2003年2月11日(火)
今日は祝日、建国記念日。しかし、天気は悪い。そして私の心もまた、空と同じように晴れることなどない。
音楽を流してみる。あまり気のりしない。笑っていいともを、テレビをつけずにステレオで聞いてみる。なかなかいい。この番組って、ラジオのいい所を残しているのではないかと思う。
疲れる。勉強はしているが、頭の中に入っているかが確かではない。考え事するようなわけでもなく、頭の中をそのことで占領されるわけでもない。だが、ここまで落ち込むのは、最近多すぎる。こんなに悪いことが続くことはあるものなのか。
図書館に出かけてみた。特にどうということもなく、3枚のCDを借りてみた。
帰宅後も勉強を続ける。夕食がおいしい。
ようやく吹っ切れたのは、食事が終わってからという気がする。そこまでにかかった時間は30時間。人間の記憶と何か関係があるのだろうか。記憶が固定されて、取り出さない限り忘れてしまう領域とか。
そして1時ごろ受信を行うと、メールの回答が届いた。こないかと思っていたのだが、非常に丁寧に書かれていて、自分の至らない点の多さに愕然とした。あまりにも私の文章は稚拙すぎたようである。それもまたショックではあった。そして究極の失敗は『蛇足』。つまり付け加えなくていいことを書いたこと。これが大きな要因だったそうだ。
人に変な誤解を与える文章を書いてはいけないのだ。ネットに公開するようないいかげんな文章とは違うのだから・・・。文の一部において誤解を招いた点でも、私に非があった。ちょっとした言葉づかいが命取りになる。嫌というほど、味わされることになった、先生からのメールの内容。
だが、そのショックはそれほどではなく、また新たなる第一歩となりうる程度のものであった。これならば、明日の試験に影響するものではないだろう。いや、今後の面接などを考えてみても、これは非常に意義のあることだった。
だが、やはり厳しかったとは感じられた。研究室から落ちることで、私が卒業研究に取り組めないことも十分にありえたことを考えられていないと言うのは、とても悲しいことである。いや、この回答メールもまた、私を慰めるだけの代物に過ぎなかったのだろうか。そう考えると、またも自分の実力のなさにぞっとしてきた。いや、それはいくらなんでも考えすぎか。そうだ、そうに違いない(←都合良く考えるべし)。
だが、私の人生はいったい何度失敗したのだろうか。大きな失敗だけでも数えることが出来るほど存在している。あまりに多すぎて、あの時こうしていればなどと考えることなど出来なくなった。大学に入ってからは今までわずかに1回の間違いが、今年に入って4回に増えてしまった。もちろん、大きなレベルに限定しての話だ。
自分の出せるものを出し切って前回の面接と志望書を遂行したわけだが、それが失敗したと言うことに対する私のダメージは30時間にも及ぶ長い休息を要した。今書いている自分は、かなり平生に戻っており(これもまた、何か脳の記憶と関係があるのだろう)結構冷静にその結果を受け入れている。だが、ほんのちょっと前まで、かなり落ち込んでいた。家族には言われなかったが、おそらく心の中では思われていたに違いない。何か変だね、と。
さて、明日の試験勉強をしようというときに、ぷつんという衝撃と共に、背中に強烈な痛みが走った。これって???・・・どうやら神経を痛めたっぽい。前につんのめるのも痛いし、逆はさらに重症。私には、厄から開放されると言うことがないのであろうか。もう私はだめだ、という弱音を吐く気など毛頭ないが、だからと言って平気でいられるほど強くもない。ここまで嫌なことを続けられては、変になってしまう。人間とは、適応力があると言うか、暴力に弱いと言うか、そういったことだ。
そしてさらに厄介なことが一つ。明日の試験のプリントの大半がいつの間にか紛失。どうせ間違いなく受かるのは無理だと思っていたので今更どうということもない、というわけにもいくまい。だが、プリントがないのでは、到底まともな勉強をできるとは思えない。なぜなくなったかは、おそらく過去の父の行動と関係がありそうな予感。というわけで、しょうがなくプリントの公開されているサイトに飛んだのが、アクセスできない・・・。終わったな、完全に。
私には、まだまだ試練の時が続く。そんな気がしてならない。
2003年2月12日(水)
朝起きて母にみぞれが降っていると言われる。がっくし。これでは自転車で学校まで行くのは無理。
で、稲田堤駅なのだが、そこまで行くのには非常に強い向かい風と昨日痛めた神経の関係もあり、なかなか進めず、一本落としてしまった。学校についた時点では遅刻時間は2〜3分だったのであるが、トイレに駆け込んだため、さらに3分ほど遅れてしまった。
テストはかなり難しかったが、単位は堅い。もう一つのほうはどうやっても無理(小テストでほとんど点を失った)なので、サボって帰ることにする。明日のテストが気になる。問題は、どれだけ勉強するかであろうが。それにしても、昨日のメールの内容を一字一句まで思い出せるほどまで刻まれるとは。こんな特殊能力を、私の試験勉強でも使うことが出来れば・・・。そのメールの内容を頭の中で反復する。自分の文章作成能力の無能さをここまで的確に書かれるとは。やはり誰かからの意見と言うものが非常に大事であることを痛感する次第。私の文章に対する不特定多数からの意見には、人を傷つけることをなんとも思わない人間がいるはずであるが、そういった中にある貴重な意見を大事にしたい。
なんて言っているけど、誰からもメールなど届くことはないのである。
帰ってから、次の研究室へ目標を定め、メールを打つ。13時ごろ送信。
その後は、今日の日記を書く。
そしてコタツに入るとそのまま眠ってしまった。眠かったらしく、そのまま夕食まで寝ていた。3時間以上寝ていたと思われる。
食事後はアニメを見る。アニメを見終わった後は、明日のテストに備える。一つずつ丁寧に仕上げていくしかない。理解力が乏しいのだから。
時たま夜食をとる。アメもなめてみたりする。気を紛らわすにはちょうどいいし、腹の中に何かが入っているほうが気持ちが落ち着くものだ。
そしてそのまま翌日へ。
2003年2月13日(木)
そのまま5時ぐらいまで粘り、コタツの中で少し眠った。6時になって布団の中に移動。もちろん風呂も入っていなければ着替えてもいない。不潔極まりないが、卒業をも占う単位であるため、早々妥協するわけにもいくまい。
8時30分に起床。9時30分には出かける予定だったのだが、意外にもてこずって10時前の出発。忘れ物をしたりしていたのが響いた。
快調に自転車で調布へ向かう。テスト終了後は希望の研究室に向かって、教授との対決に備えなければいけないのだから、否が応でも緊張は続く。
眠気と戦いつつ、最後の仕上げを行う。だが、やはり焦りがある。理解しきれていないところが多すぎるのだ。理解できたところからいくつか出ることを祈るしかない。
そして13時からのテスト。とんでもない難しさで、この先生はやはり鬼なのかと思った。だが、いくつか分かるものがある。最終的な出来具合からすると、単独ではやや厳しいが、合算(この科目はテストが2回)ならば何とか通ると思われる。通らなかったら、一生恨む。まじで。
テスト時間が延長されていたこともあり、急いで研究室へ。ぎりぎりで時間に間に合い、教授との対面となった。今度こそはとちらないようにしなければならない。
しかし、面接の内容は一通りのおさらいのようにも感じられた。どぎつい質問が飛んでくるわけでもなく、志望動機について自分の言葉でしっかりと語れ、などというようなこともなかった。一通りの質問を終えるとOKのサイン。
そして志望書に名前などを書いて、終わり。信じられないことに、この私が研究室には入れてしまったのである。
今までの苦労はいったいなんだったのかはわからないが、この仏のような先生に助けられ、私はめでたく研究室の所属問題に悩まされる日々から開放されたのだった。
先生からの言葉は「私は厳しいから、そこのところを良く心得ておくように」・・・みんな言っているせりふである。それについて言っていたら、どこの研究室に入ることも出来ないだろう。もちろん、私は研究に全力で取り組む所存である。
終わったのだ。
・・・
感慨無量とはこういうことを言うのだろうか。
今までいろいろな苦労もあった。その苦労は、今回の喜びのために用意されていたのかもしれない。そう考えるのが、一番納得がいくからである。入れたのだ。入れたのならば、今までの失敗を経験として受け止めていくことが出来る。入れなかったら、失敗は何の糧にもならない。失敗という結果が残るだけだ。それどころか、失敗慣れという危険な結果を招くことになる。
失敗は成功の元という言葉がある。だが、失敗も行き過ぎると、もはやその時点で終わりだ。いや、日本の社会では、失敗した人間は、このことわざを成し遂げるための経験を使うチャンスすら与えられていないのではないか。だが、私の場合は研究室に入ることができたのだ。
3度目の正直という言葉がある。本当に3度目の正直だった。
帰宅の途についていく。ゆっくりと遠回りしつつ、その感慨にふけった。落ちた時のショックを反転させるほどの喜びではない。だが、じわじわと沸いてくる喜びを、誰が止めることが出来るだろうか。
今日は晴れていた。私の心そのまま。眩しすぎるのがちょっとつらいのだけれど。
帰宅したときの私は、ここ数日間の陰がすっかりと取り払われていた。そういう気がする。
帰宅後、2日溜まっていた日記を書く。心につまっているものはない。不幸の後には幸福が用意されていた。
さて、気を抜かずに残りの4教科、がんばるとしよう。
そしてCドライブをダブルクリックしただけで落ちたWindows。これは相変わらずであるが、一応壊れるわけではない。でも訳の分からない内にセーフモードから復帰できないということもあるぐらいだから、気をつけないといけない、ってどうやって気をつけるんじゃー。いつものことだけど。
この日はある教科の勉強を少しやる程度で1時過ぎに就寝。
2003年2月14日(金)
昨日の出来事の幸福で一気に緊張が解けたのか、昨日の半徹夜が効いたのか、理由はわからない。
8時に起こされて、9時に起こしてとお願いしたところまでは覚えている。しかし9時にも起こしてもらっているが記憶なし。同じく9時半10時に起こしてもらっているのだが、これも記憶なし。
それで自動的に起きたのが11時45分であった。凄い寝坊である。
こんな遅い目覚めだったので、当然一日が短い。
昼食は朝食のすぐ後であり、勉強をしているうちに夕食がきてしまう。やはり寝棒は良くない。
偶然テレビをつけていた所が4chであったという偶然から、もののけ姫を5年ぶり、通算2回目の鑑賞を行う。最初見たときに、その意味の分からなさに、宮崎駿もここまで落ちたかと思い、興行成績の上がり方に疑問を感じたものだ。
そんなこともあり、最初から見始めたにもかかわらず、こんなところがあったかというどころではなく、全く見覚えのないシーンの連発で、ほとんど最初に見た映画と言う気分になる。いやー5年の歳月だけでここまでなるものかね。やっぱり面白くなかったって証拠かな。
ただ、最初見たときには本当に意味不明だったのが、多少は内容を理解はできるようになったと思う。だが、やはりタコな作品であると思う。だって、何を言いたいのかまったく伝わらないじゃん。そんな作品を作っても、自己満足だけで終わってしまう。いや、仮に認められることが100年先だと言うのだとしても、私的にはとても受け入れられるような作品ではない。だって、この作品、ストーリーというものがないんだから(これに関しては『千と千尋の神隠し』でもそうであろうが、この作品は面白いと言う点でまだ救いがある)。
そもそも、この作品における如意宝とはなんなのかと言う議論を始めなければならないだろうが、仮に如意宝をシシ神と仮定すると、その使い道を誤った人間が如意宝をダイダラヴォッチにしてしまう、ということになる。だが、そういったことにしてしまうと、狼の子であるサンは如意宝を持ちえていないということになるだろうし、アシタカも同じだ。つまりこの物語内に存在している人物たちは非常に弱い存在であり、流される運命のままに生きるしかないという状況におかれている。まあ、現代の作品に如意宝を採用すると言うのがそもそもの間違いなのだろうが。
しかし最終的なシシ神の崩壊によって新たな生命が復活すると言うことを考えると、シシ神という如意宝の喪失によって、その上の段階に移行すると言うことになる。だが、人間はそれに値するだけの進歩を遂げているわけでもないし、自らシシ神を捨てたわけでもなく(殺したという結果はあるが、その理由はシシ神を必要としなくなったというわけではなく、実際問題としてサンとアシタカはシシ神の復活を願った)、実際問題として人間がシシ神を所有していると言うわけでもない。全体的な流れと言う面から見ても、非常に話形分析も難しい。だが、一応この作品の救えるところは、最後に多くの生命の復活がなされると言うところだ。ここはやはりファンタジーの世界としての夢を失っていない。それこそが、現代の文学で失ってしまったところとの大きな違いなのだろう。だがやっぱりタコじゃない?と思ってしまう私がいる。
なーんて、偉そうに分析なんかしてしまったが、所詮素人の言うことなので、あまり深く取ってもらわないでくれるとありがたい。どうせこのページを誰も見る人なんか、いやしないのだろうけど。
2003年2月15日(土)
起きたのは10時30分とやはり遅い。
この日はTSUTAYAへ行ってきたのだが、100円セールのクーポンを忘れたために、借りずに戻ってきた。代わりに途中でいろいろと写真撮影をする。14枚とって6枚が残った。
昼食は昨日の夕食の残りのカレーを食す。昼食後は勉強へ。
夕食を食す。またも夫婦間が少し険悪な雰囲気になっていたのだが、少し回復したようである。
夕食後も勉強。だが、CDデッキの調子が良くないのは相変わらずだ。
衝撃のニュースがあった。なんと小野田線のクモハ42が引退するという。それもあと1ヶ月との事。
あのクモハ42が・・・。まだまだ大丈夫かと思っていたのだけれど、もう修理部品の調達が難しくなったという。走り続けるのは難しいというのはあまりにも寂しい。おまけに決まったのは去年の12月だそうで、なぜいままで情報が入らなかったのか、と自分を責めた。
何が何でも行かなければ、とは思うのだが、それをするだけの余裕がないのである。意地でも青春18きっぷで行くのも手ではあるのだが。
少なくとも、あの車両にだけは一度でいいから乗っておかなくてはならない。そんな気がしてならないのだ。行く場合は、福岡から入るのが妥当だろう。そうすれば、かなり安く旅行が可能となるはず。2泊3日で20000円以内は可能ではなかろうか。
痛いのは、すでに引退が発表されてしまったということ。これによって鉄道ファンが大量に押し寄せるのが確実であるということだ。こうなると、逆にいい思い出にならないという危惧がある。11月の時に、迷わずに行きゃあよかったなぁ。何で行かなかったんだろう。
どちらにしろ、全ての行事に優先して行かなくてはならない事ができてしまった。いい割引切符でもあればいいのであるが。
結局そのことを考えていると3時50分ごろとなり、ようやく眠りに入ろうと布団へ。しかし布団の中に入っても、なかなか眠れない。いっかーん。わたしゃ試験勉強をしなければならないのじゃーっ(笑)。
2003年2月16日(木)
起きたのは10時30分。昨日なかなか眠れなくてこの時間ならば、しょうがないだろう。
本来こういう長期間の旅行の場合、かなりいろいろと下調べをしなければならないというのにもかかわらず、するとすれば青春18のシーズンを回避しなければならないという絶対条件が存在する(そうしないと、かなりの混雑が予想される)ため、非常に厄介だ。これに加え、3月1日は一日乗り放題を予約してしまっている。キャンセルするか?
おまけに1本書の乗車券を用意するつもりなので、マルスで出ないということが予想される。すると発行には数日かかり、出発日には間に合わないという結果も予想されるのだ。厄介なことになった。
でも行かなくてはならない。一度あの電車が走る姿を見るか、走るその電車に乗ることを成し遂げない限り、私の心は晴れないだろう。
時刻表も必要なのだが、2月号を買うのは癪にさわるし。困ったことだらけ。
でも決心は固い。何が何でも行くつもりだ。
予定経由は、登戸発・・南武-(府中本町)-武蔵野-(武蔵浦和)-埼京-(大宮)-上越新幹線-長野新幹線-(長野)-信越本-篠ノ井-中央本-太多-高山本-(岐阜)-東海道本-(米原)-北陸本-(敦賀)-小浜-舞鶴-山陰本-(長門市)-美祢-(厚狭)-山陽-(小野田)-小野田-(居能)-宇部-(小郡)-山陽新幹線-大阪環状線-阪和-紀勢本-(亀山)-関西-(名古屋)-東海道新幹線-(小田原)-東海道-京葉-(蘇我)-外房-(千葉)-総武本-(御茶ノ水)-中央・・吉祥寺着
ざっとこのような形になる予定ではあるのだが、有効期間が15日、開始日を21日に設定すると、3月7日まで使用可能となる。料金は学割で20000円程度で、これに特急券などが15000円程度計上される模様。
宿泊地は「岐阜」「鳥取・倉吉・皆生」「宇部」「広島」「白浜・串本・勝浦」となる予定。つまり5泊6日となる。予定には可部線の乗車も念頭に入っている。それでも5泊6日。今までの中でも、総決算となる可能性すら秘める旅行となる。これに加えて、3月1日には一日乗り放題まである。こっちをキャンセルするかどうかは、まだまだ未定。
問題は、旅行記も同時進行で書いていきたいということだ。となるとワープロか何かが欲しい。
仮にそうだとすると3kg近い重さを誇るWin95のパソコンを持っていくこととなってしまう。これはかなり厳しい。もっと軽いのもあるのだが、父は会社用途として一つを会社に、もう一つは家庭内を中心に外でも使用している。というわけで、非常に面倒ではあるが、このパソコンをぜひとも持っていく必要があるのである。
22日(土)に出発すると帰ってくるのが27日。23日(日)に出発すると帰ってくるのは28日。出発可能開始日は21日(木)。25日前後は、大学受験の影響で若干ホテルが混雑する。
ただクモハ42だけを見ることに飽き足らない私の欲深さを反映した経路である。それだけにしておけば、安い宿泊パックでもよいというのに。そうすれば、総額30000円以内で解決する。その2.5倍ものお金をかけるというのか。
だが、その可能性を全面的に否定はしない。十分取って代わる可能性がある。今の予定だと、宿泊費を一日5000円、食費を一日1500円と仮定すると、75000円程度になると想定される。これはかなりの負担だ。鉄道を乗るのにお金がかかるのはしょうがないといえばそうなのだけれど、それにしてもこれはひどくないか。
逆に進むというのもありで、ここあたりは結構難しいことになってきた。その場合は、横浜市内発となるだろう。帰りは東京都内を通って吉祥寺到着、とするべきなのだろうか。
このことを考えてばかりいるので、勉強がはかどらないし、食欲もあまり湧かないで、真剣にこのことを考えている。廃車になるという記事を見なかったことにするのもありかもしれない。だが、知っていていつかのろうと心に決めていたものを、みすみす逃すことがあってもいいものだろうか。あんな列車に乗るのは、もう海外にでも行かない限り、無理な相談になってしまう。
そんなことばかり考えているものだから、どこかの方向に集中力が行ってしまい、全く勉強がはかどらない。
結局こういうこともあり、かなり難しい科目を落とさずに済ませるためにも、明日にかけて大きな努力と集中力を高めるべく、努力しなければならないようである。何か、書いている文章がめちゃくちゃだな。やっぱり集中力が落ちている。
その影響もあり、この週末にはコラムを書かず。しばらくお休みになるかもしれない。
2003年2月17日(月)
いつも通りの起床。明日のテストへの勉強を中心にやっていると、もう出かける時間だ。
15分の急行で調布へ。食堂で豚汁のみを買い、後は母が作ってくれたおにぎりを2つ食べるのみ。残りの時間を、図書館での勉強に当てる。
3時限目のテストは、思ったよりうまくいかなかった。ちょっと悔しいが、単位はさすがに大丈夫だろう。
4時限目のテストは、合格確率0.01%なので、受ける気にもならない。図書館で時間を潰し、テスト問題だけ終了後に残っているのをちょろまかす、という予定だった。それまでは勉強をしておく。
しかし、問題用紙が後ろに残っているというような甘いことはなかった。来年、この科目受けないかもなぁ。
帰宅後、明日のテストへ全力で勉強をしていく。明日の科目の可否如何で、卒業への条件が決まってくるからだ。
勉学を途中で中断し、1時30分にソファーの上で眠りに入った。
2003年2月18日(火)
起床は4時。ちょっと寝すぎかとも思われたが、これだけあればまだまだいける。
勉強をひたすら続け、母、姉と起きてきて、朝食の時刻になった。朝食の出来立てを食べるのは、なかなかない機会なのである。
8時15分頃、出発。別段どうということもないが、いつもの道を調布まで。天気は曇り。それもかなり日差しを遮断している。お陰で、非常に快適なサイクリングである。時間が早いので、地下道を利用して京王線を抜けた。
教室に入ってまだ勉強。
そして試験が始まった。やはり驚異的な難しさを誇る。だが、何とか単位はもらえるレベルに達しているようだ。これでダメな場合、もはや打つ手などはない。
2時限は、すでに合格の決まっている科目なのだが、さらなる上乗せを狙って受験する。問題は想像以上に難しく、一つの問題を半分程度解く程度にとどまった。だが、これでも全体としての評価は下がらない。
終わると、かなりの開放感が包み込む。かなり嬉しい。これだけ嬉しいのは、久しぶりである。ここのところ、サイクリングも旅行もご無沙汰していたのもあるだろう。
食堂で豚汁とおにぎり2個を消化し、図書館へ。図書館にある時刻表をおもむろに開き、ひたすら吟味と計画立ち上げの繰り返し。しかし、ルートはあっさりと決まった。行きはサンライズ出雲、帰りはレールスターとサンライズ。周遊きっぷ『萩・秋吉・津和野ゾーン』で、学割30%の割引を狙う。出発は木曜とし、帰宅は火曜日。指定席券は常に310円にとどまるように設定されている。
約1時間30分もの間、時刻表を独占したこいつを、周りの人間はさぞかし怪訝に思っていたであろう。そうに違いない。
帰りに学割証を忘れずに貰い、帰宅の途へ。あまりの開放感のため、帰りにブックオフに寄り道したりなど、本当に待ち焦がれた休みなのだということを実感する。
帰宅後、宿泊先を決定していく。これが結構難しく、いろいろと悩まされた。だが、予定通り、二日目は萩、三日目は宇部新川、四日目は広島の宿泊が決定した。
宿の方は決定したので、あとは切符である。今日はパルコがやっていなかったので調布のJTBが使えなかったのだが、それならば地元の小田急トラベルにお願いするまでのことである。
周遊きっぷは特別な記入用紙があったと話には聞いていたのだが、小田急トラベルにはそのようなものはないという。確かに、このような小さなところに、いまやトクトク切符の王座から転落している周遊きっぷの記入用紙などをためておくだけ無駄であろう。しょうがないので、改めて記入しなおす。家に予定表を置いていってしまったのだが、さっき作ったばかりなので、さすがに記憶には問題はない。
しかし、その紙を渡してからが遅かった。開始日の間違いを訂正したのを含め、なんと45分もかかってしまったのである。そんなにかかるかなぁ。凄い簡単だと思うのだけれど。いちいち一つずつ丁寧にやりすぎているんじゃないかと勘ぐってみる。
結局外に出る頃には、雨になっていた。もちろん雪ではありません。気象庁の予報が当たることはない。絶対に(そこまで言う?)。
帰宅後、ネットで情報を収集する。観光地の情報は、出雲大社・青海島・三段峡をとりあえず調べる。萩も調べる必要があるし。これに加えて、秋葉原でCFカードを買おうという目論みもあわせ、やることが多くて休む暇がない。実際問題からして、本当は睡眠不足だと思うのだが、こういう楽しいことになると、全然大丈夫なんだね。やっぱり旅行好きなんだなぁ。
最近日記をつけるのが面倒になりつつあるが、とりあえずは続けていこうと思う。いつか、日記を書いていることで救われるということだってあるのだから。
明日はサイクリングでもしようかと思っていたのだが、秋葉原までとなると少々きびしい。地図も4枚ぐらいは買わないといけないし、普通に東京に繰り出すのも悪くない。地図は、「萩」「広島」「三段峡」「大社」あたりだろうか。他にも、富士山麓あたりは買っておきたいところだし。
2003年2月19日(水)
前日にサイクリングへの気持ちが薄れたこともあり、結局起床したのは9時。ビカビカに晴れているため、サイクリングには適さない。正解だったようだ。
とりあえず、明日の旅行に備えて資料を集める。情報収集手段は基本的にネットであり、それ以外に探すのは難しいという気がする。
早めに行こうかと思っていたのだが、結局昼は家で食べる。相変わらず倹約家らしいところが出てくる。食事をするというのも、人生の一つの楽しみではあるのだけれど。
昼食後にすぐ出発。まずは図書館でCDを返却し、駅へ。急行に乗るのだが、やはり混雑している。小田急の混雑状況を見る限り、急行を毎時8本から12本に増やすぐらいのサービスアップがなくては困るのだが。これは、小田急がJR東日本に近い集団(利益ばかり追求する姿勢)だからなのではなかろうか。
登戸駅の上り線が3階に上がったこともあり、かなり見慣れない風景になっている。多摩川からの眺めもちょっと高い。
代々木上原駅は、正月の時になんかやっているなと思っていたら、その結果はもう出ていたようで、壁の塗り替えだったようである。
久々に小田急に乗ってみたのだが、京王のサービスがいいだけに、かなり悪い印象を持った。料金は高く、スピードは遅く、何より混雑している。今まで小田急を圧倒的に利用してきたが、去年は初めて京王の利用が中心となって、小田急を使う機会が大きく減った。そのこともあり、いつもと同じ程度のサービスすら提供できない小田急に対する不満は大きい。やはり今行うべきことは、急行増発と、各停の減便だろう。すれ違った各停なんか、一両に10人も乗っていない。
新宿に到着。本当は素通りして秋葉原へ向かう予定だったのだが、インクを買うという予定があることを思い出し、ビックカメへ。帰りに新宿を通らないと、買えないという危険性があるためだ。
久しぶりというか、今年初めての新宿である。去年サイクリングで行って以来なわけであるが、特に変わったところは見られない。ハルクまでじゃ大した距離じゃないけど。
2階から入って驚いたのは、デジカメが安くなっているということである。今は20%引きとキャッシュバックも加わっているようで、かなりリーズナブルなお値段で入手できるようである。さすがの私も、かなりクラッと来た。これは買うか?
しかし、それを思いとどまらせようと、とりあえず4階のインク売り場へ。なんとインクのポイントバックが13%になっている。これは今まで見る限りでは、初めてのことだ。消耗品は、普通割引をしないからなぁ。
というわけで、黒インク3つを購入。2640円+税。税金分もポイントが戻ってくるので、割引の幅はかなり大きい。
またも2階に戻り、真剣に考える。特に惹かれたのがCanon製のPowershotS30である。44800円。2000円引き+20%ポイントバックである。計算してみると、買った場合に入手できるポイントバック分を他の10%の商品に充当した場合、この商品の実質的な価格は約35000円。
買おうと決めようかと思い、とりあえず実物を手にとって確認する。さすがに高いだけありデザインは申し分ないし、持った時の感触は悪くない。撮影モードは非常に多い。自分の意図する写真を撮ることが可能だろう。そのときに、バッテリーの入れる場所を見て、はたと思った。このカメラのバッテリーはどうなっているんだ。
見ると、専用電池・・・。これはいかん。
今使用しているのは、充電用の単三電池4本である。他への転用も利くし、何よりバッテリーの持ちがいい。だが、カメラ用の電池となると、充電器から何から何まで、多くの準備が必要。とても今すぐ買える物ではない。何より、カメラ用電池に対する、私の知識は乏しい。
他のカメラを見てみたが、候補の一つであるCOOLPIX4300もまた、専用電池であった。これはかなり痛い。大きなマイナスポイントである。CFカードを使用できないというのもかなり厳しい条件であるのだが、今回のようなこともあるとは思っていなかった。
案外いろいろなところで落とし穴があるものだ。
そう実感した。
さて、地図を買いにでも行こうかと思った。今のことで、CFカード購入への意欲を大きくそがれたのは事実である。それがなかったら、今頃e-trendでトライセンドの256Mを買っていただろう。何がきっかけで、購買意欲が下がるか、わかったものではない。
モザイク通りに入る。途中の店へ入ろうかという気分も生まれるような、ちょっと不思議な場所でもある。
甲州街道を渡ると、鉄道の上のスペースを利用した、新たな開発がはじまるそうである。高島屋の前に新たなバスターミナルを建設して・・・だそうだ。なるほど。これからの新宿は、地下の利用よりも、もっといろいろな利用方法を考える時期に来ているのかもしれない。甲州街道の上に、もう一つ道路を作る、なんていうのもありかもしれないし、やはり空中歩道を作るのもいいかもしれない。さっきの駅のうえだったら、もうちょっといろいろな使用用途があったのかもしれないが。
ドコモのビル、スターバックスコーヒーの店を見つつ、高島屋に正面から入ろうかと思っていたら、何か妙であった。近づくと、その状況が良く分かる。今日は全館休館である。昨日のパルコといい、この時期はそういうことになっているというわけか。厄介なことだ。一応タイムズスクエアの方にも行ってみたが、当然結果は同じ。タイムズスクエアも休館という風になっていたのだから、いちいち行かなくてもと思うかもしれないが、一応そういう所は諦めが悪いもので。
さて、そういうことならばしょうがない。もう一つの紀伊国屋に行くまでだ。ここからだとちょっと遠いが、西口の方にあるやつである。
それでも歩く歩道は動いていた。高島屋はやっていないのに、これを動かす理由ってあるのかね。女子高生が悪ふざけで、動く歩道を逆走していた。ああ、私もやってみたい(爆)。でもやらない。恥ずかしいから。意外と控えめなやつである。
明治通り沿いに進む。意外にも伊勢丹まで休館である。正にその時期ということなのであろう。ちょっと頭の中が整理できていなかったため、靖国通りまで出てしまった。大回りして紀伊国屋へ向かう。
いつものように、乗り切れないので一本落として7階へ。地図コーナーは、平日なので多少はマシな状況であるが、混雑しているのは相変わらずだ。
地形図を探す。案外予定していたどの地図も、面白みが少ないことに気付く。結局三段峡の地図を買うにとどめておく。他にも三段峡などの情報を収集するが、これが案外情報の少なさを際立たせる。
都庁にでも行こうかと思って、都庁への動く歩道にのろうとしたとき、片手にあるべきものがないのに気がついた。地図がない。しょうがない。紀伊国屋まで戻る。何かと遠いのが難点であるし、エレベーターは全部上り表示でしばらく来そうもないしで、階段でB1Fから7F登ったりと、いい運動になった。無事地図を回収した。
何気なくマイシティに入る。郵便局を見たいという気持ちもあったし、何より今まで入ったことがなかった。
エレベーターの場所がわからないのには参った。とりあえずエスカレーターで一つ上がる。その目の前にエレベーター乗り場が存在しており、右手にJRの改札があった。エレベーターがくるまでには時間があったので、JRの改札の方へ。意外にも前にきたときに比べて明るくて、実際にいる場所を把握するのに時間がかかった。基本的に白を貴重とした明るい雰囲気となっている。前はなんとなく暗いイメージだったから。
そういうわけで新たな新宿西口改札付近をうろついていたら、前の場所に戻る方法がわからなくなり、ぐるぐる回って、さっきのエレベーター乗り場に戻る。とりあえず、屋上の一つ下の階、8階へ。
このレストラン街が、とてつもなく雰囲気のある場所であった。ちょっと一般人には近寄り難い雰囲気なのである。エスカレーターは直通せず、照明は非常に幻想的。よくもまあ、ここまでやったものだと感心する。
一つ下がって7階へ。ここもなかなかしゃれているのだが、絶対的な人数が違う。非常に活気に溢れていた。どの店もほぼ満席状態(4時30分ぐらいだぞ)という驚異的な人の入りである。やはり雰囲気であろうか。
6階へ降りる。郵便局はあった。トイレでまたも地図を忘れそうになる。あとは2階まで降りた後、階段を使って1階に降りて外へ。もう暗くなってきている。
もう秋葉原は無理だろうと思い、新宿を堪能しようと世界堂のある方向へ向かう。記憶は古いが、新宿御苑の方だっただろうと思い、そのまま西の方へ。確かにあたっていた。
かといって、買う物があるわけでもない。20%の割引は魅力であるが、買う物が決まっていない人には少々難しいところである。結局、三角定規と消しゴムを購入。これでも、私にしては珍しい。
上のほうにも行ってみると、多くの絵画が売られていた。将来自立して、お金を持つようになったら、こういうのを飾りたいものだ。やはり、最低一つは家にこういうものが欲しい。結構な値段がするのだけれど。
外に出ると、もう帰宅にはいい時間である。西武へ寄ったのだが、いいデザインのパスネットはない。それにしても、西武ではレオカードがまだ売られているんだ。小田急はロマンスカードがなくなって久しいなぁ。
チケットショップにも行ってみたのだが、特にめぼしいものはなし。強いて言えば、よみうりランド入場券200円(2月28日まで)だろうか。期間制限がなかったら、買ったかもしれない。あと、多摩テック1000円とか。何か、遊園地ばかりだな。札幌−千歳空港の回数券のばら売りが990円。このときはぴんと来なかったが、なんと正規料金とは50円の差しかない。これでは、他にやすくする方法がいくらでもありそうな気が・・・。バスの利用だってそうだし。
もうすることもなく、小田急の改札へ吸い込まれていった。時刻は371系のあさぎりが新宿に停車している時間である。ちなみに満席との事で、この時間のホームライナー的な利用需要は大きい。と言うか、あさぎりなら、私も乗るな。特に狙い目は1階の2&1シートでしょ。町田まで停まらないのが惜しい。
急行に乗ると地図が心配なので、各駅で帰ることにする。肩こりもなぜかひどいことだし。こんなんで、今度の旅行は大丈夫か?
各駅は2000系だった。1席あたりの座席幅が広いので、非常に快適に過ごせる。だが、それでも着膨れの問題があるので、結構複雑である。
東北沢でいつもの待避。代々木上原でいつも誰も乗らないのは、この待避のせいなんだよな。両側を急行停車駅で挟まれた待避駅って、ここだけじゃない?
経堂で、多摩急行を捕まえる。これは多少空いているので、特に問題はない。1000系であった。
登戸で乗換。次の各停は3000系。一通り乗ったという気分であるが、何せ小田急で新宿に行くのは遠すぎる。改善して欲しいが、多分小田急じゃ無理だろうな。
帰宅後、アニメの始まった時間に夕食が完成。夕食を食べつつアニメ鑑賞となるが、父は水曜の帰宅が早いため、どうも厄介である。
なんと6日ぶりに更新。随分と放置したものだ。試験期間は、結構つらいものがあった。
明日の天気は雨だそうだ。憂鬱である。
2003年2月20日(水)
10時に起きた。それよりも一度目が覚めたのであるが、そのときは雨が降っていた。起きたときはすでにやんでいたと思ったが、実際は降っていたようである。
学校へ行く用事もあるので、今日も忙しい限り。とりあえず旅行の準備をする。着替えは一つだけにとどめる。下着は多めに持つ。所詮、その程度で間に合うのだ。
他にもいろいろと用意を重ね、食後にはほぼ準備は整った。後は近くなってからしか用意できないものぐらいだろう。
2時ごろ、学校へ。こういう旅行が迫っている時には水をさされるような気分である。風が非常に強くて、なかなか駅につかない。
急行で調布まで出た後、いろいろと情報を収集し、そして教室へ。結局進学する人にはあまり有用な情報はなかったが、2年後の就職時に役立つ情報が詰まっていた。
図書館に寄って、本を2冊借りる。西友にも寄ったが、買うものは無し。パルコの地下で、パンを460円分購入。
帰りに稲田堤駅で下関ふくフク号の指定席を確保。これで必要なものは全てそろった。あとはクモハ42が見られることを祈るのみ。
さて、帰宅した後すぐに夕食。夕食がおいしいが、母の料理はしばらくお預けである。外でおいしいものを食べられればいいのであるが。
日記を書く。おそらくこれを書いた後に、すぐ風呂に入り、そして出発という段になるのであろう。
この後の記録は、月明かりの夜[山陰周遊記]にまとめました。