郵貯日記(2003.2前期)


2003年2月1日(土)
 全日空の一日乗り放題で凍てつくような寒さの鳥取砂丘に行ってきました。帰ってくると、『ズワイガニは』などと聞く姉がいて困惑。松葉がにであるし、それに買っていないし(笑)。お土産はあたご梨2つだけである。
 帰ってから風呂に入ったのだが、今日の温泉は非常によく温まった。


2003年2月2日(日)
 11時まで寝ていた。それほど体が変ではないことから、適切な睡眠量であったのかもしれない。昨日買ってきた梨がおいしい。
 ザ・スクープを見た。ここまで警察・裁判所・検察がこだわっているというのは、何か上級階級とのコネでもあるのだろうか。世の中、分からないことが沢山あるからな。こういうのを漫画の題材にしたら面白いかも。でも、そのアイディアだけでなく、色々な問題に対する見識がないと面白くはならない。
 3時過ぎに、温泉に出かけることとなった。といってもスーパー銭湯である。前回と同じ所を想定している。
 新百合に姉を迎えに行くため、いったん府中街道からよみうりランドに抜けようとしたのだが、途中で姉のコンタクトレンズを忘れたことを母が思い出し、引き返す。戻る方の混雑を想定して裏道を行ったのだが、そちらはそちらで、ほとんどスピードが出ない。
 再出発。同じ道を通ることは私の神経が許さないので、世田谷通りをそのまままっすぐ行く。よみうりランドから百合ヶ丘までも随分とすんなりと流れたので、速く新百合ヶ丘に到着した。姉が居なかったので、一周してから再び戻ったらさすがにいた。
 再出発であるがやはりそれなりの混雑である。ナビが示したのは、町田方面に抜ける道を経由するとのことであった。
 結局そのまま行ったのだが、途中でナビの案内を全く聞いていなかったので、行過ぎてしまう。戻るにも逆側が大混雑で困った。そんな時、ちょうどファミレスが前に現れた。しかし『バーミアン』である。だが、ちょうどいいのでここにすることとした。
 食事は無事に終了し、混雑の解消した道を戻る。ここからスーパー銭湯『ざぶん』はかなり近い場所にある。しかし、駐車場が満杯という凄い事態にちょっとびっくり。時間がたってからようやく開いたのでその場所に入れた。この混雑は時間が早いからだろうか。
 中はかなりの混雑である。姉が2時間入るので、8時20分に出ることを想定しておく。
 今日も銭湯で、長々と時間を潰す。温泉に入れることは確かにいいのだが、2時間となると、時間がさすがに長すぎる。やることは、露天風呂に入って温まり、そして冷やす、の繰り返しである。
 結局2時間で出てきたのだが、私が実は一番速く、姉が出てくるまで20分以上待たされた。これより遅くされたら、もう一緒に行きたくない。
 帰りは16号が空くので、そのまま走る。東名の近くに万葉の湯、というのがあった。後で調べると、とんでもなく料金が高いので却下である。ここの一人の入浴料金で「ざぶん」は4人入れてしまう。
 東名には妙に前後左右に揺れるトラックがいて、恐怖、である。しかし高速を使えると速い限りだ。あっという間に家に到着した。
 帰宅後、志望書を完成させる。かなり難しいと思う、この文章の作成は。これで落ちたら、私は一体どうしたら良いのだろうか。だが、もうやるべきことは全てやった。書き終わったのは1時30分。明日も時間が多少あるのだが、忘れるといやだったし、プリンタが使えなくなるとあせるから。
 結局寝たのは2時30分であった。


2003年2月3日(月)
 いつも通り起床。出発までに鳥取の記録を書き上げる。
 出発時に車に手袋を置いていったことを思い出した。明日あたりに取りに行くこととする。今日はランド駅にしたので、手袋がないのは少々痛かった。
 布田天神の前を通って学校へ向かったのだが、今日節分ということもあり結構な人で賑っていた。梅の花も結構開き始めている。
 遺失物を調べるために学生課に行ったのだが、ない模様。ということで、今日の一番の目的である第2志望書提出へ。これだけ書いてダメならば、諦めがつくというものである。ついでにランブル確率紙を貰っていく。
 休み時間のうちに残っていた確率紙への記入を終了し、授業に臨む。いつも口癖のように行っていたNASAの信頼性がスペースシャトルの墜落によって、今まで発言してきたことを裏切られてプライドがひどく傷つけられたため、教授は非常に落ち込んでいた。NASAの信頼性について、教授は日頃から非常に深く研究していたはずであるが、結局机上の空論に過ぎなかったということなのであろう。そりゃあショックも受けるだろうな。
 しかし眠い。なぜか眠い。それは授業の後半に突如としてやってきた。必死に抵抗するが、そのまま体ごと持っていかれる。
 次の授業であるが、全くわからない。ただノートに写すぐらいしか出来ないのである。しかし授業中に面白いことがあった。どこかからいびきが聞こえてくるのである。その場所は音から分かったが、近くの人は見て見ぬふりをしている。だが、なぜか教授は気付いていないようだ。みんな意地悪なものだから、ひそひそ話などしないでただ見るだけである(笑)。教授が気付いたのは、私が気付いてから少なくとも5分はたってからであった。先生はもう耳が衰え始める年なのか、非常に集中しているかのどちらかだろうな。多分後者だろうけど。それだけでかいいびきだったのである。教授が『何だ、いびきが聞こえるぞ』と言った瞬間、教室が笑いに包まれたことを考えるとみんな知っていたのだろう。みんな性格悪いな(笑)。
 帰りにパルコによるが、バレンタインの季節の接近を感じる。チョコレートの展示の量がいつもとは全く別次元にまで膨れ上がっている。ちなみに、今の文章でIMEがタコ過ぎて書き終わるのに2分かかった。死ね。
 よりによってこういう時に限って、急行にあたる。しょうがないので、駅にある旅行パンフレットを立ち読み。3月の千畳敷(アルプスの)が結構いい。行ってみたいところである。
 そうしていろいろ調べているうちに、一本各駅を逃し次の快速に乗った。駅からは手袋がないのが痛い。
 歩いていると節分か何かだろうが、袋を持っている人達が歩いてくる。おそらく穴澤天神社だろう。ついでだから寄ってみることにした。で、突然場面が変わるが、その豆などの節分セットが1500円で発売されていおり、先着50名様は抽選つきという、なんか商売じみたことをやってらっしゃる。値段が値段なので、買う気にはならずにそのまま帰宅する。帰りに古本屋に寄って体を温めなおした。
 帰宅後、鳥取の記録をHTML化していく。非常にWindowsが落ちやすい状態になっている。やはり前にIEに当てたパッチが悪すぎたのだろうか。アップデートを安易にするのは、前回で最後にしようと思う。それにしてもIEをアップデートしただけで普通Windowsまで落ちやすくなるか?さすが欠陥商品である。
 そうしたせいで何かと正常に終了できない状態が続き、スキャンディスクをやらされる羽目にまでなったのであるが、一応完成し送り込んだ。
 だが、あまりの眠さにソファーで横になったのがいけなかった。いつのまにかそのまま眠りこけ2時間30分寝ていた。
 起きてから風呂などを慌しくして、寝たのは3時30分。


2003年2月4日(火)
 今日も遅い出発で余裕しゃくしゃく。昨日と全く同じであるが、4時限の授業がわからないのは相変わらず。
 帰りに三月うさぎでケーキを買っていったのだが、ここでちょっとトラブルにあった。それはそれとして、ここのケーキはなかなかおいしい。
 しかしである。問題はケーキのケースそのまま渡されて剥き出しということだ。いくらケーキの袋を持つのが平気であっても、剥き出しの物をそのまま持つのはかなり勇気がいるというか、恥ずかしいというか。あからさまに視線が集まっているように感じるのは気のせいではないと思われる。バランスを考えつつ、かばんにしまうことにした。
 帰宅後母とケーキを食べ、パソコンをちょくちょくといじるが、それにしても強烈にWindowsが落ちやすい状況に陥っている。これは日々の活動にかなりの支障を感じずにはいられない。
 食後、ついにキレてしまった。システムの復元を発作的に実施。1月13日のデータまで戻す。そこまで至るには、今日ですでに4回目にもわたる不正終了があったからである。これはIEにパッチを当てて以来、ずっとこの状況となっているのだ。そしてとどめを刺したのは、何もしていないのに突如としてフリーズした瞬間であった。
 復元中に突然止まるというアクシデントがあり強制終了しようとしたが、そこを何とか我慢する。ここで強制終了をやったら、あっという間に再インストールの悲劇に見舞われるのは確実である。私はとても短気なのである。こんなものがしっかりと動いてくれないというのは我慢できない。
 そして元に戻ったのであるが、確かにIEのパッチのはめる前の状態になっているようで、不正終了はそう簡単にはならない。少なくとも今日記を書いている時点では。他にも印刷などの状態が良くなっていることが分かる。
 私の方の厄はどうやら去ったように見えるが、代わりに父の方に厄が伝わり始めたようだ。昨日は父の自転車がパンクして、ぼろいことから捨てることが決定したばかりだが、今日サイクリング用の自転車で代わりに行ったのだが、その自転車が盗まれたのである。これは確か私にも関係のある話題であるが、我が家の厄は相変わらず去ったわけではないと思われる。
 だが、母が父の探し方に疑問があると言い出し、私もそれなりに気になるので出かけることにした。どうせ遊園の駐輪場ならば、稲田堤と違ってあっという間である。
 で・・・・・・・・・あった。笑ってしまうでしょうが、あった・・・・・・・・のである。探し方が下手だったから、としか言いようがない。まあ、無事で大変よかった。
 そんなわけで、おかしな一日であった。
 それにしても、復元で一気に落ちなくなったという印象がある。それだけ、何か悪い状態になっていたということだろう。自分でいじったスタートアップメニューの変更も何か問題があったかもしれない。
 唯一弊害が発生した。アンチウィルスソフトが常駐できなくなってしまったのである。システムの復元前に、常駐を偶然解いていた(スキャンディスクを行うため)ことが仇となったようである。
 デフラグも調子に乗ってやったら、逆にスピードが遅くなった。ありがち〜。
 雪が降るとか言っていたが、本当だろうか。
 レポートなどもあり、寝たのは3時30分頃。遅すぎ。


2003年2月5日(水)
 二時限から授業があるが、ちょっと早めに。パルコで結構な用事もあるし、レポートの提出もあるから。雪ですか?降った形跡はないですな。
 授業前に研究室を一緒に受けたY君とは話す機会があった。彼曰く、返事がないので非常に不安だと。そして、結果は面接の時点で体制は決まっているはずなんだから、早く出して欲しいと。
 確かにそのとおりである。文章よりも実際に会ったときの方が重視されるのは当然であろう。人間あったときの印象が大事だ。文章なぞ糞くらえであろう。
 さてそんな私であるが、結構余裕を保っている。だがそういうことを言われるとガタガタと自信が崩れていく(単に忘れているだけ)。またも自分の中で行ったりきたりを繰り返す。結局何も進歩していないような・・・。
 授業が終わったのだが、この科目こんな難しくて試験に通るのか非常に不安だ。おまけになんか風邪気味らしくて、のどが痛い。試練は続くか。
 3時限からは長い授業であるが、よりによって4時限の補講とバッティングしているため、2時40分に離脱。次の授業もまた、こんな難しくて試験が通るのかとても心配。努力すりゃいいけど、それでも厳しいものがある。
 4時10分から再合流し、5時45分に終了。ほぼ3コマ使っていたようである。インターンシップに関する話題であったが、これはこれでかなりの収穫があった。
 帰宅後、久々にコラムを書く。なんと言っても、いいコラムを書いていくのが身上だが、誰も見にこないというのは悲しいようなほっとするような。どこからもリンクされていないと、ロボット検索で拾ってもらえないらしい。
 まあそれはいいとして、いい文章を書くことは自分のためになる。
 パソコンに向かっている時間がほとんどで、そのまま一日が終わる。


2003年2月6日(木)
 今日は非常にきれいに晴れ上がった。カメラを持ってハイキングでもしたいぐらいであるが、そんな余裕はない。今日も補講があるからだ。あたご梨がきれたため、ちょっと寂しい朝食に戻る。
 ランド駅を利用する。空はかなり青みが深かった。久々の9000系で調布へ。
 補講の最中に結構眠くなる。昼休みの間は昼食とノート写しと自分のページの確認。補講の次の授業が実はテストらしく、単位を落としてなかったことに安堵する。
 TSUTAYAに寄ってから帰宅。天気を考えるとちょっともったいなかった。すぐに「聞く」「見る」は終わってしまった。ダビングをどうするかは、これから次第である。
 何か非常に眠く、椅子の上で寄りかかって寝ていたりしていたので、早めに就寝。


2003年2月7日(金) 総額2300円の散歩
 いつも通り起床するが、学校はない。なぜ早起きしたかというと、ちょっと散歩でもしたい気分だったから。河口湖に行く予定だったのもあるが、時間的に少々厳しくなってしまった。
 ランド駅へ。ところどころ凍結しているのは、稲城市の温度が低いことを示していて、南山の開発が行われた場合の被害は、夏に甚大なものとして広がるだろう。つまり暑くなるということだ。
 いったん調布に出てから、急行高尾山口行きに乗る。7000系であったのでちょっとがっかりだが、乗ってみると座席以外はそれほど悪いということもない。VVVFインバータ制御でもないのにこれだけの走りを披露するわけだし、あまり悪く思っては可哀想かな、とちょっと7000系に対する考えを改めた次第。
 高幡不動で8000系の特急に乗り継ぎ、京王八王子到着。ようやくの京王線完乗が達成された。途中で中央線の路盤と平行に走っているのは、ちょっと妙な気分であった。
 中央口からでる。構造はちょっと理解していないのだが、地図を良く見るので大体は把握している。外に出るとどうやら放射状に北東に向かっている道の上に出た模様。左手にあるそごうのロゴから察しがつく。
 とりあえずやはりJRの駅の方かなと思い、歩き始める。人の流れも大体同じで、その流れにはチラシやティッシュを配る人が多い。ティッシュを2つゲットできたのは、かなり大きい。
 既に10時を大きく過ぎているので、デパートは開店している。そごうに入った。駅直結、というか駅ビルに近い。1階のスペースにはチョコ売り場が集中している。その季節によってその売り場は変わると思われる。
 一つずつ階を登る前に、JRの駅によって運賃の確認。なんと相模湖駅まで320円である。この値段ではちょっと乗る気がしなくなる。
 というわけで、後回しにしてそごうを回る。特にどうということもないが、レストラン街ではそごうの上に出るデパートはないと思う。そういう所でお金がかかる分、どこかに反動がくるはずで、それが倒産という結果の一つなのかもしれない。消費者としては喜ばしい施設なのであるが。残念ながら、店内の撮影は著作権に関わるのでできない。
 屋上へ。屋上からはどの方向も見えるようになっており、夜にきたら夜景が美しそうだ。気になったのは、浮浪者と思しき人達がうろついていたこと。これは少々落ち着かない。
 時間はまだ11時なので昼食には早い。地下1階に行く。想像以上に店舗が充実しており、目移りしてしまう。かといって今日はこのまま帰るわけではないので、荷物をそんなに増やすわけには行かない。結局シュークリームを一つ買い、その場で食べるにとどめる。皮がかなりボリュームがあるというか、結構大きいというか、なかなかおいしいシュークリームだった。休憩所は、おばさんのふかすタバコの煙が漂っていた。
 地下道へはいる。駐輪場が地下にあるということだが、いったい幾らで運営していることやら。地下という不便な場所でなおかつ100円以上も取っていたら、確実に自転車の利用率が下がりそうである。温暖化防止の観点からも、自転車の利用を促進するのは自治体の勤めとは思うのだが、マナーの悪い人も多いのが難点だ。
 東急スクエアへ。こちらの建築デザインは日本とは思えないほど優れた建造物である。こういうところにお金をかけるのは素晴らしいことは素晴らしいのであるが、他のところで弊害が出やしないか心配になる。
 三省堂で地図を購入。270円。その場で折っておくが、ケースを忘れていることがちょっと気にかかった。しかし、さっき買ったシュークリームの紙袋にぴったりと収納できたのは嬉しい誤算だった。
 もう食事にしてもいいかと思い、探してみる。どれも今ひとつかなと思っていたのだが、韓国焼肉店が目に入った。と言っても、気になったのは石焼ビビンバ。さっき重い物を食べてしまったし、最近野菜を食べていないような気がするだけにちょうどいいかと思った。いったん最上階まで行って、何もないことを確認してから、その店に入る。
 明太ビビンバセット1000円。料理はあっという間に出てくる。料理自体がそれほど手間を要するものではない(だって具を入れて熱い石鍋にいれかき混ぜるだけ)から当然といえば当然だ。
 さて、非常に熱そうなので期待していたのだが、おいしい。特にいいのはやはり石鍋が熱い状態になっていることである。こんな当たり前のことが意外とできていないところが多いからだ。そう、石焼ビビンバは熱いのが常識であるにもかかわらず、である。
 そんなわけで、満足の一品であった。文句なし。1050円はクレジットを使わずに現金払い。私らしくもないな・・・。
 他に見るところもないので、東急を出て歩き始める。トンカツ屋のある交差点を北に向かうとダイエーが見えてきた。ダイエーによって商品を見ていくが、これといったものは特にないのでそのまま後にする。
 国道20号に至った。いわゆる甲州街道であるが、意外にも銀杏並木を見ることができない。いったいどこからあったのだろうか。とりあえずバスでどこかに行くのもいいかと思って行き先別の案内を見ていると、相模湖行きというのがあるのである。一日わずかに3本で、12時50分頃到着予定。今の時刻が35分なので、先の停留所まで少し歩くことにした。
 歩いていくと、西側の放射道路との合流を果たした上、国道16号との並走区間になる。番号が小さい方が優先されるため、この場所では国道20号ではなく16号が標準になる。ちょっと不思議な気分だ。
 織物組合のバス停で待つ。相模湖行きのバスは4分ほど遅れて到着した。が、ドアも開けずにそのまま走り去ってしまった。一瞬何がおきたのか良く分からなかったというか、呆然としてしまった。が、少し経つとすぐに怒りがふつふつと込み上げてきた。
 いったい神奈川中央バスの運転手はどんな教育を受けとるんじゃあ!!!
 大体ドアをあけないで勝手に発車するって、どういう神経をしているのだろうか。待っていた人はかなりいたわけであるし、止まった場所は柵があって、ドアが仮に開いても乗れないのだから、そんな程度で勝手な発進をしていいのだろうか。
 そして非常に重要なことがある。それは・・・これが今日の・・・最終便・・・であることである。最終便を逃したんだぞ。どうしてくれるぅぅぅ((笑)としたいところだが、本来そんなことで済まされる問題ではない)。
 だからといって、追いかけようと追いつくわけもないし、過ぎた時間が戻るわけでもないし、叫んだところでバスが止まるわけでもないし、超能力を使って信号を赤にすることも不可能だ。というわけで、諦めざるを得ないわけである。あーむかつく。
 しょうがないので、歩くのみ。どうせだから他の場所に行くのも考えたが、地図がないので、勝手に乗ったらどこに連れて行かれるかが分からない。しょうがないので、西八王子駅へ向かう。
 歩道橋を渡って南側へ。一本の特快が高尾へ向けて走り去っていった。201系が走っていく姿を見るのは、やはり嬉しい。
 しかし踏切は相変わらず閉まるのは早く開くのが遅いようである。これはJRの悪いところである。以前コラムでも公開したっけ。
 駅前に駐輪場があるが、一回利用で150円だという。どういう基準だよ、その値段は。
 さて、西八王子駅はさえない橋上駅だった。どうせすることもないので、オレンジカードで相模湖までの切符を買ってホームに下りることに。一駅歩いたことで90円安くなって230円である。
 高尾行きの快速が到着。わずか1駅だが、150円だけあり、結構走って高尾に到着。面倒だが、ホームを越えた乗換が必要になっている。時間も大きく開いているし。
 ホームで長々と待つにつれ、ちょっと不安になってきた。そしてその予感は的中した。到着した電車は201系10両編成だったのである。がくっ。クロスシートで旅行気分を楽しみたかったのに・・・・・・・・・・・・・・・。ああ、115系のクロスシート。お前はいずこに行った(笑)。どうして私の前に現れてくれん(爆)。
 久々の中央本線である。関東ではいわゆる”本線”と呼ばれる区間は高尾以遠の区間を指していて、高尾から東京の方を中央線と呼ぶ慣習がある。高尾までの色は赤で、高尾より先は青。それは電車の車体の色をも指し示していて、色の表示が赤の場合は201系でそれ以外は青と分けられている。とすると、最近作られたE257系はそのあたりが無視されすぎていて、そのバランスを崩したようにも感じられる。
 私が中央本線に乗るのは1年5ヶ月ぶりで、非常に久しぶりである。いくら201系とはいえ、それなりに感慨深い。
 高尾駅を出ると、すでにかなりローカルな雰囲気が漂う。雪の残っている場所はかなり増えてきており、意外と関東も積もるものだと感心。今日は結構暖かくなっているのだが、今年の冬が寒いことも影響しているのか、雪がかなり残っているのだ。そういえば、八王子駅から西八王子駅に行く途中にも雪が残っている場所があった。
 圏央道の建設現場を見る。中央自動車道とのジャンクションまでは完成しそうな情勢だが、高尾山を貫くのはさすがに厳しいようで、今後この区間がどうなるかは不明。首都高みたいに違う場所に分岐を作ってみるのもいいとは思う。圏央道をいったん中央道に合流させて、その後また分岐を作るのは、ちょっと強引かなぁ。どちらにしろ、圏央道は必要だろう。
 かなり走ってから、長いトンネルに入る。相模湖までの区間はかなり駅間がひらいている(9.9km)のだが、ここまで現状を放置しなくてもいいような気がするのだけれど。まあ、自然保護のためには駅を作らないほうが無難かな。
 トンネルを抜けるとすぐに相模湖到着となる。10両が止まれる高規格な駅とはいえ、至ってローカルな雰囲気だ。日常から開放されたという気分である。
 さて、やはりこの駅に来たからには、相模湖以外に行くところはないような気がする。とりあえず相模湖へ。駅前からすぐに国道20号と国道412号の分岐となっている。適当に歩いてみたのだが、どうも記憶が抜け落ちているらしく、なかなかうまく公園の方にいけない。
 かなり古びたみやげもの屋などを経て、寂れた観光地を思わせる相模湖の公園に至った。昔と比べ、トイレや駐車場などの設備の改善はあるが、それだけでは到底人を呼べそうもないという気がする。幾らなんでも、通勤圏と目と鼻の先では旅行気分には程遠いという感覚にもなるのだろう。何か違った形での観光政策を考えないとダメではないか。
 だがこの程度で終わりにするぐらいならば、お金を出してまで来た意味がないというものだろう。そうだ。さらにダムの方へいくのだ。まず相模湖大橋へ。そしてダムの上を渡った。今日はダムから取水をしていないのだろうか。泡が見当たらない。
 相模川沿いに下りたいのだが、資材置き場とかになっていて降りられないように何かと規制をかけまくっている。逆の方は工事が行われているし、どちらにしろ無理か。しょうがない。川と並行するやや太めの道沿いに行く。だが、こちらも川に下るような道がなかなかない。私道のような道に入っていくのは、かなり気が引けてしまう。渡れそうなところに限って、工事により通行禁止とか、ふざけたことが書かれている。そのうちに強烈な上り坂が現れ、さすがに引き返すことにした。ここは駅から2km以上は離れている。ダムからも1km以上歩いているし。バス通りでもない道を永遠に歩くには、時刻がもう遅すぎる。3時といえば、日が沈むまでほとんど時間がない。
 しょうがないので戻ることとする。それにしても思うのであるが、なぜにここまで雪があるのか大変不思議だ。稲城の南山にもまだ雪が結構残っていたりするのだろうか。こことそれほど条件は変わらないような気はする。小沢城址の北側斜面には結構残っていたりするわけだし。道路工事がこんなところで行われているのは、非常に謎だ。
 公園に戻ってトイレを済ます。案外きれいなトイレだ。
 普通の人ならば、駅までそのまま戻るか、となるだろう。十二分に歩いているし。だが、ここで終わるわけにはいかない。中央道相模湖のバス停を確認する義務がある。いつかの時に備えて・・・。
 そういうわけで、相模湖駅に戻る。一時的に戻ってから、なんとなく察しをつけようというのが狙いだ。駅前には変な噴水が存在している。妙だ。謎だ。
 いったん駅から戻って歩道橋へ。踏切にしとけばいいところを歩道橋にするというのが、JR東日本の性格の悪いところというか何と言うか。まあ、中央本線はカーブが多いし貨物列車も多いから、それはあながち間違っていないけどさぁ。
 歩道橋を渡ってからも、ちょっと迷いつつ坂登り。すると案外あっさりと発見した。だが、確かに高い場所だ。ここまで歩いてくるというのは、それなりに労力を要する。だが、相模湖乗換はおそらく一番安く河口湖などに行く方法なんだよね。それにしてもバスレーンに勝手に駐車しちゃダメだろうが。そういうことやっちゃいけないよ、どっかのトラックの運転手さん。それにしても、立小便禁止の看板って・・・、深刻だな。やめましょうね、やってる人は。恥ずかしいですよ。
 ちょうどバスが来る時間なので、どのようにしてバスが来るのかを影から確認することとした。バスはいったんバスレーンに入り、徐行しつつ乗客がいるかどうかを確認し、そして走り去っていった。なるほど、ちゃんとバスレーンに入ってくれるんだ。これで使うめどがついた。少なくとも、さっきの神奈中のバスみたいなことはないと思う。
 降りてくるうちに、赤い201系電車が東京へ走り去っていった。田舎を走る201系もそれなりに絵になる。少なくとも701系のステンレス車体とは違って、はるかに夢がある車体だ。
 駅前に戻るとすることはないが、駅前に高尾山口行きのバスが停まっていた。大垂水峠経由のようである。国道20号沿いにひたすら走るバスには乗ってみたい気分があって、運賃などを考えると結構迷った。だが、思い切って乗ることにした。かなりレアなバスの一つだが、平日は八王子まで直通しない。系統名は忘れた。とりあえずそういうバスなのである。
 バスは甲州街道に入った。国道20号にもかかわらず、ここまでくると極端に低規格な普通の道路である。それがしゃれにならないことに、さらに速度制限がかかって30kmとなった。そして途中から、駐車禁止ではなく駐停車禁止道路に変貌。それに加え、土日祝日は125cc以下の自動二輪車通行禁止である。確かに道路幅が半端じゃなく狭くなるし、峠道だからカーブが永遠に続くような錯覚にとらわれる。何にしても、こんな道を自家用車で通ることはまずありえない。確実に中央自動車道使うし。自動二輪通行禁止というのは、混雑のひどい休日に無理な追い抜きをするバイクの事故が絶えなかったということがありそうである。カーブがそれだけ多いし厳しい。
 峠を抜けると下り坂。ブレーキを頻繁に使うので、いつかのハイドロブレーニング現象の事故を思い出す。ブレーキが利かなくなってバス転倒。しゃれにならない。
 だが、そんなことはなく、下りのカーブの連続(といってもこちらはそれほどでもなかった)を抜けた。運賃がかなり上がってきていて、かなり気になる。すでにJRの運賃の倍近い。
 ようやく見慣れた風景と共に高尾山口駅に到着。運賃は440円。JRは190円だ。時間はJRは10分、バスは40分。どっちがいいかは、本来なら言うまでもないことだろう。だから一日3本なのである。途中停留所からの乗降を考慮しても、意味のないバス路線なのであった。
 せっかく高尾山口駅についたのだから、少しは意味のある行動に移りたいものである。というわけで、高尾山登山に出発!・・・って当然ウソ。4時40分から登って、どうするって。でも、とりあえずケーブルカーの清滝駅までは行く。ケーブルカーは以外にもまだ運行している。ちょっと高尾山からの夜景を見る考えがむずむずとわいてきたのだが、バッテリーが心もとない(電池切れの表示が出てきている)ので、諦めて戻る。バッテリーが切れそうもなかったら、1号路を上っていく可能性を否定できない自分がおそろしい。そんなに無謀な人間だったっけ。
 準特急は何分かな、と時刻表を見て唖然。準特急がない、のである。この季節は、準特急は4時30分が最後で、それ以降は全て各駅停車なのだ。んな馬鹿な。
 と言っていても始まらない。北野行きの8000系普通電車に乗り込む。ドアを開けっ放しにしているから寒い。一部のドアを除いて閉めとくべきでしょ。ほとんど人乗らないんだし。京王も意外とそういう所の詰めが甘いな。
 夕焼けが美しい中、京王高尾線を8000系は走り、北野到着。問題は、次の準特急まで16分もあるということだ。ひどすぎ。
 だがそんなことを勝手に受け止められるほど私は簡単な人間ではない。特急一本分見逃して遅れてつくことを許せない私は、京王八王子に行って特急を捕まえるという賭けにでた。京王八王子駅まで各駅に乗るのだが、まず特急の折り返しと思われる特急が通過していった後、京王八王子行きの各駅が入線してきた。意外にも当駅始発である。京王八王子駅には特急が向かいホームにあってそしてぎりぎりで間に合いそうであった。が、ドアが開くそのわずか一歩手前で、特急新宿行きのドアは閉められてしまった。うーん失敗。だが、この今乗っている電車の折り返しこそが準特急新宿行きだった。帰宅ラッシュに備えるために、留置線上にあった電車が使われ、その列車に乗ることができるとは。
 8000系の座席で快適に調布到着。だが、もう遅い時刻なので急いで乗り換えてランド駅まで戻る。時刻表が頭に叩き込まれている(京王のダイヤはパターンダイヤなので、非常に覚えやすい)のですぐに各駅がくるのは計算済みだ。
 ランド駅からは長い帰宅路を行く。この長さに関しては、お手上げである。
 帰宅後は夕食とパソコンで日記を書くだけで一日は終わっていく。
 私の人生はこんなのでいいのだろうか。いいような気がする(笑)。


2003年2月8日(土)
 起きたのは10時であった、というか起こされたのだが。いい夢を見ていたので、起きてからも夢心地。
 そして昼食を食べた後少しテスト勉強。しかし眠気が襲ってきてまたも寝。
 起こされる。温泉に行く必要があるのである。忘れ物を取りに。
 出発は5時だったのだが、非常にいやな予感がする。事故を起こしそうな予感だ。それも信じられないほど強く感じられる。嫌な空気が周りを回っているように考えられる。一瞬の気の緩みが命取りと感じられる。実際、駐車場から出た瞬間に横から自転車が迫っていたとか、見えないところから車がじゃんじゃん出てくるとか、いつも止める場所に大量に車が置かれていて、その周りを人がうろついていたりとか、黄色信号で前から右折車が突っ込んでくるとか、挙げ出したら切りがないほどに、非常に事故を起こしやすい条件が転がっている。それもそのような危険に遭う回数が半端じゃなく多いのだ。一瞬でも気を抜いたら、あっという間に事故を起こしそうなのである。やはり我が家の厄は去っていないのか・・・。
 とりあえず車の汚れがひどいので、洗車を昭和シェルでしてもらってから高速に乗ることにする。いつもは時間のかからない一般道を使うのだが、危険を回避したいという思いが強い。なるべく危険を避けられるような道を走るのが妥当という判断が働いていた。そういういやなオーラが感じられる以上、何が何でも危険な因子は潰す必要がある。
 危険なこともあったが、とりあえず高速の入口にいたる。高速に乗るのも問題なかったし、降りるまでも問題なし。混雑はゼロ。しかし、国道16号が待ち構えるのが横浜町田ICの最大の難関なのである。ただ、まっすぐ進むだけで良いし混雑しているということは、ある意味非常に運転技術を要しない。それこそが、今回選んだ理由。
 降りた瞬間から渋滞となった。以降、断続的な渋滞に見舞われる。途中、ブレーキとアクセルの場所がわからなくなり、非常にあせった。あと1秒ブレーキを踏むのが遅れていたらと思うとぞっとする。こんなこともあるんだ。普通そんなことありえないのに。やっぱり何か変だ。
 10kmの距離を1時間、つまり時速10kmで到着。夕食は温泉直属の食堂であったが、想像以上にまずく、以降使うことはないと思われる。
 そして風呂であるが、もう3回目ということもあり、いいかげん飽きた。せっかくいつもと違う雰囲気を楽しみに来ているというのに、同じ所に来ていては、飽きるのは当然。次からは、また新たな温泉を探す必要が出てきた。だが、姉のいる場合は制約条件が非常に多く、とてもその条件に耐えられる場所があるのかどうか。
 帰りは雨が降っていたが、高速を当然選ぶ。帰りは半分以下の時間で家に到着。全くもって、渋滞は非常に厄介だ。
 やはり節分の豆まき程度では不幸はなくならないのだろうか。鬼ぐらいならば家にいてもいいが、うちにいるのは本当の"不幸の神"ではないかという気すらしてくる。何か非常に厄介極まりない。
 そんなことまであったので、研究室の配属結果が非常に不安である。
 寝たのは2時20分。


2003年2月9日(日)
 10時に起こされたのだが、眠くて10時30分に起床。どうも非常に良くない。
 昼食を食べ、TSUTAYAに返却と借り直しを行う。少し勉強しようと思い、午後は勉学を少し。この程度ではダメではあるが、やらないよりははるかにましだし、やり始めると如何に勉強量が足りないかがどんどん分かってくるから、それだけの意義がある。それが分かっているんだったら、もうちょっと勉強しろっつーの。
 夕食は約2ヶ月ぶりの寿司であった。
 それにしても、日頃から調子が良くないことが分かっていたとしても、非常に無気力さが体全体を包み込んでいる。それは明日の研究室結果への恐れなのか、一種の諦めなのか、何なのかは分からない。だが、結果がどうであろうと、すでにかなり精神的なダメージを負っているようである。それは自分でも実感できる。そのダメージとは、自信、だ。どうせ自分は何をやってもダメだ、という非常に無気力な感情が自分を包み込んでいる。元々努力はしてこなかったといわれればそれまでだが、それなりのものはしていたことは事実で、実際今回の期末ではかなりの意気込みを持っていたにもかかわらず、大きく挫かれた。こうしてパソコンの前に向かっても、自分自身がひどく落ち込んでいるから、こんな文章しか書けやしない。ひどいものだ。
 だが、こんな時だからこそ試されるのではないかという風にも感じてはいる。ここで諦めてはいけないのだ。
 一体この落ち込んだ感情を吹き飛ばすにはどうしたら良いのかということを、今もまだ考え続けている。そんな私の前に、IMEは誤変換の連続。全く変わらぬ情けなき辞書ツール。少し心に余裕が出来た。MSも私を慰めるためにこんなことをやってくれるとは、なかなかしゃれているじゃないか。
 なんて、意外と簡単に治ったりするもんだね。


2003年2月10日(月)
 起床は8時40分。起きてから、レポートの作成にかかる。分量が分量で2つもあるので、約2時間30分かかった。原稿用紙約10枚分である。
 そんな貴重なレポートを印刷し終わったと同時に黒のインクが切れた。ラオックスに持っていかないとな。リサイクルリサイクル。
 ついに12時30分ちょっと前、意を決して出発。出発をすると非常に緊張してきた。やはりレポートを書いているときはそうでなくても、いざとなると緊張するものだ。
 かなり急いで20分ほどで京王の踏切を通過した。だが、不安の方が強く感じられ始め、ペースが一気に落ちる。自信がないのだ。
 25分と比較的早めの学校到着。掲示板を覗いた私。
 まず分かったことがあった。名前がないこと。つまり、研究室にはお呼びでないという事がわかったのだ。希望した研究室に合格者が出ていたが、それは私でも一緒に受けた人でもなかった。一緒に受けた人は、先生の雰囲気を察知して、他の研究室を志望したのだろう。他の研究室に受かっていた。
 ショックはあった。だが、こういったケースをそれなりに想像していたこともあり、すぐに頭の中でいろいろなことが渦巻き始めた。現在の状況を考えると、おそらく入れるのはあそことあそことあそこ・・・。そして自分を落ち着けようとする自分。そして今後の日程(落ちた人)を必死に書きとめる私がいた。
 とりあえず今朝出来上がったレポートを提出し、ラオックスにインクカートリッジを返却。そして再度学校へ向かった。もう一度研究室順位を決定するためだ。
 もはや何もする気も起きない。帰宅の途についた。帰宅ルートはいつもとは異なり、三鷹通りを南下して多摩川に至った。
 多摩川沿いに歩道を走っていると3年前の自分を思い出した。大学受験の気分転換のため、朝早めに起きて水道橋から川原橋まで行って一周して戻ってきた。地図も何もかもがない私にとって、それは冒険だった。今よりもはるかにゆっくりとしたスピードで走り、周りの景色を見ながらのサイクリング。思い出し、悲しかった。何で今まで、時間を無駄にしてきたのかと。
 あのころに戻りたいと思うことがある。だが、その願いが仮にかなうと仮定するならば、それははるか子供のころに叶えられてしまい、今は叶わない人生一度の願い、という気がしてならないのだ。
 あの頃と同じように、ゆっくりと走った。私はいったい何なのだろうか。なぜ、研究室から必要とされないのか。そんなに要らない人間なのか。結果を見たときはそれほどでもなかったが、その悔しさと悲しさは、時間が経つほどに増していった。
 多摩川の堤防の上のサイクリングロードに出ると、河川敷が工事されていることが分かる。なぜ護岸工事などをやるのかは理解しがたい。いいじゃないか。今の美しい自然豊かな多摩川で。
 公園の横を通った。ブランコに乗って少しは気を紛らわそうかなと考えてみた。だが、それはますますむなしさを増やすだけにすぎないのではないかという気がした。子供一人としていないとはいえ、それがさらなる悲しさを増幅していくような気がした。だからかは分からないが、見送ってしまった。おそらく、面倒だったのだろう。半分投げやりになりつつ、多摩川水道橋を渡った。まだ帰宅するには時間が早過ぎる。早すぎると、母が心配するというか、気にするだろう。本当のことは、さすがに言えない。自分が無能といっているようなものだから。
 図書館で時間を潰そうかと思ったのだが、それもあまり長くはいられそうもない。食欲などないが、モスにでも行こうかと思った。あそこならば長時間いても問題ないし、量が少ないから今の自分にはちょうどいい。
 チーズバーガーとポテトL。長時間いるにはちょうどいい。チーズバーガーは、単に食べやすいからで、ポテトLは長時間いるにはちょうどいいメニューというだけのこと。
 しばらくボーっとしてしまう自分がいた。ノートを開き、ノートの内容を理解しながらも、いまだにさっきのことを考えている。なぜなのか・・・。
 注文したメニューは届いた。こんな時だから、味なぞしないだろうと思った。だが、おいしい。なぜおいしいのだろうかと思った。おいしいからおいしいのだ、と自分を納得させた。おいしく感じられるのがありがたかった。ゆっくりと食べた。いつもは急いで食べていたことを思い出す。
 ノートを理解しながら、やはり悲しみがあた。だが、涙は出ない。涙。それは私が久しく流していないもの。私の涙腺はもはや消えてしまったのか、こんなことがあろうとも働くことはない。私の人生は涙を流すには、つらいことが多すぎて、とうの昔に枯れ果ててしまったのかもしれない。涙が少しでも流れれば、今のことを忘れて一気に走り出せることが出来るのに。涙には、流した代わりに勇気をくれる存在であることを、忘れたわけではないのだが。
 少し寝ていた。起きるとすっきりとしていたというわけではない。だが、少しは記憶が遠ざかったような気がする。
 帰宅は3時30分。モスで実に1時間30分以上もの時間を潰していたことになる。
 帰宅後、過去のテスト問題を探す。ちょっと苦労したが、確かに発見。だからといって、何がどうなるわけでもない。少しは感じをつかめるというのは事実だが。
 疲れたので寝ようかとも思ったが、眠れなかった。
 気になったので、なぜ落ちたのか先生にその理由を聞いてみることにする。メールを送った。返ってくるかは分からない。私の片思いは2人続いた。両思いなどということが、本当にあるものなのか。何より、研究室で取ってもらうことも出来ないような人間が、仮に就職をしようとして何とかなるものなのか。絶対無理という気がする。もう一度自分を磨くための時間が欲しい。
 悲しみはまたも私の心を支配した。試験期間中に、こんなものを背負い込まなければならないのだ。
 書くことこそが、私の唯一の救い。それは今も変わらない。だが、それでもまだ悲しみはとどまることはない。いや、行ってしまってはいけないような気がするのだ。このような感情に支配されるということは、それなりにエネルギーが残っている証拠でもあるのだから。なんて言ったら良いのだろうか、この感情を。
 まずは試験しか、私の進む道はない。今の私にはその程度の答えしか出すことが出来ない。
 あまりに落ち込んでいるため、まるで熱でもあるかのように体がだるい。病は気からというような言葉があったと思うのだが、正にそれ。以前のインフルエンザもそのような経緯でなったのだが、今回もまた同じ轍を踏もうとしている。だからといって、それを避けることはできそうもない。
 非常に悲しきことで心が沈むのならば、何か笑いを呼び込むことが必要だろうと思い、「がんばれ!! ゲイツ君」で知られるかの有名な外崎さんのサイトの中の一つの文章を朗読してみた。すると本当に面白く、心が救われるようです。顔からも笑みがこぼれてきます。やはり、彼は我々の救世主なのでしょう。そうに違いありません。いや、絶対間違いない!
 私もあの人の作るような文章で人を救いたいと思う。でも、それってとても難しいこと。そんなことを、このような私が出来るのであろうか。なーに、努力だ努力。
 たった一つの文章を朗読しただけで、救われるほど、あの人の文章が長けているというのならば、私の文章はいったい何なのか。気にしない気にしない。どうせ私は自分のために書いてんだからいいんだいいんだ(←さっきと言ってることが違う)。



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