2003年1月11日(土)
一日乗り放題で北海道に行き、青春18きっぷで乗り回す。そんな夢を見るとは・・・。
さて起きると10時40分。こんな時間になっているとは。
昼食を食べ、ゆったりと過ごす。
2時30分頃、生田緑地へ。地図の再確認などを進める。舗装してある部分が予想以上に多かったことが気にかかる。噴水広場から、上の道路へ上がる。その道は舗装路であった。そういえば、自転車で走った時も舗装だった。記憶力悪いぞ。
そのままつつじ山方面へ。ゴルフ場が横に姿を見せつける。つつじが一部咲いていた。もしかしたら違う花なのかもしれないが、この時期から花が咲いているとは。椿のような気もしたが、この分野の無知はひどい。
梅園へ。梅のつぼみは結構大きくなりつつある。一部の地図に表示されている道は、ゴルフ場内の道であった。
そして岡本太郎美術館へ。どうせ中には入れないのだが、周りを適当にうろつく。廃道と思われる場所は、ボーリング調査をしたあとが残っていた。元々ここはうっそうとした森林であったことが思い起こされる。
今日の生田緑地歩きは約1時間。行き帰りで20分。非常にお手軽だ。それにしても、森の中に分けいったとしても迷う気がしない程度のこの緑地は、稲城の南山に比べて、やはり魅力に欠ける。
帰ってきて現像し、17枚中8枚のみ残った。
夕食後、食事のマナーの問題を姉が提起し始め、色々話が続いていく。これに関する考え方は、家庭内の血液型にのっとり、価値観の違いが鮮明に映し出されていく。
明日も晴れだそうである。どこかに行ければいいのであるが。色々やることがあるだけに、私的にはそんな余裕を持てないのが悲しい。たいして勉強しているわけでもないというのに。
2003年1月12日(日)
今日もいい天気である。だんだん暖かくなってきた。気象庁の暖冬という予報が確実に当たりつつある。全体でみれば、平年並みに落ち着くと思えるが。それにしてもこう暑いと、姉の点けるストーブの温度の上がり方がしゃれにならない。暑くて暑くて、みんな居間から避難しなければならなくなってしまう。
今日、再び温泉に行こう、ということになっていたのだが、姉が暴飲暴食をした(理由がさっぱり分からない)ために、姉の腹痛のために(←理由同じじゃん)、計画はおじゃんとなった。
ビデオを一本見る。一本だと、その日のうちに見終わる事は結構容易だな。
今日もコラムをじゃんじゃん書く。単語集の製作はなかなか進まない。そろそろ真剣に考えたい。
2003年1月13日(月)
相当にひどい夢を見た。今まで見た夢の中でも、最悪と言い切れるほどの。恐怖で逃げ回るとか、そういうのならばまだいい。自分自身が家族に対し犯罪を犯してしまう夢である。それも、残った記憶があまりにも鮮明であった。自分の心の中に、そんな闇があるのかと思うと、本当にぞっとする。
そんな夢を見たものだから、朝から気分が悪いことこの上ない。まともに家族の顔を見れないのである。重症だ。あまりに精神的にやられたので、なんとなく風邪のような気もする。外に出て気分転換とするが、それでも完全には気が晴れない。昼食後、改めて自転車で付近を走ることにした。
登戸の町は、その古さをかなり残している、首都圏の中でもかなり特殊な地域である。非効率なほどに細い路地が大量に存在し、建っている住宅もかなりの年代物が目立つ。そして意外なところに農地が存在していたりする。私が想像する以上に、登戸という町は面白い。適当に走って多摩川に出るが、天気が悪いので、中野島方面へ。最近は、川崎側の方は水道橋より下流の方しか走っていないことを思い出す。昔は、こっちしか行かなかったのに。最終的にはジェーソンに抜ける道を通って多摩川を離脱。ジェーソンと古本屋での収穫はなし。帰り道はいつも知っている場所なので、全くつまらない。
そんな風に色々走ったので、少しすっきりした。悩めばいい。大学生なのだ。時間はたっぷりとある、と。
帰ってきてもまだ気分が悪いので、窓を開け放って空気の入れ替えをする。そうしてパソコンに向かっていたら、少し楽になった。逆に寒すぎて、体が冷えてきてしまう。コタツに入って体を暖めなおしながらアニメを見ていたら、かなり気分はよくなったものの、寒気がある。風邪か?
そして銭湯(温泉)へと出発。今回は古淵方面へ向かう。府中街道から鶴川街道へと走る。途中の山道には気を使う。それにしてもかなりの混雑である。
山道を抜けると、見慣れた鶴川の一帯となる。ここでナビが凄いことをやらかしてくれた。曲がる予定の交差点の先頭で待っているにも関わらず、「右折まで160m」。マジで、使えねー。後ろの車が右折を出していたので、私も出すことにしたわけであるが、その判断は間違ってないし。
走っている時に、姉に散々文句をいわれた。やれなんだかんだと。
しかしである。やはりあなたに注意されるのは納得いかないのである。平気で40km以上の超過をやらかしたりするのだ。そんな人に、『危ない』と言われては。加えて言ったことが変わってしまうのでは・・・。何にしても、運転のうまい人から文句を言われたならば納得するが、うまいと思えない人に文句を言われると、納得いかない。でも言うことを聞かないことに対し、家族から諭されるので、聞かざるをえない。まあ、しょうがないですね。安全と思える教えだけは、吸収させてもらいましょうか。悪いところだけは、吸収しないようにしないと。
言われた言葉の中に『うまくなったと思ってるでしょ』というのがあったが、私自身の感じるところでは、教習所の頃より下手になった、と思うこの頃である。ほんと、勝手に人の心を決めつけんじゃない、ってかんじ。理由は簡単で、下手の運転手を見て吸収してしまったから。本当に、気を付けなければならないことである。自我を強く持つことだ。あ、そうすると、色々文句言われるんだっけ(爆)。
さて、1時間以上掛けて問題の銭湯についたのはいいが、まずは食べねばなるまい。国道16号のあたりをうろうろして、Dennysに入ることを決定した。それにしてもであるが、国道16号は、込まない時間があるのかと思えるほどである。
あからさまに熱があることが、自分でもわかる。よって軽いサンドイッチに留めておく。昨日暴食をして太ってしまった姉は、食事を抜いていた。
何にしても、ゆっくりと食べる。食べる。食べても回復などしない。体調の悪さが逆にわかってきたため、風呂に入らないほうがいいかな、と悩むことになる。かといって、2時間も休んでいられるほど、暇に慣れた人間ではない。
食後、少し走って銭湯に到着。休憩所はかなり混雑しており、とてもゆっくりとできる雰囲気ではない。
2階の風呂に行ったのであるが、2階には休憩所がない。とりあえず入るしかあるまい。悪くなったらそれまでよ、と。
まずは体をほぐすため、ぬる湯。そして熱いのに入り、またぬるいのを。そして体を洗おうとしたのだが、シャンプーも石鹸もない。やられた・・・。ないところもあるもんだね。絶対あるものだと思ってた。
しょうがないので外の露天へ。ここで時間をひたすら潰した。早く出て行っては、体が冷えてしまう。のぼせないように出ては入りの繰り返しを続ける。
2時間近くたったので、出ることとする。今回は、頭がふらふらということはなかったものの、下に降りたら、あっという間に体が冷え始めた。4枚羽織って、合流を待つ。個人個人によって風呂の長さは違うとはいえ、結局20分してから姉がきた。約2時間10分入っていたことになる。
10時20分頃、出発。この時刻は厳しいが、帰りは東名までの混雑を回避できる可能性が高いと見てのことだ。この時間ならば、国道16号も、すんなりと流れてくれるに違いない。
思ったとおり、車の数こそかなり多いものの、制限速度のレベルで順調に流れ(おかげで爆走する姉の姿を見ずに済んだ)、10kmの道のりをあっさりと走って東名へ。途中でブレーキと車線変更を頻繁に行う車がいた。運転手はどんなやつだか。
帰宅時刻は11時5分。所要時間45分。行きの約半分であった。
今日も休みで、月曜日の授業の状況がひどいことになっている。代わりに、2回分代替の授業があるわけだが。それにしても、行く前に明日の支度をしておけばよかった。風邪で、動くのがつらい。
今日の日記を書いたのは、帰ってきてから少し経ってである。かなり書くのが早くなったと実感する次第である。
風邪は治らない。明日からが大変だ。
2003年1月14日(火)
朝の目覚めはそれほど眠くない。ただ、全身に痛みがあるため、起きるのが億劫だ。これぞ『インフルエンザ』の症状でなくてなんであろう。
朝起きて朝食であるが、口内炎が口のほとんどを占めるほどに勢力を伸ばし始めており、口を本来の半分もあけられないような状態で食べなくてはならない。当然、ゆっくりと食べざるを得ないわけであるが、何にしても、ここまでひどくなるとは。
インフルエンザとはいえ、昨日と違って精神は回復しており、気分的には今日のほうが断然マシだ。食中毒食らったときに比べてもまだマシ。そう考えると、インフルエンザなんてのは、それほど大変な病気ではないということだろうか。まあ、甘く見てはいけないだろうが。
とりあえず家を早めに出て一時限に臨む。授業の内容は、ますますわからなくなる一方である。
2時限目、久々の授業。こうしている間にも、金利や為替が随分変わったものである。授業を受けていない人には脈絡のない文章であるが、これはしっかりとつながりがあるのである。
おにぎりを食べ、いったん帰宅。帰宅前に、かんだティッシュを学校に捨て、インフルエンザの拡散要因を徹底的に排除する。帰宅時刻は1時15分頃。とりあえず、3時30分まで寝ることにする。途中までは眠れなかったが、2時をすぎるとさすがに眠れた。3時30分に起きると、目覚ましがてら出発の準備。かんだティッシュは学校に持っていく。4時台のダイヤは変則なので、3分の電車の乗り遅れないように注意。少し走らされてしまったが、何とか間に合った。走れるということを考えると、随分と回復したらしい。
5時限は、こんな体調の悪い日に限って当てられる。この先生、私を毛嫌いしているのか?それにしても、結構回復基調にあり、心強い。
しかし帰ると、ぶり返してきた。食事はいつもよりも多めに食べ(この時点で、もう大丈夫にも見えるが)、パソコンはやめてアニメ(録画)を見る。
明日のレポート課題を10時30分から始め、0時30分までかけて書く。いつもより気合入れすぎ。こんな時に何やってんだか。ところで、最近プリンタへの接続がよくない。USBドライバを読み取らなくなるというケースだけで、このような問題があるとは考えにくい。差し込んでいるのに「使用中」とか言ってくることもある(電源は入っている、念のため)。何にしても、3回目のプリンタドライバのインストールを行うが、ついにUSBではうまくいかなくなってしまった。抜き差しが通用しなくなったということである。仕方ない。ごついプリンタ用のをつなげ、ようやく印刷にこぎつけた。
こうしている間にも、確実にインフルエンザが悪くなっているような気がするのは私だけだろうか(←お前以外に誰がわかる)。
ちなみに痛みがひどい場所は「頭」「目」「胸」である。できれば、目が痛いのは勘弁して欲しい。あと、頭が痛いというのは、脳みそが破壊されているということになり、あまりいい気分ではない。何にしてもさっさと治さねば。
結局レポートに時間を食ったせいで、2時をすぎてからの就寝。なかなか寝付けなかった。明日もまた、帰って昼寝をして、という展開になるのだろう。非効率な限りだ。
2003年1月15日(水)
猛烈な風で、全力で走っても18分も稲田堤までかかった。おまけに、猛烈な寒さが襲ってくる。
一時限には40分の遅れで参加。2時限はサボり、五時限の授業に備えるべくいったん帰宅。駅へは南を向くので、日差しが眩しい。しょうがないか。シュークリームを2つ買ってから帰宅。食欲だけはちゃんとあるのであった。口内炎があると、普通は食欲が減退する。無論、インフルエンザもだろうが。
稲田堤の駐輪場に戻ると、勝手に自転車の場所が移動されており、非常に取りづらくなっていた。マジでむかつく、ここのオヤジ。
1時過ぎから、昼寝。やはりインフルエンザの調子はよくなりつつあるが、さすがにしぶとい。熱などはあまりないが、頭と目は変わらず痛い。
3時30分におこされ、55分に出発。風邪は全く衰えておらず、時間にひやひやしながらも15分の上りに間に合った。わずか1時間30分の授業のためにわざわざこんなことをしなければならないとは・・・。おまけに、今日の授業はひどいものであった。
外に出ると、猛烈な寒さが襲ってきた。しばらく外を歩いていたら、歯がガクガク言い出した。何年振りであろうか。
そして自転車のライトが付かなくなっていることが分かる。なぜ壊れたかは釈然としない(昨日まで使えた)が、駐輪場のオヤジにぶっ壊された可能性が極めて高い。今日はなぜか場所を勝手に移動していたし、何かと私に対しては嫌がらせをするから、自転車を蹴飛ばした可能性も十分にある。めちゃくちゃ性格悪。本当に許しがたい。
証拠はない。だが、今まで何の問題もなく点けることのできたライトのスイッチが今日突然入らなくなってしまったのである。これが、駐輪場のオヤジのせいでなくて、一体何のせいだというのか。ちなみに言っておくが、電球が焼ききれたのではない。そんなやわな自転車を買ってはいないのである。
帰宅までの長い距離の間、そうした理由で無灯火運転を強いられた私の苦悩を知れ、駐輪場のオヤジ。そして、お前みたいな奴は死んで結構。人類のガンだ。
夕食はたっぷりと食べたが、インフルエンザの影響は大きく、物事をやる気力がわいてこない。今日のアニメを見て、その録画を再度楽しむぐらい。パソコンに向かったのは、12時30分をすぎてから。
久々に体の垢も落とし、寝たのは2時30分。
2003年1月16日(木)
熱はひいたようにも感じられるが、頭と目が痛いのは相変わらずだし、くしゃみと鼻水(間違っても、鼻汁、ではない)は止まらない。完治にはまだまだ遠いか。
出かけるのが億劫になるものの、一応2時限に間に合うよう出発。黒板やノートに集中するには目が痛くて、すぐに眠くなる。疲労もかなりあるし。
3時限目の途中、恐ろしいことを思い出してしまった。
なんと、今まで研究室の紹介に行っていなかったことである。ここのところのごたごたですっかり忘れていた。それだけではないだろうが。
それにしても、これはあまりに恐ろしい。人生を決めようかというような(就職などにも響く)事柄をこうもあっさりと忘れていたなんて。授業中にこれを思い出したとき、震えが止まらなかった。『私はなんて愚かなのだろう』と。自分を心底のろった。こんな重要なことを・・・。
だが幸いにも、明日までまだ期限がある。事務室に行って今日と明日やっているのをリストアップすれば、まだ間に合うはず。確か、第一希望の教授の説明会は今日あった・・・はず。それを信じ、授業が終わるのをひたすら待ち続けた。そうだ。迷っていたのを絞れたのだから、いいじゃないか。入るのが難しくとも、全力であたって砕ければいい。
授業終了後、事務室に向かい、今日行われる説明の日程を見る。確かに今日の17時からある。少しほっとしたと同時に、あと2時間30分時間を潰すことになった。ちょうどいいので、ある科目の勉強をする。再履科目、本当に多いな。
少し早めに教授の部屋へ。昨日に多くの人が集まったらしく、今日はほとんど人がいなかった。というか、私しか来なかった。申し訳ない限りです、教授。
というわけで、わずか2人きりでの研究室紹介が始まった。元々私は話すのが得意ではないし、質問するようなところもほとんどなかったため、教授の静かな声がただ続いていた。なんとも気まずい雰囲気である。この人はいつも忙しいというのに。
だが、吹っ切れた。ここを第一志望の研究室として、正式に(自分の中だけど)決定。あとは、入れるかどうか、だな(笑)。まあ、自分なりに全力は尽くそうと思う。
帰宅時間は、随分と遅くなった。帰りに古本屋に寄ったものだから、その傾向がさらに強くなる。しかし、所望の4冊を手に入れた。これでしばらく、古本屋に行かなくなりそうな予感。足掛けというには短いだろうが、3ヶ月か。9冊を探すのにこれぐらいで済むのならば、それはそれで成功とみなせる。それにしても、寒い。そして、ライトをぶっ壊した駐輪上の糞野郎は許せん。マジで、対抗措置を考えないと。迂闊に金払って停めようとして、壊されるのではたまらない。
結局漫画のとりことなり、実験レポートはかなりおろそかに。
ちなみに、現在の口内炎がどれほどひどい状態にあるか、を今後の記録として残しておくのにはちょうどいいと思う。今回のは今まででも最悪のレベルに入る。TOP5入りは堅い。大学入学以降では初めてだろう。
歯ブラシ。これをしないと、汚れを好む口内炎の思う壺であるから、どうしてもしなくてはならない。しかし、これは激痛である。口内炎に絶対接触しないで磨く事は、口全体に転移した状態では事実上不可能だ。歯ブラシのブラシ1本が接触した瞬間、激痛と共に唾液が滝のように流れ始める。さらに接触量が増えると、舌(舌を磨いているわけではない)から、何か悪いものでもつまっていたかのように、大量の血が流れ始めるのだ。悪い物が詰まっている、という言葉の通り、いったん出てしまうと、出血は止まる。
何にせよ、歯ブラシがあたるだけで、唾液がとめどなく流れるということが、如何に口内が過敏な状態になっているかがお分かりいただけると思う。なんと恐ろしいことか。
レポートは6割方書き終えた。明日中には完成させておきたい。
2003年1月17日(金)
起きたはいいものの、口内炎の更なる悪化に伴い、食事が進まない。これによって、出発予定時間を25分近くすぎて出発。体力も回復気味なので、調布まで自転車で行くことにした。風もかなり弱いが、日差しは強烈で、気をつけないと目をやられる。
20分遅れで授業に臨む。今日は盤書の量が多く、聞き逃した場所が気になる。今週で授業は終了だそうで、再来週にテストだそうだ。
染地図書館に寄ってから帰宅。帰宅後、コラムを作成しつつ食事をとる。食後は自転車を持っていく予定だったのだが、眠い方が先に立ち、3時前にはソファーで寝た。起きたのは夕食の時間で、正味4時間寝たことになる。おかげで、かなり体の調子がよくなった。ようやくインフルエンザとおさらばする日が近づいている。
研究所調査の件もあったのだが、いちいち聞くのが極めて面倒(パスワードをメールで問い合わせてからメールの到着を待ち、長いホームページアドレスを入力しろとなれば、そりゃ嫌にもなる)。気付いたら時間をすぎていたので、まあいい、ということにしてひとまず解散(←何を解散するんだ)。
明日からは来週の一種間に備えて、引き締めて臨みたいところ。
2003年1月18日(土)
引き締まらなかった・・・(死)。
起床は10時の上、その後も惰性で時間を使っていく。パソコンのチューンアップぐらいが成果で、ネットの巡回というもっともやってはいけないことを・・・。やる事は山のようにあるというのに。例えば、試験勉強とか。危機感が足りない、といわれても否定することばが浮かばない。
こうした自身に対する甘さが強すぎるのである。我ながら、なんと悲しいサガ、などと言っているうちは、一生直りはしないだろう。全て、自分で決めることだ。だらだらと過ごしたこともまた、自分が決めたことなのだ。性格などのせいにしていい問題ではない。考えていなかったとは言わせない。
インフルエンザだけは回復基調になり、くしゃみと鼻水、頭痛がなくなった。ほとんど完治ではあるが、最後の詰めを誤ると大変なことになるので、派手な動きを抑えることができたという面では良かったのかもしれない。
精神的なダメージからきたインフルエンザ。心の状態が体に与える影響をこれほどまでに実感した病気は今回が初めてだった。健康の秘訣とは、ストレスなく生きることに尽きるのかもしれない。そうすれば、多少の不健康の吹き飛ばせる。そういう気がした。
チューンアップの効果は大きく、最悪60%程度だったシステムリソースはここ数日で77%まで上昇。ウィルスソフトを常駐させても、ここまで上げることができるとは・・・。如何に、余計なプログラムが動いているか、ということである。この問題は相当に奥が深いが、何せ間違えたら一気になだれを打ったように状況が悪化することも考えられる。さらに奥の方に手を入れるには、慎重に行く必要があると思われる。
2003年1月19日(日)
この日も、結構だらだらと過ごしたが、単語集が完成した。試験は火曜日に控えているが。
ビデオの音をBGMとして聞きながら、少し勉強。
そして夜の時間になった。明日のレポートと研究室への所属申込書を書いた。12時30分から書き始め、1時15分に全て終了。思ったより早く終わった。
2003年1月20日(月)
なんと一ヶ月ぶりの月曜の授業。しかし、午後からであるので、比較的ゆっくりと。それにしても猛烈に眠く、ソファーで11時まで寝ても眠い。
朝早い時間では、まだ引退発表こそなかったが、10時ごろかで貴乃花の引退が正式に決まったらしい。ニュースが流れてきた。あからさまにやめるという意図が見られた再出場であったので、仕方がないだろう。辞め時を探していたという気がしてならない。
さて、学校に行ってからおにぎりを食べ、次の授業の復習をやっていると、やはり眠い。今日はなぜか、猛烈に眠い。
そして次の授業も、途中で耐えられなくなって寝てしまった。そして次の授業もまた然り。インフルエンザの完治で、体が休みたがっているのだろうか。インフルエンザの時は、あまり眠れていなかった気がするからな。菌と戦ってきた疲れが今になって出てきたのかも。体がようやく休めるとばかり、眠りたがっているというのは結構ありえる。
所属申込書を出してから帰る。帰りに『みやこ焼き(大判焼き)』を買う。それにしても、眠いな。次の日のテスト勉強に励み、この日は終わった。