郵貯日記(2003.1前期)


2003年1月1日(水)
 ゆく年くる年は東大寺で0時を迎えた。朝の新聞で見ると、何と東大寺の貴重な針に釘を打ち込むという常識も何もない人間がいたとのこと。それがNHKというのだから、話になっていない。この国も企業の病的なまでの実益主義と関係があるのか、教育が全くなっていないのか、それは判らないが、ひどいニュースで始まったものである。
 突然話題は変わって、我が家の居間に戻ってくる。
 『あけましておめでとうございます』
 両親が頭を仰々しく、わざとらしく、頭を下げて言う。そして、
 『今年もよろしくお願いします』
 とさっきと同じ動作でやるわけである。いつもと全く同じだ。
 すると姉はもう眠りにつく。数分後、父と母も間もなく寝て、私が一人部屋に残された。そして私といえば、クリスマスの記録を黙々とパソコンに打ち込んでいる。私はなぜかお正月になっていない・・・。
 それでも2時前に就寝。

 そして9時過ぎに起床。そうなると明治神宮に出かける時間はおのずとほぼ確定する。それにしても、ついに雪は降らなかったな。意地出した分、気象庁恥ずかしー。
 でも10時のニュースで、一応降ったと言っていた。あっそっ。
 朝食は一応、御雑煮。間違えて、パンをオーブンに入れそうになった。情けない。もっとも、姉は食べないようである。昨日もそばを食べていなかったが・・・。
 朝食後、しばらくは出かけないでのんびりとなったため、11時を過ぎてようやく出発。途中で雪が降ってきて、ちょっとびっくり。
 パスネットを買おうとしたら、前の人が随分ともめもめ状態で、時間を随分と浪費した。その間に急行が一本出て行ったが、姉がまだ到着していないのであまり関係ない。3枚9000円分、新しいパスネットを購入。抽選で当たるアンケート用紙を渡されたので、急行が来るまでの間に書いて駅員に渡した。が、父は自分の住所と名前を書いていなかったとのこと。どこ見てるのであろうか。ところでカメラを忘れたのだが、もう遅い、というか戻るのは面倒。
 遊園で特急の待避をする急行に乗る。現在は遊園より先から新宿までは特急の待避が出来ない状況にあるため、特急のスピードに影響のありそうな状況だ。
 参宮橋駅から歩いて明治神宮へ。途中少し雪がちらついた。信号は今日は動作させておらず、警察の誘導で捌かれていた。去年は信号だったような気もする・・・が分からない。
 守護矢を3本か4本戻す。久々に返したという感じであるが、父が誤ってお守りの方に返したようである。なんともいいかげんな。
 かなり人が少ないことを感じつつ、あっさりと西門に至る。何と、他の門との垣根が取り外されていた。いつもより人が少ないことも影響しているのかもしれないが、これは今まで見た中で初めてである。ということもあり、東や南の方から人がどんどん来る、ということがない。本当に人が少ないのだ。
 とりあえず前に行ってお金を入れるわけであるが、戻ろうとする人達が横に横切って出て行こうとするから、非常に邪魔である。お金を入れてさっと後ろに下がる。そう、後ろにすっと下がれば簡単に抜けられるのであるが、彼らは頭悪いんだろうな、と母と話していたら、そうしている姉が遅ればせながら人の山から抜けてきた。横に抜けた模様。彼女もお仲○・・・・・・。
 そして帰りに守護矢を買い、酒饅頭を食べる。まあ、これはいわゆる行事みたいなもの。それにしても、今日は随分と冷えている。確かに雪が降っていただけのことはある。それにしても今日は随分と人が少なかったと思う。雪と聞いて出かける気が失せたというのは十分に考えられることだな。
 帰りはすぐに各駅をとらえたので、結構早く帰れるかと思ったのだが、特急の後の急行は前の電車にずっとつっかえていて、超がつくほどののろのろ運転を狛江まで続けた。問題は、特急の回送である。いわゆる喜多見車両基地への回送で、混雑が発生するという、小田急のもっとも非難の受けるやり方の一つだ。回送するならただで乗せろ、というのは一致するみんなの考えである。
 1時を過ぎて駅についたが、これはかなり良い方だ。明治神宮内で歩みがかなり速かったことが影響したと思われる。それにしても体の芯まで冷えてしまった。3枚はさすがに厳しかったか。他の人は4枚着ていたが、それでもかなり冷えたようである。
 帰ってからはもちで昼食。
 そして食後は花札をやった。どうもマンネリ化しているな、このルールは。他のルールをやろうとしても、みんな覚えるのを面倒臭がるし。
 夕食までの時間の間にANAの1日乗り放題の件を思い出して、急いで覗いてみるが、主だったところはすべて全滅。くっそー、だめかよ。1月1日はみんな家に居そうだもんな。
 そして夕食はいつも通りとなる。昔は正月三箇日ずっと御雑煮という死ぬ様なメニューだったのだが。これは元々は父の発案だったらしい。はぁ。
 そして夕食後、姉(新年会)がいないので、3人マージャン。最初は私が先行し親で3連続で上がる。その後も優位に進めたのだが、父が本気を出して上がり始め、リーチ負けを4回ぐらい食らって最後に逆転されて一回戦終了。二回戦になると、一回戦でリーチ負けを食らい続けたのが影響してツキがこなくなり、しばらく降り続けて機会を待つ。あまりにもツキに見放されていたのだが、それが逆に極限の方に行ったようで、国士無双テンパイ。結局このまま最後の方まで行き、テンパイのためのポンを下家がして私にハイテイ牌が廻ってきたところで、最後の一枚の"白"を見事にツモ上がり。親の国士である。この展開って、ほとんど漫画の世界である。というか、どこぞの漫画でそういう場面があった(笑)。それにしても3人とはいえ、これは凄すぎる。
 2回戦は時間切れで終了となったが、国士が効いて私の勝ちとなった。もう11時13分である。
 その後は各自思い思いに時間を過ごす。

 最近、IMEの調子があまりよくない。変換候補がどうも変な方向に行きつつある。問題は、私の文字の誤入力の連発にある。どうも左手と右手の順番を逆にしてしまうことが多いのだ。あと、一文字抜いてしまうとか。こういうことをやると、どんどん辞書が変になっていき、次第に変な候補を連発してしまうようになる、というわけだ。この問題を解決するには、丁寧にキーボードをたたくしかないのだろう。全く、最近は速く打とうとしすぎるというか、適当に打っているというか、そういう傾向が強すぎるのかもしれない。キーボードを打つときに集中していない証拠だろう。まあ、ある意味その分ストレスがたまらないだろうが。代わりに後の校正が面倒である。


2002年1月2日(木)
 朝起きると9時過ぎ。
 11時30分、姉も母も出かけたので、私と父で調布パルコに車で行く。ガソリンスタンドがやっていないので、ガソリンの量が気にかかる。
 水道橋を渡ってすぐに裏道(でも幹線道路)に入って一部であるが多摩川沿いを走る道路に出る。品川通りは混雑していなかったし、京王線の踏み切りを一発で渡れるなど調子よく到着。駐車場も開いていた。
 地下一階から順に見て廻るが、福袋置いてない。そして7階に上がるが、ここで1日からやっていたことがわかった。道理で福袋がどこにもないわけである。
 そのまま、一階ずつ降りていくものの、買うものがない。このままでは来た意味がないと、いろいろ買えそうなものを探すが・・・ない。次第に買わなければっっっ、という強迫観念に取り付かれたかのようになり、4階で半分強引に福袋を買ってしまった。それでも買う時に、自分の財産の〇〇分の1がなくなるんだよなぁぁ、なんて考えるのは私らしい。
 買って駐車券を手に入れたので、車の場所に戻る。もう1時である。調布駅前の人の出はそれほどではないが、いつものようにロータリーに出る場所で苦労する。
 旧甲州街道を行き、鶴川街道に入る。京王線を渡って品川通り手前で離脱するのが玄人の技だ。ここから旧鶴川街道のような道をただ行くと、混雑を完全に回避して多摩川まで至る。途中で変な車がいてちょっとびびった。バックしようとしたり、ウィンカー出したと思ったらやめて直進したり、変なところで停まろうとしたり、と完全に迷ったとしか思えない意味不明の行動を繰り返していた。ところで、鶴川街道(IMEより新提案『鶴か若い道』)の混雑はいつも以上に凄かったようである。多摩川原橋の交差点は一発で曲がりきり、矢野口踏切を回避するため多摩川沿線道路に入る。この沿線道路も逆側は驚異的な混雑になっていて、2kmに渡って渋滞。ナビにも混雑の情報が出ていないというのがミソで、おそらくこれが渋滞の原因だろうが、この道は元々混雑する府中街道のバイパスとして利用されることが多い。そのため、今日混雑する府中街道を避けようとしてこちらに流れ、そしてはまったということだろう。ちゃんと渋滞情報を出して欲しいものだ。
 だが、逆側は簡単に走っていける。このまま中野島駅入口の交差点まで圧倒的なスピードで疾走。それ以降の生活道路は混むわけもなく、わずか20分かそれぐらいで到着。今日の道路の異常な混雑を考えると、驚異的と言ってよい。これこそ、道路に詳しいものの特権、というやつである。もっとも、逆に作用することもあるのだが(汗)。特に道路の入り組んでいる多摩丘陵地帯は厳しい。幹線道路はいつも込んでいて、話になっていないし。でもよく考えると、自転車で本気を出すとこのタイムを出せてしまうのであるが(爆)。
 母も今日の世田谷通りの混雑にはかなり驚いたようで、よくそんなに早く帰ってこれたね、と感心していた。
 袋を開け、あまりのひどさに絶望した私はふて寝。
 再び起きた後、古着屋をネットで検索。しばらくして良さげなところを見つけたので、そこに持っていくことに決めた。下北沢にある店であるが、2000円(定価40000円)ぐらいで買い取ってくれたら嬉しいな(笑)。しばらくして夕食。
 その後、夫婦喧嘩勃発。しばらくは、さわらぬ神にたたりなし(←両親は神様です)。その時間のうちに23日の記録を書き上げていく。
 そしてとりあえず元に戻ってマージャンの時間である。今日も姉がいないので、3人マージャンだ。やはり今日も私が先行して親の3倍満をツモ上がり、その後親を維持したまま一回戦に勝利。二回戦は早々に父が四喜和でツモ上がり、そのリードを維持して父の勝利。やっている最中、父とは母は『風と共に去りぬ』の映画に目が行っていて、途中で父がノーテンリーチをやるなど、かなりいいかげんな状況になっていた。私は・・・というと、テレビの逆を向いているので全く見えませんでした、はい(笑)。
 11時48分に終了したのだが、その後今日も記録をただ書き上げていく。結局寝たのは2時過ぎ。


2003年1月3日(金)
 朝起きたら雪が降っていた。おまけにとても寒い。雪は結局昼過ぎまで降り続き、夜になると冷たい雨に変わった。これによって、JRが止まる被害が出たそうである。あいかわらずJRの危機管理には問題があるようだ。211系のロングシートで夜を明かした人はかわいそうだ。
 この日はどこにも出かけず、ひたすら文章を作成し、北海道の記録を書き終えた。後は写真だが、これはこれで結構時間がかかるため、公開は明日になるだろう。
 そして今日もマージャンであるが、ようやく4人そろった。今回は母が親の倍満で姉から上がり、最終的に子供の倍満ツモ上がりで一回戦勝利。二回戦は時間切れで早々に終わったが、やはり母の勝利で今日は終了。
 この日寝たのは2時30分頃。


2003年1月4日(土)
 11時に起床。どっかでは目が覚めているが、起きる気力が沸いてこないというか、なんかイベントがないとダメだな、という感じである。
 写真をHTMLに貼り付けて、ようやく今回の記録を終えた。だが、九州と北東北はまだまだ。
 4時をすぎてから南橋本にある温泉へ向かうことに。高速を使った方が速いと言い張る意見が強いので、中央高速を使うことにする。しかし調布ICに行くまでにガソリンスタンドに寄らなければならないなどの条件もあり、これがかなり大問題であった。結局鶴川街道沿いの出光がやっていたので、空気圧の調整を含めてやってもらう。
 中央高速に乗ってしまえば、八王子ICまでは速い。高速の上からは、夕焼けに照らし出された富士山がくっきりと浮かび上がっていた。上りの混雑はなぜかない。
 しかし、国道16号に出てしまうと、この混雑はどうしても避けられない。すべての場所で慢性的な渋滞が続く国道16号は圏央道の建設が急がれるが、反対運動が激しく、なかなか着工に至らないようだ。
 結局、八王子バイパス有料部分まで渋滞は継続し、かなり大変な展開となったのであった。有料部に入ると一気に混雑は解消するが、この道は夜に入るとかなり暗い。街頭もつけないとは、かなりいいかげんな有料道路である。まあ、その分温暖化が進まないのだから、いいってことか。
 有料部出口寸前から、またも大渋滞となった。結局国道16号は混雑を解消することなく、国道129号へわたる。ここからは色々あってかなりぐるぐる回った。時間はもう夕食なので、近くのサイゼリアに入った。食事を終え、ようやく問題の温泉に入る。
 しかし、駐車場は満車、と出ていた。でも中に入れた。結局屋上までいったら、結構空きがあったのであるが、結構な入りである。
 銭湯には2時間入ると姉が宣言していたため、みんな長く風呂につかる。まあ、温泉はなかなか。これは650円だから、十分だろう。しかし、入っている間に何度ものぼせかけてふらふらした。更衣室に入ったら、頭がぐらぐらして、しばらく椅子に座り込んでいた。体が冷えないように、とばっかり思っていたからなぁ。しばらくしても、まだ頭が痛い。
 帰りは私の趣味で、尾根幹線道路を使う。そこまでに行く道のりはそれなりに厄介であるが、頭に叩き込んでおいたので、それほど問題なく推移する。現在位置確認はナビを見ながらの運転で、そういうのは結構危ないかもしれないが。
 尾根幹線道路に入ったところで、眼鏡を取り替えるのを忘れていたため、付け直す。これは結構危ないが、風呂に入っていると気に結構綺麗になったのであろうか。あまり気にならなかった。目の前にベンツがきたら『車間距離を開けるように』と姉。外車じゃなかったら、車間距離を開けなくてもいいのか?というか、この距離はさして問題ないような気がするが。これはいつもの口癖である。人によって露骨に態度の変わる、姉らしい一言だ。
 以降の道は常に空いた状態が続き、あっさりと鶴川街道に合流する。後はそのまま走って帰宅。府中街道も珍しく混雑はなかった。
 で、姉に運転が危ないと言われる。『左によりすぎ』と『カーブ・右左折時にふらつく』『ブレーキの利かせ方が遅い』だそうである。・・・そうなのか。加えて『危なくて助手席に乗れない』だそうである。・・・そうですか。
 だが、速度制限をやぶって運転しろとか、カーブを高速で曲がるとか、そういう悪いところを吸い取ってしまったのは、間違いなくあなたの助言のおかげです。仮に速度超過しろ、といわれなければ、運転場の頃の様な丁寧な運転を続けていたことでしょう。それを今になって、危ない、とかいうのはひどいんじゃありませんか。わざわざ速度超過することを『やんなきゃダメ』とまで言い張ったのはあなたです。そして制限を破らないように教わったことに対して『はぁ?何言ってんの?』とまで言ったのもあなたです。後ろから車がきて『鳴らされちゃうよ』『やばいよやばいよ』『スピード出す訓練』。全部あなたの言葉です。助手席に座るのは教官、運転席に座るのは生徒です。ここまでいわれて、運転方法が変わらずにいられるでしょうか。免許を取って2度目の運転だったのに。
 あなたの教えでそうなったことを、あなたはちゃんと自覚するべきではないでしょうか。どうせ、あなたはそう言ったことを何も覚えてはいないでしょうが。
 なお、左側によりすぎる、とのことであるが、個人的には問題ないと思っている。無論、この距離では結構危ないかもしれないが、その場合は速度を落として真ん中に寄るということは可能になる。細い道を走れない姉にそういうことを言われるのはある意味でむっと来るのであるが。ブレーキの利かせ方は、教えられた環境が違うんからじゃないの。一気に加速して、一気に落とす。これが私の教わった運転方法だが。
 カーブ時にふらつく。これは確実に改善が必要だろう。カーブを曲がる時は多少のずれを気にしていないから、ハンドル操作が雑になっている。これは確かに改善する必要があるな。これに加えてカーブ時に減速するとガソリンが無駄になる、という超がつく貧乏性からスピードをなるべく落とさないで走るため、カーブ時にかなりいいかげんな運転になるのである。こういうのに対して気楽にいければいいのであるが。どうしてもエンジンの回転数と速度計をほとんど常に見ながら運転してしまうのである。ある意味致命的な性格らしい。
 これに加え、常に走る道路のことを考えているから、集中、というのからはほど遠い。地図のことを考えないでいい姉とは、条件が異なってくる。
 無論、それらを除いても下手な面は確実にあるだろうが、何にしても、速度超過をしろと言われたがために仮免時より運転が荒くなったことの責任はあなたにある(←かなり恨みつのっている)。最初かなり抵抗したものの、何度も何度も言われて、結局従ったのである。覚えてないだろ、どうせ。
 さて、帰ってきたのは10時50分と、大体1時間ちょっと。それでも、帰ってからマージャンをやろうと言う人はおらず。明日するとは少々考えにくい。片付けてしまおうか。
 そろそろ、冬休みの課題を始めたところ。いいかげんいらない服を売って、新学期にすっきりとした気分で望みたいものだ。
 しかし、帰ってからもかなり頭が痛い。これは完全に湯当たり・・・だな。しゃれになってねーぞ、おい。おまけに、帰ったら体は十分に冷え切ってしまったし。
 それにしても、今まで誰も私のサイトを訪れていない(少なくともTOPページはそう)というのは、ある意味それだけ、インターネット上は情報の宝庫ということだろう。知られていないサイトは数知れず。そういう中、ただただ更新を続ける人達が、全国に何万人といるに違いない。その中にはどれだけ面白くても日を見ないでいるサイトもあるだろう。
 一方、私は誰もこないならば、それはそれでいいような気がしてきた。最初は、人様に見せるのに恥ずかしくないものを、と思って一年以上かけて素材を用意し、十分にたまったところで二ヶ月前ぐらいから改良を重ね、ようやく12月17日に公開した、という経緯がある。
 最初の頃はどきどきだったものの、誰もこないのである。Googleで『iktryc』と入力しても、いまだに『キーワードが見つからない』と返されるだけ。
 まだ公開して半年しか経っていないものの、このような隠しページ的な存在ならば、それはそれで大歓迎である。これからどうこのページが変わっていくのかは、それこそ『神のみぞ知る』。


2002年1月5日(日)
 休みもいよいよ終わりに近づいた。
 姉と母は食事に出かけ、父と二人、うどんを食す昼食である。
 古本屋に行くと、本の量が確実に増えたようである。これに加え、人もかなり多かった。年末に売られた本が多く出回り、それを目当てに人が集まる、といった構造か。
 やはりスキャンディスクが壊れたのか、いつまで経っても終われないという状況が続いた。3時間続けてもダメだったので、父に『それ以上やるとディスクを痛めるよ』と言われ、ストップさせた。そういえば、デフラグにも同じような問題があったっけ。もう忘れるとは。
 鉄道関連の掲示板を読んで時間を過ごしていると、もう遅くなった。今日はもうお開きとしよう。
 スキャンディスクの問題はその後さらに深刻化。異常終了が連続するようになり、このままでは再インストールに持ち込まれかねない。これはまずいと思い始めたのである。
 このため、スキャンディスクの修復を調べようと、Googleに『スキャンディスク 修復』とやって検索をしてみたが、どれもスキャンディスクを修復する方法を書いてある場所などない。
 色々考えた末、システムの復元を使うことで問題の解決を図ろうとする。しかし、やはりダメであった。
 さらに検索を続けることにする。こうなったらもうムキである。
 すると、起動時のスキャンディスクを無効にする、というのが載っているサイトがあり、それでいいオプションがないだろうか、と『msconfig』を【ファイル名を指定して実行】から立ち上げる。問題の場所に期待したのはなかったが、スタートメニューの中にアンチウィルスソフトのスタートメニューをはずす項目を発見した。これで少しは何とかなるだろうか。なにせ、Cooperate Editionでは常駐をはずすことが出来ないのである。
 すぐさま再起動となったが、変なメッセージが表示される。このままだと壊れたも同然の状態だから、このさい些細なことは気にしない気にしない。すぐさまスキャンディスクをかける。願いをこめて・・・。すると願いはかなった。あっけなくスキャンディスクは終了へ向かったのである。今までの苦労はいったい。スキャンディスクが壊れたわけでもなかったらしい。ウィルスソフトが壊れたのか?
 それにしても、苦労した甲斐があった。これでまた、ちゃんとパソコンを安心して使えるというものだ。
 ちゃんと常駐は戻しておき、再起動。さすがに胸のつかえが降りた。


2003年1月6日(月)
 朝8時に起こしてもらった。明日から学校が始まるにあたり、古着を売って、スキッとした気持で迎えたい。
 というわけで、8時50分頃、下北沢へ向けて出発。完全な晴天で、かなり眩しい。やはり小田急沿いに成城学園まで行く。坂の近くに結構風流な場所があるので、カメラを次は持っていきたい。環八までもやはり小田急沿いに行く。環八を渡って少し横に入ると、桜丘五郵便局。これによって25000分の1の地図【溝口】内の郵便局をすべて完貯したことになる。3ヶ月以上ものびのびになっていたのである。なかなかこういう残り物を済ませるのは難しい。
 適当に住宅街を走っていると、馬事公苑方面に抜ける比較的太めの道路の横に出た。このまま連れて行かれてはいけないので、経堂の方へ抜けることを画策する。結局宮の坂駅へ抜けた。そのまま世田谷線にそって豪徳寺駅へ。ここあたりは結構商店街が発達している。世田谷区の小田急沿線はこういうのが充実しているのだ。ちょうど小田急の路盤が近づいたところで、371系が新宿方面へゆっくりと走っていった。久々に見たなぁ。
 豪徳寺駅前郵便局は放っておいて梅ヶ丘駅へそのまま向かう。梅ヶ丘駅前郵便局。養護学校や羽根木公園に加え美登利寿司の近くにもある、駅前局である。ここでは梅のお宝印があった。
 そのまま東松原駅前郵便局へ。ここの警備員の人が陽気で、こっちも嬉しくなってくる。かなり局は古くて味がある。
 さらに環七を渡って新代田駅前郵便局。駅前局が3連続となった。
 いよいよ下北沢が近づいてきた。冷静に走って世田谷北沢郵便局。ここでは【お年玉】というなんか変わった物を貰った。そういえば、今日はここまですべてティッシュを貰っていた。帰ってきてからあけると、中には五円とその他いろいろなものが入っていた。ありがたい限りであります。記念に飾っておくこととします。
 さて、今日の本題は古着(というか福袋の中にあった新品のジャケットなど)を売ることであるが、売る予定の店は11時からの開店で、まだまだであった。このため、残りの15分で、他の郵便局を巡ることとする。下北沢に自転車を置いていくのは危険なので、とりあえず走って南の方へ出る。下北沢の商店街のはずれに入り、世田谷代沢郵便局。ちかくにはLoftが存在していて、こんな所になったのか、とちょっと驚き。これだけ離れていると、なかなかお目にかからないわけである。かつては通学路だった下北沢だが、今は全く無縁になってしまったんだよなぁ。
 戻ると10時59分。もう回転となっていたので、二階へ上がる。店の名前は【RAG TAG】という店である。下北沢らしく、基本的にカジュアルな衣服を扱っていることが明らか(調べた時から分かっていたけど)なので、大丈夫だろうか、と今更ながら不安になってくる。物がいくらなんでも悪すぎる。定価は合わせて40000円であるが(爆)。
 さて、査定の間に服を色々見てみるが、これが結構高い。いい服は古着であっても高い、ということらしい。ということは、新品であっても物が悪ければ安い、ということに十分に考えられる。『お断り』だけは勘弁して欲しいのだが・・・。
 間もなく査定の部屋に案内され、いろいろな話をしながら、かなり言いずらそうに値段を切り出してきた。随分と電卓をたくさんたたいているので、1000円台に乗ったのか??と大いに期待してしまったが、出た金額は800円。あまり電卓をたたかないで〜(笑)。でも、最低ラインは500円で、予想は600〜1200円ぐらいだった。この評価は私としては十分である。元々絶対に使わないものなのだから、0から800円に増えたと思っているし。これを40000円から下がったと思ったら、絶対に売れないだろうが。そのため、事実上即決で売ることに同意。後々考えたら、これは良くなかった、と思うことも多いのかもしれないが、これは間違いなく十分な評価であったと断言できる。後は、その服が売れることを祈るのみ。それにしても、私の思っている評価とほとんど同じということを考えると、如何に使い道がないものであるかがよく分かる。あ、カメラに撮っといて、晒すのも手だったな(笑)。
 で、下(ショーツ)のほうは値段がつけられないということで、慈善団体に寄付するそうだ。家に置いてあっても、ぼろきれにすらできない(素材が綿じゃないので)という半端ものである。誰かの役に立てるならば、それはそれで十分だ。
 荷物も減ったので心機一転して池ノ上駅へ。駅前郵便局をすぐに発見。通りがあまりにも狭すぎて、これには参ってしまう。
 その通りは幹線道路然としているので、そのまま南へ。かなり日差しが眩しい。かなり坂を下って、世田谷淡島郵便局。
 南にさらに向かうが、結構大きな坂が待ち受けていて、ぐちゃぐちゃしているうちに比較的大きな通りに出た。こんな場所にこれだけ広い通りを確保するのは大変だったに違いない。そして測ったかのように予定していた世田谷池尻郵便局。記入例の暗証番号が1234となっていたのを何で・・・と思ったが、取扱局番号を見て納得。01234である。12345とかってあるのだろうか。あっても絶対訪問は無理だろうけど。
 そのまま南下を続けていると、世田谷公園が見えてきた。トイレにようやくありつけたという感じである。世田谷公園内にも、まだ霜が立っている状態で、今日は結構寒いということが間接的にしろ分かる。
 そのまま走っていこうかというところで、出た場所からすぐの場所にカフェがあった。昼食を用意しているとのことで、値段は1000円以内に収まっている。世田谷の公園の近くのカフェでランチというのは素晴らしいなと思い、ここで食事することとする。時間はちょうど12時であった。店の名前は【Cherir】であるが、この意味はさっぱりわからない。店内はダーツやモノポリーなどのアメリカの(だと思う)ゲームが揃えてあるなどの異色の店で、天井は配管が剥き出しで配置されていたり、いろいろなワインや食材がカウンターに置いてあったりと、デザインは色々と考えている。今日のランチ【チェリソーと野菜のポトフ】を注文。
 まずはサラダが出てきた。嫌いなきゅうりが入っていることを除けば、味付けなどを含めてGoodである。サラダにきゅうりは入れないで欲しい(個人的に)。
 そしてポトフが出てきた。私は勝手にチェリソー+野菜のポトフと思っていたが、チェリソーと野菜、のポトフ、であった。これにフレンチトースト(???超自信なし)がつく。
 味に関してはまあまあである。何にしても自然な味付けなのがいい。こういうのは向かいにあるであろうジョナサンでは無理な話。ファミレスは味付けと化学調味料が濃すぎる。
 何にしても暖かい食事に満足した後、飲み物としてついてくるエスプレッソが出てきた。
 これが何か凄いのである。確かにカフェであるからこういうのがしっかりしていなければ大変であろうが、このエスプレッソの凝縮率が只物ではない。漂ってくる香りはかなり強い。砂糖を溶かさずに一口いってみたのだが、これはあまりに苦すぎて無理だ。角砂糖を一つ溶かすとカップの小ささもあって、十分に甘くなった。溶けるスピードは熱いためかなり速い。そして飲んでみるのだが、この濃さはやはり尋常ではない。口に含んだ時にカフェインが強烈に作用してくるのである。これはまるで薬か何かのようであるが、無論これはエスプレッソそのものだ。口の中に残る感触はもちろんあるが、ここの強さは飲んだ後に水を飲んでも味がわかるレベルに達している。このレベルならば、高い金を払って飲む価値がある。底に近づいても、全く色が変わらない。1mmも透明度がないような気がするほどだ。
 満足の997円であった。ちょっと店内のゲームもしてみたかったが。今後機会があったら、再訪したいものである。12時45分に店を出た。店内が基本的に閑散としていたのが気にかかる。
 郵便局巡りを再開する。まずは世田谷下馬郵便局。そこから適当に走り、首尾よく世田谷下馬二郵便局。こちらの方がかなり混雑していた。場所はかなり見つけにくいような気もするが、バス通りである。世田谷に来ると、よくもまあこんな場所をバスが、といつも思う。ここあたりから三軒茶屋方面に高いビルが望めるが、これってSunの建物だったっけ。
 商店街を抜けて世田谷郵便局に到着。ここまで来るのにはかなり眩しくなっている。やはり普通局の混雑は健在で、長々と待たされた。他の郵便局に結構空いているところがあっただけに、少しだけ期待していたのだが・・・。
 すぐそばにある世田谷上馬一郵便局。意外と循環が悪い。結構時間を消費した。
 そのまま狭い道を行くと、野沢の結構道が広い区間に入る。代わりに碁盤状の区画となっている。もっとも、所狭しと道がある杉並と違い地図で十分予測が立つし、目印も比べれば多い。
 あっさりと学芸大学前郵便局。まだここにあるの?学芸大。ないよね?小金井だけだよね?
 環七をようやくわたる。駒沢通りから下に埋まっていると思われる河川沿いに行く。思ったより走らされて目黒柿ノ木坂郵便局。ここが特定局としては異様な混雑となっていて、15人以上待つという慢性的な混雑に見舞われていた。一方局員さんの手際はかなりよく、3つの窓口であっという間に片付けていく。こういう速いのを見れば、普通局の2〜3倍程度の作業効率があるということを否定する人は誰もいまい。それでも10分ぐらいかかったが。どうやら都立大学駅付近の需要を一手に担っているようだ。
 さらに走って目黒八雲二郵便局。ここも目黒か。
 さらに走って世田谷深沢一郵便局。これが東京都400局目となる。ここは結構混雑していて、もう3時近い。
 さらに最後の玉川郵便局。これで世田谷区の普通局を制覇し、世田谷区自体も残り11局。ようやく先が見えてきたという気がする。問題はここの郵便局の効率の悪さだ。9人待ちでうち3人がいなくて飛ばされたにもかかわらず、15分以上待たされた。一体どういう業務の進め方をしているのやら。それにしてもトイレに行きたい・・・。
 そのまま走っていくと、やはり等々力の駅に出た。ここまで下り坂が続いたのはちょっと意外。ここからさらに多摩川にかけて下り坂(環八までは登り返すが、等々力渓谷を経由すれば事実上下るだけ)であるというのに。豆腐屋で湯葉でも買っていこうかと思ったが、トイレに早く行きたいので、環八沿いの公園に急ぐこととする。環八を渡ってから結構走ってその公園に着く。ようやく用を済ましてすっきりした。
 第三京浜の手前で崖下に降り、適当に走って二子玉川の市街地に入る。その後はやはり適当に狛江の住宅地を走って帰っていく。帰りの水道橋ではかなり太陽がまぶしいし綺麗だ。世田谷通り沿いにあった水溜りは凍結したままであった。今日は一日中寒かったらしい。
 体に疲れがある。昨日のケーキの残りを平らげ、さらに地図に今日の記録を書き込むと、後は寝る。そして夕食。寝ている間に食事が用意されるというのだから、お前は幸せだ。というか、お前は何様だよ。それにしても、かなり体が回復した感じである。
 夕食を食べて体力をさらに回復。食事がおいしい。夕食後は久々に40分すでにすぎていたアニメを見た。随分と久しぶりである。
 そして今日の記録をちょくちょく書いて、12時にようやく終了。明日のことを考え1時前に就寝。


2003年1月7日(日)
 日記を書こうとしてWordを開いたらちょうど11111文字になっていた。バグじゃないよね(笑)。あ、仕様か(爆)。もちろん、こんなバグなら大した事はないのですけど、もちろんバグはありません。
 そんなことはどうでもいいとして、ついに学校が始まった初日にもかかわらず、出発は時間ぎりぎりとなってしまい、自転車で学校へ。今日もかなり寒かった上、狛江側の多摩川沿いは10日まで通行止めというアクシデント。これで所要時間が踏切と甲州街道をノンストップであったにもかかわらず所要時間が27分まで伸びたが、時間ぎりぎりで間に合った。
 一時限、授業の内容が全く理解できない。やばい。いや、マジでやばすぎる。
 二時限、教室に行ったら一人しかいなかった。そこで休講にしていたことを思い出す。
 というわけで五時限まで6時間もの時間が余ってしまった。こういう極端なことは勘弁して欲しい。
 しょうがないので、図書館で五時限の授業の予習を行う。昼食のおにぎりを食べ終わると猛烈に眠くなり、机に倒れこむ。夢を見ていて、起きようとして金縛りが起きた。体が相当疲れているらしい。大体、6時間も時間が空くなんて・・・。
 そして五時限の授業にようやく臨もうとしたら、教室に人がいない・・・。これは?!
 休講に変わっていた。朝9時に見たときは休講ではなかったというのに・・・。油断した。休講情報は9時をすぎてからも変更があるのだった。6時間もの時間を無為に過ごしたことになる。たまらなく悔しかった。
 帰りは自転車で帰る。カメラを持ってきていないので、夕焼けの撮影は出来ない。そろそろA20のスペックに飽きがきているので、そろそろバージョンアップしたいところだが。12月にCOOLPIX4300に買い換えておけば良かった。ニコンのキャッシュバックキャンペーンは31日までだったもんなぁ。
 そんなことを考えつつ、多摩図書館に寄る。鉄道ジャーナルを一通り読み終える。帰るともう夕食の時間だ。
 食後、『msconfig』をいじってリソースの無駄遣いを減らす。これによってアンチウィルスソフトを常駐させても5%程度の無駄遣いを減らせたようだ。ネットの情報も正確ではないところもあるが、今回はなかなか役に立つ。
 レポートも書き終えて、結局寝たのは1時30分をすぎてから。明日も時間がたっぷりと余る予定だ。


2003年1月8日(水)
 よみうりランド駅から向かう。時間が遅かったので、少し遅刻気味である。
 一時限は少し眠ってしまった。今日も6時間、やはり時間が空いてしまう。二時限は図書館で過ごし、昼休みの昼食後は計算機室へ。今日のコラムを書いて、残りの時間はネットで遊んだ。もう一つ書こうと思ったが、慣れない画面にちょっと疲れ気味。自宅のパソコンのディスプレイを凄く暗くしているので、学校のが眩しすぎるのだ。長時間使うことを考えたら、もっと暗くすべきだと思うのだけれど。電気代だって馬鹿にならないんだから。
 3時20分に計算機室を出て、残りの時間は図書館で本を読む。アンデルセンの童話を読んだのだが、随分と悪人に都合の良いように書かれていて、日本の童話とは随分と違うものだと思った。日本童話では控えめな人が富を得る(花咲爺さんが一つの例)し、心にやましいものがある人は罰せられる(意地悪爺さん)。しかし、心にやましい人間が這い上がっていくのがアンデルセン童話であり、これは読んでいて気分が悪くなった。這い上がっていく人は平気で人をだまし、人を殺し、富を獲得していく。こういうのと比べると、日本の童話は美しい。
 少しだけ瞑想して体力を回復させて五時限に臨む。授業はなんか凄かった。これは目撃者以外は分かるまい。
 帰りには6時台を昼間の時間のパターンダイヤと勘違いしたために、時間を潰したことが裏目に出て、13分ロスした。帰りに欲しかった漫画一冊をゲット。時間がない時に限って、こういうのが手に入るとは。帰るとアニメの時間になっていて、録画に頼ることとなる。
 今日もみかんがおいしい。夕食もおいしい。私は幸せだ(笑)。
 夕食後、アニメ鑑賞と漫画熟読で10時30分。1時30分に眠った。


2003年1月9日(木)
 朝から腹の調子が今ひとつで、トイレに大便を二回してから学校へ。1時限は話を聞いてばかりで、実験のレポートの内職をしていなかった。授業聞いているほうが楽だもんなぁ(笑)。
 2時限からはそんな余裕をかます余裕がないので、真剣に聞くつもり・・であったが、やはり寝。それにしてもスチームの入っている部屋は暖かくていい。エアコンの暖房は、これだけ寒くなると全くダメだ。体感温度の上がる暖房の方法を考えると、エアコンの無意味さがよく分かる。ここあたり、暖房と冷房の方法は別に考えた方がいいのではなかろうか。
 3時限はますます眠気が襲い、死。図書館に寄って、レポートを書くために必要な本を2冊借りていく。ここでも大便を一回。帰りにパルコで買っていくのはシュークリーム。体力をつけておかないと、今日の徹夜に耐え切れない。
 帰宅後はそのシュークリームを1個ずつ母と食べ、4時過ぎから眠りに入る準備。そして4時30分ごろ寝。夕食の時間になって起きる。これで今日の徹夜はOK。本来、練る時間はレポートを書くべきなのであろうが、追い詰められないとかけないのが人間であるため、中途半端に余裕のある時間は眠って体力を温存する方が得策なのである。それにしても、4時限の授業を落としてなくてよかった、と思う。これで2・3限も落としていなかったら、完全にパラダイスであろうが。
 夕食後、ようやく始める。量が多いので、それなりに厄介だ。音楽を聴きながら進めていく。で、久々に"運命"を2時過ぎから聴く。母はいつも「運命には全く無駄がない。素晴らしい」と言うのであるが、何だかんだいっても、この作品は交響曲の頂点に立つ曲である。「合唱」じゃ全然及ばないレベルに達している。
 ところで、帰ってからも大便は出続け、4回ぐらいトイレに駆け込んだ。最後は下痢気味。なんか悪い物を食べたかなぁ?
 レポートは4時20分にすべてを終えた。この時間はかなり優秀。問題が、20〜24日にかけての恐ろしい週間である。
 20日、感想文(これは30分あれば出来る)
 21日、試験(落とすと留年が即決定)
 22日、4000字相当のレポート
 23日、試験(重要科目の一つ)
 24日、実験レポート、実験レポート(所要推定時間15時間)
 よりによってであるが、24日に実験レポートが二つ重なる。誰かさんが、オプションとして余計なレポートを書かせるためである。これを同時に完成させるのは無理であるが、同時に前の日程を挟まれている。計画的にやっていかないと、かなりやばいことになってくる。火曜日のやつは、そろそろ単語帳を作らないとダメであろう。水曜のは、そろそろ書き始めたほうが良さそうだ。木曜のはそろそろ解き始めないと・・・。・・・全然時間が足りない。


2003年1月10日(金)
 まだ年が始まって10日しかたっていないとは・・・。
 今日はさらに遅れ気味で家を出発。かなり真剣に走ったので、25分で東門に至った。授業の始まった直後に入ったので実害無し。しかし、授業の終わりのほうでぶっ倒れた。寝不足でなく、気力の方が問題らしい。
 次の授業である実験はそのまま進むが、この実験で言える事は『紙が無駄』という一言に尽きる。加えて言えば『私は小学生か?』『無為な時間の過ごし方Part1』ってなところである。マジでいいかげんにしろ、と言いたい所であるが、それだけ役に立つことであればよしとしよう(←役に立ってないだろうが)。
 帰ろうとして、歩いて駅に向かおうとした私。かなりボケている。
 帰ってから単語集を作成するが、少し経ってからコタツに入って寝。
 夕食後はコラムを3つ書き終え、日記も書き、そして試験対策は・・・なかなか進まない現状・・・。
 寝たのは1時30分頃である。



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