速度は60kmのようで、ノロノロ運転にうんざり。このノロノロ運転は古い地下鉄共通だが、全く救いようがない。うんざりだ。
 ようやく霞ヶ関に到着。乗換へ。やはり場所を計算してあるので乗換はスムーズ。JR203系が到着した。先頭車両はクハだったので、ゆれが大きい。失敗したか。クハのくせに車内騒音が異常に大きいし。
 父は完全に電車で熟睡モード。ほろ酔い気分といったところか。こういう風に寝たいから、車が良いらしい。いいご身分ですな。自分で運転する場合は、ダメ、ということになるわけだ。ふーーーん。
 上原で乗換。先頭車両だったので混雑がいつもほどではなかったのか、それとも今日はあまり込まなかったのか。理由を考えるのは難しい。とりあえず、殺人的混雑には程遠く、混雑率は150%に達する程度のものだった。楽勝のレベルだ。それにしても、またも3000形。もう2600形は全部廃車になったのだろうか。
 車内からは猛烈な渋滞になっている環七と環八の外回りの惨状を見る。それにしても、異常だ。完全に停止しているこの状況をみると、やはり電車でよかった、と改めて思わされた。
 遊園では20000形の回送を偶然目撃。ホームウェイの喜多見車両基地への回送だろうか。
 帰宅後はのんびりと。就寝は1時40分。


2003年9月14日(日)
 起床時刻は鉄腕アトムの時間。どうもここのところ遅い。
 昼食の後、梨もぎのために父に同行。登戸小付近にある梨園へ。ここの梨園はおまけに何個かくれたり値引きしてくれるということはないが、代わりに味が絶品。匠の技を見られる梨園だ。
 今年の梨に関しては雨が多いために大きくなった代わりに甘味が弱めとなっている。さて、今年の二十世紀と豊水はどうか。この時期に取れるのはこの二つと新生になっている。かなりもぎ取って5890円。
 帰宅後は少し文章を書き、それを書き終えるとネットを循環。その後はプログラムの勉強を少しだけ。
 夕食後は柔道で田村亮子の6連覇、鈴木の無差別級優勝を見て、そして借りていたCDを少し聞いてから調布国領のTSUTAYAに向かうことに。夜のサイクリングは快適だが、代わりによく見えないのである程度慎重に進んでいく。
 返却後、めぼしいモノが全くない。これは酷い。ということで、借りることなく店を出た。非常につまらない。
 そこでちょっと無理をして溝の口に行くことにした。この時期はどこの店も半額で借りられる。ならば、である。
 国領駅付近のきれいな光を見ながら進んでいく。地下化が完成した後どうなっていくのか興味深い。くすのき団地を進みながら再び狛江通りに合流後、旧品川通りから多摩川の河川敷に向かっていく。後は河川敷を橋って多摩川水道橋を渡った。
 さらに溝の口へ向かって南武沿線道路を驀進。道路はガラガラで、世田谷通りとは大違いだ。ここをひたすら突っ走ると、水道橋から15分で溝の口に到着。溝の口のTSUTAYAでビデオを4つ借りた。後は溝の口の夜景を適当に撮っていく。早く帰らないとさすがに母が心配しそうなので、急いで帰ることにする。
 帰ってから12時過ぎにアニメを見だしたのだが、1時ごろ姉が帰ってきてアニメは中断せざるを得なくなった。アニメの社会的立場の弱さを常々実感する限り。露骨にテレビの近くで待つそぶりをされては、見続けるわけにも行くまい。
 2時前に就寝。その後、姉は借りてきたビデオを見ていたようだ。


2003年9月15日(月)
 ネットを循環して、久々に自分の日記を比べてみる。自分がやっていたときに、他の人がどういう行動を取っていたのかを調べることは、結構面白いことなのだ。
 それで久々に今年1月の日記を見たのだが、あの頃が本当に酷いことがたて続けに起きていたんだな、ということを思い出した。今から見ても、あの時の精神状態はかなり酷かったと思う。それは日記中にはそれほど溢れ出してはいない(全てを書ききったわけではない)が、それでも十分に思い起こさせるのに十分なないようだったと思う。
 よくあの1・2月の災難を乗り切ったよなぁ、と今でも思う。あの頃、旅行する前は体重が2kgも減っていた。精神的なダメージがそれだけ連続して蓄積されたのだ。
 そして2月に3度目の正直で決定した研究室が、今の私のねぐらだ。本当に、先生の優しさと厳しさに、改めて感謝したい。心の中から感動すら覚えるほどだ。
 自分の日記を見て感動するって、変人ですかね。でも、あの頃の日記があって、本当によかったと思います。今、幸せだということが実感できたから。かなり臭いですね。いや、臭すぎですね。臭過ぎるのでちょっと避難したほうがいいですね。失礼致しました。

 さて、午後は新百合ヶ丘へ。久々に車を出す。最近は遊園のライフで買い物を済ませることが増えるようになって、新百合ヶ丘に行く機会は激減。車で新百合ヶ丘に行くのは、相当久々だろう。
 その車での新百合ヶ丘行きなのだが、今日は相当ひどい混雑になっていた。根岸陸橋を降りてから間もなく渋滞し、よみうりランドまで約25分。百合ヶ丘まで35分ぐらいかかった。さらに新百合ヶ丘付近の渋滞で、45分。6kmで45分。いやはや遠い。ただ、駐車場は何とか入れた。満車を予測して敬遠する向きもあるのかな。駐車場からは万福寺方面を望めるが、特に変わった動きがない。なぜだろう。
 まずはハムスターの砂。これはOPAで。さらに私の夏物の補給。いつのまにか凄い少なくなっていて、非常に困ったことになっているのだ。しかし、ヨーカドーではもう終わっていて、デザインも値段もばかばかしいものしかなく、ついでにユニクロにも行ってみたが、夏物は完全に終わっていた。残念。
 再びヨーカドーに戻る。専門店もダメ。これで断念。
 地下1階へ。食料品を久々に買い求める。そうして買うものも買って、後は帰宅になる。
 百合ヶ丘からよみうりランドまでの混雑を抜けると、後はスムーズ。ただ、3連休の終わりだけあって、見事な混雑だった。
 帰宅後は、適当に。夕食は前日に購入したステーキ。こうした肉を食べる『焼肉』『ステーキ』に関しては、家で食べたほうが、ずっといい肉を安く味わえて最高だと思うのだが、どうだろう。焼肉を外で食べる人たちの気が知れない。
 夕食後は、適当に過ごす。のんびりとした連休はこうして終わっていった。
 本日の就寝時刻はアニメに合わせて午前2時。


2003年9月16日(火)
 気持ちが乗ってこない。だから、起床時刻も遅くなる。
 9時起床。しかしやる気は遥かにそれに及ばず、そのまま昼食の時間を迎えた。母に作ってもらったおにぎりを食す以前に眠気に襲われ、死。
 起きると、大曽根駅付近のビル爆発のニュース。これはさすがにびっくり。おまけに、この駅はガイドウェイバスやら色々とある、交通の要所なのだった。このガイドウェイバス、ゆとりーとライン、というらしい。ほほぅ、知らなかったな。
 おにぎりを食べた後、適当に過ごす。それでダメと思って、少しだけ研究のおさらい。
 夕食。いくらがおいしい。
 夕食後、学校へ行くことにした。やはり、研究は学校でしかできない。
 自転車でやや遠回りして学校まで30分。21時までは入れる。それ以外の時間は無理。日曜日なども無理。結構不便だ。出るのは自由だが。
 到着は40分。それ以降、12時10分まで、先輩の研究論文や、データを見て、何か出てこないだろうかと、いろいろとグラフ化してみる。そうすると、気になった点がいくつかあった。それにしても、3人の先輩がまだ残って、いろいろと。教授も11時まで残っていた。ご苦労様。私も12時15分に帰宅する。45分には家に到着。
 帰ると、もう時間がない。おまけに夜更かし。


2003年9月17日(水)
 今日は昨日の夜更かしで眠く、昼寝の時間を考えると0時30分ぐらいまで寝ていたことになりそうだ。
 ひとまず2時半前に学校へ向けて出発。41分の電車で京王YL駅から。3時から6時過ぎまで学校にいた。この間、いろいろと思ったことがあって、D5先輩に疑問をぶつけてみた、というかどうなのだろうか、ということを聞いてみたのだが、どうも私の基本的な勉強不足が原因のようで、全くかみ合わなかった。情けない。
 事の原因は結構説明に時間を要するのだが、簡単に言えばアナログとデジタルの違いを考慮していないがために、その特性が現れることに敏感になってはいたものの、それ自体は大きな意味を持たないこと。また、その違いと言うのは、実際に換算してみると、それもまたそれほどの違いはないということだ。何とも難しいと思っていたのだが、よくよく考えると、確かに当然の話。やっぱり情けない。
 こんなんで、まともな卒論を書けるのだろうか。・・・・・・。
 帰宅後、それについて書こうと思っていたのだが、家に帰ると怠け癖が・・・。
 やっぱり情けない私だった。


2003年9月18日(木)  多摩川遡上大作戦

Term 1  始まりはいつものように
 久々に早めに起床。時刻は8時ごろ。どこかに行こうという気持ちが強く現れたのだろう。
 となれば、どこかに出かけるのが筋である。しかし、朝食を食べ終わると、時間的余裕で考えると行ける場所は秩父・奥多摩ぐらいだ。秩父は今行っても、暑いだろうからあまり嬉しくないし、奥多摩は休日でもいい。
 結局サイクリングに落ち着いた。いつものように郵便局を絡めたサイクリングの予定である。
 家を出発したのは8時50分。府中街道とその周辺道路を抜けていく。矢野口の交差点は南武線の踏切で、府中街道と鶴川街道の全てが麻痺状態。いち早い立体交差の完成を望みたい。
 その立体交差の高架橋を見ながら、旧川崎街道を行く。踏切を渡り、しばし稲城の田舎の光景に見守られながら、久々のサイクリングを味わっていた。
 またも府中街道に出た。そのまま是政橋を渡る。かつての旧是政橋は、ついに取り壊されていた。大丸の踏切が撤去されるとほぼ同時に4線化を達成するのだろうか。
 ようやくサイクリングロード。北に向かって遡上を開始する。青天は別に特にどうでもいいが、多摩川の彩りもいよいよ秋という感じ。途中で凄いペースメーカーが現れたので、これについていく。ついていくと、ほどよく乳酸の分解が活発化して、いい感じになってきた。ペースメーカーは四谷大橋まで引っ張ってくれた。ありがたい。
 日野橋の1km手前から道がなくなるので、甲州街道にいったん出る。ここあたりまで狭い4車線道路が続く甲州街道だが、歩道はこちらはさらに狭く、対面交通は不可能で、所々の離合ポイントをうまく使わないといけない。
 日野橋の交差点に到着。ここが渋滞ポイント。左折になる甲州街道は車線が事実上の減少になる。但し、常時左折可能な構造になっていて、それでもかなりマシな構造にはなっている。一方新奥多摩街道に向かう道路、つまり直進も1車線。交差点を過ぎると二車線なので、いかにも効率が悪いが、交差点の広さではこれが限界か。交通量の多さに吐き気を覚えつつ、3回渡ってようやく甲州街道を横切る。そのまま立日橋北の交差点に至るわけだが、またも信号に嫌われた。そのまま橋の方まで行って、サイクリングロードに再合流する。ここが非常に面倒だ。
 残堀川のせいでやや複雑な形になるサイクリングロードを進む。出発から1時間、ここでようやくのトイレ休憩。結構いいペースだろう。
 中央線の201系を目撃してからは、走りも比較的ゆったりとした展開に。多摩川の植生は次第に変化しているように見えたが、それを勝手に決め付けることに抵抗を覚えつつ、多摩川大橋の都道を横切る。ここから先は一気にサイクリングロードが隘路に変貌。ここ辺りになると、既に自転車の数自体が非常に少ない。そこを、八高線塗色の209系が4両、軽い音を出して走り去っていった。こりゃあ、結構な偶然。
 多摩川大橋−拝島橋は遊歩道然とした道路が続いた。
 不意に拝島橋に出た。ようやく、これで貯金活動をはじめられる。というわけで、ひとまず郵便局の場所を確認しようとリュックの中を探った。


Term 2  トラブル発生・五日市へ。
 が、地図がなかった。これは参った。これでは郵便局の場所がわからない。
 まぁ、それでも適当に探せば・・・。
 しかし、もう一つの事実に至るまで、そう時間はかからなかった。
 地図のセットに、貯金通帳も入っていたんだっけ・・・。



 ・・・・・・。
 なんてこった。貯金ができない。
 早くも目的が失われて呆然とせざるを得ない展開になってしまったのだが、かといって、このまま帰るというのは選択肢に入れたくはない。既に拝島橋。家まで直線距離で20kmはある。ばかばかしくて帰れるか。
 貯金ができないとなると、新たな目的を作るしかない。となると、持ってきているカメラを有効に使用したい。
 ひとまず秋川遡上で五日市に向かうことにした。
 多摩川を遡上する。相変わらず隘路が続くが、舗装はきちんとされているので、やや凸凹しているとはいえ走りやすい。しばし走ると、広い公園、福生南公園になった。そして橋が姿をあらわす。睦橋。多摩川で人が渡れる橋の中で、下流から19番目の橋になる。機能重視といった風の橋で、特に凝ったデザインは全くない。今の川原橋に通じるところがあるような気がする。古い橋というには語弊があるが。
 この橋を通る通り名は睦橋通り。都道7号の名を頂き、道幅こそそれほどではないが、往復4車線の高規格道路だ。その割には交通量はさほどではない。おまけに山のほうから来る車のほうが多いというのは、少々意外だ。おそらく、圏央道、日の出ICからの流入なのだろう。
 しばし走ると、郵便局の姿あり。無視だ。
 交通量調査をやっているようで、主要な交差点にはとある計機(なんて言ったっけ)を使用して、数を数えている。カシャカシャと。確か日給は結構よかったと思うけど、この仕事は意外とつらいよな。実は、姉がこういうことをやったことがある。冬とか夏は大変な仕事なのだ。
 国道411、滝山街道との交差点でいったん離脱する。ちょっと登るような感じになっていて回避したのだ。油平の交差点で右折して、秋川の河川敷に出る。そこに至るまでの田舎道が、「多摩」という感じで、なんとも堪えられない。
 渡ったすぐそこに、東京サマーランドが向かいに位置していた。後方を見ると、圏央道の高規格な高架橋がある。まだ開通していなかったか。
 秋の花コスモス、秋の虫トンボ、とともに遡上を開始。向かい側は結構切り立った崖になっている。
 橋を渡ってサマーランドを横に見るようになると、突然とんでもない上り坂。しかし回避の方法はなく、しぶしぶ登るしかなくなった。この坂は押さざるを終えないほど厳しい坂で、上っていくと、一気に付近の様子を一望できるほど視界が開けた。信号のある交差点と、最近できたのだろうなと思わされる高規格な網代トンネルが存在していた。武蔵増戸駅まで1.xkmだそうな。そして非常に高い場所にある山田大橋を渡る。この暑い日のせいで、橋自体が非常に熱せられていて、熱いの何の。自転車から足を下ろすと、それだけでつらくなってくる。降りなきゃいいのだけれど、撮影をするのにはおろさないといけないので。
 山田の交差点に到着した。武蔵五日市駅を目指す。結構遠いなと思いつつも、ちょこちょこと水分補給と撮影をしながら。橋を二度も渡った。橋の上から見る川の流れは、既に渓流といった趣。

 橋の上から

 そして突き当たる。そこが、新しい高架駅となっている武蔵五日市駅。あまりに相応しくないその風貌に、JR東日本の統一デザインを感じていた。その高架橋は、まるでその先の延伸を狙うかのように、ばっさりと切れていた。
 到着は11時30分。出発から2時間半たっていた。これによって、1/25000の地図、19枚目の達成だったと思う。あまりに増えてきて、最近わからないな・・・。


Term 3  限界に挑む
 ひとまず燃料の補給が必要と思い、駅ガード下(←それは違う)にある神戸屋に入った。店内での食事が可能というので、当然それを選択。315円。外は暑いので、ありがたい限りだ。
 2つ買ったパンを食する。それなりにおいしい。食べ終わったのはいいのだが、その後水を三杯も飲んでしまった。思っていなくても、それだけ体(喉)が渇いていたということなのだろう。サイクリング中は節電モードになっていて気付かないことが多い。注意が必要だ。12時に店を出た。
 ひとまず、できるだけ体に水をつけて体を冷やしておく。そうしてから出発する。
 とりあえず12時30分ぐらいまで、行ける所まで行ってみようかなという軽い気持ちで檜原村方面を目指す。檜原街道を進んでいくのだ。
 街道にあった商店の列も、あるところを境に一気に途切れ、一気に山間といった雰囲気を強めていく。それでも勾配はそれほどではない。厳しい勾配になったら、すぐさま引き返す予定だったのだが、多摩丘陵のように強引な開発をしていないため、それほど酷い坂はないようだ。基本的に、川沿い(但し崖の中腹部)に道路が作られているということもあるのだろう。
 戸倉の交差点のセブンイレブンを最後に、完全に商店の姿は消滅し、カーブが所々で連続する山道になった。しかし、勾配はゆるいし、道路規格が良いのでので走りやすい。
 十里木(じゅうりぎ)の交差点に到達。いったん檜原街道方面に向かったのだが、秩父多摩国立公園の標識を見て、ひとまず引き返す。

 ちょっと考えさせられる標識
 振り返ると、そこは山の中

 そして養沢(ようざわ)方面へ。すぐそこに休憩所が存在していた。車なども駐車できて、道の駅のような設備はないものの、休憩場所として、非常に貴重な場所だ。トイレがあるため、結構多くの車が停まっていた。
 日本の滝100戦に選ばれている払沢(ほっさわ)の滝へは、地図を見る限りでは3km程度に見えた。となると、約10分でいける。確か車道から歩いて10分ぐらいだったはずなので、せっかくだから行っておきたい。現時刻は12時25分。まだまだ何とかなる。
 というわけで、再び国立公園内に入って、山の中の道を高速走行する。左カーブのときは、後ろから車がきていないことをしっかりと確認してから、というのは常識ですよね。それにしても、森が深い。
 かなり走って、ようやく檜原村に入る。今まで町ですら突入したことがなかったので、非常に貴重な体験。ついに自転車で村まできてしまった。
 ここからもかなりの距離があり、払沢の滝には全然到達しない。途中すれ違うバスが、ほとんどガラガラ。こりゃひどい。
 檜原村役場と檜原郵便局の建物を見ると、地図上でも有名なT字路に到達する。北に行けば北秋川、南に行けば、南秋川。北は奥多摩方面に隘路でつながり、南は甲武トンネルを経て上野原に至るルートと奥多摩周遊道路を経て奥多摩湖に至るルートに分かれる。観光シーズンは渋滞ポイントとなる場所として有名だ。この付近では、ちょうど工事中。9月の平日。確かに今ぐらいしかない。おまけに、今日は奥多摩周遊道路は都民の森以遠は通行止め。土砂崩れなのだそうだ。いつの雨だろうか。
 北へ向かい、払沢の滝を目指す。ここからも多少あって、間違っていないか肝を冷やした。道から外れて間もなく、その案内が。それにしても、こんなところまで、自転車で、来てしまった。はっきり言って、ちょっとやりすぎという気も。それにしても、よく着いたものだな。十里木から20分弱。結構あった。5kmである。12時45分の到着だった。

 装備はハイカーとは程遠く

 ひとまず、自転車を置いて、その入口を探す。間違って上りすぎて、場所が間違っていたというオチがあった。情けない。
 ひとまず山道を進む。歩きやすく整備されているが、ハイヒールやミュールのようなものではさすがに厳しいだろう。
 確かに10分、払沢の滝に到着。さすがに選ばれるだけあって、結構いい感じの滝。おまけに観光地化がそれほど進んでいなくて、水のそばにも寄れる。人の数はさすがにそれなりだったが、伊豆のように平日でも人が多い、というような事はなかった。

日本の滝100選・払沢の滝
写真で大きさや落差はあまり実感的できない
 滝壷・それなりに広いのだが写真では実感できない

 しばし、水に足をつけて涼をとる。結構水は冷たい。今日の暑さを考えると、なかなか。
 しばしゆっくりした後、引き払う。5時ぐらいには家に戻らないといけない。ライトがないからである。となると、現時刻1時15分。結構きわどくなってきた。


Term 4  熱中症に悩まされつつ
 1時25分、自転車の場所に戻った。すぐさま出発する。
 基本的には下りの展開。行きのときはのぼりという気がしなかったのだが、結構登っていたのだ。これはちょっと意外だった。
 しかし、どうも息苦しい。頻繁にお茶を飲むが、どうもいっこうに良くならない。
 ひとまずゆっくりと進んでいく。戸倉の交差点に到達したところで、完全に異常が認められるようになった。息苦しさと頭痛。久々に忘れかけていた感覚だが、熱中症。昨年のサイクリング中は、幾度となく経験した。今年は初めてだ。
 セブンイレブンに入った。ひとまずジュースを一本。店内で飲めないので、店の裏手の日陰に逃げ込む。あまり速く歩くと息苦しくなって大変なことになる。結構重いな。
 ひとまずジュースを一瞬で飲み終え、だるさを必至に抑えつつ、武蔵五日市駅を目指す。次のコンビニと飲み物の確保だ。
 途中のガソリンスタンドに、30tクラスと思われるトラックが一台。入りきらないでいただけでなく、出るときに道路を完全に占拠してしまうほどの大きさ。30tトラックが、なぜ五日市に用があるんだろうね。
 ひとまず意識をしっかりともたせつつ、武蔵五日市駅に到着。結局、払沢の滝までの往復に19km。時刻は2時。相当に消耗した。
 再び前の神戸屋に逃げ込んだ。長い休憩が必要だ。相当状況が酷いようで、体が重い。動くと咳きが出そうだ。
 水をのみ、しばし安静にして回復を図る。そしてしばしば手洗いに行き、体に水をつけて体温を冷やそうと試みる。焼け石に水でも、効果がないわけではないのだから。
 ひとまず、2時30分。出発する。交番の裏のトイレで用を済ませ、さらに上着を水で濡らす。体温を下げるのに、体面を気にして入られない。
 武蔵五日市駅前郵便局をいったん見てから、行きに通った道を戻る。駅から多少あるMINISTOPで烏龍茶の500mmパックを買い求める。ミニストップは店内に休む場所があるので、助かる。冷えたウーロン茶は体に効く。
 気を取り直して出発。ひたすら睦橋通りを東へ。圏央道へ向かうであろう、秋川駅周辺はこんもりと高くなっていた。日の出ICへはここから行くことになるのだが、中央道にいち早くつながって欲しいところだ。
 交通量調査の人たちは相変わらず。ひたすら東に行くと、ようやく睦橋。これが本当に遠かった。橋を渡ると、南福生公園にトイレがあるので、ようやくの休憩となった。
 南福生公園で衣服を水で濡らしてから、間食とする。おにぎり2個。アルミホイルで包んであったおにぎりは、アルミと海苔が同化してしまっていた。走った距離が確かに・・・。
 ひとまず食す。日が翳ってきたからいいものの、日の差し込むベンチでの食事はちょっとつらい。
 食事は3時35分に完了。再び衣服を水で濡らす。3時45分、出発する。斜めに差し込む日差しを受けながら、ひたすら機械のようにこぎ続けた。
 時々現れる鉄道の陸橋が楽しみなのだが、八高線はまたも偶然103系が走り去る姿を目撃。相変わらず運がいい。さらにその下流、351系と115系を同時に見ることができるという幸運。こればかりはさすがに勿体ないぐらい。時刻は大体4時ぐらいだったか。時刻表を見ると、八王子を4時1分に出るスーパーあずさ8号があるので、おそらくそれだろう。下りは立川4時1分発の松本行きのロングラン列車か・・・。へぇー。結構珍しいものを見た。
 立日橋付近で、残堀川に邪魔されて、大いに時間をロスした。その間に2本もモノレールを行かせてしまうほど。さらに日野橋下流部も信号で大苦戦。全然変わらないのよ、これが。前もそうだったが。おまけに信号無視するには、結構タイミングが悪い。
 何かの遊歩道を経由してサイクリングロードに復帰する。石田大橋と四谷大橋の間のセブンイレブンで烏龍茶を補給。何とかもっている。気を持たせるのも大変だ。
 基本的に石田大橋までは18km/h前後での展開。関戸橋以南は22km/h前後での展開になった。府中市内の舗装のよさが影響していたのだろうか。
 それにしても、多摩川を下るにつれて、どんどん人が増えてくるものだ。特に是政橋を下って以降、どんどん増える一方だ。
 稲城大橋から先のところで、是政駅行きのバスを見た。おそらく最近開通した調50系統だろう。中型バスによる運行だった。
 川原橋到着は5時17分。1時間30分にて、睦橋からの生還を果たした。
 ラップタイム、拝島橋10分、多摩川大橋5分、立日橋22分(休憩・道間違いあり)、日野橋5分(信号3分)、石田大橋8分、四谷大橋6分(休憩あり)、是政橋14分、といった感じだっただろうか。全然記憶があやふやになっているので、どうもね。ラップを知っておいてどうなるというわけでもないのだけれど。今後の参考にはなるか。
 後は家まで20分。結構これも長かった。最後は気をもたせるので必至だった。

 帰ってくると、クーラーで体を冷やす。しばらくは頭も体も重くて動かないという感じ。よくもまぁ、体がここまでもってくれた。
 床で体を冷やして、ようやく回復したのが1時間30分ほどたってから。今回は結構重症だった。
 それにしても、今日の走行距離は95km。最高記録を20km近くも更新。さらに、家からの距離は39km。約2倍の更新。西経も約倍になる更新。特に西経に至っては驚愕で、そのまま南に引っ張ると、上野原駅、丹沢山、新松田駅、小田原駅あたりに相当する。よくもまぁ、このような記録を打ちられたものだ。川沿いだからといって、そう褪せるような記録ではないと思う。
 そのまま東にひっくり返すと、船橋駅付近に相当する。といえば、その記録の偉大さがわかろうというもの。
 しばらくはこの記録、破れそうもない。
 そして、このような事は、しばらくすることがないとは言い切れない。
 そろそろ、オフロード用のマウンテンバイクをやめる時期なのだろうか。オンロード用にほっそりとした車輪で走ったら、さぞかしスピードが出るし、軽いだろうな、などと考える。でも、そうするとパンクの危険性が高まるし、新規投資額を考えると・・・。
 何にしても、ちょっと夢のようなサイクリングだった。
 翌日は、機能の熱中症のせいで、相変わらず肺が重い感じ。熱中症には、今後も気をつけるようにしよう。日焼けも相当酷く、肌がピリピリする感じ。日焼け止めも、やはり必須。そんな常識を今更のように確認すると、今日は少し休んだほうが良いだろうか。そんな気持ちにもさせてくれたのだった。


2003年9月19日(金)
 昨日の影響は多少はあった。尤も、筋肉痛や疲労はない。あったのは昨日の熱中症の後遺症。まだ肺付近に痛みがある。
 午前中に見ていなかったビデオを見終え、午後は借りてきていた本を読む。そんなぐうたらな一日。まぁ、それでも昼寝しなかった分、随分マシか。でも、起床時刻10時。目が覚めたのは7時ぐらいだったんだけど(爆)。
 夕食は残り物で炒飯。お出かけもしたかったし、学校にも行く予定だったのだが、結局こうなってしまった。不自由しないぐらいのお金が欲しい(あるくせに)。そうすれば川崎や新宿ぐらいには行ける(なんちゅうセコさだ)。
 ひとまず明日は学校だな。あとTSUTAYA。
 そうそう、歯ブラシを買わなくては。ぼろぼろになっていて困っているのだ。


2003年9月20日(土)
 朝から雨。これでは体も動かない。加えて非常に寒くなってきて、長袖を引っ張り出すほど。
 これだけ寒いと、昼寝(朝寝)も気持ちがよく、結局12時30分ぐらいまで朝食を食べたあと寝ていた。おいおい。
 結局、この日も学校に行かなかった。いいのか、それで。日曜祝日は入れないのに。
 それにしても、しんどい限り。こうも温度が10度も一気に変わると、体が変になる。
 それにしても、コイズミが再選か。あのどうしようもないバカどもとバカを何とかしろ。
 不意に自分の顔を見たら、何か太っているような・・・。
 100円ショップの電池を使っていたら、リモコンが変になったような・・・。
 とってもお菓子がうまいような・・・。
 漫画を読むのがとまらないような・・・。
 横綱がなんと変化で優勝を決めたそうな・・・。
 2年連続で優勝しても、西武は監督を辞めさせるそうな・・・。
 明日、TSUTAYAのある溝の口までビデオを返しに行かなくてはいけないそうな・・・。
 明日、台風が関東に接近するそうな・・・。
 ・・・・・・
 つまんないから、早く寝よ。でも、全然眠くないような・・・(死)。



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