郵貯日記(2003年8月上旬)



2003年8月1日(金)  久々、本格サイクリング
 目覚ましは6時55分にかけた。しかし・・・。
 起床時刻、10時である。だあぁ。
 というわけで、この日はどうしようかと考えていた。学校に行くのもなんだし、せっかくだからなぁ、と。TSUTAYAからビデオを借りてくると、家の中にこもることになる=体を悪くしそうだし(爆)。
 とりあえず、やっている「不〜二子ちゃ〜ん」を鑑賞(爆)。鑑賞終了後、やはり出かけようという気分というか、出かけようかと勝手に思わせて、出発することにした。しかし、あまり乗り気じゃなかったりする。実際、あまり自転車をこぐ足に力が入らなかった。
 百合ヶ丘を尻手黒川方面に舵を切ったあたりでやる気が出てきた。いつも慣れているようなところだと、やはりだめということなのか。別に走ること事態は特に好きなわけではないから、当然といえば当然なのだが、これが自身のサイクリングに対して大きな重荷となってかぶさってくるような気がしてならない。
 各停留所には駅から近いにもかかわらず、多くの人が待っている。便は新百合ヶ丘行き。駅まで歩くのが面倒な人達が乗っているのでは、とは思うのだが、こんな妙な需要があると、結構意外な気もする。
 三叉路から尻手黒川道路へ向けて一気に下っていく。やはりいつものように真福寺川沿いに下るコース。ようやくエンジン全開モード。忘れていた感覚だ。
 横浜上麻生線に入る。横浜市内に入って間もなく、環状4号線にはいる。ここからは青葉台に向けてどんどん商店が多くなっていくわけだが、道幅が狭いため渋滞。もう少し広ければ、周辺の雰囲気もあいまってLRTを敷くのに十分な環境ではあるのだが。
 一軒目、横浜桜台郵便局。駅から離れているが、周辺は商店が集積している。ここまで約1時間といったところだ。もう12時5分。
 そのまま南へ。大きく目立つ建物は青葉台郵便局。8人待ちだったが、一気に流れてほとんど時間がかからなかった。
 そこからは駅前バスターミナルを見ることができるのだが、やはり広い。バスの多さは常々感じるところではあったが、改めて見ると実感させられる。問題は駅から多少離れている点だろう。これは大きなマイナス。バスだけでなく、道路の混雑もひどいので、何らかの方法があればよいのであるが。
 駅付近はかなり集積がある。ここまで凄いとは正直思わなかった。実は青葉台は初めてだ。
 青葉台駅前郵便局へ。駅前とはいえ、賑わいからは外れたところに位置していた。
 一本西の通りに出る。横浜青葉台二郵便局。この通りは異様に歩道が広く、自転車と歩行者分離とされていた、が誰も守っていない・・・。
 さて、環状4号に戻り、南下を始める。やや見つけにくかったが、横浜しらとり台郵便局。用事はあっさりと済んだのだが、後から入ってきた母親と子供を見て言葉を失う。子供の顔に無数の腫れの跡が・・・・。児童虐待、か・・・。見てないけなかったものを見たような気分になる。
 県道140号線に出た。左手は市街化調整区域だったかと思うが、広い視界が確保されていて、いい感じである。拡幅工事の途中だった。
 恩田川沿いに走る。こうして市街化調整区域になっている理由は、洪水対策なのだろうか。残念ながらそこまでは分からない。
 田名駅に到着。かなり最近に開業した駅という印象すら思えるような駅前のつくりと広さだ(もちろん、田園都市線開業時からある駅である)。そして郵便局も新しい。今年設置の郵便局だけある。
 にしても、非常にいい駅だ。駅前は畑と田んぼと川。ある意味理想だが、市街化調整区域では・・・。
 やはり恩田川沿いに行くが、途中で思いなおして長津田へ。適当に走っていると、やはり最近できた長津田駅北口郵便局。非常にうまく見つかる。
 線路を渡りたかったのだが、これが酷いことになかなかない。JRの酷さが垣間見えるような措置だが、一方で主要駅であるにもかかわらず、周辺のしょぼさだ。長津田って、こんなしょぼい駅だったのか。ちょっとショック。
 こどもの国線の新しい車両を見つつ、陸橋を渡って長津田郵便局へ。駅から柿生行きのバスが来たのに少々おどろきつつ、やはり貯金。次はどうしようか。
 とりあえず東急の車庫沿いに走っていく。間もなく太い道路にぶちあたった。このまま行くとアップダウンが酷そうなので、その道路沿いに走っていく。間もなく町田つくし野郵便局。町田市久々の貯金である。結構局内は人が多かった。結構暑くもなってきていた。
 やはり進むと、長い坂になる。結構ばててきていた。何せ食事をとっていないのに既に2時。そりゃばてるのも当然である。
 ようやく登りきった所が有名な町田街道。かなり商店が街道沿いに集積している。その旧道に位置するのではないかと思えた道路沿いに、南郵便局。南、って言われてもねぇ。とりあえず日本最短名称の一つでしょうか。当たり前だけど。
 町田街道に合流して間もなく、成瀬駅方面に舵を切る。横浜金森東郵便局。あっさりと業務は終了した。ここで町田市内の郵便局地図をゲットした。新しくて載っていない所もいくつかあるので、それなりに役に立つはずだ。
 坂をいったん登ってから下りへ。食べるところが閉店になっているのが少々つらいところ。成瀬駅付近にもめぼしいところはなし。
 駅付近はてこずったが、成瀬駅前郵便局発見。かなりの混雑であった。食事のこともあるので、このまま町田へそのまま向かうことにした。
 成瀬街道に合流、そして町田街道に入る。しばし走り、記憶を頼りに郵便局を探す。が、ない。これは結構つらいな、と思ってしらみつぶしに行こうとしたところ、意外と早く発見した。原町田郵便局、である。駅からはそれなりに離れていることもあるだろうが、人は少ない。
 人の多い商店街は当然避けつつ、今日の最終業務、原町田六郵便局へ。前回来た時には32人待ちという信じられないような混雑があったと記憶しているのだが(以前の日記をご覧いただきたく)、今日はすんなり。これでも1日で金曜日というそれなりに込んでおかしくない日なのだろうが、ペイオフ騒動の時期がそれだけひどかったということを物語ってもいる。
 いいかげん早く食べたいので、自転車をヨドバシカメラに入れる。自転車の置場はこれぐらいしかない。町田は結構面倒なのだ。後で考えたら、ブックオフにおくという手があったのだが、それはそれで。
 とりあえずルミネへ。9FのPastelで食事をすることにした。かの「なめらかプリン」で有名であったりするわけなのだが、それはそれ、これはこれだ(謎)。
 900円のランチセットを頼む。スパゲッティにサラダ、ドリンクつきという贅沢な内容だ。あと、水がなぜかおいしい。
 食事の質は高かった。十分に満足。ついでに桃のショートケーキを注文。で、IMEよ。いくらなんでも『腿のショートケーキ』はないだろ。気持ち悪すぎるぞ。っていうか、そんなゲテモノ誰が食うか。
 とりあえず、食事完了。1470円になった。食事終了時刻は4時20分。随分と遅い昼食だった。
 さて、ついでに町田の見学。もちろん、来た回数はゆうに100回を超えるわけでほとんど知り尽くしているに等しい、といいたいところなのだが、最近は来る回数が激減していて、意外と新しいのが分からなくなっている。それでも、東急横の広場が道路になったとか、109ができたとか、大丸が丸井になったとか(それはかなり古いって)、ルミネができたとか(いつだよそりゃ)、それぐらいは分かっているので悪しからず。
 とりあえず、東急ハンズへ。空中歩道が少し延びていたが、階段が横付けになったため、歩く距離が長くなるというあまり嬉しくない事態になっていた。ハンズまで届けばいいのであるが。
 ハンズでは、ジブリグッズが大集合。相変わらずであるが、やはりいいものだ。今日は悩んだ末、見送っておく。前回2つ買ったから、次の機会にしておこう。
 100円ショップへ。五階建全てを使うという強烈なボリュームを持つ100円ショップだ。いろいろとあったが、今日も見送っておく。これだけ広いと、掘り出し物はかなりの確率で見つかるものだ。
 ブックオフへ。全国レベルで見ると、永山とためを張れる超巨大店舗である。ここでも今日は掘り出し物を見つけることは無かった。ちょっと残念。
 109を少し観察し、ティッシュを貰いに小田急町田駅付近へ。首尾よく3つのティッシュをゲット。これをしておかないと、町田にきたとはいえない(おい)。
 西友へ。西友は久々だが、場所が外れているせいか人はあまり多くない。いつものことだ。レコファンに行ったら、中古CDが10円で売ってた。そんな時代になったのか・・・。今の音楽の凋落は本当に酷いものがあるからなぁ。
 締めにヨドバシカメラへ。しかしビデオテープなどはスペースの無駄とばかりに撤去されていた。・・・。もはやDVDの時代なのか・・・。
 あと、いつの間にはアンチウィルスソフトの値段が下がっている。最近あまりウィルス騒ぎが無いことや、無料で使えるものの普及があるのだろうか。3000円以下にまで下がっているとは正直驚きだった。
 帰る。もう暗くなってきている。アップダウンが家まではかなり多いため、先が思いやられる。はっきり言って、気合が入っていないと、果てしなく遠い道だ。多摩川沿いに惰性で下っていくのと同じ態度では、とてもじゃないが耐え切れるものではない。特に酷いのは町田〜鶴川である。ここは3回もの強烈なアップダウンに耐えなければならないからだ。
 あまりに劣悪なロードであった。特に玉川学園〜鶴川。途中経過は省略。疲れた。帰宅時刻は7時。このタイムが出れば十分だろう。って、出発時の時間が実はわからない。時計を持ってきていなかったからである。多分1時間ちょっと。
 この日は日記と郵便局関連のデータ整理で精一杯。疲れたし。でも、いい汗かいたと思う。
 あとであるが、かなり日に焼けた。晴れ間は時折出る程度だったが、それでもこれほどとは。次回からは日焼け止めは欠かせないようである。
 さすがに疲れているので、早めに寝た。


2003年8月2日(土)
 最初に目覚めたのは5時20分!
 ただあまりにもはや過ぎることと、用事がないこともあいまって、結局起きず。起床時刻は8時50分・・・。
 適当に時間を過ごし、午後からは勉強に取り掛かった。しかし、怠惰の方が勝ってしまう。結局寝てしまい、あまり勉強ができなかった。これではダメである。
 アニメを消化し、食事を消化し、そして学校に行くことにする。
 父に自転車に油をさしてもらった。油をさすと走りがよくなるらしい。知らなかった(爆)。
 それは正しく、かなり快調に飛ばしていける。これに関しては想像以上のものであった。
 学校到着は8時50分。まだ3人も部屋に残っていた。これはある程度予想はついていたが、研究室は本当に凄い限りだ。先輩たちはこの遅くまで一体何の研究をやっているのかは分からないが、何かのプログラムを行っているのか、資料を作っているのか、それは残念ながら定かではない。
 私は勉強。今日やれなかった分を必至にやっていく。学校だけあって、非常にはかどる。これは素晴らしい。
 12時に学校を後にする。調布国領のTSUTAYAへ寄っていく。こんな時間だというのに凄い人である。さすがに半額セールともなるとこれである。
 12時40分に帰宅。借りてきたビデオを見て、そして3時ごろ就寝。一日で生活パターンが逆戻りか。


2003年8月3日(日)
 この日の目覚めは原子番号92(謎)。
 その後はテレビを見続ける怠惰なパターン。おいおい。
 とりあえず今後の予定。4〜7日は引越し。10日にレポート、12日にもレポート、26・28に院試験、31にレポート、9月1〜3は合宿、5日にゼミ、である。時間なさ過ぎ。
 午後は多摩図書館へ。鉄道ジャーナルを1時間ちょっと読んで終了。郷土資料を適度にあさっていると、東急沿線の開発史について書かれている本を発見。あざみ野駅だけがあとからできたという事実には少々驚かされた。おまけに横浜市が東急の散々の要請にもかかわらず、当時駅がなかったあざみ野へ入れることを決定し、市境に近いたまプラーザを拒否したことが克明に記されている。数年の協議の結果、東急が折れたことが書かれていたが、川崎寄りに作ることをここまでかたくなに拒否したというのは、如何なものか。だから、行政側の思惑があまりに入り混じっているものには、問題があるといわざるを得ない。4号線も、正にその犠牲の産物であろう。
 あと、新玉川線って、最初から地下鉄で、それも最近できたことが判明。・・・知らなかった。
 あと、多摩川34ヶ所巡りについての情報を獲得。ちょっとやってみようか、という気分になった。というか、まとめてみたくなった。これについての情報はWebでは見つからないし。
 この日も学校へ。夜に、である。夜遅い京王相模原線は上りの本数がかなり少ない。実際、それ以上に乗客が少ない。
 9時40分ごろ研究室到着。勉強は昨日と比べてサッパリはかどらず。こりゃいかん。どうしてしまったのやら。
 徹夜の先輩2人を残し、結局12時過ぎに帰宅モードに移る。こんな時間でも甲州街道はひっきりなしに車が行き交う。さすが一級国道だ。人の姿はほとんど無く、信号も昼より短い。殺風景だ。
 12時27分の京王多摩センター行きに乗り込む。終電の一本前だ。結構な乗りでおどろいたのだが、調布での降車が随分と多いことには驚かされた。そして南口がしまることにも結構衝撃を覚えた。京王稲田堤でも大量に人を下ろす。南武線、まだ走っているのかな。
 TSUTAYAによって体を冷やしてから帰宅。借りてきたものを見てから眠りに入った。暑い。


2003年8月4日(月)
 暑い・・・。
 やる気ゼロ。
 でも、今日は教授の手伝いがあるので、行かなくてはいけない。
 ギラギラと照りつける太陽の下、出発。じりじりと日差しが肌を焼き付けていく。おまけに猛烈に暑い。特に府中街道の暑さは尋常ではない。
 多摩丘陵の崖線沿いに入って冷涼感が多少出てくる。特に小沢城址下の三沢川沿いの道が圧倒的。
 汗だくの中待合室に逃げ込む。涼しい・・・。待合室が完備になっている駅の多い京王はすばらしい。そんでもって、京王線は車内の電気がオフになっていた。節電、か。素晴らしい限りだ。他の会社はどうだろうか。
 学校では結局作業はなし。おまけに体中が怠惰な気分に襲われ、全然勉強する気なし。だめだこりゃ。というわけで、6時に帰宅へ。PARCOでシュークリームが80円で売っていた。特価だ。安いな。というわけで、三個購入。
 帰り道、多少は温度が下がっているようだ。やはり暑い。夕食おいしい。テレビ、いつも通り。・・・つまらん。
 やはり体中がだらーッ、という感じ。もはや手遅れか。何にもする気が起きない。


2003年8月5日(火)
 昨日と同じくやる気ゼロ。理由はおそらく、どこにもいけないという欲求不満と思われる。どこにもいけないというのは確かにつらい。7日までは毎日通学が必要。資料を・・・と思っても実はダンボールの中にあって読むことができない。参ったな。
 1時前に学校へ向けて出発。この日も京王YL駅からだ。徐々に空が怪しくなってきていたが、暑いことには変わりがない。
 調布到着後に少し雨が降ってあせったが、それも長くは続かず、大学に難なく到着。大学のあたりはかなり雨の跡が残っていた。
 引越しの作業の一部を開始する。そして終了。そして帰宅へ。やる気が全然しない。これはどうしたことか・・・。
 あまりにもダメダメな感じだったので、雨がやんだ夜0時過ぎに古本屋へ。少し立ち読みをして過ごしていく。気分的にも最悪で、全然物事をやる気がしないのだ。なぜなのだろうか。
 というわけで、この日もあっけなく終了していったのでした。


2003年8月6日(水)
 58年忌。合掌。戦争を肯定する奴は、改めて戦争のもたらすものについて考えて欲しい。
 そして見るがいい。百聞は一見にしかず、だ。

 この日も全くやる気が無いが、学校には行かなくてはいけない。異常なやる気のなさを感じつつ、自転車で学校まで30分。かなり遅い。
 引越しの前作業は終了した。そして帰る。全然やる気がない。こりゃいかん。
 帰りは少し遠回りして西野川・東野川あたりを経由して狛江の方に行ってみた。少々疲れた。全然やる気がないことと無関係ではあるまい。
 ただ、帰って明るい母の声を聞いて救われた。やはり家族というものはなんと偉大なものだろうか。
 おいしい食事をとり、アニメを見て、そして音楽を聴き、時間はゆったりと過ぎ去っていく。願書を少し書いたのだが、書き間違いがあってちょっと不安。明日もう一つとりに行くことにしよう。
 やはりやる気がほとんどないが、さっさと寝ることにする。といっても、寝たのは2時を大きく過ぎていた。


2003年8月7日(木)
 ついに引越しの日。10時集合。しかし、開始されたのは13時過ぎ。・・・。
 長い一日は終わり、ようやく開放された。それは7時。帰る。
 帰り、パルコの駐輪場で転び、怪我してしまった。
 この日も全然やる気なし。
 明日、台風だそうだ。ようやく時間ができたと思ったら、この始末か。なめんな。


2003年8月8日(金)
 朝、父は旭川空港に向けて発った。台風を間一髪でかわしたということになる。それにしても、羽田−旭川のこの時期の航空券をチケットショップ利用で25000円まで下げてしまえるのだから、父のチケットショップへの見識の深さには脱帽するしかない。
 私の起床は9時30分。願書を書いて午後に出しに行った。速達書留は810円。結構なお値段で。
 台風一色の報道になりつつある中、水戸黄門とアンパンマンを見る。やっぱりアンパンマンでしょ、面白いのは(爆)。だって、事実だし。あとは他の人の視線を気にしなければ何の問題も無し(笑)。
 夜になっても雨は逆にやむといった状態で、関東は影響がまだまだ無いようだ。
 借りてきたアニメを見てから、今日は眠りについた。


2003年8月9日(土)
 台風の影響はそれほどではなかった。風こそ強かったものの、雨はそれほどでもなく、いつものように掛け声倒れ、と言うやつだろうか。まぁ、よかったということになるわけだが、西のほうは結構被害が大きかったかもしれない。
 台風の運んできた風が猛烈に湿気を含んでいるため、冷房がないと強烈に暑い。
 この日もあまりやる気なし。もうどうでもよくなってきた。
 そういえば明日レポート提出だった。下どうやって東1号にはいるのか分からないが、やってみる価値はありそう。それが無理ならば、あさっての速い時間に行けばそれもOKだろう。と言う前に、レポートを書かねばなるまい。
 寝たのは3時ぐらい。


2003年8月10日(日)
 この日の目覚めは聖橋(謎)。
 パソコンに向かいすぎて、目が変になってしまった。いかん。それにしても、温度は高いが、湿度がたいしたことがないので、体感的にはたいしたことがないといったところか。
 相変わらずやる気ゼロの状態。そのまま眠りについた。だめだ、こりゃ。



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